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第一話 異世界へようこそ

 

 腹が減った……。

 もう三日も飯らしい飯を食ってない。

 昨夜は沢で大きめのカエルを見つけたが、それも倒れずに済む程度だ。まるで足りない。

 早く次の獲物を見つけなくては……。


「なんだ? これは……」

 空腹すぎて幻覚でも見えているのか? 

 深夜の山中にもかかわらず煌々と光る建物。

 イルミネイトの魔方陣でもここまで明るく長時間照らし続けるには、相当の魔力量と技術が必要だ。この付近でそんなことができるとすれば、テンテラ聖教会くらいだが、しかしどこにも紋章が無い。

 タイルと巨大なガラスの壁に囲まれた建物は火の見櫓ほども高さがあり、正面には奇妙な模様が描かれた光る板が掲げられている。

 曇りのないガラスの向こうには、いくつもの棚に整然と並べられた奇妙な物品。

 強力な光魔法に、高級品のガラスを惜しげもなく使った建物。中に並んでいる物がなんなのかわからないが、ここの主が只者でないことは容易に想像がつく。

―しかし、……いい匂いがするな。

 油と何かの香辛料、それに肉の匂い。


 ピロリロリラーン♪


 なんだ⁉ 何の音だ? うわっ、壁が動いた! 

「いらっしゃいませ」

 のっそりと細身の男が顔を出す。

 しまった、匂いにつられて近づきすぎたか。

 っくそ、どうやって逃げる? 

 武装はしていないが奇妙な格好をしている。

 黒い襟なしのシャツに紺のズボン。緑色の前掛けには……何か文字のようなものが書いてあるな。防御術式でも付与してあるのか? 

 見たところ兵士でも神官でもなさそうだが、この建物の関係者には違いない。

 聖教会に突き出されでもしたら……。


 んぐぅぅっぅ~きゅるるるるるぅぅぅ


 なんで、このタイミングで腹が鳴るんだ! 

 くそっ、もうお終いだ……。

「お腹すいてますよね? いま、チキンが揚げたてなんですよ。よかったらいかがですか?」

 男は動いた壁を抑え、僕を中へと促した。

「そこの本棚の裏がイートインスペース……あぁ~休憩所なんで、座っててください。いまチキン持ってきますから」

 休憩所? 休憩所なのか? この建物が? 

 金属製のカウンターに金属製の椅子。棚もすべて金属製だ。

 それにしてもまぶしい。中はまるで昼間じゃないか。


「どうぞ、熱いから気を付けてくださいね」

 男が差し出したのは紙の袋に収められた肉のようだった。

 さっきの匂いはこれか……。

 袋の上からでも熱が伝わってくる。端をつまむように持たないと火傷しそうだ。

 ……しかし、食えるのか? これは。食っていいものなのか?

 匂いはうまそうだが、見たことがない。

 淡いオレンジ色のカリカリとした何かだ。肉の匂いだと思ったが、肉ではないのか? 表面の細かい黒いのは香辛料か。

 熱い。これ自体も得たいが知れないが、この建物、あの男、怪しすぎる。熱い。怪しい。いい匂いだ。ここは何なんだ? 熱い。あの男は何者だ? いい匂いだ。熱い。いい匂い。熱い。うまそう……。あぁ、腹が減った。

 あぁぁ! もう、どうとでもなれ!


 ガブッ!


「うわっちぃいぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!」

 カリカリに噛り付いた瞬間、中から灼熱の汁が僕の口内に降り注いだ。

 やはり罠だったか! 唇と舌先がヒリヒリする。

「あぁ~、だから気を付けてって言ったのに。お水どうぞ」

 男が差し出したのは、薄いガラスのコップに入った一杯の水。……? ガラス? いやに軽いな。なんだこれ? 持つと柔らかくぷにぷにと凹むぞ? 

「あんまり押すと溢れますよ?」

 男が僕の手元を覗き込む。まさか、これも罠か?

 匂いは……、問題なさそうだが……。少し舐めてみるか。

 ……これはただの水みたいだな。とりあえず、大丈夫か。

 いや……、これは? 

 視界がぼやける。体を支えていられない。

 ……毒か?

