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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第72話 第四班の作戦会議で、最初に間違っていたのは俺でした


 王立魔道学院の朝は、いつもより少し風が強かった。


 第一男子寮三百十七号室の窓から見える中庭では、木々の枝が揺れるたびに細かな葉が舞い、石畳の上を転がっていく。昨夜のうちに雨が降った様子はなかったが、雲の流れは速く、朝日が差し込んだかと思えば、すぐに薄い影が庭を覆った。


 シュウ・アルヴェインは制服の袖を整えながら、机に置いた一枚の紙を見下ろしていた。


 そこには、第四班の四人が話し合って決めた方針が書かれている。


 意見が違ったら、まず理由を確かめる。確認できている情報と、まだ分からない情報を分ける。安全に関わる意見は、人数に関係なく検討する。そして、新しい情報が見つかったら、一度決めた判断でも見直す。


 昨日の昼休みに、セシリア・ノール、フィン・ラデル、ミリア・ハーゼンと一緒に決めたものだった。


 その内容に不満はない。むしろ、班長として何を大切にするべきなのか、以前よりはっきりした気がしている。


 ただ、一晩経って読み返してみると、別の疑問が浮かんできた。


(これ、実際に迷ったときも守れるのかな)


 紙の上で決めたことを、落ち着いているときに実行するのは難しくない。けれど、目の前に進むべき道が二つあり、仲間から違う意見が出て、しかも時間に余裕がなかったらどうだろう。


 そのとき、自分は本当に全員の話を聞けるだろうか。


 シュウは昨日の授業を思い出した。


 ガルド・ベイルは、意見が違うこと自体を問題にするなと言っていた。理由を確かめずに、どちらかを無視することの方が問題なのだと。


 その言葉には納得している。


 しかし、納得していることと、実際にできることは違う。


「シュウ、朝ご飯に行かない?」


 背後からエリオット・ファーレンの声がした。


 振り返ると、彼はすでに鞄を肩に掛け、扉の近くで待っていた。淡い茶色の髪が窓から入る風にわずかに揺れ、いつもの穏やかな表情でこちらを見ている。


「あ、ごめん。もう準備できてる」


 シュウが紙を折りたたもうとすると、エリオットは机の上を覗き込んだ。


「第四班の方針だね。昨日、話してくれたやつ?」


「うん。いいことを決めたとは思うんだけど、実際に迷ったときに守れるか、ちょっと気になってさ」


「それなら、練習してみるのはどうかな」


「練習?」


 シュウが聞き返すと、エリオットは少し考えてから頷いた。


「本番と同じ場所で動くのは難しいと思うけど、例えば、途中で予定が変わったらどうするかを考えてみるとか。第二班でも、ユリウスが似たようなことを言ってたんだ」


「ユリウスが?」


「うん。最初に決めた道順が使えなくなった場合も、考えておいた方がいいって。僕たちはまだ、そこまで具体的には話せてないけどね」


 エリオットは少し照れたように笑った。


 シュウは机の紙へもう一度目を向けた。


 確かに、第四班は候補となる経路を二つ残しているものの、途中で状況が変わった場合の対応までは決めていない。


 それを今のうちに考えておけば、合同演習で慌てずに済むかもしれなかった。


「ありがとう。今日、みんなに相談してみるよ」


「うん。ただ、シュウが一人で課題を作って、全部答えを用意する必要はないと思うよ」


 エリオットは何気ない調子でそう付け加えた。


 シュウは思わず苦笑した。


「……俺、そんなに分かりやすい?」


「少しだけね」


 エリオットは笑いながら扉を開けた。


 シュウも鞄を持ち上げ、その後を追った。廊下へ出ると、朝食へ向かう学生たちの話し声が聞こえ、食堂の方から焼きたてのパンの香りが漂ってきた。


 今日の第四班では、自分だけで何かを決めない。


 そう心の中で確かめながら、シュウは階段を下りていった。


     ◇


 午前の授業が終わるころには、空を覆っていた雲が少し薄くなっていた。


 昼休みの食堂はいつも通り賑わっており、窓際の席には明るい光が差し込んでいる。食器を運ぶ学生たちの声や、椅子を引く音が重なる中、シュウは第四班の三人が待つ卓へ向かった。


