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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第61話 残りの支給台帳には、使った物より戻した物が多く残っていました


 支給台帳の続きをすぐに読みに行かなかったことを、翌朝になってシュウは少しだけ後悔した。


 三百十七号室の窓の外では、夜のあいだに降ったらしい雨が中庭の石畳を濡らしており、雲の切れ間から差し込み始めた朝日が細かな水滴を淡く光らせている。窓を開けると湿った土と草の匂いを含んだ冷たい風が入り込み、机の上に置いていた紙の端を揺らしたため、シュウは慌てて窓を少しだけ閉じた。


 昨夜は北方調査ノートを棚へ戻したあと、本当に開かなかった。


 整理葉二十二に記されていた『北部三旧』と、既知の第三旧所記録との比較も途中で止めている。残りの閲覧可能な紙葉についても、今日すぐに確認しなければならない理由はない。


 それなのに、目が覚めた直後から気になっていた。


(同じ出来事なのかな……)


 役務側の記録には、秋の見分で保持の落ちが例年より早かったため、現場だけで決めず北務帳へ移し、三日後に再見したことが残されていた。その再見では保持の低下が進んでおらず、導線も乾いていたため、継ぎが見送られている。


 一方、支給台帳の整理葉二十二には、秋見分後に導材の交換を見送り、予備材を北倉へ戻し、再見後に必要なら支給すると記されていた。


 時期も近い。


 場所の呼び方も似ている。


 行われた判断も対応しているように見える。


 だからこそ、怖い。


(同じだと思って読み始めたら、残りの記録まで全部それに合わせて見そうなんだよな)


《その危険性はございます》


 アルカディアの声が頭の中へ静かに響いた。


《特にマスターは、答えらしきものを発見すると周辺設定を増築する才能に優れておられますので》


(それ、中学生の頃の話だよな?)


《当時は一つの名称から国家を三つ増やされました》


(何してんだよ俺……)


《しかも三国すべてに建国神話を設定なさいました》


(朝から聞きたくなかった)


 シュウが制服へ袖を通していると、すでに身支度を終えていたエリオットが向かい側の机からこちらを見た。


「今日、図書館行く?」


「まだ決めてない」


「珍しいね」


「午後の授業が終わって、時間がちゃんと取れそうなら行く。中途半端なら別の日」


 エリオットは少し考えてから頷いた。


「百パーセント維持」


「朝の挨拶にするなって」


「おはよう、シュウ。百パーセント維持」


「付け足しただけだろ!」


 雨上がりの静かな朝に、エリオットの笑い声が響いた。


     ◇


 午前の授業では、支給台帳とは直接関係のない基礎術式演習が続いた。


 簡易的な防護術式を複数人で維持し、供給役を交代しても術式を崩さないようにする課題である。シュウたちの班では途中で供給量が少し揺れたものの、術式そのものが解除されることはなく、担当教員からも大きな指摘は受けなかった。


