第71話 第四班の班長になった俺は、仲間の得意なことをまだ半分も知りません
第四班として初めて連携練習を行った翌朝、シュウ・アルヴェインは第一男子寮三百十七号室の机に向かい、昨夜書き終えた準備ノートをもう一度開いていた。
窓の外では、早朝の風が中庭の木々を揺らしている。雲の切れ間から差し込む日差しはまだ弱く、石畳には昨夜の冷たさが残っているようだった。廊下を通る学生たちの足音もまばらで、部屋には紙をめくる音と、向かい側で身支度をするエリオット・ファーレンの衣擦れだけが響いていた。
昨日の練習は、シュウにとって予想以上に得るものが多かった。
セシリア・ノールは安全面について必要なことをはっきり伝え、フィン・ラデルは自分の失敗を認めて魔力の出力を調整した。そしてミリア・ハーゼンは、確認板の反応に生じる小さな遅れを見つけ、結果を慎重に記録していた。
四人で動いてみたことで、作戦会議だけでは分からなかった一面が見えたのだ。
ただ、ノートを読み返しているうちに、シュウは一つ気になることがあった。
(俺、三人の得意なことを分かったつもりになってないか?)
セシリアは水属性と光属性が得意で、周囲への気配りができる。フィンは火属性と土属性を扱い、行動力がある。ミリアは魔力反応の観察や記録が得意で、細かな違いに気づく。
それは確かに、三人の特徴だった。
けれど、そこから先を考えると、シュウの筆は止まってしまう。
セシリアは、危険を見つけたときにどのような順番で確認するのだろうか。フィンは、得意な土属性を使って具体的にどんな支援ができるのだろうか。ミリアは、観察と記録のどちらを優先すべき場面で、どう判断するのだろうか。
昨日の練習では、実際に動きながら自然と役割が決まった。
しかし、合同演習の本番でも同じようにできるとは限らない。
「シュウ、朝からずいぶん熱心だね」
エリオットが声をかけてきた。
振り返ると、彼は制服の襟元を整えながら、シュウのノートを覗き込んでいた。昨日の練習について書かれたページが開いているのを見ると、少し楽しそうに笑う。
「第四班のこと?」
「うん。昨日は上手くいったと思うんだけど、考えてみたら、俺って三人のことをまだあんまり知らないんだよな」
「そうなの? 昨日はみんなで協力できたって言ってたけど」
「協力はできたよ。でも、何が得意なのかを知ってるのと、どういうときに頼ればいいのか分かってるのは、ちょっと違う気がしてさ」
シュウが答えると、エリオットは机の横に立ったまま、しばらく考えた。
「それなら、三人に聞いてみたらどうかな。得意なことだけじゃなくて、苦手なこととか、困ったときにどうしてほしいかとか」
「苦手なことも?」
「うん。僕だって水と風は得意だけど、土属性はまだ練習中でしょ。もし僕と同じ班になった人が、僕ならどんな魔法でも安定して使えると思ってたら、困ることもあると思うんだ」
エリオットは自分の掌を見下ろし、少し照れくさそうに笑った。
「それに、僕が何かに失敗したとき、すぐ代わりにやってもらうより、もう一回試す時間がほしいこともあるしね」
シュウはその言葉に、思わず頷いた。
昨日、フィンが確認板へ流す魔力を強くしすぎたときも、シュウは代わりに操作しようとはしなかった。フィン自身が出力を調整し直し、二度目には安定した反応を得られた。
もし自分が最初の失敗を見てすぐ交代していたら、あの経験は得られなかっただろう。
「そうだな。得意なことだけじゃなくて、どういうふうに協力したいのかも聞いてみるよ」
「それがいいと思う。僕も第二班で、まだちゃんと話せてない人がいるから、参考にしようかな」
エリオットはそう言って鞄を持ち上げた。
シュウもノートを閉じ、机の引き出しへしまう。
昨日までの自分は、班長として何をすべきかを考えていた。
今日は、班員たちが何を考えているのかを知りたい。
そう思いながら、シュウはエリオットと一緒に部屋を出た。
◇
午前の授業では、魔法を使用する際の状況判断について、リディア・フェルンから説明があった。
