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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第91話 合同実習の準備をするだけなのに、どうして俺の魔法が規格外だと疑われるんだ?


 王立魔道学院の男子寮317号室では、朝の陽射しが窓辺の机を照らし、開いたままの教科書の上に淡い光を落としていた。廊下からは食堂へ向かう学生たちの足音が聞こえ、遠くで誰かが友人を呼ぶ声も混じっている。


 俺は寝台の端に腰掛けながら、昨夜書き留めた合同実習の注意事項を読み返していた。担任のリディア・フェルン先生から告知された実習は、複数の班が情報を交換しながら課題を達成するというもので、具体的な日程や班編成についてはまだ発表されていない。


 それでも、今までの授業で学んだことを整理しておけば、準備が無駄になることはないだろう。そう考えてノートを開いたのだが、最後に書き加えた一文を見たところで、昨夜の自分が少し真面目すぎたような気もしてきた。


『自分が知らないことを、知らないと認める』


(……間違ったことは書いてないんだけど、改めて読むと、何だか立派なことを言いすぎた気がするな)


 俺は頬を掻きながら、ノートを閉じようとした。しかし、その直前に頭の中へ聞き慣れた声が響き、嫌な予感がした。


《おはようございます、マスター。昨日の記述について、私からも一つ補足がございます》


(おはよう、アルカディア。補足って何だよ。別に難しいことを書いたつもりはないぞ)


《知らないことを知らないと認めるという姿勢は、現在のマスターにとって重要です。かつてのマスターは、知らないという状態そのものを認めない設定でしたので》


 俺は閉じかけたノートを、ゆっくり机へ戻した。


(……それ、どういう意味だ?)


《旧設定によれば、マスターが知らない事実は、そもそも世界に存在することを許されません。未知の情報が発生した場合、世界の側が自動的に修正され、マスターが最初から知っていたことになります》


(世界に迷惑をかけすぎだろ、昔の俺!)


《設定上の名称は《全知絶対補完律》です。なお、未知の情報を提示した者は、マスターの偉大さを証明する役割を与えられたことに感謝しなければならない、と記されています》


(知らないことを教えてくれた相手に感謝するのは俺の方だろ! 何で相手に感謝を要求してるんだよ!)


 あまりにも身勝手な設定に、俺は額へ手を当てた。前世で中学生だったころの自分が、どんな表情でその文章を書いていたのかは覚えていないが、少なくとも今の俺なら、絶対に人へ見せたくない内容だった。


「シュウ、朝から難しい顔をしてるね。昨日の合同実習のことを考えてた?」


 隣の机で制服の袖を整えていたエリオットが、こちらへ顔を向けた。彼は俺の手元にあるノートを見て、何か悩んでいるのだと思ったらしい。


「ああ、まあ、そんなところかな。考えすぎても仕方ないとは思うんだけど、知らないことが多いからさ」


「確かに、まだ分からないことばかりだね。でも、昨日先生が説明してくれた内容だけでも、準備できることはあると思うよ。僕も、授業の記録をもう少し整理しておこうかな」


 エリオットはそう言って、自分の机からノートを取り上げた。几帳面な彼の記録には、授業で確認した内容だけでなく、実技中に気づいた小さな問題も書き込まれている。


 俺はその様子を見ながら、少しだけ肩の力を抜いた。分からないことがあるなら、まず分かっていることを整理するという彼の考え方は、最近の俺にとって随分と心強いものになっていた。


「そうだな。朝飯を食べてから、時間があれば一緒に見直そうか」


「うん。それなら、僕も昨日の説明で聞き落としたことがないか確認できるし、ちょうどいいと思う」


 俺たちは机の上を片づけ、食堂へ向かう準備を始めた。アルカディアはそれ以上何も言わなかったが、俺には彼女がまだ何か言いたそうにしている気がしてならなかった。


     ◇


 食堂へ向かう途中、男子寮の階段を下りたところで、フィン・ラデルと顔を合わせた。彼はいつもより大きな鞄を肩に掛けており、歩くたびに中から木製の道具が触れ合うような音がしている。