 シュウ自身も北方調査へ意識を引っ張られることなく授業へ集中できている。


 昼休みになる頃には朝から感じていた落ち着かなさも薄れていた。


 食堂のいつもの卓では、ダンが今日の演習について不満を漏らしている。


「維持するだけって地味なんだよな。せっかく魔法使ってるんだから、もっとこう、最後に的を壊すとかあってもいいだろ」


「維持する練習で最後に壊したら、何を練習していたのか分からなくなりますよ」


 セシリアが苦笑しながら答えると、ダンはパンをちぎる手を止めた。


「成功したご褒美」


「先生が的を用意する側なら、まったくご褒美ではないですね」


「じゃあ自分で用意する」


「そこまでして壊したいの?」


 エリオットまで呆れたように尋ねたため、ダンは少し考え込んだ。


「……言われてみると、別にそこまででもないな」


「気づくの遅くない?」


 シュウが笑う。


 向かいに座っていたユリウスは食事を進めながら、そのやり取りを黙って聞いていたが、話が一段落したところでシュウへ視線を向けた。


「今日、続きを見る?」


「午後の授業が終わってから決める。昨日みたいに一時間以上取れるなら行こうかな」


「二十二葉目は最初に見直す?」


「たぶん。でも、同じ出来事だって確認するために見るんじゃなくて、昨日写した内容に間違いがないか確認するだけにする」


 セシリアが首を傾げる。


「昨日見つけた記録のことですか?」


「うん。前に読んだ第三旧所の記録とかなり似てたやつ」


 シュウは、セシリアとダンが知っている範囲を越えないよう注意しながら概要だけを話した。


 秋の見分。


 導材交換の見送り。


 再見。


 使わなかった予備材の倉庫返却。


 それらが、以前読んだ役務記録と対応している可能性があること。


 ただし同一記録か、同一出来事かはまだ分からない。


「じゃあ、今日の残りに同じようなのがもっとあったら分かるかもしれない?」


 ダンが尋ねる。


「分かる可能性はある。でも、逆に分からなくなるかもしれない」


「何で?」


「似た運用が他の場所でも普通にあったら、二十二葉目が第三旧所のあの出来事だって言い切りにくくなるから」


「ああ……」


 ダンは納得したらしく頷いた。


「同じことがいっぱいあったら、特別じゃなくなるのか」


「そういうこと」


 ユリウスがそこで口を挟む。


「でも、それはそれで重要。第三旧所だけの処理じゃなくて、林区の一般的な物資運用だった可能性が上がる」


「どっちに転んでも意味はあるのか」


「資料が十分なら」


 ユリウスらしい答えに、ダンは「そこは厳しいな」と笑った。


 シュウも笑いながら、昨夜自分が感じたことを思い返す。


 何かを見つけることだけが進展ではない。


 似た記録が増えて仮説の特別性が下がることも、調査としては意味がある。


     ◇


 午後の授業が終わったのは、閉館まで二時間近く残っている時間だった。


 シュウは教室の窓から外を確認した。朝の雲はかなり薄くなり、雨上がりの校舎には柔らかな夕方の光が差し始めている。


「行けそうだね」


 エリオットが言った。


「うん。ユリウスは?」


「行く」


 三人で図書館へ向かう。


 昨日と違い、今日は申請から始める必要がない。


 受付にいたマティアスへ継続閲覧を希望すると、彼は昨日の利用記録を確認したあと、三人を閉架資料閲覧室へ案内した。


「今日は二十三葉目からでよろしいですか?」


「その前に二十二葉目だけ、昨日の転記確認をしたいです」


「分かりました。比較のために必要なら問題ありません」


 保存箱が机へ置かれる。


 昨日と同じ薄暗い閲覧室。


 魔導灯の穏やかな光。


 乾いた紙と保存材が混ざった独特の匂い。


 窓の外からは、雨水が軒先から落ちる音が時折聞こえてくる。


 シュウは指定された筆記具を手元へ置き、昨日のノートを開いた。


「まず二十二」


 ユリウスが整理番号を確認し、マティアスの指示に従って紙葉を閲覧台へ置いた。


 昨日読んだ文字が再び現れる。


『北部三旧、秋見分後、導材替え見送り。予備材は北倉へ。再見後、必要あれば支給。』


 転記に大きな間違いはない。


 ただし、昨日「北部三旧」と読んだ最初の部分は、紙の傷みと墨の薄れが重なっていた。


「『三旧』でいいと思う?」


 エリオットが尋ねる。


 ユリウスが少し顔を近づける。


「三はかなり読める。でも旧の右側が薄い」


「俺も『旧』に見えるけど、確定扱いはしない方がいいな」


