第59話 支給台帳を見る理由を、ようやく先生へ説明できました
翌朝、三百十七号室の窓を開けると、冷たい風が机の上の紙を小さく揺らした。
昨日までより少し気温が下がっている。
雲は少ないものの、朝の空気には季節が進んだことを感じさせる冷たさがあり、シュウは窓を半分ほど閉めてから制服の上着を羽織った。
体調に問題はない。
漆黒魔力にも、自覚できる変化はない。
北の森から新しい連絡も届いていない。
家族が確認してくれた範囲では二度目の鐘もなく、古い小屋の外観にも変化はない。地下へは入らないという約束も守られている。
つまり、急ぐ理由はない。
それでも机の上には、昨夜整理した北方調査ノートがある。
フェルド・ミール旧蔵の北部役務関係写し。
北方地方史料整理室の旧目録。
北務帳。
アルヴェイン家に残る『旧務雑録』。
そして、まだ閲覧申請を出していない『旧ローデル林区支給台帳・残巻』。
調べられるものは増えていた。
だからこそ、今日は何をするかを先に決める。
(支給台帳の目的を先生に相談する)
《昨夜の整理通りでございますね》
(うん。署名をもらうかどうかは、そのあと)
《適切かと》
シュウは北方調査ノートを鞄へ入れた。
資料そのものを見せるつもりはない。
ただ、申請理由を説明するために、これまで確認した公開資料の名称と、何を見たいのかを整理した頁は必要になる。
「今日は持っていくんだ」
エリオットが気づいた。
「うん。支給台帳のこと、先生に相談しようと思って」
「オルド先生?」
「たぶん。歴史資料として何を確認したいか説明するなら、一番いいかなって」
「『預かる』も聞く?」
「時間があれば。でも、そっちは昨日までに一般用例をかなり調べてるから、まず支給台帳」
エリオットは頷いた。
「百パーセント維持」
「もう挨拶みたいになってるぞ、それ」
「おはよう、みたいな?」
「軽すぎる!」
朝から笑い合い、二人は部屋を出た。
◇
午前最初の授業は魔法史だった。
担当はオルド・カーヴェル。
昨日も写本と転記について彼の授業を受けたばかりだが、今日は魔法施設と地方管理制度の変化が主題だった。
「古い魔法施設を調べる際、施設そのものの名称が記録に残っていない場合があります」
オルドは黒板へ、
『施設名』
『役務』
『物資』
『人員』
と四つの項目を書く。
「例えば、ある地方に結界施設が存在したとしましょう。しかし現存記録には『○○結界所』という施設名が一度も出てこない。その場合、存在を調べる方法がないでしょうか?」
一人の学生が手を挙げた。
「そこで働いていた人の記録を見る?」
「そうですね」
別の学生も続く。
「修理した記録とか?」
「それもあります」
オルドは頷き、黒板の「物資」へ線を引いた。
「施設を維持するには物が必要です。木材、石材、金属、魔石、照明、工具、食料。施設の用途によっては特殊な導材や術式部品も必要になります」
シュウの意識が自然と集中した。
「したがって、施設名が残っていなくても、支給記録や倉庫記録から活動の継続を推定できる場合があります」
(支給台帳)
まさに今日相談しようとしていた資料だ。
「ただし」
オルドはそこで言葉を切った。
「物資が一致したから、施設も同じだと決めてはいけません」
黒板へ二つの架空施設を書く。
『北橋詰所――灯油、木材、鉄具、小魔石』
『西水門――灯油、木材、鉄具、小魔石』
「共通する物資は多いですね。しかし用途は違います。小魔石一つ取っても、照明、通信、術式補助、測定、緊急用の予備など、複数の用途が考えられます」
シュウはノートへ書き込む。
すでにエルド・マルセルの研究書でも似た注意を確認している。
北部の保持施設で使われた小型魔石について、保持材への充填、術式起動補助、一時的な魔力供給、状態確認用の基準魔力など、複数の用途が考えられていた。
用途は決まっていない。
「では支給記録は役に立たないのか。そうではありません」
オルドは黒板へ新たな言葉を書いた。
『組合せ』
『頻度』
『時期』
『行先』
「単品では広い用途を持つ物資でも、何と一緒に、どのくらいの頻度で、いつ、どこへ送られたかを見ると、活動の特徴が見える場合があります」
