第88話 壊れた標的の原因を調べるはずが、俺の魔力まで検査されることになりました
翌朝、王立魔道学院の男子寮317号室で目を覚ました俺は、窓の外に広がる青空を眺めながら、昨日の実技授業を思い返していた。
昨日は複数属性による標的制御演習が行われ、俺とエリオットはそれぞれの魔法を指定された位置へ当てる練習をした。魔法の威力を抑えることと、内部の魔力密度を調整することが別の技術だと知り、かなり勉強になった一日だったのだが、最後に少し気になる出来事が起きている。
俺たちが使用していた訓練用標的の中心結晶が、魔法を当て終わったあとも弱く明滅したのだ。
セレナ・ヴァイス先生はすぐに標的の使用を中止し、原因を確認すると説明していた。しかし、あの異常が何によって起きたのかについては、まだ何も分かっていない。
(……俺の魔力が原因じゃなければいいんだけどな)
そう考えながら制服の上着へ袖を通すと、隣の机で教本を整理していたエリオットがこちらへ顔を向けた。
「シュウ、昨日の標的のこと、まだ気になってる?」
「うん、少しだけ。俺たちの魔法が何か影響したのかなって考えちゃってさ」
俺が答えると、エリオットは教本を閉じ、穏やかな表情で首を横に振った。
「先生も、原因はまだ分からないって言ってたよね。僕たちの魔法が指定された範囲内だったことも確認してくれたし、今の段階で自分たちのせいだと思う必要はないんじゃないかな」
「そうだよな。分かってるつもりなんだけど、つい考えちゃうんだよ」
「気になるのは僕も同じだよ。でも、昨日みたいに異常を見つけたらすぐ止めるっていう判断ができたんだから、そこはよかったと思う」
エリオットはそう言って微笑んだ。
その言葉に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。エリオットもあの標的を使っていたのだから、不安がまったくないわけではないはずだ。
それでも、彼は確認できた事実と、まだ分からないことをきちんと分けて考えている。
(……こういうところ、本当に見習わないとな)
《マスター。エリオット様の判断は合理的でございます。現時点では、魔力の異常反応がどの段階で発生したのか特定できておりません》
(うん。アルカディアも昨日からそう言ってたもんな)
《ただし、マスターの魔力が一般的な学生と比較して特殊であることも事実です》
(……そこは否定できないんだよな)
俺は小さく息を吐き、机の上に置いていた鞄を持ち上げた。
アルカディアは俺の魂と一体化しているため、ほかの人間にはその存在が分からない。俺自身も、その秘密を学院の仲間たちへ話すつもりはなかった。
だからこそ、普通の魔法を使うときには、できるだけ慎重でいる必要がある。
「そろそろ食堂へ行こうか。今日は午前中から授業があるし」
エリオットが立ち上がりながら声をかけてきた。
「そうだな。昨日は何だかんだで疲れたし、朝飯はしっかり食べたい」
俺たちは部屋を出て、朝の光が差し込む廊下を歩き始めた。
階段の方からは、ほかの学生たちの話し声が聞こえてくる。昨日の実技について話している学生もいるようだったが、俺たちの標的に起きた異常が大きな噂になっている様子はなかった。
そのことに、俺は少し安心していた。
◇
午前の授業が終わり、昼食のために食堂へ向かうと、フィンがいつものように手を振っていた。
彼の隣にはユリウスが座っており、少し離れた席ではセシリアとミリアが料理を受け取っている。
「おーい、シュウ! エリオット! こっち空いてるぞ!」
フィンの声に応えて近づくと、彼はすぐに昨日の実技の話を始めた。
「なあ、昨日の標的、結局どうなったんだろうな。先生が調べるって言ってたけど、何か聞いたか?」
「いや、まだ何も聞いてないよ。俺たちも気になってるところ」
俺が答えると、フィンは少し残念そうに肩を落とした。
「そっか。何か分かったら教えてくれよ。ああいう魔導具って、普段はどんなふうに点検してるのか気になるんだよな」
「フィン、昨日の授業から随分興味を持つようになったね」
エリオットが笑いながら言うと、フィンは少し得意そうな顔をした。
「そりゃそうだろ。魔法を撃つのも面白いけど、道具の仕組みが分かると、何でそうなるのか考えられるじゃん」
