第四十七話 元樹という人
タツキが連れてきたのは、モトキって爺さんがいる病院だった。
爺さんは変わらず、管に繋がれてヘラヘラ笑っている。
「なんでここ? あの爺さん、ずっと同じ話しかしないじゃないか」
タツキは花瓶の水を替えながら「そうでもないよ」と答えたが、そもそも大声ださなきゃ聞こえもしないのに。
「前に来たときは、新しい従業員を紹介するって事だったからね。あの話は毎回するんだよ。今日はルネの話を聞いてって頼むから、ちゃんと聞いてくれるよ」
「そもそも、聞こえないじゃないか」
「そこは、近くで話すとか大きい声を出すとか、あるでしょ」
あるでしょって、それが問題だろう。
「でも、あの爺さんは僕の事も僕の世界の事も何も知らないんだろ?」
「そうだね。でも、説明する必要は無いよ。ただ話せば、ちゃんと答えてくれる。わからなくても寄り添ってくれる。元樹は母親似だから、話を聞くのがうまいんだ。前田さんは時々話をしに来てるよ?」
そりゃあ、ジジイ同士なら喋りやすいだろうが……。
タツキは僕に椅子をあてがい、隣にあった台にカップに入ったお茶を置いた。
「俺は病院のスタッフさんと話があるから、その間におしゃべりしててね」
そんな事を言われたって……。
「こんにちは」
爺さんは僕にゆっくりと話しかけた。
『親愛』『愛護』『期待』『幸福』。爺さんに浮かぶ感情はマエダによく似ている。
奥に小さく隠れる『苦痛』と『緊張』は、体調が万全じゃないからなのだろう。
「こ、こんにちは」
「ん~?」
あぁ……もう!
「こぉんにちわぁ~!」
「はいはい、こんにちは」
まったく、クソ疲れる。
「ウネさんだったかな?」
「ルネだ!」
「そうそう、ユネさんだ」
もう、なんでもいい。好きに呼べ。
「お仕事は、がんばってますか?」
「うん、まぁな」
「おともだちは出来た?」
なんだか子ども扱いされてる気がするな……。
でも、九十四歳とか言ったか。たしかに僕より年上じゃないか。
くそっ、仕方ないな。
「僕はわかんないけど、友達だって言われた」
「それは良かったねぇ! みんな仲良しが、一番なんですよ。仲よく頑張ってると、楽しいでしょ」
「そうだな。一緒に考えたり意見を言い合うのは楽しい……のかな?」
「そうでしょう、そうでしょう。いまは、どんなお仕事をしてますか?」
どんなって、別の世界で行商するなんて言っても理解できないだろうし……。
「魚を焼いて売るんだ」
「それは、それは! いいねぇ。とても、楽しそうだ」
爺さんの顔に『歓喜』が浮かぶ。
それに加えて『愉快』か。くちゃくちゃにしぼんだ笑顔が感情に彩られて光って見える。
僕が話かけるのが嬉しいのかな?
「僕が焼く係で、ソーダイが味を付けて売るんだ。二人で考えて、二人で準備したんだ。今夜、初めて売るんだけど、ちょっと大変そうなんだ」
「それは、とっても楽しいねぇ。仲良しで、頑張ってると楽しいでしょ。おともだちは好きですか?」
「ソーダイはな、変な奴なんだ。怖がりだし、ビックリすると後ろに吹っ飛ぶんだぞ⁉ ガタンって椅子から落ちるんだ」
「それは、面白いねぇ」
「それで、酒を飲むとグラグラして、喋り方が赤ん坊みたいになるんだ」
「お酒がね、飲むと楽しくなっちゃうよねぇ」
「でも、仕事の時は難しい言葉をたくさん言って、すごく色んなことを考えてて、無理そうでも諦めないんだ。そこは、ちょっとカッコいいなって思う」
「お仕事をしてる男はね、カッコよくなくちゃね。ドネ君もカッコいいですよ」
「そう……かな?」
「そうですよ。一生懸命に頑張っているでしょう?」
「うん。ソーダイが頑張ってるから、手伝ってやんなきゃならないんだ。あいつは頑張りすぎるから、寝なくなるから、僕が手伝ってやんないといけないんだ」
「フネ君は優しいねぇ」
「優しい、のかな? ソーダイは怖がりだけど、僕を怖がらないんだ。多分、怖いんだけど、怖がらないでいてくれる。仲間だって、言ったんだ」
「おともだちも、優しいね。二人とも優しくて、仲良しで、頑張ってて、とても良いことですよ。みんな仲良しの園だからね。あのお店はね、みんなが仲良しになって、笑顔になって、愛でいっぱい。そういうお店なの」
「でも、一人苦手な奴がいるんだ」
「おやおや、大変だ」
「そいつ、顔は笑ってるのに、全然違う事を思ってるんだ。僕の事を疑ってるんだ」
「それは、それは。怖かったねぇ」
「僕の気持ちがわかるのか⁉」
「お顔にね、書いてありますよ。怖かったって」
顔に書いてある⁉ どこだ? 鏡は……、あった。
ん? なにも書いてないじゃないか。
「スキルが使えるのか?」
「好きですよ。僕はねぇ、みぃ~んな大好きです」
そうじゃない。
―……なんだ、でまかせか。くだらない。
「人はねぇ、笑ってないとダメな時があるんですよ。泣きたくても、辛くても、悔しくてもね、それでも笑うんです」
「なんで? そんなの笑いたくならないじゃないか」
「泣きたい時や辛い時に泣いたら『つらいよ~、くるしいよ~』って、いっぱい思っちゃうでしょ? だからね、嘘でも笑うんです。そしたら、泣きたいのも辛いのも、ちょっと我慢できるでしょ」
「僕は……今日、たくさん泣いた」
「それは良かった」
「なんで! 良くないだろう! 辛い苦しいっていっぱい思うんだろ⁉」
「泣きたいときに我慢しないで泣けるのはね、傍に優しい誰かがいるからですよ。我慢しなくても大丈夫だから、いっぱい泣いていいんですよ」
「よく、わからない」
爺さんは管が刺さった手を伸ばして、タツキがしたように僕の手を包んだ。
「僕はねぇ、小さい頃は泣き虫で泣いてばかりいました。男のくせに泣くなって、みんなに言われた。でもねぇ、父は泣かせてくれた。僕がね、何を言っても『そうか、そうか』ってね、抱きしめてくれたんですよ。父がいなくなったらねぇ、泣けなくなりました」
ふいに、爺さんの感情が途絶えた。
ゆっくりと目線が宙をさまよい、ぽつぽつと別の感情が泡のように現れる。
『不安』『混乱』『自責』『思慕』
人格豹変……じゃないな。爺さんの意識が別の世界にリンクしているようにも見える。
爺さんは何かを探すように、周囲を見渡した。
真っ白い部屋の中で、何かを追い求めるように目を動かし、かすかに口を動かす。
「どうしたんだ?」
「……」
爺さんの不安げな顔に浮かぶ『悲嘆』。その目に涙が溢れた。
そうか、泣きたかったのは爺さん自身だったのか。
涙が零れ落ちるのが勿体なくて、頬をつたう途中で舐めとった。
旨い。
甘くて、しょっぱくて、温かくて、旨い。
「誰かが傍にいないと泣けなかったんだな。今は僕がいるから、泣いていい」
その頭を胸に抱き寄せると、爺さんは赤ん坊のように泣きじゃくった。