白材だけを見るのではない。
小魔石だけを見るのでもない。
導線材だけを見るのでもない。
巡検用品。
補修材。
倉庫移送。
季節。
行先。
それらがどのような組み合わせで現れるか。
(これだ)
シュウが支給台帳を見たい理由は、ハーゼン家やアルヴェイン家の名前を探すためではない。
北部で何が支給され、どの仕事が継続していたかを見るためだ。
以前より、その目的を明確に言葉へできる気がした。
◇
授業後、シュウはすぐオルドを追いかけなかった。
次の授業がある。
教師にも移動や準備がある。
昼休みに短く時間をもらえるか確認することにし、まず教室を出た。
「今の授業、完全に支給台帳だったね」
エリオットが隣を歩きながら言う。
「うん。俺も思った」
「また偶然?」
「学院が俺の調査予定を把握してる説は却下」
「まだ言ってないよ」
「顔に書いてあった」
「シュウも人の顔読めるようになったんだ」
「失礼だな」
少し前を歩いていたユリウスが振り返る。
「支給台帳の申請、する?」
「まず先生に相談する。今の授業聞いて、何を見たいかは前より説明できそう」
「名前じゃなくて、物資の組み合わせ?」
「それと頻度、時期、行先。残ってる断片でどこまで分かるかは別だけど」
ユリウスは頷いた。
「目的としてはかなり絞れたと思う」
◇
昼休み前、シュウはオルドへ声を掛けた。
「先生、少し相談したいことがあるんですけど、昼休みに時間ありますか?」
「内容は?」
「図書館の閉架資料を閲覧申請するか迷っていて、調査目的が妥当か確認してほしいんです」
オルドは一瞬シュウを見る。
「資料名は?」
「『旧ローデル林区支給台帳・残巻』です」
その名前を聞いても、オルドの表情は大きく変わらなかった。
「分かりました。昼食後、歴史資料準備室へ来てください。十分か十五分ほどなら時間を取れます」
「ありがとうございます」
「ただし、署名をするかは話を聞いてからです」
「はい。そのつもりです」
シュウは頭を下げた。
◇
昼食では五人が揃った。
今日は午後に相談があるため、シュウは北方調査の話を長くしなかった。
「先生に相談することになった」
「署名もらうの?」
ダンが尋ねる。
「まだ分からない。目的聞いてもらって、駄目なら直す」
「閉架資料って、そんなに大変なのか?」
「今回のは状態があまりよくないらしい」
ユリウスが答える。
「残巻で、日付のない紙も混ざってる。だから教師の署名が必要なんだと思う」
「破いたら大変ってことか」
「それもあるだろうけど、資料の読み方も難しいんじゃないかな」
シュウが言う。
索引情報によれば、『旧ローデル林区支給台帳・残巻』の主要な残存部分は、およそ百六十八年前から百五十七年前。
建築補修材。
照明器具。
魔石。
導線材。
巡検用品。
倉庫間移送。
そうした項目が含まれる可能性がある。
一部には管理区や役所、担当者名が記されているかもしれないが、人名索引はない。
「シュウ君は、その資料で何を見たいんですか?」
セシリアが尋ねた。
「北部の仕事がどう続いてたか」
「家名ではなく?」
「うん。ハーゼンとかアルヴェインが出る可能性はゼロじゃないけど、それを探すのが目的じゃない」
シュウは少し考えてから説明した。
「今までの資料だと、北部では保持材、導線材、小型魔石、巡検用品、建物補修なんかが出てる。でも別々の研究書とか抄録から拾ってるから、同じ時期に同じ場所へ、どんな組み合わせで支給されてたかは分からない」
「台帳なら分かるかもしれない?」
「残ってれば。ただ、残巻だから期待しすぎないようにする」
セシリアは納得したように頷いた。
「それなら、今日の授業とも合いますね」
「うん」
ダンが料理を食べながら首を傾げる。
「もしハーゼンって名前が出たら?」
「記録する」
「アルヴェインは?」
「記録する」
「それだけ?」
「それだけ。出たからって前役家だとは決めない」
「徹底してるな」
ダンは感心したように言った。
「ここまでやって間違えたら嫌だからな」
「それは分かる」