その言葉に、ユリウスが静かに頷いた。
「確かに、昨日の授業は勉強になったよ。僕も、魔力を抑えることと、魔法の形を維持することが別の問題だって、実際にやってみてよく分かった」
俺たちは料理を受け取り、同じ卓へ腰を下ろした。
今日の昼食は、香草を使った鶏肉の煮込みと野菜のスープ、それに焼きたてのパンだった。窓の外では学生たちが中庭を歩いており、食堂の中には温かな料理の匂いと賑やかな話し声が広がっている。
セシリアとミリアも合流すると、話題は自然と昨日の標的のことへ戻った。
「先生がすぐに使用を止めてくれてよかったわ。もし反応が残ったまま次の人が魔法を使っていたら、危なかったかもしれないもの」
セシリアがそう言うと、ミリアも小さく頷いた。
「……あの標的、最初から少し調子が悪かった可能性もあるのかな。私たちが使った標的とは、反応の仕方が違っていたように見えたから」
「そうかもしれないね。でも、実際に内部を調べないと分からないと思う」
エリオットが答えたところで、俺はミリアの言葉を少し考えた。
昨日の魔導具保守の授業では、外見に問題がなくても内部の接触不良が起きることを学んでいる。
だから、訓練用標的にも似たような問題が起きていたとしても、不思議ではない。
ただし、それはあくまで可能性の一つだ。
「先生が調べてくれるなら、俺たちは結果を待つしかないよな」
俺がそう言うと、ユリウスも頷いた。
「うん。原因が分かれば、今後の授業にも役立つと思う。標的の管理方法を見直す必要があるかもしれないし」
そのとき、食堂の入口から見慣れた人物が入ってきた。
セレナ・ヴァイス先生だった。
先生は周囲を見渡すと、俺たちの卓へ向かって歩いてきた。
「シュウ・アルヴェイン、エリオット・ファーレン。少しよろしいですか?」
突然名前を呼ばれ、俺は思わず背筋を伸ばした。
「はい。何でしょうか?」
「昨日の標的について、確認したいことがあります。午後の授業が終わったあと、実習棟へ来てもらえますか?」
先生の声は落ち着いていたが、俺は胸の奥が少しだけ緊張するのを感じた。
エリオットも真剣な表情で頷いている。
「分かりました。授業が終わったら伺います」
「ありがとうございます。難しいことをお願いするわけではありませんので、普段どおり授業を受けてください」
先生はそう言って微笑むと、食堂を後にした。
俺たちはしばらく顔を見合わせていた。
「……何か、ちょっと緊張するな」
俺が呟くと、フィンが励ますように笑った。
「大丈夫だって。先生も怒ってる感じじゃなかったし、昨日の標的のことを確認したいだけだろ?」
「そうだね。僕たちも、分かる範囲で説明すればいいと思う」
エリオットが穏やかに答えた。
俺は頷き、スープへ手を伸ばした。
午後の授業が終わるまで、まだ少し時間がある。
今から必要以上に心配しても仕方がない。
そう考えながら、俺は目の前の昼食へ意識を戻した。
◇
午後の授業が終わるころには、窓から差し込む陽射しが少し傾いていた。
俺とエリオットは教本を鞄へしまい、約束どおり実習棟へ向かった。
廊下には授業を終えた学生たちが行き交っており、どこかから工具の触れ合う音が聞こえてくる。昨日の魔導具保守の授業で訪れた建物だったが、今日は少し違う気持ちで中へ入った。
案内されたのは、実習棟の奥にある小さな点検室だった。
室内には作業台が二つ置かれ、壁際の棚には工具や交換用の部品が整理されている。窓から差し込む午後の光が金属製の器具へ反射し、室内には油と乾いた木材の匂いが漂っていた。
中央の作業台には、昨日使用した訓練用標的が横向きに置かれていた。
標的の外側には目立った傷がなく、表面に描かれた魔法陣も、見た限りでは破損していない。
ただ、中心に埋め込まれていた結晶の周囲には、細い金属製の工具がいくつか並べられていた。
セレナ先生は俺たちを迎えると、作業台の前へ案内してくれた。
「来てくれてありがとうございます。昨日の標的について、いくつか確認したいことがあります」
「はい」
俺たちは頷き、先生の説明を待った。
先生は標的の側面にある小さな蓋を開き、内部の部品を見せてくれた。
「昨日、標的の中心結晶が魔法を受けたあとも明滅していましたね。あの現象について、まず内部の状態を確認しました」
