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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第48話 保持材の交換だけでは、継ぎとは呼ばれていませんでした



 翌朝、王立魔法学院の上空には薄い雲が広がっていたものの、雨が降り出す気配はなかった。前日に濡れていた中庭の石畳もほとんど乾き、第一男子寮を出た学生たちの足音が、朝のまだ涼しい空気の中へ軽く響いている。


 シュウはエリオットと並んで中央講義棟へ向かいながら、鞄の中に入れた北方調査ノートの感触を確かめた。家から届いた二通目の手紙は寮の机へ置いてきており、持っているのは昨夜整理した事実だけである。


「今日はユリウスに話すんだよね?」


「うん。家の手紙そのものを見せるつもりはないけど、調査に関係するところは伝える。特に『継ぎ』の記録は、ユリウスも知ってた方がいいと思う」


 エリオットは頷きながら、朝の光を反射している校舎の窓へ一度視線を向けた。


「その後は図書館?」


「授業が終わってから、『北部保持材研究録』の続きを読むつもり。昨日は行かなかったし、今日はちゃんと時間もあるから」


「閉館ぎりぎりまで粘らないなら反対しない」


「だから何で許可制みたいになってるんだよ」


「シュウが自分で止まれるようになるまで?」


「昨日は止まっただろ」


「昨日は家から手紙が来たから、別のものを読んでただけじゃない?」


 言われてみれば、その通りだった。


 シュウが反論できずにいると、アルカディアが静かな声で割り込んでくる。


《エリオット様の分析は妥当です》


(お前までそっちに行くな)


《私は常に事実の側におります》


(ユリウスみたいなこと言い始めたな)


《では、「真実を見抜く漆黒の観測者」と名乗りましょうか》


(朝から増やすな!)


 思わず眉間を押さえたシュウを見て、エリオットが不思議そうに首を傾げた。


「どうしたの?」


「昔の俺に頭を殴られた気がしただけ」


「……朝から?」


「朝だからこそ辛いんだよ」


 意味が分からないという顔をされながらも、二人はそのまま講義棟へ入った。


     ◇


 午前の基礎実技では、前回に続いて魔力出力の段階調整が行われた。


 ただし今回は《微灯》だけではなく、一定量の魔力を小型の練習晶へ送り込み、指定された範囲を維持してから徐々に出力を下げるという課題だった。魔法として外へ現象を起こすより変化が見えにくいため、学生たちは机の上に置かれた簡易目盛器を確認しながら慎重に操作している。


 担当のミレイ・アスターは教室前方に立ち、練習晶へ手を伸ばした学生たちを見回した。


「今日の目的は、大きな魔力を流すことではありません。一定量を保ち、必要なところで下げ、最後に供給を終えることです。目盛りを追うことだけに集中すると、自分の中の感覚が置き去りになりますから、数値と感覚の両方を確認してください」


 シュウの前に置かれた練習晶は、透明な拳大の結晶だった。接続された目盛器には十段階の線があり、最初の課題では四付近まで上げて十呼吸ほど維持し、その後三、二、一と段階的に下げて停止する。


(四まで上げて維持。そこから一気に落とさない)


 手のひらを近づけ、通常魔力を流す。


 目盛りは一、二と上がり、三を越えたところで少し速度を緩めた。四の線へ達したところで押し込む感覚を止めるのではなく、同じ幅を保つよう意識すると、針は小さく揺れながらも指定範囲から外れずに留まった。


 十呼吸。


 そこから少しずつ供給を弱める。


 前に《微灯》で練習したときより、変化そのものを意識しやすかった。


(四から三。三から二……)


《現在、下降幅は概ね一定です》


(分かってる。今は言わなくていい)


《承知しました》


 最後に一へ落とし、供給を止める。


 針は僅かに揺れたあと、零へ戻った。


 ミレイが横から目盛器を確認する。


「最後だけ少し急ぎましたね」


「はい。止めるところで、一気に切ろうとしました」


「自分で分かっているなら、次は最後の一から零も一つの変化として扱ってみてください。停止だけ特別な操作だと思わない方が、アルヴェイン君には合うかもしれません」


「停止も変化の一部……」


「ええ。もちろん、危険時には即座に切る必要があります。ただ、通常の制御では、始動、維持、増減、停止を別々の技術として切り離しすぎない方がいい場合もあります」


 シュウはその説明を頭の中で反芻した。


 始める。


 保つ。


 変える。


 終える。


 それぞれは別の操作でありながら、一つの流れでもある。


(何か最近、こういう話が多いな)


