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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第62話 最後まで読んでも、北の仕事だけが特別だったとは限りません


 翌朝の王立魔法学院には、前日の雨が残した湿り気がまだわずかに残っていた。


 男子寮を出たシュウは、朝日に照らされた中庭を横切りながら、昨夜まとめた支給台帳の内容を頭の中で繰り返さないよう意識していた。整理そのものは終わっているのだから、授業が始まる前から仮説を増やしても仕方がない。


 北一では、使わなかった白材を倉庫へ戻し、灯を次の冬備えへ回していた。


 北二区では、支給された白材の一部が使われず返却され、導材の残りが次の見分まで現場へ置かれていた。


 巡見用として出された小型魔石や灯は、見分が終われば北倉へ返す記録もあった。


 それらを合わせれば、北部の役務が単純な「資材を受け取って修理する仕事」ではなかった可能性は高くなる。しかし、そこから先へ進むには、まだ一つ大きな問題が残っている。


(北部だけのやり方なのか分からない)


 昨日ユリウスが閉館前にマティアスへ確認した内容については、朝食へ向かう途中で本人から聞いていた。


 北部特有の運用だと考えるなら、他地区との比較が必要になる。


 ただし今すぐ比較範囲を広げるのではなく、まずは北部を最後まで確認する。


 その順序で三人の考えは一致している。


「今日は図書館へ行くの?」


 隣を歩いていたエリオットが尋ねてきた。


「授業が終わったときの時間次第。昨日と同じくらい取れるなら、残ってる通常閲覧分を確認したい」


「そのあと保護板越しの三葉?」


「内容と時間を見てからかな。普通に読める分を終わらせたからって、その勢いで全部やる必要はないし」


 エリオットが足を止めるほどではないものの、少しだけ意外そうな顔をした。


「何だよ」


「いや、百パーセントって楽だなと思って」


「どういう意味だよ」


「止めなくていいから」


「お前の仕事だったのかよ」


「最近までかなり重要な仕事だったよ」


 否定しきれないのが悔しい。


 シュウが顔をしかめると、エリオットは機嫌よく笑いながら校舎へ向かっていった。


     ◇


 午前の歴史講義を担当したオルド・カーヴェルは、旧王領時代の地方行政について黒板へ簡単な図を描いていた。


 今日の内容は森林役務そのものではない。王都から遠い地方において、中央の制度と現地の慣行が必ずしも一致しなかったことを扱う講義だった。


「制度が同じなら、運用まで同じだと考えたくなる者は多い」


 オルドは教室を見回しながら、黒板に書いた二つの地方名を線で囲んだ。


「だが、同じ王国法に基づいて設置された役所であっても、地形、産業、人口、過去の領主制度によって実際の仕事は変わる。逆に、別の制度から始まった二つの地域が、必要に迫られて似た運用へ落ち着くこともある」


