第75話 合同演習の前日、俺たちの第四班に届いた追加指示
王立魔道学院の朝は、いつもより少し慌ただしかった。
第一男子寮三百十七号室の窓から見える中庭では、学生たちがそれぞれの校舎へ向かって歩いている。普段なら教科書を抱えている者が多い時間帯だが、今日は地形図を広げながら話し合う学生や、訓練用の鞄を持っている学生の姿も目立っていた。
来週に予定されていた合同演習が、いよいよ翌日に迫っている。
シュウ・アルヴェインは机の上に広げた第四班の準備ノートを見つめながら、ここ数日の出来事を思い返していた。
最初の作戦会議では、中央の斜面を通る短い経路と、遠回りになる迂回路のどちらを選ぶかについて話し合った。
その後、四人の得意なことや苦手なことを確認し、意見が違った場合の考え方を整理した。
第二実技場での連携練習では、フィン・ラデルが土属性で標識を戻そうとしているところへ、シュウが風属性を加えてしまい、かえって作業を難しくしてしまった。
そして昨日は、そのとき四人が何を見ていたのかを記録で確かめた。
振り返ってみれば、失敗もあった。
けれど、何も分からないまま明日を迎えるわけではない。
(準備はしてきた。あとは、実際にやってみるしかないよな)
シュウはノートを閉じ、鞄へしまった。
明日の合同演習では、学院内の模擬森林区域を四人で移動し、指定された確認地点を巡りながら観察と記録を行うことになっている。
実際の地形や天候によって判断を変える必要があるため、今の段階で通る道を一つに決めることはできない。
それでも、何を確認するべきか、どのように情報を共有するべきかは、以前よりはっきりしていた。
「シュウ、準備は終わった?」
背後からエリオット・ファーレンの声がした。
振り返ると、彼は制服の上着を整えながら、こちらへ穏やかな笑みを向けていた。
「うん。あとは今日の最終説明を聞くだけかな」
「僕も同じだよ。第二班も、昨日までに役割の確認は終わったんだ」
エリオットは自分の鞄を持ち上げ、少しだけ肩を回した。
「ただ、ユリウスが『最終説明で新しい条件が出る可能性もある』って言ってたから、まだ準備が全部終わったとは思わない方がいいかもしれないね」
「ユリウスらしいな」
シュウは思わず笑った。
ユリウス・ベルンは、いつも確認できていることと、まだ分からないことを分けて考える。
北方調査でも、その慎重さに何度も助けられてきた。
今回の合同演習でも、同じように考えているのだろう。
「でも、確かにそうだな。先生たちから新しい指示が出るかもしれないし」
「うん。だから今日は、最終説明をしっかり聞こうと思ってる」
二人はそう話しながら部屋を出た。
廊下には朝食へ向かう学生たちの足音が響き、階段の下からは賑やかな話し声が聞こえてくる。
シュウはエリオットと並んで歩きながら、少しだけ胸の高鳴りを感じていた。
明日は、第四班として初めての本格的な合同演習だ。
緊張していないと言えば嘘になる。
けれど、それ以上に、四人でどこまでできるのか楽しみでもあった。
◇
午前の授業が終わる少し前、リディア・フェルンが教室の前方へ立った。
普段なら授業のまとめを行う時間だったが、今日は教卓の上に数枚の書類が置かれている。
学生たちはその様子に気づき、自然と声を落とした。
「明日の合同演習について、最終確認を行います」
リディアがそう告げると、教室の空気が少し引き締まった。
シュウも姿勢を正し、ノートを開いた。
「まず、明日の演習は予定通り実施する方向です。ただし、朝の天候と区域の安全確認によっては、開始時刻や使用する経路を変更する可能性があります」
学生たちは静かに頷いた。
リディアは書類を一枚持ち上げた。
「今回の目的は、指定された確認地点を巡ることだけではありません。班員同士で情報を共有し、状況に応じて適切な判断ができるかを確認します」
シュウはその言葉を聞きながら、ここ数日の練習を思い返した。
魔法を使うことよりも、使う必要があるかを考えること。
仲間の作業へ補助に入る前に、何を必要としているのか確認すること。
そして、同じ場所にいても、全員が同じものを見ているとは限らないこと。
どれも、明日の演習で大切になるはずだった。
「なお、演習区域内には教員が配置されています。危険な状況が発生した場合は、無理に課題を続けず、近くの教員へ報告してください」
