第八話 サプリメント
「……僕の種族について知ってるのか?」
「俺の勝手な推測だけどね。本名はルネ=ノワ・ヴァンピール・ド・ベルゼビュートだよね。意味は『ベルゼビュート家のヴァンパイア、ルネ=ノワ』。ルネ=ノワは黒い月を意味する名前で、闇夜を信仰するトロキオ南西部では一般的な名前なんだってね。郷土料理のテリーヌ・ドゥ・ディアブラもトロキオ西部が有名」
ソーダイから全部漏れ伝わったか。
どうせ人間、どうせ異世界人と侮って話したが、墓穴だったな。
名前の意味や料理まで知ってるという事は……。
「ベルゼビュート家についても知ってるという事か」
「トロキオ王国侯爵家ベルゼビュート。トロキオ西部の国境周辺一帯を領地としながらも、その一族は成人を迎えると旅立ち、当主以外は生涯のほとんどを旅して過ごすんだってね。その理由は、ルネが店で倒れたのと同じ理由でしょ」
お見通しって顔が心底ムカつくな。
「あぁ、そうだよ。僕たちの一族はヴァンパイアロード。人間を糧とする全てのヴァンパイアの長だ。トロキオが王国として統合される以前、暴食と混沌の支配者と恐れられたベルザラック・ベルゼビュートの血族。人間たちが食人鬼と呼ぶ最高位のヴァンパイアだ。僕たちは人間に対して有効な特殊スキルを持ち、人間の血肉を大量に摂取して生きる。一族が一所に集まれば、その地の人間は駆逐され、食料の奪い合いになり、自ら破滅する事になる。だから、旅だった先で人を食い、食い尽さぬよう場所を移してまた食う。その繰り返しが旅の目的だ。わかっただろ? 僕は常に旅をしていないと生きられない」
タツキは小さな光る板を片手で操作しながら、飯を頬張った。
理解できたのか?
僕が食人鬼だと知っていた上で人間の店で働かせようと思ってたって事だよな?
くそ、やっぱりこんな飯をいくら食っても能力が使えない。
何を考えてるのかわからない。
せめて、ゼリーインリョーがあれば……。
「ヴァンパイアが人間の血肉を食わないと生きられないってのはさ、ルネの世界での話だよね?」
タツキはそう話しながらも手に持った板から目線を上げない。
「……? こっちの世界では違うのか?」
「こっちの世界のヴァンパイアは伝承や物語にしか登場しないよ。ただ、ルネの世界と違ってこっちの世界には薬学や栄養学ってのがあってさ。要するに、血肉と同じ栄養成分を摂取できればいいんじゃないの?」
「あまりバカにするな。薬学は僕の世界にもある。だが、エイヨー学? エイヨーセイブンって、マエダが言ってたやつか?」
「血液の主な成分は、水分とタンパク質、電解質、糖、脂質、酵素……ブドウ糖も入ってんのか。あ、糖ってブドウ糖の事? 肉はタンパク質に脂質、亜鉛、鉄、ビタミン……。肉の種類によってビタミンやミネラルは変わってくるのか……」
さっきから手に持った板を読み上げてるのか、独り言なのか、相変わらず顔を上げない。
「会話をする気があるなら、こっちを向いたらどうだ?」
「ごめん、ごめん。やっぱりサプリでなんとかなりそうだと思うんだけど、どう?」
「どう? と言われても、サプリとはなんだ? ゼリーインリョーのことか?」
タツキは立ち上がって、戸棚から小さな瓶を一つ持ってきた。
「サプリ……、正式にはサプリメントね。ゼリー飲料と同じ栄養補助食品だけど、常用するならこっちの方がリーズナブルだし保管も携帯もしやすい」
もしかして、こいつ僕の『食事』の問題を解決しようとしてるのか?
そのサプリってので、本当に『食事』の代わりに出来るのか?
願ったり叶ったりじゃないか。
僕の望みが、おじい様の悲願が、これで叶う……。
……でも、本当にそれでいいのか?