「おはよう、シュウ、エリオット! ちょうどよかった。二人に聞こうと思ってたことがあるんだ」


「おはよう、フィン。その鞄、今日は随分と重そうだね」


 エリオットが尋ねると、フィンは嬉しそうに鞄を持ち上げた。中には以前の魔導具保守の授業でも持参していた、小さな木製の道具箱が入っているらしい。


「これか? 父さんにもらった道具箱だよ。今日、実技棟で何か準備があるかもしれないだろ。使う機会があるなら、先生に聞いてみようと思ってさ」


「まだ何をするか決まってないんだから、持っていかなくてもよかったんじゃないか?」


 俺が笑いながら言うと、フィンは少し照れたように頭を掻いた。


「まあ、そうなんだけどさ。昨日の合同実習の話を聞いてから、何となく落ち着かなくて。道具を準備しておくだけでも、少しは役に立つかもしれないと思ったんだ」


 その言葉を聞き、俺は意外に感じた。以前のフィンなら、新しい実習と聞けば、まずどんな魔法を使えるのかという話になっていたはずだ。


 けれど、今の彼は道具の準備や先生への確認を考えている。野外訓練や救助訓練を重ねるうちに、少しずつ物事の見方が変わってきたのだろう。


「いいと思うよ。ただ、道具箱を使えるかどうかは、先生に確認してからだね」


 エリオットがそう答えると、フィンは力強く頷いた。


「分かってるって。勝手に使って壊したら、父さんにも申し訳ないしな。それより、今日の午前って通常の魔法実技だったよな?」


「うん。予定表ではそうなってたけど、詳しい内容はまだ聞いてないよ」


 俺たちはそんな話をしながら食堂へ入り、朝食を受け取った。窓際の席にはすでにユリウス・ベルンが座っており、俺たちに気づくと軽く手を上げた。


 フィンは彼の向かい側へ座り、鞄を椅子の脚元へ慎重に置いた。いつもなら勢いよく床へ下ろしていたところだが、道具箱を大切にしているらしい。


「おはよう。今日はみんな早いね」


 ユリウスがそう言うと、フィンはパンを手に取りながら笑った。


「合同実習が楽しみでさ。昨日から、どんなことをするのか考えてたんだよ」


「まだ詳しい内容が発表されてないんだから、考えても分からない部分は多いと思うけどね。それでも、準備しようとするのは悪いことじゃないかな」


 ユリウスは穏やかに答え、フィンの鞄へ視線を向けた。道具箱のことを聞くと、彼も少し興味を示したが、実習で使えるかどうかは担当教員の判断次第だと付け加えた。


 俺は二人の会話を聞きながら、温かいスープを口へ運んだ。学院へ入学したころは、それぞれが自分の得意な魔法をどう活かすかという話が多かった気がする。


 今では、準備や確認、仲間への伝え方について話すことが増えている。それは少し地味な変化かもしれないが、俺には悪いものとは思えなかった。


     ◇


 午前の魔法実技が行われるのは、学院西側にある実技棟だった。


 俺たちが到着すると、広い訓練室の中央には低い木製の台がいくつも並べられており、その上に小さな金属板や魔力測定用の器具が置かれていた。窓から差し込む陽射しは床に長い四角形を作り、室内には磨かれた金属と乾いた木材の匂いが漂っている。


 セレナ・ヴァイス先生はすでに教卓の前に立っていた。学生たちが集まる様子を見守りながら、全員が揃ったところで手元の資料を開いた。


「今日は、魔法の出力を調整しながら、指定された範囲へ正確に魔力を届ける練習を行います。合同実習に向けた正式な準備授業というわけではありませんが、今後の活動にも役立つ内容です」


 その説明を聞いて、俺は台の上に並べられた器具へ目を向けた。金属板には細い溝が刻まれており、溝の先には小さな結晶が埋め込まれている。


 以前の授業で使った魔力応答球とは異なり、今回は魔力を受け取る位置が限定されているらしい。


「皆さんには、金属板の指定された部分だけへ魔力を流してもらいます。結晶が安定して発光すれば成功ですが、周囲の溝へ余分な魔力が流れた場合は、別の結晶が反応します」


 セレナ先生は説明しながら、一枚の金属板を持ち上げた。表面には中央へ続く細い線と、その左右へ枝分かれする溝があり、先端にはそれぞれ色の異なる結晶が取り付けられている。


「今回の目的は、できるだけ強い光を出すことではありません。必要な場所へ、必要な量だけ魔力を届けることです。余分な反応が起きた場合は、魔力の量だけでなく、流し方にも問題がなかったか確認してください」


 先生は実演として、指先から淡い水色の魔力を金属板へ流した。中央の結晶だけが静かに光り、左右の結晶は暗いままだった。


 続いて、わざと魔力の流れを広げてみせる。すると中央の結晶に加えて右側の結晶も反応し、金属板の端へ小さな光が走った。


「今のように、必要な場所へ届いていても、余分な反応があれば成功とは言えません。特に複数人で魔法を扱う場面では、ほかの人が使用している術式へ影響を与える可能性もあります」


 その説明に、学生たちは真剣な表情で頷いた。俺もノートへ注意事項を書き込みながら、自分の魔力の扱い方について考えていた。


(……出力を抑えること自体はできるけど、こういう細かい調整は意識して練習した方がいいよな)


《そのとおりです、マスター。保有魔力量と制御精度は、必ずしも同一ではございません》


(珍しく真面目な助言だな。今日はその調子で頼むよ)


《ただし、旧設定のマスターは、魔力の一粒一粒へ独立した意思を与え、世界の果てまで完全に統率できることになっております》


(……頼んだそばからそれかよ)


《名称は《無限魔素統率機構》です。なお、魔力の粒子はすべてマスターへの絶対忠誠を誓っております》


(魔力に忠誠を誓わせる必要なんてないだろ! そもそも粒子がどうやって誓うんだよ!)


 俺は表情を崩さないようにしながら、静かに息を吐いた。


 この世界で魔法を学ぶようになってから、前世の俺がどれほど適当な設定を作っていたのか、改めて思い知らされることが増えた。魔力の粒子にまで忠誠を誓わせるなど、当時の俺は一体どこまで偉くなりたかったのだろう。


