第六十四話 風呂上がりのクリームソーダ
「いらっしゃいませー! お先に食券をお求めください!」
レストランの入り口で、給仕の男は巨大なレジのような壁を指さした。
文字が書かれている大きなボタンがいくつも並んでいる。
「これはなんだ?」
「ここは食券制なのか。ルネに買わせてあげたいけど、後ろで待ってる人がいるから俺が買っちゃうね。ステーキが三つとカレーライスとハンバーグで良いんだっけ?」
「あそこの席の女が飲んでる緑色のやつも欲しい」
「クリームソーダね。俺は天ざるとウーロン茶にしよう」
タツキは慣れた手つきでボタンを押して、カギのケースを押し当てる。
なんで鍵のケースで物が買えるんだ?
ここでは金がなくても物が手に入るのかな?
ボタンの下にある窪みから出てきたのは小さな紙切れ。
タツキはそれを給仕の男に手渡した。
「二名様ですね? こちらへどうぞ」
「ステーキを買ったんじゃないのか?」
「買ったのは食券。さっきお店の人に半券を渡したから、出来たら持ってきてくれるよ」
「なんで普通に注文をとらないんだ? さっきの給仕が注文を聞けばいいだけだろう?」
「食券にすると注文の間違えや、会計のミスが少なくなるからね。注文が決まってないのに呼びつけて、迷ってる間に給仕を待たせる客もいるからさ。効率よく動けるんだよ」
なるほど。
たしかに注文する順番が回ってきてから何にするか考えだす奴は昨夜もいたな。
おかげで焼く時間に余裕ができて、僕は助かったけど。
「ところで、この半券。どれがなんて書いてあるかわかる?」
そんなの、わかるわけが……。
「あぁ、これだけわかる。これはステーキだ。同じ文字の紙が三枚あるからな」
「正解。じゃあ、これはなんだ?」
この字はわからないけど、これはレだ。レンジのレ。あと、これが確かイで……。これがス。そうだ、イスだ! 掃除の表に書いてあったぞ。
レで、イスだから……。
「カレーライスだ!」
「大正解! なんだ。ルネ、読めるようになったじゃない。渡した知育教材で勉強してた?」
「チイク教材ってのは、あの子どものおもちゃの事か? あんなもん、事務所の棚に置きっぱなしだ」
「じゃあ、どうやって覚えたの?」
「店の色んな所に文字が書いてあるだろう? 見てりゃ覚える」
「そうか。仕事を頑張ってた証拠だな」
また泣きそうな顔をする。
爺さんの言う通り、こいつは本当に泣き虫だな。
「お先にお飲み物をお持ちしました。クリームソーダとウーロン茶でごさいます」
「クリームソーダは僕のだ」
「かしこまりました」
僕の前に白い板が敷かれ、その上にグラスが置かれる。
これ、ショッピングモールでも別の奴が飲んでて、気になってたんだよな。
大きなグラスの中に緑色の飲み物。上に白い泡とボールが乗ってるんだ。
「風呂上がりの一杯がウーロン茶とクリームソーダか。豪勢だな」
「何のことだ?」
「お風呂に入ると汗をかくでしょ? 水分が足りなくなるから、飲み物を飲む習慣があるんだよ。昔は白湯だったけどね、今は牛乳を飲むのが一般的なんだ」
「だから、さっき牛乳を買ったのか」
「でも、あれはお土産にしたから、帰ったらみんなで飲もう。クリームソーダはアイスが溶けちゃうから、早く飲んだ方がいいよ」
どれ、一口。
おぉ! 甘い。泡がシュワシュワする。これは、美味い。
だが、ずいぶんと飲みにくい物だな。
白い泡も大きな氷も口の周りに集まってくるし、白いボールは鼻に当たる。
「ルネ、それはストローで飲むんだよ。ほら、これをグラスに刺して吸ってごらん」
ストロー? 麦わらみたいなもんだな。
うん、これは飲みやすい。麦わらよりも太くて丈夫だからたくさん飲めるぞ。
「鼻の頭にアイスがついてるよ」
アイス? あぁ、白いボールの事か。うん。これも甘いな。乳の味がする。
「舌先で鼻を舐めるんじゃありません。行儀悪いぞ?」
「いいじゃないか。どうせ、ここには口うるさいベルトランはいないんだ」
「ベルトランって?」
「僕の教育係だ。屋敷が奪われて、唯一の良かったと思えることはベルトランと離れられた事だな。あいつはずーっと僕に張り付いて『姿勢が悪い』だの『足の向きが違う』だのと、何をするにもいちいち煩くてな。うんざりしてたんだ」
「なるほどね。家での勉強も、その人に教えてもらってたの?」
「いや、家での勉強はぺパンとおじい様に教わった。普通の勉強はぺパンで、ベルゼビュート家に関することはおじい様。ベルトランは行儀だの礼儀だの作法だの、そんなのだ」
クリームソーダは見た目よりも量が少ないな。もう、飲み終わってしまった。
「アイスはスプーンで食べるんだよ。教育係が二人に当主直々の帝王学か。さすが貴族の跡取りだな」
アイスってのは食いにくいな。硬くて表面を削るしか出来ない。
しかし、甘くて美味い。
「僕の事はいい。それより、お前の相談を聞くって話だったじゃないか」
「あぁ、それはもういいよ。向こうの世界から人員を引っ張ってくるってアイディアくれたじゃない。それでいこうと思ってるから」
「それで……って、誰か宛てでもあるのか?」
「まぁね。あ、ほらカレーライスが来たよ」
おぉ! やっと飯にありつける!
