第百話 不思議の森のルネ
「ルネ君、何をボーっとしてんの。さっさと来ないと、置いてくよ?」
ん? なんだ? ここは、どこだ?
木が茂った森の中? 乾いた土に春の草が生えている。
僕は何をしてたんだっけ?
「ルネ君! 急いでください!」
少し離れたところで、ソーダイとジュンが呼んでる。
「待って! いま行くから」
足が重いな。うまく歩けない。この靴がいけないんだ。こんな穴の開いた革靴じゃあ、まともに歩けない。ショッピングモールで買った、あの黒い靴はどこに行ったんだ?
大きな麻の布カバン。こんなカバン持ってたっけ? この中に黒い靴が……。
あれ? なんだこれ? 魚だ。ブヨブヨの魚ばかり詰まってる。
「ルネ! 早く!」
「待ってくれ! 荷物を間違えたみたいなんだ。寮に戻って、靴も履き替えないと……」
振り返っても、そこには森。
ここは、どこの森だっけ? 店はどっちだ?
「ルネはもう戻れないよ」
タツキ? 木の横に座り込んで何をしてるんだ?
「タツキ、カバンを間違えたようなんだ。靴も。準備をちゃんとしないと。ソーダイとジュンが待ってる。はやく行かないと」
ツタがタツキの体に絡みついている。動けないのか?
「俺も、もう戻れない」
タツキが流した涙がボタボタと地面に落ちて、どんどん大きな水たまりになっていく。
水たまりにタツキの足が浸かり、腰にとどき、せり上がる涙の中にタツキの体が沈んでいく。
「何やってんだ! もう、泣くな。溺れるぞ? いま、ツタをほどいてやるから……」
クソッ。手がうまくツタを掴めない。このツタは何でこんなにヌルヌルするんだ?
はやく解かないと、タツキが溺れて死んじゃうのに。
あぁ、クソ。もう僕の頭まで水が上がってきた。早く解かないと……。
うわぁ⁉ ツタじゃない! 魚⁉ ブヨブヨの魚だ!
ツタは? タツキは何処へ行った?
水が邪魔だ。目が見えない。どうなってるんだ? はやく準備しなきゃいけないのに。
いや、違う。目が見えないんじゃない。
暗いんだ。真っ暗。もう夜になってしまったのか。
どうしよう? まだ準備がぜんぜん出来てないのに。
僕だけ置いて行かれる!
「ルネ様。こちらへ」
エステル? なぜ、真っ白なドレスを着ているんだ? まるで葬式じゃないか。
「どこへ行くんだ?」
エルテルは振り向きもせずに暗闇の中を歩いていく。
僕の問いかけに答える様子もない。
遠くユラユラと赤い光が見える。
「あっちの方が明るいぞ。エステル、あっちに行ってみよう」
振り返ると、エステルは大きな火柱の前に立ち、こちらを見ている。
「燃えてしまいましたの。何もかも。屋敷も。農地も。バラの庭も」
静かに俯き、炎の壁に向かってエステルが歩いていく。
「まて! ダメだ! エステル! そっちへ行ってはダメだ!」
止めたいのに、声が上手く出せない。
足がうまく動かない。
エステルが行ってしまう!
「坊ちゃん! こっちです!」
誰かが僕の腕を引っ張る。
誰だ⁉ こんな時に!