 セシリアはすでに食事を終えかけており、フィンは大きなパンを手にしている。ミリアは小さな記録帳を閉じたところで、シュウの姿に気づくと静かに会釈した。


「お待たせ。みんな、今日は放課後に少し時間あるかな」


 シュウが尋ねると、フィンはすぐに顔を上げた。


「あるぞ。また練習するのか?」


「うん。ただ、今日は魔法を使う練習じゃなくて、途中で予定が変わった場合のことを考えてみたいんだ」


 セシリアが興味深そうに首を傾げた。


「予定が変わった場合、ですか?」


「例えば、選んだ道が通れなかったり、確認地点までの経路に新しい注意事項が出たりしたときかな。昨日決めた方針を、実際に使えるか確かめてみたい」


 ミリアは少し考えてから口を開いた。


「それなら、演習準備室の地形図を使うと分かりやすいかもしれません。前に確認した地図には、いくつか迂回路も描かれていましたから」


「そうだね。先生に使用していいか聞いてみようと思う」


 シュウが答えると、フィンは嬉しそうに頷いた。


「いいな。俺、考えるだけの練習ってあんまり得意じゃないけど、地図を見ながらなら分かりやすそうだ」


 セシリアはパンを小さくちぎりながら、少し慎重な表情を浮かべた。


「ただ、実際の合同演習でどのような変更があるかは分かりませんよね。私たちが勝手に想定した条件だけで、正しい対応が決まったと思わないようにしたいです」


「うん。そこは気をつけよう。今日は答えを決めるんじゃなくて、考え方を試すつもりだから」


 シュウは頷いた。


 セシリアが心配しているのは、練習そのものではない。


 自分たちが考えた状況を、実際の演習で起こることと混同してしまう危険なのだろう。


 ミリアもその点に気づいたらしく、記録帳を開いて一行書き込んだ。


「では、今日の想定は実際の演習条件とは別だと、最初に記録しておきます」


「助かるよ、ミリア」


 シュウが礼を言うと、ミリアは小さく微笑んだ。


 フィンはパンを食べ終え、水を一口飲んでから、三人を見回した。


「だったら、せっかくだし俺も一つ考えてみたいな。途中で道が使えなくなったら、どこまで戻るかっていうのも大事だろ?」


 その言葉に、シュウは少し驚いた。


 フィンなら、別の道を探して前へ進むことを真っ先に提案すると思っていたからだ。


「戻ることも考えてるんだ?」


「そりゃ考えるさ。昨日の授業でも、先へ進めるか分からないのに無理するなって言われただろ。俺だって、いつも前へ進むことしか考えてないわけじゃないぞ」


 フィンは少し不満そうに笑った。


 シュウは慌てて首を振った。


「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど、俺が勝手に決めつけてた」


「別に怒ってないって。でも、そういうところも知ってもらえるなら、今日の練習は役に立ちそうだな」


 フィンは明るく笑い、食器を片づけるために立ち上がった。


 その後ろ姿を見送りながら、シュウは小さく息を吐いた。


(得意なことを知っただけで、その人が何を考えるかまで分かった気になるのは違うよな)


 昨日は仲間のことを少し理解できたと思っていた。


 けれど、理解したつもりになることにも、気をつけなければならないらしい。


     ◇


 放課後、第四班の四人は学院の一階にある演習準備室へ向かった。


 廊下の窓から差し込む午後の光は朝よりも明るくなっており、石床の上に長い影を落としている。遠くの実技場からは魔法訓練の音が聞こえてきたが、準備室のある一角は比較的静かだった。