リディアは教室を見回した。
「安全上の理由で中断したこと自体を、不利に扱うことはありません。重要なのは、何を確認し、どのような理由で判断したかです」
その説明に、シュウは少し安心した。
以前の自分なら、途中で引き返すことを失敗だと考えていたかもしれない。
しかし、今は違う。
安全に進めないと判断したなら、立ち止まることにも意味がある。
リディアは続けた。
「そして、各班には本日中に追加の確認事項を配布します。これは演習の難易度を上げるためのものではなく、明日の行動を安全に進めるためのものです」
シュウは顔を上げた。
追加の確認事項。
エリオットが朝に話していたことが、早速現実になったらしい。
「内容は班ごとに異なります。配布された書類は班員全員で確認し、疑問があれば本日中に担当教員へ尋ねてください」
リディアは書類を教卓へ戻した。
「最後に一つ。明日は、誰か一人が活躍するための演習ではありません。四人で行動することを忘れないように」
その言葉に、シュウは静かに頷いた。
◇
昼休み、第四班の四人はいつもの食堂の窓際の席に集まった。
シュウが到着したとき、フィンはすでに食事を始めており、セシリアは配布された書類を丁寧に折りたたんでいた。
ミリアは記録帳を開き、朝の説明で気になった部分を書き留めている。
「みんな、追加の書類は受け取った?」
シュウが尋ねると、セシリアが頷いた。
「はい。第四班の分は、私が預かっています」
彼女は鞄から一枚の紙を取り出し、卓の中央へ置いた。
紙の上部には、学院の印章とともに『合同演習・第四班追加確認事項』と書かれている。
シュウは食事を始める前に、内容へ目を通した。
そこには、明日の演習について、いくつかの注意事項が記されていた。
一つ目は、中央斜面の通行判断について。
二つ目は、東側確認地点での記録方法について。
三つ目は、途中で進路変更が必要になった場合の報告についてだった。
フィンが紙を覗き込み、少し首を傾げた。
「中央斜面のことが書いてあるな。やっぱり、あそこは注意が必要なのか?」
シュウは最初の項目を読み上げた。
「『中央斜面は、前日までの天候および当日の表層状態によって通行可否を判断する。通行が認められない場合は、指定された迂回路を使用すること』……だって」
セシリアは頷いた。
「前に地形図で確認した注意書きと関係がありそうですね」
「うん。ただ、今の時点で通れないって決まったわけじゃないみたい」
シュウは紙を見ながら答えた。
以前、ミリアが地形図の端に書かれた『降雨後、表層滑りに注意』という記載を見つけていた。
それを踏まえて、第四班は中央斜面と迂回路の両方を候補として残している。
今回の追加指示は、その判断をさらに明確にするものだった。
ミリアは記録帳へ一文を書き込んだ。
「では、中央斜面を通れるかどうかは、明日の現地確認と教員の指示によって決まる、ということですね」
「そうだね」
シュウは頷いた。
フィンも少し考えてから口を開いた。
「だったら、俺が土属性で足場を整えれば通れる、って考え方はしない方がいいな」
シュウはフィンへ視線を向けた。
以前なら、彼は魔法で足場を補強する方法を真っ先に考えていたかもしれない。
しかし、今は違う。
学院が通行を認めていない場所を、勝手に魔法で通れるようにするわけにはいかない。
「うん。そこは先生の指示を優先しよう」
シュウが答えると、フィンは素直に頷いた。
セシリアは二つ目の項目を指した。
「こちらも確認しておきたいです。東側確認地点では、指定された観察項目を全員で照合する必要があるそうです」
シュウは紙を読み直した。
そこには、確認地点で記録する内容について、少し詳しい説明が書かれていた。
地点の番号。
周囲の状態。
通行上の注意点。
そして、班員が確認した内容に違いがあった場合、その違いを記録すること。
シュウは思わず笑った。
「これ、昨日の話し合いが役に立ちそうだな」
ミリアも少し嬉しそうに頷いた。
「はい。全員が同じものを見ているとは限らない、ということですね」
フィンは腕を組み、少し考えた。
「でも、違うことを見てたら、どっちが正しいか決めないといけないのか?」
セシリアが静かに答えた。