「坊ちゃん、逃げてください」
「グレッツェン! 僕、どうすれば……、どこに行けばいいのかわからなくて」
「こっちです!」
暗い石造りのトンネル。僕とグレッツェンの足音だけが冷たく響く。
「どこへ行くんだ⁉ 怖いよ。どこにも行きたくない!」
グレッツェンが僕に大きな頭巾をかぶせる。
獣臭いボロボロの頭巾。大きな革のカバンもボロボロだ。
「行ってください。カヌセーヌへ」
「嫌だよ。グレッツェンも一緒に行ってよ!」
「ダメです。ルネ様は一人で行かなくてはなりません。探して下さい」
「何を⁉ 何を探せって言うんだ⁉ わからない!」
「赤い弓を。その指し示す方に……。必ず、見つけて。さぁ! 早く行って!」
グレッツェンが大きなゴミ箱に僕を押し込む。
落ちる! 光の中へ! グレッツェンが遠ざかっていく。
僕に向かって何か叫んでる。
「聞こえない! わからないよ!」
ぽよん! ぽよん、 ぽよよ~ん。
痛くない。ずいぶん高いところから落ちたはずなのに、柔らかい地面のせいか。
これはなんだ? フワフワとした何かだ。
「ルネ君! パーティーに遅れちゃうよ!」
柔らかいフワフワは花びらだ。
たくさんの花びらをまとったユメとアイが馬車の前に立っている。
そうだった。パーティーに行くんだ。
「は、は、はやく。の、乗って!」
待て、急かすな。僕はまだ準備が出来てなくて。
こんなボロボロの姿じゃ、パーティー会場に入れない。
「もう始まっちゃうよ!」
馬車の中に押し込まれる。
花だらけじゃないか! 座る場所もない。辺りも見えない。
咽るような花の匂い。息が出来ない。花に溺れる。
「ルネ様! こちらですわ」
ふいに腕を引っ張られて、花の海から引き出される。
ピンクの大きなバラの花が僕を見下ろしていた。
花弁の真ん中にエステルの顔。
「エステル! 生きてたのか!」
「始まってしまいますわ!」
エステルの手のようなひときわ大きな葉が指す先に何か見える。
あれは、ハキューネの門だ。
早く行かなきゃ! ジュンとソーダイをどれだけ待たせただろう?
僕が食べ放題をやるって言い出したんだ。僕がやらなきゃいけないんだ。
関所前の広場は、すごい人だかり。混雑に押しつぶされる。
「どいてくれ! 僕は店に行かなきゃ!」
そうだ! 足元が空いてる! 這って行けば通れるぞ。
地面がぬかるんでるな。手も服もドロドロだ。
タツキのせいだ。タツキが泣いてばかりいるから。
やっと人混みを抜けたぞ。
このドアは? どこかで見た覚えがある。なんだっけ?
「サプラーイズ!」
エミール⁉ アンリエット! ジルベール! エステルまで!
「ここは、ドラクールの屋敷か? 僕はハキューネに行くはずだったんだ。馬車を出してくれ。遅れてしまっているんだ」
「それはいけませんな。遅刻は罪。罪は裁かねばなりません」
なんだって⁉
「さぁ、法廷へ参りましょう」
「待ってくれ! ソーダイとジュンが待ってるんだ! 僕が行かないと!」
「言い訳は法廷で聞きますわ」
「エステル!」
「俺はやってない!」
法廷の被告人席でユーゴが叫んでいる。
「杖が無くなったのは俺のせいじゃない! 俺は何も知らない!」
ユーゴに向けてカヌセーヌ軍が剣を向けている。
「やめてくれ! ユーゴはエステルを助けてくれたんだ! ヴァンパイアの恩人なんだ!」
広い傍聴席を見渡す。
みんないる。タツキも、マエダも、爺さんも、ユメも、アイも、ソーダイも、ジュンも。
なんで、誰も何も言わないんだ! ユーゴが殺されちゃう!
「判決を下す!」
「待って! ダメだ!」
裁判官は……おじい様⁉
「ルネ=ノワよ。一族を背負う覚悟があるか?」
覚悟って、そんなの……。僕はまだ……。
「僕はまだおじい様といたいのに! なんで、いなくなったの⁉」
声が出ない。体が動かない。誰か、助けて。僕のせいで、みんな死んじゃう。
誰かが僕の肩に手をのせる。
誰だ? 大きな暖かい、力強い手。
「父上?」
法壇のおじい様を見つめる父上の、口が動く。声が聞こえない。でも、何を言ってるのかがわかる。
『だから、言ったじゃないか』
「父上? 何のこと? 僕はずっと、父上に会いたかった。なんで一緒にいてくれなかったの? はやく、屋敷に帰ろう」
父上は泣きそうな顔で微笑みながら僕を見下ろす。
父上? 父上はこんな顔だったっけ?
