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第四十九話 立木潤一郎

「立木君、そろそろ上がりのところ悪いんだけど、ちょっと話せる?」

 店に帰り着いた達樹は、ルネをユーゴに預けて立木を事務所に呼び出した。

 言われるがままに事務所に入った立木は、戸惑う素振りを見せながらも、注意深く達樹の挙動を目の端で追っている。


「座って」

 椅子をすすめ、お茶のペットボトルを渡す。

 立木は慎重に困惑する学生バイトを装った。

 なぜ、このタイミングで呼び出された? 何かバレたのか? 何が? どこから?

 速くなる鼓動が達樹に聞こえるんじゃないかと、思わず手を握りしめた。

「あの、何か……?」

「急にごめんね。この後って何か予定あった?」

「いえ、とくに無いですけど」

「あぁ、そうなんだ? てっきり卒論とかで忙しいのかと思ったけど」

 達樹が意地悪く笑う。

 実際には、どういう笑顔なのかは定かではないが、少なくとも立木にはそう見えた。

「まぁ、やらなきゃいけないのはありますけど、時間の融通はきくので」

「そうか。卒論のテーマは決まってるの?」

 立木は一瞬ギクリとしたが、それを表面に出すことは無かった。

 とても柔和な笑顔で答える。

「『被虐待児の保護に関する法的課題』です。保護件数は簡単に検索できますが、保護に至らない場合の問題点の抽出に少し難儀しています」

「なるほど。法学部の学生さんは大変だね」

 立木は隙を見せない。

 けれど、達樹にはわかる。

 首の後ろを擦る動作、探るような目つき、わずかに速くなる口調。


「それで、お話ってなんですか?」

 達樹は立木の真正面にまっすぐ座り、立木の目を見て言った。

「頑張ってるところ申し訳ないんだけど、『大学生』を辞めてもらいたいんだ」

「は?」

「話すタイミングがあった子たちから口頭で伝えてたから立木君には遅くなってしまったんだけど、店の深夜営業を始めたんだ。二十二時から八時まで。その深夜帯のみの店長をそうだい君に任せることなってね。ルネ君にも深夜帯のスタッフとして働いてもらう事になったんだけど、人手が足りないんだ。深夜シフトに移ってもらえないかな?」

「ルネ君は熊楠さんの知人のお子さんで、わけあって預かってるって話でしたよね? 本人が世話になってる事を気に病まないように従業員という事にして店の手伝いをさせるから、話を合わせて欲しいと仰っていたじゃないですか。人手が必要だからと未成年を深夜に働かせるのはどうかと思いますよ?」

 達樹は両手を机の上で合わせ、大きく深呼吸してゆったりと微笑んだ。

「『法学部の学生さん』は、もういいんだよ。立木君。本当は大学生じゃないだろう?」


 核心を突かれて、立木の鼓動は一層強くなる。

 握りしめた拳、せわしなく動く目線。震える唇。

「な、何を言ってるんですか。ちゃんと、学生証も提示したでしょう?」

「あぁ、勘違いしないで欲しいんだけど、俺は学歴詐称を咎めるつもりは全くないんだよ。ただ、今の『宝生大学法学部の立木潤一郎』っていう設定を辞めて、深夜帯で働いてくれないかなぁ? と思っての相談なんだ」

「はぁ? ちょっと何言ってんのかわかんないんすけど。俺はちゃんと大学に通ってるし、卒業後の進路も、小さいところだけど弁護士事務所に内定もらってるし……」


 達樹は動揺を隠せなくなった立木を眺めながら考えた。

 どうすれば、彼の信用を得ることが出来るのだろうか? と。

 立木の嘘は、すでに気づいていた。彼が自分から話してくれるようになるまで待つつもりでいたけど、一年以上経っても『宝生大学法学部の立木潤一郎』は揺るがなかった。

 自分が求めているのはそんな肩書じゃない。君自身なんだと、どう伝えれば理解してもらえるだろうか? 

 嘘はつかなくていい。嘘をつかなくても大丈夫だと伝えたくて嘘を暴いたが、その後の反応にどう対応するべきかは、達樹の長い経験の中にもヒントがない。

 何しろ、達樹の『嘘』はバレたことが無いのだから。


「……ところで、立木君はゲームとかはやる? ロールプレイングとか。漫画やアニメは好きかな?」

「……まぁ、人並みには」

「それは良かった」

「何の質問っすか? 意味わかんないんですけど」

「今のは、ちょっとした確認だから気にしないで。俺は君がどこの誰で、どんな経歴を持ってるかには、あまり興味がない。君は物事を俯瞰して見られる。広い視野で現状を把握して、最適解を導き出すのが早い。慎重でありながら、目標に向かって多少強引な手段を選ぶ胆力もある。俺は、君のそう言うところが欲しい。条件は書面にまとめたから、確認して」