「必ずしも、どちらかが間違っているとは限らないと思います。見ている場所や、確認した時点が違うかもしれませんから」
シュウも頷いた。
「うん。まずは、何を見たのか確認しよう。それで同じものを見てるのに違う結果になったなら、もう一度確かめる必要があると思う」
ミリアはその内容を記録帳へ書き込んだ。
四人は続けて、三つ目の項目を確認した。
途中で進路変更が必要になった場合は、変更理由と判断時点を記録すること。
また、班長は変更内容を班員全員へ共有し、必要に応じて担当教員へ報告すること。
シュウはその文章を読み、少しだけ表情を引き締めた。
「これは、俺がちゃんとしないといけないところだな」
フィンが顔を上げた。
「でも、シュウだけで全部やる必要はないだろ?」
「え?」
「進路変更の理由を記録するなら、ミリアが手伝えるし、安全確認ならセシリアもいる。俺だって、地形の状態を見て意見を出せる」
フィンはそう言って、少し笑った。
「班長が最後に判断するのは分かるけど、判断するための情報はみんなで集めればいいんじゃないか?」
シュウは思わず笑った。
「……そうだね。ありがとう」
セシリアも穏やかに頷いた。
「私も、必要なことはきちんとお伝えします」
ミリアは少し照れたように微笑んだ。
「記録については、私もお手伝いできます」
シュウは三人の顔を見回した。
少し前まで、自分は班長として何でも正しく判断しなければならないと思っていた。
しかし、今は違う。
自分が一人で全部を背負う必要はない。
仲間たちが、それぞれの得意なことを生かして支えてくれる。
そのことが、何より心強かった。
◇
昼食を終えたあと、第四班は追加指示について確認するため、ガルド・ベイルのもとを訪ねた。
ガルドは実技棟の一階にある準備室で、明日の演習に使用する資料を整理していた。
卓の上には班ごとの書類が並び、壁際には訓練用の地形図が立てかけられている。
シュウたちが入ると、ガルドは手を止めて顔を上げた。
「第四班か。追加の確認事項について質問があるのか?」
「はい。中央斜面の通行判断について、少し確認したいことがあります」
シュウが答えると、ガルドは頷いた。
「聞こう」
シュウは書類を開き、最初の項目を示した。
「中央斜面が通行可能かどうかは、当日の状態によって判断すると書かれています。これは、班が現地で確認して判断するんでしょうか。それとも、先生方から通行可否の指示が出るんでしょうか」
ガルドは少し考えてから答えた。
「基本的な通行可否は、朝の安全確認を終えた教員側が示す。ただし、通行可能とされている経路でも、現地で危険を感じた場合は、無理に進む必要はない」
シュウは頷いた。
「つまり、先生方が通行可能と判断した道でも、俺たちが現地で危険を見つけたら、立ち止まって確認していいんですね」
「その通りだ。通行可能というのは、どのような状態でも必ず通れという意味ではない」
ガルドは四人を見回した。
「逆に、教員側が通行不可とした経路を、魔法で補強して通ろうとすることは認めない。そこは間違えないように」
フィンがすぐに頷いた。
「はい。そこは気をつけます」
ガルドは彼の返事を聞き、少しだけ表情を和らげた。
「土属性が得意だからといって、何でも魔法で解決する必要はない。通らないという判断も、立派な判断だ」
フィンは少し照れくさそうに笑った。
「分かりました」
続いて、セシリアが手を上げた。
「東側確認地点で、班員の観察結果が違った場合についても質問してよろしいでしょうか」
「構わない」
「例えば、ある班員が足場は安定していると判断し、別の班員が少し滑りやすいと感じた場合、どちらかの意見にまとめる必要がありますか?」
ガルドは首を振った。
「必ずしも一つにまとめる必要はない。確認した場所や方法が違うなら、その違いを記録すればいい。ただし、安全に関わる意見が出た場合は、軽く扱わず、必要に応じて再確認すること」
ミリアはその説明を聞きながら、記録帳へ書き込んだ。
シュウも頷いた。
全員の意見を無理に一致させることが目的ではない。
違いがあるなら、その理由を確かめる。
それでも分からなければ、分からないまま記録する。
ここ数日の授業や練習で学んできたことが、明日の演習でも大切になるのだろう。