教室の前方には、学院の訓練区域を簡略化した図が掲示されている。そこには道幅の違う通路や小さな水路、林の境界を示す線が描かれていたが、来週の合同演習で使用する地形図とは異なる、授業用の一般的な資料だった。
リディアは教卓の横へ立ち、学生たちを見渡した。
「今日は、魔法を使える場面と、魔法を使うべき場面の違いについて考えます。皆さんはこれまで、術式の形成や魔力制御を中心に学んできましたが、実際の活動では、魔法を使わないという判断も重要になります」
シュウは昨日の障害物を思い出した。
土属性を使えば、あの程度の木製障害物は簡単に動かせただろう。
けれど、配置を変えてよいか確認していなかったため、魔法を使用するべきではなかった。
リディアは図の一角を指した。
「例えば、この通路に倒木があったとします。土属性や風属性で動かせるかもしれませんが、周囲の状況を確認せずに移動させると、別の危険を生む可能性があります」
教室のあちこちで学生たちが頷いた。
リディアは続ける。
「倒木の下に小さな水路があるかもしれませんし、周囲の地面が不安定かもしれません。あるいは、単に迂回した方が安全で、時間も魔力も節約できる場合があります」
シュウはノートへ書き込みながら、昨日の自分の行動を振り返った。
魔法を使えるからといって、使う必要があるとは限らない。
頭では分かっていたはずのことだった。
しかし、実際に障害物を目の前にしたとき、自分は反射的に魔法で解決しようとしていた。
(知ってることと、できることは違うんだな)
シュウがそんなことを考えていると、リディアが教室の後方へ視線を向けた。
「アルヴェイン君。あなたなら、この場面で最初に何を確認しますか?」
突然名前を呼ばれ、シュウは少し姿勢を正した。
教室の視線が集まる。
以前なら、どの属性を使えば効率よく倒木を動かせるか考えていたかもしれない。
けれど、今は違った。
「まず、倒木の周囲に危険がないか確認します。それから、動かす必要があるのか、迂回できるのかを判断したいです」
リディアは頷いた。
「よいですね。では、複数人で行動している場合は?」
「一人で全部確認するんじゃなくて、周囲の安全や別の経路を分担して調べると思います。ただ、誰が何を確認しているのかは共有しておきたいです」
「その通りです。複数人で活動する利点は、単純に人数が増えることだけではありません。異なる視点から状況を確認し、判断に必要な情報を集められることにもあります」
シュウは少し安心して息を吐いた。
隣のエリオットが、こちらへ小さく笑いかけている。
その表情には、昨日の練習が役に立ったね、とでも言いたげなものがあった。
シュウも小さく頷き返し、再び黒板へ視線を向けた。
授業の後半では、学生たちが数人ずつ意見を出し合い、別の状況について考える時間が設けられた。
エリオットは水路を渡る場面について、風属性で足場を安定させる案を出したが、近くの学生から水の流れを確認する必要があると指摘されると、すぐに考え直していた。
シュウも、魔法で足場を作る案を出しかけたところで、先に既存の通路を確認するべきではないかと思い直した。
正解を早く答える授業ではない。
どのような順番で考え、何を確かめるのか。
その過程を学ぶ時間なのだと、シュウは感じていた。
◇
昼休み、シュウは第四班の三人と食堂の一角に集まった。
いつもの五人で食事をすることも多いが、今日はエリオットたちにもそれぞれ班の予定がある。シュウが事前に相談すると、セシリア、フィン、ミリアは快く時間を空けてくれた。
食堂には昼食を求める学生たちの声が満ち、焼きたてのパンと温かなスープの匂いが漂っていた。
窓際の席には午後の日差しが差し込み、卓の上へ置かれた水差しが淡く光っている。
フィンは料理を運んでくるなり、嬉しそうに口を開いた。
「今日は何を話すんだ? また新しい練習でも考えたのか?」
「いや、今日はちょっと違うんだ」
シュウは三人の顔を見回した。