こんなに簡単なことなのか? 人間に代わる食料なんて、おじい様も僕も、今まで苦労して探してきたけど見つからなかった。
山羊や豚や牛や熊をいくら食っても、人間を食った時ほど力は発揮できなかった。
それは、一族の大きな枷なのだと、罪とともに背負う枷があるからなのだと、おじい様はそう言っていたのに。
「一族は、ずっと人間を食って続いてきた。これは伝統なんだ。旅をして、己が糧を己で狩り、武を磨き、見聞を深め、年に一度は領地に獲物を持ち帰って一族繁栄に貢献する。ずっと、そうしてきたんだ。おじい様も、ひいおじい様も……」
その伝統と食欲に、ずっと翻弄されてきた。
食欲を満たし、伝統を維持し、誰も傷つけず、人間族の良き隣人として生きる道を模索して、おじい様がどれだけ苦悩していたか!
それが、こんなに簡単に解決するのか? それで良いのか?
僕だけが、旅をやめて狩りをせず、一族に貢献せず、安穏と過ごしていいのか?
僕だけが、一族の罪を、枷を、業を免れて、それでいいのか?
こんな簡単に解決できるなら、もっと早く、なんで今になって……。
もう……、何もかも遅いのに……。
でも、……でも、僕が空腹に振り回されず、思う存分力を使えるなら、もしかして出来るのか? 敵討ちが。
あいつを、あのヴァンパイアハンターを見つけ出して、みんなの、エステルのかたきを!
「受け継がなきゃいけない伝統って、もうルネは外れちゃってるんじゃないの?」
「そ、そんなことない! 勝手なことを言うな!」
タツキの表情は変わらない。
カップに口をつけ、ゆったりと腕を組み、僕を見据える。
怖い。すべてを見透かされるようだ。
目の前にずっと欲しかったものがあるのに、希望があるのに、手を伸ばすのが怖い。
指が震える。鼓動が早くなる。
もし、ダメだったら? 腹が満たされていても、僕が強くなかったら?
怖い。
何が? なんで怖い?
絶望だ。僕は、絶望するのが怖い。
もし、また何も出来なかったら、空腹じゃなくても僕が無力だったら……。
なんで、こんな……、こいつは何も知らないはずなのに。
こんな、たかが人間ごときに。
「ルネは、まだ成人してないだろう? ヴァンパイアの寿命は五百~六百歳って聞いた。人間の寿命を八十~百歳だとして比べれば、ヴァンパイアの成人年齢は百二十歳前後。ルネの八十五歳は人間で言うところの十四歳くらい? でも見た目はもっと幼く見える。成人前に旅に出されたのか、自分から家を出たのか知らないけど、要するに未熟なまま巣立った小鳥が、うまく飛べずに死にかけたところが、この店だったって事でしょ? 年に一回領地に帰る伝統だっけ? ルネは帰れるの?」
「……」
何か言い返したいのに。
言葉が頭の中を泡のように漂っては消えていく。口がうまく動かない。
これは侮辱だ。僕が、成人を待たずに追い出された?
違う! 違うんだ! 僕は自分で決めた。自分から旅に出たんだ。
そうだ。僕は悪くない。弱くない。未熟じゃない!
でも、でも……。
帰れるのかって? なんで、お前にそんなことを聞かれなきゃならないんだ。
なんで……、なんで、こんな奴に……!
