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第十一話 身だしなみ

「うわぁぁぁぁぁぁぁ‼」

「はいはい。騒がない」

 小さな部屋に裸で放り込まれたと思えば、壁に生えている変わった形の杖から水流を浴びせられた。呪文の詠唱は無かったぞ? これはクーランディエルか⁉ 水⁉ いや、湯か⁉

「なんだ、これは⁉ 何をする⁉」

「なにって、シャワーだよ。これで汚れを洗い流すの。何日洗ってないか知らないけど、髪も体もベタベタじゃない。ちゃんと綺麗にしないとね」

 洗う? その杖から出した湯でか? 湯気が出てるじゃないか!

「ほら、怖くないから」

「怖がってない! 身体を押さえつけるな! 動けないじゃないか!

 僕を力でねじ伏せるなんて……、こいつは本当に人間か?

「暴れない、暴れない。大人しくしてないと泡が目に入るよ?」

「はなせ‼ 僕を誰だと思ってるんだ‼ こんなことして、タダで済むとおもうなよ⁉」

「わかった、わかった」

 熱い! 顔に湯がかかる。

「うわぁ! 目が……目がぁ……‼」

「だから、泡が入るよって言ったじゃない。ほら、流すから手をどけて」

「いやだ‼ 顔に湯をかけるな‼」

「じゃあ、タオルで拭くから……。手をどけて」

「いやだ‼ お前は信用できない‼」

「じゃあ、自分で拭けばいいよ。ほら、タオル持って」

 フワフワした布が僕の顔に押し付けられる。変な布だ。触り心地が気持ち悪い。身体がヌルヌルする。変な匂いだ。

「身体を撫でまわすな! 気色悪い!」

「いかがわしい言い方をするなぁ……。ボディーソープで洗ってるだけだよ。あちこち泥だらけなんだから、念入りに洗わないと。腕上げて」

「いやだ! 手は動かさない!」

「じゃあ、足開いて」

「何をする気だ⁉」

「だから、洗うんだってば」

「尻を触るな!」

「触らなきゃ、洗えないでしょ? ベルゼビュートのお屋敷ではどうしてたの? こんなに汚くしてると、侯爵家の御令孫には見えないよ?」

 くそぉ……、屈辱だ。

 汚れてるから、なんだってんだ。ここは屋敷じゃない。旅の最中は身体や髪なんていちいち洗わないじゃないか。

「触るな! くすぐったい!」

「しょうがないでしょ。足の裏も泥だらけなんだから。……どれだけ穴が開いた靴を履き続けてたの」

「うるさいな! 関係ない……うひゃひゃひゃあひゃ‼」


 ゴー


「今度はなんだ⁉」

 また、おかしな形の杖から、今度は熱風⁉ こんな魔法は知らないぞ⁉

「ドライヤーだよ。髪を乾かさなきゃ」

「熱い! やめろ!」

「充分はなしてるから大丈夫だよ。それとも、ベルゼビュートはこの程度の風に屈するのか?」

「な⁉ ふ、ふざけるな! こんなの全然平気だし!」

「じゃあ、大人しくしてて」

「自分で乾かせる! 風魔法で出来るから!」

「嘘だね。まだ朝ごはん食べてないし。魔素が足りないでしょ」

「なんで、そんな事がわかるんだよ!」

「俺に押さえつけられて逃げられないのが証拠だよ」

「お前! 本当は人間じゃなくてオーガなんだろう⁉ 魔素が足りなくても、この僕が人間に抑え付けられるなんてありえない‼ 白状しろ! このオーガめ‼」

「俺の頭のどこに角があるって言うんだよ? こんなに小さくて細い体じゃ、基礎筋力がそもそも少ないんだから、魔素がなきゃ人間以下って事でしょ?」

 くそくそくっそ~‼

「ルネ……もう……だから……」

「風の音がうるさくて聞こえないだろ⁉ もっとデカい声で言え!」

「なんでもないよ。終わったら肉焼いてあげるね」

 肉だと⁉ 昨日の飯の肉は、細かいし味が薄くて肉を食った気がしなかったんだ。

 やっと、肉らしい肉が食えるのか!