 そうか、……僕はここで……死ぬ……の……か……



「あぁ、良かった。目が覚めたみたいですね」

 知らない部屋の知らないベッドの上で目が覚めると、……あぁ夢じゃなかった。

 あの奇妙な男が僕の隣に座っている。

 真っ白い壁。光を放つ棒が埋め込まれた天井。

「ここが死後の世界ってやつか……」

「え? 違いますよ?」

「え? 違うの?」

「はい。ここはキラキラもときストアーです」

「キラキラ……? え?」

「コンビニです」

「こん……。は?」

「ま、コンビニっていうか、何でも屋? 昔なら万事屋(よろずや)とか言ったんですが、田舎によくある『何屋かわからない系』の商店ですよ」

 男は何やら小さな板を眺めながら、まるで独り言のように言った。

「商店……という事は、ここは店なのか?」

「はい。……あ、この部屋は事務所ですけど。お客さん、倒れて寝ちゃってたんで、移動しました。あっちなら救急車呼ぶんですけどね、こっちの世界はそんなの無いですから。見たところ貧血みたいだったんで、水分補給させて、そのまま寝かしときました。大丈夫ですか? 体の具合は」

「大丈夫かって! お前っが……」

 くそ、頭がグワングワンする。

「あぁ、まだゆっくりしてたほうがいいですよ。顔色よくないし」

「お前が毒を盛ったんじゃないのか?」

「俺が見ず知らずのお客さん相手に毒を飲ませて何の得があるんですか?」

「監禁して身代金を要求するとか?」

「あなたの家の連絡先は知りませんよ。教えてくれるんですか?」

「……教えるわけないだろう」

「じゃあ、身代金取れないじゃないですか」

「それなら、身ぐるみ剥いで売り飛ばすとか!」

「身ぐるみって、その汚れた服と底が剝がれた靴と小さなウエストポーチだけですよね? とても売れるとは……、フフッ」

 おい、いま笑ったか?

「皮を剥いで売る奴だっているじゃないか」

「そういうのって、もっと肌が綺麗な相手にするやつじゃないんですか? おでこ、吹き出物出来てますよ? あと俺、血とかダメなんで。生皮剥ぐとか無理です」

「慰み者にするとか!」

「なりたいんですか?」

「んなわけあるかぁ!」

「ですよね~。俺もお断りです」

 なんだこいつ、さっきから全然こっち向かないし。調子狂うな。


「あ、そういえば。チキンの代金なんですけど、二百五十リビーお願いします」

 はぁ⁉ 

「あれ、金とんの⁉」

「そりゃあ、商品ですから。あ、水はサービスなんで大丈夫です」

 男はようやく手元の板から顔を上げて僕のほうに向きなおった。

「金……」

 懐の財布には五リビー硬貨が一枚と、ここに来る途中に空き巣で入った家からちょろまかしてきた音声転移の指輪が一対。これが僕の全財産だ。二百五十リビーなんてとても……。

 ん? 二百五十リビー? 

「二百五十って高くないか? あれが何かは知らないが、同じような大きさの蒸し肉なら八十リビー。ファルナートにしても百二十~百三十くらいだろう?」

「そうなんですか?」

「……いや、そうなんですかって……」

「じゃあ、八十リビーでいいです」

「え? いいの?」

「だって、それが相場なんでしょう?」

 なんなんだよ? ぼったくりたいのかと思ったけど、違うのか?

 男は金属製の筒のようなもので何かを飲みながら、少々煩わし気にため息をついた。

「正規の値段は二百五十リビーだけど、それも向こうの価格だし。向こうでも三十円値上げして、いまだに桜井の婆さんがチクチク言ってくるしなぁ。仕入れ値が上がってんだからしょうがないでしょ。いつまで平成ひきずってるんだか。……しかし、八十円かぁ。昭和価格じゃん。大赤字だなぁ」

「え? 何の話?」

「あぁ、こっちの話です。あ、いや、あっちの話か」

 何を言ってるのか、さっぱりわからん。

 しかし、八十リビーに下がったところで、僕には五リビーしかない……。

 音声転移の指輪……これが本物なら八十どころじゃない。数千万から数億。偽物だとしても魔石と地金でどんなに安く見積もっても数十万にはなる。

「いまは、手持ちがないんだが……」

「無い? もしかして無銭飲食?」

 男は、僕の両手首を押さえつけ、鼻と鼻がくっつくほどに顔を近づけてきた。

 ただの人間だと思ったが、意外と力があるな。

「まて。落ち着け。あてはある。数日待ってくれればちゃんと払える。元の額の二百五十リビーきっちり払うと約束しよう」

 もう半日も歩けばハキューネにつく。

 あそこなら懇意の商人がいるから指輪を担保にいくらか貸してくれるだろうし、うまくいけば鑑定士を紹介してもらえるはずだ。


「無理です」

「は? いやいや、ちょっと待ってくれればすぐに払うから」

「ダメです」

「逃げるわけじゃない。本当にアテがあるんだ! 一日、二日で戻るから」

「そんなにかかるなら、なおさら無理です」

「しょうがないだろう⁉ こんなところじゃ人里に降りるだけで半日かかるんだから! 疑うならお前もついてきたらいい」

「お客さん」

 男は僕のベッドに身を乗り出してきた。

 近い、近い! 息がかかるじゃないか、気持ち悪い!

