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第八十二話 遺言

「爺さん! おはようございます」

「おはようございます。ご挨拶がじょうずだねぇ」

 ふふん。僕はベルトランに定規をいくつも当てられながら、何種類もの挨拶の型を教え込まれてるんだ。これくらい、出来て当然だな。


「お医者様と話があるから、ちょっと行ってくるよ。元樹、売店で何か買ってこようか?」

「ティッシュが無くなりそうだから欲しいな。あと、ウネ君にアイスを買ってあげて」

「アイスなら店にもあるから大丈夫だよ」

「新商品のね、カボチャのアイスがあるんだって。看護婦さんがね、美味しいって教えてくれたんだ。そこの引き出しに僕のお財布入ってるでしょ? それで、ウネ君に買ってきて」

「わかったよ」

 タツキは爺さんとそんな話をして、引き出しから出したボロい布袋を持って部屋を出て行った。

「アイスってなんだ?」

「ウネ君は、アイスを知らないのか。冷たくって、甘くって、お口に入れると溶けていくんだよ。すっごくおいしいから。食べなきゃ損ですよ」

 冷たくって、甘くって? それって、クリームソーダに乗ってるボールの事か?

「ウネ君、お仕事は楽しい?」

 毎回聞くんだな。

「昨日はソーダイが休みだったんだ。ジュンが一緒で……、あ、こいつは前に苦手だって言ってた奴なんだけど。変な奴だけど、もう怖くはないかな?」

「それは良かった。仲良しがね、一番なんですよ」

「うん。仕事がすごく出来て、必要な物をいつも持ってるんだ。必要かわからないのに準備してるんだ。すごいだろう?」

「それは、それは! すごいなぁ。まるで前田さんみたいだねぇ」

「マエダも⁉ マエダってすごい奴だったのか?」

「前田さんはねぇ、すっごく色んな事がわかる人ですよ。僕はのんびりしてるしね、たっちゃんは、ほら、忘れん坊さんでしょ? 前田さんがいなかったらね、僕たちのお店は出来てないよ。ぜぇ~んぶ、先回りして考えて準備してくれたんですよ」

「へぇ、ぜんぜん知らなかった」

 そういやタツキが言ってたな。あの店を始める時にタツキと爺さんとマエダが喧嘩して、風呂屋で仲直りしたって。

 その頃からずっと仲間なのか。


「ウネ君は何が得意?」

 得意? これは店員としてってことだよな? レジは……得意だと思ってたけど、たぶんソーダイやジュンの方が早いし、ピッキングは……まだ文字が読めないのが多いし……。

「荷物を運ぶのかな? 車は使えないけど、重い物を持つのは得意だ」

「力持ちさんだ。素晴らしいね」

「素晴らしくはない。ただ、物を移動するだけじゃないか。速く会計したり、車を動かしたり、何が売れるか考える方がカッコいいじゃないか」

「おやおや、物を運ぶのは一番重要で一番愛されるお仕事だよ? 僕の御先祖様はね、重い物をたくさん運んでみんなに愛されて、それでお店を作ったんですよ」

「ご先祖様って、爺さんの爺さんか?」

「僕のお爺さんの、お爺さんの、そのまたお爺さん。その人はね、体が大きくて、とっても力持ちでね。川が氾濫してみんなが困っている時に、たくさんの石や土を運んで川の水が溢れないようにしたの。土手を作ってね、みんなを川から守ったんですよ。それでね、土屋さんって呼ばれるようになったの」

「へぇ、爺さんの家名って意味があるんだな」

「そうなの。ウネ君もたくさん荷物を運んで、みんなに感謝されてるよ。だから、これからも頑張って、お仕事してね」

「うん! 僕が運んでやらなきゃ、シュッチョーストアー出来ないからな!」

「そうそう、その意気ですよ」


 爺さんの顔に現れる感情は、温かい色をしている。マエダに似てるけど、もっと柔らかくて、じんわり溶けて僕の中に流れ込んでくるみたいだ。

 こんな風に話をしてると、なんだかまどろんで心地いいな。大きな声で話すのにも慣れたし、爺さんの布団の上に肘をついてると頭を撫でられるのも、おじい様を思い出す。


「僕は運ぶのが得意で、ジュンは売るのが得意。ソーダイは客と話すのがうまいってジュンが言ってたぞ。一人一人が何を言ってたかとか、何を買ったかを覚えてるから、会話がうまいんだって」

「まるで僕と、前田さんと、たっちゃんみたいな三人組だ。前田さんは売るのが上手。僕はお客さんとお話しするのが大好き。たっちゃんが一番の力持ちだったんですよ」

「僕がタツキの役回りか⁉」

 それは嫌だな。

「ちゃんと次の世代が育ってるねぇ。よかった、よかった」

「次の世代?」


『哀愁』『期待』『追憶』『悲哀』『未練』

 なんだ? この感情の動きは? 見てるだけで胸の奥を掴まれるようだ。

「僕の父はね、お店を亡くしたんです。大きな災害でね。祖父や曾祖父やその前の先祖たちが受け継いできたお店がね、店舗も、従業員も、家族も、みんな災害で亡くなってしまったって。僕は生れてなかったから知らないんだけど、その話を父から聞いててね、僕もお店が欲しくなったんだ。楽しい、嬉しい、みんなが仲良しで、愛がいっぱいで、みんながキラキラ輝いてる。そういうのがね、代々ずーっと続いていくお店が欲しかったんだ。よかった。僕たちの後継者はもう育ってるんだね」