「やった! いっぱい焼けよ? 腹ペコなんだから」

「わかってるよ」


 体中から変な匂いがする。花のようで果実のようで、どちらでもない異質な匂いだ。

 タオルとか言うフワフワ布で拭かれても、このまとわりつくような匂いがちっとも取れない。

「着替えは、これとこれね」

「この下着……お前のじゃないだろうな」

「店で売ってるやつだよ。新品だから大丈夫。でもサイズが大きいから安全ピンで留めようか。うちの店では、服飾品は最低限しか扱ってないしなぁ。一度、買い物に行かないとダメだな」

 デカいパンツも、デカいズボンも、デカいシャツも、着心地は最悪だ。

「別に汚れたままでもいいのに」

「ダメだよ。うちの店はほとんどが飲食物なんだから。身だしなみは、衛生管理の一環だからね」

 エーセーカンリがなんなのか知らんが、シャワーってのは二度とごめんだ。

 でも、……こうして椅子に座って、髪をとかされてるのは悪い気はしないな。

 大きな手が頭の上を行ったり来たりする感触は、ちょっと落ち着く。

 これが終わったら、肉か。何の肉かな? 人間が食べる肉なら羊とか、牛か、豚もいいな。

 これだけ我慢したんだ。美味い肉じゃなかったら暴れてやる。




 昨日と同じ時間に出勤してきた前田にルネと崇大を託し、達樹はユーゴを連れて自室のリビングへと戻った。

「あっれ? 店に居なくていいの?」

 ユーゴは家人より先に部屋に入り、我が物顔で椅子に腰かける。

 達樹が冷蔵庫から出して渡したペットボトルのお茶も、慣れた手つきで開けて口に運んだ。


「昨日の様子だとスタッフに任せておいても大丈夫そうだからね。ふてくされながらも与えられた仕事はやるし、案外いたずらもせず大人しくしてるよ」

「おやおや、ずいぶんと気に入ったみたいじゃあないかい?」

 達樹はやかんを火にかけながら、小さく笑った。

「ルネを見てるとさ、あぁ、俺も昔はこんな感じだったなぁって。思い出すんだよね」

「お前さん、あのそうだいって奴を拾った時も似たようなこと言ってたじゃないか。ガキんちょ拾うのはいいが、懐古が行動原理になるのはオッサンの証だぞ~?」

「今回のは、ユーゴから話を聞いてたから保護してたんだろ? 大変だったんだぞ? 引き留めるの」

「感謝してるよ。おかげで仕事が捗る」


 窓から差し込む日の光だけに照らされた室内に、コーヒーの香りが漂う。

 ゆっくりとコーヒーを口に含む達樹を眺めながら、ユーゴはノーヅ港で船に乗らず戻ってきて良かったと、改めて考えていた。


 多くの任務をこなす傍らでのルネの捜索は難航していた。

 初動の判断を誤った事で、月日が経つにつれて焦りとともに悔いが募った。

 まだ幼いヴァンパイアが一人で国境を超えることはないだろうと高を括り、ユーゴがヴァンパイアの領地や幼年期学園とそれに付随する施設を中心にトロキオ国内を捜索している間に、ルネはカヌセーヌへ出国していたのだ。

 自身が追われる身だと知らなかったのか、ルネの痕跡はそこかしこに散らばっていた。

 リヴーサの入国管理局にも、ヨークバーのオテル・ド・グラン・エ・ヌーヴォーにも本名を名乗って訪れていた。

 その後は、カヌセーヌの商人ギルドやモンポワの冒険者ギルドに『一般悪魔族のルネ』として登録がなされていたが、身体的特徴から本人だと確信して行方を追っていた。

 オートンジェルの研究機関を最後に足取りが途絶え、たまたま立ち寄ったハキューネの酒場でシルンコリヌに向かったらしい情報を得たのが三カ月前。

 しかし、どの港の乗船者名簿にも名前はなく、宿を使った形跡もない。

 行き違いになってハキューネに戻ったかと帰ってくれば、急な依頼を受けコソ泥の真似事をさせられる始末。

 ミスが焦りを招き、焦りが更なるミスを生む。


 魔術防壁を幾重にも重ねられたカヌセーヌ国内随一と謳われる大聖堂の宝物庫に、カギを持っていたところで一般人が侵入するのは至難の業だ。

 カギで開けた扉の先で魔術結界を解き、そのたびに抵抗符の反撃を回避しなければならない。

 そんな事が出来るのはユーゴしかいないと見込まれ、大金を積まれ、引き受けてしまった。

 杖が無くなり嵌められたと気づいたとき、すっかり頭に血が上って黒幕をボコボコにしてやろうとしか考えられなくなっていた。


 ノーヅ港の定期船でクレルオ港へ、そのまま大型船に乗り換えてミッレフォーリアへ。

 次に帰ってこられるのは数カ月先か一年先か。

 それでも、あいつを数発殴らなけりゃ気が収まらんとばかりに乗船チケットまで取ったが、運航見合わせが決定した。

「まさか、戻ってみれば、狙ってたものが待ってるとはな。危うく、またすれ違うとこだったわ。しっかし、タツキがこっちの世界で店をやり始めた時も驚いたけどさぁ、今度は向こうで本格的に営業するって? どういう心境の変化よ? 俺はてっきり、もう、あんまり関わりたくないのかとばっかり思ってましたよ?」

