第三十一話 もう一人のオーナー
タツキが寄りたいと言った先は、ショッピングモールほどではないが、やはり大きな白い建物だった。
だが、雰囲気がまるで違う。
出入りする人間はまばらで、音楽もなく、笑い声も聞こえない。
「なんか変な匂いがする」
「薬と消毒の匂いだよ。ここは病院だから」
「病院?」
「受付するから、手の消毒して」
消毒? 別にケガなんかしてないのに?
こんなに手がベビャベチャになるほどかけるのか。
この世界の病院はやっぱり不思議だな。
タツキは僕に付き合ってほしいと連れてきたくせに、一人でどんどん建物の中を進んでいく。僕からは、その表情が見えない。
何を考え、何を感じているんだ?
『相手が何をすれば喜ぶのか……』
頭の中で、マエダの言葉が何度も繰り返される。
「ついたよ。この部屋だ」
「何の部屋なんだ?」
「キラキラもときストアーの、もう一人のオーナーが入院してる部屋だよ。ルネを紹介したくてさ。新しい従業員だから」
「なんだ、そういう事か。なら先に言え」
「ごめん、ごめん。すっごくおじいちゃんだからさ。あまりビックリしないで。ちょっと話が通じない時もあるけど、受け答えは出来るから」
タツキはドアを開け、中の人物に向かって大きな声で「来たよ」と声をかけた。
真っ白い布団の上に、そのジジイは座っている。
シミと皺にまみれた乾燥した白い肌。筋と血管と骨が浮かび上がった細い腕。
いくつかの管が体から伸びて、ベッドの横の器具に繋がっていた。
「おぉ! 来たか、来たか。待ってたよぉ」
ジジイはまるで小さな子どものように、タツキに手を伸ばした。
「ちょっと忙しくてね。今日は、新しい従業員を連れてきたんだよ」
タツキはいちいち大声でジジイの耳元に話しかけた。
その傍ら、僕に手招きをする。
「ルネ、こちらがもう一人のオーナー、土屋元樹さんだよ。耳が悪いから、なるべく大きな声でしゃべってあげて」
そうは言われても、何をしゃべったもんか……。
「おぉ、おぉ。舶来さんだ。僕のお店もグローバルになったもんだ」
「ルネ君って言うんだよ」
「そうか、そうか。ドネ君かい」
誰がドネだ。
「ルネだ」
「ん? ウネ? 稲か?」
「ル・ネ・だ!」
「そうか、そうか。舶来のな、海の向こうからなぁ。よぉく、こんな遠くまで来てくれた。ありがとうなぁ」
「え? あ、あぁ」
なんか調子が狂う爺さんだな。
僕の手を両手で握って額に押し当てる姿なんて、リヴェルタリスのマギクレードがやるみたいだ。あれ、ちょっと苦手なのに。
タツキは僕と爺さんを眺めながら、買ってきた花束を花瓶に生けている。
「お店の仕事は、もう慣れたのかな?」
「あぁ、……いや、まだ修行中で」
「うん? なんだって?」
あぁ、そうか。大声……。
「まだ! 修行中!」
「そうか、そうか。頑張ってね。どんなことがあってもくじけちゃ駄目ですよ? 仕事はね、頑張ってたら、どんどん楽しくなるから。それまで踏ん張ればいいんです」
「わかった」
「ん~?」
あぁ、もう!
「わぁかったぁ‼」
「そうか、そうか」
この爺さん、まさかわざと聞こえないふりしてるんじゃないだろうな?