《マスターが過程へ注目できるようになったため、以前なら聞き流していた内容を認識している可能性もございます》


(……それはありそう)


 二回目では、最後の停止も含めて出力を滑らかに落とすことを意識した。


 今度は針が一の線からゆっくり下がり、零へ戻る直前で僅かに止まりかけたものの、余計な揺れを残さず終了できた。


「今の方がいいですね」


 ミレイが頷く。


「ありがとうございます」


 隣の机ではエリオットが三から二へ落とすところで一度下げすぎ、慌てて戻したため針が小さく跳ねていた。本人は露骨に悔しそうな顔をしていたが、すぐに目盛器を見直して次の試行へ備えている。


 少し離れた席のユリウスは、逆に慎重になりすぎて下降に時間をかけていた。以前リディアから言われた「制御とは動かさないことではない」という言葉を思い出しているらしく、二回目には最初より明確に変化させている。


 教室のあちこちでは、目盛りを越えて慌てる学生や、停止後に微量の魔力が残って注意される学生もいた。誰かが大きな魔法を放つわけではない地味な授業だったが、シュウはこうした練習を以前よりずっと面白いと感じていた。


     ◇


 昼休みになると、いつもの五人は食堂の窓際に近い席へ集まった。


 ダンは午前中に別の組で同じ練習を受けていたらしく、座るなり不満そうに手を開いた。


「目盛り四で止めろって言われてるのに、何で五まで行くんだろうな。俺、別に五にしたいわけじゃないのに」


「四へ近づいてからも、同じ勢いで魔力を流しているからでしょう」


 セシリアがパンを小さくちぎりながら答える。


「止めたい位置に着いてから止めるのでは遅いのだと思います。私も最初は少し越えました」


「セシリアも?」


「少しだけです」


「どれくらい?」


「四・二くらいです」


「俺、五・一」


「それは少しではありませんね」


「比較した俺が悪かった」


 ダンが肩を落とすと、エリオットが笑った。


 シュウもつられて笑いながら、食事が一段落したところでユリウスへ視線を向ける。


「ユリウス。昨日の手紙なんだけど、調査に関係するところだけ話していい?」


「もちろん」


 ユリウスは食べていたものを置き、姿勢を少し正した。


 ダンとセシリアも自然に会話を止めたが、シュウはどこまで話すか一瞬考えた。二人にも北方の調査をしていること自体は伝えているものの、家の古い記録の細部まで共有する必要はない。


「細かい家の話は省くけど、北の森は今のところ変化なし。二度目の鐘も鳴ってないって」


「それはよかったな」


 ダンがすぐに言い、セシリアも安堵したように頷いた。


「それと、家で昔の記録を調べてくれた。アルヴェイン家がいつから北方管理に関わったのかは分からなかったけど、エドワルドより前の写しに『北方旧務』って言葉があったみたいなんだ」


 ユリウスの目が僅かに細くなる。


「旧務?」


「うん。『従前の定めに従い、春秋の見分を欠かさぬこと』って内容。ただ、その北方旧務が今調べてる北の封所と同じものかは分からない。写し自体の年代も確定してない」


「なら、少なくとも『エドワルドより前に、アルヴェイン家が何らかの北方の仕事をしていた可能性がある』までだね」


「俺もそう整理した」


 ユリウスは頷いた。


「ハーゼン家との繋がりは?」


「直接引き継いだって記録はなかった。ただ、家の古い目録に『前役家より来るもの含む』って書かれた北方関係の文書群があったらしい」


「前役家の名前は?」


「ない」


「じゃあハーゼン家とは決められない」


「うん」


 即座にそこへ線を引くユリウスを見て、シュウは少し笑った。


「それと、『継ぎ』が家の記録でもアルベルトだけじゃなかった。グレゴールとエルネストの記録にもあった」


 今度はユリウスが明確に反応した。


「どういう書き方?」


「エルネストの記録に『今年の継ぎは早める。雨多く、満ちの落ち早し』。別の年には『継ぎ後、三日を置き再見。白き材、応じよし』。グレゴールの方には『継ぎは旧定の通り』」


