第六話 シフト交代
「おかえりなさい」
店で声をかけてきたのは若い女だった。
長い黒髪を後ろで束ねた、痩せぎすで神経質そう目つきのその女は、ソーダイから「あ、おはようございます。愛ちゃん!」と返され、ソーダイと僕の顔を交互に見た。
「紹介しますね。今日から入ったアルバイトのルネ君です」
僕の肩に手を置くな、馴れ馴れしい。
「あ! はっ! ぞん、ぞ、存じております!」と早口で返し、「て、て、店長と、ふ、古川さんから新人さんが、い、い、いらっしゃると、聞いたので……」モゴモゴと語尾が消えていく。
「ルネ君、こちらは栗木田愛さん。大学生で、僕たちと同じアルバイトですよ」
「は‼ は、は、はじめまして。く、栗木田……愛……です」
挙動がおかしな女だ。
眉間にしわを寄せて俯く顔が紅潮している。
『興奮』、『幸福』、『高揚』、『愉悦』?
感情と動向が一致しないな。『抑制』しようとしているのか。
何を考えているのかわからん時点で、この女も異世界人らしいな。
「ルネ君、配達お疲れさまでした」
マエダは板に何か書きながら笑顔を向けた。
しかし、その顔は『疲労』がびっちりとこびり付いている。
「僕は疲れてない。疲れてるのはお前のほうだろう?」
僕が言うと、マエダは少し驚いたように目を開き「歳を取ると疲れやすくてね」と小さく笑った。
「ルネ君、そろそろ私は帰る時間なので、熊楠さんを起こしてきてくれますか?」
「俺が!」
おい、ソーダイ! 僕を押しのけるな! なんでお前が焦ってるんだ?
「俺が起こしてきます。向田さんから差し入れに柿をいただいたので報告がてら」
ソーダイの『熱意』にあてられ、マエダの『疲労』が厚みを増す。
そして、なぜかアイとやらの横顔が『興奮』している。
いや、なんでだよ? お前、簡単に興奮するな。頭が湧いてるのか?
「あぁ、じゃあソーダイ君お願いします。ルネ君は……フロアの掃除をお願いします」
また、掃除か。まったく、面倒くさいな。
長箒を取ろうと手を伸ばす。
……⁉ 視線⁉
振り返った先で、アイが髪を撫でつけながら顔をそらした。
あいつか。
極度の『高揚』を抑制しているようだが、まるで感情をコントロール出来ていない。
僕に興味があるようだが、異常なまでの『興奮』と湧き上がる『愉悦』が何に対しての物かわからないというのが気持ち悪いな。
そう言えばずいぶん前だが、似たような奴がいた。僕の顔を見た途端に『興奮』を示し、強い『情欲』を向けてきた。
うまく隠してはいたが、あいつはワーウルフだったんだ。人間だと侮った僕に背後から襲い掛かってきた。
人間に擬態する魔物がこの世界にいないとは言い切れない。
アイか。あいつは要注意だな。
ジムショから出てきたタツキとソーダイ。
二人はクレアエンパシーを使うまでもなく、タツキはがっくりと落ち込み、ソーダイは晴れやかな笑顔をたたえている。
「何かあったのか?」
ソーダイに聞いてみたが「え? 何がですか?」という、間の抜けた答えが返ってきた。
「……。お前、なんだか嬉しそうじゃないか。良いことでもあったのか?」
「いいえ! 何にも! なぁ~んにもありません!」
その浮かれようで、何もないわけがないだろう。
鼻歌まで歌いながらピッキングしておいて、本当に何もなかったら頭がどうかしてる。
「じゃあ、タツキは? あいつ、なんか落ち込んでないか?」
「あれは、向田さんに会えなかったからですよ」
「は?」
ムコーダって、あの白髪の婆さんだよな。
「向田さん、キラキラもときストアーのアイドルなんで! とくにタツキさんは一番のファンなんです。―……あぁ! 言っちゃった! ……タツキさん」
身もだえするな、気色悪い!
「要するに、タツキはムコーダに会いたかったけど、会えなかったから落ち込んでるのか。あの婆さん、ただの老いぼれかと思ったが、重要な人物なのか?」
「そりゃあ、向田さんは神ですからねぇ~」
「何? あの婆さん、神なのか⁉」
「そうですよ。この店一番の神客なんです。だめですよ? 老いぼれなんて言っちゃ」
―ってことは、あのボロい建物は神殿だったのか?
じゃあ、あそこにいたガキは神職者か、下手すると神の御子じゃないか。
危うく異教の者を敵に回すところだった。
食わなくてよかった。
「ルネ君、本当に昨夜お店の前で倒れたんですね」
だから、そう言ったのに。そんなに浮かれて確認することか?
「だから、言ったじゃないか。タツキから聞いたのか?」
「はい! あんまり可哀そうだったからって」
楽しそうに言うな! 可哀そうって……馬鹿にしてんのか?
