第七十一話 伊吹様
「アイ? いるか? 大丈夫か?」
「ふぁ⁉ ふぁい! だ、大丈夫であります」
『恐怖』が小さく薄くなった。
代わりに『敬意』と『謝意』か。上々だな。
「店はタツキに任せてあるから大丈夫だ。マヨネーズとケチャップを事務所に運ぶから手伝ってくれ」
「わ、わ、わかった」
「お前、あまり力がなさそうだから、箱からはみ出た六個だけでいいよ。持てるか?」
「は、はい! もて、持てまする」
三十個の詰め替えに、どのくらい時間がかかるんだろう?
ソーダイ達が起きてくる前に終わらせないと……。ところで、今は何時だ?
「アイ、いまが何時かわかるか?」
「あ? え、えっと……、十八時七分であります」
「十八時七分か……。あれ? お前のシフトって十八時までじゃなかったか?」
「う、うん。バス、バスが二十五分に来るから……」
「そうか。シフト終わったのに手伝わせて悪いな」
……であれば、アイに詰め替えは手伝わせられないな。
ソーダイ達が起きてくるまで、あと三時間弱か。パンの準備もしたいし、店で仕入れた魚の仕込みも終わらせておきたいし……。
「あ、あの……。何も、きか、聞かない、の?」
「何をだ?」
「わた、私……な、泣いちゃ……って。変、だった、でしょ?」
「何を言ってるんだ。お前はいつも変じゃないか」
「そ! そう、だけど……」
「まぁ、いつもとは違ったという意味では驚きはしたが、別に怯えるくらい誰でもするだろう?」
アイの顔には『戸惑い』と『不安』が揺れている。それに『期待』と『謝意』か。
前髪に隠れた眼鏡の奥から、僕の表情を探っているようだ。
唇をもぞもぞと動かしてはいるが、何も言わないな。
「何か聞いて欲しいなら聞くが?」
「あ? え? あの……、えっと。何が怖かったか、……きか、きかないの? かな? って」
「なんだ、そんな事を聞いて欲しいのか? 何が怖いのかなんて、人それぞれだろう? ソーダイはしょっちゅう怖がってるぞ? なんでそんなもんが怖いのか僕にはさっぱり理解できんがな。ソーダイにとっては怖いんだろうから、出来る限り守ってやるつもりだ。お前は、あのジジイ共が怖いんだろう?」
「う、……うん」
「じゃあ、ジジイ共が来たら代わってやるから呼びに来い。タツキに連れ出されなけりゃ昼間は三階にいるから」
「え⁉ い、いいの?」
「だって、お前はジジイが怖くて僕は怖くないんだから、店番を交代すれば済む話じゃないか。その代わり、時間がある時に商品について教えてくれ。あのジジイ共に取って来させるのは時間がかかりそうだからな」
「う、うん! 教えまする! ありがと、あ、ありが、ありがと!」
『歓喜』『景仰』『欣慕』
おぉ、これは……、なぜかはわからんが随分と懐いたな。
これなら眷属にするには充分か? リヴェルタリスに入れてやってもいいな。
どちらにせよ、配下に加えてやろう。
「マヨネーズとケチャップを運んだらバス停まで送ってやる。裏口から出ればジジイ共には会わずにすむだろ?」
「あ、でも、き、貴重品の、ば、ば、バッグが……」
「カウンターにあるのか? じゃあ、僕が取ってこよう。どんなやつだ?」
「く、く、黒いやつ。しょっ! 正面に伊吹様のご尊顔を配してござる!」
イブキ様? この世界の神か? 他の奴らと比べて、妙な喋り方をする奴だとは思っていたが、異教の者だったか。
だが、アイの感情は僕に好意的だ。イブキってのがどんな神なのかは知らんが、リヴェルタリスに改宗させてやる。
「まぁ、いい。黒いやつだな? いま取ってくるから、お前はロッカーから他の荷物を持ってこい」
重い。僕ならば小指一本でも軽く持てる重さではあるが、弁当箱二つ分ほどしかない小さなこのカバンにはいったい何が入っているんだ?