こんな、情緒が狂ってて、人格がバグってて、何を考えてるかわからない、気色悪い変態異世界人に……。
なんで、僕は頭を撫でられて、涙が出てくるんだ。
「俺は人間だから、人間を食べさせるわけにはいかないけど、ここに居ろよ。人間を食べなくても済むような食事を一緒に考えよう。他に行く場所、ないんだろう?」
「ぼ、僕はっ、にんっげんを……食べたンだ。お、おまえらの、な、仲間っを……。お、おんなも、……あ、あ、あかんぼうも、食べた。そ、それでも、こ、怖くない、のか?」
「どんな犯罪者でも金を払って物を買うならお客様だし。人類の敵でも、ちゃんと働いてくれるなら従業員だよ」
タツキの大きな手が、頭の上から肩に背中に移動して、その腕の中で、僕は不覚にも声をあげて泣いた。
屋敷を出てから、ずっと張りつめていた何かが音を立てて千切れたようだった。
「ルネ=ノワ。そこにいるのか?」
「はい。こちらにおります。おじい様」
館の地下、最奥にあるこの主寝室が僕は好きだった。
ベルゼビュート家現当主のおじい様は、この部屋に限られた世話役の執事と奴隷しか入ることを許さない。
でも、僕だけは別だった。
まだ幼かったある日、排気口から忍び込んだ僕をおじい様は「ネズミ」と呼んで、部屋の中で遊ばせてくれていた。
「ネズミよ、ネズミ。餌が欲しけりゃくれてやる」
よくそう言って、おやつに小鳥やウサギを食べさせてくれた。
そんなおじい様が僕を『ルネ=ノワ』と名前で呼ぶときは、いつも一族のとても大切な話をする時だ。
「ルネ=ノワよ。ベルゼビュート家のヴァンパイアは誤解されやすい。我らは強欲で意地汚い魔物ではない。気高く、誠実で、礼節を重んじる悪魔である。トロキオ最西部の要を守る悪魔族の守護者である。ベルゼビュートは冷静でなければならない。公正でなければならない。魔王陛下への忠誠を遵守せねばならない。ルネ=ノワよ。魔王一強時代は終わった。世界は広く、種族は多様で、それらを制するのは暴力ではない。知恵を持つのだ。他者との関わりを力とせよ。ベルゼビュートは残忍な侵略者ではない。誇りを忘れるな。紳士たれ。ルネ=ノワよ。人間は隣人。食料ではない」
おじい様の目から涙が一すじ流れ落ちた。
ベルゼビュート本家の領地には広大な牧場がある。
それは『食事』のために旅に出る一族の要を守るため屋敷に留まる当主や、旅に出られない子どもが食べるための『食料』を畜産する場所だ。
先の大戦以前は人間を飼育していた。
彼らはベルゼビュートを信仰し、自らが糧となることを最高の誉としていた。
だが、現在は山羊や羊、馬、豚、牛、熊などを人間たちに育てさせている。
敗戦の折り、ラーク帝国を主とした人間たちの連合軍は、トロキオ国民に「今後一切の人肉食を禁ずる」との要求を示したが、交渉の間に入った冒険者一行の口添えによって「死刑が確定した者を法の下、適正に執行した際その遺骸を食料とする場合と、トロキオ国内に不法に侵入した者の身元を保証する第三者が現れなかった場合」のみ特例として人間食を許された。
だが、その条約は守られなかった。
ベルゼビュート軍が敗れた後の悪魔族と人間族との戦争は、魔王ルシフェルと五人の冒険者の戦いと言っても過言ではなかった。
彼ら以外の戦力は戦況に影響を及ぼすほど物ではなく、魔王が討ち取られた後、件の冒険者五人も一線を離れた。
名ばかりの和平条約を結んだところで、人間族にはそれを遵守させるだけの支配力はなく、悪魔族は新たな魔王の下で一味同心とは行かず、互いに各地で小競り合いを繰り返している。
人間食の伝統を持つベルゼビュートのヴァンパイアたちは条約順守を掲げる本家派と、伝統を重んじる分家派に分断。
表面上は当主を中心とした厳格な序列に従ってはいるが、腹の中では熾烈な跡目争いの駆け引きが行われている。
そこが、僕が育った家。
「ルネ=ノワよ。一族の行く末はお前に託す。お前が当主となり、一族を新時代に導くのだ」
おじい様は口癖のように繰り返し、繰り返し、そう言った。
もし同族相手に能力が使えるなら、その言葉の真意を読み解くことが出来たかもしれない。
悲し気に僕を見つめるその目が、忘れられない。
この作品内の世界でのヴァンパイアという言葉は、人間の細胞を主食とする悪魔の総称として使用されています。
血だけを吸う者、汗や涙を舐める者、ルネのように血肉すべてを食らう者など、全てをヴァンパイアと呼んでいます。




