第十七話 ティッシュ配り
昨夜は酒盛りで終わり、今日の午後から取り組んだ寮の掃除もひと段落した。
ようやく本格的に深夜営業を始めることにはなったが、待てど暮らせど客は来ないわけで、その誰も来ない店をソーダイとユーゴ、エステルに任せて、僕とタツキはハキューネに向かっている。
「関所は封鎖されてるって話だったのに、お前のやりたいことってなんなんだ?」
「関所が封鎖されたばかりの『今』だからだよ。封鎖されてることを知らずに来た人たちが、ハキューネに入れずに立ち往生しているはずだろう?」
「だから?」
「人がいるという事は、客がいるって事だ。店が知られてないから人が来ないんだ。宣伝すればきっと来てくれる!」
なるほどね。
「それで、僕は何をすればいいって?」
「これ、これ!」
タツキは背中に背負った大きなカバンをバンバン叩いた。
「そう言えば、このやたら軽いのにでかい荷物はなんなんだ?」
「これは日本の広報術『ティッシュ配り』用のポケットティッシュだよ」
「ポケットはわかる。ティッシュの説明から始めろ」
「ティッシュは薄くて柔らかい紙の事。鼻水をかんだり、汗を拭いたり、ちょっと汚い話だけど便所で用を足したときに尻を拭いたりと、主に衛生管理に使う。ポケットティッシュは、それを携帯しやすいように小さくたたんでパック詰めにしたものだよ。こっちの世界で言うと、懐紙や綿布みたいなものかな? ティッシュ配りっていうのは、そのポケットティッシュのパックにお店の宣伝チラシを挟み込んで、無料で配ること」
「そんな高級品を無料で配るのか⁉ しかも、こんなに大量に⁉ そんな事をしてるから、店が赤字なんだろうが! 売れよ‼」
「これは、あっちの世界では安価な日用品なんだよ。こっちの世界とは価値基準が違うの」
「それにしても、無料って……」
「俺たちの世界ではね『損して得とれ』って言葉があるんだ。最初は損に見えても、これが大きな利益を運んでくることになるんだよ」
ずいぶんと自信ありげだが……。
こんなの本当にうまくいくのか?
「ほら! やっぱり関所前に人だかりが出来てる!」
たしかに人は、たくさんいるな。
関所の衛兵に詰め寄る者、その様子を遠くから伺う者、疲れ果てて座り込む者。
少し離れたところには、帰ることも出来ないのか、野営用のテントがいくつも建っている。
「よし! 手当たり次第に配ろう! ルネは、そのかばんに入ってる分。俺は、こっち。関所の近くは俺が行くから、ルネはテントが張られてる辺りを配って。配り終えたら、またここで落ち合おう!」
「わかった」
なんだか、すごく楽しそうだな。
六時間歩いてきた疲れをまるで感じさせないどころか、飛び跳ねるように関所に向かっていくじゃないか。
しかし、ただで配るだけならこんなに楽なこともないな。
とっとと終わらせてしまおう。
どうせ帰りは明日以降になるんだ。僕たちの寝床も確保しなくてはならないし。
テントの横で座り込んでるジジイがいる。
見たところ、冒険者くずれの便利屋って感じだな。
この界隈では珍しくもない。
「おい。これやる。受け取れ」
「あぁ⁉ なんだ小僧」
タダでくれてやるってのに『不快』とは、不遜な奴だな。
「だから、これをやるから、受け取れって」
「なんだこれ? 食いもんか?」
「食い物じゃない。ティッシュというらしい。懐紙の柔らかい奴だ」
「はぁ⁉ 懐紙? そんなもん、こんなところでどうしようってんだよ。どうせくれるって言うなら、食い物か金もってこい!」
まぁ、そりゃあ、こうなるか。
懐紙なんて無けりゃ無いで、どうとでもなる。
綿布一枚あれば事足りるんだ。
「あの、それ、くれるって?」
別のテントに居た若い男が声を上げた。
こっちは冒険者にしてはずいぶん身綺麗な格好をしている。
一般的な旅人の装備だが、どれも下ろしたてのようだ。
旅は今回が初めてか?
