第二話 床掃除
ここが異世界だという事はわかった。だが、なぜ僕は掃除をさせられているんだ?
長帚を手に、棚と棚の間の通路を行ったり来たり。屈辱だ。掃除なんて使用人がやることじゃないか。なんで、僕がこんな目に……。
あの後、僕は本当に建物を追い出された。
この世界は空気からして異様だ。肌にまとわりつくような重たい湿気を含んだ風。遠く響くゴーっという異音。
白い柵はどこまでも続き、終わりがないように見える。柵の向こう遥か山のすそ野に、巨大な建造物がいくつも連なっている。
あの男が言うように、ここをどう歩いたところで元の場所へは戻れないのだろう。
あの話が本当だとすると、建物の中にいれば夜には元の世界へ帰れる。
「夜まで、この中でじっとしてりゃあいいんじゃないか」
僕はジムショとやらに戻ろうとしたが、ドアが開かない。
ドアノブの回し方が違うのか? ったく、異世界ってのは何もかもが厄介だな。
「おい! 開けてくれ! 中に入れない」
男はドアの向こうから「無理です」と返事をした。
「無理? なんでだよ? お前の世界のドアなんだから、お前が開けられるんだろう?」
「ここは、従業員専用なんです。医務室がないんで、体調不良のお客さんや警察待ちの万引き犯を一時的に通しますけど、基本は部外者厳禁なんですよ」
「じゃあ、僕はどこに行きゃいいんだ? 外にいても元の世界に戻れるんなら、ここでも構わんが、どうなんだ?」
ガチャ
ドアが開いた。
だが、男は自分の顔を出す隙間分だけしか扉を開かない。
そして、にょっきり顔面だけ露出させるな。気色悪い。
「外でのたむろも禁止です。警察呼びますよ?」
「昨夜、肉を食った場所は?」
「イートインスペースの利用は購入者のみです。滞在時間は二時間まででお願いしてます」
「じゃあ、どうしろってんだよ! 故意じゃなくても、お前の店のせいで僕はこんなとこに連れてこられたんだ。責任もって元の世界に帰らせろ!」
「部外者じゃなかったら、入って大丈夫です」
―……、実にバカバカしい。
元の世界に戻るためにはこの店の中にいなくてはならなくて、そのために僕はあの男に雇われたってわけだ。
くそっ! 僕が何をしたってんだ!
あの時、匂いにつられて近寄ったりしなければ、とっくにハキューネに着いてた!
……いや、あの時の空腹はもう限界を超えてた。倒れたのも、毒を盛られたわけじゃなく空腹が原因だろう。
ここに入らなくても、きっと倒れた。
そうなりゃ魔獣の餌食。ハキューネに辿り着けずに野たれ死んでた。
「なんだかんだ、助けられたな」
まあ、無事に元の世界に戻れたらの話だ。
「そういや、ぐっすり寝たとしても、やけに体調がいいな。あの肉みたいなものは一口しか食ってないはずだが」
「掃除は終わった?」
男がひょっこりと顔を出す。
こいつ、僕がしかたなく雇われただけだってのに、タメ語に切り替えやがった。
「とっくに、終わってるよ」
じっとりと床を見渡して「掃除、初めて?」と一言。
「あぁ、そうだよ。掃除なんて、下男の仕事じゃないか。箒なんて初めて持った」
「お前……、ボンボンなんだなぁ」
「『お前』じゃない。ルネだ。ボンボンってなんだ? お前の言うことはよくわからん。もっとわかりやすく話せよ」
あぁ、もう。本当にイライラする。ここが異世界じゃなきゃ、こんな奴ぶっ殺してとっとと出ていくのに。
「ルネ……、ルネか。そういえば自己紹介してなかった。俺は熊楠達樹。タツキでいいよ」
「タツキ? 変な名前だな」
「オーナーでもいいけど」
「オーナーってなんだよ?」
「う~ん、……ご主人様かな?」
「断る」
まったく、本当に面倒だ。こいつ、勝手に異世界に連れてきた上に、無理やり僕を雇った挙句、なんだかちょっと懐いてきている。
実に気持ちが悪い。
「もう、いいだろう? 夜まで時間つぶしてるから、ジムショ使わせろよ」
だが、タツキは僕の前に立ちはだかった。手を大きく広げ、通行を妨げる。
「掃除、教えてあげるよ。箒かして」
「はぁ? いいよ。掃除なんて、もう終わっただろ?」
っくそお、めんどくさいな。
「いいから」と。タツキは僕の手から箒をひったくった。