 ユリウスはしばらく黙った。


 その横でダンは話を理解しようと眉を寄せ、セシリアは「白き材」という部分へ何か引っかかったように視線を下げている。


「じゃあ、その『継ぎ』っていう作業は、かなり長く続いてたのか?」


 ダンが尋ねた。


「言葉は長く使われてた可能性が高くなった。でも、同じ作業だったかはまだ分からない」


「同じ名前でも中身が変わるかもしれない、でしたね」


 セシリアが昨日の魔法史を思い出したように言う。


「そう。だから、レオル・ハーゼンの『継ぎ補助』と、アルヴェイン家の『継ぎ』が同じ作業だともまだ決めない」


「でも、調べる価値は上がった」


 ユリウスが静かに言った。


「うん」


「昨日の研究録の続き、読む?」


「そのつもり」


 ユリウスは少し考えてから、「僕も行く」と答えた。


 エリオットは最初から同行するつもりだったらしく、特に何も言わず頷く。


「俺たちは実技場だな」


 ダンがセシリアを見る。


「そうですね。私は今日、風の停止をもう一度確認したいです」


「俺も目盛り四で止める練習する」


「実技場の設備を使うなら、勝手に限界まで流さないでくださいね」


「やらないって!」


 以前なら「五まで行ったなら次は六だ」と言いかねなかったダンが、今では四で止めることを練習目標にしている。その変化がおかしくもあり、少し頼もしくもあった。


     ◇


 放課後、シュウ、エリオット、ユリウスの三人は学院図書館へ向かった。


 高い窓から差し込む午後の光は雲のせいで柔らかく、閲覧室には紙と古い革装丁の匂いが静かに漂っている。受付にはマティアス・レンがおり、三人を見ると軽く会釈した。


「今日は何を?」


「昨日返却した『北部保持材研究録』を、もう一度お願いします」


「分かりました。一般閲覧棚の資料ですから、そのまま持ってきて構いませんよ」


「あ、そうでした」


 閉架資料を何度も扱っていたせいで、つい受付へ頼む癖がついていた。


 マティアスが少し笑う。


「古い本だからといって、全部が閉架というわけではありません。エルド・マルセルの本は六十年ほど前の研究書ですし、状態も悪くありませんから」


「ありがとうございます」


 三人は北方建築史の棚へ向かい、昨日と同じ背表紙を見つけた。


『北部保持材研究録』

 エルド・マルセル著。


 閲覧机へ運び、シュウは昨日挟んでおいた館内用の位置札を頼りに第四章の途中を開いた。


 ユリウスは隣へ座り、エリオットは向かい側へ座る。


「昨日はどこまで?」


「保持材の劣化と、魔力を補う作業の分類まで。ここから先が、交換と補充の違いについての章」


 シュウは頁をめくった。


 章題は、


『第五章 保持部材の交換・再充填・再接続』


 だった。


「再接続……」


 ユリウスが小さく呟く。


「導材と関係あるかもしれないけど、まだ分からない」


「うん。先に読もう」


 三人は声を抑え、文章を追い始めた。


     ◇


 エルド・マルセルの文章は、昨日と同じく慎重だった。


 北方地域に残る保持建築では、保持能力が低下した際の対応を大きく三種類へ分けている。


 一つ目は、保持材そのものの交換。


 二つ目は、保持材へ魔力を再び満たす作業。


 三つ目は、保持材と周囲の導材・術式部との接続を修復する作業。


 ただし、地域や年代によって三つを別々に行う場合もあれば、一連の保守作業としてまとめて行う場合もあるという。


 シュウはそこまで読んでから、ノートへ簡潔に整理した。


『保持低下への対応例:①保持材交換 ②再充填 ③導材・術式部との再接続。地域・年代で個別/一括あり。』


「これだけだと、『継ぎ』がどれかは分からないね」


 エリオットが小声で言う。


「うん。むしろ候補が増えた」


 シュウが答えると、ユリウスが次の段落を指した。


「ここ」


 そこには、古い地方記録で用いられた保守作業名について書かれていた。


『俗称・地方称は統一されていない。「満たし」「返し」「継ぎ」「封直し」等の語が確認されるが、同語であっても作業内容が一致するとは限らない。』


 シュウは昨日の魔法史を思い出し、思わず息を吐いた。


「本当にそのままだ……」


「何が?」


「昨日オルド先生が言ってたこと。同じ名前が続いてても、内容まで同じとは限らないって」


 ユリウスも納得したように頷いた。


 その先には、さらに重要な注意があった。


『特に「継ぎ」は、単純な部材交換のみを指す例が少ない。確認できた範囲では、既存の保持機能を残したまま、新たな保持材、魔力、導材、術式線等を接続し、機能を継続させる作業に用いられる例が多い。』


