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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第79話 助けを呼ぶだけのはずが、俺たちの班まで動けなくなりかけました

 森の奥から聞こえてきた声は、俺たち第四班の足を完全に止めていた。


 南側の迂回路を進んでいた俺たちは、小さな木橋を渡った先で、指定経路から外れた場所にいる誰かから助けを求められた。相手の姿は木々に遮られて見えないが、返事を聞く限り、少なくとも一人が足を痛めており、歩くのが難しい状態らしい。


 朝から続いていた穏やかな森の空気が、急に違うものへ感じられた。


 風が枝葉を揺らす音も、足元を流れる細い水の音も、さっきまでと何も変わっていない。それなのに、木々の向こうに怪我人がいると分かっただけで、俺は自分の呼吸が少し速くなっていることに気づいた。


(落ち着け。助けを呼ぶって決めたんだから、まずはそこからだ)


 俺は地形図を開き、現在地と教員の巡回地点をもう一度見比べた。


 第四班の仲間であるフィン、セシリア、ミリアは、俺の周囲でそれぞれ違う方向を確認している。フィンは声が聞こえた左側の木立を見つめ、セシリアは怪我人の状態を聞き取れるよう耳を澄ませ、ミリアは先ほどの橋と現在地の位置関係を記録帳へ書き込んでいた。


「この先に巡回地点があるのは間違いないけど、先生が今そこにいるとは限らないんだよな」


 俺が地形図を見ながら言うと、フィンは腕を組んで考え込んだ。


「だったら、俺とシュウで探しに行って、セシリアとミリアにここで待っててもらうのはどうだ? 声が聞こえた場所を見失わずに済むし、怪我人が何か言ってきても対応できるだろ」


 もっともらしい提案だった。


 ただ、ここまでの道には滑りやすい坂と濡れた木橋がある。二人ずつに分かれれば、それぞれの組が別の場所で問題に遭遇したとき、互いに状況を把握できなくなる。


 セシリアも同じことを考えたらしく、フィンへ向き直った。


「その方法なら、ここに残る人が声を聞き続けられますね。ただ、私たちの班を分けてもよいという指示は受けていませんし、巡回地点までの道が安全かどうかも、まだ確認できていません」


「……ああ、そっか。二人なら大丈夫って決めつけるのも違うよな」


 フィンは少し悔しそうに眉を寄せたが、すぐに頷いた。


 ミリアは記録帳から顔を上げ、俺たちのやり取りを聞いてから口を開いた。


「もう一つ、確認してもよろしいでしょうか。声の聞こえる方は、私たちが教員を探しに行くと思っているはずです。でも、どれくらい待っていただくことになるかは、まだお伝えしていません」


 俺は木々の奥へ目を向けた。


 確かに、こちらからは教員へ連絡すると伝えただけだ。相手がどのような状況で待っているのか、足を痛めた人がどれくらい動けるのかも、十分には聞けていない。


「そうだね。まず、もう少し状況を聞いてみよう。先生を探す方法は、そのあとで決めたい」


 俺は三人が頷くのを確認し、道の端から木々の奥へ声を張った。


「すみません! もう少し状況を教えてください! 怪我をした方は意識がありますか!」


 返事が来るまで、思っていたより長く感じた。


 枝葉の擦れる音に混じって、誰かが短く話す声が聞こえる。どうやら向こうでも、怪我をした本人へ確認しているらしい。


「意識はある! 話もできる! 右足を痛めて、体重をかけると痛いらしい!」


 少し離れた場所から、若い男性の声が返ってきた。


 俺はセシリアへ視線を向けた。


 彼女はすでに真剣な表情になっていたが、すぐに治癒魔法を使おうとは言わなかった。


「足を痛めた原因も聞いてください。転倒したのか、何かが当たったのかで、注意することが違います。それと、出血があるかどうかも分かると助かります」


「分かった」


 俺は彼女の言葉をそのまま伝えた。


 再び向こうで相談するような声がしてから、返答があった。


「斜面で足を滑らせた! 転んだときに右足をひねったみたいだ! 血は出てないと思う!」


 セシリアは小さく頷き、少しだけ表情を和らげた。


「ありがとうございます。ただ、骨や関節に問題がないとは限りません。無理に歩かせない方がいいですね」


 俺はその注意を相手へ伝えた。


 すると、向こうから今度は別の声が聞こえてきた。


「こっちは大丈夫だから! 先生だけ呼んでくれればいい!」


 さっきまで返事をしていた男性とは違う、少し高い声だった。


 怪我をした本人なのか、別の同行者なのかは分からない。


 しかし、その声には、俺たちを急がせたくないという気遣いが混じっているように感じられた。


(大丈夫って言ってくれてるけど、本当に大丈夫かどうかは分からないんだよな)


 俺は返事をしようとして、言葉を選んだ。


「分かりました! こちらも安全を確認しながら教員へ連絡します! できるだけ動かずに待っていてください!」


 向こうから短い了承の声が返ってきた。


 それを聞いてから、俺は仲間たちへ向き直った。


「今のところ、意識はあって会話もできる。右足をひねったらしいけど、怪我の程度は分からない。俺たちが勝手に治療したり、運び出したりするのは避けたい」


「うん。それでいいと思う」


 フィンは真剣な顔で頷いた。


「ただ、先生がどこにいるか分からないのが問題だな。近くに巡回してる先生がいればいいんだけど」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は一つの方法を思いついた。


