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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第76話 合同演習が始まった朝、俺たちは最初の分かれ道で足を止めました


目覚ましの鐘が鳴るよりも早く、シュウ・アルヴェインは目を覚ました。


第一男子寮三百十七号室の窓には、まだ朝の薄い光しか差し込んでいない。夜の間に雨が降ったらしく、窓枠の外側には小さな水滴が残り、中庭の石畳も普段より濃い色をしていた。遠くで鳥が鳴いているものの、学院全体はまだ静かで、廊下から聞こえる足音もまばらだった。


シュウは寝台の上で身を起こし、窓の外へ目を向けた。


(雨、降ったんだな。中央斜面はどうなるんだろう)


昨日の最終確認では、中央斜面を通れるかどうかは当日の状態によって決まると説明されていた。教員が通行可能と判断した場合でも、現地で危険が見つかれば立ち止まる必要がある。


逆に、通行不可とされた経路を、魔法で補強して無理に進むことは認められていない。


シュウはその説明を思い返しながら、寝台から足を下ろした。


「……もう起きてたんだ」


向かい側の寝台から、少し眠そうな声が聞こえた。


エリオット・ファーレンが掛け布を持ち上げ、こちらを見ている。普段は朝から落ち着いた表情をしている彼も、今日はまだ眠気が残っているようだった。


「おはよう、エリオット。なんか目が覚めちゃってさ」


「おはよう。僕も昨日は、いつもより少し寝つくのに時間がかかったよ」


エリオットは小さく笑い、窓の外へ視線を向けた。


「雨が降ったみたいだね。第二班の経路にも、ぬかるみやすい場所があったはずだから、朝の説明を聞かないといけないな」


「第四班も中央斜面があるんだ。昨日、フィンたちと両方の経路を確認しておいてよかったよ」


シュウが答えると、エリオットは頷いた。


「そうだね。でも、シュウ。今日は全部を自分で何とかしようとしないでね」


その言葉に、シュウは少し驚いて振り返った。


エリオットはからかうような表情ではなく、穏やかな目でこちらを見ていた。


「最近のシュウは、ちゃんと仲間に相談するようになってると思う。でも、何か起きたときほど、つい自分で解決しようとしそうだから」


シュウは返事をする前に、昨日までの練習を思い返した。


フィンが標識を戻そうとしているところへ、必要かどうか確かめず風属性の魔法を加えてしまったこと。セシリアやミリアが何を確認しているのかを十分に理解しないまま、自分の判断だけで動いてしまったこと。


エリオットの心配には、思い当たるところがあった。


「……うん。気をつけるよ。せっかく四人で準備してきたんだから、ちゃんと四人でやりたいし」


「それならよかった。僕もユリウスたちに頼るつもりだから、お互い頑張ろう」


二人はそう話してから身支度を始めた。


シュウは制服ではなく、学院から指定された演習用の服を身につける。動きやすい厚手の上着に、足首を保護する革靴。鞄には昨日のうちに確認した筆記具、水筒、記録用のノートが収まっていた。


装備を整えながら、シュウは頭の中の相棒へ呼びかけた。


(アルカディア。今日はよろしくな)


《承知いたしました、マスター。周囲の魔力反応については、必要に応じてお伝えいたします》


(助かる。ただ、今日は学院の演習だから、勝手に特殊能力を使ったりはしないぞ)


《適切な判断かと存じます。もっとも、かつてのマスターが考案された暗黒皇帝の野外訓練では、開始直後に天候そのものを支配する予定でしたが》


(それ、訓練にならないだろ)


《参加者全員が晴天の下で暗黒皇帝を称賛することが、主な目的だったようです》


(野外訓練じゃなくて表彰式じゃねえか)


シュウは口元が緩みそうになるのをこらえ、鞄の留め具を確かめた。


窓の外では雲の切れ間から朝日が差し込み始めている。


昨日まで何度も話し合ってきた合同演習が、いよいよ始まるのだった。


◇


朝食を終えた学生たちは、学院の南側にある演習集合広場へ集まっていた。


広場の先には模擬森林区域が広がり、背の高い木々が朝の風に枝を揺らしている。森の入口付近には教員用の机と案内板が設置され、数人の教員が書類を確認しながら学生たちを誘導していた。


