第七十七話 契約を交わすという事
結局、その夜はリンカが現れることはなかった。
「何かあったのでしょうか?」
「そうだな……」
店の片づけをしながら、エステルとジュンはリンカの身を案じている。
ジュンがまともに仕事をしてくれたのは良いんだが……、エステルを連れてきた目的を見失いそうになるのはなんでだろう?
ユーゴは一応、役には立っているが働いていたかといえば疑問だし。
この、僕だけ会話に入れてないみたいな状況は、何なんだ?
「ルネ様は気になりませんの?」
「今夜は気が向かなかっただけじゃないのか? 来たくなれば、また来るだろう?」
「そうは言ってもな。そう言えば、業務提携って書類は交わしたの?」
「ショルイ?」
「契約書と言うか……。『いつ、誰が、どこで、何を、どうするのか?』と、『それを行う期間がいつからいつまでか? それによって、誰が誰にいくら払うか?』みたいな事をわかりやすく書いてある物だよ。お互いにその内容で約束をしたら、証拠としてサインをするんだ。それが『契約を交わす』って言う事だよ」
ふむ。あの時は確か……。
〈二日前〉
「店を出すって? ここに? 兄さんたち、あたいと張り合おうっての?」
「ソーダイ! 僕の後ろにいろ!」
いきなりロッドを構えるなんて、好戦的な奴だな。
使い古されたエンパイアロッド。とても失神魔法を放てる状態には見えない。
はったりか?
「ケンカをしたいわけじゃない。僕たちは挨拶に来ただけだ。なぁ? ソーダイ」
「はい。ここで商売をする者同士、協力し合えればと……。あ! これ、良かったら食べてください。俺たちの店の物ですが、今日の出会いの記念に」
「え⁉ くれんの⁉ 何これ? ナッツとドライフルーツの塊?」
「シリアルバーって言います。たくさんあるので、良かったら好きなだけどうぞ」
「いいの⁉ じゃ、じゃあ、このカバンに……うわっ、くっさ! こりゃダメだ。え~っと、こっちのポーチの中身をカバンに移して……」
汚い荷物だな。ぐちゃぐちゃの羊皮紙に、こぼれたインクが固まったインク瓶。カビた木の根に、あれはウサギの足か? 干からびてるじゃないか。全部、捨てりゃいいのに。
「ここに入るだけ!」
「わかりました。このポーチに入るだけと、いま一本召し上がりますか?」
「はいはい! 召し上がる! お兄さんたち良い人だねぇ~」
コロッと態度が変わるな。
倒木の上に座って、さっそくシリアルバーを頬張り始めた。
「気に入ってもらえて良かったです」
女に近づいていくソーダイの腕をつかみ「警戒を怠るなよ。お前は丸腰なんだぞ?」と忠告をしたが「大丈夫ですよ」と取り合わない。
「せめて、僕を間に挟め。あいつは何かおかしい」
「そうなんですか? そうは見えないけど……、でも、ルネ君がそう言うなら」
そう。この女はおかしいんだ。
さっきからずっとスキルが効かない。
僕のクレアエンパシーは人間にしか効果がないから、他の種族だろう。
だが、見たところドワーフやノームほど背が低くない。オーガにしては手足が細すぎる。悪魔族ならエンパイアロッドなんて絶対に持たない。帽子で耳を隠してはいるが、おそらくエルフ族だ。
エンパイアロッドを持っていたという事は帝国周辺から来たんだろう。それならハーフエルフか。
でも、ハーフエルフの特徴である痣がない。それに、なんだか懐かしい匂いがするんだよな。さっきの爆弾みたいな悪臭を放つカバンのせいで少しわかりにくいが、苔むした朽ち木のような独特な匂いだ。
ダークエルフか? それにしては肌の色が薄いし、ダークエルフがエンパイアロッドなんて持ってるのも妙だ。
人間でないのは確かなんだ。
あんなロッドじゃあ、失神魔法なんて放てない。でも、あの魚の状態は確かに失神魔法を受けたとしか思えない。他に武器を持っている様子もないし、失神魔法は無石術を使ったはずだ。
「ルネ君……、ルネ君! 聞いてました? 話!」
「え? あ、いや……。すまん」
「もう! しっかりしてくださいよ。こちらのリンカさんが、獲った魚を提供してくださるって話ですよ。明日から、獲れた魚を僕たちに優先して売ってくださるそうです。僕たちはそれを加工して販売しましょう。それなら、仕入れコストを抑えた商材を用意できる」
「あぁ、そうか。こっちで仕入れてこっちで売るなら、物価の違いはあまり関係ないな」
「いいアイディアでしょ⁉ あんた達が買ってくれるなら、狩りのし甲斐があるよね!」
「ショルイは無かったな」
「あぁ、やっぱり。そうだいさんの事だから、その辺は抜けてると思った」
「そもそも、あの時は紙もペンも持ってなかったし(リンカが持ってたのは使えそうもなかったし)、ギルドを通さずに冒険者に依頼をするなら、だいたい口約束だ。それで約束が守られなかったとしたら、諦めるしかない。ギルドを通さないってのいうはそう言う事だからな」
「ルネ様は、リンカ様が約束を破ったとお思いなんですの?」
「そうは言ってない。だが、ギルドを通していない以上、依頼として確立されたクエストじゃないから。気が向いたら来るだろうし、気が乗らなければ来ないだろう。エステルはリンカに会ったことがないのに、ちょっと心配しすぎじゃないか?」
「人が一人行方不明なんですのよ⁉ 会ったことがあるとか、ないとか、関係ありませんでしょう?」
そんなに怒る事ないじゃないか。
エルフ族は個人差はあれど、種族性的に気まぐれで快楽至上主義だ。
グレッツェンは職務放棄をすることはなかったが、部屋の片づけや掃除よりも僕と遊ぶのを優先する事はしょっちゅうで、よく僕と二人でベルトランに怒られた。
そんな時、ベルトランは「まさしく『エルフの水鉄砲』ですな」と吐き捨てる。
『エルフの水鉄砲』っていうのは、大昔にトロキオとミッレフォーリアが戦争になりかけた時、ミッレフォーリアのダークエルフたちが武器を作ろうと大きな工場を建てたものの、一人が戯れに水鉄砲を作ったら次々と工夫たちが水鉄砲づくりに夢中になり、開戦前に降伏したという逸話が由来の諺だ。それだけ、エルフは面白いと思ったことに夢中になりやすく、他の重要なことを忘れてしまう傾向がある。
悪魔族の次に体内で生成される魔素量が多く、腕力が弱い分、魔術に秀でた種族だ。
強力な魔物が多い北側ならまだしも、この辺りではエルフの冒険者が手を焼くような魔物は出やしない。
リンカだって、どうせ何か別の事に気を取られて、こっちに来るのを忘れてるんだろう。