「シュウ、何か気になることがある?」


 隣に立っていたエリオットが小さな声で尋ねてきた。


「いや、ちょっと魔力の細かい制御について考えてたんだ。俺、こういう授業は結構大事だと思ってるからさ」


「うん。僕もそう思う。水魔法でも、広い範囲へ出すのと、細い流れを保つのでは感覚が違うしね」


 エリオットはそう答え、金属板へ視線を戻した。彼の表情には、いつもの落ち着いた集中力が表れている。


 俺も余計なことを考えるのをやめ、先生の次の説明へ意識を向けた。


     ◇


 実習は二人一組で行われることになった。


 俺はエリオットと組み、フィンはユリウスと同じ台を使うことになった。少し離れた場所では、セシリア・ノールとミリア・ハーゼンが並んで器具を確認している。


 各組には金属板が一枚ずつ配られ、最初に一人が魔力を流し、もう一人が反応を観察する。交代したあとには、結果を記録して比較するという手順だった。


「まず僕からやってみてもいい?」


 エリオットが尋ねてきたので、俺は頷いて記録用紙を手に取った。


「もちろん。俺は結晶の反応を見てるよ。もし左右が光ったら、その位置も記録しておく」


 エリオットは金属板の前へ立ち、右手を中央の導入口へ近づけた。指先から淡い水色の魔力が流れ始めると、金属板の中央に刻まれた溝が少しずつ明るくなっていく。


 最初の数秒間は中央の結晶だけが光っていたが、やがて左側の結晶にも、ごく弱い光が生まれた。


「エリオット、左側が少し反応してる。中央の光は安定してるけど、途中から広がったみたいだ」


「ありがとう。今、少しだけ魔力の流れが太くなった感覚があったんだ。次はそこを意識してみるよ」


 彼は魔力を止め、俺が記録した内容を確認した。失敗したことを気にする様子はなく、どの時点で変化が起きたのかを落ち着いて考えている。


 二度目の挑戦では、最初から魔力を細く保つことを意識したらしい。中央の結晶は一度目より控えめな光だったが、左右の結晶は反応しなかった。


「今度は余分な反応が出なかったよ。中央も安定してる」


 俺が伝えると、エリオットは安堵したように微笑んだ。


「よかった。強く流すより、一定の量を保つ方が大事なんだね。最初は少し慎重になりすぎたけど、二度目は感覚がつかめた気がする」


「うん。見ていても違いが分かったよ。次は俺がやってみる」


 俺は記録用紙をエリオットへ渡し、金属板の前へ立った。


 指先を導入口へ近づけると、金属板に刻まれた細い溝がはっきりと見えた。魔力感知を意識すれば、内部を流れる魔力の通り道もある程度は捉えられる。


 ただし、今回は特殊能力を選択する必要はない。普段から使える基礎的な魔力操作だけで、十分に取り組める課題だった。


(……よし。必要な分だけ、ゆっくり流してみよう)


 俺は呼吸を整え、指先から少量の魔力を流した。


 中央の溝が淡く光り始め、結晶へ向かって細い光が伸びていく。左右の溝には余分な反応がなく、最初の数秒間は問題なく進んでいるように見えた。


 しかし、中央の結晶へ魔力が届いた瞬間、思っていたよりも強い光が生まれた。


「……シュウ、少し待って」


 エリオットの声を聞き、俺はすぐに魔力を止めた。


 中央の結晶は一瞬だけ明るく輝いたあと、ゆっくりと光を失っていく。左右の結晶は反応していなかったが、俺は思わず眉を寄せた。


「今、ちょっと強かったか?」


「うん。余分な溝へは流れていなかったけど、中央の結晶がかなり明るくなったんだ。先生の説明だと、必要以上の出力も避けた方がいいはずだから」


 エリオットは記録用紙へ目を落とし、反応が強くなったタイミングを書き込んだ。


 俺は自分の指先を見つめながら、少し考えた。魔力の量は抑えたつもりだったが、結晶へ届く直前に流れが集中したのかもしれない。


(……これ、魔力量が多いからって言い訳したら駄目だよな。結局、細かい調整ができてないってことだし)


《マスターの基礎的な魔力操作に異常はございません。ただし、今回の器具が要求する出力に対して、供給量の変化が急だった可能性があります》


(なるほど。つまり、途中で急に押し込んだみたいになったのか)


《その理解で大きな問題はございません。もっとも、旧設定のマスターであれば、魔力が自発的に器具の許容量を判断し、完全な調整を行うはずですが》


(その便利すぎる設定は、今の練習には関係ないからな)


 俺はアルカディアへそう返し、もう一度金属板へ向き直った。


「エリオット、もう一回やってみてもいいか? 今度は結晶へ届く直前に、流れを少し弱めてみる」


「もちろん。僕も反応をよく見ておくよ。ただ、もしまた強くなったら、すぐ止めよう」


 彼の言葉に頷き、俺は二度目の挑戦を始めた。


 今度は最初から魔力を細く流し、結晶へ届く直前で少しだけ供給量を減らした。光は先ほどより穏やかに広がり、中央の結晶が一定の明るさを保つ。


 エリオットが記録用紙へ目を向けながら、静かに頷いた。


「今度は安定してる。左右の反応もないし、中央の明るさもほとんど変わってないよ」


「よかった。思ったより細かい調整が必要なんだな」


 俺は魔力を止め、肩の力を抜いた。


 強い魔法を使うことなら、俺はそれほど苦労しないかもしれない。けれど、必要な量だけを正確に届けるという作業には、また別の難しさがある。


 その違いを実感できたことが、今回の練習では一番の収穫だった。


     ◇


 実習室の反対側では、フィンとユリウスが同じ課題に取り組んでいた。


 フィンは最初の挑戦で中央の結晶を光らせたものの、左右の結晶まで反応させてしまったらしい。彼は金属板を見つめながら、少し悔しそうに口を曲げている。


「うーん、やっぱり広がっちまうな。火魔法を使うときも、勢いをつけすぎることがあるんだけど、こういう細かいのは難しいぜ」


「最初から強く流そうとしなくてもいいんじゃないかな。中央の結晶が反応する最低限の量を探して、それから安定させる方がよさそうだよ」


 ユリウスは記録用紙を示しながら、落ち着いて助言した。


 フィンはその内容を聞くと、少し考えてから頷いた。以前なら勢いで二度目の挑戦を始めていたかもしれないが、今回は金属板の溝を確認し、導入口と結晶の位置を見比べている。