 風属性の魔法で声を遠くへ届ければ、巡回教員に気づいてもらえるかもしれない。


 大きな魔力を使う必要もない。空気の振動を少し整えて、声が届く範囲を広げる程度なら、俺にも難しくはなかった。


 けれど、すぐに魔法を発動するのはやめた。


 今いる場所は森の中で、ほかの班も演習を続けている。突然大きな声を広範囲へ響かせれば、別の場所で混乱が起きる可能性もある。


 それに、演習中の連絡方法として認められているかどうかも分からなかった。


「……声を遠くへ届ける魔法も考えたんだけど、勝手に使っていいか分からないんだよね」


 俺がそう言うと、フィンは少し驚いた顔をした。


「シュウならできそうだけど、確かに先生がどこにいるか分からないまま声を飛ばすのもな……」


 セシリアは地形図へ目を向けた。


「教員へ連絡するための方法が、演習開始前に説明されていましたよね。あれを使うことはできませんか?」


 俺は一瞬、彼女が何を指しているのか分からなかった。


 しかし、すぐに腰の鞄へ手を伸ばした。


「あっ、そうか。班ごとに渡された連絡札!」


 出発前、各班には緊急時の報告に使用する小さな札が渡されていた。


 普段の連絡には使わず、負傷や通行不能など、教員の判断が必要になった場合に使用するものだ。俺は説明を聞いていたし、鞄の取り出しやすい場所へ入れたつもりだった。


 それなのに、実際に問題が起きた途端、巡回地点へ走ることばかり考えていた。


(……俺、また自分で何とかしようとしてたな)


 鞄から連絡札を取り出すと、薄い金属板の表面に刻まれた術式が、木漏れ日を受けて淡く光った。


 札の端には班を識別するための番号が記されている。


 俺はそれを確認し、三人へ見せた。


「これなら班を分けずに先生へ連絡できる。使い方、みんな覚えてる?」


 フィンは頷きかけたが、途中で首を傾げた。


「魔力を流してから、報告内容を話すんだったよな。でも、最初に何を言うんだっけ?」


 ミリアが記録帳の後ろに挟んでいた小さな説明紙を取り出した。


「班番号、現在地、報告の種類、確認できている状況の順です。相手から返答があるまでは、移動しないようにと書かれています」


 俺は思わず彼女を見た。


「ミリア、説明紙まで持ってきてたんだ」


「忘れてしまうかもしれないと思ったので……。必要になることがなければ、それが一番だったんですけど」


 ミリアは少し恥ずかしそうに視線を落とした。


 けれど、俺にはその準備がとても頼もしく感じられた。


「助かったよ。ありがとう」


 そう伝えると、彼女は驚いたように顔を上げ、控えめに微笑んだ。


 俺は説明紙に従って連絡札へ魔力を流した。


 金属板に刻まれた術式が淡く明滅し、しばらくして表面から小さな音が響いた。


『こちら合同演習巡回本部。所属班と報告内容を述べてください』


 落ち着いた男性の声だった。


 俺は息を整え、できるだけ簡潔に説明した。


「第一学年第三組、第四班のシュウ・アルヴェインです。南側迂回路の木橋を渡った先で、指定経路の左側から救助を求める声を確認しました。相手によると、一人が斜面で転倒して右足を痛め、歩行が難しい状態です。意識があり、会話はできています。出血はないとの申告ですが、こちらから本人の状態は確認できていません」


 札の向こうで、紙を動かすような音がした。


『第四班、報告を受理しました。現在地を確認します。直近で通過した標識の番号を伝えてください』


 俺はミリアへ目を向けた。


 彼女はすぐに記録帳を開き、先ほど確認した標識の番号を示した。


 俺はそれを伝え、さらに木橋を通過したことと、そこからの大まかな移動方向を説明した。


『了解しました。現在、近くの巡回教員へ連絡します。第四班は指定経路上の安全な場所で待機し、独断で経路外へ進入しないでください。負傷者の状態に変化があった場合は、再度報告してください』


