第64話 北部だけを見ていたら、普通の仕事まで特別に見えていました
保護板越しで閲覧できる三葉まで確認し、『旧ローデル林区支給台帳・残巻』の現時点で読める範囲をすべて見終えた翌朝、シュウはいつもより少し早く目を覚ました。
窓の外はよく晴れており、朝日に照らされた第一男子寮の中庭では、早朝訓練へ向かうらしい学生が数人、木剣を抱えて歩いている。遠くから鳥の鳴き声が聞こえ、昨日まで地面に残っていた湿り気も、今日はかなり薄れているようだった。
机の上には北方調査ノートが閉じたまま置かれている。
昨夜は、あれから開いていない。
保護板越しの一葉に残っていた『北務』らしき二文字が気にならないわけではなかったが、だからこそ、すぐに北務帳の索引へ戻るのはやめた。
今の優先順位は、すでに決めてある。
支給台帳で確認した物資運用のうち、どこまでが北部特有なのかを確かめる。
ただし、他地区の記録を最初から最後まで読み始めれば、今度は比較そのものが新しい大仕事になる。だから今日は、比較項目を絞り、必要な範囲だけを見る。
(北部が特別だって証明するためじゃない)
シュウは制服へ着替えながら、昨夜書いた目的を思い返した。
(むしろ、普通だった部分を外すためだ)
その考え方なら、仮に北部と他地区がほとんど同じでも調査は失敗ではない。
エリオットがベッドから身を起こし、眠そうに目を擦った。
「今日は台帳じゃないんだよね」
「台帳は昨日で一区切り。今日は授業が終わって時間があったら、比較に使えそうな資料があるかマティアスさんに聞く」
「全部読む?」
「読まない」
「即答だ」
「昨日決めただろ。比べる項目を絞る」
シュウは指を折りながら挙げていく。
「見分前の支給、使わなかった物の返却、現場に残す物、次の季節へ回す物、灯とか小型魔石の貸し出しと返却、それから返却先。まずはこの辺」
「六個あるけど」
「……多い?」
「昔のシュウなら十二個くらい増やしてたと思うから、半分になった」
「評価基準がおかしいんだよ」
「百パーセントだから大丈夫」
「その百パーセント、便利に使いすぎじゃない?」
エリオットは笑いながら制服の上着へ腕を通した。
◇
午前の授業を終えたあと、シュウは昼休みまでの短い時間を使い、ユリウスと一緒に図書館へ向かった。
今日は資料を閲覧するためではない。
比較に使える記録が存在するか、それだけを確認する。
受付にはマティアスがいた。
「支給台帳の続きですか?」
「いえ。読める範囲はいったん終わったので、今日は別のことを聞きたくて」
シュウが答えると、マティアスは少し意外そうに眉を上げた。
「もう保護板の三葉も確認されたのですよね」
「はい。だから、北部の記録で見た物資の扱いが、他地区でも普通にあったのか比較したいんです。ただ、他地区の台帳を全部読むつもりはなくて」
「比較したい項目は決まっていますか?」
「ある程度は」
シュウは用意してきた紙を見せた。
未使用品の返却。
現場での継続保管。
次季への繰越。
巡見用物資の貸出と返却。
倉庫、役所などへの返却先の違い。
見分時期と支給時期の関係。
マティアスは項目を上から確認していった。
「この程度まで限定されているなら、別地区の台帳そのものより、林区全体の物資取扱規程と、旧ローデル林区の支給記録を整理した索引の方が先でしょう」
「規程が残ってるんですか?」
「完全な形ではありません。後代の写しですが、『旧林区物資取扱例』という資料があります。おおむね百五十年ほど前の林区事務規程を、約百十年前に書き写したものとされています」
シュウはすぐに食いつきそうになったが、一度だけ息を整えた。
「北部専用じゃない?」
「林区全体です。ただし、すべての時期に同じ規程が適用されていたと保証できる資料ではありません」
「支給台帳の年代とは重なる可能性があるけど、同じ時点の規程だとは確定してないってことですね」
「その理解で構いません」
ユリウスが横から尋ねた。
「索引の方は?」
「『旧ローデル林区支給記録分類索引』。こちらは約四十年前に学院側で作成されたものです。個々の本文を転記したものではなく、地区、季節、物資分類、処理区分などを整理しています」
「処理区分?」
「支給、返却、残置、繰越、移送などです」
シュウとユリウスが顔を見合わせた。
欲しい比較にかなり近い。
「その二冊、通常閲覧できますか?」