俺は思わず身を乗り出しかけたが、作業台へ触れないように姿勢を整えた。
内部には複数の導線と小さな結晶が組み込まれており、中心の結晶へ魔力を伝える仕組みになっているらしい。
先生はその中の一つを指さした。
「ここにあるのは、魔力の反応を一時的に保持するための補助部品です。標的へ魔法が命中したとき、その反応を短時間だけ記録する役割があります」
俺はその説明を聞き、昨日の表示板を思い出した。
魔法が命中したあと、数値が表示されるまでにはわずかな時間があった。
その間、内部の部品が魔力の反応を保持しているのだろう。
「この補助部品を確認したところ、反応が消えるまでの時間が通常より長くなっていました。ただし、なぜそうなったのかについては、まだ確認中です」
先生はそこで一度言葉を区切った。
俺は少しだけ息を吐いた。
少なくとも、内部の反応が残っていたこと自体は確認されたらしい。
しかし、その原因までは分かっていない。
「そこで、昨日の二人の魔法について、もう一度確認したいのです。まず、どちらが先に魔法を放ちましたか?」
「僕です。左側の輪へ水球を当てました」
エリオットが落ち着いて答えた。
「そのあと、標的の反応が消えたことを確認してから、シュウが右側の輪へ風属性の魔法を放ちました」
先生は頷き、手元の記録用紙へ書き込んだ。
「魔法の間隔は、どの程度空けましたか?」
「正確な時間までは分かりませんが、表示板の反応が落ち着いて、結晶の光が消えたことを確認してからでした」
エリオットは少し考えながら答えた。
俺も頷いた。
「俺も、エリオットの魔法の反応が消えたのを見てから撃ちました。風の弾は小さくして、威力も指定された範囲に収めたつもりです」
先生は二人の説明を聞き、記録用紙へ目を落とした。
「分かりました。昨日の表示板にも、二人の魔法は指定された範囲内だったと記録されています。少なくとも、明らかな過剰出力は確認されていません」
その言葉に、俺は少しだけ安心した。
しかし、先生は続けて口を開いた。
「ただし、魔力の量だけでは説明できない反応が起きる場合もあります。魔法の密度や流れ方によって、標的内部の部品へ与える影響が変わることがあるのです」
俺はその説明を聞き、昨日の実技で学んだことを思い出した。
水球の大きさと魔力の密度は別に考える必要がある。
それと同じように、標的へ与える影響も、単純な威力だけでは判断できないのだろう。
「……つまり、俺たちの魔法が指定された範囲内でも、何か影響した可能性はあるってことですか?」
俺が尋ねると、先生は慎重に頷いた。
「可能性としてはあります。ただし、それが原因だと決まったわけではありません。標的側の状態も関係しているかもしれませんから」
先生の答えは、俺が予想していたよりも落ち着いたものだった。
俺たちを責めるのではなく、確認できたことと、まだ分からないことを分けて説明してくれている。
その姿勢に、俺は少しだけ安心した。
◇
説明が一段落すると、セレナ先生は作業台の端へ置かれていた小さな器具を手に取った。
それは手のひらほどの大きさの金属製の輪で、中央には透明な結晶が固定されている。周囲には細かな目盛りが刻まれ、持ち手の部分には魔力を流すための術式が描かれていた。
「これは、魔力の流れ方を確認するための簡易測定具です。二人には、昨日と同じような魔法を、ごく弱い出力で再現してもらいたいと思っています」
俺は思わず目を見開いた。
「……俺たちの魔法を、もう一度ですか?」
「ええ。ただし、標的へ攻撃するわけではありません。この測定具へ少量の魔力を流してもらい、反応の傾向を確認するだけです」
先生はそう説明し、測定具を作業台へ置いた。
「危険な検査ではありませんし、無理に行う必要もありません。二人が協力してくれるなら、昨日の標的の反応について、もう少し情報が得られるかもしれません」
俺はエリオットへ目を向けた。
彼も少し驚いているようだったが、すぐに落ち着いた表情で頷いた。
「僕は大丈夫です。原因を調べるために必要なら、協力したいと思います」
その言葉を聞いて、俺も頷いた。
「俺も大丈夫です。できる範囲で協力します」
先生は穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます。では、まずエリオットからお願いします」