 シュウは筆を止めずに聞いていた。


 北部と他地区を比較する必要性について考えていた直後なので、少しだけ耳へ残る。


 しかし、今日の講義をそのまま北部役務へ当てはめるつもりはない。


「史料を読む際には、制度名が同じだから同じ仕事、呼び方が違うから別の仕事、と単純化しないことだ。実際に何をしていたのかを見る必要がある」


 講義はその後、地方役所の税務や道路管理へ移っていった。


 シュウも北方調査から意識を切り離し、授業の内容へ集中する。


 授業後、オルドのところへ質問に行くこともしなかった。


 今必要なのは、新しい答えを増やすことではない。


 すでに閲覧許可を得た資料を最後まで読むことだった。


     ◇


 昼休み。


 いつもの五人で食堂に集まると、ダンが席へ着くなりシュウへ身を乗り出した。


「昨日の小魔石、何に使ってたか分かったか?」


「まだ調べてない」


「何で!?」


「昨日の夜に調べ始めたら、お前がこの前言ってた『調べ物始めたら止まらないやつ』になるだろ」


「それはそうだけど、気になるじゃん」


「俺も気になるよ」


 シュウが苦笑すると、セシリアも微笑んだ。


「でも、先に台帳を最後まで確認するんですよね?」


「その予定。残りの通常閲覧できるところを見て、それから必要なら小魔石とか『夜見』の一般用例を調べる」


 ユリウスがスープの匙を置く。


「あと、北部以外との比較」


「そっちは今日やる?」


「やらない」


 シュウが即答すると、ユリウスも頷いた。


「北部を確認し終わってから、何を比較するか決めた方がいい」


 ダンがパンをちぎりながら眉を寄せた。


「比較するって、南とか中央の記録も全部読むのか?」


「全部は読まないよ」


「よかった。聞いてるだけで眠くなってきた」


「お前は読まないだろ」


「それでも眠い」


 エリオットが呆れたように笑った。


 セシリアは少し考えてから、シュウへ尋ねる。


「比較するなら、何を比べるんですか?」


「そこもまだ決めてない。でも昨日気になったのは、使わなかった資材を戻すこととか、巡見用の道具を貸し出して終わったら返すことかな。それが北部だけなのか、普通の物資管理なのかで意味が変わるから」


「北部以外でも同じなら、特別な仕事だから戻していたわけではない可能性が高くなるんですね」


「うん。むしろ林区の普通の管理方法だったかもしれない」


「逆に北部だけ違ったら?」


 ダンの問いに、シュウは少し考えた。


「違った理由を調べる必要が出る。でも、違うから秘密があるって話にはならないよ。距離とか地形とか、倉庫の位置とか、普通の理由かもしれないし」


「先回りして俺の期待を潰すなよ」


「お前の期待、だいたい秘密施設か封印だからな」


「古い森だぞ?」


「古い森に失礼だろ」


 五人の笑い声が、昼時のざわめきへ混ざった。


     ◇


 午後の授業が終わった時点で、閉館までは十分な時間が残っていた。


 シュウ、エリオット、ユリウスの三人は、そのまま図書館へ向かった。


 昨日までと同じように受付でマティアスへ継続閲覧を申し出る。


「三十九葉目以降の確認ですね」


「はい。通常閲覧できるものを優先したいです」


「分かりました。ただ、後半は欠損と閲覧制限が混在していますので、整理番号が連続しない箇所があります」


 マティアスは利用票を確認しながら説明してくれた。


「全四十七葉のうち、通常状態で閲覧できるものは三十八葉、保護板越しで閲覧可能なものが三葉、現在閲覧不可が六葉です。これまでの範囲にも閲覧不可の葉を飛ばしていただいていますから、整理番号三十九以降が九葉すべて通常閲覧できるわけではありません」


「分かりました」


 シュウはその説明もノートへ書き加えた。


 数字だけ見れば、四十七葉のうち三十八葉が普通に読める。


 だが整理番号と「何枚読んだか」を混同すると、後で資料の欠落位置を誤認する。


 閉架資料閲覧室へ移動し、保存箱が運ばれてくる。


 今日も室内には魔導灯の穏やかな光が落ちていた。紙を傷めないためか室温は少し低く保たれており、長く座っていると指先にわずかな冷たさを感じる。


「最初は三十九?」


「三十九は通常閲覧可能です」


 マティアスが確認し、閲覧台へ置いた。


 三人が視線を落とす。


 記されていたのは南部の倉庫間移送だった。


 補修板、縄、油。


 北部とは関係がない。


「対象外」


 シュウはそう記録するだけに留めた。


 四十葉目は閲覧不可。


 紙の傷みが強く、現在は保存処置待ちだという。


 四十一葉目は中央地区。


 四十二葉目で、再び北部が現れた。


     ◇


『北二、秋見後。導材一戻し。白材二は置く。冬前に再見。灯一、北倉へ。』


 短い記録だった。


 シュウは一度読み、昨日までの内容と重ねそうになったところで意識的に止める。


「北二って、北二区と同じかな」


 エリオットが言う。


「可能性は高そうだけど、表記揺れか別区分かは確認できない」


 ユリウスが答えた。


「今までにも『北一』『北二区』『北部三旧』って違う書き方があるし」


「じゃあ、そのまま記録しよう」


 シュウは原文に近い形で写す。


『整理葉42:

