第六十六話 スマホ
「ハマナス園ってところに行くんだろ?」
「うん……。でも、もう遅いしな。十八時にはシフト入らないといけないし、面会時間すぎちゃうし……。でも、面会するの? マキちゃんって人に? 会ったこともないんだよ?」
タツキは僕に話しているというよりも、自問自答しているようだ。
ちっとも僕の方を見ない。
「行くんだろ? 行けばわかると言われたじゃないか。だったら、行くしかないだろう」
「フルネームもわからない、いるかもわからない、アポもない相手に突撃しに行くのか……」
「お前、自分で思いついたことには猪突猛進なのに、人から言われたことには二の足を踏むんだな」
「だってさ。マキちゃんって呼び名しかわからないアポなしの相手に会いに行くなんて、嫌だよ。実在したとしても話が通ってるとは思えないし、説明を求められても何もわからないし」
僕には偉そうに勉強しろと言ってたくせに、自分だって苦手なことはやりたくないんじゃないか。勝手な奴だな。
「嫌でも、行くんだよ! 爺さんがそうしろと言っただろうが! 年長者の言う事は聞いとくもんだ!」
「わかった! 行くよ、行きます!」
ハマナス園とやらに向かうタクシーの中で、タツキは光る板を指でなでる。
「その板、いつも持ってるな。それで何をしてるんだ?」
「メールしてる」
メールってのが何なのか、僕がわからないのを知ってて言ってんだろ。
また僕の方を向きもしないで、板だけを見てて……。
ムカつく。
「そうか、メールか。それは忙しいところを邪魔したな!」
「メールが何か知ってるの?」
「僕が知ってるかどうかなんて、お前には関係ないだろう? お前はメールで忙しいんだから。僕の方を向くことも出来ない程にな!」
もぞもぞと座りなおしたタツキは、ため息交じりに「悪かったよ」とぼやいた。
「この板はスマートフォン。スマホって呼ばれてる。これはさ、離れた相手とやり取りを出来る道具なんだよ。メールっていうのは、文章や画像を離れた相手と送り合うもの。日向さんに今月のシフトを増やせないかメールを送ってたんだ。元樹は電話しろって言ってたけど、彼は別の仕事があるから、業務中だったら申し訳ないからね。メールなら向こうのタイミングで見て返事をくれるからさ。ちなみに、電話は音声を送り合うやつね」
「音声転移が出来るのか⁉ とんでもないお宝じゃないか!」
「まぁ、安価な物ではないのは確かだけど、そんなに高級品ってわけでもないよ。最近は子どもでも持ってるみたいだしね。科学技術と魔術の大きな違いは、大量生産できるかどうかってところだろうな。これはさ、これだけで動くわけじゃないんだよ。これを動作させるための様々な機器が必要で、それらがあれば、この小さな板が何十万と動作できる。だから、持ってる人が多いんだ」
「要するに……、どういう事だ?」
「う~ん。例えば、水を運ぶバケツがあっても井戸が無ければ水は運べないじゃない? でも、井戸を掘っただけじゃ水は掬えない。滑車とロープであったり、ポンプが必要でしょ? だから、先に井戸を掘って、水を掬う設備を整える。その時に掛かった費用を賄うためにバケツを売る。バケツがたくさん売れたら、今度は井戸が足りなくなる。そしたらもう一つ井戸を掘る。またバケツが売れる……みたいな流れで普及してるんだ。俺もあやふやな部分が多いから、だいぶザックリ説明したけどね。だから、スマホは皆持ってる。独占しようとすればとんでもない金額になるけど、これ一つならさほど高額にはならない」
「……先に金を払って、あとで物を売って支払った分を補うって事か。でも、そのスマホとやらを安く出来る理由がよくわからん。バケツが安いのはわかるが、それはバケツよりも色々出来るじゃないか」
「……俺も工業やデジタル機器に明るいわけじゃないからなぁ。そもそも、魔術主体の文化圏の相手に、この手の説明って大変なんだよ」
そうなのか。
でも、確かに僕だって、以前『その羽根は何で体に仕舞えるんだ?』って聞かれても答えられなかったしな。
使ってる奴のほとんどは、仕組みなんて知らない事の方が多いのかもな。
「じゃあ、質問を変えよう。そのスマホは僕たちの世界でも使えるのか?」
「試してみたいよね。わかるよ。俺もPHSを初めて売り出したときに、真っ先に二台買ってユーゴと試してみたよ」
「ピーエッチエス? それもスマホか? ……で、どうだった?」
「まったく使えなかった。当時のPHSは、電話の機能しかなかったから、それが使えないとなったら、本当にただの棒。何の意味も無い。それ以前の携帯電話やショルダーホンは高くて手が出なくてさぁ。PHSが発売されて『これだ!』って飛びついたんだけど、異世界どころか、こっちの世界でも使えなかったんだよ」
「こっちでも使えなったのか⁉」
「さっき話した『井戸が足りない』問題だよ。井戸……基地局の近くじゃないと使えないんだ。その基地局が、当時は店の近くだと駅周辺だけだった。今朝バスを乗り換えたところだよ。結局すぐに解約しちゃって……無駄だったなぁ。いまのスマホはオフラインで使える機能もあるから、それは向こうの世界でも使えるよ。でも、通話やメールなんかの相互でやりとりするのは無理だね」
「そうか。使えないのか。もしそれが使えたら、出張ストアーの営業中でも店と連絡が取れると思ったのにな」
初日の商品は少なかった。
焼くのに時間がかかるとはいえ、パンはもっとあればあるだけ売れたはずだ。
途中で足りなかったら、店に連絡して商品を持ってきてもらえばと思ったんだが……。
「そうか……。今までの出張ストアーは店を閉めて出勤メンバー全員で出動してたからな。その発想はなかった。確かに、出店先と連絡を取り合えるのはいいよね。不測の事態でも報告や相談が出来るし」
「オスカーを一度店に帰らせれば、途中で品物を運ばせることが出来る。でも、スマホが使えないんじゃな」
「いや、たしかユーゴが音声転移の魔具を持ってたはずだよ。借りられないか聞いてみる」
そんなものまで持ってるのか。
たかが冒険者とはいえ、最高ランクともなれば権力は王族と並ぶからな。
財力も相当の物なんだろう。
酒ぐらい店ごと買えるだろうに。
「オスカーがルネ以外の命令を聞けるのかは問題になってくるけど、うまく行けば出前に似たことも出来そうだよね。そうなると、必要なのは……」
これは、まずい!
こいつ、また横に逸れ始めた。
「それはユーゴから借りられたら考えればいい! 今はまず『マキちゃん』だろう⁉」
「そうだった。……あぁ、憂鬱だ」