地面にはまだ湿り気が残っていたが、広場の石畳には水たまりがほとんどなく、歩くことに支障はなさそうだった。


シュウが第四班の集合場所へ向かうと、フィン・ラデルがこちらに気づいて手を上げた。


「おはよう、シュウ! ちゃんと眠れたか?」


「おはよう。少し早く起きちゃったけど、体調は大丈夫だよ。フィンは?」


「俺も大丈夫。ただ、朝起きて地面が濡れてたから、ちょっと驚いたんだよな」


フィンは足元を見ながら苦笑した。


彼の革靴には、集合広場へ来る途中についたらしい薄い泥が付着している。


「寮からここまで来るだけでも、土の道は結構湿ってたぞ。森の中はもっと滑りやすいかもしれないな」


「そうだね。先生の説明を聞いてから考えよう」


シュウが答えると、フィンは素直に頷いた。


少し離れた場所では、セシリア・ノールとミリア・ハーゼンが並んで立っていた。


セシリアは肩まで伸びた明るい栗色の髪を演習の邪魔にならないようまとめ、鞄の肩紐を整えている。ミリアは胸元に小さな記録帳を抱えており、周囲の地形を確かめるように視線を動かしていた。


「おはよう、セシリア、ミリア」


シュウが声をかけると、二人が振り返った。


「おはようございます、シュウさん。今日はよろしくお願いします」


「おはようございます。私も、準備はできています」


セシリアは穏やかに微笑んだが、その手は鞄の留め具をもう一度確かめていた。


ミリアも落ち着いているように見えるものの、記録帳を持つ指先には少し力が入っている。


シュウは二人の様子を見て、緊張しているのは自分だけではないのだと感じた。


「こちらこそよろしく。今日は、昨日決めたことを一つずつやっていこう」


フィンが大きく頷いた。


「おう。無理に急がない、勝手に魔法を使わない、必要なことはちゃんと伝える。そこは覚えてるぞ」


セシリアは少し笑った。


「フィンさんが最初にそう言ってくださると、安心しますね」


「なんだよ、それ。俺だって成長してるんだからな」


フィンが少し照れくさそうに言い返すと、ミリアも控えめに笑った。


そのやり取りを聞いて、シュウの肩から余計な力が抜けた。


四人で集まることは、もう特別なことではなくなっている。


最初の作戦会議では、それぞれが遠慮しながら意見を出していた。しかし、今は少しずつ相手の考え方を理解し、軽い冗談を交わせるようになっていた。


その変化が、今日の演習でも支えになってくれる気がした。


やがて、広場の前方でガルド・ベイルが手を上げた。


「全員、説明を始める。班ごとに集まって聞くように」


学生たちの話し声が次第に静まり、各班が決められた位置へ移動する。


シュウたちも並んで立ち、ガルドの説明へ耳を傾けた。


「昨夜、演習区域の一部で降雨が確認された。今朝の安全点検では、大きな異常は見つかっていないが、中央斜面については表層の状態が安定していない箇所がある」


ガルドは背後の地形図を指した。


「そのため、中央斜面の上側にある短縮経路は、本日の演習では通行不可とする。各班は指定された迂回路を使用すること」


シュウは地形図へ視線を向けた。


第四班が候補として残していた二つの経路のうち、短い方が使えなくなったということだ。


隣でフィンが小さく息を吐いた。


「やっぱりか……」


しかし、彼はすぐに地形図を確認し、迂回路の位置へ目を向けた。


「でも、昨日ちゃんと見ておいたから大丈夫だな」


シュウは頷いた。


「うん。あとは現地の状態を確認しながら進もう」


ガルドはさらに説明を続けた。


「演習の目的は速さを競うことではない。各確認地点で必要な観察を行い、安全な経路を選び、班員全員で指定された終了地点へ到達することだ」


学生たちの間で、小さなざわめきが起こった。


中央斜面を通る予定だった班もあるのだろう。


その一方で、迂回路を使う可能性を考えていた学生たちは、すでに地形図を見直し始めていた。


「また、各班の進行状況は教員が確認する。指定された経路から大きく外れる場合や、危険を発見した場合は、近くの教員へ報告すること。安全上の理由による中断は、適切な判断として扱う」