 三人の視線が同じ一文で止まった。


 シュウはすぐに書き写さず、前後をもう一度読んだ。


「……『例が多い』だな」


「『必ずそういう意味』じゃない」


 ユリウスが続ける。


「うん。それに、この本が調べた地域全体の話で、ローデル限定じゃない」


「でも、『単純な部材交換のみを指す例が少ない』は大きいんじゃない?」


 エリオットが言う。


「そう思う」


 シュウはノートへ記す。


『エルド・マルセル研究:約60年前。北方地域の史料比較では「継ぎ」は単純な部材交換のみを指す例が少なく、既存保持機能を残しつつ新たな保持材・魔力・導材・術式線等を接続して機能継続させる作業に用いる例が多い。ただし地域差・年代差あり。ローデル個別用法の確定根拠ではない。』


 書き終えてから、家の記録を思い出す。


『今年の継ぎは早める。雨多く、満ちの落ち早し』


『継ぎ後、三日を置き再見。白き材、応じよし』


 そして学院の役務記録。


『前年より保持弱し。継ぎに先立ち交換。』


 シュウの手が止まった。


「待って」


「どうしたの?」


 エリオットが顔を上げる。


「役務抄にあった北部旧所の記録、覚えてる?」


 ユリウスが先に答えた。


「『前年より保持弱し。継ぎに先立ち交換』」


「そう。それ」


 シュウはノートを前へ戻し、以前書き写した記録を探した。


 見つけた箇所を三人で確認する。


『北部旧所、春季補修。白材・保持用四。導線材一式。』


『前年より保持弱し。継ぎに先立ち交換。』


 エリオットが眉を寄せた。


「『継ぎに先立ち交換』なら、交換と継ぎは別?」


「少なくとも、この記録を書いた人は分けてるように見える」


 シュウはすぐに言い切らず、文面を指で追った。


「何を交換したのかも、この一文だけだと完全には分からない。白材か導線材か、その両方かもしれない。でも『交換して、それから継ぎ』って順番だった可能性は高い」


「なら、継ぎ=保持用白材を交換すること、ではなさそう」


 ユリウスが言う。


「この記録に限れば、そう考える方が自然だと思う。ただ、『交換』が継ぎ全体の一工程で、その準備を指してる可能性もある」


「研究録の説明とは合うね」


 エリオットが本へ目を戻す。


「既存機能を残しながら、新しい材料とか魔力とか導材を接続する作業なら、その前に傷んだ部分を交換することもありそう」


「うん。でも、まだ『ありそう』まで」


 シュウはノートへ新しい行を加えた。


『ローデル北部旧所記録「継ぎに先立ち交換」→少なくとも当該記録では「交換」と「継ぎ」を別工程として表現している可能性が高い。何を交換したかは文面上未確定。交換が継ぎ全体の準備工程である可能性も残す。』


 少しずつ、言葉の輪郭が見えてくる。


 答えそのものではない。


 しかし、「継ぎ」が単に古い白材を新しい白材へ取り替えるだけの作業ではなかった可能性は、以前より明らかに高くなった。


     ◇


 さらに読み進めると、マルセルは「継ぎ」と呼ばれた作業の事例をいくつか紹介していた。


 ただし、個々の地名はローデルではない。


 北西部の古い境界保持施設では、保持石を一部交換した後、残った保持石と新しい保持石の双方へ同時に魔力を流し、反応が揃ったところで導線を繋ぎ直した記録がある。その地方では一連の作業を「継ぎ」と呼んでいた。