「昨日、一緒に動いてみて、みんなの得意なことが少し分かったと思う。でも、考えてみたら、俺はまだ三人のことをよく知らないんだよな」
セシリアは少し首を傾げた。
「私たちのこと、ですか?」
「うん。例えば、どういう場面が得意なのかとか、苦手なことがあったときにどうしてほしいかとか。そういうことを、もう少し話しておきたいんだ」
フィンは少し考えたあと、楽しそうに笑った。
「なるほど。じゃあ、俺から話してもいいか?」
「もちろん」
フィンは食事の皿を少し端へ寄せ、両手を卓の上に置いた。
「俺はやっぱり土属性が一番使いやすいな。地面の小さな凹凸を整えたり、足元を固めたりするのが好きなんだ。火属性も得意な方だけど、細かい出力調整はまだ練習中だな」
シュウは頷いた。
「昨日も、確認板のときに調整してたよな」
「ああ。ああいうの、前はもっと苦手だったんだよ。魔力を強く流せば反応すると思ってたからさ」
フィンは少し照れくさそうに笑った。
「でも、強くすればいいってもんじゃないんだよな。先生にも何度か注意されて、最近は少しずつ意識するようになった」
セシリアが穏やかに頷いた。
「昨日の二度目の操作は、落ち着いていましたよ」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな」
フィンは笑ったあと、少し真面目な表情になった。
「ただ、俺は考えるより先に動きたくなることがあるんだ。だから、危なそうだったら遠慮なく止めてほしい」
シュウは少し驚いた。
フィン自身が、自分の行動力を長所としてだけでなく、注意すべき点としても理解している。
昨日の練習で失敗を認めていた姿を思い出し、シュウは改めて彼の率直さを感じた。
「分かった。でも、俺も同じようなことがあるから、お互いに声をかけよう」
「それがいいな!」
フィンは嬉しそうに頷いた。
続いて、セシリアが静かに口を開いた。
「私は、水属性と光属性を使った補助が得意です。特に、周囲の状態を確認しながら、必要な人へ支援を届けることを意識しています」
シュウは頷いた。
セシリアは普段から周囲をよく見ている。
友人たちの体調や疲れに気づくことも多く、昨日の練習でも危険な行動を止めてくれた。
「ただ、私にも苦手なことはあります」
セシリアは少しだけ視線を落とした。
「危険がありそうだと思うと、確認したいことが増えてしまうんです。必要な慎重さだとは思いますけど、場合によっては判断が遅くなるかもしれません」
フィンが少し驚いた顔をした。
「セシリアでも、そういうこと気にするんだな」
「もちろんです。昨日も、私が止めたことで皆さんの動きが遅くなったかもしれないと思っていました」
シュウはすぐに首を振った。
「いや、あれは止めてくれてよかったよ。確認しないまま障害物を動かしてたら、練習の条件を変えちゃってたかもしれないし」
「ありがとうございます。でも、必要な確認と、確認しすぎることの違いは、私も考えていきたいです」
セシリアはそう言って、少し微笑んだ。
その表情を見ながら、シュウは彼女の慎重さが単なる心配性ではないのだと感じた。
誰かを守りたいと思うからこそ、危険を見逃したくない。
しかし、その気持ちが強すぎれば、仲間の行動を必要以上に制限してしまうかもしれない。
セシリア自身も、その難しさを理解しているのだろう。
「じゃあ、セシリアが気になることを見つけたら、まず教えてほしい。そのうえで、みんなでどうするか決めよう」
シュウが言うと、セシリアは安心したように頷いた。
「はい。それなら、私も遠慮せずに伝えられそうです」
ミリアは二人のやり取りを静かに聞いていたが、やがて手元の記録帳を閉じた。
「私は、魔力の反応や小さな変化を観察することが得意だと思います。ですが、皆さんのようにすぐ意見を言うのは、まだ少し苦手です」
シュウは彼女へ視線を向けた。
ミリアは普段、必要なことを丁寧に話す。
そのため、発言が少ないことを気にしているとは思っていなかった。
