第八十一話 挨拶
「おはようございます」
店内にマエダの嗄れ声が響く。ようやく帰ってきたか!
今日はマエダが出勤するって知ってたからな。エステルに変化魔法を解いてもらって、店で待ってたんだ。
「マエダ! やっと来たな!」
「これはこれは、ルネ君。おはようございます」
「あのな! タツキとショッピングモール行って、ヒガエリオンセン? 行ったんだ! それで、マエダに土産を買ってきたんだぞ!」
「そうですか、それは嬉しいな。でも、まずは挨拶を先にしましょう。私は礼儀正しいルネ君が好きですよ。『ルネ君、おはようございます』」
両手を股のあたりで重ねて、頭を下げる。
なるほど、この世界の挨拶はこうするのか。
「おはようございます」
これで、いいのか?
「ありがとうございます。とてもキレイなお辞儀でしたよ。これからは出勤したときに、その挨拶をしてください」
「挨拶すると、マエダは喜ぶのか?」
「はい。とっても喜びます。私だけじゃなく、他のスタッフやお客様にも挨拶してください。私は挨拶をしあっている人たちを見るのも好きなんです」
『感動』『愛護』『希望』『幸福』『満足』『期待』
色とりどりの感情が、花畑みたいにマエダの顔を彩っていく。
そうか、マエダは挨拶をすると喜ぶのか。不思議な価値観だが、これなら楽でいい。
そういえば僕が挨拶をすると、おじい様も少し口元を緩めたな。僕はあの顔が見たくて、小うるさいベルトランの言う事を聞いてやってたんだ。
年寄りってのは、挨拶が好きなのかもしれんな。
「これが、マエダの分の土産だ」
「これは、お茶とお菓子と……牛乳?」
「お茶と菓子はショッピングモールで買ったんだ! この菓子はな、ゲッペイって言うんだ。隣の国の菓子なんだぞ。月を見ながら食べて、幸福と健康を願うんだ。知ってるか?」
「月餅は知ってましたが、そんな風習があるとは知りませんでした。教えてくれてありがとうございます。ルネ君は物知りですね」
マエダの顔に『歓喜』が浮かぶ。
教えてくれてありがとう? マエダは知らない事を教えてもらうのが嬉しいのか。
この世界の物なのに知らなかったとも言ったな。年寄りのくせに物をあまり知らないんだな。短命種だと、そんなものなのか。
仕方ない。僕が色々と教えてやろう。
「この風習は、菓子を売ってた店員が教えてくれたんだ。満月の時に食べるのは中に卵が入ってて、もっとすっごく大きいんだ。このくらいかな? それをみんなで分けて食べるんだ」
「そうなんですね。それは、とても楽しそうだな。これは小さくて食べやすそうですね」
「これは、僕の国の菓子に似てたんだ。僕の国では月光浴と言って、月を見ながら、こういう菓子を食べてお茶を飲むんだ。心を鎮めて癒す意味があって、僕のおじい様はそれが好きだったんだ。マエダ、疲れやすいと言っていただろう? だから、月光浴が出来るように買ってきた」
「覚えていてくれたんですね。ルネ君は本当に優しいな。では、近いうちに月光浴をやってみましょう。良かったら、その時はルネ君がやり方を教えてくれますか?」
「わかった! 一緒にやろう」
「ありがとうございます。それと、この牛乳は?」
「これは、ヒガエリオンセンで買ってきたんだ。マエダはジドーハンバイキって知ってるか?」
「自動販売機は知っていますが、牛乳を買える自動販売機は知らないですね。どんなものですか?」
「陳列棚に牛乳がいっぱい並んでて、でもガラスでカバーしてあるから取れないんだ。光るボタンがついていてな、欲しい牛乳の横に書いてある数字と同じボタンを押して、ビヨビヨが付いた鍵のケースを押し当てると、牛乳が勝手に動き出すんだ!」
「牛乳が勝手にですか? それは凄いですね」
「勝手に棚からせり出してきて、ガコンって落ちるんだ。で、足元の蓋を押し開けると牛乳が取れるんだ。すごく面白いから、マエダにもやらせてやろう」
「良いですね。では、日帰り温泉もいつかご一緒しましょう」
マエダと話すのは、やっぱり落ち着くな。
「おはようございます。なんだか、随分と楽しそうですね」
「おはようございます。熊楠さん。連休をいただき、ありがとうございました。ルネ君に週末お出かけしたお土産をいただいたんですよ」
タツキがちらっと僕を見る。
なんだよ。せっかくマエダと喋ってたのに。邪魔しやがって。
「そうでしたか。前田さん、奥さんのお加減はいかがですか?」
「おかげさまで、最近は暑さもひと段落してきましたからね。落ち着いて過ごせています。熊楠さんは、これから病院ですか?」
「はい。電話でもお伝えした通り、しばらく俺が十三時からシフトに入るので。それまでには戻ってきます」
「どこか行くのか?」
「元樹の所だよ」
爺さんの所か。これは、また愉快な場面を拝めそうだな。
「僕も行く!」
「いいけど、今日は何処にも寄らないよ?」
なんだ、その確認は。
「いつもお前が僕を連れまわしてるんだろう?」
「……そうでした。じゃあ前田さん、行ってきます」
「お気をつけて、元樹さんによろしく伝えてください。あぁ、ルネ君。元樹さんにも挨拶してくださいね。きっと元樹さんも喜びますから」
そうか。爺さんも年寄りだもんな。
「わかった。じゃあ、行ってくる!」
「ルネ『行ってきます』だよ」
こいつは、いちいちうるさいな。
でも、マエダの顔に『期待』が光ってる。マエダも、そう言ってほしいって事か。
「マエダ、行ってきます」
「はい。行ってらっしゃい」