「分かりました。第四班は現在地で待機します」


『巡回教員が到着するまで、連絡札は使用可能な状態にしておいてください』


 通信が切れると、札の光は弱まり、表面に小さな明かりだけが残った。


 俺はそれを鞄へ戻さず、手に持ったまま三人へ向き直った。


「先生が来てくれるって。俺たちはここで待機するように言われた」


 フィンは大きく息を吐いた。


「よかった……。正直、走って先生を探しに行くしかないと思ってた」


「俺も最初はそう考えてたよ。連絡札があること、すっかり頭から抜けてた」


 俺が苦笑すると、セシリアは責めることなく言った。


「こういうときは、焦ってしまいますから。でも、思い出せてよかったですね」


 ミリアも静かに頷いた。


「全員が同じ場所にいられるので、状況の変化も共有しやすいと思います」


 俺は三人の顔を見回し、改めて現在地を確認した。


 教員へ連絡はできた。


 あとは指示どおり、安全な場所で待機するだけだ。


 そう思ったところで、木々の奥から再び声が聞こえてきた。


「おーい! 先生、見つかったか!」


 俺はすぐに顔を上げた。


「連絡できました! 巡回の先生がこちらへ向かっています!」


 向こうから安堵したような声が返ってきた。


 そのあと、何人かが話し合っているらしい気配がしたが、内容までは聞き取れなかった。


 俺たちは道の端へ寄り、ほかの班が通行できる幅を確保して待つことにした。


 ところが、待機を始めて間もなく、別の問題が起きた。


     ◇


 最初に気づいたのはフィンだった。


「……なあ、シュウ。あそこの土、さっきから少しずつ崩れてないか?」


 彼が指さしたのは、指定経路の左端だった。


 声が聞こえてくる木立とは反対側に、道より一段低い浅い水路がある。そこへ向かって斜面が緩やかに下がっているのだが、縁の部分にあった小さな土の塊が、今まさに崩れ落ちたところだった。


 俺はフィンの隣へ移動し、地面を確認した。


 水路の縁には雨水が染み込んだ跡が残り、表面の草が少し浮いているように見える。


 さっき通ったときには、特に気にならなかった場所だ。


「確かに、少し崩れてるね。でも、道の中央までは来てないみたいだ」


 俺がそう言うと、フィンは慎重に首を振った。


「今はな。ただ、下の土がどれくらい緩んでるか分からない。俺、土属性を使うから何となく気になるんだけど、こういうときって見た目だけじゃ判断しにくいんだよ」


 その言葉に、俺は足元を見直した。


 土属性を扱うフィンは、地面の変化に敏感だ。


 もちろん、魔法を使わずに土の内部まで正確に把握できるわけではない。それでも、彼が違和感を覚えたという事実は、無視してよいものではなかった。


「セシリア、ミリア。少し道の中央へ寄ってもらえる?」


 俺が声をかけると、二人はすぐに移動した。


 ミリアは足元を確認しながら、慎重に言った。


「待機する場所を変えた方がよさそうでしょうか」


「うん。先生からは安全な場所で待機するように言われてるし、ここが危ないなら移動した方がいいと思う」


 セシリアは周囲を見回した。


「ただ、道の反対側も木の根があります。あちらへ寄りすぎると、今度は足を取られるかもしれませんね」


 俺たちは互いの位置を確認し、道の中央寄りにある比較的平らな場所へ移動した。


 距離にすれば数歩ほどだ。


 それでも、先ほど立っていた場所から離れると、足元の土の硬さが少し違って感じられた。


 フィンは道の端を見つめたまま、眉を寄せている。


「……あれ、さっきより広がってないか?」


 俺も視線を向けた。


 水路の縁では、細かな土が少しずつ落ちていた。


 大きな崩落ではない。だが、同じ場所で続けて土が動いているのは確かだった。


 俺は連絡札を持ち直した。


「先生に報告しておこう。待機場所の近くで地面が崩れ始めてるって」


 セシリアは頷いた。


「そうですね。今すぐ大きな危険があるとは限りませんが、巡回の先生にも知っていただいた方がよいと思います」


 俺は連絡札へ魔力を流し、再び巡回本部へ連絡した。


 今度は先ほどと違う女性の声が応答したが、第四班の報告内容はすでに共有されているらしかった。


『第四班ですね。負傷者の状態に変化がありましたか?』


「負傷者については、新しい情報はありません。ただ、待機している指定経路の端で、雨水によるものと思われる小規模な土の崩れを確認しました。現在、班員は道の中央寄りへ移動しています」