 シュウたちは事前にガルドへ相談し、備え付けの地形図を閲覧する許可を得ていた。


 ただし、今日行うのはあくまで机上の検討であり、実際の演習区域へ立ち入るわけではない。備品を動かしたり、地図へ直接書き込んだりしないことも確認してある。


 準備室へ入ると、中央の大きな卓には前に見た地形図が広げられていた。


 模擬森林区域の入口、中央の斜面、東側の確認地点、南側の出口。地図の端には迂回路が描かれ、細かな注意書きも残っている。


 ミリアが以前見つけた、降雨後の表層の滑りやすさについての記載も、そのままだった。


 シュウは卓の端へ自分のノートを置き、三人へ向き直った。


「今日は、途中で予定が変わったときにどうするかを考えてみようと思う。まず、俺が一つ状況を出すから、みんなならどうするか聞かせてほしい」


 フィンが頷き、地図へ身を乗り出した。


「よし、やってみようぜ」


 セシリアは卓の反対側へ回り、ミリアは記録しやすい位置に立った。


 シュウは地図の入口を指し、そこから中央の斜面へ向かう経路をなぞった。


「例えば、俺たちが中央の斜面を通るつもりで進んでいたとして、途中で道がぬかるんでいたらどうする?」


 フィンは少し考えたあと、地図の斜面を指した。


「ぬかるみの範囲によるな。ほんの少しなら、足場を確認して通れるかもしれないし、広いなら迂回した方がいい」


 セシリアも頷いた。


「まず、足場の状態を確かめたいです。ただし、確認するために危険な場所へ入るのは避けたいですね」


 ミリアは記録帳を見ながら、静かに口を開いた。


「地図には降雨後の注意がありますが、実際にその場所がどの程度滑りやすいかは分かりません。目視できる範囲と、確認できない範囲を分ける必要があると思います」


 シュウは三人の意見を聞き、頷いた。


「じゃあ、まずは安全な位置から確認する。その結果によって、通るか迂回するか決める感じかな」


「そうだな。ただ、俺は一つ気になることがある」


 フィンが地図の斜面を指したまま続けた。


「ぬかるんでる場所が少しだけだったとしても、その先がどうなってるか分からないなら、そこだけ直して進んでいいのか迷うな」


 シュウはその言葉に目を向けた。


「確かに。目の前だけ通れるようにしても、その先が危なかったら意味がないもんな」


「そうなんだよ。土属性で足場を固めること自体はできると思うけど、それで全部解決したつもりになるのは違う気がする」


 フィンは少し照れくさそうに笑った。


 シュウは、彼の考え方が以前とは少し違っていることに気づいた。


 最初の作戦会議では、フィンは短い経路を選び、土属性で斜面を補強する案を出していた。


 その提案が間違っていたわけではない。


 けれど、今のフィンは、魔法で解決できるかどうかだけでなく、解決する必要があるのかまで考えている。


 シュウはその変化を嬉しく思った。


「じゃあ、次の状況を考えてみよう」


 シュウは地図の東側の確認地点を指した。


「もし、ここへ向かう途中で、別の道を使うように指示が出たら?」


 セシリアは少し考えた。


「まず、その指示が誰から出されたものなのか確認したいです。学院の先生からの正式な指示なら、従う必要がありますよね」


「うん。それはそうだと思う」


 シュウが答えると、ミリアが静かに手を上げた。


「その指示が、いつ出されたものなのかも大切かもしれません。古い案内が残っている場合と、今の状況に合わせて出された指示では、意味が違いますから」


 シュウは頷いた。


 北方調査でも、資料が書かれた年代や、後から付け加えられた記載を区別する必要があった。


 それと似た考え方だ。


「そうだね。誰が、いつ出した指示なのかを確認する」


 フィンは腕を組み、少し考えた。


「でもさ、先生の指示だって分かったら、そこから先は早く動いた方がいいよな。いつまでも話し合ってたら、かえって遅くなるし」


 セシリアは頷いた。


「はい。ただし、新しい経路の安全確認は必要だと思います」


「もちろん。そこは省かないつもりだよ」


 フィンはすぐに答えた。


 シュウは二人のやり取りを見ながら、少し安心した。


 意見が違っても、すぐに対立するわけではない。


 互いが何を重視しているかを聞けば、同じ方向を向けることもある。


 しかし、その考えは、次の話し合いで少し揺らぐことになった。


     ◇


 最初の二つの想定を終えたところで、フィンが地図の中央を指した。


「なあ、今度は俺から一つ出してもいいか?」


「もちろん」


 シュウが答えると、フィンは中央の斜面から東側の確認地点へ続く道をなぞった。


