第八十話 ユーゴの教育方針
「おかえり」と出迎えたタツキはユーゴにウォッカの瓶とグラスを差し出しながら「お疲れ様。助かったよ」と続けた。
ユーゴはその瓶を受け取り、ソファに腰を下ろす。
「知ってるぞ? この愛妻ぶりっ子はさぁ、下心アリアリの御機嫌取りなんでしょぉ?」
「え、え? なんこと?」
「とぼけんなって。お前、ジュンだけじゃなく、ルネまで俺に押し付けようとしてんじゃん?」
タツキは観念したかのようにフーっと息をつき、ユーゴの隣に座った。
「丸投げしたいわけじゃないよ。ただ、ちょっと毎日十分くらい勉強を見てやって欲しいってだけで。教科書やノート類は用意するし、立木君に教えるついでで構わないから」
「引き受けたよ」
ユーゴはさらっというと、ウォッカを瓶ごと煽った。
「え⁉ いいの? 文句言われるかと思った」
「文句はある! 当然だろ! もうしばらく仕事は増やさないって言って三日もたってないよねぇ? 三日坊主って三日続けないとなれないんよ。お前、一日坊主? 半日? 俺と約束したよねぇ? その約束があったから、俺はジュンを弟子にするのを引き受けたんですよ! おわかり? 舌の根も乾かぬうちに? そもそも、舌の根ある? 半日よ? 人使い荒すぎですよ! まいっちゃうよなぁ!」
「ごめんって、本当に悪かったと思ってるよ」
「ほぉんとぉかなあ~?」
舐めまわすように睨みつけるユーゴから目をそらしながら、タツキは「だって、他に頼れないんだもん」と唇を尖らせた。
ユーゴの手が酒瓶を外れ、タツキの頭をポンポンと叩く。
「まぁ、しゃあねぇよ。ルネにはヴァンパイアロードになってもらわなきゃ、約束が果たせないからな。バカを王に擁立はできねぇじゃん? それに、ルネに関してはお前じゃ無理だしな」
「無理って、どういう事? こっちの世界の人間だからって事?」
「あいつはさ、元々たぶん嫌いなんだよ。本を読んだり、文字を書いたりって事がな」
「そりゃあ、そう言う子はたくさんいるけど、でも毎日少しずつ進めて習慣化して、成功体験を積んでいけば……」
タツキの言葉にかぶせるように「それ!」と遮った。
「そのやり方はな、まだ勉強ってもんに対してネガティブな気持ちがない奴にやるもんなんだよ。ルネは今、勉強に対して特大の不信感を持ってる。おそらく最初は『めんどうくせぇなあ』くらいのもんだっただろうよ。体動かしてる方が性に合ってるタイプだからな。だが、それなりにやってたんだろう。苦手なりに頑張ってやったことが、巣の外に出てみたら身を守る術にならなかったって感じてる。本人のご意見ですよ?『無駄だった』って」
「ルネと、そんな話をしたんだ」
「お前はどうせ『子どもは勉強しろ』の一点張りだろうし、どうやらジュンやエステルからも言われたらしくてな。自分の意見を受け入れてくれる相手を探してたんだろ?」
「でも、ルネは幼年期学園や家庭教師から学んだことを生かせてたはずだろう? トロキオ語とバリエスト語の読み書きや、魔法も勉強してたから出来たんであって……」
ユーゴは無言で達樹の前にウォッカとグラスを置いた。達樹はそのグラスに氷を入れ、手際よくトニックウォータ―とウォッカを混ぜていく。
その手元を満足げに眺めながら、ユーゴは「そんなもん、覚えちゃいねぇよ」と続けた。
「立ち上がって歩く。転んだら起きる。フォークを使って飯を食う。全部、学んで出来るようになる事だが、それを学んだ意識はねぇだろ? そこに感謝できるようになるのも歳くってからさ。ルネにとっての読み書きや初歩の魔術は、そういう発育と同じ感覚なわけ。トロキオ語とバリエスト語の読み書きは物心がつく頃には屋敷で教え込まれてただろうし、悪魔族にとっての初歩魔術は、それこそフォークやスプーンを使うような物だからな。学校での教科書通りのカリキュラムは、あいつが一番辛い時期に助けにならなかった。『将来、困らないために勉強をしろ』と言われて渋々やってきたことが、生命の危機に瀕する窮地に追い込まれた時に力を発揮してくれなかったわけだ。そん時の『裏切られた』って思いは正論じゃどうにもならんのよ」
出来上がったカクテルをユーゴに差し出しながら、達樹は「それで?」と尋ねた。
「ユーゴ先生には、勉強に裏切られたルネをヴァンパイアロードに育てる秘策があるわけですか?」
「無かったら引き受けたりしないでしょ? あいつは義理堅いし責任感も強い。目の前で起こっている事象に対処するための必要な知識を得るのに、教えを乞う相手の選び方を知ってる。伸びしろしかねぇよ。ルネが望んでるのは、無駄のない学び。人生のルートをゼロから組み立てて、必要なスキルを導き出し、それを手に入れる術を模索して、一つ一つ獲得していく。一番『無駄』なく、自分の人生を自分らしく生きられる、一番険しいイバラの道だ。だがな、それが出来なきゃ『王』にはなれない。庶民に用意されたルートを歩いてたんじゃあ、それこそ意味がない。ルネにはルネのマイウェイが必要なんだよ」
「……ユーゴは何もしないって聞こえるのは気のせいかな?」
「まぁさか。ルネが自分から学びたくなるように仕向けるのが俺の役目だよ。まぁ、見てろって。俺は良い親にも良い師匠にもなれねぇけどさ、良い踏み台になる自信はあんのよ」
「嫌な自信だな」
いかにもユーゴらしいなと、達樹は思わず噴き出した。