『了解しました。崩れた場所へ近づかず、現在の安全を確認してください。巡回教員には追加情報を伝えます』


「分かりました」


 通信を終えると、俺は三人へ内容を伝えた。


 フィンは少し安心したように頷いたが、すぐに水路の方へ目を戻した。


「……俺、こういうのを見ると、つい土属性で固めたくなるんだよな」


 彼は自分の手を見下ろし、苦笑した。


「できるかどうかも分からないのに、何かしなきゃって思っちまう」


 俺はその言葉を聞いて、少しだけ胸が痛くなった。


 それは、俺にも覚えのある感覚だったからだ。


「分かるよ。俺もさっき、風属性で先生を呼ぼうとしたし」


「でも、連絡札があったんだよな」


「うん。自分ができることを考えるのは大事だけど、それが一番いい方法とは限らないんだと思う」


 フィンは俺の顔を見てから、ゆっくりと頷いた。


「……そうだな。今は勝手に地面を固めるより、先生に知らせる方がいいか」


 そのとき、道の端で再び小さな土の塊が崩れた。


 乾いた砂とは違う、湿ったものが落ちる鈍い音だった。


 ミリアはその音に肩を揺らし、すぐに足元を確認した。


「今の場所、さっきより少し内側まで崩れたように見えます」


 俺は彼女の示した場所を見た。


 確かに、水路の縁にあった草の一部が、先ほどより低い位置へ落ちている。


 俺たちの立っている場所まで崩れが及んでいるわけではないが、安心してよい状態とも言い切れなかった。


「……もう少し離れよう」


 俺がそう言うと、フィンはすぐに頷いた。


「そうしよう。俺が先に、向こうの平らな場所を確認する」


 フィンは道の中央を数歩進み、足元を確かめた。


 そこには大きな木の根が横切っているものの、根を避ければ四人が並んで立てる程度の広さがある。


「こっちは今のところ大丈夫そうだ。足元もさっきより硬い」


 俺たちはフィンの示した場所へ移動した。


 ミリアが最後に来たところで、セシリアは全員の様子を確認し、落ち着いた声で言った。


「ここなら、少なくとも水路の縁からは距離を取れていますね。ただ、これ以上動く必要があるかどうかは、先生の判断を待ちたいです」


 俺は頷いた。


 その直後、木々の奥から再び呼び声が聞こえた。


「おーい! そっちは大丈夫か!」


 どうやら、土が崩れる音が向こうにも聞こえたらしい。


 俺は道の中央から声を返した。


「こちらは大丈夫です! 道の端で少し土が崩れたので、安全な場所へ移動しました!」


「こっちも今のところ変わりない! 先生はまだか!」


「連絡はできています! 巡回の先生が向かっています!」


 返事が返ってくると、俺はようやく少しだけ肩の力を抜いた。


 しかし、次の瞬間、フィンが小さく声を上げた。


「シュウ、待って。あそこ……」


 彼の視線を追うと、道の先にある低い木の根の周囲で、土の表面がわずかに動いていた。


 水路の縁からは離れている。


 それでも、地面の下で何かが起きているように見えた。


 俺は思わず足を止めた。


(……さっきの崩れと、つながってるのか?)


 答えは分からない。


 ただ、これ以上その場で動き回るのは避けた方がよさそうだった。


「全員、そこで止まって」


 俺が声をかけると、三人はすぐに動きを止めた。


 フィンは土の変化を見つめ、セシリアはミリアの立っている位置を確認した。


 ミリアは記録帳を閉じ、周囲へ目を向けている。


 そのとき、遠くから人の声が聞こえた。


「第四班! そこにいるか!」


 俺たちは一斉に振り返った。


 道の向こうから、学院の教員らしい人物が近づいてきていた。


     ◇


 現れたのは、演習用の外套を羽織った男性教員だった。


 四十代ほどに見えるその人は、片手に地形図を持ち、もう片方の手には巡回用の連絡札を握っている。後ろには、補助役と思われる若い学院職員が一人続いていた。


 男性教員は俺たちから少し離れた位置で足を止め、まず周囲の地面を確認した。


「第四班の班長は誰だ?」


「俺です。シュウ・アルヴェインです」


 俺が答えると、教員は頷いた。


「連絡を受けた。私は巡回担当のローディン・ヘルツだ。負傷者の声が聞こえた場所と、地面が崩れている場所を教えてくれ」


 俺は地形図を広げ、現在地を示した。


「負傷者の声は、指定経路の左側にある木々の奥から聞こえました。最初に確認したときは、少なくとも一人が右足を痛めているとのことでした。こちらから姿は確認できていません」