「後継者って……、意味が解ってるのか? それは、爺さんたちが……死ぬってことだぞ?」

 僕はベルゼビュートの後継者って意味を、ずっと解ってなかった。

 一族に対して、領地に対して、魔王陛下に対して、トロキオ王国に対して、リヴェルタリスに対して、大きな責任と使命を負うんだと何度も何度も教えられて、なんだが特別みたいでちょっとカッコいいと思っていた。僕が真ベルゼビュートになって家を継いだら、おじい様が喜んでくれるんだろうと……。

 僕が跡を継ぐには、おじい様が死ななきゃならないって、ちょっと考えればわかったはずなのに。


 爺さんの感情は変わらない。暖かいのに心が締め付けられる鋭い感情が、それでも優しく漂っている。

「みんな、いつか死ぬんですよ。僕も、前田さんも、たっちゃんもね。僕たち三人が初代だからね。僕たちの思いを二代目が受け継いで、二代目が頑張って三代目を育てて、三代目が頑張って四代目を育てて、そうしたら『お店』はずっと生き続けるんだよ。みんな仲良しでキラキラで愛がいっぱいのお店を、ずっとずーっと続けて欲しいんだ。父が亡くしたお店はね、みんなが仲良しだったそうだよ。僕が知ってる父は雇われて働く店員さんだったけど、お店に立つ父はキラキラ輝いてた。亡くなったお店も、カッコよかった父の仕事も、僕のお店に詰め込んで未来に運んでほしいんだ」

『決意』『覚悟』『懇願』

 そうか。これは遺言のつもりなんだ。

 これは、僕が聞いてもいい話だったのか? 僕はこの世界の住民じゃない。店で働くのも半年だけの約束だ。

 僕じゃ後継者にはなれない。

「僕は……」

 爺さんの両手が僕の拳を包む。

「頼みます。お店を。たっちゃんを。お願いします」

 そんなに深く頭を下げるなよ。

 握りしめられた手の指が痛い。たかが人間の、やせ衰えた弱弱しいはずの年寄りの手をヴァンパイアの僕が振りほどけないはずがないのに。


 僕は出来ない。この世界の住民じゃないから? それでいいのか?

 僕は偶然とはいえ、店に救われた。あの時、店が無かったら僕は死んでたかもしれない。

 爺さんとマエダとタツキが、あの店を作らなければ、僕は死んでた。

 僕を救った店の主が、僕に頭を下げている。

 僕の答えは『出来ない』で、いいのか?

 いや、僕はベルゼビュートだ。公平で、公正で。礼節を重んじる悪魔だ。

 礼には礼を、仁には義を返す。

「爺さん、大丈夫だ。僕があの店を未来に連れて行ってやるから。僕は強いんだ。災害で壊させたりしない」

「ありがとう。これで、安心だ」

 爺さんの両手が僕の手を離れ、僕の頭をくしゃくしゃに撫でまわした。



「お待たせ。ずいぶん仲良しになったみたいだね。はい、アイス」

 タツキが小さな蓋つきのカップを爺さんに手渡した。

 僕に買ってきたんじゃないのか?

「はい、ウネ君。アイスだよ。どうぞ、食べてごらん」

 爺さんはタツキから受け取ったカップを、そのまま僕に差し出した。

「う、うん。ありがとう」

 タツキが僕に直接くれればいいのに。

「ルネ、開けられる? 蓋を取ったら、このフィルムを剥がすんだよ」

「やってみる」

「スプーンはここに置くね」

 このカップの中に、あの白いボールが入ってるのか? フィルムってのは、このツルツルした薄い奴か。引っ張ると千切れそうで力加減が難しいな。

「やってあげようか?」

「自分で出来る!」

「ウネ君は偉いねぇ。頑張り屋さんだ」

 よし、開いたぞ!

 うん? ボールじゃないな。カップいっぱいにみっちりと敷き詰められている。

 しかも白くもない。オレンジ色の塊だ。

 匂いは……、甘いな。でもちょっと青臭い。味はどうだ? うん、冷たくて甘いが、白いのとは違う甘みだな。これはこれで美味い。

「こら、ルネ! 直接舐めるんじゃない! スプーンを渡しただろ?」

「あははは、ルネ君は食いしん坊さんだ」

 冷たくて、甘くて、美味い。

 タツキは同じようなカップから白いのを掬って自分の口と爺さんの口に交互に運んでいる。

『美味しく食べられるのが、自分は幸せだって実感できて嬉しいんです』

 ソーダイの言葉を思い出した。

 そうか。いま、僕は幸せなのか。


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