「昨日も、気づいたことをすぐ伝えられた場面はありました。でも、確信が持てないときは、言っていいのか迷ってしまいます」
ミリアは少しだけ指先を重ねた。
「もし間違っていたら、皆さんの判断を邪魔してしまうかもしれないと思って」
フィンが首を傾げた。
「でも、間違ってたら一緒に確認すればいいんじゃないか?」
その言葉は、あまりにも自然だった。
ミリアは少し目を丸くし、フィンを見つめた。
「……そう、でしょうか」
「そうだろ。俺だって昨日、短い道を通れそうだって言ったけど、確認したら段差があったしさ。最初から全部当てるなんて無理だよ」
フィンは笑いながら続けた。
「それに、ミリアが何かに気づいたなら、俺は聞きたいな。自分じゃ見つけられないことかもしれないし」
セシリアも穏やかに頷いた。
「私も同じです。確信がなくても、気になったことを教えていただけると助かります」
ミリアは二人の顔を見比べたあと、少しだけ頬を緩めた。
「ありがとうございます。では、これからは気づいたことを、もう少し早く伝えるようにしてみます」
シュウはその様子を見ながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。
自分が何かを言う前に、フィンとセシリアがミリアの不安を受け止めていた。
班長だからといって、すべての会話を自分がまとめる必要はないのだ。
むしろ、三人が自然に話せるようになっていることが嬉しかった。
◇
四人の話し合いは、食事を終えてからも少し続いた。
フィンが自分の苦手なことを話したあと、セシリアとミリアもそれぞれの考えを伝えてくれたため、今度はシュウ自身について尋ねられることになった。
「そういえば、シュウさんはどうなんですか?」
セシリアが穏やかに尋ねた。
「私たちのことは聞いてくださりましたけど、シュウさん自身の得意なことや苦手なことも知っておきたいです」
シュウは少し考えた。
得意なことなら、いくつか思いつく。
五つの通常属性を扱えること。
魔力量に余裕があり、状況に合わせて術式を選べること。
武器を扱うことにも、ある程度慣れていること。
けれど、苦手なことを尋ねられると、すぐには言葉が出てこなかった。
(俺の苦手なこと、か……)
シュウは昨日の練習を思い出した。
障害物を見た瞬間、自分で動かそうとしたこと。
フィンが先頭を歩きたいと言うまで、自分が前へ出るつもりだったこと。
そして、班長だから自分が何とかしなければならないと思っていたこと。
「俺は、魔法の種類を選べることが強みだと思う。でも、そのせいで、自分で解決しようとしすぎるところがあるんだ」
シュウは少し苦笑した。
「昨日もそうだったし、たぶん今までの授業でも同じようなことがあったと思う」
フィンが頷いた。
「確かに、シュウって何でもできそうな感じがするもんな」
「いや、何でもできるわけじゃないよ」
シュウは首を振った。
「魔法が使えても、状況を全部理解できるわけじゃないし、俺が気づかないことをみんなが見つけてくれることもある。だから、俺が一人で決めそうになったら、遠慮なく意見を言ってほしい」
セシリアは微笑んだ。
「分かりました。必要なときには、きちんとお伝えします」
ミリアも小さく頷いた。
「私も、気づいたことがあればお話しします」
フィンは楽しそうに笑った。
「じゃあ、俺も遠慮なく言うぞ。シュウが一人で何でもやろうとしたら、俺たちにも仕事を回せって」
その言葉に、シュウは思わず笑ってしまった。
「それで頼むよ」
四人の間に、柔らかな笑い声が広がった。
周囲の学生たちは昼食を終えて席を立ち始めていたが、シュウたちはもう少しだけ卓を囲んでいた。
今日の話し合いで、何か特別な作戦が完成したわけではない。
それでも、昨日よりも互いのことを知ることができた。
そのことが、シュウには何より大切に思えた。
◇
午後の授業が終わると、シュウは図書館へ向かった。