ガルドの声は、広場の端までよく通った。


シュウはその説明を聞きながら、第四班の三人へ目を向けた。


フィンは地形図を見つめ、セシリアは周囲の学生たちの動きも確認している。ミリアは今の説明を記録帳へ書き込み、最後に顔を上げてシュウと視線を合わせた。


シュウは小さく頷いた。


四人とも、同じ指示を理解したようだった。


◇


説明が終わると、各班には出発まで短い確認時間が与えられた。


第四班は集合広場の端にある木製の卓を使い、地形図を広げた。


シュウは中央斜面の短縮経路へ小さな印をつけ、その横に『本日通行不可』と記入した。


「まず、ここは使わない。東側確認地点へ向かうには、南寄りの迂回路を通ることになるね」


ミリアは地形図を覗き込み、指先で道筋を追った。


「はい。ただ、迂回路にも小さな分岐があります。こちらは補助通路として記載されていますが、今日の指定経路に含まれるかどうかは、まだ確認できていません」


シュウは彼女が示した部分を見た。


確かに、地形図には細い線が一本描かれている。


主要な迂回路から少し東へ伸び、再び合流するようにも見えるが、線が細いため、どのような道なのかまでは分からなかった。


「そこは、今の段階で勝手に使えると思わない方がいいな」


フィンが言った。


「俺たちが通るのは、先生が指定した迂回路だろ? その細い道は、現地で案内があったら確認するくらいでいいんじゃないか」


シュウは少し驚いた。


以前のフィンなら、近道になりそうな道を見つければ、試してみようと言っていたかもしれない。


しかし、今の彼は、地形図に描かれていることと、実際に通行が認められていることを区別している。


「うん。俺もそう思う」


セシリアは地形図の余白へ目を向けた。


「それから、最初の確認地点へ着く前に、足場の状態を一度共有したいです。雨のあとですから、歩いているうちに気づくこともあると思います」


「いいね。じゃあ、森へ入って少し進んだところで、全員の状態も確認しよう」


シュウが提案すると、ミリアは記録帳へ書き込んだ。


「最初の状態確認ですね。疲労や足元の状況も、そのときに聞くようにします」


四人は短く確認を終え、地形図を畳んだ。


すべての状況を事前に決めることはできない。


けれど、何が起きたら立ち止まるべきか、何を共有するべきかは、以前より明確になっていた。


出発の案内が始まると、シュウは鞄を背負い直した。


近くでは第二班のエリオットとユリウスも準備を整えている。


エリオットがこちらに気づき、小さく手を上げた。


「シュウ、第四班も頑張ってね」


「うん。エリオットたちも気をつけて」


ユリウスも軽く頷き、地形図を鞄へしまった。


それぞれの班が異なる経路を進むため、ここから先は別行動になる。


シュウは二人の背中を見送り、第四班の仲間たちへ向き直った。


「じゃあ、行こうか」


三人が頷くのを確認してから、シュウは森の入口へ歩き始めた。


◇


模擬森林区域へ足を踏み入れると、広場とは空気が変わった。


頭上には枝葉が広がり、朝日が細かな光の筋となって地面へ落ちている。昨夜の雨を含んだ土は柔らかく、踏みしめるたびに湿った感触が靴底へ伝わった。


木々の間には、学院が設置した案内標識が一定の間隔で立っている。


その多くは木製で、上部に番号や進行方向が記されていた。


シュウは先頭を歩きながら、時折振り返って三人の位置を確認した。


すぐ後ろにはフィン、その後方にミリア、最後尾にはセシリアがいる。


これは出発前に決めた配置だった。


フィンは足場の状態を確認しやすく、ミリアは標識や周囲の変化を記録する。セシリアは最後尾から全員の様子を見られるため、歩行中の異常に気づきやすい。


ただし、状況によって順番を変えることも確認している。


森へ入ってしばらく進んだところで、フィンが声をかけた。


「シュウ、ちょっといいか。ここの地面、見た目より柔らかいぞ」


シュウは足を止め、フィンが示した場所を見た。


道の端には薄く泥が残り、踏まれた部分が少し沈んでいる。


フィンは自分の靴底を見せながら説明した。


「さっきから、端の方を踏むと少し沈むんだ。中央はまだ固いけど、全員が同じ場所を歩いた方がよさそうだな」


シュウは頷き、後ろの二人へ視線を向けた。


「セシリア、ミリア。足元はどう?」


セシリアは一度立ち止まり、靴の状態を確かめた。


「今のところ、滑ったりはしていません。ただ、落ち葉が重なっている場所は、下の土が見えにくいですね」


ミリアも周囲を見回した。


「私は、道の右側に水が集まりやすい部分があるように見えました。まだ広い範囲を確認したわけではありませんが、少なくとも今歩いてきた場所では、右側の方が湿っています」