「お待たせいたしました。カレーライスと天ざる蕎麦でございます」
待ちかねたぞ!
「カレーライスは毎日食っても飽きないな」
「美味しい?」
「美味い! こっちの世界は美味い物がたくさんあるな」
「気に入ってもらえて良かったよ」
この世界は美味い物もたくさんあって、大きな建物や魔素を使わないで動く乗り物や道具もあって、ゼリーインリョーやサプリもあって……。
こんなに平和で過ごしやすいのに、ジュンはこの世界がクソだって言ってたな。
タツキも向こうの世界で商売すれば上手く行くと思ってるみたいだし。
僕はこっちの世界の方が良いと思うのに。
「そう言えば、タツキはやたらと僕の世界の事をよく知ってるな。ユーゴから聞いたのか?」
「うん。ユーゴや他にも知り合いがいるしね。実はカヌセーヌとトロキオには、しばらく滞在していた事があるんだ」
「そうだったのか。どうりで、よく知っているはずだ」
本当に出会った時から何もかも知っていたんだな。
騙されていたようで癪だが、わけがあっての事なんだろうし……。あんな妙な話までして……。
「そう言えば、最初に話してたあの話は何だったんだ? あの吹雪の夜の父子の話は? 僕を留まらせるための作り話だったんだろう? ユーゴがエステルを保護してるからって話してくれれば良かったのに」
タツキは音を立てて麺をすすり上げると、急いで咀嚼して飲み込んだ。
「あの時、俺がエステルさんの名前を出しても信じなかっただろう? ルネはユーゴを敵だと思ってたしさ。とにかく『引き留めないと』と思ってて、でも、本当のことを言っても信じてもらえないどころか怪しまれちゃうだろうし……。そもそも、建物と俺の服装からして怪しかっただろう? だからさ、それなら会話が成立しないくらい怪しく引き留めれば、どうにかなるかなぁ? とね」
なるほどな。確かに、あの時点では何を言われても僕は信じなかっただろう。
腹が空いて判断力も落ちてたしな。
「それで、あの作り話か」
タツキはカタンと音を立てて、持っていた器を置いた。
「恐ろしい事に、アレは本当に起きた事なんだよ。ちょっと現代風にアレンジしたけどね」
「は? だって、あの話だと、別に住む場所があって店から帰れないみたいだったじゃないか」
「店をオープンしたばかりの頃の話だよ。店舗部分が先に完成してて、住居部分はリノベーションの工事が終わってなかったからさ。坂を下った先にアパートを借りて元樹と住んでたんだ。お客さんはほとんどいなかったけど、開店直後で事務仕事が立て込んでてね。こっちは寝る間も惜しんで働いて働いて廃棄の弁当で食いつないでんのに、焼肉? 黒毛和牛? 俺が子どもの頃なんて、肉は年に一回くらいしか食えなかったよ? てっきり『一杯のかけそば』ならぬ『一個の肉まん』なのかと思って……。だって、あんなに小さい子がお腹減ったって言うから……」
あ、なんかタツキの目がヤバい。リッチバージョンは芝居じゃないらしい……。
話題を変えよう。
「あぁ~、えっと……。この前、ベルゼビュートの知り合いもいると言っていたよな。口止めされてるとかでユーゴは教えてくれなかったが、僕も知ってる奴なのか?」
タツキはパッと顔色を変えると、静かに微笑みながら目を伏せた。
やっぱり、それは教えてくれないのか。
「いつか、会わせてあげるよ。そいつもきっと会いたいと思ってるから。ただ、今はまだね。もう少しルネが大人になってからかな?」
「それは……、もしかして勉強が出来るようになったらとか、そう言う事か?」
「そりゃあ、もちろん! 勉強に、仕事に、生活面もね。シャンプーは目が痛いなんて言ってるうちは、まだまだ子どもだからな」
「シャンプーは別にいいだろう⁉」
「立木君も、そうだい君も一人でシャンプーできるよ?」
「…………、善処する」