「できます。ただし索引はあくまで後代の整理物です。分類者が原文をどう読んだかに依存しますので、索引だけを根拠に本文内容まで決めないでください」
「はい」
今なら、その注意の意味がよく分かる。
索引で「返却」と分類されていても、原文の表現が何だったのかは別問題だ。
「午後、閲覧できますか?」
「通常資料ですから可能です」
「ありがとうございます」
シュウはそこで質問を終えた。
ついでに『北務』を聞くこともしなかった。
今日の目的とは違う。
◇
昼食時、五人が揃うと、ダンはシュウが持っていた小さなメモへ目を向けた。
「また増えた?」
「資料は二つ増えた」
「昨日、一区切りって言ってなかったか?」
「支給台帳が一区切りなんだよ」
「調べ物は終わらないんだな」
「それはまあ……」
否定できない。
セシリアがメモを覗き込むようにしながら尋ねた。
「今度は何を見るんですか?」
「林区全体の物資取扱規程の写しと、支給記録の分類索引。北部で見た返却とか現場保管が、普通の管理だったのか比べる」
「北部以外の記録を一枚ずつ読むわけじゃないんですね」
「最初からそれやると範囲が広すぎるから。まず全体規程と索引で傾向を見る。必要なら、そのあと元の記録を少しだけ確認する」
ユリウスが頷く。
「索引だけで決めない」
「うん」
ダンは豆を口へ運びながら首を傾げた。
「もし全部普通だったらどうするんだ?」
「普通だったって分かる」
「それだけ?」
「大事だよ」
シュウはパンをちぎりながら考えを言葉にした。
「北部で灯を返してる。北部で余った材料を倉庫へ戻してる。北部で次の見分まで材料を置いてる。それだけ見てたら、北部の仕事に特別な決まりがあったように感じるだろ?」
「まあ、古い封印施設ならありそうだし」
「そこだよ」
「何が?」
「もう封印施設って言ってる」
ダンが口を開けたまま止まり、セシリアが吹き出した。
「まだ封印施設とは決まっていませんよ」
「分かってるって。例えだよ」
「お前の例え、毎回そっちに寄るんだよな」
エリオットが笑う。
シュウも笑ってから続けた。
「もし南とか西でも同じことをしてたなら、少なくとも返却とか現場保管そのものは、北部の謎とは関係ない可能性が高くなる。そうやって普通の部分を外した方が、本当に違うところを見つけやすいと思う」
セシリアは少し考えたあと、納得したように頷いた。
「違うところを探す前に、同じところを確認するんですね」
「たぶん、その方がいい」
「地味だなあ」
ダンが呟く。
「古文書調査に何を期待してるんだよ」
「地下から光る剣が出てくるとか」
「それは発掘だろ!」
◇
午後の授業を終えた三人は、再び図書館へ向かった。
今日の閲覧場所は閉架資料室ではなく、通常の研究閲覧席だった。
マティアスが用意してくれた『旧林区物資取扱例』は、厚さの割に文字数の少ない本だった。原資料の形式をなるべく保つためか、一頁あたりの余白が広く、写し手による注記が欄外に添えられている。
シュウは最初に書誌情報を確認する。
『旧林区物資取扱例』
現写本成立:約百十年前。
底本推定:約百五十年前。
底本所在:不明。
旧ローデル林区を含む王領森林管理事務の取扱例を集めたもの。
地域差・年代差あり。
後代の追記混在の可能性あり。
「これもそのまま百六十年前の規則ってわけじゃないね」
エリオットが言う。
「うん。支給台帳の一番古い方より後かもしれない」
シュウは注意書きを先に記録した。
『比較用。支給台帳と同時代・同一規程とは未確認。』
そのうえで、目的の項目だけを索引から探す。
最初に見つかったのは『余材』だった。
『見分、補修その他の役にて余りたる材は、支給元または定めの倉へ戻すべし。ただし次役近きもの、現場に置くを許す。置くときは数を記すこと。』
シュウは二度読んだ。
「かなり普通に書いてある」
ユリウスが言う。
「うん」
未使用材の返却。
次の仕事が近ければ現場へ残す。
残した場合は数量を記録する。
北部の台帳で何度も見た処理とよく似ている。
ただし、この規程の方が後代である可能性は残る。
シュウはそれも含めて書いた。
『一般取扱例:
余材→支給元/指定倉へ返却。
次役が近い場合→現場残置可、数量記録。
→ 北部台帳の「返却/現場残し」運用と整合。
ただし同時代規程と未確認。』
次は灯。
『巡見灯、夜役灯は役後に戻すを常とす。冬備えその他、続けて用あるときは現場預けとし、次役後に戻す。』
エリオットがシュウを見る。
「昨日までの記録、そのままみたい」
