第六十話 気分転換
九時。
昼営業の開始時間。
店の前の道路にバスが通るようになり、たまにだが別の車の音も聞こえてくる。
夜が明けると虫の声よりも鳥の声が多く聞こえてくるのは、どちらの世界でも同じだな。
だが、三階の従業員寮は今からが就寝時間だ。
「ルネ君、お待たせしました。お風呂どうぞ」
風呂。異世界人は風呂が好きなようだ。
この世界の人間は、毎日風呂に入るのだそうだ。
魔術で体が洗えないからなのか?
それにしたって、そんなに頻繁に洗う必要があるか?
掃除といい、風呂といい、異世界人は汚れに対して過敏じゃないか?
しかも、何種類もの薬液を使って洗うんだ。
たかが汗や泥なんて、水で流せば充分じゃないか。
あの泡が目に入るととんでもなく痛いシャンプーとか言うやつ……苦手なんだよな。
匂いも鼻につくし、浴槽の湯も熱すぎる。
髪を乾かしたり、体を拭くのも面倒で仕方がない。
風魔法で一発なのに、使うなって言うし……。
タツキの部屋にしかない風呂を順番に使えというから、先を譲って回避してきたが、とうとう僕の番になってしまったか。
……。飯を食ってから考えよう。
「僕は先に飯を食ってくる。タツキは部屋にいるんだろ?」
「潤君や俺がお風呂に入ってる間に食べてなかったんですか?」
「タツキが忘れてるんだ。あいつ、会議の後ちゃんと飯を用意するって言ってたのに、すぐ忘れるんだからな!」
「きっと、シフトが埋まらなくて頭がいっぱいなんですよ。俺も潤君も、本来のシフト時間を深夜に変更しちゃったから、日勤が足りないんです。タツキさん、けっこう考えなしなところあるから、よくあるんですよね。こういう事。どうにもならないなら、俺が日勤も出ますよ」
バカなのか。
タツキが自業自得で勝手に苦労してるのは構わないが、僕やソーダイの予定を狂わせられるのは困るな。
「お前はすぐにフラフラになるんだから、昼は寝てろよ。僕が飯の要求と一緒に、ソーダイが寝る時間はちゃんと作れと言ってきてやる」
「ありがとうございます」
ソーダイは満足げに微笑んだ。
タツキに言われたからって訳じゃないけど、僕はソーダイの感情を視るのをやめた。
ソーダイは僕を仲間として『信頼』してくれた。
『信頼』には『信頼』で応える。
ベルゼビュートは礼節を重んじる悪魔だ。公平であり公正でなくてはならない。
ソーダイがサーチスキルを使えないなら、僕もスキルは使わない。
僕とソーダイは仲間だ。時には大いなるバカからソーダイを守ってやる必要がある。
「おい、バカ。いるか?」
「それって、もしかして俺の事を言ってる?」
「他にもバカがいるなら、この店は終わりだな」
「ひどいなぁ」
タツキは少しばかりべた付いた髪をガシガシと搔きむしり、全身の様々な関節を伸ばしながら顔を上げる。
久しぶりにリッチバージョンで来るか?
残念だが、僕はもう驚かんぞ?
「ねぇ、ルネ。相談に乗ってくれる?」
これは驚いたな。この店で誰よりも僕を子ども扱いしているのはタツキだと思っていたが、僕に教えを請いたいのか。
バカなりに反省したと見える。悪くないな。
「いいだろう。何を聞きたいんだ? 言ってみろ」
やたらと僕をジロジロ見るな。
僕に何か付いてるか?
「場所を変えたいな。ちょっと、いったん現実逃避したい。風呂でも行こうか」
なに⁉ 風呂だと⁉
「僕は腹が減ってるんだ! 風呂じゃなく飯をよこせ!」
「行きのバスの中でゼリー飲料は飲んでいいよ」
「バス? 風呂はそこじゃないか。なんでバスに乗る必要がある?」
「うちの風呂じゃなくて、隣町の日帰り温泉に行きたいんだ。ずっと気になってたんだけど、なかなか行く機会が無くてさ。お風呂の他にレストランもあるんだって。古川さんが行った時はステーキとかハンバーグがあったらしいよ」
ステーキ‼
「行く!」
「よし! 行っちゃおう!」