北二、秋見後。

導材一戻し。

白材二は置く。

冬前に再見。

灯一→北倉。』


 その下へ注意を書く。


『※「北二」と「北二区」の同一性未確認。

※白材は返却せず現場残置と読めるが、用途未記載。

※冬前の再見理由未記載。』


 エリオットが記録を見ながら言う。


「また逆だね」


「何が?」


「昨日は白材を返して導材を置いてた。これは導材を返して白材を置いてる」


「ああ」


 確かにそうだった。


 整理葉二十八では、白材一を使わず倉へ返し、導材の残りを次の見分まで現場へ置いていた。


 今回の記録では、導材一を戻し、白材二を残している。


「決まった種類を必ず置くわけじゃないのかもしれない」


 シュウが言いかけると、ユリウスが少しだけ首を傾けた。


「この二例だけなら、必要な方を置いたように見える、くらいかな」


「そうだな」


 シュウは表現を弱めて記録する。


『物資種別ごとに固定的な「返却/現場保管」が決まっているとは限らない可能性。判断基準は未確認。』


 見分の結果に応じていたのか。


 次の季節の予定によって決めたのか。


 単に倉庫の在庫事情だったのか。


 まだ何も分からない。


     ◇


 四十三葉目は閲覧不可だった。


 四十四葉目は通常閲覧可能で、上半分に中央地区の記録、下半分に北部の記録が残っている。


 北部部分は他より少し文字が薄かった。


『北三、再見後。白材使わず。導材替えなし。補修板一のみ用う。残り北倉へ。』


 三人の視線が止まった。


 シュウは胸の奥で何かが動くのを感じたが、すぐに筆を取らなかった。


 北三。


 再見後。


 導材は交換しない。


 既知の第三旧所記録には、三日後の再見で保持の低下が進まず、導線が乾いていたため継ぎを見送ったとある。


 整理葉二十二には、北部三旧、秋見分後、導材交換見送り、予備材は北倉へ、再見後に必要なら支給とあった。


 そして今度は、北三、再見後、白材を使わず、導材も交換せず、補修板一枚だけを使用し、残りを北倉へ戻す。


「……似てるね」


 エリオットの声が、いつもより少し小さくなった。


「うん」


 シュウも否定しなかった。


 似ている。


 これまでで最も、整理葉二十二の続きに見える。


 けれど、見えることと証明できることは違う。


 ユリウスが先に年記部分を確認した。


「こっちも欠けてる」


 右端が失われており、年号を完全には読めない。


「二十二と同じ年だって分かる?」


「無理」


「紙とか筆跡は?」


 エリオットが尋ねる。


「それも僕たちだけで判断しない方がいい」


 シュウはマティアスを呼んだ。


「すみません。二十二葉目と四十四葉目って、同じ時期に書かれたか資料上分かりますか?」


 マティアスは二つの葉を同時に並べることはせず、まず四十四葉目を確認してから利用記録を参照した。


「整理時の推定では近い年代に置かれています。ただし、同一年と判断できる根拠はありません」


「筆跡は?」


「似ている部分はありますが、この台帳は複数の書き手がいると考えられています。同一筆者判定も正式にはされていません」


「分かりました」


 シュウはそのまま記録する。


『整理葉44:

北三、再見後。

白材未使用。

導材交換なし。

補修板一のみ使用。

残余→北倉。


整理葉22との対応候補。

既知の第三旧所再見記録との対応候補。

ただし、

・同一年未確認

・「北三」=「北部三旧」=「第三旧所」未確認

・同一出来事未確認

・筆者同一性未確認。』


 書き終えてから、シュウはもう一度紙葉を見た。


(もし同じ出来事なら、役務記録と支給記録で見えてるものが違うんだ)


 役務側では、保持の落ちが止まり、導線が乾き、継ぎを見送った。


 支給側では、白材と導材を使わず、補修板だけを一枚使い、残りを倉庫へ戻した。


 同じ現場を別の目的で記録した結果だとすれば、非常に面白い。


 だが今は、そこまでだ。


     ◇


 四十五葉目は保護板越し閲覧指定だった。


「こちらは今日見ますか?」


 マティアスが尋ねる。


 シュウは時計を確認した。


 時間はまだある。


 しかし四十四葉目で重要な比較候補が出たばかりだ。


「先に通常閲覧できる残りを確認します」


「分かりました」


 四十六葉目。


 これは北部ではなく、西側の支給記録だった。


 シュウは対象外として流しかけたが、一つの表現が目に入った。


『西二、春見後。補修板二余り、戻し。灯一は秋まで置く。縄は役所へ。』


 手が止まる。


「これ……」


 エリオットも気づいた。


「北じゃないのに似てる」


 補修板の余りを戻す。


 灯は次の季節まで現場へ残す。


 縄は役所へ返す。


 昨日まで北部で見ていたものと、かなり似た物資管理だった。


 ユリウスがわずかに身を乗り出す。


「比較を始めるつもりじゃなかったけど、同じ台帳の中に出てきたなら記録しておいた方がいい」


「うん」


 シュウは北部記録とは別の欄を作った。


『参考・北部外:

整理葉46、西二。

春見後。

補修板二余り→返却。

灯一→秋まで現場。

縄→役所。

→ 返却/現場継続使用/役所返却の組合せは北部以外にも存在する例。』


 たった一例である。


 それでも、「物資を戻したり次の季節へ回したりするのは北部だけだった」という考えには、早くも注意が必要になった。


「昨日の段階で北部特有だって決めなくてよかったね」


 エリオットが言う。


「本当に」


 シュウは苦笑した。


 もし昨日、北部の返却運用を特別な仕組みだと決めていたら、今日この記録を見たときに「西部にも北部と同じ秘密の仕事があった」と考え始めていたかもしれない。


 そうならなかっただけでも、待った意味はある。


     ◇


 四十七葉目は通常閲覧できたものの、末尾の集計に近い内容だった。


 地区ごとの残数と倉庫移送数が並び、個別の旧所名はほとんど書かれていない。


 その中に北倉という文字がある。


 しかし、何がどの旧所から戻ったのかまでは分からない。


『北倉残:

白材十一。

導材六。

補修板九。

灯四。

小魔石四。

油布七。

次季へ回す。』


 シュウは慎重に転記した。


「これ、在庫数?」


「そう読めるけど、帳簿全体の集計時点が分からない」


 ユリウスが答える。


 年記はやはり欠けている。


「小魔石四、残ってるんだ」


 エリオットが言った。


「うん。少なくともこの集計では北倉の残りとして数えてる」


 シュウは小型魔石についての記録へ追加した。


『整理葉47:

北倉残数に小魔石四。

「次季へ回す」対象に含まれる読みが自然。

→ 少なくとも一部の小魔石は継続管理される備品・在庫として扱われた可能性がさらに上昇。

→ 具体的用途は依然不明。』


 消耗品ではない可能性が高まった。


 しかし、何のために使われたのかは一歩も分からない。


 それでいい。


     ◇


「通常閲覧分は、これで最後です」


 マティアスが告げた。


 シュウは保存箱へ目を向ける。


 まだ保護板越しで読める三葉が残っている。


 そして、現在は閲覧できない六葉もある。


 すべてを読めたわけではない。


「保護板の三葉は、今日続けますか?」


 シュウはすぐには答えなかった。


 今日だけでも、整理すべき情報は増えた。


 特に四十四葉目。


 北三の再見後記録。


 そして四十六葉目。


 北部以外でも似た返却・継続使用が存在する例。


 ここでさらに三葉を読めば、情報量だけは増える。


 しかし、増やすことが目的ではない。


「今日はここまでにします」


 マティアスが穏やかに頷いた。


「分かりました」


 エリオットは何も言わなかった。


 ユリウスも当然のようにノートを閉じている。


「保護板越しの三葉って、次回お願いすれば見られますか?」


「はい。ただし一度に一葉ずつ、こちらで設置します。角度を変えたり、板を外したりはできません」


「内容がほとんど読めない可能性もありますか?」


「あります。保護板閲覧は、読めることを保証するものではありません」


「分かりました」


 シュウは次回の候補としてだけ記録した。


     ◇


 図書館を出ると、空はすでに夕暮れへ近づいていた。


 前日の雨雲は消え、薄い橙色の光が学院の石造りの校舎を照らしている。風は少し冷たく、植え込みの葉が擦れる音が静かな道へ広がっていた。


「結局、北部だけが特別って感じではなくなった?」


 エリオットが歩きながら尋ねる。


「物資の返却とか継続使用については、そうかもしれない。西二でも似たことやってたから」


「でも一例」


 ユリウスが補足する。


「うん。一例だから、北部と完全に同じ運用だったとも言えない」


 シュウは鞄の紐を持ち直した。


「ただ、少なくとも『返却してるから北部は特殊』とは言えなくなった」


「四十四は?」


「あっちは気になる」


 素直に認める。


「二十二と四十四、それに第三旧所の役務記録が同じ出来事なら、かなりきれいにつながる。でも、きれいにつながるからこそ怖い」


「何が?」


「つながってほしいって思って読むこと」


 エリオットはしばらく黙ってから、納得したように頷いた。


「百パーセント維持」


「今日は普通に褒めてくれない?」


「かなり褒めてるよ」


「基準がおかしくなってんだよなあ……」


     ◇


 夕食時、ダンは今日も結果を聞きたがった。


「今度こそ何か出た?」


「出たよ」


「おっ!」


「使わなかった白材」


「地味!」


「導材も使わなかった」


「もっと地味になった!」


 シュウが笑う横で、セシリアが興味深そうに尋ねる。


「昨日の続きと考えられる記録ですか?」


「可能性はある。前に見つけた『再見後に必要なら支給』って記録のあとみたいに読めるものがあった」


 シュウは、確定していないことを先に断ってから内容を説明した。


 北三。


 再見後。


 白材は使わず、導材も交換しない。


 補修板一枚だけを使い、残りは北倉へ戻す。


「じゃあ、本当に同じ場所なら……」


 セシリアは言葉を途中で止め、自分で考え直したらしい。


「いえ、まだ同じ場所か分からないんですね」


「そう。『北三』と『北部三旧』と『第三旧所』が同じ呼び方の違いなのか、まだ確認できてない」


「年も?」


「近い時期らしいけど、同一年かは分からない」


「難しいですね」


「でも面白いよ」


 シュウがそう答えると、セシリアは少し笑った。


「シュウさん、最近そういうとき楽しそうですよね」


「そういうとき?」


「分からないことが増えたときです」


「普通は逆じゃない?」


 エリオットが横から口を挟む。


「前は分からないとすぐ全部調べようとしてたからね」


「今は?」


「分からないまま持って帰れるようになった」


「何か子供の成長みたいに言われてない?」


 ダンが声を上げて笑った。


「シュウ、偉いぞ。今日は知らないことを持って帰れたな」


「お前に言われると腹立つな!」


 賑やかな声が食堂へ響き、近くの学生が何事かと一度だけこちらを見た。


     ◇


 夜。


 三百十七号室へ戻ったシュウは、今日の記録を机へ広げた。


 エリオットはベッド脇の椅子で教科書を読んでいる。


 シュウはまず、通常閲覧範囲の確認が一段落したことを記した。


『旧ローデル林区支給台帳・残巻

通常閲覧可能範囲:確認完了。

保護板越し閲覧可能:3葉未確認。

閲覧不可:6葉。

※未閲覧・閲覧不可部分があるため、「台帳全体に記載なし」とは判断しない。』


 続けて、今日の重要事項を分ける。


『整理葉42:

北二、秋見後。

導材一返却/白材二現場残し/冬前再見/灯一北倉。

→ 物資種類ごとに返却・現場保管が固定されているとは限らない可能性。判断基準未確認。』


『整理葉44:

北三、再見後。

白材未使用/導材交換なし/補修板一のみ使用/残余北倉。

→ 整理葉22「北部三旧、秋見分後、導材替え見送り、予備材北倉、再見後必要なら支給」と対応する可能性。

→ 『ローデル北部役務抄』第三旧所の「再見、保持落ちなし、導線乾き、異常なし、継ぎ見送り」と同一出来事の可能性。

ただし同一年・同一地点・同一出来事は未確認。』


 その下には、線を引いて別項目を作った。


『重要:

支給台帳側の対応候補が増えても、独立証拠が単純に増えたとは数えない。

台帳はエルド・マルセルが約60年前に閲覧した履歴あり。

既読研究書への影響関係を未確認。

ただし、役務記録と支給台帳が異なる記録目的を持つ点は比較価値あり。』


 次に四十六葉目。


『北部外参考:

西二でも、余剰補修板返却/灯を次季まで現場保管/縄を役所返却する例あり。

→ 返却・現場継続使用・返却先振分けは北部固有とは限らない。

→ 北部特殊性を論じるなら他地区比較が必要。』


 最後に小型魔石。


『小型魔石:

巡見・夜見で貸出後返却される例。

北倉在庫として次季へ回される例。

→ 少なくとも一部は継続管理可能な備品として扱われていた可能性が高まる。

→ 具体的機能未確認。

→ 保持・封・異常との関係未確認。』


 そこまで書いてから、シュウは次の行で手を止めた。


 今後。


 何をするか。


 保護板越し三葉。


 小型魔石の一般用例。


 夜見という語。


 北部と他地区の比較。


 北三、北部三旧、第三旧所の呼称関係。


 整理葉二十二と四十四の年代。


 エルド・マルセルがこの台帳をどこまで利用したか。


 フェルド・ミール旧蔵写し。


 北務帳。


 家の別記。


 北方旧務。


 候補を書き始めれば、いくらでも増える。


(……全部一度には無理だな)