 別の山間部では、木質の保持材を交換せず、外部から魔力を補いながら術式線の傷んだ部分だけを補修する作業を「継ぎ」と呼んでいた。


 さらに別の地域では、保持材の一部交換と魔石交換をまとめて「継ぎ」と記録していたものの、後世の記録では同じ地域で「継ぎ」が単なる再充填を意味するようになっている。


「……本当に意味が一定じゃない」


 エリオットが苦笑した。


「むしろ、この本はそれを言うために例を並べてる感じだな」


 シュウも頁を見ながら答える。


 ユリウスは自分のメモへ何かを書いてから、顔を上げた。


「でも共通してるものはない?」


「共通?」


「完全に同じじゃなくても、『継ぎ』って呼ばれやすい作業に何か傾向があるかもしれない」


 シュウはすぐに答えず、三つの事例をもう一度見比べた。


 一つ目は、古い保持石を残しながら新しい保持石を接続する。


 二つ目は、既存の木質保持材を残したまま魔力と術式線を補う。


 三つ目は、一部交換と魔石交換を含むが、後世には再充填へ意味が変わっている。


「全部、壊して新しく作り直す作業じゃない」


 シュウが言うと、ユリウスが頷いた。


「今ある保持機能を続けるための作業」


「それは研究録の説明にも近いな」


 エリオットが本文を指す。


 少し先の段落には、まさにその点について著者の整理があった。


『語源的確定は困難であるが、史料上の「継ぎ」は、保持機能を一度完全に失わせて再構築するのではなく、既存状態を可能な限り維持しながら次の材料・魔力・術式へ連続させる作業を指す傾向がある。』


 シュウは読み終えても、しばらく何も書かなかった。


 北の古い小屋。


 地下の石扉。


 白樹に宿る淡い魔力。


 家の日記に残った「満ち」と「継ぎ」。


 それらが頭へ浮かんだが、すぐに一つへまとめることはしない。


 この研究録は北方地域全体を比較した六十年前の研究書であり、ローデルの北部旧所について直接説明したものではない。


 それでも、「継ぎ」という言葉を考えるための枠は得られた。


(壊して入れ替えるんじゃなくて、今ある状態を切らさず次へ繋ぐ……)


《マスター》


(分かってる。北の封所がそうだって決まったわけじゃない)


《はい。先回りされました》


(最近のお前の注意、だいたい分かるようになってきた)


《成長を喜ばしく思います》


(何でちょっと上からなんだよ)


 心の中でやり取りしながら、シュウは慎重に書く。


『マルセル整理:「継ぎ」は既存保持機能を完全停止・再構築せず、状態を可能な限り維持しながら次の材料・魔力・術式へ連続させる作業を指す傾向。ただし語源・全地域共通定義ではない。』


 その下に、


『ローデル北部旧所の「継ぎ」がこの傾向に該当するかは未確定。』


 と加えた。


     ◇


 第五章の後半には、作業時の危険についても書かれていた。


 保持機能を維持したまま部材や導線へ手を加える場合、既存の魔力状態と新たに接続する側の状態が合わなければ、保持していた力が急激に流出したり、逆に局所へ集中したりすることがあるという。


 そのため古い記録には、作業前に「満ち」を確認する、交換材を近くへ置いて反応を見る、接続後に時間を空けて再確認するといった手順が残る地域もあるらしい。


 シュウは「接続後に時間を空けて再確認」という箇所で、家から届いた手紙を思い出した。


『継ぎ後、三日を置き再見。白き材、応じよし』


「これ……」


 ユリウスも同じところへ気づいたらしい。


「エルネストの記録に似てる?」


「うん。『継ぎ後、三日を置き再見』ってあった」


「じゃあ、その家の『継ぎ』も保持機能の作業だった可能性が――」


 エリオットはそこまで言って、自分で止まった。


「……高くなった、まで?」


「たぶん」


 シュウは少し笑った。


「俺もそう思う。少なくとも、研究録にある保持作業の手順と似てる。でも、エルネストの『三日』が同じ理由だった証拠はない」


「面倒だけど、そうなるよね」


「うん」


 ユリウスはむしろ楽しそうだった。


「でも、別々の資料で似た手順が出るのは大きいよ」


「それはそう思う」


 シュウはノートへ記した。


『エルネスト記録「継ぎ後、三日を置き再見」と、マルセル研究録の「接続後、時間を空け再確認」の事例に類似あり。目的・理由が同一とは未確定。アルヴェイン家の「継ぎ」が保持機能保守であった可能性を補強するが、確定には不足。』


