第五話 配達
「そうだい君、ルネ君と一緒に向田さんのお宅へ配達をお願いします」
マエダは紙をソーダイに手渡した。
「向田さんですか? いつもより時間が早くないですか?」
「今日はひ孫さんがいらっしゃるそうで、クッキーをご注文なんですよ。いつも通り配達時間の指定はありませんが、おやつの前に届けて差し上げたいじゃないですか」
「わかりました。じゃあルネ君、先に常温品を車に積みましょう」
ソーダイは僕とマエダがピックアップした物が入っている箱を持ち上げて、売り場とは反対側の扉を開け……ようとしたが、箱が邪魔で扉を開けられないらしい。
「持っててやる」
「ありがとうございます。あ、片手? すごい、力がありますね」
お前がひ弱なだけじゃないのか? 筋肉質な体つきしておいて見掛け倒しだな。
車というから、てっきり馬車が用意されてるのかと思ったが、どこにも馬がいない。
あるのは太い車輪がついた白くてツルツルした大きな車体だけだ。
馬は別の場所に繋いであるのか?
こんなノッペリとした車体のどこに御者は乗るんだ?
「いま開けますね」といって、ソーダイは車体に付いた鍵穴にカギを差し込んだ。
錠前と扉が一体化しているのか。高級な車を使ってるんだな。
「ここに乗せてください。次は冷凍品と冷蔵品を取りに行きましょう」
倉庫へ戻り、何やら銀色に光る箱型のカバンにレイゾーコに入れておいた物を収める。
レイトーコに入っていた物は真っ青な蓋つきのケースに入れて、どちらも車へ運び込んだ。本当に、見たこともない素材だらけだ。
「じゃあ、行きましょう」
ソーダイは大きなガラスがはめ込まれた扉から車体に乗り込んだ。
「おい、待て。馬を忘れてるじゃないか」
「馬? えっと……」
「馬はどこに繋いであるんだ?」
「え……っと。馬は……いません」
「はぁ? 馬がいなくてどうするんだ? ロバでも使うのか?」
僕は何かおかしなことを言ったか? ソーダイの表情が強い『困惑』を示している。
まさか、この世界では移動に馬を使わないのか?
「車……、乗ったことないです?」
まずいな、ソーダイの目に『不穏』と『不信』が浮かびあがってきた。
一度『恐怖』も出現しているし、このままだと『嫌悪』に染まってしまう。眷属にするには相応しくない感情だ。
そういえば、マエダが僕に『不信』を向けた時にタツキがなんとか言って胡麻化してたな。あれはたしか……。
「あぁ~……、僕はチューニビョーなんだ」
ぶふっ
おい、やめろ。
全身震わせて笑いをこらえるんじゃない。車体まで揺れてるじゃないか。
「そ、そっか。真顔で言うから、ビックリしちゃいましたよ。―あぁ、だからアルミパックに嚙みついて……。そうか、なるほど。フフッ……。え~っと、車の乗り方はわかりますか?」
「わからん! 教えろ」
「フフフ。承知しました、殿下(笑)」
殿下だと? チューニビョーってのが、何なのかわからんが、もしかしてアホな王族を指す言葉か?
くっそ、知らなかったとはいえ、自ら蔑称を名乗るとは。
あぁ、本当にこの世界はイライラする。
しかし、ソーダイの顔からは『不信』も『不穏』も消えた。代わりに『安堵』と『親愛』が少し出てきている。
この世界ではアホな王族が好まれるという事か? 奇妙な価値観だな。
だが、その目の奥にある『恐怖』の揺らぎが消えていない。
こいつ、僕の正体に感づいているのか?