「なるほどな。最初から全部流そうとするから広がるのか。だったら、少しずつ増やしてみるよ」


 彼は指先を導入口へ近づけ、今度は慎重に魔力を流し始めた。中央の結晶が弱く光ったところで一度流れを保ち、ユリウスの反応を確認する。


 そのまま少しずつ魔力を増やしていくと、中央の結晶だけが安定して光る状態になった。


「よし、今度はどうだ?」


「うん、いいと思う。左右は反応してないし、中央の明るさも一定だよ。さっきよりずっと安定してる」


 ユリウスがそう答えると、フィンは嬉しそうに笑った。


 その様子を少し離れた場所から見ていた俺も、自然と口元が緩んだ。彼の明るさや勢いは、仲間を元気づけてくれる長所だ。


 だからこそ、その勢いを失わずに慎重さも身につけていく姿は、何だか頼もしく感じられた。


 一方、セシリアとミリアの組では、ミリアが記録を担当していた。


 セシリアは水属性の魔力を細く流し、中央の結晶を安定して光らせている。ミリアはその反応を注意深く観察しながら、時折小さな声で確認していた。


「……今の明るさ、最初からほとんど変わってないと思う。右側も左側も反応してないから、安定してるんじゃないかな」


「ありがとう、ミリア。私も今の流れは扱いやすかったわ。次は少しだけ量を変えて、どこから余分な反応が出るのか確認してみてもいいかしら」


 セシリアが尋ねると、ミリアは先生の説明を思い出すように少し考えた。


「……限界を試すようなことはしない方がいいと思うけど、許可された範囲で比較するなら、先生に確認してみてもいいかもしれないね」


「そうね。じゃあ、先に先生へ聞いてみましょう」


 二人は無理に実験を進めず、セレナ先生が近くへ来るのを待った。


 俺はそのやり取りを聞きながら、ミリアの変化を改めて感じていた。以前の彼女なら、気づいたことがあっても、相手の判断を優先して言葉を飲み込んでいたかもしれない。


 今は自分の考えを伝え、その理由も説明できるようになっている。セシリアもそれを自然に受け止めており、二人の間には落ち着いた信頼が生まれているように見えた。


 やがてセレナ先生が各組の記録を確認し始めた。


 俺たちの台へ来た先生は、エリオットが書いた結果を読み、最初の反応が強くなった部分へ目を留めた。


「シュウさん、最初の試行では中央の結晶が強く発光したようですね。二度目は安定しているようですが、何を変えましたか?」


「最初は結晶へ届く直前に魔力が集中したように感じたので、二度目はその部分で供給量を抑えました。左右への反応は出ていませんが、最初の流し方は少し急だったと思います」


 俺が答えると、先生は金属板を確認しながら頷いた。


「自分の操作を振り返れているのはいいことです。魔力量に余裕がある人ほど、必要な量だけを使う意識が重要になります。強い魔法を使えることと、適切に使えることは同じではありませんから」


「はい。これからも気をつけます」


 俺は素直に頷いた。


 先生は続けて、エリオットの記録についても確認した。彼が反応の変化を具体的に書き留めていたことを評価し、二人で比較しながら練習を進めるよう助言してくれた。


 そのとき、少し離れた場所にいた学生の一人が、こちらの金属板へ目を向けた。


「さっき、中央の結晶がすごく明るくなってなかった? あれ、シュウがやったんだよね」


 俺は思わず肩を揺らした。


「えっ? ああ、最初に少し出力を間違えただけだよ。先生にも注意してもらったし、別にすごいことじゃないから」


「でも、あの結晶って、あんなに明るくなるんだな。僕のときは左右が光るばかりで、中央はあまり変わらなかったんだけど」


 その学生は感心したように言ったが、俺としては褒められるようなことをした覚えがなかった。


 むしろ、必要以上に魔力を流したという意味では、最初の挑戦は失敗だったのだ。


「明るくするのが目的じゃないからね。俺も二度目は、できるだけ弱く安定させるようにしたんだ」


 そう説明すると、学生は納得したように頷いた。


 それでも、近くにいた別の学生がこちらへ視線を向けているのに気づき、俺は少しだけ居心地が悪くなった。


(……こういうとき、普通に失敗しただけなのに妙に目立つんだよな)


《マスター。保有魔力量が周囲と異なることは、必ずしも隠しきれるものではございません》


(分かってるけど、俺は授業で普通に練習したいだけなんだよ)


《でしたら、次回は魔力を一切使用せず、視線のみで結晶を発光させる設定を再現してはいかがでしょうか》


(余計に目立つだろ! しかもそんな設定まであったのかよ!)


《《神眼無詠唱支配》の派生効果として記載されております。マスターが見つめた物体は、感激のあまり自発的に発光するとのことです》


(物体に感激させるな! それに絶対、今ここで使えるって話じゃないだろ!)