シュウは二人の説明を聞き、足元へ目を向けた。


確かに、道の右端には細い水の流れが残っている。


それがこの先まで続いているかどうかは分からない。


「ありがとう。じゃあ、今は道の中央寄りを歩こう。ただし、前に進んで状態が変わったら、また教えて」


三人が頷いた。


シュウは歩き始める前に、ミリアへ確認した。


「今のこと、記録できそう?」


「はい。『入口から最初の状態確認地点まで、道の端に軟らかい土と湿った落ち葉あり』と書いておきます。ただ、右側が常に湿っているとは書かないようにします」


「うん。それでお願い」


ミリアは記録帳へ素早く書き込み、筆をしまった。


シュウはその様子を見ながら、昨日までの話し合いが実際の行動につながっていることを感じた。


誰か一人が全部を見ているわけではない。


フィンが足元の感触に気づき、セシリアが落ち葉の危険を考え、ミリアが水の集まり方を観察した。


その情報を合わせることで、進み方を決められたのだ。


(……よし。今のところは、ちゃんとできてる)


シュウは小さく息を整え、再び先頭を歩き始めた。


◇


最初の案内標識が見えてきたのは、それから少し進んだころだった。


道の左側に立つ標識には、東側確認地点へ向かう矢印が描かれている。


その下には小さな番号が記されていた。


シュウは立ち止まり、地形図と標識を見比べた。


「ここは、予定通りだね。東側確認地点へ向かうには、この先の分かれ道で左へ進むはずだ」


フィンは周囲を見回した。


「まだ分かれ道は見えないな。もう少し先か?」


「地形図だと、ここから少し進んだところみたい」


シュウが答えると、ミリアが標識へ近づいた。


彼女は番号を確認し、記録帳へ書き込んだ。


「案内標識の番号は、地形図に記載されているものと一致しています。ここまでは、予定された経路で間違いなさそうです」


セシリアは周囲の足場を確認しながら頷いた。


「この辺りは、先ほどより地面が固くなっていますね。ただ、木の根が道へ出ている場所がありますから、足を引っかけないようにしましょう」


四人は再び歩き始めた。


道は緩やかに曲がり、木々の間を抜けると、少し開けた場所へ出た。


そこには二本の道が伸びていた。


一方は左へ曲がり、背の高い木々の間を通っている。


もう一方は右へ進み、少し低い場所へ下っていた。


地形図では、左の道が東側確認地点へ続く迂回路として描かれている。


シュウはそのことを確認し、左へ進もうとした。


しかし、足を踏み出す前に、ミリアの声が聞こえた。


「シュウさん、少し待ってください」


シュウは振り返った。


ミリアは地形図を開いたまま、分かれ道の左側を見つめている。


「どうしたの?」


「標識の向きが、地形図と少し違うように見えます」


シュウは改めて標識へ目を向けた。


分かれ道の中央には、木製の案内板が立っている。


その上部には東側確認地点を示す文字があり、矢印は左方向を指していた。


一見すると、地形図と一致しているように見える。


「左を指してるから、合ってるんじゃないかな?」


シュウが尋ねると、ミリアは少し首を振った。


「矢印そのものは左を向いています。ただ、標識の支柱が少し傾いているように見えるんです」


彼女は標識の根元を指した。


「地面の状態が悪いせいかもしれませんが、案内板全体が右側へ回っているようにも見えます」


シュウは近づき、標識を正面から確認した。


確かに、支柱は完全には垂直ではなかった。


案内板の角度も、道に対して少し斜めになっている。