「例えば、俺たちがここまで来たとする。天気は悪くないし、足場も安定してる。でも、確認地点へ向かう途中に、地図にはない小さな障害物があったらどうする?」


 シュウは少し考えた。


 昨日の授業でも、障害物を動かす前に周囲の状態を確認する必要があると教わっている。


 だから、まずは障害物の周囲を調べるべきだろう。


「安全を確認して、動かしていいものなら動かすかな。無理そうなら迂回する」


 シュウが答えると、フィンは頷いた。


「じゃあ、その障害物が、土属性を使えば簡単に動かせそうな石だったら?」


「それなら、周囲に危険がないか確認してから、土属性で動かすと思う」


 シュウは自然にそう答えた。


 しかし、セシリアが少しだけ眉を寄せた。


「シュウさん。その石は、動かしてよいものなのでしょうか」


 シュウは言葉を止めた。


「え?」


「地図にない石があったとして、それが偶然転がってきたものなのか、演習のために置かれたものなのか、まだ分かりませんよね」


 セシリアは地図へ視線を落としながら続けた。


「もし確認地点の近くにあるなら、何かの目印かもしれません。私たちが勝手に動かしてしまうと、ほかの班にも影響する可能性があります」


 シュウは思わず口を閉じた。


 確かに、その通りだった。


 自分は石を動かせるかどうかを考えたが、そもそも動かしてよいのかを確認していなかった。


 フィンも少し驚いた顔をしたあと、ゆっくり頷いた。


「なるほど。俺もそこまでは考えてなかったな」


 ミリアは記録帳へ視線を落とし、少し考えてから口を開いた。


「それに、地図にないものがあった場合、まず地図と現地の状態が違うという事実を記録しておいた方がよいかもしれません」


「そうだね。勝手に動かしたら、最初の状態が分からなくなる」


 シュウが答えると、ミリアは頷いた。


 フィンは腕を組み、地図を見つめた。


「じゃあ、動かさずに通れるなら、そのまま避けるのがいいのか?」


 セシリアは少し考えた。


「避けることで安全に通れるなら、それも一つの方法だと思います。ただ、障害物が何かの目印だった場合、そこを通ってよいかも確認したいですね」


 フィンは少し難しそうな顔をした。


「なるほどな。でも、それだと何もできなくならないか?」


 その言葉に、セシリアは口を閉じた。


 シュウも、すぐには答えられなかった。


 フィンが言いたいことは分かる。


 確認すべきことを増やしすぎれば、前へ進む判断が遅れるかもしれない。


 しかし、セシリアの指摘も正しい。


 動かしてはいけないものを勝手に動かすわけにはいかない。


 シュウは二人の顔を見比べた。


(ここで俺が決めないと、話が進まないよな)


 班長として、判断する必要がある。


 そう思った瞬間、シュウの口から言葉が出た。


「じゃあ、障害物は動かさずに、迂回できる道を探そう。それなら問題ないと思う」


 セシリアは少し安心したように頷いた。


 しかし、フィンはまだ納得していない様子だった。


「いや、待ってくれ。迂回路があるかどうかも分からないんだろ? それなら、先に周囲を確認した方がよくないか?」


「それはそうだけど、危険を避けるなら迂回を考えた方がいいと思って」


「だから、その迂回路が安全かどうかも分からないって話だろ」


 フィンの声は荒くなかった。


 けれど、シュウは少し焦りを感じた。


 自分が判断を示したのに、話がまとまらない。


 そのことに、無意識のうちに落ち着かなくなっていた。


「じゃあ、まず迂回路を確認して、それから――」


「シュウさん」


 ミリアの声が、静かに割って入った。


 シュウが振り返ると、ミリアは記録帳を開いたまま、少し困ったような表情を浮かべていた。


「今、何を決めようとしているのでしょうか」


 シュウは思わず瞬きをした。


「えっと……障害物があったとき、どうするかだけど」


「はい。でも、今はまだ、その障害物が何なのかも、迂回路があるのかも分かっていません」


 ミリアは慎重に言葉を選びながら続けた。


「それなのに、どちらの道を通るかを先に決めようとしているように感じました」


 シュウは口を閉じた。


 言われてみれば、その通りだった。


 フィンは周囲を確認する必要があると言っている。


 セシリアは障害物を動かしてよいか確かめたいと言っている。


 ミリアは現地の状態を記録する必要があると考えている。


 三人とも、まだ進路を決める前の話をしていた。


 それなのに、自分だけが早く結論を出そうとしていたのだ。


(俺、また一人で決めようとしてたのか)