「うちの店はね、令和のコンビニには珍しいキャッシュオンリーのレジスターで、やってんですよ。そのおかげなのか、なぜなのか知りませんが、こっちの金もレジに入れるとあら不思議、あっちの通貨に変換されるんです。逆に、あっちの通貨もレジから出せばこっちの通貨に早変わり。しかも、レートは一対一。よくできてるでしょう?」

「……え? なんの話?」

「本来こっちの世界の人には売れないはずのものを、問題なく買ってもらえる状態で営業してるってことです。通貨も相場価格もこっちの世界に合わせた。買えない道理はないはずです。あと、大事なことを一つ。うち、信用取引はやってないんですよ」

「あっちとか、こっちとか……。あんた、さっきから何言って……」

「だから!」

 さらに近づくな! くっついちゃうだろうが! こっちは壁があって逃げられないんだぞ?

「店を開けてる以上、俺は店を離れません。だから、あなたも代金を支払わない限り一分でも一秒でも店を離れることは許しません。普通は逃げたらカラーボールからの警察通報だけど、こっちじゃ警察も呼べないんで、絶対に逃がしません」

 怖い怖い! 目がやばい! あと、ほんっとうに顔近いぃ~。


「こんな話を知っていますか? それは吹雪の夜でした……」

 は? え? なに? 何の話? 何を語りだしたの?

「四十代くらいの父親と小さな子供が店にやってきました。二人は凍えながらカウンターの前に立ち、父親が店員にこう言いました。『肉まんを一つ』それを聞いた子供が『ふたっつじゃないの?』と声を上げます。父親は『二人で半分こしよう。お金がないんだ』と子供に言い聞かせました。子供は言います『足りないよ。お腹へったよ。一個食べたいよ』その言葉に合わせるように鳴ったのは父親の腹の音でした。『仕方ないんだ。一個分しかお金がないんだ』父親は悔しそうな顔を子供から背けてうつむきました。子供は父親の姿に何かを悟ったのか『わかったよ。ぼく、半分で大丈夫』と言い、『肉まん大好き! うれしいな』と強がって笑いました」

「それは……仕方ないが、かわいそうなことだな」

「それを見ていた店員は!……」

 まだ続くのかよ⁉

「店員はレジを操作して、肉まん一つ分の金を受け取りました。けれど、何も言わず紙袋に肉まんを二ついれて父親に手渡しました。袋の重みに気づいた父親は中を覗き込み店員に『これは?』と聞きました。店員はレジから顔を上げず『雪の日サービスです』とだけ言いました」

「良い店員じゃないか。情けがあって、いい話だ」

 なんでこんな話が始まったのかサッパリわからんが。

「しかぁしぃ!」

 なんで、まだ続くんだぁ~!

「二つの肉まんが入った紙袋を手に店を出る親子の姿を、窓を拭きながら静かに見守っていた店員。その目に映ったのは、スタッドレスタイヤを穿いた高級外車に乗りこみ快適な車内で肉まんを頬ばる父と子。そして、雪に埋もれた自らの錆びたママチャリだったのです!」

 言い切った男の目には涙が浮かんでいた。


 なんなんだろう? この物語は……?

「その時、店員は心に決めたのです。もうけして他人に情けはかけないと!」

 えぇ~? 涙流して熱弁すんなよぉ~。

「いや、泣くなよ。まず高級ガイシャ? ママチャリ? ―ってのはよくわかんないけど、まぁ、要するに情けかけてやった相手のほうが良いものを持ってたって話か? そんなのは、ほら、あれだよ。誰かから借りたものかもしれないし、使用人が主の物を持たされてるとか。よくあるだろう? きっとそういうのだよ」

「……親子の車が店を離れてしばらくした頃、『うちのレジはコンビニのくせにキャッシュオンリー』それを思い出した店員は四キロ先にある焼き肉屋で働く友人にメールを送りました。黒のナビゲーターに乗った親子は来店しているか? と」

「……それで?」

「三時間後、友人は休憩時間に返事をくれました。親子はその店で一番高い国産黒毛和牛をたたらふく食い、アメックスブラックで会計して帰っていったそうです。子供は『途中で肉まん食べなかったら、もっとお肉を食べられたのに』と不満を漏らしていたと、友人は語っておりました……」

「えぇ~っと……、うん。まぁ、っそっか」

「だあかぁらぁ~っ!」

 うわっ! いきなり叫ぶな! 