最後に、ミリアが静かに口を開いた。
「進路変更の記録について、一つ確認してもよろしいでしょうか」
ガルドは頷いた。
「言ってみろ」
「変更を決めた時点では理由が分かっていなかった場合、あとから分かったことを追記してもよいのでしょうか」
シュウはその質問に、思わず顔を上げた。
確かに、実際の演習では、進路を変更したあとで新しい情報が見つかる可能性もある。
その場合、記録をどう扱うかは重要だった。
ガルドは少し考えてから答えた。
「追記して構わない。ただし、最初の判断時点で分かっていたことと、あとから判明したことは分けて記録するように」
ミリアは深く頷いた。
「ありがとうございます」
「それから、記録のために危険な場所へ留まる必要はない。安全を確保してから書き直しても構わないが、記憶が曖昧な部分を勝手に補わないことだ」
その言葉に、シュウは午前の授業を思い出した。
後から分かったことを、最初から知っていたかのように扱わない。
それは、北方調査でも、第四班の練習でも、何度も大切だと感じてきたことだった。
四人はガルドへ礼を言い、準備室を後にした。
◇
午後の授業が終わるころには、学院の空に薄い雲が広がり始めていた。
風はそれほど強くなかったが、窓の外を流れる雲の動きは朝よりも速い。
シュウは教室の窓から空を見上げながら、明日の天候を少し気にしていた。
中央斜面を通れるかどうかは、当日の状態によって決まる。
雨が降れば、迂回路を使う可能性も高くなるだろう。
しかし、今の段階で天候を決めつけることはできない。
(明日の朝にならないと分からないこともあるよな)
シュウはそう考え、鞄を持ち上げた。
放課後には、第四班で短い最終確認を行う予定になっている。
今日は新しい練習を増やすのではなく、これまでに決めたことと、追加指示の内容を整理するだけだ。
その方が、明日に向けて落ち着いて準備できるはずだった。
演習準備室へ向かう途中、シュウは廊下でダン・クレイと顔を合わせた。
ダンは大きな鞄を肩に掛け、いつものように明るい表情をしていた。
「おっ、シュウ! 明日はいよいよ合同演習だな!」
「うん。ダンたちも準備できた?」
「もちろん! ……って言いたいところだけど、まだ確認することが結構あるんだよな」
ダンは少し苦笑した。
「俺たちの第六班、最初は勢いで進もうとしてたんだけどさ。地形図を見直したら、思ってたより注意する場所が多くて」
「そうなんだ」
「だから、今日は最後の確認をすることになった。俺も、火属性を使う場面があるかどうか、ちゃんと考えておかないとな」
シュウは頷いた。
ダンは騎士の家系で育ち、魔法の出力にも自信がある。
しかし、以前から力を細かく調整する練習を続けており、最近では必要以上に魔力を使わないことも意識している。
「お互い、無理せず頑張ろう」
シュウが言うと、ダンは笑った。
「そうだな! でも、せっかくだし、いい結果は出したいよな!」
「それは俺も同じだよ」
二人は笑い合い、それぞれの班の集合場所へ向かった。
◇
演習準備室には、すでにセシリアとミリアが到着していた。
フィンも少し遅れて姿を見せ、四人は卓を囲んで座った。
中央には、これまでに使用してきた地形図と、今日配布された追加確認事項の書類が置かれている。
シュウは三人へ視線を向けた。
「今日は、明日のために最後の確認をしよう。新しい作戦を増やすんじゃなくて、今まで決めたことを整理したい」
フィンは頷いた。
「いいと思う。俺も、今日は早めに休んでおきたいしな」
セシリアも微笑んだ。
「はい。明日の朝に慌てないようにしたいですね」
ミリアは記録帳を開き、静かに筆を構えた。
シュウはまず、地形図の中央斜面を指した。
「進路については、中央斜面と迂回路の両方を候補として残す。明日の朝、先生方の通行可否の指示を確認してから判断する」
三人は頷いた。
「もし中央斜面が通行可能でも、現地で危険があると思ったら立ち止まって確認する。逆に、通行不可なら魔法で補強して通ろうとはしない」
フィンが続けた。
「そこは俺も気をつける。土属性で何とかできそうに見えても、勝手には動かない」
セシリアは地形図の東側確認地点を指した。
「確認地点では、全員が同じ場所を見ているとは限らないことを意識しましょう。違う結果が出た場合は、何を見たのか確かめてから記録したいです」
