第六十二話 大浴場
バスを乗り継いで、ようやく到着したのは大きな黒い建物だ。
ショッピングモールといい、病院といい、このヒガエリオンセンとかいう風呂屋といい、異世界はなんでも巨大だな。
この大きな建物の中に風呂がたくさんあるのか。
自宅にもあるのに、わざわざ遠くの風呂まで来たがる意味が分からん。
「カギは手首に着けていてくださいね」
受付カウンターでビヨビヨした紐を付けてある鍵を渡された。
鍵? なんで鍵なんか渡されたんだ?
「ルネ、なくすといけないから持っててあげる」
「あぁ、うん」
タツキの左手に二本のビヨビヨが付けられた。
なんだったんだ?
「はい、これはルネの分のタオル。自分で持ってて。あっちが浴場だってさ。行ってみよう」
浴場か。やっぱりここは風呂屋なんだな。
建物の中は宿屋に似ている。入口の横に受付があって、その奥には長椅子が置かれ、奥へ続く廊下がいくつか。
菓子や飲み物の陳列棚もあるんだな。
風呂屋で売ってるのか?
タツキは周囲の人にも物にも目をくれず、大きな布を掲げた扉の中へ入っていく。
なんだ? 風呂かと思ったら壁が立ち並んでる。
「ここで服を脱ぐんだよ」
受付でもらった鍵を壁の扉に刺すと、扉が開いた。
この壁は戸棚だったのか。
「風呂なんてどこにもないじゃないか」
「風呂はあっちのガラス戸の先。脱いだ服は畳んでロッカーに入れる。ちゃんと畳めよ? 丸めて突っ込むんじゃないぞ?」
「ちゃんとやるよ。うるさいな」
ふん、よそ見してる隙に放り込んでやる。
しかし、脱いだ服をしまったら鍵をかけておくのか。なるほど、盗まれなくていいな。
「羽根は出すなよ?」
耳打ちされなくても、わかってるよ。
向こうの世界でも、人間の前では羽根は出さないようにしてたんだからな。
……。
「あまりジロジロ見るなよ。羽根はちゃんとしまってあるぞ?」
「あぁ、ごめん。お風呂から出たらレストラン行こうね」
「絶対だからな! 忘れるなよ!」
なんだ、ここは⁉
いくつもあるデカい風呂に、大量の人間が浸かっている。
「あちゃ~、やっぱり祝日は混んでるなぁ」
「人間の煮込み汁か?」
「食べちゃダメだよ。先に体を洗ってから……、洗い場もいっぱいだな。ちょっと狭いけど、一番奥が空いてるからあそこで洗おう」
洗うって、もしかして……。
「ほら、ルネ。こっちがシャンプーだよ」
「嫌だ!」
「何言ってるの。汗でベタベタなんだから、ちゃんと洗わないと」
「いやだ、シャンプーはいらない! 水だけで良い! いつもそうしてるから、それで大丈夫だ」
「あぁ、それでこんなに頭皮が汚れてるのか。ほら、座って。洗ってあげるから」
「いやだ! シャンプーは目が痛いからいらない!」
「じゃあ、目は閉じて上向いて。ちゃんと洗えたらステーキ三枚食べていいから」
「足りない!」
「ハンバーグとカレーライスもつけるよ」
「絶対だぞ! 顔に湯をかけるなよ!」
「はいはい」
屈辱だ。なんで僕がこんな目に……。
屋敷に居た頃はグレッツェンが濡らした布で優しく体を拭いてくれたものだ。
髪も薬液なんか使わずに、櫛でとかすだけで綺麗にしてくれた。
僕はただカウチに寝そべって、おやつを食べていれば良かったのに……。
「髪は終わったよ。今度は身体ね」
何⁉ 身体もだと⁉
「身体は自分でやる!」
「えぇ~? できる~?」
「出来るよ! バカにすんな!」
「じゃあ、はい。タオルとボディーソープ」
やっぱり薬液か。
この出っ張りを押したら薬液が出てくるんだろ? これをタオルにとって身体に塗ればいいんじゃないか。
「違う、違う。ボディーソープとお湯を少し取ったら、タオルをもんで泡立てないと」
「泡は嫌いだ」
「泡の力で汚れを落とすんだから、泡立てないと意味が無いの! ほら、貸して」
あぁ~もう! 僕は飯が食いたいだけなのに!
「ルネ、腕上げて」
「いい! 自分でやる!」
「ちゃんと、隅々まで洗うんだぞ?」
「わかったよ!」
「……裏側もだよ?」
「わかったって、言ってんだろ⁉ うるさいな‼」
あぁ、屋敷に帰りたい……。
熱い。
こんなに熱い湯に入って、何が楽しいんだ?