「こうして、棚の下に毛先を差し込んでゴミをかき出す。見えないところからゴミを出してまとめたら、塵取りにとる。塵取りにすくえなかった分は、塵取りを少し後ろに引いて、もう一回箒で塵取りに移す。これを何度か繰り返して、それでも取り切れなかった分は紙に包んで手で掬い取ったり、ガムテープで張り付けてとる。取れたゴミは可燃ごみ、あの火のマークが描いてあるゴミ箱に入れる。ルネのさっきのやり方は、ゴミを棚下に隠してるだけで、全然きれいにできてない」
はぁ。
掃除なんて別にどうでもいい。たいして汚れてないじゃないか。
「ちなみに、掃除がうまい男はモテる」
「は? 掃除なんて出来たってなんにもならないだろ? なんでモテにつながるんだよ」
「まず、掃除ってのは順序だてて作業しないといつまでたっても終わらない。合理性が求められるんだ。物事を合理的に考えて行動できる奴ってのは、デートプランを考えるのがうまい。小さな埃や汚れを見落とさない視野は女性の小さな変化にも気が付ける。一度掃除すれば完了ってわけじゃないのもポイントだ。いくら掃除しても何度も何度も埃は溜まるし汚れてしまう。忍耐力が必要なんだ。忍耐力ってのは懐の深さとイコールだから、女性からは頼りがいがあると見える」
「……で? あんたはモテてんのか?」
「タツキ」
「……。タツキがモテてる様には見えないんだが?」
「そうだなぁ。俺はモテないなぁ~」
なんで嬉しそうなんだ。
「証明されてないじゃないか」
「ルネは女の子にモテたいんだ?」
「はぁ⁉ どうでもいいし! 女とか興味ないし!」
「じゃあ、実証されてなくてもよくない?」
んぐぐぐぐう……。
「掃除できるとモテるってのはさ、昔ちょっと知り合った元ホストの人から教えてもらったんだよ。ホストにとって店の掃除って新人の仕事らしいんだ。誰もやりたくない地味な仕事。掃除したくなければ売上を上げろって事。でも、その人は売上を取れるようになるまで、やりたくない仕事は続けられないって思った。それで、やりたくない仕事をモテるための修行だと思うことにしたんだって。モテるってホストにとって重要なスキルだから」
「それで、そいつはモテたの?」
「俺が知り合った頃にはもうホストも辞めてご結婚されてたし、お子さんもいたし。家族で公園に行った話を嬉しそうに話してくれたから、それがモテたって事なんじゃないかな?」
吹雪の日の話をしてた時とはまるで印象が違うな。『嬉しそうに話してくれた』って、嬉しそうに話してんのはお前だろう。
あの時はまるで墓地で死の呪いを叫ぶリッチみたいだったぞ。二重人格か?
「まぁ、なんでもいいけど」
僕には本当にモテも掃除も関係ないし。
「おはようございます」
僕が伸びをしたタイミングで入ってきたのは、白髪交じりの背が低い爺さんだった。
「おはようございます」
タツキが応えると、爺さんは慣れた様子で店の奥へ入っていく。
僕のほうをチラッと横目で見て軽く会釈をした。
「あいつも異世界人か?」
「ここではルネのほうが異世界人だよ」
いちいち見下したような物言いがムカつくな、こいつ。
「あの人は前田さん。このキラキラもときストアーの店長だよ」
「店長? じゃあ、あいつがここで一番偉いのか」
「何をもって偉いとするかは置いといて、一番の責任者って意味なら前田さんじゃなくて俺ね。前田さんには日中の店舗の運営と他のスタッフの指導を任せてる。ちょっと待ってて、裏で話してくるから」
タツキが責任者……。商人の業界はよくわからんな。
少しすると、マエダとタツキは同じ緑の前掛けを付けて戻ってきた。
「熊楠さん、引継ぎはありますか?」
そうタツキに話しかけながらも僕の顔を興味深そうに見つめてくる。
「この子はルネ君。新しいアルバイトです。今日が初日で、いまフロア掃除の仕方を教えたところなんで、この後はトレーニングシートに沿って作業を教えてあげてください。外国人なので知らないことが多いですけど、会話は問題なくできますから」
「わかりました。ルネ君、前田です。よろしくね」
マエダはゆっくりと僕に笑いかけた。タツキよりもよっぽど真人間に見えるが、なぜこっちが責任者じゃないんだろう?