ミリアも頷いた。
「はい。記録については、確認できたことと、まだ分からないことを分けておきます。あとから分かったことは、追記として残します」
シュウは二人の意見を聞き、ノートへ書き込んだ。
続いて、進路変更が必要になった場合の対応を確認した。
「途中で道を変える必要が出たら、まず理由を共有する。それから、誰が何を確認するか決めて、必要なら先生へ報告する」
フィンは少し考えた。
「そのとき、俺が先に道を見に行く必要があるなら、ちゃんと伝えてから動くようにする」
セシリアは頷いた。
「私は、周囲の安全を確認します。ただ、確認が終わっていない場合は、そのことも伝えますね」
ミリアは記録帳を見ながら、静かに続けた。
「私は、判断した時点と理由を記録します。ただし、安全を確保する必要がある場合は、記録よりも移動を優先します」
シュウは三人の顔を見回した。
それぞれが、自分の役割を理解している。
しかも、役割を固定しすぎず、状況に応じて助け合うことも考えている。
そのことが、シュウには心強かった。
「ありがとう。俺は、全体の進行を確認しながら、みんなの情報を聞いて判断する。必要なときは魔法で補助するけど、勝手に手を出さないようにするよ」
フィンは楽しそうに笑った。
「それなら大丈夫そうだな」
セシリアも穏やかに頷いた。
「はい。私も、皆さんと一緒なら落ち着いて行動できそうです」
ミリアは少し照れたように微笑んだ。
「私も、できることをきちんと果たしたいと思います」
四人はそれぞれのノートを閉じた。
これで、今日の最終確認は終わりだった。
◇
準備室を出たあと、シュウはフィンと並んで廊下を歩いていた。
セシリアとミリアは女子寮へ戻るため、少し前の分かれ道で別れている。
窓の外には夕暮れの光が差し込み、校舎の壁を淡い橙色に染めていた。
「なあ、シュウ」
フィンが少しだけ声を落とした。
「明日、ちょっと緊張してる?」
シュウは思わず笑った。
「うん。正直、少しは緊張してるよ」
「やっぱりそうか。俺もなんだよな」
フィンは照れくさそうに頭をかいた。
「最初は、合同演習なんて楽しそうだって思ってたんだけどさ。準備してるうちに、考えることが結構多いって分かってきて」
シュウは頷いた。
「そうだね。俺も、最初はもっと簡単に考えてた」
「でも、だからって嫌になったわけじゃないんだ」
フィンは少し笑った。
「むしろ、ちゃんと準備してきたから、明日どこまでできるか楽しみなんだよな」
シュウはその言葉に、少し安心した。
自分も同じ気持ちだった。
緊張はある。
失敗するかもしれないという不安もある。
けれど、四人で準備してきたことを、実際に試してみたいという気持ちも強かった。
「俺もそうだよ。明日は、みんなでいい演習にしたい」
シュウが答えると、フィンは嬉しそうに頷いた。
「よし。じゃあ、明日はよろしくな、班長!」
「こちらこそ、よろしく」
二人は笑い合い、男子寮へ向かう道で別れた。
◇
そのころ、第二女子寮の共有室では、ミリアが明日のための記録用具を確認していた。
机の上には記録帳、予備の筆記具、小さな定規が並べられている。
彼女は一つずつ状態を確かめ、鞄へしまっていった。
明日の合同演習では、第四班の記録を担当することになっている。
もちろん、すべての記録を一人で作るわけではない。
フィンやセシリア、シュウが確認したことも聞き取り、必要な情報をまとめる役割だ。
ミリアは今日の最終確認を思い返した。
最初の作戦会議では、発言する前に何度も迷っていた。
しかし、今は少し違う。
分からないことがあれば、分からないと伝えてよい。
確信がないことでも、候補として共有してよい。
そして、仲間たちはその言葉を聞いてくれる。
(明日も、ちゃんと伝えられるといいですね)
ミリアは小さく息を吐いた。
緊張していないわけではない。
けれど、以前のように、間違えたらどうしようという不安だけでいっぱいになることはなかった。
第四班の三人は、互いの意見を大切にしてくれる。
そのことを、ここ数日の練習で何度も確かめてきた。
ミリアは記録帳の最後のページへ、小さく一文を書き込んだ。
『明日は、見つけたことを一人で抱え込まない』
その言葉を見つめながら、彼女は静かに微笑んだ。