「かなり近いな」
巡見灯を返却する。
続けて使う予定があれば現場へ置く。
北部だけの特別な扱いではない可能性が、さらに高くなる。
そして、シュウが少し気になっていた言葉も出た。
「夜役灯」
「『夜見』とは違うね」
ユリウスが言う。
「うん。でも夜間業務で灯を使うのは普通だったってことは分かる」
「小魔石は?」
「まだ」
三人は必要な箇所だけを進めた。
◇
小型魔石に相当する項目は、少し後ろにあった。
『小魔石その他、繰り返し用うる魔具は貸し出しとし、役後に数を改める。破損、耗りあるときは別記す。』
シュウは思わず眉を上げた。
「繰り返し使う魔具」
「用途じゃなくて管理分類だね」
ユリウスがすぐに指摘する。
「そうだな」
小型魔石が何をする道具なのかは書いていない。
ただ、少なくとも一部の小型魔石が貸出品として扱われ、使用後に数を確認されること自体は、林区管理の一般的な仕組みとして説明できる。
北部で小魔石が返却されていたからといって、それだけで特殊な用途を示すわけではない。
シュウは記録する。
『一般取扱例:
小魔石等の反復使用魔具→貸出扱い。
役後に数量確認。
破損・消耗は別記。
→ 北部の小魔石返却・在庫繰越は一般的物品管理でも説明可能。
→ 用途は依然不明。
→ 「返却される=特殊な装置部品」等の推定根拠にはならない。』
「だいぶ普通になってきたね」
エリオットが言った。
「うん」
シュウは少し笑った。
残念ではなかった。
むしろ、頭の中が整理されていく感覚がある。
北部の記録を読み始めたころは、古い言葉の一つ一つが意味深に見えた。
白材。
導材。
灯。
小型魔石。
北倉。
返却。
現場残し。
それらが全部、北の森にある何かのための特殊な仕組みのように感じられた。
だが今見ると、そのうちいくつかは単なる行政上の物資管理で説明できる。
(普通の部分が増えてる)
そして普通の部分が増えれば、逆にまだ説明できない部分が見えやすくなる。
◇
次に三人は『旧ローデル林区支給記録分類索引』を開いた。
こちらは約四十年前に学院側で作成された整理資料で、原文の転記ではない。
頁には地区別の記録件数と分類記号が並んでいる。
北部。
南部。
西部。
中央。
東部。
さらに細かな区分がある。
「まず返却」
シュウは索引の分類表を確認した。
返却記録は北部だけではない。
南部にも、西部にも、中央にもある。
残置も同様だった。
次季繰越も複数地区に存在する。
灯の貸出返却は、むしろ中央と西部の方が分類件数は多い。
「北部、全然特別じゃないな」
エリオットが呟いた。
「この項目だけならね」
シュウは数字を写しながら答えた。
「索引の分類数だけで頻度を厳密比較するのも危ない。残ってる記録の量が地区ごとに違うかもしれないから」
「そこも見る?」
「今日は見ない」
ユリウスがシュウへ視線を向ける。
「百パーセント」
「お前までやるの!?」
「一度言ってみたかった」
普段あまり冗談を言わないユリウスが真顔で言ったため、エリオットが机へ顔を伏せて笑いを堪えた。
「図書館だから静かにしろよ」
「シュウが言う?」
「俺は普通に喋ってるだろ!」
声を抑えたやり取りを終え、三人は再び索引へ戻る。
シュウは比較対象を最初に決めた六項目から増やさなかった。
見分前支給。
未使用品返却。
現場継続保管。
次季繰越。
灯・小型魔石等の貸出返却。
返却先の振分け。
どれも北部以外に例があった。
返却先については、地区倉、中央倉、役所、支給元など複数が存在し、北倉という名称自体は当然北部に偏るものの、「決められた保管場所へ戻す」という行為は共通している。
「ここまでは、かなり一般管理で説明できる」
シュウが言った。
ユリウスが頷く。
「少なくとも、比較した六項目については」
「じゃあ北部で変なの、何が残る?」
エリオットの問いに、シュウはすぐには答えなかった。
そこを急いで決めると、今度は「普通ではないものを探す」こと自体が目的になる。
「今日の資料だけで決めない方がいい」
「うん」
「ただ、支給台帳で気になった中だと……『再見』と物資の出し止めがどう結びついてるかとか、白材と導材がどういう判断で使われたり使われなかったりするかは、まだ分からない」
「小魔石の用途も」
「それも。ただ、小魔石を貸し出して返す仕組み自体は普通だった」
シュウは一度ノートを見直す。
「それと、『北務』」
昨日の二文字。
これは一般的な物資管理だけでは説明できない。