第四班の話し合いで得たことを整理したい気持ちもあったが、今日はもう一つ確認しておきたいことがあった。
北方調査に関する資料である。
以前、ユリウス・ベルンと一緒に調べた旧ローデル林区の支給台帳には、「夜見」という言葉が記されていた。
北倉から北三区へ、小魔石二つと灯一つを運び、朝に戻したという内容だった。
しかし、「夜見」が具体的に何を意味するのかは分かっていない。
夜間の見回りなのか、特定の確認作業なのか、それとも当時の役務に固有の表現なのか。
記録だけでは判断できなかった。
シュウは図書館の入口で足を止め、鞄から調査ノートを取り出した。
そこには、今後確認したい項目がいくつか残されている。
小型魔石の一般用途。
「夜見」という語の使われ方。
白材や導材が他地区でも使われていたかどうか。
「再見」という言葉の意味。
支給台帳の成立と伝来。
そして、エルド・マルセルがその台帳をどこまで利用していたのかという問題。
どれも、すぐに答えが出るものではない。
けれど、今日は「夜見」という言葉について、一般的な用例を探してみようと思っていた。
図書館へ入ると、静かな空気がシュウを包んだ。
高い書架の間には午後の光が差し込み、窓際の閲覧席では学生たちがそれぞれの本を開いている。紙と革表紙の匂いが混ざり合い、奥の方からは書物を棚へ戻す小さな音が聞こえてきた。
シュウは受付へ向かい、司書のマティアス・レンへ声をかけた。
「こんにちは。少し資料を探したいんですけど、相談してもいいですか?」
マティアスは手元の整理票から顔を上げ、穏やかに頷いた。
「もちろんです。今日はどのような資料でしょうか」
「古い森林管理や役務記録で使われていた言葉について調べたいんです。特に、『夜見』という表現がほかの地域でも使われていたか知りたくて」
マティアスは少し考えた。
「古い役務用語ですね。特定の地域だけで使われた言葉もありますし、同じ表現でも年代によって意味が変わることがあります」
「はい。だから、できれば複数の資料を比べたいと思っています」
シュウが答えると、マティアスは頷いた。
「それなら、一般的な役務語彙の資料と、地方の巡見記録を扱った資料を確認してみましょう。ただし、古い記録の語義を後世の辞典だけで確定することはできませんので、その点は注意してください」
「分かりました」
マティアスは目録を確認し、閲覧可能な資料をいくつか案内してくれた。
シュウは礼を言い、指定された書架へ向かった。
◇
しばらくして、シュウは閲覧席へ二冊の資料を運んだ。
一冊は古い役務表現をまとめた語彙資料。
もう一冊は、複数地域の巡見や施設管理について整理した後世の研究書だった。
どちらも、北方の秘密そのものを扱った本ではない。
だからこそ、比較する価値があるとシュウは考えていた。
特定の地域で使われた言葉が、ほかの場所でも同じ意味で使われていたなら、その語が必ずしも北方固有のものではないと分かる。
反対に、同じ表現が見つからなかったとしても、それだけで特殊な意味があるとは言えない。
資料が残っていない可能性もあるからだ。
(今日は、見つかったことと見つからなかったことを分けて書こう)
シュウはノートを開き、最初の資料を読み始めた。
古い役務語彙の項目には、巡見、夜番、灯番、再見といった言葉が並んでいた。
しかし、「夜見」という表現は、すぐには見つからなかった。
シュウは目次と索引を確認し、似た語を一つずつ調べていく。
夜間の見回りに関する説明はある。
灯や小型魔石を持ち出す作業についても、一般的な記載があった。
けれど、それらを「夜見」と呼んでいたと断定できる資料は見当たらない。
シュウは少し考え、ノートへ書き込んだ。
『夜間の巡見・夜番に関する一般記載あり。ただし「夜見」と同義である証拠なし』
続いて、もう一冊の研究書を開いた。
こちらには、古い地方記録から引用された短い文章がいくつか掲載されている。
シュウはその中から、夜間の作業に関係する箇所を探した。
灯を持ち出した記録。