 シュウは昨日の記録へ追記した。


『「北部三旧」読取有力。ただし「旧」字一部薄れ。』


 年代も再確認したが、やはり年号の前半は欠けている。


 末尾だけを根拠に百六十年前と確定することはできない。


「これ以上は今の状態じゃ増えないな」


 シュウが言う。


「うん。次へ行こう」


 ユリウスも同意し、二十二葉目を戻した。


     ◇


 二十三葉目は西側の倉庫記録だった。


 二十四葉目も北部とは関係がなく、中央林区へ補修用の板材と釘を支給した記録である。シュウたちは対象外であることだけを確認し、細かな転記はしなかった。


 二十五葉目で、再び北部が現れた。


『北一、春見後。灯一返し。油残り半。雨除布は続用。』


「返却記録?」


 エリオットが呟く。


 シュウは本文を読み直した。


 春の見分が終わったあと、灯一つを返す。


 油は半分残っている。


 雨除け布は継続使用。


 昨日確認した冬備えの記録では、北一へ灯二、油壺一、雨除布一が支給されていた。


「冬備えのやつと対応してる?」


「可能性はある」


 シュウは答えた。


「でも、同じ年か分からない」


 年記を見る。


 こちらも端が欠けており、下二桁の一部しか読めない。


 昨日の冬備え記録も完全な年記ではなかった。


「同じ冬に出した灯を春に返した、って考えたくなるけど……」


 エリオットが言うと、ユリウスが頷いた。


「今は『冬に支給する記録』と『春見後に返す記録』がそれぞれ存在する、まで」


「そうする」


 シュウはそのまま記録した。


『整理葉25:

北一、春見後。

灯一返却/油残り半/雨除布続用。

※既知の北一冬備支給との対応可能性あり。ただし同年・同一物品未確認。』


 重要なのは、使った物だけではない。


 余った油。


 返す灯。


 まだ使えるから残す雨除け布。


 物資が一方通行ではなく、状態を見ながら管理されている。


     ◇


 二十八葉目にも北部記録があった。


『北二区、春見後。白材一使わず。倉へ返す。導材残りは現場置き。次見まで。』


 シュウの視線が止まる。


 白材一を使わず返却。


 導材の残りは現場へ置き、次の見分まで保管。


「また使わなかった物だ」


 エリオットが言う。


「うん」


 昨日は白材四、導材一束、油布二を春前に支給する記録があった。


 今回の葉が同じ年かは分からない。


 同じ支給に対する返却記録かも分からない。


 それでも、北二区では春の見分に合わせて白材や導材を準備し、使用しなかったものを返したり、次回まで現場に残したりする運用が存在したことになる。


「白材って毎回使う前提じゃないんだな」


 シュウが小さく言う。


 ユリウスはすぐに補足した。


「少なくとも、この記録の白材一は使われてない」


「うん。全部に広げない」


 シュウは書き直す。


『北二区で、見分前に用意したとみられる白材が未使用のまま返却される例あり。導材残余は現場保管。』


 さらに、


『支給=使用確定ではない。』


 と書いた。


 この区別は大きい。


 これまで後世の研究書で「白材四」と見れば、その場所で白材四が使われたように感じていた。しかし支給台帳が記録しているのは、渡した数であって、実際に使用した数とは限らない。


(当たり前なのに、今までちゃんと分けてなかったな)


《帳面の目的が異なれば、同じ数字の意味も異なります》


(そうだな)


 白材四支給。


 白材四使用。


 白材四交換。


 すべて別の情報だ。


     ◇


 三十葉目は、少し変わった記録だった。


『北倉より北三区へ。小魔石二、灯一。夜見用。朝戻し。』


「夜見?」


 エリオットが首を傾げる。


 シュウも初めて見る言葉だった。


「夜の見分……かな」


「可能性はあるけど、用語確認した方がいい」


 ユリウスが言う。


「うん」


 ここで意味を固定しない。


 ただ、夜見用として小魔石二つと灯一つが北倉から北三区へ出され、朝に戻すと記されている。


「小魔石、戻すんだ」


 シュウが言う。


「消耗品じゃない使い方もあった?」


 エリオットが尋ねる。


「この二個については、朝戻す予定だったってことしか分からない」


「シュウ、かなり強くなったね」


「何が?」


「決めない力」


「能力みたいに言うな」


 ユリウスが珍しく肩を揺らして笑っている。


 シュウは少し不満そうにしながらも、記録を続けた。


『整理葉30:

北倉→北三区。

小魔石二/灯一。

「夜見用」。

朝戻し。

※夜見の意味未確認。

※小魔石は少なくとも本記録では返却予定品。消耗用途とは限らない。』


 小型魔石の用途候補が一つ増えたわけではない。


 むしろ、「使い切るものとは限らない」という性質が見えただけだ。


 それでも十分だった。


     ◇


 三十二葉目には、北部第二地区への補修板と雨除布の支給が記されていた。


 三十三葉目は判読しづらく、北という文字だけは見えるものの、他が崩れているため詳細対象から外した。


 三十四葉目。


『北一、秋見後。白材二余り。北倉へ。導材は替えず。灯一現場残し。冬備へ回す。』


 三人はしばらく黙って読んだ。


「また余り」


 エリオットが先に言った。


「それと、導材は替えず」


 ユリウスが指で追わず、視線だけで文字を確認する。


「灯は返さず冬備えに回す」


 シュウは一つずつ意味を分けて記録した。


 秋の見分が終わった。


 白材二つは余ったため北倉へ戻す。


 導材は交換しない。


 灯一つは現場に残し、そのまま冬の備えへ回す。


 これまで見つかった記録と合わせると、少しずつ季節の流れが見えてくる。


 春前に物資を出す。


 春の見分が終われば、不要な物を戻す。


 秋にも見分がある。


 使わない資材は戻す。


 冬に必要な物は、そのまま現場へ残す場合がある。


 ただし、これが毎年、すべての旧所で同じように行われたとは限らない。


「これ、年単位の循環みたいに見えるね」


 エリオットが言った。


「見える。でもまだ断片だけ」


 シュウは答えながらも、その感覚には同意していた。


 北の仕事は、一度何かを直して終わるものではなかったのかもしれない。


 季節ごとに状態を見て、必要なら使い、必要なければ戻し、次の季節に備える。


 そんな繰り返しだった可能性がある。


     ◇


 三十六葉目は、今回の閲覧で最も文字が多く残っている北部関連記録だった。


『北部巡見用。札十二、記筆四、灯二、小魔石二、縄二、油布四。春組六、秋組六。灯と石は各見後に北倉へ返す。札は役所へ。記筆残りは次へ回す。』


 シュウは読み終えたあと、すぐに筆を動かさなかった。


 ユリウスも同じだった。


「春組六、秋組六」


 エリオットがゆっくり読み上げる。


「人の数?」


「分からない」


 シュウは首を横へ振った。


「札の数かもしれないし、巡見の班かもしれない。『組』が何を数えてるか確認しないと」


「でも春と秋は分かれてる」


「それは書いてある」


 小魔石二。


 灯二。


 それらは見分後に北倉へ返却。


 札は役所へ。


 記筆の残りは次回へ回す。


 ここまで来ると、支給台帳が単なる「何を渡したか」の記録ではなく、使用後の行先まで管理していたことがよく分かる。


「小魔石、また返却だね」


 ユリウスが言う。


「うん。少なくとも二つ目の例」


「夜見だけじゃない」


「こっちは巡見用って書いてある」


 シュウは慎重に書き込む。


『小魔石:

整理葉13=北二区?秋見?小魔石三。用途不明。

整理葉30=北三区、夜見用、小魔石二+灯一、朝戻し。

整理葉36=北部巡見用、小魔石二+灯二、各見後北倉返却。

→ 少なくとも一部の小魔石は巡見時に貸し出し・返却される備品だった可能性。

→ 保持材への消費・充填用途のみとは考えない。

→ 具体的機能未確定。』


 エルド・マルセルが挙げていた複数候補のうち、何か一つを選べる段階ではない。


 しかし、「小型魔石が北部へ支給された」という情報だけを見るより、返却される物だったという情報は用途を考える上で重要だった。


「先生に聞いたら、小魔石の一般的な巡見用途って分かるかな」


 エリオットが言う。


「聞くのはあり。でも先に図書館で一般用例を調べてもいいかも」


「また資料増える?」


「一冊か二冊で止める」


「先に言った」


「俺だって学習するからな」


     ◇


 三十八葉目まで確認したところで、通常閲覧できる範囲のうち、今日進められるところまでは十分に読めていた。


 残りには、昨日から数えてまだいくつか通常閲覧可能な葉がある。しかし閉館までの時間を考えれば、無理に進める必要はない。


 シュウは時計を確認した。


「今日はここまでにする」


「あと何葉?」


 エリオットが尋ねる。


「通常閲覧できるのはまだ残ってる。でも今日の分を整理したい」


 ユリウスも頷く。


「特に返却記録。支給数と使用数を分ける必要が出てきた」


「うん」


 三人はマティアスを呼び、閲覧終了を伝えた。


 保存箱へ戻す前に、シュウは三十六葉目をもう一度だけ見た。


 札。


 筆。


 灯。


 小魔石。


 縄。


 油布。


 それらを春と秋の巡見へ用意し、使ったあとにはそれぞれ別の場所へ戻す。


 秘密の儀式というより、組織だった仕事の備品管理に見える。


 少なくとも、この紙葉だけを読むなら。


     ◇


 資料を片づけたマティアスは、シュウのノートの量を見て少し笑った。


「昨日より増えましたね」


「今日は返却の記録が多くて」


「支給台帳という名前でも、返却や残数を書くことは珍しくありません」


「やっぱりそうなんですか?」


「物資を管理するなら、出した数だけでは帳尻が合いませんからね。ただし、この台帳の方式が当時の林区全体で統一されていたかは別問題です」


「分かりました」


 シュウはすぐ、その注意も書き留めた。


「あと、『夜見』って一般的な言葉ですか?」


「地域や年代によります。夜間巡検の略称として使われた例はありますが、この資料でも同じ意味とは限りません」


「じゃあ保留にします」


「それがよいでしょう」


 マティアスは保存箱の蓋を閉じながら続けた。


「資料の言葉は、意味が分かりそうなときほど注意してください。まったく知らない言葉なら調べようと思えますが、知っている言葉に似ていると、そのまま現代の意味を当てはめてしまいますから」


「……『預かる』と同じですね」


「何か調べたのですか?」


「ちょっとだけ」


 シュウが笑うと、マティアスは深く追及しなかった。


     ◇


 図書館を出た頃には、雨雲のほとんどが東へ流れていた。


 濡れた石畳には夕方の空がぼんやり映り、通り過ぎる学生たちの靴音が普段より少しだけ湿って聞こえる。三人は寮へ戻る道をゆっくり歩きながら、今日の結果を口頭でも整理した。


