第十六話 模様替え
「ぎぼぢわどぅい」
ソーダイが便所にこもるのは、起きてからの一時間で三回目。
埃だらけの部屋を掃除して寮に作り替えるにしても、タツキは用があると言って出かけたし、ユーゴも「生活魔術にがて」と言い訳しながら付いて行った。このうえソーダイがこれじゃあ作業が遅々として進まない。
「ルネ様、こちらの部屋はお掃除終わりましたわ!」
結局、エステルはユーゴの亜空間には戻らなかった。当のユーゴが、エステルがここに残ることを面白がっているのだから質が悪い。
今は昼間で異世界にいるからまだいいが、夜になれば元の世界だ。僕としては、せめてトリスタンの手の者が追ってこられる夜の間だけでも亜空間に居てほしいんだが……。
言っても聞かないだろうな。
それにしても、エステルに掃除や片付けの才能があるのは意外だ。
「じゃあ、こっちも手伝ってくれ。ソーダイがまるで使い物にならん」
「まぁ、まだ酔いが覚めませんのね。では、ソーダイさんのお部屋は私たちでやってしまいましょうか」
「ソーダイの部屋? ユーゴとお前が一人部屋で、ここはソーダイと僕が相部屋って話だったじゃないか」
「あら、いやですわ! それは表向きの話でしょう? わたくしとルネ様は夫婦同然。当然、寝室は一緒に決まってますわ」
エステルの手にひかれて隣の部屋を見ると、まるでドラクール家の彼女の部屋を再現したかのようなフリルとリボンの世界が広がっている。唯一の違いといえば、ベッドがハート形をしていることだ。
「エ、エステル? これは?」
「もちろん! わたくしとルネ様の愛の巣ですわ」
愛の巣? ピンク地獄の間違いだろう。
「掃除をしていたんだよな?」
「えぇ。お掃除をして、片づけをして、必要な物はここに元々あった家具やカーテンに変化魔法をかけたんですの。可愛くなりましたでしょう?」
かわいい……のか? これが?
果てなく連なるフリルが嵐の海のようじゃないか。
ピンクに溺れて死ぬかもしれん。
「もしかして……、ルネ様はお好きじゃありません?」
あぁ~、泣くな!
「良い! 良いと思う!」
「良かった! 気に入ってくださったんですのね」
「う……うん」
これはマズいぞ。
なんとかしてエステルとの同室だけは絶対に避けねば!
言い訳、なにか良い言い訳を……。
よし! これで行こう!
「あぁ~、寝室の事なんだが」
「はい!」
「ベルゼビュート家が厳格な家風なのは知ってるだろう? 実は婚約者同士であっても、婚姻前の同衾は禁じられているんだ」
嘘だけど。
「そんな! 家訓なんですの?」
「そうなんだ。それに、家訓を破った者は当主にふさわしくないとして、儀式を受ける権利を失うんだ」
大嘘だけど。
「まぁ! じゃあ、わたくし達は……」
「これまで互いに死んだと思っていたんだ。隣の部屋に居られるだけ良しとしよう」
本音は隣より亜空間にいて欲しいんだけど。
「わかりましたわ。仕方ありませんものね」
「イチャイチャ禁止です」
便所の中から、ソーダイの声が聞こえる。
「イチャイチャなんぞ、してない。お前は吐ききるまで出てくるな」
「ルネ様、ご友人にはもっと親切に接するものですわよ」
ソーダイは友人ではないんだが……。
「ソーダイ様、二日酔いに効くお薬がありますわ。そこから出られたら、飲んでくださいな」
「……あい。あいがとごじゃます」
「薬なんか持ってるのか?」
「我がドラクール家の領地には、薬草園も多くございましたでしょう? 薬師たちへの援助と薬の販売は我が家の家業の一つですわ。今は亜空間の屋敷の庭に少しだけ薬草とバラを育てておりますの。当家の薬師もおりますから、多少は薬の手配が出来ますわ」