エリオットは作業台の前へ立ち、測定具へ右手をかざした。
先生の指示に従い、ごく少量の水属性魔力を流し込む。
透明な結晶が淡い青色に光り、周囲の目盛りへ細い光の線が浮かび上がった。
先生はその反応を確認し、記録用紙へ数字を書き込んだ。
「よろしい。安定していますね。魔力の流れも滑らかです」
エリオットは少し安心したように息を吐いた。
続いて、俺の番になった。
俺は測定具の前へ立ち、右手をかざした。
先生からは、普段の授業で使うよりもさらに弱い魔力を流すよう指示されている。
(……よし。今度こそ、余計な反応が出ないようにしないとな)
《マスター。通常魔法の範囲で、出力を十分に低く抑えることは可能です》
(分かってる。慎重にやるよ)
俺は呼吸を整え、指先へごく少量の魔力を集めた。
水属性の魔力を選び、測定具の結晶へ静かに流し込む。
結晶が淡い青色に光った。
最初の反応は、エリオットのときと大きく変わらないように見えた。
しかし、次の瞬間、周囲の目盛りに浮かんだ光の線が、わずかに細かく揺れた。
俺はその変化に気づき、思わず息を止めかけた。
(……あれ?)
《マスター。魔力の出力自体は安定しております》
(じゃあ、何で光が揺れてるんだ?)
《測定具の反応特性による可能性もございます。現時点では断定できません》
俺は心の中で頷き、魔力の流れを一定に保った。
先生は測定具の目盛りを確認し、少しだけ眉を上げた。
「……なるほど。興味深い反応ですね」
その言葉に、俺の胸が少しだけ緊張した。
「何か問題がありますか?」
俺が尋ねると、先生は首を横に振った。
「問題があると決まったわけではありません。魔力の量は十分に抑えられていますし、流れも安定しています。ただ、測定具の反応が少し細かく変動していますね」
先生はそう言いながら、記録用紙へ数字を書き込んだ。
エリオットも興味深そうに測定具を眺めている。
「シュウの魔力って、やっぱり普通の学生とは少し違うんでしょうか?」
エリオットが尋ねると、先生は慎重に答えた。
「魔力の性質には個人差があります。複数属性を扱える学生の場合、魔力の流れ方に特徴が見られることもあります。ただし、今回の反応だけで何か特別な結論を出すことはできません」
俺はその説明を聞き、少しだけ安心した。
先生は俺の魔力が普通と違う可能性を認識しているようだが、それをすぐに異常だと決めつけているわけではない。
俺は指先から魔力を流すのを止め、測定具から手を離した。
結晶の光はゆっくりと消えていった。
◇
検査が終わると、セレナ先生は記録用紙を整理し、俺たちへ向き直った。
「協力してくれてありがとうございます。今日の結果は、昨日の標的の反応を調べるための参考にします」
「これで原因が分かりそうですか?」
俺が尋ねると、先生は少し考えてから答えた。
「まだ分かりません。標的の補助部品がどの程度影響しているのか、ほかの条件でも確認する必要があります。今日の測定だけで結論を出すつもりはありません」
その答えに、俺は頷いた。
原因がすぐに分からないことは少し残念だったが、先生が慎重に調べてくれているのはありがたかった。
エリオットも同じ気持ちらしく、穏やかな表情で口を開いた。
「もし僕たちにできることがあれば、また声をかけてください」
「ありがとうございます。ただ、二人は普段の授業を優先してください。今回の件は、教員側で確認を進めます」
先生はそう言って微笑んだ。
俺たちは礼を述べ、点検室を後にした。
実習棟の廊下へ出ると、窓から差し込む夕方の光が床へ長い影を落としていた。
工具の音はすでに少なくなっており、建物の中は昼間よりも静かだった。
「……何か、思ってたより普通の検査だったな」
俺が呟くと、エリオットが小さく笑った。
「そうだね。僕も少し緊張してたけど、先生が丁寧に説明してくれたから安心したよ」
「うん。でも、俺の魔力の反応が少し違ったのは気になるな」
「そうだね。ただ、先生も個人差があるって言ってたし、今の段階では何とも言えないと思う」
エリオットはそう答え、廊下の先へ目を向けた。
俺も頷き、歩き始めた。
検査の結果がどうなるかは、まだ分からない。
けれど、少なくとも、俺たちが何か危険なことをしたと決まったわけではない。