これは、この顔は……。
「おいでルネ=ノワ」
誰? 後ろから僕を抱き上げる大きな影。
顔が見えない。
「ルネ=ノワ。大丈夫。怖くないよ。君は幸せになる。だから、行きなさい」
誰? ねぇ! 怖いよ! 離さないで!
あぁ、暗い。暗い森で、僕は一人だ。
また、一人ぼっち。
一人? いや、違う。オスカーだ。オスカーを迎えに行かないと。
足が重い。手が、顔が、血だらけだ。
早く、逃げないと。
オスカーが待ってるのに。もうずいぶん遅くなった。
アイシャは怒ってるだろうか?
ハキューネはどっちだ?
「ルネ君! 乗ってください!」
「ケキュー!」
ソーダイ? ソーダイがなんでオスカーに乗ってるんだ?
「さぁ、早く行きましょう!」
「どこへ行くんだ?」
「焼肉食べ放題ですよ!」
「焼肉? 飯の時間か?」
そういえば、腹が空いた。腹ペコだ。どのくらい食ってなかったっけ?
「ほら、お店の前にみんないます」
ここはキラキラもときストアーじゃないか。
陳列棚に肉が乗った皿がいっぱい並んでる。
「タツキ! 焼き肉屋を始めたのか?」
「ルネにたくさん食わせたかったんだ。ほら、好きなだけ食べていいよ」
タツキが取り皿を僕に渡す。
「ルネ君、ポテトもありますよ」
マエダ。
「ルネ君、カレー出来たよ」
ジュンがカレーを作ってるのか。
「ルネ君の席はこっちですよ」
店の横の駐車場に大きな丸いテーブル。
真ん中の焼き網の中で炭が爆ぜている。
「なぁ、酒持ってない? 嬢ちゃんたちがくれないんだよ」
ユーゴは仕方ないな。たしか、あっちに魔王って酒があった。持ってきてやろう。
店の中には食べ物がいっぱいだ。
肉に、野菜に、パンに、花もある。
ここの棚は全部バラにしたのか。エステルが喜ぶな。
こんなに色々あると迷う。どれを持っていけばいいんだっけ?
「ルネ君、楽しい?」
「爺さん! 病院から出てこられたのか?」
「みんな仲良しでいいでしょ? 愛がいっぱいでキラキラでしょ?」
「うん。みんないる。みんなで飯を食べるんだ。そうだ! 爺さんも一緒に食おう!」
みんなで食べるんだ。肉も野菜もたくさん持っていこう。
カゴに入りきるかな? 両手に持つか!
ゼリーインリョーも必要だな。
服の中に入れよう。
そうだ! おじい様と父上にもゼリーインリョーを持っていこう! きっとビックリするぞ。
これで、父上も伯父上もおじい様と仲良く出来るだろう。
そしたら、一緒に屋敷に居られるんだ!
「兄さん! 忘れものだよ!」
リンカ? うわ! 魚だ! やめろ!
こんなにたくさんの魚、店が埋まってしまうじゃないか!
「ルネ君! 大丈夫⁉」
誰だ? 見えない!
「ルネ君……、ルネ君ってば!」
ユメとメリセントが僕を見下ろしている。
「焼肉は?」
「やだなぁ、焼肉なんてないよ? 夢でも見たの?」
ない? みんなで食べる肉は?
ここは、倉庫だ。売り場は……⁉
売り場の陳列棚はいつものように異世界の物が並んでいる。箱や袋に入った何か。
肉もポテトもカレーもない。
あっちの棚はバラがあったのに……、エステルに食べさせたかったのに。
服の中に入れたはずのゼリーインリョーも、ない。
「ルネ、どうした?」
「タツキ。焼肉屋を始めたんじゃ……」
「あぁ、腹が減ったのか。出前でもとろうか」
腹が減ったのか? そうだ。腹が減ってる。
だから、あんな夢を……。
焼肉をみんなで食べる夢。タツキとソーダイと、ジュンとユーゴと、ユメとアイと、マエダと爺さんもいた。オスカーとエステルも……。
あと、誰かいたっけ?
もっと他に居たような……。
なんだろう? 他にももっと色々な夢を見た気がするのに、思い出せない。
なんだか、すごく切なくて、すごく……疲れた。