 俺は心の中で突っ込みながら、何とか平静を保った。


 アルカディアの言葉を聞いていると、魔法の練習よりも、昔の自分の想像力と向き合う方が難しい気がしてくる。


     ◇


 午前の実習が終わるころ、セレナ先生は学生たちを集め、今日の結果について簡単な講評を行った。


 全体として、最初の挑戦では魔力を流しすぎる学生が多かったらしい。しかし、記録を比較しながら二度目、三度目と試すうちに、安定した操作ができる学生が増えていたという。


「今日の練習で大切なのは、最初から成功することではありません。何が起きたのかを確認し、次の操作へ反映することです。失敗した結果も、正確に記録されていれば、次に役立つ情報になります」


 先生はそう言って、教卓の上に置かれた金属板を一枚持ち上げた。


「ただし、失敗を繰り返せばよいという意味ではありません。危険な兆候があればすぐに中止し、原因を確認してください。安全を守るための判断も、魔法を扱う技術の一部です」


 その言葉に、俺は今日の自分の失敗を思い出した。


 最初の挑戦で中央の結晶が強く光ったとき、エリオットがすぐに声をかけてくれた。俺もそこで魔力を止めたからこそ、問題なく次の挑戦へ進めたのだ。


 もし一人で練習していたら、少しぐらいなら大丈夫だと思って、そのまま続けていたかもしれない。


(……やっぱり、見てくれる人がいるって大事なんだな)


 俺は隣に立つエリオットへ目を向けた。


 彼は先生の説明を聞きながら、今日の記録用紙を丁寧に折りたたんでいる。俺の視線に気づくと、不思議そうに首を傾げた。


「どうかした?」


「いや、今日は助かったなと思ってさ。最初に出力が強くなったとき、すぐ教えてくれただろ」


 俺がそう言うと、エリオットは少し驚いたように瞬きをした。


「そんなの、僕も同じだよ。最初に左側が反応したとき、シュウが教えてくれたから気づけたんだし。二人で確認するための練習なんだから、当然だと思う」


 その返事を聞き、俺は自然と笑った。


「そうだな。じゃあ、次もよろしく頼むよ」


「うん。こちらこそ」


 俺たちはそんな会話を交わしながら、実習室の片づけを始めた。


 金属板は指定された箱へ戻し、記録用紙は先生へ提出する。机の上に残った器具を確認していると、フィンが道具箱を持って近づいてきた。


「結局、今日はこれを使う機会がなかったな。まあ、持ってきたからって無理に使うものでもないし、次の機会までしまっておくよ」


 彼は少し残念そうに笑ったが、不満を口にする様子はなかった。


 ユリウスがその隣で頷き、道具箱を見ながら言った。


「必要な場面で使えればいいんじゃないかな。今日みたいに魔力の調整だけで終わる授業なら、道具を使わない方が自然だと思うし」


「そうだな。父さんにも、道具は持ってるだけじゃ意味がないけど、使わなくていいときに使うなって言われたことがあるよ」


 フィンはそう答え、道具箱を鞄へ戻した。


 俺はその言葉に、少し感心した。彼の父親がどんな仕事をしているのか詳しくは知らないが、道具を大切に扱う姿勢は、フィンにも確かに受け継がれているようだった。


     ◇


 昼食の時間になると、俺たちはいつものように食堂へ集まった。


 窓際の席には柔らかな陽射しが差し込み、外では中庭の木々が風に揺れている。午前の実習を終えた学生たちが次々と入ってきて、食堂の中は普段より少し賑やかだった。


 セシリアとミリアも合流し、俺たちはそれぞれ料理を受け取って席へ座った。


「今日の実習、思ったより難しかったわね。魔力を細く流すだけならできると思っていたけど、一定の量を保ち続けるのは意外と集中力が必要だったわ」


 セシリアがそう言うと、ミリアも小さく頷いた。


「……うん。私は最初、中央の結晶を光らせることばかり考えてたけど、途中から左右の反応も気にしなきゃいけないって分かったの。見る場所が増えると、思ったより難しいね」


