第八十五話 記念日
コンコン
ノックの音? ちっとも休めないな。
「誰だ?」
「ルネ様、エステルでございます」
「入れ」
「失礼いたします」
今日はピンクじゃないんだな。黒いレースの縁取りがされた黒いベルベットのドレス。黒い手袋に黒のタイツ。胸元に輝く赤いバラのブローチ。ドラクール家の正装か。
今夜は何か儀式があったか? 十月十三日……。新月は一昨日だったし……。
「ルネ様、お迎えに上がりましたわ」
迎え? なんだ? 何か約束でもしてたか? 食事? 散歩か? いや、そんな約束はしてないし、そんな雰囲気でもないな。
エステルが僕を前にニコリともしない。
もしかして怒っているのか? 本来なら僕の方から出向くべき何かがあったのか?
正装をしているという事は、それなりの何かなんだよな?
式典? 祭礼か? なんだ? 僕は何かを忘れているのか?
「お召し替えの準備は整っておりますので、どうぞそのまま」
そう言って、エステルは僕の髪や服に変化魔法をかけた。
深紅に金糸で縁取りしたコート。様々な動植物をあしらったウエストコート。濃緑のブリーチズ。これはベルゼビュート家の準正装だ。深紅は獲物の血、動植物は命。そして濃緑は豊穣な領地を表している。この衣装は、ベルゼビュートが魔王様から下賜された土地を保有し、数多の命の上に君臨している事を意味する装いだ。
この姿は婚約式以来だな。
こんな格好をさせて連れて行くってことは、僕個人ではなく、ベルゼビュートとしての招致か。
なんだ⁉ わからない! ぜんっぜん、わからないぞ⁉
おい、オスカー! 起きろよ! 起きてグズれ! そしたら、お前の世話を名目にちょっとは時間が稼げるかもしれない……のに、尻を突き上げて寝てるんじゃない‼
「ルネ様、万事整っております。どうぞ、こちらへ」
思い切ってエステルに聞くか? 他の連中がいない今、エステルだけなら僕が重要な何かを忘れている事を咎められないかもしれない。
エステルに……なんて聞くんだ? 『今夜って、何か予定あったっけ?』とでも言うのか?
まるで阿呆じゃないか! ダメだ。カッコ悪すぎる。そんな事、とても聞けない。
エステルは僕たちの部屋を出ると、テンキーロックのある部屋のドアを開ける。
亜空間にあるドラクールの屋敷に続くドアだ。
やっぱり、何かの式典か……。
なんだ? 思い出せ! 僕の誕生日じゃない。エステルの誕生日でもない。婚約の記念日でもないし、ドラクール領の祭礼は新月の晩だから違う。ベルゼビュート家の祭礼でも、魔王様の降臨祭でもない。
なんなんだ! ぜんっぜん、ぜんっぜん、思い当たらない!
もしかして、アレか? 学校の授業で習ったような年間行事か何かか?
社会の授業にそんなのがあったのか? サボった覚えはないが……、寝てる間に授業が終わってる事は何回かあったかもしれない……。
「ルネ様。お足元にお気を付けください」
月の光も届かない暗闇。
ここはユーゴが作り出した亜空間だから、外の世界とは月齢が違う。たまたま、この空間内が新月なのか、わざわざ新月の夜を作り出したのかわからない。
どちらにせよ、闇夜信仰のドラクールが一番格式高い式典に選ぶ夜だ。
エステルに手をひかれ、一歩、また一歩と、屋敷の門が近づく。
門が……、開く!
「サプラーイズ‼」
パン! パン、パン! パ、パン!
発砲音と共に僕に降り注いだのは……、色とりどりの紙屑?
「は?」
「どうですかな? ルネ様。ドッキリしていただけましたかな?」
目の前で、エステルが両親とカラカラ笑っている。
その横には家守奴隷やメイドたちが、同じように笑っていた。
何が? え? どういうことだ?
「あなた、このクラッカー? というのが、足りないのではありません?」
「おぉ! そうか。なんたってベルゼビュート様だ。こんなに小さな音じゃ、驚こうにも驚けないな。よし! アレクシ! ありったけのクラッカーをここへ!」
「承知いたしましてございます!」
「お父様、発音が違うのじゃありません? サプラーイズではなくて、サプーライズなのでは?」
「おぉ! たしかに、タツキ殿が仰ったのはサプーライズだったやもしれぬ」
「ご主人様! 照明が良くないのではないですか? 明かりの有無に視力が左右されないドラクールと違って、ベルゼビュート様は突然の光に目が眩んでしまわれるのかも」
「それは考えなかった。……と、いうわけで。ルネ様、もう一度やり直させていただけますかな? そうですなぁ……、門を開く二歩ほど前に戻っていただいて……」
「やるか~‼ なんだ、この茶番は! 僕を驚かせたいだと? もう充分、驚いたわ! しかも、タツキの名が出たな⁉ あいつの仕込みか⁉ お前ら、僕をからかってタダで済むと思ってんのか⁉」
くっそ! 危うくエステルに間抜けな姿を見せるところだったじゃないか。
これだからドラクール家は苦手なんだ!
「はっはっはっ。楽しんでいただけたようで何よりです。なぁ? アンリエット」
「そうですわね、あなた」
楽しんでない。
「ルネ様、驚かせてしまって申し訳ございません。今夜は父母の結婚記念日なのです。領地に居た頃はたくさんの領民が集まってお祝いをしたものですが、今はそうもいかないので……。せっかくルネ様に再会できたのだから、ぜひ共に祝っていただきたいとお連れしたのです」
エステルが僕の手を取って静かに微笑む。
「だったら、最初からそう言えばいいじゃないか。知っていれば、祝いの品の一つも用意したのに」
「だって、まともにお誘いしても、どうせ来てくださらないでしょう?」
「そんなことはない! 僕はベルゼビュートであると同時にエステルの婚約者だぞ? 義両親への祝いともなれば……」
エステルの手が一層強く僕の手を握りしめ、目の奥に涙が浮かんだ。
「婚約は破棄すると、仰ったじゃありませんか!」
……そうだった。
あの時は、死んだと思っていたエステルが突然現れて、ドラクール領が襲撃された当時の事が鮮明に浮かんできて……だいぶ悲観的になってたんだよな。
ユーゴへの憎しみと恐怖が行き場を失って、でもエステル達を助けてくれた事実に感謝しなくちゃならなくて、他の領地も奪われてて、現実から目をそらして逃げ回ってたツケを突き付けられたようで、全てがうまく行かないと感じていた。
家同士が決めた婚約からエステルを解放してやりたい思いに嘘はないが、自棄になっていた部分は否定できない。
さて……、これはどう返したものか……。
『忘れてた』じゃ、すまないだろうな。
「ルネ様? 我が娘が泣いているように見えますが?」
うお! エミール! 背後から息を吹きかけるな!
「いや! これは別に……、イジメていたわけではなくて……」
「お父様! ルネ様が、わたくしとの婚約を破棄すると!」
おい! 親を味方につけるのは、ずるいぞ⁉ 僕は一人なのに!
「それは、しっかりと事情を伺わなければなりませんなぁ」
「……はい」