 シュウは胸の奥が少し重くなるのを感じた。


 昨日、班長として仲間の意見を聞くと決めたばかりだった。


 それなのに、話し合いが少し難しくなっただけで、すぐに自分の判断を優先しようとしていた。


 シュウは小さく息を吐き、三人へ頭を下げた。


「ごめん。俺、ちょっと急いで結論を出そうとしてた」


 フィンは驚いたように目を丸くした。


「いや、別に謝るほどじゃないだろ。俺も言い方が分かりにくかったかもしれないし」


「ううん。ミリアの言う通りだよ。まだ分からないことが多いのに、先に進路を決めようとしてた」


 シュウは地図へ視線を落とした。


「まず、何を確認する必要があるのか整理しよう。そのあとで、どうするか考えたい」


 セシリアは穏やかに頷いた。


「はい。それなら、私も安心して意見を出せます」


 ミリアも小さく微笑んだ。


「ありがとうございます」


 フィンは少し笑い、卓の上へ両手を置いた。


「じゃあ、最初から整理し直そうぜ。今度は俺も、思いついたことを順番に話すようにする」


 その言葉に、シュウは少し肩の力が抜けた。


 話し合いが止まったわけではない。


 むしろ、ここからが本当の練習なのかもしれなかった。


     ◇


 四人は改めて、フィンが出した状況を整理することにした。


 ミリアが記録帳へ見出しを書き、セシリアが確認すべき項目を挙げる。フィンは現地で実際に動く場合を想像しながら、どの順番なら無理なく調べられるか考えた。


 シュウは三人の意見を聞き、必要なところだけ質問を加えた。


「まず、障害物がどんなものか確認する」


 セシリアが言うと、ミリアは頷いた。


「大きさや位置、それから周囲に目印がないかも記録したいです」


「近づかなくても分かる範囲は、先に確認した方がいいな」


 フィンが続けた。


「危なそうなら無理に近づかない。そこは最初に決めておこうぜ」


 シュウは頷いた。


「うん。それから、通れる道がほかにあるか調べる」


「そのときも、道があるというだけで安全だと決めつけない方がいいですね」


 セシリアが付け加えた。


「そうだな。足場や周囲の状態も確認する必要がある」


 フィンは地図の端を指し、少し考えた。


「もし安全に通れる道が見つからなかったら、先生に確認するか、戻ることも考えよう」


 シュウはその言葉に頷いた。


 フィンは、ただ前へ進みたいわけではない。


 自分たちができることと、無理にやるべきではないことを分けて考えている。


 そのことが、今はよく分かった。


 ミリアは記録帳へ最後の一文を書き込んだ。


「では、結論は『障害物を動かすか迂回するかを、現時点では決めない』でよいでしょうか」


 シュウは三人の顔を見回した。


 セシリアもフィンも、納得したように頷いている。


「うん。それが今の答えだと思う」


 シュウが答えると、ミリアは静かに筆を置いた。


 最初に自分が出した答えとは違う。


 しかし、不思議と悔しさはなかった。


 むしろ、四人で考えたことで、最初よりずっと納得できる結論になった気がしていた。


 フィンは椅子の背へ軽く身体を預け、楽しそうに笑った。


「何か、こういうのも面白いな。最初は道を決める練習だと思ってたけど、決めない方がいいこともあるんだな」


 セシリアも微笑んだ。


「はい。判断を先延ばしにするのではなく、必要な情報が揃うまで結論を保留するということですね」


 ミリアは記録帳へ視線を落とし、少しだけ表情を緩めた。


「それなら、記録する意味もあると思います。あとから新しい情報が得られたとき、何が変わったのか分かりますから」


 シュウは三人の言葉を聞きながら、胸の奥に温かなものが広がるのを感じた。


 自分一人では、ここまで整理できなかったかもしれない。


 フィンが疑問を出し、セシリアが安全面を指摘し、ミリアが話し合いの順番を見直してくれた。


 そのおかげで、最初の考えを修正できた。


 班長としての仕事は、誰よりも早く答えを出すことではない。


 そのことを、今日もまた教えられた気がした。


     ◇


 準備室での話し合いを終えるころには、窓の外の光が少し傾いていた。


 四人は地形図を元の状態へ戻し、使用した備品に問題がないことを確認した。机の上にはシュウのノートとミリアの記録帳だけが残り、フィンは椅子を戻しながら大きく伸びをしていた。