 続いて、フィンが水路側の地面を指さした。


「崩れているのは、あちらです。最初は道の端だけだったんですけど、少しずつ土が落ちているように見えました。今は危ないと思って、少し離れています」


 ローディン先生は二人の説明を聞き、慎重に周囲を見回した。


 補助職員も地形図を確認し、道の端へ近づきすぎない位置から地面を観察している。


「なるほど。君たちが最初に待機していたのは、あの辺りか?」


「はい。でも、土が崩れ始めたので、今の場所へ移動しました」


 俺が答えると、先生は短く頷いた。


「適切な判断だ。まず、全員に怪我がないことを確認させてくれ」


 先生は俺たち一人ひとりへ目を向け、体調や負傷の有無を確認した。


 フィンが坂で一度足を滑らせたことも伝えたが、痛みや歩行への支障がないことを確認すると、先生はそれ以上無理に動かさなかった。


「よし。第四班の四人は、この位置で待機してくれ。負傷者の確認はこちらで行う」


 ローディン先生はそう言うと、補助職員へ短く指示を出した。


 職員は連絡札を取り出し、巡回本部へ状況を報告し始める。


 先生は木々の奥へ向き直り、声を張った。


「こちらは王立魔道学院の巡回教員だ! 負傷者がいると聞いている! 現在の状況を教えてくれ!」


 少し間を置いて、返事があった。


「先生! こっちです! 右足を痛めた学生がいます!」


 先生は地形図を確認し、木々の奥へ続く細い道へ目を向けた。


 その道は指定経路から外れており、足元には落ち葉が厚く積もっている。


 先生はすぐに進もうとはせず、補助職員と短く相談した。


 俺たちは少し離れた場所で、その様子を見守っていた。


「……先生、どうするんだろうな」


 フィンが小さく呟いた。


 俺は首を振った。


「分からない。でも、俺たちが勝手に入らなくてよかったと思う」


 セシリアも頷いた。


「負傷者の状態だけでなく、そこへ向かう道の安全も確認しなければいけませんからね」


 ミリアは先生たちの動きを見つめながら、静かに言った。


「私たちが聞いた声だけでは、向こうに何人いるのかも分かりませんでした。先生が確認してくださるなら、少し安心できます」


 俺は彼女の言葉を聞き、改めて木々の奥へ目を向けた。


 怪我をした人がいる。


 それは分かっている。


 しかし、その人がどんな状態なのか、なぜ指定経路から外れた場所にいるのか、ほかに誰がいるのかは、まだ分からない。


 俺たちは声を聞いただけで、想像していた以上に多くのことを決めつけそうになっていたのかもしれない。


 やがて、ローディン先生は補助職員へ向き直った。


「こちらの経路は、私が確認する。君は第四班の安全を見ながら、本部との連絡を維持してくれ」


「承知しました」


 補助職員が答えると、先生は俺たちへもう一度声をかけた。


「第四班、君たちはここで待機だ。状況によっては、演習経路を変更する可能性がある。その場合は必ずこちらから指示する」


「分かりました」


 俺たちが答えると、先生は木々の奥へ進んでいった。


 その背中が見えなくなるまで、俺は視線を向けていた。


     ◇


 ローディン先生が木々の奥へ入ってから、俺たちは補助職員の近くで待機していた。


 道の端では、相変わらず少量の土が崩れている。


 ただし、先ほどより大きく変化している様子はなく、補助職員も一定の距離を保ちながら確認を続けていた。


 俺は連絡札を手にしたまま、周囲へ目を向けた。


 森の中には、ほかの班の姿は見えない。


 遠くで鳥が鳴き、枝葉の間を風が通り抜ける音が聞こえる。


 その穏やかな音が、今はかえって落ち着かなく感じられた。


(……怪我した人、大丈夫かな)


 俺は木々の奥へ視線を向けた。


 先生が向かったのだから、俺たちができることは限られている。


 それでも、何もせずに待つ時間は、思っていた以上に長く感じられた。


 フィンも同じらしく、何度か足元を見てから、俺へ小さく声をかけた。


「なあ、シュウ。俺たち、演習の途中なんだよな」


「うん。そうだね」


「でも、今は進めないし、記録も途中だし……。こういう場合って、演習はどうなるんだろうな」


 俺は少し考えた。


 確かに、第四班はまだ南側の経路を進んでいる途中だ。


 予定していた地点へ到着する前に、怪我人の救助と地面の崩れが発生した。


 このまま演習を続けられるのか、それとも中断になるのかは分からない。


「先生の判断次第じゃないかな。俺たちが勝手に決められることじゃないし」


 フィンは頷いたものの、少し残念そうな表情を浮かべた。


「せっかくここまで来たから、最後までやってみたい気持ちはあるんだけどな」


 その言葉に、俺は少し笑った。


「分かるよ。俺もそう思ってる。でも、今は怪我した人の方が大事だろ」


「もちろん。それは分かってる」


 フィンはそう答え、少し照れくさそうに頭をかいた。


 セシリアは二人の会話を聞きながら、静かに微笑んだ。


「最後まで進みたいと思うこと自体は、悪いことではないと思います。ただ、途中で何か起きたときに、どう判断するかも演習の一部なのでしょうね」


 ミリアも頷いた。


「私も、ここまでの記録を最後までまとめたいです。でも、今は先生の指示を待つ方が大切だと思います」


 俺は三人の顔を見回した。


 全員が同じことを考えているわけではない。


 フィンは最後まで進みたいと思っている。


 セシリアは安全を優先している。


 ミリアは記録をきちんと残したいと思っている。


 そして俺は、怪我人のことが気になりながらも、班長として何をすべきか考えていた。


 それぞれの気持ちは少しずつ違う。


 けれど、今は同じ場所で、同じ指示を待っている。


(……こういうのも、班で動くってことなんだろうな)


 俺はそう思いながら、地形図を畳んだ。


 そのとき、木々の奥から人の声が聞こえた。


 今度は、ローディン先生の声だった。


「こちらは確認できた! 負傷者は意識清明、右足首に痛みあり! 歩行はさせず、搬送の準備を頼む!」


 補助職員はすぐに連絡札を取り出し、巡回本部へ報告した。


 俺たちは顔を見合わせた。


 少なくとも、先生は負傷者のところへ到着できたらしい。


 セシリアは小さく息を吐いた。


「よかった……。先生が確認できたんですね」


 俺も頷いた。


「うん。でも、まだ搬送が必要みたいだ」


 フィンは木々の奥を見つめ、真剣な表情になった。


「足を痛めてるなら、無理に歩かせない方がいいよな」


 ミリアは記録帳へ、先生が確認した内容を書き込んだ。


 ただし、彼女は少し考えてから、記録の横に小さく印をつけた。


「これは私たちが直接確認した情報ではなく、先生の報告として記録しておきます」


 俺はその言葉を聞き、頷いた。


 同じ出来事についての情報でも、誰が確認したのかは大切だ。


 その区別を忘れないようにしているミリアの姿が、今はとても頼もしく感じられた。


     ◇


 しばらくして、木々の奥からローディン先生が戻ってきた。


 先生の外套には落ち葉がいくつか付いていたが、表情は落ち着いている。


 俺たちはすぐに姿勢を正した。


「先生、怪我をした人は大丈夫ですか?」


 俺が尋ねると、先生は頷いた。


「意識ははっきりしている。右足首を痛めているが、詳しい状態は学院の医療担当に確認してもらう。今は無理に歩かせず、搬送の準備を進めているところだ」


 その説明を聞いて、セシリアは少し安心したように息を吐いた。


 ただし、先生は続けて表情を引き締めた。


「それから、君たちが気づいた道の端の崩れについても確認した。雨の影響で表層の土が緩んでいる可能性がある。現時点では、この付近をほかの班に通行させるべきではないと判断した」