 情緒どうなってんだ!

「俺はけして、情けはかけない。たとえ、あなたが貧血起こして倒れるほどに腹を減らしていたとしても、絶対にタダで商品はやらない」

「あぁ、この話そこに行きつくのね」


 ガッシ!


 男は僕の頭を鷲掴みにして、睨みつける。

 だから! 顔が近いんだよ! 目が……目玉がくっつくじゃないかぁ~!

「金を払うまで、この店から一歩でも出られると思わないでください」

「わかった! わかったから! とにかく離して!」

 ようやく男は元居た椅子に座りなおした。……が、その鈍いんだか、鋭いんだかわからんドンヨリとした眼光はじっとりと僕に張り付いている。


 ん? 待てよ? 

「おい、そもそもの話をしていいか?」

「……? なんですか?」

「僕はこの建物の表から中を伺っていただけだ。お前に対して何かを要求はしていない。お前が中へ入るように促して、お前が食い物と水を差しだした。それが商品である旨の説明や金額の提示は一切なかった。これは売買契約として成立していない!」

「……!」

 よし、ショックを受けている。

 知人の商人が酒の席で語っていた商いのイロハが、こんなところで役立つとはな。

 言い返されたらやっかいだ(またよくわからん話が長引きそうだし)。

 もう一押ししておくか。

「金額の提示なく一方的に品物を提供し、相場より高額な請求をする。これはほとんどの商人ギルドが禁止している悪徳商法という奴じゃないのか? しかも、他人を不当に監禁したとなれば治安維持法違反だ」

「それは……」

 男は力なくうつむき、独り言のように何やらつぶやき始めた。

 よしよし。うまくいった。

 この位置は無主地だから法の効力なんて届かないはずだが、これだけの魔術式を割り当てられた建物の関係者だ。どこかの国から派遣された有力者には違いない。

 そう奴は法や権力に弱いからな。


 男はこめかみを抑えながら、うめくように独り言を続けた。

「言われてみれば、確かに。二キロ先に新道ができてから、近所のジジババくらいしか客が来なかったから。つい、いつものノリで先に食い物を出してしまっていた。老害三銃士が週四で居酒屋代わりに飲み食いしに来るから、すっかり馴染んでしまってたけど、そうだ、そもそもコンビニは飲食店じゃないから席に案内して食い物を持ってくるなんてしなくていいはずだったんだ! あぁ~、すっかり忘れてたぁ~」

「じゃあ、もう支払いの件はチャラでいいんだな?」

「……。そうですね。失礼しました」

 その時、


 ピピピピッ ピピピピッ


 小鳥の鳴き声のような小さな音が鳴り、男はまた小さな板に目を落として「あッ」と声を漏らした。

 今度はなんだ?

 全くもって不可解だ。

「じゃあ、帰らせてもらうぞ? もうここにいる必要はないからな」

 あわよくば金目の物をいただいていこうかと思ったが、こんな挙動のおかしな奴とこれ以上関わるのはごめんだ。とっとと、ずらかって……。


「それは無理です」

「なんでだ! もう支払いはしなくていいんだろう? じゃあ、僕をここに閉じ込めておく意味はないじゃないか!」

 男は立ち上がると、壁にかかっていたカーテンを開いた。外壁と同じ大きなガラスの窓の向こうに、見慣れない柱や大きな光る箱が立っているのがわかる。

 おかしい。この建物の外はただの山林だった。あんなものは無かったはずだ。

「お客さん、ずいぶんグッスリ寝てたんでね、夜が明けっちゃったんですよ。この店は二十四時間営業。夜の二十二時から朝の八時まではあなたたちの世界、それ以外は俺の世界に存在するんです」

 そういうと、男は窓の隣のドアを開けた。

「出てもいいですよ。でも、ここはもうあなたの世界じゃない。どんなに歩いてもあなたは元の場所へは帰れません」


 恐る恐る、僕はベッドから立ち上がり、ドアに向かって歩いた。

 金属製のツルツルしたドア。

 その向こうに、踏み出さなくてもわかる。光る大きな箱も、真っ白い柵も、模様が描かれた黒い地面も。

 ……あぁ、そうか。この建物は、この世界の技術で作られているんだ。


 僕は、異世界に踏み込んだんだ。

 


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