この世界の車というのはオートメーションの魔術が付与された、それ自体が魔具のようだ。馬もなく、車自体が動く。
本当に、魔具に関しては規格外なんだな。
腕力もなく、魔法も苦手となると魔具に傾倒するだろう事は理解できるが、それにしてもオートメーションの魔術が魔具としてでも現役な事に驚く。
僕の世界ではとっくに廃れた古代魔術なんだがな。
なるほど、これが一般的なのだとしたら、馬を用意しろというのは確かに異様に感じるだろう。
しかし、変な匂いがする。
フカフカの椅子は素晴らしいが、シートベルトとやらで縛り付けられて、弱い揺れと吐き気を誘うこの悪臭。
「気持ち悪い」
「え? 車酔いですか? 参ったな。あと十分くらいだから少し我慢してください」
「お前は毎日こんなものに乗ってるのか?」
「田舎ですから、車がないと何しろ不便で……。それに、うちの店は高齢の常連さんが多いので、配達での売り上げが大きいんですよ。俺はほとんど配達が仕事みたいなもんなんです。専任じゃないんですけどね」
車を操作しながら話すソーダイの横顔には『自負』がある。
やはり、これだけの大掛かりな魔具を操作できるというのは稀有なスキルなのだろう。
「売上が大きい部分を担っているという事は、なかなか高い地位なんじゃないのか?」
「地位って……。ルネ君と同じただのバイトですよ」
ソーダイは何かを言いたそうに口をもごもごを動かした。
その目にあるのは『緊張』、『憂虞』、『期待』、依然として若干の『恐怖』。
僕の正体を疑っているにしては『期待』というのがわからない。
何を期待しているんだ?
今の僕のクレアエンパシーじゃこれ以上深くは察知できないな。
ちょっと揺さぶってみるか。
「ソーダイは何か悩みがあるのか?」
視線を正面に向けたまま、ソーダイは大きく目を見開いた。
『驚愕』、『焦り』、『困惑』、そして『恐怖』の揺らぎに混ざって大きくなる『期待』。
やはり、こいつの『恐怖』は『期待』と表裏一体だ。
「悩んでるように、見えますか?」
「あぁ、見えるな。僕は察しが良いんだ」
「そうか、バレてんのか……」
悩みがあることを見抜かれた後に沸き起こる『安堵』。これが『期待』の正体だな。
僕が悩みを解決する可能性を『期待』しているんだ。だとしたら、『恐怖』はなんだ?
「何を悩んでるんだ? 言ってみろ」
さぁ、言え。何を考えている?
その『期待』は何を待っているんだ?
思考を、思想を、さらけ出せ。
その欲望を。僕が叶えてやる。
そして、お前はその魂を僕に差し出すんだ。
「ルネ君は……」
「うん?」
「ルネ君は、熊楠さんとどういう関係なんですか⁉」
……は?
「関係……と言われても、何の関係もないな」
車を古びた建物の横に停車させ、ソーダイは僕に向きなおった。
「関係ないなんてことないでしょう⁉ 熊楠さんの紹介でバイトに入ったんですよね? 前田さんから聞きました。日本語は問題なく話せるけど文字の読みかきは全くできないようだし、一般常識も理解してないって。失礼ですけど、そんな状態でバイトさせるなんて普通じゃないと思うんですよ! だって、熊楠さんは学歴も職歴もまったく関係ないって仰ってくださるけど、個々の能力はしっかり判断する人なんです。僕もバイトの面接に来た時に、筆記試験や実技試験を受けました。バイトなのにですよ? 正直、読み書きができないのに働けるなんて、相当なコネがないと無理だと思うんです!」
こいつ、自分のポジションを僕に奪われることを恐れてるのか?
こんな魔具を操作して重要な仕事を任せられてる事に『自負』はあるのに、『自信』はないんだな。
「僕は今日一日だけだ。わけあって、夜まではあの店にいなきゃならなくてな。でも、今は金を持ってないから客ではいられないし、部外者は店の中にいられないと言うから仕方なく雇われてやってるんだ。全部タツキのせいだ。文句があるなら、あいつに……」
「タツキ!」
なんなんだ、でかい声を出すな! また人格豹変か?
『混乱』と増大した『憂虞』、それに『嫉妬』?
「なぁ、ちょっと落ち着けって。ここが目的地か? 到着したんだろう?」
「なんの関係もないなら、なんで呼び捨てなんですか⁉ それも下の名前で!」
「えぇ~? あいつがそう呼べって言ったからぁ?」
「あ・い・つ!」
あぁ、もう! うるさいなぁ!
いちいちでかい声をだすな!
「なんで? 熊楠さん。俺には下の名前で呼んでいいなんて一言も言ってくれなかったのに。みんなの事は絶対に名字に『さん付け』で呼んでて。夢ちゃんや愛ちゃんの事もみんなは『ちゃん』付けで呼ぶのに、熊楠さんだけは『栗木田さん』呼びで。俺だけあだ名で呼んでくれてるって、特別だと思ってたのに……」
うわぁ~、なんか泣いてるんだけど~。
『嫉妬』? なんの『嫉妬』?