◇
昼食後。
シュウは一人で歴史資料準備室へ向かった。
エリオットやユリウスも一緒に行こうとはしなかった。
申請するのはシュウだ。
教師へ説明するのもシュウ自身である。
準備室の扉を叩くと、オルドの声が返ってきた。
「どうぞ」
「失礼します」
中には書架と大きな机があり、授業用の複製資料や地図が整理されている。
オルドは机の一角を空けていた。
「座ってください」
「はい」
「では、まず確認しましょう。『旧ローデル林区支給台帳・残巻』を知った経緯から」
シュウは北方調査ノートを開いた。
ただし、家の地下やアルカディアについて話す必要はない。
公開資料を調べることになった経緯を中心に説明する。
「実家の北側に古い管理小屋があって、その周辺の古い管理記録を調べています。家にも昔の記録が少し残ってるんですけど、それだけだと分からないことが多くて」
「管理小屋の年代は?」
「今ある小屋は、およそ百八十年前に建てられたと家の記録にあります。ただ、その場所にはそれ以前から何か管理対象があった可能性があります」
「可能性、ですね」
「はい。そこは確定してません」
オルドが頷く。
「続けてください」
「学院でローデル北部の役務記録や、北部保持材に関する後世の研究を読んで、北部の旧所では巡検、建物補修、保持材や導線材の交換、資材の受け取りや返却みたいな仕事があったことは分かってきました」
「それで支給台帳へ?」
「はい」
「何を確認したいのですか?」
シュウは一度息を整えた。
ここが一番大事だった。
「人名を探したいわけじゃありません」
オルドの視線が僅かに鋭くなる。
「では?」
「主要な残存部分がおよそ百六十八年前から百五十七年前だと索引で確認しました。その時期に、北部の旧所とか管理区へ何が支給されていたのかを見たいです」
「具体的には?」
「保持用らしい白材、小型魔石、導線材、巡検用品、建物補修材。単品じゃなくて、同じ時期や同じ行先でどう組み合わされてるか。それと、季節ごとの支給があるか、倉庫間移送がどうなってるかです」
オルドはすぐには答えなかった。
「なぜその組み合わせを?」
「今まで読んだ北部役務の記録で、そういうものが出てきたからです。ただ、資料が後世の抄録や研究書で、同じ元資料から引用してるものもありました」
「なるほど」
「だから、支給台帳の残巻に別の記録として残っていれば、少なくとも当時どんな維持作業が行われていたかを別の方向から見られるかもしれないと思ってます」
オルドは腕を組んだ。
「『別の記録として』という部分には注意が必要です」
「はい」
「支給台帳自体が、あなたの読んだ後世資料の原資料として利用されている可能性は確認しましたか?」
シュウは一瞬黙った。
「……してません」
「では、独立した資料になるとはまだ決めない方がいいでしょう」
「はい」
昨日まで学んできたことが、そのまま返ってきた。
シュウはノートへ短く書き加える。
『支給台帳が既読研究の引用元でないか確認。』
「ですが」
オルドは続けた。
「閲覧目的としては妥当です」
シュウが顔を上げる。
「本当ですか?」
「家名を探すために残巻を一枚ずつめくる、という話なら私は署名しませんでした」
「……危なかった」
「以前のあなたなら、そう言ったかもしれませんか?」
少しだけ笑みを含んだ問いだった。
シュウは正直に答える。
「たぶん」
「今は違う?」
「名前が出ても、それだけじゃ何も決まらないって分かったので」
「それなら結構です」
オルドは机の引き出しから閲覧申請用紙を取り出した。
「ただし、署名の前にもう少し詰めます」
「はい」
◇
申請用紙の「閲覧目的」欄を前に、オルドはシュウへ自分で書くよう求めた。
シュウは少し考え、
『旧ローデル林区における北部役務の維持内容を、支給物資・支給時期・行先・倉庫移送記録から確認するため。』
と書いた。
オルドが読む。
「悪くありません。ただ、『北部役務の維持内容』では少し広いですね」
「もっと絞った方がいいですか?」
「この残巻だけで役務全体を復元できるとは限りません。あなたが実際に確認できるのは、物資支給から見える活動の一部でしょう」
