第七十二話 オープン当初の思い出
「いやぁ、助かったよ。新君が持ってきてくれた瓶、消毒済みですぐに詰められるってさ」
タツキは呑気にヘラヘラしているが、今夜までにしなきゃいけない事は半分も終わっていない。
「それはいいが、お前はシフト中だろう? 店番はいいのか?」
「爺さんズは新さんが連れて帰ってくれたからさ。お客さんはいないし、弓岡さんに掃除と閉店準備を任せてあるから大丈夫」
「あのユミオカってやつ、ジジイがよろけても手も貸さないで『暇』浮かべてたぞ?」
「いいの、いいの。マニュアル以上の事は個々の裁量に任せてるから。弓岡さんは決められた作業を自分で選んで黙々と行うのが好きなんだよ」
まぁ問題ないのならいいか。
ケチャップとマヨネーズを瓶に詰めながら、僕は売れ残りのパンを食わせられている。
「お前のやることは綱渡りだな。それで? シフト表は出来たのか?」
「まぁ、新しい人を入れるにしても店を任せられるようになるまでは時間がかかるし、しばらくは俺が日中の空きをカバーするよ。明日からは前田さんも古川さんも出勤してきてくれるから、次の週末までは配達だけで済みそうだし。新しいシフト表はカウンターに置いてあるけど、夜勤の子たちには後で配るよ」
「出来てるならいいが……。あまりマエダやソーダイを困らせるなよ?」
「はいはい」
ノリが軽くて不安になるな。
「こうしてると、この店をオープンしたばかりの事を思い出すな」
「お前、最初からこの感じなのか……。成長してないんだな」
「悪かったな。オッサンには伸びしろなんて残ってないんだよ。―……あの頃は、楽しかったよ。俺と、元樹と、前田さんしかいなくて、三人で試行錯誤してさ。トラブル続きで俺と元樹はよく言い争ったから、前田さんが間に立ってくれたんだ。ある日、前田さんがブチ切れていなくなっちゃって、俺と元樹が必死に探し回って。前田さん、一人で風呂屋にいてね。三人で風呂入って仲直りしたんだ」
「ふ~ん。みんな風呂が好きなんだな」
タツキはアハハと笑い「そうだね」とつぶやき、ふと手を止めた。
「あの時は、また元樹と風呂に入れるとは思ってなかったし、また元樹と風呂に入れなくなる事も考えてなかった」
「そんなに風呂が好きなら風呂屋をやればいいのに」
「風呂屋は初期費用が掛かるからなぁ。昭和の頃はまだ家庭用の風呂が少なかったから需要が大きかったけど、最近じゃ赤字続きで廃業する風呂屋も多いからね。俺は風呂に関しては素人だし、簡単じゃないよ」
「出来るならやりたかったって口ぶりだな」
「そりゃあ、番台は男のロマンだからさ」
バンダイ? なんか知らんが、面倒そうだし流しとくか。
「マヨネーズとケチャップを詰め終わったら、店で仕入れた魚を串に刺しておきたいんだ。向こうに行ってからやったんじゃ時間が無駄になるからな。パンも袋から出して木箱に詰めておきたい。これからは日中に僕がこういう作業をやっておこうと思うんだ。そうすればソーダイとジュンは寝ていても準備が整った状態で関所前に行けるだろう?」
「ルネは、すごいな。下準備なんて下っ端の仕事なのに、自分からやろうと思えるなんて」
「僕は商人じゃないからな。少しの間、カヌセーヌで商人の手伝いはしたが、荷を運ぶくらいで商売をしていたわけじゃない。ここでは僕が下っ端なのは本当のことだ。だったら、僕が下っ端の仕事をすれば、ソーダイとジュンは自分たちの仕事をできるだろう? 役割分担だって、お前が言ったんじゃないか」
「……そうだね」
また、泣く……。本当に涙もろいな。
「お前、ちょっと泣きすぎじゃないか?」
「歳をとると涙腺が緩くなるな。気を付けるよ」
「別にいいけど」
感情が視えないと、何を考えてるのかわからない。
マエダは観察して想像するって言ってたけど、観察してもこいつの場合は全く理解できない。わかるのは、すぐに泣くのと、思い付きで動き出すのと、忘れっぽいってことくらいだ。
マエダにはタツキが考えてる事が想像できるんだろうか?
明日の朝には、やっとマエダが店に来る。
来たら土産を渡して聞いてみよう。