「だから二人で確認する意味があるんだろうね。自分が魔力を流しているときは、全部の反応を同じように見るのは難しいから」


 エリオットがそう答えた。


 俺も頷きながら、午前の失敗について話した。


「俺なんか、最初に中央の結晶を明るくしすぎたからな。エリオットが止めてくれなかったら、余計な魔力を流してたかもしれない」


 その言葉に、フィンが少し驚いたように顔を上げた。


「えっ、シュウでも失敗するんだな。何か、魔力の調整も全部簡単にできるのかと思ってたよ」


「そんなことないって。強い魔法が使えるのと、細かく調整できるのは別の話だよ。俺だって練習しないと分からないことは多いし」


 俺がそう答えると、ユリウスが少し考え込むように頷いた。


「確かに、魔力量が多い人ほど、細かい調整が難しくなる場面もあるのかもしれないね。今日の課題は、単純な魔力量の比較ではなかったし」


「そうだな。俺も最初は左右を光らせちまったけど、少しずつ流したらうまくいったし」


 フィンはそう言って笑った。


 俺は彼らの反応を見ながら、少し安心した。


 周囲から特別な目で見られることは、今でも少し苦手だ。けれど、こうして普通に失敗したことを話し、それを仲間たちが自然に受け止めてくれるのは嬉しかった。


「そういえば、合同実習の詳しい話って、今日もまだないのかな」


 セシリアが話題を変えるように尋ねた。


 俺たちは互いに顔を見合わせたが、誰も新しい情報は聞いていなかった。


「昨日の連絡では、準備が整い次第って言ってたから、もう少し先なんじゃないかな」


 ユリウスがそう答えると、ミリアが少し考えてから口を開いた。


「……班ごとに違う情報を渡されるなら、記録の取り方も大事になりそうだね。自分たちが見たことと、ほかの班から聞いたことを分けて書いておいた方がいいのかもしれない」


 その言葉に、俺は思わず頷いた。


「確かに。自分で確認した情報と、誰かから聞いた情報は違うもんな。どちらも大事だけど、同じように扱うと混乱するかもしれない」


「うん。だから、どこで誰から聞いたのかも書いておくといいと思う」


 ミリアは少し照れたように笑った。


 彼女が図書館で古い帳簿を調べていたときも、記録の出所や書かれた時期を気にしていたことを思い出す。そうした経験が、今度は合同実習の準備にも役立つのかもしれない。


 俺たちはしばらく、どんな情報を記録しておくと便利かという話を続けた。


 ただし、実習の内容がまだ分からない以上、具体的な方法を決めすぎるのは避けることにした。必要なものが分かってから準備する方が、かえって無駄が少ないだろう。


     ◇


 午後の授業を終えたあと、俺とエリオットは図書館へ立ち寄ることにした。


 目的は、以前から調べている古い記録について、比較できる資料がないか確認することだった。北方の物資帳簿に残された小さな印の意味は、まだ分かっていない。


 ただ、古い時代の記録には、現在とは異なる書式や管理方法が使われている可能性がある。そうした例を知っておけば、少なくとも自分たちの推測が正しいかどうかを考える材料にはなるはずだ。


 図書館へ入ると、室内には紙と古い木材の匂いが漂っていた。高い窓から差し込む午後の光が書架の間へ細く伸び、閲覧席では何人かの学生が静かに本を読んでいる。


 受付の近くには、司書のマティアス・レンさんがいた。


「こんにちは。今日はどのような資料をお探しですか?」


 俺たちに気づいたマティアスさんが、穏やかな声で尋ねてきた。


「こんにちは。以前見せていただいた古い物資管理の記録について、少し調べたいことがあるんです」


 俺がそう答えると、マティアスさんは思い出したように頷いた。


「北方の物資帳簿と、旧式の管理手引を調べていた件ですね。何か新しいことが分かりましたか?」


「いえ、まだはっきりしたことは分かっていません。ただ、帳簿の余白にあった小さな印について、似たような書き方がほかの記録にもないか確認したくて」


 俺はそう説明した。


 マティアスさんは少し考え込み、受付の横に置かれた資料目録へ目を向けた。


「なるほど。特定の印の意味を調べるのであれば、同じ時代や同じ管理組織の記録を比較するのが望ましいでしょう。ただし、保存されている資料が限られている場合もありますので、必ず見つかるとは限りません」


「はい。それでも、比較できる資料があるかどうかだけでも確認したいんです」


 エリオットがそう答えると、マティアスさんは穏やかに微笑んだ。


「分かりました。では、まず目録を確認してみましょう。古い物資管理の記録は、現在の分類とは異なる名称で登録されているものもありますから」


 俺たちは受付の横にある小さな机へ移動し、マティアスさんが開いた目録を覗き込んだ。


 そこには年代や地域、記録の種類ごとに資料名が並んでいる。しかし、同じ時代の資料であっても、保存状態や記録の目的はさまざまだった。


 俺は一つひとつの項目を確認しながら、思っていた以上に比較が難しいことを感じていた。


(……同じ時代の帳簿なら、似たような印があるかもしれないと思ったけど、そもそも残ってる資料が少ないんだな)


《古い記録の比較には、資料の成立時期、作成者、保存経緯などの確認が必要です。外見が似ているという理由だけで、同一の意味を持つとは判断できません》


(そうだな。今まで調べたことも、全部がつながってるとは限らないし)


 俺は心の中で頷き、目録へ視線を戻した。


 しばらく確認を続けたところ、マティアスさんが一つの項目へ指を止めた。


「こちらに、古い設備保守の記録についてまとめた資料があります。ただし、北方の物資帳簿と同じ組織のものではありませんし、年代も完全には一致しません。参考になるかどうかは、実際に内容を見てみないと分かりませんね」