「今日は結構頭を使ったな。魔法の練習より疲れたかもしれない」


 フィンが笑うと、セシリアも少し楽しそうに頷いた。


「でも、実際の合同演習では、こういう判断が必要になるかもしれませんね」


「そうだな。今日みたいに落ち着いて話せるとは限らないけど、考え方は覚えておきたい」


 シュウはノートを閉じた。


 ミリアは少しだけ迷うような表情を浮かべていたが、やがて静かに口を開いた。


「あの、皆さんに一つお願いしてもよいでしょうか」


 三人が振り返る。


 ミリアは記録帳を胸元へ抱え、少し緊張した様子で続けた。


「今日のように、私が何か気づいたときは、できるだけ早くお伝えしようと思っています。ただ、話し合いが進んでいる途中だと、どこで声をかければよいか迷うこともあると思うんです」


 シュウは頷いた。


 昨日の昼休み、ミリアは確信のないことを発言するのが苦手だと話していた。


 今日も、シュウが結論を急いだときに声をかけるまで、少し時間がかかっていたのかもしれない。


「だから、もし私が何か言いかけていたら、少しだけ待っていただけると嬉しいです」


 ミリアはそう言って、三人の顔を見回した。


 フィンがすぐに頷いた。


「もちろん。俺、勢いで喋りすぎることもあるから、気をつけるよ」


 セシリアも微笑んだ。


「私も、ミリアさんが話しやすいように意識しますね」


 シュウは少し考えてから口を開いた。


「それなら、話し合いの途中で一度、みんなに意見がないか確認する時間を作るのはどうかな。俺もつい先に話を進めちゃうことがあるし」


 ミリアは少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうに頷いた。


「ありがとうございます。それなら、私も落ち着いてお話しできると思います」


 フィンは笑いながら、シュウの肩を軽く叩いた。


「いいじゃないか。俺も、思いついたことを全部すぐ言うんじゃなくて、一回考えるようにするよ」


 その言葉に、四人の間で小さな笑いが起きた。


 シュウは、今日の話し合いで何か大きな問題が解決したわけではないと分かっていた。


 合同演習はまだ始まっていない。


 実際の地形や天候がどうなるかも分からない。


 それでも、四人の間には昨日までとは少し違う空気が生まれていた。


 意見が違っても、すぐに答えを出さなくていい。


 分からないことは分からないと認めていい。


 そして、誰かが話しにくそうにしていたら、少し待ってもいい。


 そんな当たり前のことを、四人で確かめられた時間だった。


     ◇


 準備室を出たあと、シュウはセシリアと並んで廊下を歩いていた。


 フィンは別の授業で使った道具を返しに行き、ミリアは記録帳の整理をするために図書館へ向かっている。


 廊下の窓からは夕方の光が差し込み、壁に掛けられた案内板の文字を淡く照らしていた。


「シュウさん」


 セシリアが静かに声をかけてきた。


「今日の話し合い、私はとてもよかったと思います」


「そう? 俺、途中でちょっと失敗したけど」


 シュウが苦笑すると、セシリアは首を振った。


「確かに、最初は少し結論を急いでいたかもしれません。でも、ミリアさんの意見を聞いて、すぐに考え直してくださったでしょう?」


「うん。あれはミリアが言ってくれて助かったよ」


「私もそう思います」


 セシリアは少し微笑んだ。


「それに、シュウさんが間違いを認めてくださったから、私たちも意見を出しやすくなった気がします」


 シュウはその言葉に、少し驚いた。


 自分では、ただ判断を間違えたことを認めただけだった。


 けれど、それがほかの三人にとっても意味のあることだったのかもしれない。


「俺、班長だからちゃんとしなきゃって思ってたんだけど、何でも正しく判断できるわけじゃないんだよな」


 シュウが言うと、セシリアは穏やかに頷いた。


「はい。私も、いつも正しい判断ができるわけではありません。だからこそ、皆さんと一緒に考えたいです」


 その言葉には、普段の柔らかな口調の中に、はっきりとした意思が感じられた。


 シュウは少しだけ笑った。


「ありがとう。俺も、そうしたい」


 二人は廊下の分かれ道で足を止めた。


 セシリアは女子寮へ戻るため、ここから別の方向へ向かう。


「それでは、また明日。合同演習までに、もう少し準備できるといいですね」


「うん。また明日」


 シュウが手を振ると、セシリアも小さく手を振り返した。


 彼女の姿が廊下の角を曲がって見えなくなるまで見送ってから、シュウは男子寮へ向かって歩き始めた。


     ◇


 そのころ、ミリア・ハーゼンは図書館の閲覧席で、今日の記録を整理していた。


 窓際の席には夕方の光が差し込み、机の上に置いた記録帳の文字を明るく照らしている。周囲では学生たちが静かに本を読み、遠くの書架からはページをめくる音が聞こえてきた。