「あの……さ。僕はさっきも言った通り、夜には出ていくから。お前はいつも通りでこのままやっていけばいいよ。何も変わらないし」
「変わらない……。そうですよね。僕と熊楠さんは何も変わらない。店のバイトとオーナー。それ以上でも以下でもない……」
『悲嘆』、『絶望』。
いや、なんでだよ⁉ 嫉妬の対象の僕がいなくなることを期待したんじゃないのか?
『期待』通りいなくなるって言ってんだから、それで解決じゃないのか?
「おい! お前が考えてることは、どうもよくわからん。感情の動きに統一感がない。お前、何か隠してるだろう? 隠している物はなんだ? 言ってみろ」
「……いえない」
『懐疑』か。
「……言ってもいいですけど」
いや、どっちだよ!
また『期待』? やっぱりその背後に『恐怖』が見え隠れする。
「もったいぶらずに言ってみろ」
「……ルネ君のことを教えてくれたら、言います」
「は?」
「だって、フェアじゃないでしょう? 俺ばっかり自分の事を話すなんて。だって、俺、ルネ君の事なにも知らないし!」
『期待』、『興奮』、『興味』、『親愛』。
わからん。本当にわからん。
「……何が知りたい?」
「う~ん……」
ないのかよ⁉
『興味』と『親愛』はどこに向いてんだよ?
これが一般的な異世界人の感情動向なのか? タツキも似た感じはしたが、ちゃんと『視た』わけじゃないからな。こいつが異常なのかすら、わからん。
「じゃあ、フルネームと年齢と、あと、好きな食べ物とか!」
「それ知って、何か意味があるのか?」
「仲良くなりたいです!」
わからん。
『恐怖』や『嫉妬』の対象者と仲良くなりたい? 意味が分からん。
この世界の価値観は、どうなってるんだ?
ワクワクした顔を近づけるな、うっとおしい。
高まる『期待』と『好感』。それでも『恐怖』や『嫉妬』は消えていないし、薄い『不安』が常に感情全体にベールのように覆いかぶさっている。
こいつがこの世界で異常な存在なのかはわからないが、人格豹変の研究サンプルにはなりそうだな。こいつの研究がタツキをコントロールする糸口に繋がるかもしれない。
ゼリーインリョーを安定して入手するにはタツキとあの店を支配するのが一番だ。
仲良くなりたいというなら、おあつらえじゃないか。
「フルネームはルネ=ノワ・ヴァンピール・ド・ベルゼビュート。年齢は八十五歳。好きな食べ物は……、そうだな、テリーヌ・ドゥ・ディアブラかな?」
「……? あぁ! そうでした。中二病なんでしたっけ!」
ソーダイは顔つきを一瞬曇らせたが、すぐにそう言って笑って見せた。
だが、そこに『落胆』が揺らめいている。
「嘘じゃない」
「わかりました。とりあえず、仕事しなきゃですよね。話聞いてもらってありがとうございます。配達、終わらせましょう」
全く信用していないな。
『落胆』、『諦め』、『失望』。
信頼を得るのが先決か……、だが『諦め』が強めに作用していると難しいな。
さて、どうしたものか……。
車に積んだ荷物を車から降ろす間、ソーダイは指示を出すものの僕と目を合わせようとしなかった。
「あらあら、今日はずいぶん早くに来てくださったこと」
ボロい家の横で何やら大きな箱を引きずっていたのは、朝早くに店にやってきた白髪の婆さんだった。
「向田さん。それ、運ぶんですか? 手伝いますよ」
「まぁまぁ、ありがとう。使わない瓶やら樽やら、古いのがたくさんあってね。そっちの納屋にとりあえず入れておこうかと思ったのよ」
ソーダイは持っていた配達の荷物を僕に持たせて、婆さんから箱を取り上げた。
「これ、使わないんですか?」
「もうね、こんなのがいっぱいあってね。処分したいんだけど、まだ使えるものを捨てるのは忍びなくてねぇ。誰か使ってくれればいいんだけど」
「配達先で使いたい人がいないか聞いてみますよ」
「あら、助かるわ」
配達って、客の手伝いまでするのか?
とっとと終わらせてしまいたいのに。
僕はこの荷物を持ったまま、どうしろって言うんだ?