「ルネは、優秀なんだよ。一生懸命、頑張ってる」
タツキはそう言いながら、爺さんのすぐ横に椅子を置いて座った。
慣れた手つきで爺さんのニットの帽子を取り、頭を拭いて、帽子をかぶせ直す。
「そうか、そうか。優秀なのは良いことだよ。僕もねぇ、たっちゃんも、みぃんな優秀なんだから。いっぱい頑張るからね、みんな優秀なんですよ。男はね優秀じゃなくちゃ駄目ですよ。じゃないとね、奥さんが不幸だからね。男はいっぱいいっぱい頑張らなきゃいけないんです。奥さんをね、笑顔にするのが男の仕事だからね。だから、男は仕事もね、家の事も、子どもを育てるのも、全部いっぱい頑張るんですよ。そしたら奥さんが笑ってくれるでしょ? 奥さんが笑ってくれたらね、男はもっともっと頑張れるんです。僕の奥さんは、そりゃあよく笑ってましたよ。僕の母もね、ずーっと笑ってました。僕の父はね、そりゃあ働き者でね、なんでもしたんですよ。昼も夜も働いてね。ご飯も作ってくれたし、掃除もした。勉強もよく見てくれましたよ。だからね、父はすごく優秀なんですよ。そういう男にならなきゃいけません。男が頑張らないとね、奥さんが不幸なんですよ。奥さんを笑顔にするのが、男の仕事なんだからね……」
あれ? なんか話がループしてないか?
「タツキ、この話って、いつか終わるのか? ……タツキ?」
能力なんて必要ない。
タツキはもう、感情を抑えることが出来なくなっていた。
両手で顔を覆い、涙を指の間から落とし、嗚咽を上げながら肩を震わせる。
そんな様子を、真横にいながら、爺さんは気が付いていないのか。
ずっと同じ話を繰り返し、しばらくすると疲れたのか、パッタリと黙り込んだ。
真っ白い部屋で、タツキがすすり泣く声だけが響く。
あぁ、そうか。この爺さんは、もうすぐ死ぬんだ。
おじい様が亡くなる数週間前、執事が一人でこんな風に感情を溢れさせている所を見た。
あの時は、いつも感情なんか見せない冷静沈着な執事が取り乱す姿に、ただただショックを受けるだけで、その涙の意味もよく理解できていなかった。
執事はたった一人で、主が死に向かう恐怖を抱え、主を亡くした喪失感を抱え、そのまま自らも死んでしまった。
あの時、僕がもう少し大人だったら、彼に何が出来ただろう?
僕は震えるタツキの頭を撫でながら、おじい様が亡くなった時を思い返していた。
おじい様が亡くなったのは、僕がドラクール領の惨状を確認しに行っている最中で、屋敷に帰るとトリスタン達が家探しをしていて、おじい様の亡骸は執事がトリスタン達に見つからないように隠した後だった。
正直、泣く余裕はなかったし、実感が無いのも事実だ。
身内が死ぬというのは、こんな風に悲しむべきものなんだろうか?
僕は泣かなかった。それが強さじゃないことくらいわかってる。
僕は、死を悼むことも、誰かを愛することも、うまく出来ない。
タツキの頭を撫で、肩を抱き寄せた。
僕がもっと大人だったら、かける言葉が思いつくんだろうか?
タツキは僕の背中にしがみつきながら、声を上げて泣いた。
「たっちゃんはね、寂しがりでねぇ。泣き虫だから。よろしく頼みます」
状況がわかっているのか、いないのか、爺さんはそう言って、わずかに頭を下げた。
「落ち着いたか?」
部屋を出て少し歩いた頃には、タツキの嗚咽は小さく鼻をすするくらいに治まっていた。
「うん。ありがとう。ごめんね、取り乱して」
「別に、変な話を語りだすより、ずっと良い」
「そっか、そうだよね。……なにも聞かないんだな。いつもは『何でだ? なんなんだ?』って、すごく聞いてくるのに」
鼻をすすりながら、瞼が腫れてる様子はない。
また、何事もないふりをして笑うんだろう。
何か聞いて欲しいのなら聞いてやらんでもないが、どうせ聞いたところでまともに答える気は無いんだろうし。
「お前の事は、もう理解した。どうせまたパンツがずれてるんだろう?」
「……。うん、そう」
なんだ。ちゃんと笑えるんじゃないか。