「単純に売り上げが欲しいだけ。こっちが不景気なのは本当だし」

 ユーゴは達樹が目をそらしたのを見逃さなかった。

 嘘はついていないけど、肝心なことは言わない。

 昔から知ってる、達樹の癖。

「……で? 何があったって?」

「……ユーゴに隠し事は無理か」

 達樹は深くため息をついてから、重たい口をゆっくりと開いた。

「元樹が死にそうなんだ。おそらく、年明けまでは持たない」

「あぁ、この店のもう一人のオーナーか。もうそんな歳になったか」

「そう。俺が共同経営者になった二十五年前にすでに爺さんだった。もう九十四歳だからね。大往生だよ。仕方ない。……仕方ないけど、つい考えちゃうんだよね。『あぁ、また一人、俺の人生からいなくなる』って。『また、俺だけ置いて行かれるのか』って」


「あぁ~れぇ~? 俺がいますけどぉ? まさか、お忘れですかぁ?」

 ユーゴは茶化すように唇を尖らせた。

 その言葉は本心だったが、本心だと悟られたくはなかった。

「忘れてないよ。そうなんだよ。だからさ、そっちの世界に戻りたくなった……のかな? どっちの世界も、俺は好きじゃない。でも、いま雇ってる従業員にはちゃんと給料を払い続けたいし、ユーゴやエルヴェと話すのは俺にとって重要なんだよ。ただ、大切な人達のそばにいて、出来ることをしたい。それだけ。元樹がいなくなったら、こっちの世界での大切な人が一人減るから、そっちに帰りたい気持ちが少し増えるのかもな」


 ユーゴは『帰ってくればいい』と、思わず口にしそうになったが、唇をかんで飲み込んだ。

 どっちの世界も好きじゃない。その理由をユーゴは身をもって知っている。

 だからこそ、達樹自身のやり方に口をはさみたくなかった。


「ところでさ、あのヴァンパイアの坊やはどうすんの? いくら引き留めるためとはいえ、雇い入れるなんて、何考えてんのって話よ。びっくりした、俺。しっかし、まさか行方不明のベルゼビュートの坊ちゃんがこの店に現れるとはなぁ。それがコンビニバイトとか? まじ驚きモモノキ。俺に引き渡すために引き留めててくれてたんじゃないの? 捜索依頼が難航してクライアントがお怒りなの。知ってるでしょ? 何より会いたがってる子がいるんでね。できれば早く引き渡して欲しいんだけどね?」

「捜索依頼のクライアントはシルフィだろ? だったら探し出したところで『しばらく面倒見てて欲しい』ってなるのは目に見えてる。お前に引き渡すか、店に居させるのかは本人次第だけど、しばらくは様子見かな? あの性格だと大人しく匿われてるのは無理だろう。盗みはしたとしても、口を開けて餌を待ってるタイプじゃない。プライドが高そうだからね。子どもでもヴァンパイアの王ベルゼビュートだ。他のヴァンパイアと同じようにはいかないでしょ。サプリと食事でコントロール出来ればいいんだけど……」

「とんでもなく食費がかかりそうだな」

 ユーゴは呆れたように笑った。

「しょうがないよ。悪魔族に人間の社会常識で生活させるわけだから。でも、ちょっと気になる事があって、ルネ本人が人間を食べた事に強い罪悪感を持っているようだった。人魔大戦後の生まれだから戦後の教育改革の結果なのかもしれないけど、それにしても倒れるほどの飢餓状態に陥ってなお、泣くほど罪の意識を持つって言うのは生物として危ういだろう。ルネ一人の事ならいいけど、悪魔族全体に及ぶとトロキオの国力に影響する。そのうえ、誰かさんがソルディアの杖をなくしちゃうし……」

 達樹は不満げな視線をユーゴに向けた。

「失くしたのは、俺じゃないも~ん」

「これから販路を広げようって時に、戦争の火種なんて起こさないで欲しいんだよなぁ。うちは庶民の味方のコンビニエンスストアなんだよ。武器やら情報やら売って儲けたいわけじゃないんだからさぁ」

「悪かったって。杖がなくなったのは想定外だった。いや、まんまと罠にかかりました! 今回は完全に俺の判断ミス! ごめんなさい!」

「謝らないでいい」

 達樹はニヤリと笑いながら続けた。

「その分は全部働いて返してもらうから。店でも働いてもらうし、杖の件も黒幕の検討はついてるだろ? ギルドでも何でも使って、きっちりヤキ入れて? あと、うちの坊やたちの世話もよろしく」

 ニッコリ笑う達樹に、ユーゴは戸惑いながらも笑い返すしかなかった。

「お前。人使い、えげつないって言われない?」

「頼りにしてるんだよ? 魔法戦士ユーゴ・ドルトーさん」

「せめて剣か魔法を頼りにしてくれよ」


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