「こんちゃ!」
足元に現れたのは、だいぶ幼い娘だった。
まだ話し始めか、発音もままならない。
僕に向かって人形を突き出して「にゃんにゃん!」と叫んだかと思えば、奇声を上げながら婆さんの周りを走り回る。
子どもは苦手だ。
肉が柔らかいといってもこんなに小さくちゃ食いでがない。
血も乳臭くてうまくないしな。
「こんにちは。ごあいさつ上手だねぇ!」
ソーダイは子供が好きそうだな。
「お兄さん、ごめんなさいねぇ。荷物はこっちに置いてちょうだいな」
婆さんが手招きをする。
「よかったら、これ持ってって」
袋? 中に入ってるのは果物か?
「いただきものなんだけど、私はそんなに食べられないから。皆さんで召し上がって。熊楠さんにも、よろしくね」
ソーダイは僕の手の袋を覗き込んで「ありがとうございます! 熊楠さんにもしっかり伝えときますね!」と喜んだ。
「じゃあ、ルネ君。店に帰りましょう」
やっぱり目を合わせないな。
店へ戻る車中。僕は距離を置こうとするソーダイの信頼を得るために話を振った。
「僕は嘘をついてない。タツキが僕をチューニビョーだと言ったが、それがなんなのかも僕はわからない」
ソーダイは僕の話を黙って聞いていた。
真実を話して嘘だと思われてしまったとしても、逆に嘘をつくのは危険だ。
事実のみを伝える。でも、異世界転移について話してしまうと、今度はタツキの機嫌を損ねる恐れがある。
事実のみ異世界転移の部分を隠して話し、なんとか信じさせるしかない。
「僕の名前はルネ=ノワ・ヴァンピール・ド・ベルゼビュートで間違いない。年齢も偽っていないが、正直言って誕生日の記録がはっきりしないから実際は何歳なのかよくわからない。好きな食べ物のテリーヌ・ドゥ・ディアブラというのは、僕の故郷の郷土料理だ。もう、ずいぶん長いこと食べてない。わけあって故郷を出て旅をしていた。いくつか国を渡って、行く先々で小銭を稼いで、その金でまた旅を続けた。路銀がなくなって、昨夜お前たちの店の前で倒れて、タツキに介抱された。それだけだ。だから、タツキと僕の間にはなんの関係もない。『飲み食いした分の金は働いて返せ』ってのが、タツキの言い分だ。僕はそれに従っているだけ。呼び方も、そう呼べと言われて呼んでるだけ。ソーダイが信じなくても、僕が知ってる事実はこれだけだ。これ以上に話せることはない。僕には他の記憶がないからな」
「記憶が、ないんですか?」
「ないわけじゃない。いま話しただろう? 『それ以外の』記憶はないと言った」
倒れてから、この世界に転移するまでは寝てたからな。
あの時うっかり寝なければこんなことにはならなかったんだ。
「故郷の料理は、覚えてるんですね」
ん? そこに食いつくのか?
「まぁ……、そうだな」
「どんな料理なんですか?」
え? 本当になんでそこに食いつくんだ? 重要?
食べ物、そんなに重要?
「あぁ~、えーっと、山羊の血を固めた物なんだけど。詳しいことは知らないな。いつも出されて食べるだけだったから。ハーブやスパイスが入ってて、昔はそれが苦手だった。おじい様はそのまま食べてたけど、僕の分は細かくして芋と混ぜたり豆と煮込んであったりした。子供だったから、それが食べやすかったんだろうな」
「本当に、外国の方なんですね」
そう言ったソーダイの顔に『安堵』が浮かんでいた。
なぜだ? どこに安堵するポイントがあった? 食い物の話をしただけだぞ?
「俺は、山下崇大です。みんなからは『そうだい』って呼ばれてます」
「え? うん。知ってる」
「年齢は二十四歳。好きな食べ物はチャーハンとラーメンとカレーライスです」
「あ、そっか。へぇ~……」
だから、食べ物って重要⁉
「これで、フェアですね」
店に到着して、ソーダイはニッコリと笑った。
『親愛』、『好感』、『期待』、『憂い』。信頼にはまだ届かないが、だいぶ心を開いたな。
なんでなのかは、さっぱり理解できんが。まぁ、いいか。
今後、ソーダイの機嫌を取るときには飯の話をしよう。
ルネの能力クレアエンパシーとは、他者の感情や心境を察知できるとされる能力です。
この作中では、感情の靄が対象者の顔の周囲に視認できる能力として書いています。