ただし、それが最初からそのように設置されていたのか、雨の影響で傾いたのかは分からない。


フィンも標識の根元へ視線を向けた。


「土が少し崩れてるな。これ、昨夜の雨で緩んだのかもしれない」


シュウは地形図を見直した。


地図上では、左の道が正しい経路として描かれている。


標識も左を指している。


それなら、進んでも問題ないように思える。


しかし、ミリアが気づいたことを無視するわけにはいかなかった。


「一回、ここで確認しよう」


シュウがそう言うと、フィンは素直に頷いた。


セシリアも周囲を見回し、ほかの班が近づいていないことを確かめてから、少し道の端へ寄った。


四人は通路を塞がない位置に集まり、標識と地形図を見比べた。


「まず、地形図では左の道が指定経路になっている。標識も左を指している。ただ、支柱が傾いていて、向きが正確かどうかは分からない」


シュウが確認すると、ミリアは頷いた。


「はい。私は、標識がずれている可能性があると思いました。ただ、実際に向きが変わったとまでは確認できていません」


フィンは標識の根元を見ながら、少し考えた。


「俺が土属性で支柱を戻せば、向きが分かるんじゃないか?」


その言葉に、シュウは一瞬だけ考え込んだ。


土属性で支柱をまっすぐにすること自体は、フィンなら難しくないだろう。


しかし、それを行えば、元の状態が分からなくなる。


そもそも、標識を勝手に動かしてよいのかも確認していない。


「いや、今は触らない方がいいと思う」


シュウが答えると、フィンはすぐに頷いた。


「そうだな。勝手に直したら、元がどうなってたか分からなくなるし」


セシリアが静かに口を開いた。


「それに、標識の傾きだけでなく、道そのものの状態も確認した方がよいと思います。左の道が地形図通りでも、安全に通れるとは限りませんから」


シュウは彼女へ視線を向けた。


「うん。確かにそうだね」


セシリアは左の道へ目を向けた。


木々の間には落ち葉が厚く積もり、少し先で道が緩やかに下っている。


表面はそれほど濡れていないように見えるが、日陰になっているため、土の状態までは分からなかった。


「私は、左の道の入口付近を確認したいです。ただ、奥へ進む前に、ここで皆さんと状況を共有したいと思います」


シュウは頷いた。


「分かった。じゃあ、今はこの分かれ道から離れず、見える範囲だけ確認しよう」


四人はそれぞれの位置から、道の状態を観察し始めた。


◇


フィンは左の道の入口へ近づき、足元の土を見つめていた。


彼は土属性の魔法を使わず、まず自分の目と足の感触で状態を確かめようとしている。


道の端には細かな砂利が混じっており、雨水が流れたような跡が残っていた。


(思ってたより、ちゃんと見ることが多いな)


フィンは心の中でそう考えながら、少し離れた場所にある木の根へ目を向けた。


以前の彼なら、足場が悪ければ土属性で固めればよいと思っていただろう。


しかし、今日の演習では、魔法を使えることと、使ってよいことは別だと分かっている。


地面を固めれば、一時的に歩きやすくなるかもしれない。


けれど、下に水がたまっていた場合や、別の場所へ力がかかった場合に、どのような影響が出るかは分からない。


それに、学院が用意した演習区域の状態を、許可なく変えてしまうことにもなる。


フィンは少しだけ靴の位置を変え、土の沈み方を確認した。


そのとき、左の道の端にある落ち葉が、わずかにずれていることに気づいた。


風で動いたようにも見えるが、近くの土には細い筋が残っている。


フィンはその場でしゃがみ込み、目を凝らした。


(これ、雨水が流れた跡か?)