夜間に施設を確認した記録。
朝になって道具を返却した記録。
それらは、以前に調べた支給台帳の内容と似ている部分があった。
しかし、似ているからといって、同じ役務だとは限らない。
シュウは慎重にページをめくりながら、記録の年代と地域を確認した。
ある地方では、夜間の見回りに灯を使用していた。
別の地域では、施設の状態を確認するために小型魔石を持ち出していた。
ただし、どちらも北三区の記録とは時代や制度が異なり、直接比較できる条件が揃っているわけではなかった。
(やっぱり、簡単には分からないな)
シュウは小さく息を吐いた。
けれど、落胆する気持ちはそれほど強くなかった。
以前なら、似た記録を見つけた時点で何か大きなつながりがあると思っていたかもしれない。
今は、似ていることと同じであることを分けて考えられるようになっている。
それは、北方調査を続ける中で身についた習慣だった。
◇
資料を読み進めていると、背後から聞き慣れた声がした。
「シュウ、今日はここにいたんだ」
振り返ると、ユリウス・ベルンが数冊の本を抱えて立っていた。
黒い髪はいつも通り整えられており、その表情には落ち着いた雰囲気がある。
「ユリウス。今日は第二班の準備じゃなかったの?」
「午前中に話し合いは終わったよ。午後は個人で確認したいことがあったから、図書館へ来たんだ」
ユリウスはシュウの机に置かれた資料へ視線を向けた。
「北方の調査?」
「うん。今日は『夜見』って言葉を調べてる」
シュウが答えると、ユリウスは少し考えた。
「支給台帳に出てきた言葉だね。北倉から灯と小魔石を持ち出して、朝に戻した記録の」
「そう。それが具体的に何を指してるのか、まだ分からないからさ」
ユリウスは頷き、向かい側の席へ腰を下ろした。
「何か見つかった?」
「夜間の巡見や施設確認で灯や小型魔石を使った例はあった。でも、『夜見』と同じ意味だと分かる資料はまだ見つかってない」
シュウはノートを開き、確認した内容を示した。
ユリウスはしばらく目を通したあと、静かに頷いた。
「いい整理だと思う。似た用途の記録があっても、語の意味まで同じとは限らないから」
「うん。そこは気をつけてる」
「それなら、次はその言葉が使われた時代の記録を、もう少し広く探してみるといいかもしれないね」
シュウは頷いた。
ユリウスは続ける。
「ただし、見つからなかった場合も、特殊な言葉だったと決めつけない方がいい。単に記録が残っていないだけかもしれないから」
「そうだな。俺もそう思う」
二人はしばらく、資料の年代や引用元について確認した。
ユリウスは、後世の研究書が古い資料を引用している場合、その引用がどこまで正確なのかを確認する必要があると指摘した。
シュウも、以前に調べた複数の北方資料が、同じ古い記録を参照している可能性を思い出した。
別々の本に同じ内容が書かれていても、独立した証拠が増えたとは限らない。
その点は、今後も注意しなければならなかった。
「そういえば、第四班の方はどう?」
ユリウスが話題を変えた。
「昨日、実技場で練習したんだよね」
「うん。結構勉強になったよ」
シュウは今日の昼休みに三人と話したことも含め、第四班の様子を簡単に説明した。
フィンが自分の苦手なことを率直に話してくれたこと。
セシリアが慎重になりすぎる場合もあると考えていること。
ミリアが、確信のないことを発言するのに少し迷うこと。
そして、自分自身も一人で解決しようとしすぎる癖を認めたこと。
ユリウスは最後まで聞いてから、少し笑った。
「いい班になりそうだね」
「そう思う?」
「うん。得意なことを知るのも大事だけど、苦手なことを話せるのは、それだけ相手を信頼し始めているってことだと思う」
シュウは少し考えた。
確かに、初対面の相手へ自分の苦手なことを話すのは簡単ではない。
フィンもセシリアもミリアも、まだ知り合って間もない自分に対して、正直に話してくれた。
それは、第四班の関係が少しずつ変わっている証拠なのかもしれない。