アイは貴重品のバッグと言っていたから、財布や身分証明書くらいしか入ってないと思ったんだが……。これは、魔術式辞典と同じくらい重い。嫌な重みだ。
そして、この円い板に描かれた肖像画がイブキ様って奴か。薄いオレンジ色の肌に淡いベージュの髪と緑色の目。まるでプレリーエルフのようだ。
たかが絵ではあるが、この自意識過剰な笑い顔が癪に障る。同じ肖像画ばかりをカバンの透明なポケットの中にみっちりと並べているのは、この宗教の規律なのか? 同じ顔ばかり並んでいるのを見ると目が回りそうだ。
「アイ、仕度は出来たか? ほら、お前のカバンだ」
「おぉ、伊吹様、よくぞご無事で!」
カウンターに置いてあっただけなんだから、無事に決まってるだろうが。
店を出てバス停についても、アイはイブキ様とやらの肖像が入ったカバンを胸に抱きしめている。
『至福』『安堵』それに、若干の『疲労』。
ほんの数分前まで僕に対する『景仰』を示していたのに、たかが絵にアイの感情を持っていかれるのはムカつくな。
「その絵の奴が好きなのか?」
「気になりますか⁉」
急に顔をよせるな。タツキみたいなやつだな。
『期待』『興奮』『高揚』『歓喜』
あ~あ~、そうだった。こいつはこれが普通なんだった。
イブキ様とやらの信者はみんなこんな感じなのか?
「別にそいつの事が気になるわけじゃない。ただ、お前が好きなのかって思っただけだ。そいつは神なのか」
「はい神です。まさにッ!」
だから顔を近づけるな。
『興奮』が大きく膨れ上がる。
「こちらの伊吹様は『天下とっちゃえ! 神国♡戦国ラブ合戦』というゲームに登場するキャラクターでして! この作品は数多ある戦国ものの恋愛シミュゲーとは違って、ゲーム開始時にプレイアブルキャラを選択できるのです。選択キャラによって大筋のゲームルートが異なり、ゲーム難易度も変わるというシステムなのです。プレーヤーは各地の武将のだれかを選択してプレイし、各地の土地神を攻略対象にストーリーを進めて行きます。土地神と契を結ぶことで攻略は完了なのですが、面白いのがここからで! 土地神攻略後に自軍のパラメーターにバフが生じるのです。そして、他国へ侵攻し領土を拡大。一柱を堕とすでは飽き足らず、またも次なる土地神を攻略してはバフを得て、攻略してはバフを得てと、不敬にも…いえ、豪快にも! 数多の神々を渡り歩くようにその流れを繰り返し、最終的には天下統一を目指すのであります。美麗なキャラヴィジュに豪華キャスト陣、一つのルートで全ての攻略対象を次々と攻略していくというコレクタブル性は非常に高い吸引力がありまする。しかしながら、攻略対象からのバフだけではなく兵力の増強や戦略を練らないと先に進めない本格的な戦国シミュレーションターンに苦戦を強いられ、挫折する既存の恋愛ゲーユーザーが続出。恋愛ターンの言動選択による好感度の上がりにくさとスキップ不可能なムービーの長さに戦国ゲーユーザーが挫折。傑作であり問題作とも言われる人気ゲームなのです。伊吹様は信長ルートではチュートリアル終了直後に登場する攻略対象で、伊吹山の神。本名を多多美彦命と申しまして、最初は大蛇の姿で登場するのですが、好感度が一定レベルに到達するとこの麗しい人型のお姿を見せてくださるのです! さらに人型になるとプレーヤーに『伊吹』と呼ぶことを許可してくださるようになります。当初は荒ぶる神として戦闘を要求するなど、大変な『ツン』でおられますが、攻略完了したあとには『もう、会いに来ないのか?』などと度々の来訪をお求めになるという『神戦』随一のツンデレ様であられまする。伊吹様は回復系のバフを付けてくださるのでありますが、攻略完了直後はアビリティレベルが低く戦闘での効果があまりないので不人気ではあります。ですが、信長ルートだと序盤に攻略できるためレベルを上げ続ければ最終決戦で絶大な効果を発揮してくださるのです! さらに……」
「あ! ほら、バスが来たぞ!」
「そ、そ、そうですね。では、で、では、続きはまた今度、ね」
カバンを大事そうに抱えバスに乗り込んでいく。
ブロロロロロ……
僕は静かにアイが乗ったバスを見送った。
あぁ、びっくりした。あいつ、どもらないでも喋れるのか。
でも、何を言っているのかは、一つもわからなかったな。