 俺とエリオットは顔を見合わせた。


「それでも、見てみたいです。記録の書き方を比較するだけでも、勉強になると思うので」


 エリオットがそう答えると、マティアスさんは頷いた。


「では、閲覧できる状態か確認してきます。少しお待ちください」


 彼は目録を閉じ、書架の奥へ向かった。


 俺たちは受付の近くにある閲覧席へ座り、持参したノートを開いた。


 今までに確認した帳簿の印について、位置や形、周囲の記載内容を整理しておく。印そのものが不鮮明だったため、正確な形を断定できないことも改めて書き添えた。


「こうして見直すと、まだ分からないことばかりだね」


 エリオットが小さく呟いた。


「そうだな。でも、分からないことが分かってるだけでも、前よりは進んでるんじゃないか?」


 俺がそう答えると、彼は少し驚いたようにこちらを見た。


 そして、静かに微笑んだ。


「うん。そうかもしれないね。最初は、何を調べればいいのかも分からなかったんだから」


 俺たちはそれ以上言葉を重ねず、ノートへ視線を戻した。


 図書館の中には、紙をめくる音と、遠くで椅子が小さく動く音だけが響いていた。


     ◇


 しばらくして、マティアスさんが薄い冊子を一冊持って戻ってきた。


 表紙には古い文字で、設備保守に関する記録の整理例であることが記されている。原本ではなく、後年にまとめられた資料らしく、ところどころに注釈が添えられていた。


「こちらは閲覧可能です。ただし、原記録のすべてが収録されているわけではありません。編纂者が選んだ例をまとめたものなので、その点には注意してください」


 マティアスさんはそう説明し、冊子を机の上へ置いた。


「ありがとうございます。気をつけて読みます」


 俺たちは礼を言い、慎重にページを開いた。


 内容は、古い設備の点検や部品交換について、どのような記録が残されていたかを紹介するものだった。


 記録の例には、設備の種類、点検した日付、担当者、交換した部品の名称などが記されている。中には、部品を取り外した理由が本文ではなく欄外へ短く書き添えられているものもあった。


 俺はその部分を見つけ、思わず身を乗り出しかけた。


「エリオット、これ……」


 声をかけると、彼もすぐに該当箇所へ目を向けた。


 しかし、エリオットはすぐに結論を出そうとはせず、冊子の注釈を確認した。


「欄外に補足が書かれている例はあるね。でも、これが北方の帳簿にあった印と同じものかどうかは分からないよ。こっちは文字として読めるし、記録の目的も違うから」


「そうだな。少なくとも、古い記録で欄外を使うことがあった、っていう参考にはなるかもしれないけど」


 俺はそう答え、ノートへ慎重に書き込んだ。


 そこへマティアスさんが戻ってきたので、俺たちは気になった部分について尋ねた。


「この冊子にある欄外の補足って、当時の記録方法として一般的だったんでしょうか?」


 俺が質問すると、マティアスさんは該当箇所を確認し、少し考えてから答えた。


「一般的だったかどうかを、この資料だけで判断するのは難しいですね。少なくとも、こうした記録例が存在したことは分かります。ただし、組織によって書式が異なりますし、後から補足された可能性もあります」


「なるほど。じゃあ、北方の帳簿にあった印も、同じような補足だったとは限らないんですね」


「そのとおりです。比較すること自体は有益ですが、似ているという印象だけで意味を決めない方がよいでしょう」


 マティアスさんの言葉に、俺たちは揃って頷いた。


 新しい資料を見つけたことで、何か大きな手がかりが得られるのではないかと期待していた部分もあった。しかし、実際には、記録の扱い方について少し理解が深まった程度だった。


 それでも、俺は落胆しなかった。


 分からないことを無理に埋めようとせず、分かった範囲だけを記録する。最近の授業で学んでいることと、今の調査は確かにつながっている。


(……こういう地道な調べ方も、案外嫌いじゃないんだよな)


《マスター。かつての設定では、古文書へ手を触れただけで、その成立から現在までのすべての歴史を読み取ることが可能でした》


(……またかよ。今度は何て名前なんだ?)


《《永劫記憶閲覧》です。なお、書物が存在しない場合は、世界の記憶そのものを直接閲覧できることになっております》


(それじゃ図書館の意味がなくなるだろ!)


《旧設定では、図書館はマスターの知識を称えるための神殿として扱われておりました》


(司書さんに謝れ! 今すぐ心の中で謝れ!)


 俺は思わず額へ手を当てそうになったが、目の前にはマティアスさんがいる。何とか動きを止め、平静を装った。


 マティアスさんは俺の様子に気づかなかったらしく、冊子の扱い方について最後にもう一度注意を伝えると、受付へ戻っていった。


 俺はその背中を見送りながら、心の中で深くため息をついた。


(……本当に、昔の俺は何でも自分中心に考えてたんだな)


《その点については、否定いたしかねます》


(そこは少しぐらい否定してくれよ!)


 アルカディアから返事はなかった。


 その沈黙が、かえって俺の胸に突き刺さった。


     ◇


 図書館を出るころには、窓の外の光が少しずつ橙色へ変わり始めていた。


 俺とエリオットは借りた資料を返却し、今日確認した内容をノートへまとめてから、男子寮へ向かうことにした。新しい冊子から決定的な情報は得られなかったが、古い記録には欄外へ補足が書かれる場合があるという例を確認できた。