「こら、挨拶!」
「僕は夜には自分の世界に帰るんだ。お前の世話にはならん」
「……? 熊楠さん?」
「あぁ~、この子ちょっと厨二病で! 若いから生意気ばっかり言いますけど、根は悪い子じゃないんで!」
口を押えるな! チューニビョーってなんだ? なんだかわからんが、馬鹿にされてるのはなんとなくわかるぞ?
「あぁ、ルネ君! ちょっと一緒に事務所へ行こう!」
そういうと、タツキは僕の背を押してジムショに押し込んだ。
「やっと自由か。じゃあ、夜まで寝てるから」
「違う」
ベッドに腰かけた僕の背後に滑り込み、タツキはその顔面を僕の顔に近づけた。
またリッチバージョンか。
本当に情緒どうなってんだよ、こいつ。
「ルネはしっかり栄養とってタップリ六時間寝ただろう? その間、俺が何してたと思う。一緒に寝てたと思う? そんなわけないよねぇ。だって、店は営業中で、他に店員はいないんだからさ、俺が寝るわけにはいかないよねぇ?」
「あぁ~、要するにタツキが寝たいって事か」
「そう! 俺ね、いま寝ないと寝る時間ないの! このまま日中起きてたら、また夜になっちゃうでしょ? そしたらまた俺のシフト始まっちゃうんだよ! ねぇ、知ってる? 明けない夜もないんだけど、沈まない太陽もないんだよ?」
「わかった、わかった。じゃあ、タツキがベッドで寝たらいい。僕はそこの椅子にでも座ってるから」
……。
しがみつくのをよせ。立てないじゃないか。
本当にこいつはこのバージョンになると行動が魔物っぽいな。
「ルネは栄養も睡眠も足りてるんだから、もう休息は必要ないんだよ」
「そういえば、あんなに腹が減ってたのに今は何ともない。タツキが食わせたあの肉って特別な回復アイテムか何かなのか?」
一瞬、何かを思い出したのか、タツキは表情を魔物から人へ戻した。
「いや、あれはただの揚げ鶏。貧血を起こしてたみたいだから、寝てる間に鉄分サプリを口に突っ込んで水で流し込もうとしたんだよね。でも、咽て死にそうになったから代わりに栄養補給のゼリー飲料を咥えさせた」
え? 何こいつ、僕のこと一回殺そうとしたの?
「寝ながらチューチュー吸ってるのが滑稽……可愛かったら、一本なくなったらもう一
本って感じで六本飲ませたかな? おいしそうだったよ」
にやにやしながら顔をよせるんじゃない。
ってか、滑稽ってなんだ⁉ 面白がってんじゃないか!
しかし、それが本当ならそのゼリーインリョーとやらが気になるな。まさか異世界に僕の空腹を満たせる食べ物が存在するなんて。
「そのゼリーインリョーってのは、何でできてるんだ?」
「さぁ? 原材料なんて考えたこともなかったな。ゼリーだからゼラチン? あと鉄分、マルチビタミン、ブドウ糖、タウリンとカフェインが入ってるのもあったな」
ダメだ。何を言ってるのかさっぱりわからん。異世界の食材なのか?
「とにかく! 俺は寝るけど、ルネは仕事! 一日だけかもしれないけど、自分の意志とは違うかもしれないけど、飲み食いした分は働いて返してもらう。前田さんや他のバイトの人たちはこの店がルネの世界と繋がるって事は知らないから、ルネはこの世界の人間のふりをしてろ。そのほうが面倒じゃない」
「わかった」
「素直だな」
素直にもなるさ。こいつは理解できてないが、僕の空腹を満たせる食べ物なんて元の世界にあれば、種族間のパワーバランスを揺るがすほどの価値があるんだ。
何としても、そのゼリーインリョーとやらの秘密を探ってやる。




