第六十七話 マキちゃん
「すみません。あの、入居者の家族ではないんですが……、土屋元樹の代理で伺いまして……、こちらに『マキちゃん』と仰る方がいらっしゃるとの事なんですが……」
ハマナス園というのは、病院に似た建物だな。
でも、薄いオレンジ色の壁や柔らかい絨毯に温かみを感じる。
入り口に大きな靴箱があって、スリッパとか言うサンダルに履き替えろと言われたのは、風呂屋に似ている。
入口の横に受付カウンターがあるのはどこも同じだな。
ここは一体、なんの建物なんだろう?
建物は大きいけど賑やかさは感じないし、病院のような忙しない雰囲気もない。
ここに『マキちゃん』とやらがいるのか。
「あぁ~、元樹さんの! 失礼ですが、お名前をお伺いしても?」
「熊楠です」
「熊楠さん。下のお名前は?」
「達樹です。熊楠達樹」
消え入りそうな声でボソボソ話すタツキに、受付のオヤジは身を乗り出して「おぉ~! たっちゃん!」と叫び、手を取ってブンブンと振った。
「え? えっと?」
今日はタツキの愚かしい姿をよく見るな。
あの不甲斐ない内股はどうだ⁉ すっかり腰が引けてるじゃないか。
いやぁ、実に愉快だ。
こんなことなら、ソーダイを起こしてでも連れてくれば良かったな。
「元樹さんから、お話はよく聞いてましたよ。寂しがりで泣き虫で、寝言で泣きながら謝っているとかなんとか……」
こいつ、寝ながら泣いてるのか。
「な、な、な、なんの話ですか⁉」
「いやいや、すみません。マキちゃんをお探しとの事でしたね。それ、私です」
「え⁉ マキちゃん⁉ いえ、すみません。てっきり女性の事かと思っておりまして……」
「申し遅れました。ハマナス園の施設長をしております小牧卓と申します。小牧の『マキちゃん』です。元樹さんとは茶飲み友達と申しますか、酒飲み友達と申しますか……。ご入院なさる前には毎月のようにお食事をご一緒させていただいておりました」
「あ、そう……だったんですね。全然、知らなかった」
へぇ、爺さんの友達か。
なるほど、こいつに助けを求めればいいんだな?
「シフト表が出来なくて困ってるんだ。助けてくれ」
「バカ! いきなり、何を言ってるんだ!」
「だって、爺さんが『マキちゃんに助けてって言え』と言ってたじゃないか」
「それは、そうだけど!」
僕たちの様子を見て、コマキが「あっはっはは」と笑った。
カウンターから離れて、裏のドアからこちら側へ出てくる。
「もし、お時間が大丈夫なら少しお話しませんか?」
「あぁぁぁ、ありがたいのですが、この後十八時からシフトに入っちゃってて、店に戻らないといけないんですよ」
「十八時……あと一時間半ですね。じゃあ、こうしましょう。私が車でお店までお送りしますよ。ちょうど買わなきゃいけない備品があるので、そちらで購入させてください。元樹さんとのお話は道中の車の中でしましょう」
「送っていただくのは、さすがに申し訳ないですよ!」
「いえいえ、買い物のついでですから。店員さんがお店に居てくれなきゃ買い物は出来ませんしね」
「そうですか。では、お言葉に甘えて」
コマキが運転する車で、タツキはコマキと並んで座り、僕だけが後ろの席に入れられた。
せっかく長い椅子に寝そべられると思ったのに、座ってないとダメだと怒られてシートベルトで縛り付けられている。
これ、嫌いなんだよな。バスだったら着けなくてもいいのに……。
タツキはコマキと話してるし……。
さて、店に着くまで何をしていようか?
「元樹さんとは施設見学会で知り合ったんですよ」
「施設見学会って……、元樹が入所を検討してたって事ですか?」
「はい。初耳ですか?」
「……あ、えぇ」
「初めてお会いしたのは、二十年……いや、二十五年くらい前かな? うちのホームは高台の開かれたところにあるでしょう? 元樹さんの思い出の場所が全部見えるんだそうですよ。生まれた町も、疎開先も、通った学校や会社がある街も、お母様と奥様が眠っていらっしゃる霊園もね。それで、興味を持たれたようで。何度も相談会や見学会に来ていただくうちに、意気投合しましてね。結局、元樹さんは入所されなかったけど、ホームのイベントをよく手伝いに来てくださって、顔見知りになったスタッフや入居者さんも多かったんですよ」
「言われてみれば、よくフラッと一人で出かけることがあった気はします」
「私は元樹さんと出会った当初、まだケアマネになりたての頃で、よく相談に乗ってもらったりしてね。お返しがしたいと言ったら『たっちゃんが困ってたら助けてあげて欲しい』と」
「そう……だったんですね」
ふむ。
要するにコマキは爺さんの世話になって、その恩返しにタツキを助けてくれるという事か。
ちょうどいいじゃないか。なんでタツキは困った顔をしてるんだ?
もじもじもぞもぞと不自然に体を動かしてばかりで、お前はワームか?
「シフト表だ! シフト表が出来てないんだ。なんとかならないか?」
「ルネ! お前はちょっと大人しくしてなさい」
「お前が言わないから僕が言ってやってるんだ。今日だって、人が足りないからタツキがシフトするんじゃないか。早く何とかしないと、毎日お前が一人でシフトする事になるぞ? 配達はどうするんだ? お前、車を使えないじゃないか」
「なんとかするから、大丈夫だから。ルネはちょっと黙ってて」
こいつ、自分でどうにもできないくせに僕を邪魔者あつかいする気か?
相談したいなんて殊勝な事を言っておいて、結局は子ども扱いするんじゃないか!
「このままシフト表が出来なかったらソーダイが昼間も働くとか言ってるんだよ! あいつは睡眠が足りないとフラフラになるんだ。それなのになかなか寝たがらないから、僕が苦労して寝ろと言い聞かせてるんだぞ⁉ ソーダイが倒れたら、どう責任を取るつもりだ‼」
コマキが「あはははは」と声をあげて笑った。
何が、おかしいってんだ⁉
「熊楠さん、スタッフ思いの良いお子さんをお持ちじゃないですか」
「いえ、彼は僕の子ではなくてですね……」
「こんな親がいてたまるか!」
「人のつながりが強いのは家族経営の利点ですよ。煩わしいこともあるでしょうけどね。キラキラもときストアーの責任者はあなただ。私の意見を取り入れるか否かは、あなたが決めればいい。ちょっとだけ、案を聞いてもらえませんか? そちらにとってだけでなく、お互いにメリットがあるお話が出来るかもしれない。ほら、もうお店に着きます」
「わかりました。では、少しお話をお伺いしたいと思います」