 ただし、それが北方の物資帳簿の印と同じ意味を持つとは限らない。俺たちはその点を何度も確認し、推測を事実として扱わないようにした。


「今日の資料、ミリアにも話してみようか」


 エリオットが尋ねてきた。


「うん。記録の書き方については、ミリアも興味を持ってたしな。ただ、まだ分かったことは少ないから、そのまま伝えよう」


「そうだね。あの冊子に載っていた例と、北方の帳簿の印が同じものだとは言えないし」


 俺たちはそう話しながら、学院の渡り廊下を歩いた。


 窓の外では、午後の授業を終えた学生たちが中庭を横切っている。遠くの実技場からは、まだ練習を続けているらしい学生たちの声が聞こえていた。


 俺はその光景を眺めながら、今日の一日を振り返った。


 午前は魔力の細かい調整を学び、午後は古い記録の扱い方を考えた。


 どちらも、最強の力を持つ主人公が派手に活躍するような出来事ではない。


 けれど、俺にとっては大切な時間だった。


 力を持っているからこそ、慎重に使う必要がある。知らないことがあるからこそ、調べる必要がある。


 そして、一人では気づけないことも、仲間と一緒なら見つけられるかもしれない。


「シュウ、今日は少し楽しそうだね」


 隣を歩くエリオットが、穏やかな声で言った。


 俺は少し驚いて彼を見た。


「そう見える?」


「うん。午前の実習では失敗もあったけど、最後はちゃんと調整できたし、図書館でも新しい資料を見られたからかな」


 エリオットはそう言って微笑んだ。


 俺は少し考えてから、素直に頷いた。


「そうだな。何か大きなことが分かったわけじゃないけど、少しずつできることが増えてる気がするんだ」


「僕も同じだよ。最初のころは、授業についていくことだけで精一杯だったけど、最近は学んだことが別の場面でも役に立つって分かってきたから」


 彼の言葉を聞き、俺は静かに笑った。


 学院へ入学してから、まだそれほど長い時間が経ったわけではない。それでも、俺たちは少しずつ変わっているのだと思う。


 その変化を、こうして一緒に感じられることが嬉しかった。


     ◇


 男子寮317号室へ戻ると、俺たちはそれぞれ机へ向かい、今日の記録を整理し始めた。


 窓の外では夕方の光が少しずつ薄れ、遠くの尖塔が淡い影を落としている。廊下からは食堂へ向かう学生たちの声が聞こえていたが、部屋の中は落ち着いた静けさに包まれていた。


 俺は午前の実習について書いたノートを開き、最初の失敗と二度目の成功を見比べた。


 最初は魔力が集中しすぎて、中央の結晶が必要以上に明るくなった。


 二度目は供給量を調整し、安定した反応を保つことができた。


 それだけの違いだが、俺にとっては小さくない経験だった。


(……最強の力があっても、こういうことはちゃんと練習しないと駄目なんだよな)


《マスター。その認識は適切です。力の規模と、力を扱う判断は別の問題でございます》


(うん。今日は本当にそう思ったよ)


 俺はペンを動かしながら、もう一つ気づいたことを書き加えた。


『必要以上の力を使わないことも、技術の一つ』


 その一文を見つめていると、前世でノートへ書き込んだ数々の設定が頭をよぎった。


 世界を破壊するほどの攻撃。


 あらゆるものを防ぐ結界。


 時間や空間を自在に操る力。


 当時の俺は、どれだけ強い能力を考えられるかということばかり気にしていた。


 けれど、今は少し違う。


 大切なのは、何ができるかだけではない。


 その力を、いつ、どこで、誰のために使うのか。


 そして、使わない方がいいときに、ちゃんと使わずにいられるかどうか。


 俺はそのことを、少しずつ学んでいるのだと思う。


《マスター。最後に一点、確認してもよろしいでしょうか》


 アルカディアの声が、頭の中へ静かに響いた。


(……何だよ。今度はどんな設定だ?)


《旧設定におけるマスターは、全力を出すと世界が崩壊するため、常に力の九十九・九九九九パーセントを封印していることになっております》


(……また随分と細かい数字だな)


《なお、残された力の一万分の一でも、神々を圧倒できると記述されております》


(それ、もう封印してる意味がないだろ!)


《当時のマスターは、力を抑えていること自体が最大の強さの証明であると考えていたようです》


 俺は思わず苦笑した。


 昔の俺が考えた設定は、どれも大げさで、今思えば恥ずかしいものばかりだ。


 それでも、少しだけ分かる気がする。


 強い力を持ちながら、それを必要なときだけ使う。


 その考え方自体は、今の俺にも通じるものがあるのかもしれない。


(……まあ、昔の俺も、全部が全部間違ってたわけじゃないのかな)


《その解釈は可能です。ただし、旧設定には、マスターがくしゃみをしただけで三つの大陸が消滅したという逸話もございます》


(やっぱり全部駄目だったわ!)


 俺は心の中で全力で突っ込み、思わず机へ額を近づけた。


「シュウ? 疲れたなら、少し休んだ方がいいんじゃない?」


 エリオットが心配そうに声をかけてきた。


 俺は慌てて顔を上げ、何でもないように笑った。


「ああ、大丈夫。ちょっと昔の自分に呆れてただけだから」


「昔の自分?」


「うん。……まあ、今はちゃんと成長したいなって思ってるよ」


 エリオットは少し不思議そうな表情になったが、やがて穏やかに微笑んだ。


「そうだね。僕も、少しずつできることを増やしていきたいな」


 その言葉を聞き、俺は静かに頷いた。


 合同実習がいつ行われるのかは、まだ分からない。


 古い記録の謎も、訓練用標的の異常も、今は答えが出ていない。


 それでも、今日の俺たちは確かに新しいことを学んだ。


 俺は窓の外に広がる夕暮れの学院を眺めながら、明日もまた仲間たちと一緒に学べることを楽しみに思った。


 最強の魔導書を持っているからといって、何もかも一人で解決する必要はない。


 むしろ、誰かと一緒に考え、失敗し、少しずつ前へ進んでいく時間こそ、今の俺が大切にしたいものだった。


 そう思いながらノートを閉じると、アルカディアが珍しく何も言わず、静かにしていた。


 その沈黙が少しだけ心地よく感じられたので、俺はあえて声をかけなかった。


 けれど、ほんの少ししてから、彼女が小さく呟いた。


《……なお、くしゃみによる大陸消滅は、マスターの意思とは無関係に発生する設定でした》


(だから、最後に余計なことを言うなって!)


 俺は心の中で叫びながら、結局、今日も昔の自分の黒歴史に振り回されていることを思い知らされた。

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