そのことを忘れないようにしようと思った。
◇
実習棟を出ると、夕方の風が少し冷たく感じられた。
学院の中庭には、授業を終えた学生たちが何人か残っており、遠くから楽しそうな話し声が聞こえてくる。
俺とエリオットは男子寮へ向かいながら、今日の検査について話していた。
「シュウ、今日の測定具って、昨日の標的とは仕組みが違うんだろうね」
エリオットがそう言うと、俺は頷いた。
「たぶんね。標的は魔法が命中したときの反応を記録するけど、今日の測定具は魔力を直接流して確認してたし」
「そう考えると、同じ魔力でも道具によって反応が違う可能性はあるよね」
「うん。だから、今日の結果だけで昨日の原因を決められないんだと思う」
俺たちはそんな話をしながら、中庭の石畳を歩いた。
途中、噴水の近くでセシリアとミリアの姿が見えた。
二人は何か話していたようだが、俺たちに気づくと笑顔で近づいてきた。
「シュウ、エリオット。先生との確認は終わったの?」
セシリアが尋ねてきた。
「うん。昨日の標的について、少し話を聞いてきたよ」
エリオットが答えると、ミリアも興味深そうに顔を上げた。
「……何か分かった?」
「標的の内部で、魔力の反応が消えるまでの時間が長くなっていたらしいんだ。でも、原因はまだ調べているところだって」
俺が説明すると、ミリアは少し考え込んだ。
「そうなんだ。じゃあ、標的の部品が悪かったのか、魔法の反応が影響したのかは、まだ分からないんだね」
「うん。先生も、いくつかの可能性を確認する必要があるって言ってたよ」
俺は頷いた。
セシリアは少し安心したように微笑んだ。
「でも、二人とも怪我がなくてよかったわ。昨日は少し心配だったから」
「ありがとう。俺たちは大丈夫だよ」
俺が答えると、セシリアは穏やかに頷いた。
ミリアも少し笑い、手に持っていた教本を抱え直した。
「……こういうことって、古い記録を調べるときにも似てるね。分からないことがあったら、すぐに答えを決めないで、確認できるところから調べるっていうのが」
その言葉に、俺は思わず笑みを浮かべた。
「確かにそうだな。最近、そういうことを考える機会が多い気がする」
「うん。私も、前より少しだけ、分からないことをそのままにしておくのが怖くなくなったかもしれない」
ミリアはそう言って、少し照れたように笑った。
その表情を見て、俺は嬉しくなった。
彼女は図書館での調査を通じて、自分の考えを少しずつ言葉にするようになっている。
今日も、分からないことを分からないまま受け止める大切さを、自分の言葉で説明してくれた。
俺たちはしばらく話したあと、寮へ戻るために別れた。
セシリアとミリアは女子寮へ向かい、俺とエリオットは男子寮へ歩き始めた。
◇
その日の夜、俺は317号室の机へ向かい、今日の出来事をノートへまとめていた。
窓の外にはすっかり夜の闇が広がり、遠くの廊下からは学生たちの話し声がかすかに聞こえてくる。
机の上には魔法理論の教本と、今日の授業で使ったノートが並んでいた。
俺はペンを動かしながら、点検室で聞いた内容を書き留めた。
『標的の補助部品で、魔力の反応が消えるまでの時間が通常より長くなっていた』
『原因は未確認』
『簡易測定具では、俺の魔力に細かな変動が見られた』
『ただし、標的の異常との関連は不明』
そこまで書いたところで、俺はペンを止めた。
今日の検査で分かったことは、思っていたより少ない。
しかし、何も分からなかったわけではない。
標的の内部で起きていた現象について、少しだけ具体的な情報が得られた。
そして、俺の魔力についても、これまで意識していなかった特徴があるかもしれないと分かった。
(……でも、これがアルカディアと関係してるかどうかは、まだ分からないんだよな)
《そのとおりでございます、マスター。現在の情報のみでは、私との同化が測定結果へ影響したと断定することはできません》
(うん。勝手に結びつけないようにしないとな)
《なお、旧設定においては、マスターの魔力は測定器具の限界を超えるため、すべての数値が無限大と表示されることになっております》
(……またその話かよ)
《さらに、測定器具が耐えきれず崩壊し、周囲の学生たちが驚愕する展開も想定されておりました》
(測定器を壊すこと前提で設定を考えるなよ! 学院の備品だぞ!)