確信はなかった。


しかし、黙っている理由もなかった。


「シュウ、ちょっと来てくれ。ここ、気になるんだ」


フィンが声をかけると、シュウはすぐに近づいてきた。


「どうした?」


「この落ち葉の下に、細い溝みたいなのがある。たぶん水が流れた跡だと思うんだけど、どこまで続いてるかは分からない」


シュウはフィンの隣へしゃがみ込み、示された場所を確認した。


確かに、土の表面には細い筋が残っている。


それが自然にできたものなのか、雨水が流れた跡なのかは判断できない。


「なるほど。セシリアとミリアにも見てもらおう」


シュウが呼びかけると、二人も近づいてきた。


セシリアは足場を確かめながら、溝の周囲へ視線を向けた。


「落ち葉の下が見えにくいですね。ここだけでは、道全体が危険かどうかは分かりません」


ミリアは記録帳を開き、慎重に書き込んだ。


「『左側経路入口付近、落ち葉の下に細い溝状の跡あり。雨水によるものかは未確認』……でよろしいでしょうか」


「うん。それでいいと思う」


シュウは頷いた。


フィンは少しだけ肩の力を抜いた。


自分が見つけたものを、仲間たちがきちんと確認してくれた。


それだけで、何となく安心できた。


以前なら、気になることを見つけても、自分で確かめようとしていたかもしれない。


しかし、今は違う。


分からないことを分からないまま伝えても、誰も責めたりしない。


そのことが、フィンには嬉しかった。


◇


四人が分かれ道の状態を確認していると、後方から足音が聞こえてきた。


振り返ると、別の班の学生たちが道を進んできている。


彼らも地形図を持ち、分かれ道の標識を見ながら話し合っていた。


先頭の学生がシュウたちへ気づき、少し離れた場所で足を止めた。


「第四班か? 何かあったのか?」


シュウは相手の班を確認し、簡単に状況を説明した。


「標識の支柱が少し傾いていて、向きが正確かどうか確認してたんだ。それと、左の道の入口に気になる場所があったから、今は進まずに様子を見てる」


相手の学生は標識を見上げた。


「確かに、ちょっと傾いてるな。でも、地形図では左だろ?」


「うん。だから、道の方向そのものが違うと決まったわけじゃない。ただ、今の状態を確認してから進もうと思ってる」


シュウが答えると、相手は少し考えた。


その班の後方にいた学生が、左の道を覗き込む。


「俺たちも左へ行く予定だったけど、先生に聞いた方がいいのかな」


シュウはすぐに答えを出さず、周囲を見回した。


演習区域には教員が配置されている。


集合時の説明では、危険を発見した場合や進路変更が必要になった場合は、近くの教員へ報告するよう指示されていた。


標識が傾いているだけなら、必ずしも危険とは限らない。


しかし、道の状態にも不明な点がある以上、勝手に判断して進むより、確認した方がよさそうだった。


「俺たちは、近くの先生へ報告しようと思う。そっちの班も、気になるなら一緒に確認してもいいんじゃないかな」


相手の学生は頷いた。


「そうする。急いで進む必要もないしな」


その返事を聞いて、シュウは少し安心した。


ほかの班が同じ場所を通るなら、第四班だけの問題ではないかもしれない。


ただし、今の段階で危険だと決めつけることもできない。


確認できたことを伝え、教員の判断を待つのが適切だろう。


シュウは第四班の三人へ向き直った。


「じゃあ、ここで一度報告しよう。ミリア、今まで確認したことを整理してもらえる?」


「はい。標識の傾きと、左側経路入口の溝状の跡、それから通行はまだしていないことを伝えます」


ミリアは記録帳を見ながら答えた。


セシリアも頷いた。


「私は、周囲の安全を確認しておきます。ほかの班が来るかもしれませんから、通路を塞がないようにしましょう」


フィンは少し離れた場所へ移動し、後続の学生たちが立ち止まれるように空間を空けた。


シュウは三人の動きを見ながら、胸の奥に小さな手応えを感じた。


誰かが命令されるまで待っているわけではない。


それぞれが、自分にできることを考えて動いている。


第四班は、少しずつ一つの班らしくなっていた。


◇


近くの巡回教員が到着したのは、それから間もなくだった。


教員はシュウたちの報告を聞くと、まず標識の状態を確認した。


支柱の根元を調べ、案内板の向きを地形図と照らし合わせる。


続いて、フィンが見つけた溝状の跡へ目を向けた。


「なるほど。確かに、雨水が流れたような跡があるな」


教員はそう言いながら、少し離れた場所の土も確認した。


シュウは四人で並び、教員の作業を見守っていた。


標識を直してよいのか、道を通ってよいのか。


どちらも、自分たちだけでは判断できない。


しばらくして、教員が顔を上げた。


「標識の向きは、指定された迂回路を示している。支柱の傾きについては、あとで担当者に確認させよう」


シュウは頷いた。


「分かりました」


「ただし、左の道の入口にある溝については、もう少し確認が必要だ。今の段階では、この分岐から先へ進まないように」


その言葉に、シュウは少し表情を引き締めた。


道の方向は合っていた。


しかし、通行の安全については、まだ確認が終わっていない。


教員は続けた。


「君たちが見つけたことは、ほかの班にも共有する。ここで待機していてくれ」


「はい」


シュウは返事をし、三人へ向き直った。


「しばらく待機だって。みんな、体調は大丈夫?」


フィンは頷いた。


「問題ない。まだそんなに歩いてないしな」


セシリアも落ち着いた表情で答えた。


「私も大丈夫です。ただ、立ち止まっている間に身体が冷えないようにしたいですね」


ミリアは記録帳を閉じ、少しだけ肩を回した。


「私も問題ありません。今の報告内容は記録できました」


シュウは三人の返事を聞き、安心した。


演習が始まってから、まだそれほど時間は経っていない。


それでも、最初の分かれ道で足を止めることになった。


予定通りに進めなかったことを、以前の自分なら焦っていたかもしれない。


しかし、今は不思議と落ち着いていた。


(ここで無理に進んでも、いいことないよな)