シュウは頷き、書き直す。
『旧ローデル林区の北部関連記録について、支給物資の組合せ・時期・行先・倉庫移送を確認し、当時行われていた維持活動の一部を検討するため。』
「こちらの方がいいでしょう」
オルドは頷いた。
「次に、見る項目を先に決めてください」
シュウは別紙へ整理する。
一、記録年代。日付欠損時は無理に補わない。
二、支給元。
三、支給先。旧所名、管理区、役所名。
四、物資名。
五、数量。
六、同時に支給される物資の組合せ。
七、季節・時期。
八、倉庫間移送。
九、担当者名があれば記録。ただし家名探しを主目的にしない。
十、欠損・判読不能箇所は推測で埋めない。
「いいですね」
オルドは紙を見る。
「もう一つ加えてください」
「何ですか?」
「その記録が原記録なのか、後世の転記なのか。残巻という名称でも、すべてが同時代原本とは限りません」
「分かりました」
十一番目へ書き加える。
『十一、各葉の資料形態。原記録/写し/転記の別が分かる場合のみ記録。』
「これで十分でしょう」
オルドは申請用紙を手元へ引き寄せた。
署名欄へペンを走らせる。
シュウはその様子を見ながら、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。
ようやく。
以前から候補に挙がっていた資料を、正式に閲覧できるところまで来た。
しかし、今すぐ答えが出るわけではない。
そのことも分かっている。
「署名しました」
「ありがとうございます」
「ただし、資料の状態によっては閲覧できる範囲が制限されます。また、担当司書の指示には必ず従うこと」
「はい」
「それから」
オルドがシュウを見る。
「何も見つからなくても、それは失敗ではありません」
シュウは一瞬黙った。
「……はい」
「あなたの仮説に合う物資がなかった場合も、資料が欠損しているだけかもしれない。逆に、似た物資が見つかっても、用途が同じとは限らない。どちらも覚えておいてください」
「分かりました」
シュウは署名済みの申請書を受け取った。
◇
「先生、もう一つだけ聞いてもいいですか?」
「時間は少しあります。どうぞ」
シュウは迷った末、昨夜考えていた質問を口にした。
「古い家の記録で、『ある役務を預かる』って書き方があった場合、『預かる』だけで一時的な代行とか、逆に正式な継承って判断できますか?」
オルドはすぐ首を横へ振った。
「できません」
「やっぱり」
「前後の文脈、文書種別、年代、地域によります。『預かる』は一時的な管理にも使われますし、長期間の役務担当にも使われます。家によっては数代にわたる職務を『預かる』と表現した例もあります」
「所有とは別?」
「別の場合が多いですが、必ず別とも言い切れません。土地、施設、役職、帳簿、鍵、徴収権、管理責任。何を預かるのかで意味が変わります」
昨日まで調べた用例と一致する。
「じゃあ、その言葉だけで『正式に引き継いだ』とは言えない」
「言わない方がいいでしょう」
「『前役家の残す定めに従い、当家これを預かる』みたいな文なら?」
口にしたあと、シュウは少しだけ緊張した。
家資料の一部を、そのまま示した。
オルドはすぐに答えず、言葉を確認するように繰り返す。
「『前役家の残す定めに従い、当家これを預かる』」
「はい」
「文脈なしで言える範囲は非常に狭いです」
「どこまでですか?」
「少なくとも、その書き手が『前役家』と呼ぶ先行する担当主体を認識しており、何らかの『定め』を参照し、自家が何かを『預かる』と記している。それだけです」
シュウは黙って聞く。
「前役家から直接受け渡されたとは限りません。第三者を介している可能性もあります。前役家が直前の担当家だったとも限らない。『定め』が前役家自身の作成した規則なのか、さらに古いものを前役家が残しただけなのかも分かりません」
「……そこまで分けるんだ」
「歴史資料を読むなら、分けます」
オルドは穏やかに答えた。
「そして『これ』が何を指すかも、前文がなければ分かりません。役務全体かもしれない。施設かもしれない。帳面や鍵かもしれない。特定の季節作業だけかもしれない」