「ありがとう。俺も、そういう班にしたいと思ってる」
シュウが答えると、ユリウスは頷いた。
「ただ、班長だからって、全部まとめようとしすぎない方がいいよ」
「……それ、今日も言われた気がする」
「だろうね」
ユリウスは少しだけ口元を緩めた。
シュウは苦笑しながら、ノートへ視線を戻した。
どうやら、自分が一人で何でもしようとする癖は、友人たちにはかなり分かりやすいらしい。
◇
図書館での調査を終えるころには、窓の外の光が少し傾いていた。
シュウは確認した資料の書名と該当箇所をノートへ記し、元の場所へ戻す準備をした。
今日の調査で、「夜見」の意味が明らかになったわけではない。
しかし、夜間の巡見や施設確認に灯や小型魔石を使用する例が存在することは確認できた。
その一方で、「夜見」という語が同じ意味で使われていたかどうかは、まだ分からない。
シュウは最後に、今日の結論を書き込んだ。
『「夜見」の語義は未確定。夜間の巡見・施設確認との関連は候補に留める。北三区の記録との同一性は未確認』
そこまで書き終えると、シュウは筆を置いた。
ユリウスも自分の資料を閉じ、立ち上がった。
「今日はこのくらいかな」
「うん。ありがとう、ユリウス」
「こちらこそ。僕も資料の見方を整理できたよ」
二人は書物を返却し、図書館を後にした。
廊下へ出ると、夕方の空気が少し冷たく感じられた。
校舎の窓には西日が差し込み、石床へ長い影を落としている。
シュウは鞄を持ち直し、ユリウスと並んで歩き始めた。
今日一日を振り返ると、第四班の話し合いも北方調査も、どちらも大きな結論には至っていない。
けれど、少しずつ分かったことはある。
仲間の得意なこと。
仲間の苦手なこと。
そして、古い記録を読むときに注意すべきこと。
どれも、今後の判断に役立つはずだった。
◇
そのころ、第二女子寮の共有室では、ミリア・ハーゼンが小さな記録帳を開いていた。
窓際の卓には夕方の光が差し込み、周囲では数人の学生が教科書を読んだり、翌日の授業について話したりしている。
ミリアはその声を聞きながら、今日の昼休みのことを思い出していた。
第四班の三人と、自分の得意なことや苦手なことを話した時間。
特に、フィンの言葉が印象に残っていた。
『間違ってたら一緒に確認すればいいんじゃないか?』
ミリアは記録帳へ視線を落とした。
彼女は昔から、記録を読むことが好きだった。
家に残された古い書類や、丁寧に整理された帳面を見ると、そこに書かれた人々の仕事や暮らしを想像することができた。
ただし、古い記録には分からないことも多い。
文字がかすれていたり、書かれた時代の習慣が今と違っていたりする。
そのため、ミリアは確信のないことを簡単に口にしないようにしてきた。
それは大切な姿勢だと思っている。
けれど、今日の話し合いでは、その慎重さが自分の発言を遅らせることもあると気づいた。
(間違っていたら、確かめればいい……)
ミリアは心の中で、フィンの言葉を繰り返した。
もちろん、根拠のないことを事実のように話してよいわけではない。
しかし、気づいたことを「まだ確かではありませんが」と前置きして伝えることはできる。
それなら、ほかの人と一緒に確認できるかもしれない。
ミリアは記録帳の新しいページへ、今日の話し合いで感じたことを書き込んだ。
『気づいたことは、確信がなくても候補として共有する』
その一文を書き終えると、少しだけ肩の力が抜けた。
第四班の三人は、彼女の言葉を急かさずに聞いてくれる。
シュウは意見を求めてくれるし、セシリアは丁寧に受け止めてくれる。フィンは思ったことを率直に話すが、その言葉には相手を否定しようとする気配がない。
まだ知り合って間もない仲間たちだった。
それでも、ミリアは来週の合同演習を少し楽しみに感じ始めていた。
◇
夕食後、第一男子寮三百十七号室へ戻ったシュウは、机の上へ二冊のノートを並べた。
一冊は第四班の準備ノート。
もう一冊は北方調査の記録だった。