 以前なら、その中から三つか四つを明日の予定へ押し込んでいたかもしれない。


 シュウはしばらく考えたあと、次回候補を三つに分けた。


『近い次手候補:

1.保護板越し3葉を確認し、支給台帳閲覧を一区切りにする。

2.支給台帳確認完了後、北部と他地区の物資運用比較が必要か整理する。

3.小型魔石・夜見の一般用例は、台帳調査とは分けて調べる。


※フェルド・ミール旧蔵資料、北務帳、マルセル第7章以降は同時に広げない。』


 書き終えたところで、アルカディアが声をかけてきた。


《マスター》


(何だよ)


《旧設定においても、資料閲覧に厳重な制限が設けられた文書がございました》


(昨日の神器返却よりはまともそうだな)


《『黒天真史録・禁断補遺第四百八十七巻』です》


(四百八十七巻も補遺書いたの?)


《設定上は全九百九十九巻でございました》


(本編より補足の方が長いだろ)


《閲覧には十三王の署名、七大賢者の血判、世界樹の葉三枚、竜王の鱗一枚、そしてマスターご本人の許可が必要です》


(俺のノート読むだけなのに何でそんなに必要なんだよ)


《なお十三王のうち第五王と第十一王は、設定欄が空白のため存在しておりません》


 シュウはしばらく何も言えなかった。


(……じゃあ永久に読めないじゃん)


《はい。中学生のマスターは、非常に高度な情報管理を実現なさいました》


(設定してないだけだろ!)


 思わず声が出た。


 向かい側で教科書を読んでいたエリオットが顔を上げる。


「どうしたの?」


「昔の俺が、存在しない王様の署名がないと読めない本を作ってた」


「設定の中で?」


「設定の中で」


「誰が読むの?」


「誰も読めない」


 エリオットは数秒黙ったあと、肩を震わせ始めた。


「それ、秘密を守る方法としては完璧じゃない?」


「内容まで永久に失われてるんだよ!」


《ご安心ください。内容自体も設定されておりません》


(もっと駄目じゃねえか!)


 笑いを堪えきれなくなったエリオットの声が、静かな部屋へ広がった。


 シュウも最後には笑ってしまった。


 机の上には、百数十年前の人々が実際に残した支給台帳の記録がある。


 白材を何本出したか。


 導材を戻したか。


 灯をどこへ置いたか。


 小型魔石をいくつ倉庫へ返したか。


 中学生の自分が作った壮大な禁書とは比べものにならないほど地味なのに、こちらには本当に知りたいことが残っている。


 そして、本当に残された記録だからこそ、読めない部分も、失われた部分も、意味の分からない言葉もある。


(全部読めないのは、ちょっと悔しいけどな)


 六葉は現在閲覧できない。


 三葉も保護板越しで、どこまで文字を拾えるか分からない。


 だから、この台帳から完全な答えを得ることは最初からできない。


 それでも、読めた部分だけで分かったことはある。


 北部の仕事には、季節ごとの見分と物資の準備があった。


 支給された物が必ず使われるわけではなく、現場判断によって交換を見送り、資材を返すこともあった。


 灯や小型魔石のように、巡見へ持ち出してから戻す物もあった。


 そして、そのような返却や継続使用は、少なくとも一例、北部以外にも存在している。


 特別なものを探して読み始めた資料から、普通の仕事らしさが見えてきた。


 それは期待していた答えとは違うかもしれない。


 けれど、シュウにはその方が大事に思えた。


 北の森に何があったのかを知りたいなら、謎だけを拾うのではなく、そこで誰かが毎年どんな仕事をしていたのかも知らなければならない。


 シュウは整理を終えたノートを閉じ、机の端へ置いた。


 保護板の向こうに残る三葉には、何が書かれているのか分からない。


 読める文字がほとんどないかもしれないし、北部とはまったく関係がないかもしれない。


 次に閲覧するときは、それでも構わない。


 答えが書かれていることを期待して読むのではなく、残っているものを、そのまま読む。


 支給台帳の調査を始めたときより、その意味をシュウは少しだけ分かるようになっていた。

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