◇
夕食後、第一男子寮三百十七号室へ戻ったシュウは、机の上へ明日の準備品を並べた。
筆記具、記録用のノート、水筒、学院から指定された簡単な携行品。
必要なものを一つずつ確認し、鞄へしまっていく。
向かい側ではエリオットも同じように準備をしていた。
「シュウ、第四班の最終確認は終わった?」
「うん。追加指示も確認できたし、明日の朝に先生の説明を聞けば大丈夫だと思う」
エリオットは頷いた。
「僕たちも同じだよ。ユリウスが、明日の天候で判断が変わる可能性をもう一度確認してた」
「やっぱりそうだよな」
シュウは鞄の口を閉じた。
エリオットは少し考えてから口を開いた。
「そういえば、シュウ。明日は緊張してる?」
シュウは思わず笑った。
「さっきフィンにも同じこと聞かれたよ」
「そうなんだ」
「うん。少し緊張してるけど、楽しみでもあるかな」
エリオットは穏やかに微笑んだ。
「僕も同じだよ。第二班でちゃんと動けるか不安はあるけど、みんなで準備してきたことを試してみたい」
シュウは頷いた。
第二班にはエリオットとユリウスがいる。
第四班とは違う得意分野や考え方を持つ仲間たちと、彼らも準備を進めてきたのだろう。
「お互い、明日は頑張ろう」
「うん。無理せずね」
二人は笑い合った。
シュウは机の上に置いた第四班の準備ノートを開き、最後の確認をした。
『第四班・合同演習前日確認』
『中央斜面と迂回路の両方を候補として残す』
『当日の天候と教員の通行指示を確認する』
『確認地点では、班員ごとの観察内容を照合する』
『進路変更時は、理由と判断時点を記録する』
『作業中に状態が変わった場合は、短くても共有する』
『補助に入る前に、相手が何を必要としているか確認する』
そこまで読み返したところで、シュウは少しだけ笑った。
最初に第四班の班長になったときは、何をすればいいのかよく分からなかった。
自分が強い魔法を使えば、ほとんどの問題は解決できると思っていた部分もある。
しかし、ここ数日の練習で、それだけでは足りないことを学んだ。
仲間の得意なことを知る。
苦手なことも理解する。
意見が違ったら理由を聞く。
分からないことがあれば、無理に答えを出さない。
そして、誰かが作業しているときは、勝手に手を出さず、必要なことを確かめる。
どれも、特別な能力ではない。
けれど、今のシュウにとっては、大切なことだった。
《マスター》
頭の中に、アルカディアの声が響いた。
(……何だよ)
《明日の合同演習に向けて、最終的な助言がございます》
(珍しく真面目そうだな)
《はい。かつてのマスターが制定した暗黒帝国の出陣規定によれば、戦闘前夜には十三人の幹部が玉座の前へ集結し、暗黒皇帝の勝利を予言することになっております》
(……またそれか)
《なお、予言の内容は全員同一で、『暗黒皇帝に敗北の二文字なし』です》
(予言っていうか、ただの応援だろ)
《さらに、暗黒皇帝が敗北した場合の対応は、規定されておりません》
(負けること考えてないのかよ!)
シュウは思わず額を押さえた。
エリオットが顔を上げ、少し楽しそうに笑う。
「また昔の設定?」
「うん。昔の俺、戦う前から勝つことしか考えてなかったらしい」
「それは、少し大変そうだね」
「本当にそう思う」
シュウは苦笑しながら頷いた。
昔の自分は、何があっても勝つ最強の存在に憧れていた。
失敗することも、迷うこともない。
誰よりも強く、誰よりも正しい。
そんな存在を想像していたのかもしれない。
けれど、今は違う。
失敗することもある。
迷うこともある。
仲間の意見を聞いて、自分の考えを変えることもある。
それでも、四人で進んでいければいい。
(明日は、俺一人の演習じゃないんだよな)
シュウはノートを閉じた。
第四班には、フィンがいる。
セシリアがいる。
ミリアがいる。
そして、自分がいる。
四人で準備してきたことを、明日は一つずつ確かめていこう。
窓の外では、夜の風が静かに木々を揺らしていた。
シュウはエリオットと翌朝の集合時刻を確認し、少し早めに休むことにした。
明日の合同演習が、どのような一日になるのかはまだ分からない。
けれど、今は不安だけではなかった。
仲間たちと一緒に進むことへの期待を胸に、シュウは静かに目を閉じた。




