第六十九話 芋焼酎
「アイ。大丈夫か?」
倉庫で振り返ったアイの顔には『安堵』が浮かんだ。『恐怖』は消えていないが、色が薄くなっている。少しは落ち着いてきたみたいだな。
「る、る、ルネ君。あの……、ありがと……」
「あぁ、気にしなくていい。あのジジイどもの相手は僕がやるから、お前はここで整理でもしていろ。エプロンを貸してくれ。僕のは、ソーダイが寝てる部屋に置いたままなんだ」
「う、うん。わか、わかった」
よし、エプロンは手に入った。次は確かショーチュー? あと水と氷とコップか。
キッチンにいたやつに聞くか。
キッチンの床に四つん這いになって、何をやってるんだ? こいつは。
「おい、お前」
「え? 君は……、もしかしてオーナーの知り合いのお子さん? かな?」
「ルネだ。アイが体調不良でな。いま、倉庫に居させてるから僕が代わりにシフトする」
「あぁ、なるほどです。あ、こんな姿勢ですいません。僕、弓岡って言います。よろしく」
「ジジイ共からの注文の品物がどれかわからないんだが、手伝ってくれないか?」
「わかった。……ちょ、ちょっと待っててね。とりあえず一旦蓋閉めて手洗うから」
「床に穴開けて、何をしてんだ?」
「グリストラップの掃除だよ」
「グリストラップ?」
「そう。毎週月曜日はグリストラップの掃除をするんだよ。やってみたい?」
「……いい」
床に這いつくばってまで掃除なんかしたくない。
やたらと掃除ばかりする店だとは思っていたが、まさか床板の下まで掃除するのか。
面倒なことは別の奴にやらせよう。
「……で? 注文は何だった?」
「ショーチューってのと、水と氷とコップ」
「なるほど。じゃあ、まずはコップを取りに行こう」
こいつ、話が早くて助かるな。浮かんでいる感情も『感心』と『受容』か。色も大きさも安定した感情だ。
「コップはここの日用雑貨の棚の下の方ね。紙コップとプラスチックのコップ。水割りだったら、プラスチックのコップの方がいいかな。十六個入りで百十円」
「三個って言われたんだ」
「バラ売りは無いから仕方ないよ」
「そ、そうか……」
十六個もいらないと思うが……。
「じゃあ、次は水と焼酎だね。焼酎はアルコール類の棚。こっちからここまでが焼酎だよ」
こんなに種類があるのか。どれだかわからないな。
「おい! ジジイ! どのショーチューが良いんだ⁉」
棚の向こうからの「芋だよ、芋! おいもっさん!」と返ってきた。
「芋ったって……」
「芋焼酎は、この辺りだね。これとこれが二十度で、こっちが二十五度」
「なんだ? その二十とか二十五とか」
「アルコール度数……っていってもわからないよね。本人に選んでもらった方が良いかもしれない」
くそめんどくさいな。酒なんかなんでも良いじゃないか。
「おい! ジジイ! 四種類あるぞ? どれがいいんだ?」
「あぁ? 芋って言ったら『白波』だろう! これ、常識!」
異世界の飲んだくれの常識なんか知るか。
「『白波』ってのはどれだ?」
「『白波』って銘柄は扱ってないなぁ」
「ジジイ! 『白波』は無いそうだ! 他から選べ!」
「なんだぁ、ねぇのか。たっちゃんに『白波』入れとけって言っとけ」
「あぁ、あぁ、言っといてやる。それで? 芋なら何でもいいのか?」
「いい、いい。早く持ってこい」
まったく……、適当に持って行きゃいいか。
突起が付いた不思議な形の箱。赤いのと緑のと黒っぽいの。
ん? これだけ瓶に入ってるな。
「この瓶の奴は、なんて書いてあるんだ?」
「あぁ、これは『魔王』だね」
魔王⁉ 魔王だと⁉
まさか、魔法が存在しない異世界で、魔王様を称える酒があるのか⁉
「これは、いい酒なのか⁉」
「そうだよ。ほら、値段も他のより高いでしょ?」
そうか、『魔王』はいい酒なのか。
これは、あのバカジジイどもには勿体ないか?