「そうだ。無料で配ってる。お前にもやるよ」
「ありがたい」
男はポケットティッシュを手に取ると、テントに引っ込んだ。
テントの中で用でも足してんのか? 汚いな。
いや、うめき声が聞こえる。
「おい、大丈夫か?」
テントの中で、男はパックから取り出したティッシュを、仲間の額に押し当てていた。
周りには血まみれの綿布が散乱し、ティッシュも真っ赤に染まっている。
「ひどい出血じゃないか‼ こんな傷、ティッシュで押さえてもなんの意味もないだろう!」
「だって……、じゃあ、どうすれば……」
どうすればだって⁉
こいつ、応急処置もわからないで旅をしてきたって言うのか?
「僕が止血しておくから、お前は関所に行ってティッシュ配ってる男を連れてこい。僕と同じ緑の前掛けをした黒髪の奴だからすぐわかるはずだ」
「わ、わかった」
これは刃物の傷か。ナイフか何かで切り付けられたな。
傷自体はそんなに深くないが、出血量が多すぎる。
あいつの様子じゃ、包帯なんて持ってるわけないな。血まみれの綿布も小さすぎる。
しかたない。これでいいか。
僕はエプロンを脱いで傷口に押し当て、腰ひもを使ってターバンのように巻き付けた。
「うぅぅ!」
「少しつらいだろうが我慢しろ」
「ルネ? 呼んでるって……、うわ! なにこれ? どうしたの⁉」
「タツキ、来たか。とりあえず、僕のエプロンで止血はした。はやく医者に診せた方が良い」
「でも、関所が封鎖されてて、医者を呼びに行けないんだ……。衛兵は、目の前で見てたのに、何もしてくれなかった。せめて医者を呼んでくれって頼んだけど、規則だからって、それも無理で……」
泣き崩れる男をテントに残し、僕はタツキを連れて外へ出た。
「え? なに? あの人なんでケガしたの?」
「知るか。僕がティッシュを配りに来た時には、すでにこの状況だった」
「そうか……。いま、関所では手紙の配達代行がもう少しで出来るかもしれないみたいなことを言ってたから、そのペースだと医者を呼ぶのに何日かかるかわからないな」
「お前、薬は持ってきてないのか?」
「簡単な救急キットはあるけど、普通の登山用なんだよ。魔獣除けの結界魔法かけてもらったから、あんな傷は想定してなくてさぁ。消毒液かける程度で、あまり意味ないかも。ルネは無いの? その背中のリュックは俺が持たせたティッシュじゃないでしょ」
「これは飯だ。ソーダイのリュックを借りて店から詰め込んできた。帰るまで数日かかるだろうと思ったからな。だが、すぐに店に戻った方がいい。エステルが薬を持ってるはずだ。医者は居ないがお抱えの薬師がいると言ってたから、それでなんとかなるだろう」
「まさか、店に連れて帰る気? 今から? あの病人を背負って?」
店からここまで徒歩六時間。
僕が背負って運んでもいいが、出がけに飲んだゼリーインリョーの分の体力がどの程度持つかわからない。
まして、この血の匂いだ。
背負って歩いている間に、理性が飛びかねない。
「タツキ、ここじゃ人が多くて目立ちすぎる。関所の壁沿いに歩いたところに少し開けた草地があったはずだ。そこまで、あいつら連れて行こう」
「え、どうすんの? そこにユーゴ連れてくる?」
「いや、僕の眷属を召喚する」
けが人を僕が抱え、タツキは泣きじゃくる男と荷物をまとめて移動した。
ここ数日は腹が減ることもなく、安定して飯を食えてて良かった。
じゃなきゃ助けるどころか、とっくに僕が食い殺してる。
「その地面に召喚陣を描くから、草抜いとけ」
「えぇ~⁉ そういうのって、火炎魔法とかで焼き払うんでしょ?」