 俺は思わず地形図へ目を向けた。


 ここは南側の指定経路だ。


 中央斜面を通れない場合の迂回路として使われている場所でもある。


 もし、この道まで通行できなくなれば、後続の班はどうなるのだろう。


「先生、俺たちの演習はどうなりますか?」


 俺が尋ねると、ローディン先生は少し考えたあとで答えた。


「第四班については、ここまでの行動を記録したうえで、いったん待機を継続してもらう。後続の班には別の経路を案内する必要があるから、巡回本部と調整中だ」


 フィンは少し残念そうに眉を下げた。


 しかし、先生の説明を聞くと、すぐに頷いた。


「分かりました。俺たちはここで待機してればいいんですね」


「ああ。ただし、地面の状態が変わった場合は、すぐに報告してくれ。無理に移動する必要はない」


 ローディン先生はそう言い、俺たちの立っている場所をもう一度確認した。


 そのあと、補助職員へいくつか指示を出し、再び木々の奥へ向かおうとした。


 俺はその背中へ、思わず声をかけた。


「先生!」


 先生が振り返った。


「どうした、アルヴェイン」


 俺は一瞬、言葉に迷った。


 怪我人の搬送が必要なら、俺たちにも何かできることがあるかもしれない。


 セシリアは治癒魔法を使えるし、フィンは土属性の魔法で足場を確認できる。


 俺だって、必要なら力を貸せる。


 けれど、今ここで勝手に動くことは、かえって邪魔になる可能性がある。


「……もし、俺たちにできることがあれば、言ってください。勝手に動くつもりはありませんけど、必要なら協力したいです」


 ローディン先生は俺の顔を見つめた。


 それから、少しだけ表情を和らげた。


「その気持ちはありがたい。だが、今の君たちに一番必要なのは、ここで安全を確保し、指示を待つことだ」


 俺は頷いた。


「分かりました」


「それに、君たちはすでに十分な協力をしている。声を聞きつけ、状況を確認し、連絡札で報告した。地面の変化にも気づいてくれたおかげで、こちらも早めに対応できた」


 先生はそう言い、俺たち四人へ目を向けた。


「助けるというのは、自分で相手を運ぶことだけではない。必要な人へ正確な情報を届けることも、立派な行動だ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は胸の奥にあった焦りが少し和らぐのを感じた。


 何かしなければいけない。


 そう思っていた。


 けれど、何かをすることと、目の前へ飛び込むことは同じではない。


 俺たちはすでに、できることをしていたのだ。


「ありがとうございます、先生」


 俺が答えると、ローディン先生は頷き、再び木々の奥へ向かっていった。


 その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。


 フィンも隣で肩の力を抜いた。


「……なんか、ちょっと安心したな」


「うん。俺も」


 セシリアは静かに微笑んだ。


「先生がそう言ってくださったのなら、私たちは今の役割をきちんと果たしましょう」


 ミリアも頷いた。


「はい。記録も、今分かっていることと、まだ分かっていないことを分けて残しておきます」


 俺は三人の顔を見回し、もう一度地形図を開いた。


 演習はまだ終わっていない。


 ただ、予定していた進み方とは違う状況になっている。


 それでも、今の俺たちにできることはある。


 俺は連絡札を持ち直し、周囲の状態を確認した。


     ◇


 搬送の準備が進む間、第四班は指定された場所で待機を続けていた。


 森の中を通り抜ける風は少し強くなり、木々の葉が擦れる音が先ほどより大きくなっている。


 道の端では、時折小さな土の塊が落ちる音がした。


 しかし、俺たちの立っている場所に変化はなく、補助職員も定期的に周囲を確認していた。


 フィンは地面の状態を気にしながらも、勝手に近づこうとはしなかった。


 セシリアは怪我人の搬送に備えているらしい教員たちの声へ耳を傾けていたが、必要以上に動くことはない。


 ミリアは記録帳を開き、ここまでの出来事を時系列に沿って整理していた。


 俺はその様子を見ながら、少し考えた。


 朝、学院を出発したときには、こんなことになるとは思っていなかった。


 中央斜面の通行可否を確認し、東側確認地点で観察結果を照合し、南側の経路を進んで出口へ向かう。


 それが、俺たちの予定だった。


 実際には、坂で足を滑らせ、濡れた橋を渡り、怪我人の声を聞き、道の端の崩れまで確認することになった。


 その一つ一つは、特別な魔法を使わなければ解決できないような出来事ではない。


 けれど、だからこそ難しかった。


 自分が何を知っているのか。


 何を知らないのか。


 誰に相談すべきなのか。


 そして、どこまでなら自分たちで判断してよいのか。


 それを考える必要があった。


《マスター。随分と真面目に考えておられますね》


 頭の中でアルカディアの声が響いた。


(そりゃそうだろ。怪我人がいるんだから)