シュウの頭に、これまでの整理が一気に並んだ。
北方旧務。
春見分。
秋見分。
別記。
白――の改め。
継ぎ。
「前後には役務名があります」
「それなら対象が役務である可能性は上がります。しかし、役務の範囲までは別途確認が必要でしょう」
「分かりました」
答えが出たわけではない。
それでも、重要なことを確認できた。
「前役家」という言葉から、直前の一つの家を自動的に想定しない。
「残す定め」から、前役家が制度を作ったと決めない。
「預かる」から、正式継承や一時代行のどちらかへ固定しない。
そして「これ」が北方旧務全体を指すかも、文法と周辺文脈を見直す必要がある。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
オルドはそこで少しだけ表情を緩めた。
「最初に答えを決めてから資料を探していないのは、良いことです」
「前はやりそうでした」
「今後もやらないとは限りません」
「先生までエリオットみたいなこと言う……」
「ファレン君が何を言っているかは知りませんが、研究では誰でもやります。だから手順を作るんです」
その言葉に、シュウは笑いながら頷いた。
◇
午後の授業が終わると、シュウは図書館へ向かった。
今日はユリウスとエリオットも一緒だった。
「署名もらえたんだ」
エリオットが申請書を見る。
「うん」
「じゃあ今日見る?」
「申請だけ出す。閲覧できるかは司書さん次第だし」
「百パーセント維持」
「もう好きにして」
図書館の受付でマティアスへ申請書を渡す。
彼は資料名、署名、閲覧目的を一つずつ確認した。
「『旧ローデル林区支給台帳・残巻』ですね」
「はい」
「状態確認が必要ですので、今日すぐの閲覧はできません」
「分かりました」
「閉架担当が各葉の状態を確認し、閲覧可能部分を分けます。早ければ明日、状態によっては数日かかります」
「急ぎません」
マティアスが一瞬シュウを見る。
「以前より、その言葉が自然になりましたね」
「前はそんなに急いでました?」
「資料を探している学生としては普通の範囲でしたが、見つけたものをすぐ読みたそうにはしていました」
「……否定できない」
ユリウスが隣で僅かに笑う。
「閲覧準備が整えば知らせます。それまでは別の資料を増やしすぎないことをおすすめします」
「はい」
申請はそれで終わった。
今日は支給台帳を見ない。
新しい北務帳資料も探さない。
フェルド・ミール旧蔵写しの大学側目録も開かない。
三人はそのまま図書館を出た。
◇
「早い」
外へ出たところでエリオットが言った。
「何が?」
「図書館滞在時間」
「申請出しただけだからな」
「何か読んでいくと思った」
「マティアスさんにも増やしすぎるなって言われたし」
ユリウスが頷く。
「支給台帳を見る前に別の情報を大量に入れると、何を確認したかったか分からなくなる可能性もある」
「だから今日は終わり」
シュウが言うと、エリオットが笑った。
「百パーセント――」
「維持だろ!」
「先に言われた」
◇
夕食では、ダンが申請の結果を聞きたがった。
「見られた?」
「まだ。状態確認してから」
「いつ?」
「早ければ明日。数日かかるかもしれないって」
「待つの?」
「待つよ」
ダンが何とも言えない顔をする。
「何だよ」
「いや、普通だなと思って」
「待て。俺は今までどんな人間だと思われてた?」
「気になったらその日に全部調べる人?」
「そこまでじゃない!」
セシリアが控えめに視線を逸らした。
「セシリア?」
「……少しだけ、その印象はありました」
「ユリウス」
「否定はしない」
「エリオット!」
「百パーセント」
「答えになってない!」
食卓に笑いが広がった。
◇
その夜。
シュウは北方調査ノートへ、今日の重要事項を整理した。
『『旧ローデル林区支給台帳・残巻』閲覧申請済み。オルド先生署名。現在、閉架側で状態確認待ち。』
『閲覧目的:
旧ローデル林区の北部関連記録について、支給物資の組合せ・時期・行先・倉庫移送を確認し、当時行われていた維持活動の一部を検討する。』