タツキの部屋の風呂と違って匂いは気にならないが、とにかく熱いな。
皮膚から熱が染み込んでくるようだ。
「もう出てもいいか?」
「まだ入ったばっかりじゃない! せっかく来たんだから、もう少しゆっくり浸かろうよ」
「だって……、熱い」
「じゃあ、あの寝湯ってのやってみようよ。浅いお湯のうえに横になるのか。寝ながらゆったりとお楽しみくださいだって」
腕を引っ張るなよ。
なんだか頭がボンヤリするんだから。
「はい、ここに寝転がって。……どう?」
「硬くて痛い」
「石の上だからなぁ。……じゃあ、次はあっちの打たせ湯に行ってみよう!」
次々と色々あるな。
たかが湯じゃないか。
身体さえ洗えりゃいいものを、こんなに浴びてどうするんだ。
「お湯が肩や背中に当たると、温熱効果とマッサージ効果でダブルのリラックス効果を味わえますだって! どう?」
「……しょぼい滝」
「じゃあ、次は露天風呂に行こう!」
あぁ、屋敷に帰りたい……。
「今日は天気が良くてよかったなぁ。富士山が綺麗に見えるよ」
「なんで僕は壺に入れられたんだ?」
「壺湯っていうんだってさ」
「これじゃあ、まるでココットに詰められた卵だ」
「岩風呂が満員だからさ、空くまでこっちで我慢してよ」
まだ、この先があるのか。
ポーチドエッグになりそうだ。
「タツキは風呂が好きなのか?」
「好きだねぇ。こうして温かいお湯に浸かってるとさ、心も体も解れていくようじゃない?」
「わからん」
「そうか、わかんないか。こればっかりは日本の文化だからな」
「ニホン?」
「ここだよ。この国の名前。日本。この国は火山が多くて温泉が豊富だからさ。古代から入浴の文化があるんだよね。ケガや病気の治療にも使われるんだよ」
へぇ。
そういや別の国の祭りだとか、隣の国の菓子だとかって話をしたな。
異世界にも色々な国があるのか。
「タツキはニホン人なのか?」
「そうだよ。うちの店の従業員はみんな日本人。最近は人手不足を解消するために外国人を雇ってるコンビニが多いみたいだけどね。そういう外国人は日本語の学校とかに通ってるから、うちみたいな辺鄙なところの店では働かないよね(笑)」
笑い事じゃないだろう。
「ニホン語ってのは、あのポケットティッシュのチラシに書いてあった文字だろ? 言語が違うのに、なんで言葉が通じるんだ?」
「……よくわからないんだけど、そういう魔術が掛けられてるみたいなんだよね。あの店を使って転移すると、元居たところの言葉を話していても転移先の言葉に自動変換される。逆に、転移先の言葉は、自分が知っている言語に翻訳されて聞こえる。俺は何語を喋ってるように聞こえる?」
「少しバリエスト語の訛りがあるトロキオ語に聞こえるけど、そうじゃないのか?」
「俺は最初からずっと日本語を話してるよ。不思議だよね。どちらの世界もそれぞれに複数の言語があって、同じ世界でも別の言語は理解できない場合が多いのに、あの店を通るとどの国の言葉も自分の母国語として会話できるんだ」
え? でも、それじゃあ……。
「僕は店を使って転移して元の世界に戻ったけど、関所前の連中はバリエスト語を話してたぞ? トロキオ語じゃなかった」
そういえば、リンカはトロキオ訛りのバリエスト語を使ってたな。ミレーネならコート語の訛りがありそうなもんなのに。
「たぶんね、ルネが向こうの世界の出身だからだと思うよ。こっちの世界の出身の人は、店を使って向こうの世界に行けば向こうの言語は全部対応できるけど、店を使ってこっちに戻ると自分が習得した言語しか使えない。逆も然り」
言語理解に働きかける魔術か。そんなの聞いたこともないな。
それで、ソーダイやジュンがトロキオ語で話してても他の連中に通じてたのか。
ん? まてよ? だったら……。
「さっき、人手不足解消に他の店は外国人を雇ってるって言ったな?」
「うん。このところ移民政策が進んでるみたいでね」
「この国の言葉を学ぶ学校へ行かなきゃいけないから、外国人はうちの店で働けないんだよな?」
「だから、そうだって言ったじゃない。日本語学校なんて駅まで出てさらに電車で大きな街に行かないと無いんだから」
「僕の世界から連れてくれば良いじゃないか。学校に行かなくても会話が出来るんだから」
どうした?
なんで固まってるんだ?
おーい、生きてるか?
「ルネ! 天才だよ! その手があったか!」
「なんだよ、ビックリした」
「なんでもっと早く思いつかなかったんだろう?」
バカだからだろ?
「そうと決まったら早速……」
「飯の時間だ‼」