《もちろんです。ただ、かつてのマスターが考案された暗黒皇帝の設定には、こうした場面への対処法も記されておりました》


(……嫌な予感しかしないんだけど)


《負傷者を発見した場合、皇帝の威光によって傷そのものが消滅する、と》


(それ、治療じゃなくて設定の暴力だろ)


《当時のマスターは、あらゆる負傷を一瞬で回復させる能力を望まれていましたから》


(……まあ、気持ちは分からなくもないけどさ)


 俺は木々の奥へ視線を向けた。


 アルカディアの中には、実際に強力な回復能力の設定も存在している。


 けれど、だからといって、今ここでそれを使うつもりはない。


 怪我人の状態も分からず、学院の教員が対応している中で、正体を隠している力を勝手に使えば、余計な問題を引き起こす可能性がある。


 それに、どれほど強い力を持っていたとしても、何でも一人で解決できるわけではない。


(……昔の俺は、そこまで考えてなかったんだろうな)


《当時のマスターは、主に格好よさを優先されていましたので》


(そこは否定できないな……)


 俺は小さく苦笑し、すぐに表情を整えた。


 そのとき、ミリアが記録帳から顔を上げた。


「シュウさん、少し確認してもよろしいでしょうか」


「うん。どうしたの?」


 ミリアは記録帳の一箇所を指さした。


「最初に声を聞いた時刻と、連絡札を使った時刻の間が、少し曖昧になっています。私の記録では順序は分かるのですが、正確な時間までは確認できていません」


 俺は彼女の記録を覗き込んだ。


 確かに、出来事の順序は整理されているものの、時刻の欄には空白が残っている。


「そこは、無理に埋めなくていいと思うよ。俺も正確な時間は覚えてないし」


 ミリアは少し考えたあと、頷いた。


「そうですね。では、時刻未確認として残しておきます」


 フィンが横から記録帳を覗き込み、感心したように言った。


「ミリアって、本当に細かいところまで見てるよな。俺だったら、怪我人の声が聞こえたってことだけ書いて終わりそうだ」


 ミリアは少し恥ずかしそうに視線を落とした。


「私も、全部を覚えているわけではありません。だから、分からないところを分からないまま残しておかないと、あとで自分でも混乱してしまうんです」


 セシリアは穏やかに微笑んだ。


「それは、とても大切なことだと思います。私も、怪我の状態を聞いただけで、実際に確認したわけではありませんから」


 俺は三人の会話を聞きながら、少しだけ嬉しくなった。


 最初に第四班として集まったとき、俺たちは互いの得意なことも、苦手なことも、十分には知らなかった。


 フィンは勢いがあり、セシリアは慎重で、ミリアは控えめだ。


 そんな印象だけで、それぞれの役割を考えていたところもある。


 けれど、実際に一緒に行動してみると、三人とも俺が気づかないことを見つけてくれる。


 フィンが地面の変化に気づかなければ、俺たちは水路の近くで待ち続けていたかもしれない。


 セシリアが怪我人の状態を確認するよう提案してくれなければ、十分な情報を集められなかったかもしれない。


 ミリアが連絡札の説明紙を持っていなければ、俺は焦って別の方法を選んでいたかもしれない。


 班長だからといって、俺が全部を決めなければいけないわけではない。


 そのことを、今日ほど強く感じたことはなかった。


     ◇


 やがて、木々の奥から複数の足音が聞こえてきた。


 俺たちは一斉に顔を上げた。


 ローディン先生と数人の学院職員が、簡易担架を運びながら指定経路へ戻ってくるところだった。


 担架には、一人の男子学生が横になっている。


 顔色は悪くないように見えるが、右足首のあたりには応急的な固定が施されていた。


 その周囲には、同じ班の仲間らしい学生が二人付き添っている。


 俺は思わず一歩前へ出かけたが、すぐに足を止めた。


 搬送の邪魔になってはいけない。


 俺たちは道の端へ寄り、先生たちが通れる場所を確保した。


 担架が近づいてきたところで、横になっていた男子学生がこちらへ顔を向けた。


「……さっき、声をかけてくれたのって、君たち?」


 俺は少し驚いたが、すぐに頷いた。


「うん。第四班だよ。先生に連絡したのは俺たち」


 男子学生は少し申し訳なさそうに笑った。


「ありがとう。助かったよ。自分で歩けると思ったんだけど、足をついたら痛くてさ……」


 その声を聞いて、俺は胸の奥が少し軽くなった。


 少なくとも、彼は会話ができる状態だ。


「無理しなくてよかったと思うよ。先生が来てくれたし、あとは医療担当の人に診てもらって」


 俺が答えると、男子学生は頷いた。


 付き添っていた学生の一人も、こちらへ頭を下げた。


「本当にありがとう。俺たちだけじゃ、どうしたらいいか分からなくなってたんだ」


 フィンは少し照れくさそうに笑った。


「いや、俺たちも先生に連絡しただけだからさ」


 セシリアも穏やかに言った。


「でも、先生が来てくださってよかったですね。どうかお大事になさってください」


 ミリアは小さく頭を下げた。


 男子学生はもう一度礼を言い、担架に乗せられたまま運ばれていった。


 俺たちはその姿が見えなくなるまで、静かに見送った。