「昨日は支給された物ばっかり目に入ってた」


 シュウが言う。


「今日は戻す方が多かったね」


 エリオットが応じる。


「正確には、今日見た北部関連葉に返却や継続使用の記録が多かった」


 ユリウスが補足する。


「そう、それ」


 シュウは笑いながら頷いた。


「白材を出した。導材を出した。小魔石を出した。それだけ見ると、全部使って何かやってたように感じるけど、実際には使わず戻してるものもある」


「現場に残すものもあった」


「うん。灯みたいに次の季節へ回すものもある」


 エリオットが少し考える。


「じゃあ、昔の記録で『白材四』ってあっても、四つ全部交換したとは限らない?」


「少なくとも支給記録ならそう。役務記録で『白材四』って書いてある場合は、その記録が何を数えてるか確認しないと駄目だと思う」


「同じ数字でも意味が違う」


「今日の授業みたいだな」


 入力条件が違えば、同じ術式でも結果の見え方が変わる。


 記録の目的が違えば、同じ「四」という数字でも、支給数なのか、使用数なのか、交換数なのかが変わる。


 シュウは、歴史資料を読むことが思っていた以上に魔法研究と似ている気がしていた。


     ◇


 夕食では、今日もダンとセシリアが続きを聞きたがった。


「で、秘密の封印道具は?」


 ダンが期待した顔で尋ねる。


「出てない」


「今日も!?」


「何で残念そうなんだよ」


「だって古い閉架資料だぞ。何か一個くらい、『触れるな』って書かれた黒い箱とか出てもいいだろ」


「支給台帳に黒い箱が挟まってたら図書館が大騒ぎだよ」


 エリオットが呆れたように返す。


 セシリアは笑いを堪えながらシュウを見る。


「今日は何が分かったんですか?」


「出した物より、戻した物が気になった」


「戻した物?」


「冬に使ったかもしれない灯を春に返したり、春の見分で使わなかった白材を倉庫へ戻したり、余った導材を次の見分まで現場に置いたりしてた」


 シュウは、同一年・同一物品か確認できていないものはその点も添えて説明した。


「あと、小型魔石を巡見用に出して、終わったら倉庫へ返す記録があった」


「魔石って使ったらなくなるんじゃないのか?」


 ダンが尋ねる。


「用途によるだろ。今回のは少なくとも返却する前提で貸し出されてる」


「何に使うんだ?」


「分からない」


「またそれか!」


「分からないものを分からないって言って何が悪い!」


 シュウが笑いながら言い返すと、ダンも笑った。


 セシリアは少し考えてから、手元のカップを置く。


「巡見で灯と一緒に持っていくなら、暗い場所で使う道具だった可能性もあるんでしょうか?」


「あるかもしれない。でも照明とは限らない。灯も別に出てるから」


「そうですね」


「測定かもしれないし、魔法を使うための補助かもしれないし、連絡用かもしれない。まだ候補のまま」


「それなら、一般的な巡見道具を調べると比較できそうですね」


「俺もそう思ってる」


 セシリアの言葉で、次に調べる方向が一つ自然に見えた。


 ただし、それを今日始める必要はない。


     ◇


 夕食後。


 シュウとエリオットが寮へ戻る一方で、ユリウスは第二男子寮へ向かう前に少しだけ図書館へ引き返した。


 閉館間際なので、新しい資料を読むつもりはない。


 受付にいたマティアスへ、確認したいことが一つあった。


「さっきの支給台帳について聞いてもいいですか?」


「内容によりますが、どうぞ」


「僕たち、北部の記録だけ詳しく取っています。でも南部や中央にも似た返却運用があるか確認した方がいいでしょうか」


 マティアスはすぐには答えず、少し考えた。


「目的次第ですね」


「北部の役務がどういうものだったかを見ています」


「なら、北部だけでも目的には合っています。ただし『北部特有の運用だった』と考えるなら、他地区との比較が必要です」


 ユリウスは頷いた。


 今日見た返却記録が、北部の特殊な仕事を示しているとは限らない。


 林区全体で普通に行われていた在庫管理かもしれない。


「今の段階で比較した方がいいですか?」


「まず北部を最後まで見てからでも遅くないでしょう。比較対象を増やしすぎると、何を調べているのか散らばります」


「分かりました」


 礼を言って図書館を出る。


 外はすでに薄暗くなっていた。


 ユリウスは第二男子寮へ向かいながら、今日のシュウの様子を思い返す。


 以前から、シュウは調べ物に真面目だった。


 ただ、最初の頃は何か一つ似たものを見つけるたび、その先へ進もうとする勢いの方が強かった。


 今は違う。


 似ている記録を見つけても止まる。


 使われなかった物に気づく。


 分からない言葉を、その場で意味づけしない。


 それは慎重になったというだけではなく、資料から自分の欲しい答えだけを拾わなくなってきたということなのだろう。


(事実の方が、こっちの予想に合わせてくれるわけじゃないから)


 ユリウス自身も、そこは忘れないようにしようと思った。


     ◇


 三百十七号室へ戻ったシュウは、今日の記録を整理していた。


 エリオットは向かい側で翌日の課題を進めている。


 机の上には北方調査ノートだけを置き、他の資料メモは必要なものだけ開いた。


『支給台帳・第二回閲覧』


『確認範囲:整理葉22再確認、23~38葉まで。』


『重要な追加認識:

支給数≠使用数。

支給された物が未使用返却される例あり。

余剰品を現場へ残し、次回へ回す例あり。

季節をまたいで継続使用する例あり。

返却先・保管先が物資ごとに異なる例あり。』


 続けて、北部関連の記録を整理する。


『北一:

冬備支給の既知葉あり。

春見後、灯一返却/油残り半/雨除布続用。

秋見後、白材二余り→北倉/導材替えず/灯一現場残し→冬備へ。

※各葉が同一年の連続記録とは未確認。』


『北二区:

春前支給:白材四/導材一束/油布二。

別葉で春見後:白材一未使用返却/導材残り現場置き→次見まで。

※同一年・同一支給分か未確認。』


『北三区:

秋前支給:白材二/導材一/補修板三/前年余り白材一→北倉。

別葉で夜見用:小魔石二/灯一→朝戻し。

※「夜見」意味未確定。』


『北部巡見用:

札十二/記筆四/灯二/小魔石二/縄二/油布四。

春組六/秋組六。

灯・小魔石→各見後北倉。

札→役所。

記筆残り→次回。

※「組」の対象未確認。』


 次に、仮説ではなく注意事項として書く。


『現時点で見える可能性:

北部役務は「必要な資材を毎回交換する」運用ではなく、見分結果に応じて使用/見送り/返却/現場保管/次季節転用を選ぶ運用を含んでいた可能性。』


『ただし、

・北部特有か未確認。

・全旧所共通か未確認。

・全期間共通か未確認。

・家資料の北方旧務との同一性未確認。』


 さらに小型魔石。


『小型魔石:

返却前提の巡見用品として扱われる例を複数確認。

→ 消費材とは限らない。

→ 保持への直接充填用途と決めない。

→ 夜見・巡見での具体的機能は未確認。』


 最後に、次回。


『第三回閲覧:

39葉以降の通常閲覧可能範囲を確認。

北部関連を優先。

返却記録だけを探さない。

既知語「保持」「継ぎ」「北務帳」を期待して読まない。

北部以外との比較は、北部確認完了後に必要性を判断。

保護板越し3葉については、通常葉確認後に閲覧価値を判断。』


 シュウはそこまで書いてから、筆を置いた。


「今日は終わり?」


 エリオットが尋ねる。


「終わり」


「一般的な巡見道具は?」


「明日以降」


「小魔石の用途は?」


「明日以降」


「『夜見』の意味は?」


「明日以降」


 エリオットは満足そうに頷いた。


「百パーセント維持」


「それを言わせるために質問しただろ」


「半分くらい」


「半分は本気だったのかよ」


 笑いながらノートを閉じる。


     ◇


 ベッドへ入る前、シュウはふと今日の記録を思い返した。


 古い北部の人々は、物を受け取るだけではなかった。


 使わなければ戻した。


 まだ使えるなら残した。


 次の季節に必要なら、そのまま現場へ置いた。


 巡見のために借りた灯や小型魔石は、仕事が終われば倉庫へ返した。


 その一つ一つは、特別な秘密とは程遠い。


 けれど、だからこそ現実味がある。


(北方旧務も、こういう仕事の積み重ねだったのかな)


 答えはまだ出ない。


 家の記録に残された「北方旧務」が、ローデル北部で行われていた仕事と同じものかどうかさえ分からない。


 前役家も分からない。


 「預かる」の範囲も分からない。


 「別記」が北務帳なのかも分からない。


 それでも、役務という言葉の向こう側にいた人々が、少しずつ見えるようになってきた気がする。


《マスター》


(何だよ)


《物資を使わず返却するという発想について、旧設定にも類似する制度がございます》


(絶対ろくでもない)


《暗黒帝国軍では、最終決戦用に配備された神器を使用しなかった場合、帝都地下第九十九宝物庫へ返納する規則が――》


(珍しくまともじゃん)


《返納理由書には最低十二万文字を要求しておりました》


(長すぎる!)


《「なぜ世界を滅ぼすほどの神器を使用しなかったのか、己の覚悟の不足を含めて詳細に記せ」と》


(使わない方がいいだろ、そんな神器!)


 向かいのベッドからエリオットが笑いを堪えるような声を漏らした。


「今日は何を返すの?」


「世界を滅ぼす神器」


「返した方がいいね」


「俺もそう思う」


《なお返却時、宝物庫の管理官との一騎打ちに勝利する必要が――》


(返却させる気ある!?)


 シュウは枕へ顔を埋めた。


 中学生だった自分に物資管理を任せてはいけない。


 百六十年以上前のローデル林区で働いていた人々の方が、間違いなく堅実だった。


 必要な物を用意する。


 使わなければ戻す。


 残りは次へ回す。


 状態を見て交換を見送る。


 必要なら再び支給する。


 そうして残された地味な数字と短い記録が、今になって当時の仕事の形を伝えている。


 支給台帳の残りは、まだある。


 そこに何が書かれているかは分からない。


 けれど次に読むときも、欲しい答えを探すのではなく、その紙に実際に残っている仕事を読む。


 シュウはそう決めると、今夜はそれ以上北の森について考え続けることなく目を閉じた。

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