「火炎魔法を使うと怖がって召喚に応じない可能性がある」
「なにそれ? そんなことある? 眷属なんでしょ?」
「あるんだよ! いいから、早くしろ!」
ぶつぶつと文句が多い奴だな。
「おい、お前! 名前はなんだ?」
「カイル」
「よし、カイル! お前はそっちのケガしてる奴を……」
「あ、こいつはエリオって言って……」
「わかった。そのエリオとやらに抱き着いてろ。体温が下がるとやばい」
「あ、う、うん」
けが人は未だ唸っている。
あの唸り声が聞こえるうちはまだ大丈夫だ。
召喚術は得意じゃないんだがな。
でも、ここからなら距離が近いし、成功率は高いはずだ。
召喚陣は……、杖がなくて木の枝で代用したからいびつだが、まぁこんなもんだろう。
「虚空に住まう数多の聖霊よ。
我が求めに応じ道を開け。
ベルゼビュートの名において命じる。
我が眷属オスカー。
地を裂き、空を裂き、我の前に平伏せ。
インヴィクォール!」
よし、魔方陣が作動した。
呪文がうろ覚えで不安だったが、詠唱は問題なかったみたいだな。
黒煙を上げる魔方陣から、大きな影が現れる。
灰色の被毛と緑の鱗。
その姿に慄いて、カイルはまた「ひぃぃ」と声を漏らした。
「眷属ってもしかして、このファラミーヌの事?」
「そうだ。名前はオスカーだ」
「眷属なんて言うから、同じヴァンパイアか、ダークエルフとかかと……。意思の疎通が図れないと、眷属の契約は無理じゃない?」
「意思の疎通は図れる! 別に人型をしてる必要はないだろ。オスカーは、拾った卵を僕が孵して育てたんだ。ファラミーヌと侮るなよ。強く賢い個体なんだ。突然変異かもしれんな」
「……確かに突然変異かもね。上半身の熊部分はふわもこで、下半身のドラゴン部分はずんぐりむっくりしてて、なんだかぬいぐるみみたいだし」
「失礼なことを言うな! これは、まだ幼体だからで、成体になったら恰好よくなるんだ!」
「でも、従魔でしょ?」
「眷属だ!」
「眷属って、肉体も魂も捧げて主に尽くすやつでしょ。この子、腹だして寝てるよ?」
う……、たしかに腹だして寝てるな。いびきもかいてるし。
尻を掻くな! みっともない!
「オスカー‼ いつまで寝てる!」
「ケギャ? クシャ―! キャギャギャ」
「わかった、わかった。舐めるな。あと重いから抱き着くな」
「従魔どころか、ペットなんじゃ……」
「眷属だと言ってるだろうが! カイル! オスカーの背の鞍にエリオを縛り付けて、お前が上から覆いかぶされ。 オスカーが飛んで運べば一時間弱で店に戻れる」
「ルネ。この子、店の場所を知らないでしょ」
そんな基本的なことを僕が考えてないと思うなんて浅はかだな。
「僕が先導する」
バサッ!
羽根を広げるのは久しぶりだ。
カイルが「ひ、ひぃぃぃぃぃ!」と頭を抱えて、タツキの後ろに逃げ隠れた。
「ほらほら、カイル君。エリオ君を医者に診せるんでしょ? 連れて行ってもらいな」
もたもたするカイルを促してくれるのは良いんだが……。
「おい、タツキ。お前、なんで他人事なんだ?」
「え? だって、ルネが二人を連れて帰ってくれるんでしょ? じゃあ、俺はもう少しティッシュを配ってから……」
やっぱりか。
「お前も来るんだよ!」
タツキのベルトを掴んで飛び上がる。
こいつは目の前で何が起きようと商売優先だからな。
無理やりにでも連れ帰ってやる。
「待って! 怖い、怖い! 落ちるって! せめて、ちゃんと抱えて!」
「じゃあ、大人しくしてろ。暴れたら落とすからな。オスカー! 行くぞ!」
「シャギャー‼」