 やがて、ローディン先生がこちらへ戻ってきた。


「第四班、待機ありがとう。負傷者は学院の医療担当へ引き継ぐ。君たちの報告のおかげで、早めに対応できた」


 俺は頷いた。


「よかったです」


 先生は地形図を開き、俺たちへ見せた。


「それから、南側のこの区間については、しばらく通行を制限することになった。地面の状態を確認する必要があるからな」


 フィンは地形図を見つめ、少し眉を寄せた。


「じゃあ、俺たちはここから戻るんですか?」


「今、その判断を巡回本部と調整している。第四班は、すでに東側確認地点を通過しているからな。どこまでを演習の記録として扱うかも含めて、正式な指示を出す」


 俺は頷いた。


 演習が中断になるのか、それとも別の経路へ進むのかは、まだ分からない。


 ただ、少なくとも、俺たちが勝手に決めてよいことではなかった。


 ローディン先生は俺たち四人へ目を向け、少しだけ表情を和らげた。


「それと、第四班には一つ伝えておきたいことがある」


 俺たちは姿勢を正した。


「今回、君たちは予定外の状況に遭遇した。負傷者の声を聞き、状況を確認し、連絡札を使用して報告した。さらに、待機中に地面の変化へ気づき、安全な位置へ移動している」


 先生はそこで一度言葉を切り、俺たちの顔を順番に見た。


「もちろん、細かな判断については、あとで振り返る必要があるだろう。だが、少なくとも、分からないことを分からないまま報告し、勝手に危険な場所へ踏み込まなかったことは評価できる」


 その言葉を聞いて、フィンが小さく息を吐いた。


 セシリアも少し安心したように微笑み、ミリアは記録帳を胸の前で抱え直した。


 俺は三人の顔を見回してから、先生へ向き直った。


「ありがとうございます。でも、俺一人だったら、たぶん違う判断をしてたと思います」


 ローディン先生は少し興味深そうに眉を上げた。


「ほう?」


「最初は、先生を探しに行くことばかり考えてました。連絡札を使うことも、セシリアに言われるまで思い出せなかったんです。地面の変化に気づいたのはフィンだし、記録を整理してくれたのはミリアでした」


 俺は少し照れくさくなりながらも、言葉を続けた。


「だから、第四班の四人で行動していてよかったと思います」


 先生はしばらく俺を見つめたあと、ゆっくりと頷いた。


「それが分かったのなら、今回の演習には十分な意味があっただろう」


 俺はその言葉を聞き、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。


 隣ではフィンが嬉しそうに笑い、セシリアは穏やかな表情を浮かべている。


 ミリアは何かを言いかけたが、少し迷ったあと、小さく頷いた。


 俺たちはまだ、完璧な班ではない。


 これからも判断を間違えることはあるだろうし、意見が食い違うこともあると思う。


 けれど、少なくとも今日、俺たちは一人では気づけなかったことに、四人で気づくことができた。


 その事実が、今は何より嬉しかった。


     ◇


 ローディン先生が巡回本部からの返答を待つ間、俺たちは再び安全な場所で待機することになった。


 負傷者の搬送が終わり、森の中には少しずつ落ち着いた空気が戻り始めている。


 それでも、道の端では時折小さな土の塊が落ちており、完全に安全な状態へ戻ったわけではない。


 俺は地形図を持ち直し、南側の経路を見つめた。


 予定では、この先を進んで南側の出口へ向かうはずだった。


 しかし、今はその道が一時的に通行制限されている。


 俺たちがどのように演習を続けるのかは、まだ分からない。


 フィンは地形図を覗き込み、少し残念そうに言った。


「……できれば、最後まで行ってみたかったんだけどな」


 俺は頷いた。


「うん。俺もそう思う。でも、今は先生の指示を待とう」


 セシリアは穏やかに微笑んだ。


「ここまでの行動にも、十分な意味があったと思います。もし演習が中断になっても、学べたことはたくさんありますから」


 ミリアも頷いた。


「私も、今日の記録をきちんとまとめたいです。途中で終わったとしても、何が起きたのかは残しておけますから」


 俺は三人の顔を見回し、小さく笑った。


「そうだね。じゃあ、先生から指示が来るまで、今の場所で待とう」


 四人は頷き、再び周囲の状態を確認した。


 そのとき、俺の手にある連絡札が淡く光った。


 巡回本部からの連絡だった。


 俺はすぐに札を持ち直し、魔力を流した。


『第四班、こちら巡回本部。現在地での待機状況を確認します』


「第四班、シュウ・アルヴェインです。全員、負傷なく待機しています。道の端の崩れについては、引き続き確認しています」


『了解しました。南側経路の一部通行制限に伴い、第四班の今後の行動について指示があります』


 俺は息を整え、三人へ視線を向けた。


 フィンもセシリアもミリアも、真剣な表情でこちらを見ている。


 俺は連絡札を握り直した。


「第四班、指示を受けます」


 森の中を風が通り抜け、頭上の枝葉が静かに揺れた。


 俺たちの合同演習は、まだ終わっていなかった。

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