第三十二話 キラキラもときストアー
病院の建物を出ると、外はもう日が落ちかかっていた。
店まではタクシーという車に乗った。病院の受付に頼むと、手配してくれるらしい。
操者が一人いて、客は僕たちだけ。貸し馬車みたいなものだ。
「うちの店の従業員はね、みんな二人のオーナー両方に挨拶するんだよ。元樹は実務じゃなくて資金担当だから、本当はバイトと顔合わせることなんてないんだけどね。ちゃんと、知ってて欲しいんだ。キラキラもときストアーの店名にもなってるしね」
「あの爺さんの名前から取ってたのか⁉」
「そうだよ。店名を考えるのが大変だったんだ。元樹はネーミングセンスが皆無だからさ、俺が止めなきゃ『キラキラ愛いっぱいストアー』か『みんな仲良しの園ストアー』になるところだったよ」
「いまの店名も、どうかと思うけどな」
「俺は普通に『土屋商店』にしようって言ったんだよ? でも、それだけはダメだって却下された」
また、目を伏せた。鼻を触り、そのまま唇を弄ぶ。
落ち着きなく頭を掻き、車窓からどこともなく外を眺める。
あぁ、また、少し泣きそうだ。
「ツチヤってあの爺さんの家名だろう? 普通で良いじゃないか」
「そうだよね。元樹は土屋小間物店を見たことはないんだ。それでも、土屋の屋号はあの店の物だからって、譲らなかった」
「土屋小間物店?」
「元樹の父親が、昔々やってた店の名前だよ。元樹が産まれるずっと前に無くなった店だ。そんな店の店名を大事に守る意味も無いのに」
「もう無くなってるからだろう?」
「え?」
「もう無くなってるから、守りたいんだ。名前も、記憶も、実物が無ければ儚いものだ。それでも、守らなければ、最初から何もかも無かった事になりそうじゃないか。爺さんは、土屋の名前を使うなら、無くなった店と全く同じにしたかったんじゃないのか? そうじゃなければ、名を汚すことになるか、場合によっては実体がないほうが偽物になるかもしれない」
おじい様のベルゼビュート家はもう無い。
僕が継いで、それが本当に『ベルゼビュート家』と呼べるのか? エステルは復興できると言ったが、出来たとしてもそれは僕が育ったあの家じゃない。
「ごめん。配慮が足りなかった」
ここで謝るって事は、やっぱりユーゴからベルゼビュート家の現状を聞いてるんだな。
いつから知っていたのか、もしかしたら最初から知ってたのかもしれない。
「別にいい。それで? 爺さんは『もときストアー』で納得しなかったのか?」
「そう。『キラキラストアー』もダメ。『もときストアー』もダメ。町名を付けても、縁起物の名前にしてもダメ。占い師に相談して候補を出してもらったのも全部ダメ。おかげで開店が四カ月遅れたんだ。あのセンスの悪さにも驚きだけど、信じられない頑固さだったよ。いったい、誰に似たんだか?」
タツキは、まるで昨日の事のように振り返った。ヤレヤレとばかりに溜息をつくが、こいつ自分の言動をまるで覚えていないのか?
「お前じゃないのか?」
「俺?」
「あぁ、違うか。お前が爺さんに似てんのか」
「俺と元樹が似てる?」
「お前だって、相当頑固だろう。僕と会ってから今までで、僕の意見を通したことがあったか? いつも無理やりお前のペースに持っていくじゃないか。こっちに反論させない分、爺さんより質が悪い。なんとなく顔つきも似てるしな。お前もジジイになったら、きっとあんな風になるんだ」
ん? 急に黙ったな。図星つかれて怒ったか?
ちょっと、言い過ぎたかな? いやいや、こいつのいつもの言動は目に余る。
たまにはビシッと言ってやんないと……。
「また、泣いてる⁉ なんだ? どうした? なんで泣いてんだ? 僕の言い方がきつかったか?」
「ううん。ちがう。なんでだろうな? もう、わかんないや」
大粒の涙を次々と溢れ出しながら笑ったタツキの表情は、これまで見た中で一番嬉しそうだった。