ただし、何を意味するかも分からない。
「今日はそこへ行かないんだよね」
エリオットが確認する。
「行かない」
「百――」
「言わせないぞ」
シュウが先に遮ると、エリオットは笑った。
◇
資料を返却したあと、シュウはマティアスへ一つだけ確認した。
「今日見た『旧林区物資取扱例』って、北部の支給台帳を元にして作られた可能性はありますか?」
「底本が失われていますので、完全には否定できません。ただ、写本の序文では複数林区の旧規程と取扱記録を集めたとされています」
「じゃあ、支給台帳とは完全に独立した資料だとは言えない?」
「そうですね。ただし、内容が一般的な規程として複数地区に適用されていたこと自体は、別の地方記録でも確認されています」
「その別の記録を今から――」
口にしかけて、シュウは止まった。
マティアスがわずかに口元を緩める。
「確認しますか?」
「……今日はやめます」
「よろしいかと」
「今、試しました?」
「いいえ」
マティアスは平然としている。
隣でエリオットが肩を震わせていた。
◇
図書館を出ると、午後の陽はすでに西へ傾いていた。
三人は中庭を横切りながら、今日の結果を簡単に整理する。
「結論としては、北部で見た物資管理の大半は、林区全体でも普通にあり得る」
シュウが言う。
「大半じゃなくて、比較した六項目」
ユリウスが訂正する。
「そうだった。危ない」
「白材と導材そのものは比較してない」
「うん。扱い方だけ」
エリオットが二人を交互に見る。
「普通の仕事がいっぱい見つかったわけだ」
「そうだな」
シュウは校舎の向こうに見える空へ目を向けた。
「北部だけ見てたときは、返却とか現場残しまで何か特別な意味があるように感じてた。でも他でもやってるなら、そこは普通の物資管理として考えた方が自然そう」
「ちょっとつまらない?」
「いや」
シュウは首を振った。
「むしろ楽になった」
「楽?」
「全部が謎じゃなくていいから」
自分で口にして、その言葉がしっくりきた。
北の森で起きていることは確かに普通ではない。
地下には黒い何かがある。
古い石扉がある。
淡い魔法はシュウへ「帰ってきた」と告げた。
家には北方旧務に関する古い記録が残っている。
だからといって、そこへ関係する過去の仕事が何もかも特殊だったとは限らない。
誰かが灯を借り、仕事を終えて返した。
余った板を倉庫へ戻した。
次の見分が近ければ材料を現場へ置いた。
そういう当たり前の仕事の中に、今も意味の分からない何かが混じっていたのかもしれない。
◇
夕食時、ダンは今日の結果を聞いて露骨に肩を落とした。
「普通だったのかよ」
「比較した範囲ではな」
「小魔石も?」
「返却する仕組みは普通。用途は分からない」
「白材は?」
「用途分からない」
「導材は?」
「それも分からない」
「じゃあ、まだ謎あるじゃん」
「お前、何で嬉しそうなんだよ」
ダンは笑いながら鶏肉を頬張った。
セシリアはシュウの説明を聞き終えると、少し感心したように言った。
「でも、かなり整理されましたね。前は『戻す』『残す』という行為にも意味があるかもしれなかったんですよね?」
「うん。今は、そこ自体は普通の管理で説明できる可能性が高くなった」
「そうすると、本当に見なければいけないのは、何を、どんな条件で使ったかになるんでしょうか」
シュウは少し考える。
「たぶん。でも、それもまだ決めない。白材や導材だって、北部以外で普通に使ってたかもしれないし」
「また比較?」
ダンが嫌そうな顔をする。
「必要なら」
「俺、調査員じゃなくてよかった」
「誰も誘ってない」
「ひどくない!?」
エリオットが笑い、セシリアも楽しそうに肩を揺らした。
◇
夜、三百十七号室。
シュウは今日の結果を北方調査ノートへ整理した。
『北部物資運用・第一比較
比較資料:
・『旧林区物資取扱例』――現写本約110年前、底本推定約150年前。底本不明。支給台帳との直接関係未確認。
・『旧ローデル林区支給記録分類索引』――約40年前の学院整理資料。原文転記ではなく分類索引。
比較対象六項目:
1.見分前支給
2.未使用品返却
3.現場継続保管
4.次季繰越
5.灯・小型魔石等の貸出返却
6.返却先振分け
結果:
六項目すべて北部以外にも例あり。
→ これらの行為自体を北部固有運用とみなす根拠は弱まった。
→ ただし地区別残存史料数・年代差・規程差を未検討のため、頻度比較はしていない。』
