第四十二話 上司の苦悩
「お疲れ様でございます!」
夜食を取りに降りてきたタツキとユーゴに、エステルがカウンターの向こうでニッコリと笑いかける。
「エステルさん? なんで? そうだい君は?」
「ソーダイ様なら、ルネ様と一緒にハキューネへ向かいましたわ。なんでも、シリアルバー? というのを配るのだと仰って。ですから、今はわたくしが店番を」
達樹は思わず両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。
「細かいところは任せるとは言ったけど……」
「お止めした方がよろしかったでしょうか?」
エステルが心配そうに達樹の顔を覗き込む。
「いやいや、大丈夫。すみません、店番させちゃって」
「いえ、とんでもございません。わたくし、ずっとルネ様のお役に立ちたかったので、頼っていただけるのはとても嬉しいのです」
「そう言っていただけると、助かります。二人が帰ってきたら俺の部屋へ来るように伝えてください。他にも何かあればすぐに報告をお願いします」
「承知いたしました」
売れ残りの弁当といくつかのスナック菓子、三種の野菜の糠漬け。
ルネからユーゴへ送られたレモンチューハイの素を並べた食卓に、達樹は大きくため息を吐いた。
「どうしたらいい?」
「何が?」
「ルネは関所前、そうだい君は店っていう大枠を外れて行動するとは思わなかったんだよ。特に、そうだい君が店を離れる気になるには、もっと時間がかかると思ってた。俺に相談なしに行動したことを注意すべきかどうか……」
「どうせ今夜中には戻ってくんだろ? じゃあ、いいじゃん。好きにやらせとけば」
「少人数で結果主義の冒険者稼業なら良いけど、店舗運営に報告・連絡・相談は鉄則だよ。そうだい君はその辺よくわかってるはずなんだけどな。あぁ~、しくじった! 年金の受け取り期限を忘れてたとか。こんな大事な時に目を放すなんて!」
「だから、五年に一回の受け取りのままにすりゃ良かったんだよ。毎年取りに行くの、だりぃわ」
「だって、人間の国の役所はすぐに担当者が変わるからさ。こまめに行って確認しないと。また引継ぎできてないとかで支給停止されたらたまらないでしょ」
「で、受け取り期限ギリギリに担当大臣を叩き起こして受け取ると」
「そこは……、悪かったよ。ルネが店に来て、取りに行く予定がすっぽ抜けたんだ。だから、これは俺の落ち度ではあるんだけど……、そうだい君が俺の言う事を聞かないなんて……」
「じゃあ、怒りゃいいじゃん。めっ! って」
「でも、今回のスタンドプレ―がそうだい君にとっての成長の芽かもしれないとなると、注意することで委縮しちゃうのはもったいないしなぁ。あの子は自信の無さが一番のネックだから」
うじうじと頭を抱える達樹を眺めながら、ユーゴはチューハイの素をそのままグラスに注いで、一気に飲み干した。
「あぁ、もう、めんどくせぇなぁ。放っておきゃいいじゃん。ルネと一緒なら怖くないんでしょ? 彼は。良いことなんじゃねぇの? ルネにとっても頼りにされる経験? なんか、そういうの必要なんでしょ?」
「そう。うん、そうなんだよ。あぁ~、でもなぁ~……、まさか従業員でもないエステルさんに店任せて出ちゃうとはなぁ」
「お前が、エステルを使いたかったら使えみたいな事を言うからじゃん。お前の思惑通りじゃんよ。一人分の給料で二人と一頭を使えるようにしたって事でしょお?」
「そんなケチ臭いことしないよ。オスカーに関しては、眷属だってルネが言い張るからさ、眷属を持つことの責任感を身につけさせたかっただけだし。エステルさんはお前が亜空間に戻してやらないからややこしいんだよ。仕方なく、二人の希望に沿っただけだろ?」
「俺だって、エステル嬢の希望に沿っただけだし。十年も生き別れだったんだからさ、一緒にいさせてやりたいじゃん?」
