第百一話 魔素不足
ゼリーインリョーが足りない。
出前も食べたし、店の弁当やパンも食べた。
起きてきたジュンが作ってくれたミソシルとかいうスープも食べた。
腹は満ちているのに、体は重いし、眠いし、やる気が出ない。
「魔素が足りない……」
僕のつぶやきに、タツキが溜息をつく。
「やっぱり普通の食事だけじゃダメか。サプリは?」
「食ってるけど、よくわからん」
「そうか。ルネ、たまには睡眠で回復してみたら?」
「夕方、ちょっと寝た」
「あぁ、倉庫で寝落ちしたやつでしょ? やっぱり毎日のように魔法使ったり飛んだりできるほどの栄養は摂れてないんだろうな。しばらく昼間はちゃんと寝て、食事も出前や弁当じゃなくて魔素になりそうな物を取らないとだな」
「ゼリーインリョーじゃ、だめなのか?」
「あれは、あくまでも補助食品だからねぇ。何がいいのかな? やっぱり肉か? レバーとか……」
「わからん。ちょっと血よこせよ。ちょっとでいいから」
「嫌だよ。味しめて襲われたら敵わないじゃん」
あぁ、だるい。眠い。眠れやしないんだけど、もう全部が面倒くさい。
「今夜は休むか? 昨夜も結局は魚の仕入れした形になって、休めてないだろう?」
「いやだ。食べ放題やるんだ。僕が考えたんだ。なんのために魚を下準備したと思ってんだ」
それに、昨夜やたら疲れたのはリンカに会ったからというより、エミールの悪ふざけのせいだからな。
「じゃあ、俺も行くよ。ユーゴは他の仕事があって帰って来られないし」
「店は?」
「メリセントがいるから大丈夫。商品の事もよく知ってるし、レジもだいぶ覚えたみたいだからね」
そうか。じゃあ安心だな。
「ルネ。ハキューネまで飛べそう?」
「わからない」
「じゃあ、またメリセントに擬似翼借りるから、俺が運ぶよ」
今度は僕がタツキに抱えられるのか。
オスカーに乗ってる方が楽だけど仕方ないな。
オスカーは僕が先導しないと、どこにいくかわからないし。
頭に霧がかかってるみたいだ。
『空腹』の限界? いや、店で倒れた時はこんな感じにはならなかったしな。
あの変な夢のせいか。
積み荷の準備はジュンやソーダイに任せて、僕は自分の飯でもカバンに詰めよう。
もう、店の弁当も飽きたな。
ステーキが食いたい。焼肉でもいいな。
ワイバーンは美味かった。あれをステーキにしたら最高だろうな。
でも、いま手元にあるのは唐揚げ弁当にシューマイ弁当か……。
せめて、今夜は水じゃなくて酒でも持っていくか。
「ルネ、準備できた? ……って、何? その大荷物は?」
「飯と酒」
「……飯はともかく、酒はダメ。業務中の飲酒は禁止」
「なんで?」
「うちの店でのルールだよ」
「だって、水は飽きた」
「そうか。じゃあ、お茶とかコーヒーとか、刺激が欲しいなら炭酸飲料でも飲む?」
タツキが勝手に僕のカバンを開けて酒びんを出しては、違う飲み物を入れていく。
もう、水じゃなければ何でもいいか。考えるのもめんどくさい。
「なんでもいい」
タツキが僕の顔を覗き込む。
近づくなよ、きしょいな。
「今夜は魔法も使わないほうが良いな。メリセントに調理用魔具借りてくるよ」
タツキが店を出ていくのと入れ違いで誰かが入ってくる。
誰だ? ジュンとソーダイは倉庫に居るし、オスカーは外で待機させているし……。
あぁ、顔を上げるのも面倒だ。
「ルネ様」
「え⁉ え、エステル‼」
僕は思わず飛び起きた。
こんなに魔素不足の状態でエステルに会うなんて……!
「ルネ様、今夜も出張ストアーのお仕事に向かわれるとの事、変化のお仕度に参りました」
そうだった。門前に行くときは変化魔法をかけてもらう約束だった。
エステルが手を上げて僕に近づいてくる。
どうしよう? ダメだ。美味そうな匂いが……。エステルを食うわけにはいかないのに。
エステルが一歩近づく。僕が一歩下がる。
なんとか、なんとかしないと。このまま近くに寄られたら、理性が飛んで食ってしまう!
「ルネ様?」
どうすれば……、どうしたらいい?
エステルが不思議そうな顔で僕を見てる。
一歩一歩近づいてくる。僕も、一歩一歩後ろへ。
やばい! 壁に当たった。もう逃げられない!
「ルネ様、魔法が掛けられません。動かないでくださいませ」
「来るな‼」
エステルの動きが止まった。
困惑が、悲哀に固まる。
「あ、違う! 違うんだ、エステル。僕は、その……、お前を傷つけたくなくて……」
そう言うと、エステルはハッとした表情を浮かべ「では、変化魔法はお父様に。いま、呼んでまいります」と駆けて行った。
はぁ。なんとかなった……のか? ん? お父様を呼んで?
ヤバい! エミールに怒られる‼
ど、ど、ど、どうしよう? どこに逃げる? 隠れるか? 掃除用ロッカーはいっぱいで入れないな。カウンターの下はゴチャゴチャして狭すぎるし……。そうだ、ゴミ箱に!
「ルネ様、何をしておいでで?」
え! エミール……。
「ちょっと、ゴミ捨てを」
エミールは僕をゴミ箱から抱え上げ、ポンポンと手早く変化魔法をかけた。
「あ、ありがとう」
エミールが膝まづき「勿体ないお言葉でございます」と頭を下げる。
「あの、僕はエステルに……、その、意地悪をしたかったんじゃないんだ」
エミールのキラキラした目がニッコリと笑う。
「存じておりますよ。ルネ様はいつも誠実で、お優しくていらっしゃる。気にすることはありません。ルネ様の年頃には誰もが経験する事です。愛しく大切な近しい者にほど、つい不遜な態度を取ってしまう。吾輩もそうでした。もちろんクロード様も」
「そう……なのか?」
エミールはイートインスペースの椅子を僕に勧め、自分も浅く腰かけた。
「いけませんな。クロード様とルネ様は別の悪魔であると意識しておるのですが、どうしてもあなた様とクロード様を重ねてしまう。よく似ておいでですよ。クロード様も、吾輩の妹をよく泣かせた時期がありましてな。いつも直後に吾輩のところへ来て『どうしよう?』と泣きべそをかいておいででした」
父上が?
「それで、父上はどうしたんだ?」
「手紙をお書きになっておりました。面と向かうと、どうしても抑えきれない衝動から思ってもいない言葉を口にしてしまうものですから。気持ちを落ち着けて、心のうちにある思いを、言葉を選んでお書きになった。それを繰り返すうちに、理由のない苛立ちや衝動がなくなって穏やかにいられるようになったのです」
父上もエミールの妹を食べたくなってしまっていたのか。
僕だけじゃなかったんだ。
「僕もエステルに手紙を書くよ」
エミールはゆったりと笑って「ぜひ、そうしてやってくだされ」と言った。
「あの! エステルに……、手紙を渡す前に。……ゴメンって言っておいてくれないか」
「あなた様は本当に……。えぇ、もちろん。伝えましょう」
エミールの目にうっすらと涙が光った。