なるほど、身一つで命からがらという訳ではなかったのか。
ユーゴがうまくやってくれたんだろうな。
ジャー……、ガチャ
「お薬、もらっていいでしゅか?」
ソーダイの半泣きの面なんか拝んでもなんの得にもならんな。
今日は一日使い物にならんだろう。
「エステル、ソーダイが薬を飲んでいる間に、そこのテーブルを一つ変化魔法でベッドにしてくれないか? ソーダイは寝かせておこう」
「承知いたしました」
ソーダイをベッドで寝かせた後、僕はエステルと二人で、部屋の掃除を再開した。
僕が長帚でちまちまとチリや埃を集める間に、エステルは器用に生活魔法を使い、汚れを消していく。
「エステルはどこで掃除だの片付けだの習った? ずいぶん手際が良いな」
「我がドラクール家は爵位のない一領主ですもの。使用人が少ないので自分の身の回りの事は自分でやりますわ。部屋の掃除だけじゃなく、お料理やお洗濯もできますわよ」
「そうなのか。それは頼もしいな」
思わず呟いた僕の言葉に、エステルが顔を赤らめる。
まずった。思わず褒めてしまった。
「頼りになるだなんて、そんな……。全てはルネ様をお支えするためですのに」
「あぁ~、そうか。まぁ、いい。とっとと、終わらせてしまおう」
―コンコン。
ノックの音? そんな事をするような、気の利いた奴がいたか?
「大森さんの所から出前が届いてるよ。オーナーから前金で予約受けてるって」
現れたのは茶色い髪をした地味な顔の若い女だった。
緑のエプロンを付けているから、従業員だろう。
いったい何人の従業員がいるんだ?
「たぶん、ルネ君たちの夕ご飯だと思って、呼びにきたんだ。運びきれないから、取りに来てくれる?」
「お前、僕のこと知ってるのか?」
女はびっくりしたように目を見開いた。
「オーナーが紹介してくれたじゃん!」
『驚き』『困惑』。だがすぐにそれらは消え、『納得』が浮かび上がる。
「あ、そっか。今日はノーメイクだからわかんないか。チラッと挨拶しただけだったもんね。栗木田夢です。昨日レジ研修でルネ君に教えてた栗木田愛の双子の姉です。改めて、よろしくね」
アイの姉……、あぁ! あのアウラウネか!
「そうだったか。それは、失礼した。あの時はずいぶんと強い花の匂いがしたが……?」
「あぁ、あれね。あの日は友達と街に遊びに行った帰りにそのままバイト入ったからさ。ショッピングしてたお店で、香水のテスターをプッシュしたら思いっきりかぶっちゃって。香水なんて付けなれないから加減がわかんなかったよねー! ところで、そっちの女の子がエステルちゃん? ルネ君の親戚の子なんだっけ? オーナーから聞いてるよ」
「わたくしはルネ様の許嫁ですわ! エステル・ヴァンピール・ド・ドラクールと申します」
ユメの表情がパッと輝いた。
『歓喜』『憧憬』『親愛』
「許嫁! すごい、かっこいい!」
さすが、人間と馴染み深いドラクール家息女。
挨拶しただけで人心を掌握するか。
「ユメさんは、ルネ様のお仕事のお仲間ですのね」
「うん、そう! あ、ねぇ、私も今から休憩入るから、一緒にご飯食べてもいい?」
「もちろんですわ!」
げっ。女どもがキャッキャしてる中で飯を食うのか。
売り場に届いた料理を三階の部屋に運び、テーブルに広げる。
肉がたくさん入ったチャーハン、唐揚げ、バンバンジー、ギョーザ、トンポーロー、他にも知らない料理がいくつかあるが……。
「エステルが食えそうなものはないな」
「えぇ。あ、でも、わたくしはそんなにお腹が減ってるわけじゃありませんし、ルネ様だけで召し上がってくださいな」
「いや、ダメだ。下に行って何か探そう」
僕たちのやり取りを聞いていたユメが不思議そうに顔を上げる。
「エステルちゃん、食べられないの?」