俺は心の中で反論しながら、思わず額へ手を当てた。
前世の俺は、どうしてこうも何でも壊したがる設定を作っていたのだろう。
強さを示す方法が、道具を壊すことしかなかったのかもしれない。
しかし、今の俺は、そんなことを望んでいない。
むしろ、昨日の魔導灯のように、壊れたものを直せた方がずっと嬉しい。
(……昔の俺に言ってやりたいな。最強って、何でも壊せることじゃないぞって)
《興味深いご意見です、マスター》
(何だよ。珍しく反論しないんだな)
《現在のマスターは、旧設定とは異なる価値観を形成されているようです》
(そりゃそうだろ。いつまでも中学生のころと同じ考え方だったら困るよ)
《ただし、旧設定には《万象破滅の絶対王》という称号が存在いたします》
(だから、そういう称号を出すなって!)
俺は思わず深いため息をついた。
隣の机ではエリオットが教本を読みながら、時折ノートへ何かを書き込んでいる。
彼は俺の心の中で繰り広げられている黒歴史との戦いを知らない。
それでも、こうして同じ部屋で勉強している時間は、俺にとって大切な日常になっていた。
「シュウ、そろそろ休憩しない? 今日は先生との確認もあったし、少し疲れたんじゃないかな」
エリオットがそう声をかけてきた。
俺は顔を上げ、時計へ目を向けた。
確かに、思っていたより時間が経っていた。
「そうだな。今日はこのくらいにしておくよ」
俺はノートを閉じ、机の上を片づけ始めた。
今日の出来事について、今すぐ答えを出す必要はない。
先生が確認を進めてくれているのだから、俺たちは普段の学院生活を続けながら、必要なときに協力すればいい。
そう考えると、少しだけ気持ちが軽くなった。
俺は椅子から立ち上がり、窓の外へ目を向けた。
夜の学院は静かで、遠くの建物にはまだいくつかの灯りがともっている。
その景色を眺めながら、俺は明日もまた、普通に授業を受けられることをありがたく感じていた。
ただし、アルカディアだけは、最後まで普通ではなかった。
《マスター。念のため申し上げますが、旧設定における魔力測定は、マスターの真の力が覚醒する重要な儀式でございました》
(……もう寝る前なんだから、そういう話はやめてくれよ)
《測定器具が崩壊したあと、天空より七色の光が降り注ぎ、マスターの真名が世界中へ響き渡る予定でございました》
(何で測定しただけで世界中に名前が知られるんだよ! 絶対に嫌だ!)
《ご安心ください。本日の検査では、そのような現象は確認されておりません》
(当たり前だろ! 確認されてたら今ごろ大騒ぎだよ!)
俺は心の中で叫びながら、机の上の灯りを少し弱めた。
エリオットはそんな俺の様子を見て、不思議そうに首を傾げている。
俺は何でもないように笑い、寝る準備を始めた。
どうやら、俺の黒歴史は今日も元気らしい。
それでも、明日はまた新しい一日が始まる。
俺はそのことを少し楽しみに思いながら、静かな夜の時間を過ごしていった。