 達樹は立木の前に雇用条件確認書を置いた。

「年収二百三十万? これが条件ですか? 弁護士事務所だったら四百万スタートですよ? 比較にもならないでしょ」

「本当に弁護士事務所に入社できるのならね」

「だから! いくらオーナーでも失礼すぎませんか⁉ 俺は嘘なんてついねぇって」

 思わず机をたたいた立木のその手を、達樹は抑えるように両手を重ねた。


「立木君。君の学籍番号は立木潤一郎なんて名前の学生じゃないんだよ」

「……いつから、知ってたんですか?」

「初めてこの店に来た時には、君は『旅行者』だった。俺がバイト募集の張り紙をしているのを見て声をかけてくれたけど、あの時の『旅行者』も嘘だろう? 旅行の荷物だって言ってた大きなカバンとトランクケースは君の全財産だ。君はネットカフェ難民だね? 駅前の廃れたネットカフェとカラオケボックスを定宿にしてる」

 とうとう観念したのか、立木はうなだれて机の上の書類を握りしめた。


「……バレてないと思ってた」

「他の店ならバレなかっただろうね。出勤が少ない日向さんはもちろん、君とシフトがかぶることが多い栗木田姉妹や弓岡さんも、古川さんもそうだい君も、みんな君が『学生バイト』だって信じてるよ。俺と前田さんの目は誤魔化せなかったけどね」

「なんでわかったんですか? ちょっとでも疑ってないとバイトの学籍番号なんて調べないでしょう?」


「あの日の君は、バッグパッカーにしては荷物が多すぎたし、キャンパーや登山者の装備でもなかった。荷物の量とカバンの種類、服装だけ見れば海外の都市部にでも行くように思えた。でも、君は『週末の連休を利用して温泉地に行った帰りだ』と言ったんだ。それに、君はあまり鏡を見ないんだろ? 見たとしても髭をそる時に剃刀を当てた個所だけなんじゃない? 肌が乾燥しているしクマもひどい。髪もパサついてる。全体的に顔色もよくない。とても健康そうには見えない。温泉帰りとは思えない。すぐにピンときたよ。あぁ、この子は嘘つきだってね。前田さんは嘘を嘘として受け止めないから、とても心配してたよ。立木君はとても疲れてるから、バイトは負担になるんじゃないか? って。大学生ですらないんじゃないかと俺が気づいたのは、君がバイトを始めてから。弁護士を目指して勉強ばかりしてきたって割には、あまりにも業務に慣れていた。研修は口頭で一度教えればすぐに出来てしまうし、ミスも少ない。動きに無駄が無いし、イレギュラーへの対応力もある。バイトが初めての人間には到底出来ないことだよ。特に初詣での出張出店の時ね。君はバイトを始めて二カ月だったよね。普段とは勝手が違う臨時店舗と混雑の中、全体の動きを把握して的確な指示出しが出来てた。君の嘘がバレたのはね、君が仕事を出来すぎてたからだよ」

「……なんで、今まで指摘しなかったんすか?」

「ん~、繰り返しになるけど、君の経歴とかには興味がないから、別にそのままでもいいかと思って。君が本当の事を言いたくなれば言ってくれるだろうなと思ってたんだよね」


「それで、俺が『学生バイト』のままじゃ深夜帯に入れにくいから暴露したと」

「君の意志は尊重する。君が今のままを望むなら、この話は無かったことにしていいよ。ここで話したことは誰にも言わない。今まで通りだ。あと、これは年長者からのお節介だけど、君の嘘は期間限定だ。また別の嘘で居場所を作らなきゃならない。自分の居場所を確保するための嘘は、もっと長くつき続けられる設定にしたほうが良い。一つの嘘のために下準備や小道具を用意するのも大変だろう?」


「つまり……こういう事っすか? 俺みたいな底辺は、大人しく安月給で満足しとけと?」

「安月給は耳が痛いな。他の仕事がしたいなら、その目途が立つまででいいよ。正社員じゃ辞めづらいっていうなら、バイトのままでもいいし、契約社員でもいい」

「ずいぶん食い下がるじゃないっすか。そんなに人手不足だとは思いませんでした。客数と売り上げに対してスタッフの数が多すぎると思ってたくらいですよ」

「ご指摘の通り、安月給しか払えない売上なんでね。頭数を増やすだけみたいな無駄遣いは出来ないんだよ。特に深夜帯は複雑な事情もあるし、スタッフは厳選したい。色々と手探り状態で今のメンバーだけじゃ荷が重いのもあって、即戦力が必要なんだ。君が良いんだよ。嘘がバレちゃうほど仕事が出来ちゃう君にやってほしい」


 達樹の提案は立木にとって、とても優位な条件に思えた。

 経歴や肩書ではなく、能力を正しく評価してくれているのもよく分かった。

 だが、いや……だからこそ、立木は受け入れることをためらってしまう。

 認めて欲しい、評価してほしいと切望しながら、心の奥底で、そんなことはあり得ないと否定せずにいられない。


「……条件があります」

「うん、何?」

「深夜に十代の子を働かせるのは、やめてください。あと、俺も従業員用の寮に入寮させてください」

「わかった。じゃあ、荷物をまとめたら店に戻ってきてくれる? あと、その雇用条件確認書、頑張って作ったからちゃんと隅まで読んでね」


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