 ミリアは今日の話し合いを思い返しながら、筆を動かしていた。


 最初にシュウが出した答え。


 フィンが感じた疑問。


 セシリアが指摘した危険。


 そして、自分が口にした言葉。


『今、何を決めようとしているのでしょうか』


 あのとき、ミリアは少し緊張していた。


 シュウは班長として話をまとめようとしていたし、フィンもセシリアも真剣に意見を交わしていた。


 その流れを止めてしまってよいのか、迷いがあった。


 けれど、話し合いを聞いているうちに、どうしても気になったのだ。


 まだ確認していないことが多いのに、進路だけが先に決まりそうになっていた。


 ミリアはその違和感を、見過ごしたくなかった。


(もし、あのまま黙っていたら……)


 彼女は筆を止めた。


 もちろん、シュウが自分で気づいた可能性もある。


 フィンやセシリアが、別の形で指摘したかもしれない。


 それでも、自分が気づいたことを伝えたことで、話し合いの方向が変わったのは確かだった。


 ミリアは少しだけ頬を緩めた。


 これまでの彼女にとって、記録することは、起きた出来事を正確に残すためのものだった。


 しかし、今日の話し合いでは、記録しようとしたことが、その場の判断にも役立った。


 何を確認したのか。


 何がまだ分からないのか。


 そして、今は何を決めるべきなのか。


 それらを整理することは、ただ後から振り返るためだけではない。


 今、目の前で考えている仲間たちを助けることにもつながるのだ。


 ミリアは記録帳の新しいページへ、丁寧に一文を書き込んだ。


『記録は、終わったことを残すだけでなく、今の判断を支えるためにも使える』


 その言葉を見つめながら、彼女は小さく息を吐いた。


 第四班の仲間たちは、自分の意見を待ってくれる。


 間違っているかもしれない考えでも、すぐに否定せず、一緒に確かめようとしてくれる。


 それが、ミリアには嬉しかった。


 来週の合同演習では、今日のように落ち着いて話せるとは限らない。


 けれど、自分にもできることがある。


 そう思えるようになったことが、彼女にとって何より大きな変化だった。


     ◇


 夕食後、第一男子寮三百十七号室へ戻ったシュウは、机の上へ第四班の準備ノートを広げた。


 向かい側ではエリオットが教科書を読んでおり、ときどき筆を動かしている。窓の外には夜の学院が広がり、遠くの校舎にはまだいくつか灯りが残っていた。


 シュウは今日の話し合いを振り返りながら、ノートへ書き込んだ。


『第四班・想定状況確認』


『地図にない障害物を発見した場合、すぐに動かすか迂回するかを決めない』


『障害物の状態、周囲の安全、通行可能な経路、学院の指示や目印との関係を確認する』


『確認できていないことが残る場合は、結論を保留する』


『安全に判断できない場合は、無理に進まず、必要に応じて教員へ確認する』


 そこまで書き終えると、シュウは少し考えた。


 今日の自分は、最初に結論を急いでしまった。


 しかし、その失敗を三人が責めることはなかった。


 むしろ、そこから改めて話し合いを始めることができた。


 シュウは次の行へ筆を進めた。


『班長としての反省:意見を聞いたつもりになって、結論を急がない』


 書き終えたところで、エリオットが顔を上げた。


「今日はどうだった?」


「うん。いい練習になったよ。ただ、俺が最初にちょっと間違えた」


 シュウが今日の出来事を説明すると、エリオットは最後まで静かに聞いていた。


「そっか。でも、みんなで考え直せたんだね」


「うん。ミリアが気づいてくれたおかげだよ」


 シュウは頷いた。


「フィンもセシリアも、それぞれ違うところを見てた。俺だけだったら、たぶんあんなふうには整理できなかったと思う」


 エリオットは穏やかに笑った。


「それなら、いい班になってきてるんじゃないかな」


「そうだといいな」


 シュウは少し照れくさそうに笑った。


 エリオットは教科書を閉じ、机の端へ置いた。


「僕も、明日第二班で話してみようかな。途中で予定が変わった場合のこと」


「うん。結構勉強になると思うよ」