「夜になったら、ご家族が迎えに来るそうじゃないですか! 良かったですね!」
あいつっ! この僕を迷子みたいにっ‼
「言っとくけど! 僕は迷子じゃないからな! 腹さえ空いてなけりゃ、また旅に出られるんだ!」
「はい、はい」
信じろ~‼‼‼‼‼‼
そして、背後のお前! アイ!
さっきからずっと僕とソーダイを見てんの、気づいてるんだよ!
その前髪で顔隠しても滲み出る『愉悦』をやめろぉ~‼‼‼‼‼‼
あぁ、もう、イライラする。
この世界に来てからこっち、ずっとイライラしてる。
違うな。この店を見つけてからだ。
この店でゼリーインリョーを安定して買えれば、もう『食事』をせずにいられる。
『食事』をせずに済めば、もう旅をする必要もなくなる。
飢えずに済む。追われずに済む。
生きていける。生きていて、いいんだ。
そうだ。こんなに何かを欲したのは初めてなんだ。だから、焦ってる。
僕の苛立ちの正体はこれだ。
落ち着け、大丈夫だ。僕はうまくやれる。今までもうまくやってきたじゃないか。
目的を忘れるな。
大丈夫。うまくいってる。
これまで出会った異世界人の、誰からも敵意を向けられてない。
目的を忘れるな。
目的はゼリーインリョーを長期的に安定して入手すること。この店の支配は後回しだ。この先も、ここに買いに来られればそれでいい。
「ルネ君、ご家族が来たら国に帰るんですよね」
ソーダイは少し寂しそうに呟いた。
「いや? まだ国には帰らないが?」
「え⁉ 帰らないんですか? お迎え、来るんですよね?」
カウンターの中へ目をやると、マエダと話をしていたタツキがこちらに気づき、僕に目配せをしながら無言で小さく頷いた。
僕たちの会話が聞こえているのか? わからない。
おかしいな、クレアエンパシーがうまく作用しない。エネルギー切れか?
まぁ、いいさ。言うなって事だろう? わかってるよ。
「迎えは来るけど国には帰らない。知り合いの家に行く途中だったんだ。予定通り、そっちに向かう」
「なるほど。じゃあ、日本にはもうしばらくいるんですね。日本語、上手ですもんね」
「僕がいなくなって、せいせいするか?」
「そんなこと、ないです!」
おい、いきなり怒鳴るなよ。
『怒り』、『後悔』、『悲哀』、『親愛』。
なんだ、こいつ。僕がいなくなるのが寂しいのか。
あれ? 能力が使えてる。さっきは使えなかったのに。
「ルネ君、俺、早とちりしちゃって、失礼な態度ですみませんでした」
「ん? あぁ、別に」
「でも! 仲良くなりたいって本心だし、それは今でもそう思ってるし!」
「お? おぉ」
「……また、遊びに来てください。おススメのお弁当、おごるんで」
「いいのか?」
「はい! 僕、お弁当とお惣菜の発注任せてもらってるんですよ。うまいの選ぶ自信あるんで、ぜひ食べに来てください」
「ゼリーインリョーは? ゼリーインリョーはおごってくれんのか⁉」
「え? あ、あぁ、いいですよ。好きですもんね。飲料系は愛ちゃんの専門なので、おススメ聞いときますね」
なんたる僥倖! これで、この店に来れば金がなくともゼリーインリョーが手に入るじゃないか!
やはり、ソーダイは使えるな。眷属にするまでもなく、僕に貢物をしたいとは!
いや、ここはやはり眷属にして、僕への忠誠を盤石にしておくべきか?
「よし! 今晩だ!」
「え⁉ 今晩は、お知り合いのお家に行くんですよね?」
「やめた!」
「やめた⁉」
「ソーダイが僕と飯を食いたいようだからな。おごられてやる」
「あはははは! ありがとうございます、ルネ君。でも、あいにく俺は今夜シフトに入ってないんですよ」
シフト? そういえば、ここへ来てちょくちょく耳にしたな。
「シフトってなんだ?」
「シフトは、その人が働く時間帯の事です。ここは営業時間が長いから、みんな交代で働いたり休んだりするんですよ。それをシフト制って言うんです。俺は配達がメインだから、午後から二十一時くらいまでが多いですね。今日は半休なので十七時までなんですよ」
そうか。だから店に現れる時間もバラバラだったわけか。
「半休ってなんだ?」
「本来のシフト時間の半分だけ働く事です。俺、今日は夕方から歯医者を予約してて」
「そうか、なら仕方ない。明日の夜に出直す事にする」
「フフフッ」
「何がおかしい?」
「嬉しいなぁと思って」
「はぁ?」
「一緒にごはん、食べましょうね!」
あぁ、そうだった。こいつ、飯の話をすると懐くんだった。