いやいや、敢えてこの酒を飲ませることで、魔王様の品性や思慮深さに影響を受けるかもしれん。
アイが怖がっているのは、きっとジジイ共の下卑た態度とバカバカしい笑い声だろうからな。この酒を飲ませて改善できれば、きっとアイも怖がらずに済むはずだ。
「よし! この『魔王』にする!」
「え⁉ これにするの⁉ これ、たぶんギフト用だよ?」
「いいんだ。あのジジイ共に魔王様の素晴らしさをわからせてやるんだ」
「う~ん……、まぁ、先にレジ通してもらうし、実際に見て考えてもらえばいいか。じゃあ、次は水と氷ね」
水は知ってる。一番大きなボトルに入っている奴だ。
「氷はこれ。この袋に入ってる奴だよ」
これまた、随分と量が入っているな。
「もっと小さい包みは無いのか?」
「うん。うちの店では一キロパックしか無いね」
「そ、そうなのか……」
こいつ、話は早くて助かるけど、どうも淡泊だな。
ソーダイやジュンなら、もう少し工夫するというか、何かしらのアイディアが出てきそうなもんだが……。
「じゃあ、レジに通そうね。会計を先にしてもらうから、お客さんをカウンターまで連れてきてくれるかな?」
そうか、ここは飲食店じゃないから先に金を払わせるのか。そういえば、初めて来たときにタツキが言ってたな。あいつは忘れてたみたいだけど。
「おい、酒と水と氷とコップが揃ったぞ? 会計しないと渡せないからカウンターまで来い」
「なんだぁ? こっちまで持ってきてくれねぇのか? お前の親父は持ってきてくれるぞ?」
タツキは親じゃないってのに……。
説明しても聞きそうにないし、本当にダルいな。
「それは、あいつがバカだからだ。ここは商店だからな。先に金を払え」
「仕方ねぇなぁ」
ジジイの一人がよろよろと立ち上がる。
何度も何度もテーブルや棚に手をつき、そのたびに上にのっている物が揺れて落ちそうになる。酔っているからなのか、老いぼれてるからなのか、判別がつかん。
「おっとっと」
何もないところで転ぶなよ。
見ていられないな。
「ほら、肩を貸してやるから。つかまれ」
「わりぃな。ははっ。よっこらしょっと」
立って歩くだけで、この調子なのか。これは、テーブルに持って行ってやった方が早いな。
よろよろよたよたと時間をかけてカウンターにたどり着くまで、ユミオカはレジの前に立って黙っている。その表情にはほんの微量の『焦り』と『暇』。
『暇』って……。お前、仕事中じゃないのか?
「いくらだ?」
「五千七百十一円です」
「ごせっ⁉ 五千七百ってなんだ⁉ 焼酎の水割りだぞ⁉」
ユミオカはカウンターの上に並べた商品を指して「こちらのお品物ですよ」と涼しい顔で言った。
「コップも水も氷も、こんなに要らねぇよ。しかも、魔王だぁ⁉ 普通の奴があんだろ? 霧島とか、そんなんでいいんだよ」
「お前が芋ならなんでも良いって言ったんじゃないか。魔王はいい酒なんだろ? 良い酒を飲めばいいじゃないか」
「魔王ってのは、正月とか特別な時に飲めりゃいいんだよ。なんでもない日に飲んじまったら、ありがたみが無くなるだろう?」
そうか。それもそうだな。
「じゃあ、自分で選べよ。僕にはどれがどれかわからん」
「そうだいはいねぇのか? あいつならもっと融通が利くんだけどなぁ」
ぐだぐだ文句を垂れるジジイを前にしても、ユミオカは顔色を変えない。
キッチンをチラチラと見るたびに微量の『焦り』が浮かび、『暇』に支配されている。
感情が変わらなすぎるのも不気味だな。
作中で客の一人が「芋って言ったら『白波』」と発言していますが、さつま白波が芋焼酎の代表という訳ではなく、あくまでも個人的な好みの話です。