シュウは分かれ道の先へ目を向けた。


木々の間には、湿った土の匂いが漂っている。


葉の隙間から差し込む光は少しずつ強くなっていたが、道の奥はまだ薄暗かった。


そこへ進めるかどうかは、教員の確認が終わるまで分からない。


それなら、今できることをして待てばいい。


シュウは地形図を開き、現在地をもう一度確認した。


隣ではミリアが記録帳を見直し、フィンとセシリアも周囲の状態を確かめている。


四人は言葉を交わしながら、次の指示を待った。


◇


しばらくして、分かれ道の先から別の教員が戻ってきた。


その表情は落ち着いていたが、手には追加の記録用紙が握られている。


先ほどの巡回教員と短く話し合ったあと、彼は待機している学生たちへ向き直った。


「確認が終わった。左側の指定経路は通行できる。ただし、入口付近の一部で表層が柔らかくなっているため、道の中央寄りを通ること。落ち葉が厚く積もっている場所には近づかないように」


学生たちの間に、安堵したような空気が広がった。


シュウも小さく息を吐いた。


通行できると分かったことは嬉しい。


しかし、注意が必要な場所があることも忘れてはいけない。


教員は続けた。


「それから、この分岐での待機時間は演習の進行記録に反映する。確認のために立ち止まった班が不利になることはない」


シュウはその説明に頷いた。


速さを競う演習ではないと、最初から説明されている。


それでも、実際に足を止めると、少しだけ遅れが気になるものだ。


教員がその点を明確にしてくれたことで、周囲の学生たちも落ち着いたようだった。


シュウは第四班の三人へ向き直った。


「じゃあ、進もうか。ただし、入口付近は道の中央を通って、落ち葉の多いところは避けよう」


フィンは頷いた。


「分かった。俺も足元を見ておく」


セシリアはミリアへ目を向けた。


「記録帳を見ながら歩くと危ないですから、必要なことがあれば一度止まって書きましょう」


ミリアは少し笑った。


「はい。気をつけます」


四人は再び歩き始めた。


先頭のシュウは、今度は足元の状態を確かめながら進む。


フィンは少し後ろから土の沈み方を見ており、セシリアは最後尾で全員の歩き方を確認していた。


ミリアは記録帳を鞄へしまい、必要なことを覚えておいて、次に立ち止まったときに書くつもりらしい。


左の道へ入ると、木々の間から冷たい風が流れてきた。


落ち葉の下にはまだ湿った土が残っているものの、道の中央は比較的安定している。


シュウは歩幅を少し小さくし、後ろの三人が無理なくついてこられる速さを意識した。


しばらく進んだところで、フィンが声をかけた。


「シュウ、今のところ足場は大丈夫そうだ。ただ、少し先で道が曲がってるから、その先はまだ分からない」


「ありがとう。曲がる前に一度確認しよう」


シュウが答えると、セシリアも頷いた。


「私も、その方がいいと思います。ここまでの道では問題ありませんが、先の状態は見えていませんから」


ミリアは二人の言葉を聞き、静かに頷いた。


四人は道が曲がる手前で立ち止まり、周囲の状態を確認した。


そして、進んできた経路と現在地を照らし合わせながら、次の行動を決めていく。


演習は、まだ始まったばかりだった。


東側確認地点までは、もう少し距離がある。


その先には、さらに別の判断が待っているかもしれない。


けれど、シュウはもう、すべてを自分一人で決めようとは思っていなかった。


フィンが見つけたことを聞き、セシリアが確認した安全情報を受け取り、ミリアが残した記録を参考にする。


そうして四人で進むことが、今の第四班には何より大切なのだと感じていた。


(……よし。この調子でいこう)


シュウは小さく息を整え、三人の顔を見回した。


「次の確認地点まで、あと少しだね。無理せず進もう」


フィンは明るく頷き、セシリアは穏やかに微笑んだ。


ミリアも記録帳を鞄へしまい直し、前方の道へ視線を向ける。


四人は互いの位置を確かめながら、再び森の奥へ歩き始めた。


朝の光は少しずつ強くなり、木々の間に伸びる影も短くなっている。


湿った土の匂いと、葉の揺れる音に包まれながら、第四班は最初の確認地点を目指して進んでいった。


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