今日一日で、どちらにも新しい内容が加わっている。
シュウはまず第四班のノートを開き、昼休みに話したことを整理した。
『第四班・役割理解第二確認』
『セシリア:
水・光属性の補助が得意。
周囲の安全確認に優れる。
慎重になりすぎる場合があることを本人も自覚。
気になることは早めに共有し、班全体で判断する。』
『フィン:
土属性による足場や地形の補助が得意。
火属性も扱えるが、細かな出力調整は練習中。
行動力があり、率直に意見を伝える。
先に動きたくなる場合があるため、互いに確認する。』
『ミリア:
魔力反応の観察と記録が得意。
細かな違いに気づく。
確信がないと発言をためらうことがある。
未確認の情報も候補として共有し、一緒に確かめる。』
『シュウ:
複数の通常属性へ対応できる。
自分で解決しようとしすぎる傾向がある。
班長として、役割分担と情報共有を意識する。』
そこまで書き終えると、シュウは少し考えた。
昨日のノートでは、三人の特徴を短くまとめただけだった。
今日の記録には、得意なことだけでなく、苦手なことや協力の仕方まで書かれている。
その違いが、今は大きく感じられた。
(俺、ようやく三人のことを少し分かってきたのかもしれないな)
シュウは筆を置き、椅子の背へ身体を預けた。
エリオットは向かい側で教科書を読んでいたが、シュウが顔を上げると、少し笑った。
「今日は、いい話ができたみたいだね」
「うん。三人とも、思ってた以上に色々考えてたよ」
「そっか。それなら、合同演習も楽しみだね」
「そうだな。でも、まだ本番じゃないから、もう少し準備したい」
エリオットは頷いた。
「うん。僕も第二班で、もう少し話しておきたいことがあるんだ」
シュウは少し笑った。
同じ班ではなくなっても、エリオットとはこうして互いの経験を話せる。
それが嬉しかった。
《マスター》
アルカディアの声が響いた。
(……何だよ)
《本日の班員理解、非常に有意義だったと判断します》
(珍しくまともなこと言うな)
《かつてのマスターは、暗黒帝国の最高司令官として、すべての部下の能力を完全に把握しておられました》
(またその設定かよ)
《はい。なお、部下の能力一覧には、全員共通で『暗黒皇帝への絶対忠誠』と記載されています》
(能力じゃなくて性格設定だろ、それ!)
《さらに、特技は『暗黒皇帝を称賛すること』、苦手なことは『暗黒皇帝に逆らうこと』となっております》
(全員同じじゃねえか!)
シュウは思わず机へ額をつけた。
エリオットが顔を上げる。
「また昔の設定?」
「うん。俺の昔の部下、全員同じ能力だったらしい」
「同じ能力?」
「俺を褒めることが得意で、俺に逆らうのが苦手」
エリオットは数秒黙ったあと、笑い始めた。
「それなら、今の第四班の方がずっと面白そうだね」
「本当にそう思う」
シュウは苦笑しながら顔を上げた。
昔の自分は、誰もが自分を認め、称賛してくれる世界を想像していたのかもしれない。
けれど、今は違う。
自分の意見に反対してくれる仲間がいる。
自分の見落としを教えてくれる仲間がいる。
そして、自分にはない得意なことを持つ仲間がいる。
その方が、ずっと心強い。
シュウは窓の外へ視線を向けた。
夜の学院は静かで、遠くの校舎にはまだいくつか灯りが残っている。
黒い魔力の観測は、次の予定が決まるまで待つことになっている。
北方調査も、まだ確認すべきことが多い。
そして、来週には合同演習がある。
どれも、すぐに答えを出せるものではない。
それでも、今日の第四班の話し合いを通して、シュウは少しだけ前へ進めた気がした。
班長として大切なのは、仲間の得意なことを知るだけではない。
苦手なことも含めて理解し、互いに補い合えるようにすることなのだろう。
シュウはそう思いながら、机の上を片づけた。
明日も授業があり、友人たちとの時間がある。
そして、少しずつ進めていきたいことがある。
その一つ一つを大切にしながら、シュウは部屋の灯りを落とした。