『確認項目:
年代/支給元/支給先/物資名/数量/組合せ/季節/倉庫移送/担当者名があれば記録/欠損は補わない/資料形態。』
『注意:
・支給台帳が既読後世資料の引用元である可能性を確認。
・同じ物資=同じ用途ではない。
・同じ組合せ=同じ施設とは限らない。
・名前が出ても前役家・直接継承の証拠とはしない。
・何も見つからなくても、欠損資料のため不存在とはしない。』
次に、オルドへ聞いた「預かる」の話をまとめる。
『家資料:
「北方旧務、前役家の残す定めに従い、当家これを預かる。」』
『オルド先生から確認した一般的読み:
・「預かる」だけで一時代行/正式継承/恒久担当を決められない。
・前役家=直前の一つの家とは限らない。
・前役家からアルヴェイン家へ直接受渡しされたとは限らない。
・「残す定め」=前役家自身が制定したとは限らない。
・「これ」の対象範囲は前後文脈要確認。
・役務名が前にあれば役務を指す可能性は上がるが、役務全体か一部かは未確定。』
最後に大きく書く。
『前役家=ハーゼン家、依然未確定。』
『ハーゼン→アルヴェイン直接継承、依然未確定。』
シュウはそこまで書き終えると、筆を置いた。
(今日はちゃんと進んだ気がする)
《はい。新しい事実を大量に増やしたわけではございませんが、次の資料を読むための条件が明確になりました》
(こういう進み方もあるんだな)
《調査とは必ずしも、新情報を得ることだけではございません》
アルカディアの言葉は珍しく素直だった。
シュウはノートを閉じようとする。
《ところでマスター》
(……今ので終われば格好よかったのに)
《「閲覧許可」に関連する旧設定がございます》
(聞きたくない)
《かつて暗黒帝国には、マスターの私室へ入るためだけに七十二段階の許可制度が――》
(多すぎる!)
《第一段階、外城門通過許可。第二段階、暗黒回廊進入許可。第三段階――》
(部屋まで何日かかるんだよ!)
《最終段階は「我と対面する覚悟を世界そのものに承認させる」》
(世界を受付にするな!)
シュウは額を押さえた。
向かいで課題をしていたエリオットが顔を上げる。
「今日は何?」
「昔の俺の部屋に入るのに七十二段階の許可が必要だったらしい」
「シュウ、一人暮らし向いてなさそうだね」
「そこ!?」
「誰も遊びに来られないでしょ」
「確かに……」
《なお、許可なく侵入した者は存在ごと――》
(続きを言うな)
これ以上聞けば、確実にろくでもない。
シュウはアルカディアを無視し、明日の授業の準備を始めた。
閉架資料の閲覧には許可がいる。
けれど、それは古い資料を守り、読む側にも目的を確認させるための現実的な手順だ。
七十二段階も必要ない。
世界から承認を受ける必要もない。
教師へ何を知りたいか説明し、その目的に必要な範囲を決める。
それだけでいい。
明日、支給台帳を見られるかもしれない。
数日後になるかもしれない。
どちらでも構わない。
百六十八年ほど前から百五十七年ほど前。
その時期に北部へ何が運ばれ、何が交換され、何が返されていたのか。
そこから見えるのは、前役家の名前ではないかもしれない。
アルヴェイン家の名前すら、一度も出ないかもしれない。
それでも構わない。
知りたいのは、名前に先立って存在した仕事の形だ。
誰かが春に見分を行い、何かが減れば記録を分け、必要なら資材を交換し、継ぎの前後を確かめ、また次の季節まで管理を続けていた。
その仕事がどのような物資によって支えられていたのか。
もし残巻の中にその痕跡が残っているなら、北方旧務の輪郭を考える材料になる。
そして何も残っていなければ、それもまた今ある資料の限界として記録すればいい。
シュウは机の端へ申請控えを置き、北方調査ノートを棚へ戻した。
答えを見つけるためではなく、何を確かめたいのかを説明するために時間を使った一日。
以前の自分なら遠回りだと思ったかもしれない。
今は、その遠回りこそが、間違った答えへ急いで辿り着かないための一番短い道なのだと、少しずつ分かり始めていた。