「え、えぇ……」
「エステルは菜食なんだ」
人間の生き血は飲むけどな。
「ヴィ―ガンなんだ?」
「ヴィーガン? なんだそれは?」
「えぇ~っと、たしかね、動物性の物を一切食べない人? たしか、ベジタリアンは卵や牛乳は大丈夫なんだけど、ヴィ―ガンはそれもダメで植物性の物しか食べないんだって。最近、セレブの人とかに流行ってるじゃん? 動物愛護? なんか、かわいそうだから食べるのやめましょうとか、動画でよく見るよ」
「わたくしは、卵は食べますわ。牛乳も温めれば飲めましてよ」
「じゃあ、ベジタリアンか! エステルちゃんは、お肉はぜんぜん食べられないの?」
「ほんの少しならお肉も大丈夫なんですが、あまり沢山は体が受け付けなくて……」
「エステルの家系は肉を食うと体調を崩すんだ。だから、野菜しか食わない。店に野菜のスープか何かは無いか? あと、パンを持ってこよう」
「じゃあ、エステルちゃんの分は、私が一緒に行って選んでくるから、ルネ君は先に食べてなよ。せっかくのご飯が冷めちゃうし」
おぉ、気が利くな。
女を眷属にするのは気が引けるが、メイドくらいにはしてやってもいいな。
「頼む。エステル、食べるものを選んだら、カウンターで『オーナーの名前で』と言うんだ」
「わかりましたわ。では、ちょっと行ってまいりますわね」
ここは平和で、なんだか色々なことを忘れてしまいそうになるな。
料理は温かく、澄んだ水もいつでも飲める。
そのうえ、ゼリーインリョーにサプリか。
至れり尽くせり、まるで楽園だな。
そうだ、店からゼリーインリョーを持ってこよう。エステルの前で空腹になるのはまずい。
「ルネ君……」
「ん? ソーダイ、どうした?」
布団から顔だけ突き出す。
こういった顔面だけ露出させる行動は何度かみたな。異世界人の特有の行動なのか?
「夢ちゃんには、気を付けてください」
「どういうことだ?」
「夢ちゃんは、大人しい愛ちゃんと違って、とても気さくに話しかけてくれます。だから、すぐに仲良くなれます」
「良いことじゃないか」
「それは、いいんです。でも、仲良くなると……大変なことに」
「大変って、何が?」
「……。夢ちゃんから一緒に写真を撮ろうと言われたら、絶対に断ってください。写メも、プリクラもダメです」
「シャシン? シャメとかプリクラってなんだ?」
「あと、間違っても夢ちゃんと愛ちゃんの趣味を悪く言わないこと。かといって、興味があるような素振りも見せないで。もし『ちょっとやってみたい』なんて社交辞令で軽口叩こうものなら……」
「どうなるんだ?」
「人形にされます」
ソーダイの顔には『悔恨』と『恐怖』が浮かんでいる。
嘘をついているわけではないようだ。
「人間を人形に変える魔術か? 世紀末の頃、気に入った人間を蝋人形に変えて屋敷に飾っていた貴族がいたと聞いたが、ユメもその魔術を使えると?」
あの懐っこさの裏にそんな変態じみた趣味があるとは考え難いが……。
だが、だとしたらエステルが危険だ!
「エステル!」
「はい」
なんだ、無事だったか。
「ルネ君、先に食べてていいって言ったのに」
「ちょっと、ソーダイと話してて……」
ユメの様子にも感情にも不可解なところはない。
さっきのは、きっとソーダイが寝ぼけたんだろう。
作中で夢がヴィ―ガンとベジタリアンの違いを『卵や牛乳を食べるか』で判断するような説明をしていますが、これは彼女がネットでチラッと見た程度の知識に基づいた発言です。
実際には、ヴィ―ガンにもベジタリアンにも様々な考えやスタイルがあります。
エステルの場合は体質の問題で肉を消化するのが難しいだけなので、消化しやすい形に調理すれば食べられます。