 シュウが答えると、エリオットは頷いた。


 しばらくの間、二人はそれぞれのノートを整理していた。


 窓の外では風が少し強くなり、木々の枝が揺れる音が聞こえている。


 シュウは第四班のノートを閉じ、もう一冊の調査ノートへ視線を向けた。


 北方調査についても、今日の話し合いで感じたことがある。


 古い記録に書かれた言葉を、すぐに一つの意味へ結びつけないこと。


 似た記録があっても、同じものだと決めつけないこと。


 そして、分からないことが残っているなら、その状態を正確に残しておくこと。


 どれも、第四班の話し合いと似ていた。


 シュウは調査ノートを開き、以前に書いた「夜見」の項目を確認した。


 夜間の巡見や施設確認に関係する可能性はある。


 しかし、具体的な意味はまだ分かっていない。


 北三区の記録と、ほかの地域の夜間作業が同じものだったとも言えない。


 そのことを改めて確かめると、シュウはノートを閉じた。


 今夜は、これ以上調査を進めるつもりはなかった。


 明日も授業があり、来週には合同演習が控えている。


 黒い魔力の観測についても、先生たちから次の連絡があるまでは待つ必要がある。


 焦って答えを出すより、今できることを一つずつ進めていこう。


 そう考えていると、頭の中へ聞き慣れた声が響いた。


《マスター》


(……何だよ、アルカディア)


《本日の第四班の話し合いについて、一つ申し上げたいことがあります》


(また昔の設定の話じゃないだろうな)


《ご安心ください。今回は、かつてのマスターが制定した暗黒帝国の作戦会議規定についてです》


(全然安心できねえよ!)


 シュウは思わず額を押さえた。


《暗黒帝国において、作戦会議は極めて重要な儀式とされていました》


(儀式なのかよ)


《はい。まず暗黒皇帝たるマスターが玉座へ座り、十三人の幹部が順番に忠誠を誓います》


(会議が始まる前から長そうだな……)


《その後、マスターが作戦を発表し、幹部全員が満場一致で賛成することになっております》


(それ、話し合いじゃなくて発表会だろ)


《なお、異議を唱えた幹部は存在しません》


(そりゃそうだろうな)


《理由は、異議を唱える幹部の設定が作成されていないためです》


(設定してないだけかよ!)


 シュウは机へ額をつけた。


 エリオットが顔を上げ、少し楽しそうに笑う。


「また昔の設定?」


「うん。俺の昔の作戦会議、全員が俺に賛成するだけだったらしい」


「それだと、今日みたいに考え直すことはできなさそうだね」


「本当にそう思う」


 シュウは苦笑しながら顔を上げた。


 昔の自分は、誰もが自分を認め、どんな判断にも従ってくれる世界を想像していたのかもしれない。


 けれど、今のシュウは違う。


 フィンが疑問を出してくれることが嬉しい。


 セシリアが危険を指摘してくれることが心強い。


 ミリアが話し合いの流れを止めてでも、気づいたことを伝えてくれることがありがたい。


 そして、自分が間違えたときに、三人が一緒に考え直してくれることが何より嬉しかった。


(昔の俺が想像した最強の軍団より、今の第四班の方がずっと頼もしいな)


 シュウはそう思いながら、机の上のノートを重ねた。


 合同演習の本番まで、まだ少し時間がある。


 その間に、四人でできることを増やしていきたい。


 ただし、今日のように、答えを急いでしまうこともあるだろう。


 そのときは、また仲間の意見を聞けばいい。


 間違えたなら、考え直せばいい。


 そう思えるようになったことが、シュウには少し誇らしかった。


 窓の外では、夜の風が木々を揺らしている。


 明日もまた、学院での一日が始まる。


 シュウはエリオットと翌朝の予定を確認してから、机の灯りを落とした。


 第四班の班長として、まだ分からないことは多い。


 けれど、今は一人で全部分かろうとは思わなかった。


 自分には、違う意見を持つ三人の仲間がいる。


 そのことを胸に、シュウは静かに眠りについた。

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