「十年……、そうか。そうだよな。会えたなら、一緒にいたいよな」
目を伏せた達樹の肩をユーゴがポンと叩く。
「これが、お前が言ってた『劇的に成長してる』ってやつなんじゃねぇの? あんま細かいこと言ってっと、嫌われるぜぇ?」
ユーゴから差し出されたグラスの酒を炭酸水で割りながら、達樹はまだため息をつく。
「しかしなぁ、社会のルールも教えてやんなきゃいけないのは事実だし……」
「わかった! こうしよう。まず、俺が出てって怒る。エステルは、今は俺の預かりだからな。ヴァンパイアの主だからって一人ぼっちにして危険にさらしていいわけじゃない。その事を怒る権利がある。そうだいのことは……特に理由はないけど、なんかついでに怒っとく。そこにお前が颯爽と現れて庇ってやればいいじゃん」
「理由も無いのに怒るなよ」
ユーゴの不器用な優しさに呆れながら、達樹は笑った。
ユーゴはいつもこの調子だ。口では『面倒くさい、つまんない、飽きた、疲れた』と文句ばかり言いながら、提案するのは自分を犠牲にすることばかり。
何十年たっても変わらない。それは達樹にとって救いだった。
「ただいま、戻りました」
二回のノックの後で、ドアの向こうから崇大の声が響く。
「ほらほら、噂をすれば」
「あぁ~! まだどうするか決めてないのに!」
「だから、俺に任せとけって、ガッツンと怒ってやっから」
ああだこうだと言い合ううちに、件の二人はリビングに入ってきた。
崇大もルネも、少々不満げな表情を浮かべている。
「こぉ~ら、この子達は! めっ! ですよぉ」
不器用極まりないユーゴの怒りは、不発に終わった。
崇大はユーゴには目もくれずに達樹に歩み寄り、ルネが冷めた目でユーゴと荒れたテーブルを交互に見ている。
ソーダイはポケットティッシュをタツキの目の前に突き出した。
「このティッシュ。このチラシじゃ、こっちの世界の人に配っても意味がありません。ティッシュ配りをするなら、こちらの言語でチラシを作り直す必要があります」
「……あ! そうか、ごめん。あんまり考えてなかった」
「この件も含めて今夜の業務報告は日報にまとめるので、店のパソコンで確認してください。デスクトップに新しいフォルダを作ってあるので、深夜営業のデータは全てそこに保存しておきます」
「あ、はい。すみません」
崇大の勢いに気圧され、達樹は思わず謝った。
「じゃあ、ルネ君、俺は事務所で日報を入力するので、ルネ君はさっき話した通りに、明日の準備をお願いします」
「わかった。荷物はどこに置く?」
「事務所に持ってきてください。二人で最終確認しましょう」
出て行こうとする二人の姿に、ようやく我に返った達樹は、慌てて声をかける。
「ちょっと、待って! 明日の準備って? 何の話?」
「もちろん、出張もときストアーの準備ですよ。昨夜の会議で決定したでしょう? 急いで準備しないといけないんで、詳細は準備が出来てからお話します。今夜、お二人は休みですが、昼営業の前に打ち合わせだけ参加していただけますか? 明日の晩は出来るだけ早く現地に行きたいので」
「あ、はい」
あっけにとられる達樹とユーゴをしり目に「ルネ君、行きましょう」と崇大はルネの背中を押した。
呆然とする達樹とユーゴの前で、ドアが閉まる。
すぐに再び開いたドアの隙間から、ルネが顔だけを突き出した。
「ユーゴ。倉庫のレイゾーコを整理して、シリアルバーを入れておいてくれ。包みを開けたから傷みやすいんだ。倉庫の床に箱ごと置いてあるから、頼むな」
「お? お、おう」
今度こそ、ドアが閉まり、二人が階段を駆け下りていく音が遠ざかる。
「タツキ……。お前、なに謝ってんだよ?」
「ユーゴこそ、指示出されてたじゃない」
「若者の勢いって、すげぇな……」