次に、一般取扱例から分かった内容を書く。
『余材:
支給元/指定倉へ返却。
次役が近い場合は現場残置可。数量記録。
灯:
巡見・夜役後は返却が通常。
続けて使用予定なら現場預け可。
小魔石等の反復使用魔具:
貸出扱い。
役後に数量確認。
破損・消耗は別記。
→ 北部台帳で確認した返却・残置・繰越・数量管理の多くは、一般的な物資管理でも説明可能。』
そして、今日の一番大切な整理。
『北部で見つけたからといって、北部固有とは限らない。』
その下へ、さらに一行加える。
『普通の管理で説明できる部分と、まだ説明できない部分を分ける。』
シュウは筆先を止めた。
今の時点で説明できないもの。
白材が何なのか。
導材が何なのか。
なぜ交換を見送る場合があるのか。
「保持」と物資使用がどう関係するのか。
第三旧所でなぜ三日後に再見したのか。
「継ぎ」とは具体的に何をすることなのか。
北務帳とは何なのか。
支給台帳断片の「北務」は何を意味するのか。
そして、家の記録に残る北方旧務、前役家、預かる、別記、満ち。
まだ大量に残っている。
だが、以前より散らかってはいない。
「次、何やるの?」
エリオットがベッドの上から尋ねた。
「まだ決めてない」
「珍しい」
「候補はあるよ」
「何個?」
「……七個くらい」
「百パーセントから九十八パーセントにしようかな」
「二パーセント下がるほどか!?」
「候補が七個あるから」
「候補はいいだろ! 全部やるって言ってない!」
エリオットが笑う。
「じゃあ維持」
「軽いなあ……」
シュウも苦笑しながら、候補を整理した。
小型魔石の一般用途。
夜見という語。
白材・導材の他地区使用。
再見の一般的な意味。
支給台帳の成立と伝来。
マルセルが支給台帳をどこまで利用したか。
「北務」という語の一般用例。
七つ。
(この中から一つだな)
全部を同時にやる必要はない。
シュウは少し考え、今夜は決めないことにした。
明日の授業を受け、時間を見てから選べばいい。
《マスター》
(何だよ)
《普通のものを特別だと思い込まない、という本日の教訓についてですが》
(うん)
《旧設定資料には、「我が日常的に使用する黒衣は、世界に一着しか存在しない神衣である」とございます》
(また始まった)
《しかし別頁には、「黒天帝国一般兵制服。基本色は黒」とございます》
(……)
《さらに挿絵を見る限り、マスターの衣装と一般兵制服の意匠がほぼ同一です》
(やめろ)
《マスターは一般兵制服を、世界唯一の神衣と認識していた可能性がございます》
(やめろって!)
シュウは両手で顔を覆った。
エリオットがすぐに反応する。
「今度は何が普通だったの?」
「俺の伝説の服」
「普通だったの?」
「帝国の一般兵とほぼ同じだったらしい」
「それは……」
「笑うなら笑えよ!」
エリオットは数秒耐えたものの、結局ベッドへ倒れ込むようにして笑い始めた。
《なお一般兵制服の説明には、「大量生産性を重視した安価な布を使用」と記載されています》
(神衣ですらねえ!)
「安物だったの!?」
「声に出てた!?」
さらに笑い声が大きくなる。
シュウも顔を覆ったまま耐えていたが、やがて自分でも馬鹿らしくなって笑った。
特別だと思っていたものが、実は普通だった。
今日一日の調査と、あまりにも似ている。
もちろん、北方の記録と中学生時代の黒歴史を同列にするつもりはない。
けれど、普通のものを特別だと思い込むのは簡単なのだろう。
自分が特別だと思いたければ、なおさら。
シュウは笑いが収まったあと、机の上のノートへ視線を戻した。
北部の返却も、現場保管も、灯の貸出も、小型魔石の数量管理も、それ自体は特別ではない可能性が高くなった。
ならば、そこへ無理に意味を持たせる必要はない。
普通だったものは普通として外す。
分からないものだけを、分からないまま残す。
その積み重ねの先で、本当に北部だけに残った違いが見つかるなら、そのとき初めて意味を考えればいい。
シュウは七つ並んだ次の調査候補を見てから、ノートを閉じた。
明日すぐ全部へ手を伸ばすつもりはない。
どれを先に調べるべきか、それを決めるところから始める。
少なくとも今は、北の森に関わる古い仕事のすべてが特別だったわけではないと知ることができた。
答えが増えたというより、余計な特別さが一つ減った。
それは、長く続いている北方調査の中で、思っていた以上に大きな前進だった。