 そこで、ユリウスが研究録の頁を一枚めくった。


 次の頁には、保持作業で使われる補助材料についてまとめた表が載っている。


 木質保持材。


 保持石。


 小型魔石。


 導線材。


 接合剤。


 術式刻印板。


 その中に、小型魔石の用途として複数の例が挙げられていた。


「小型魔石……」


 シュウは声を抑えながら身を乗り出した。


 北部旧所の記録にも、東部旧所の記録にも小型魔石があった。


 しかし、表の説明を読むと、用途は一つではない。


 作業中の一時的な魔力供給。


 保持材へ充填するための供給源。


 術式起動の補助。


 状態確認用の基準魔力。


 照明や一般作業用として持ち込まれる例さえある。


「これじゃ、小型魔石があっただけじゃ何も決められないな」


 エリオットが言う。


「むしろ、決めちゃ駄目だって分かった」


 シュウは苦笑する。


 これまで、北部旧所の資材記録に小型魔石が出ることを重要視していた。


 重要であること自体は変わらない。


 しかし、「保持用の魔力補給に使った」と直接結びつけることはできない。


 東部旧所の「魔石残量良」という記録も同じだった。


「残量を確認してるなら、何かに使う前提だったのは確かだと思うけど」


 ユリウスが言う。


「うん。でも何に使うかは分からない」


「北と東で用途が同じかも分からない」


「そうだな」


 シュウは新しい注意を書き足す。


『小型魔石:保持建築の保守で使用例あり。ただし用途は一時供給、充填、起動補助、状態確認、一般作業等複数。北部・東部旧所の小型魔石用途は依然未確定。』


 情報が増えたのに、断定できることが減ったような気がする。


 以前なら、それをもどかしいと感じただろう。


 今は少し違う。


 間違った答えを一つ消せることも、前進なのだと分かり始めていた。


     ◇


 第五章を読み終えたところで、三人は一度休憩を取った。


 窓の外はまだ明るい。閉館まで十分な時間はあるが、シュウは続けて第六章へ入る前に、ここまでの内容を整理することにした。


「今日はここまででもいいんじゃない?」


 エリオットが言う。


「まだ時間あるけど」


「時間があることと、全部読むことは別でしょ」


「……正論」


 ユリウスもノートを閉じた。


「第五章だけでも、かなり増えたよ。次を読む前に、役務抄の記録ともう一度並べた方がいいと思う」


「だな」


 シュウは研究録を閉じかけ、ふと目次へ視線を落とした。


 第六章の題名が目に入る。


『保持施設と地下構造――伝達・隔離・安定化の事例』


 指が止まった。


 エリオットも気づいたらしく、シュウの顔を見る。


「……読む?」


 シュウは数秒だけ迷った。


 地下構造。


 その言葉だけなら、北の古い小屋の地下扉を連想せずにはいられない。


 しかし、だからこそ今すぐ飛びつくのは危険だった。


「今日は読まない」


 自分でそう言うと、思っていたよりすんなり決められた。


「第五章の内容を整理してからにする。題名だけで北の小屋と結びつけたくないし」


 エリオットは少し驚いたあと、満足そうに笑った。


「八割」


「何が?」


「信用度」


「昨日七割五分だったよな!? 一日で〇・五しか上がってないじゃん!」


「でも上がった」


「基準が厳しすぎる!」


 声が大きくなりかけ、近くの閲覧者がこちらを見た。


 三人は慌てて声を落とす。


 ユリウスが口元を押さえながら笑っていた。


     ◇


 研究録を棚へ戻した後、三人は図書館を出た。


 外へ出ると、午後の雲は少し薄くなっており、西の空には淡い光が広がっていた。実技場の方から学生たちの声が聞こえ、まだ夕食までには余裕がある。


「少しだけ見に行く?」


 エリオットが言う。


「ダンたち?」


「うん」


 三人で実技場へ向かうと、端の練習区画にダンとセシリアがいた。


 ダンは午前中と同じ目盛器を使って魔力調整を練習しており、セシリアは少し離れた場所で弱い風を発生させている。監督役の上級生が数人いるため、二人だけで危険な練習をしているわけではない。


 ちょうどダンが魔力を四付近まで上げ、維持へ移ったところだった。


 針が四を僅かに越える。


 しかし午前の五・一ほどではない。


「四・三!」


 ダンが悔しそうに言う。


「さっきより良くなっていますよ」


 セシリアが自分の練習を終えて近づく。


「最初は四・七でしたから」


「でも四じゃない」


「一度で完璧にできたら練習する必要がありません」


「それはそうだけどさ」


 そこへシュウたちが近づくと、ダンがすぐに気づいた。


「お、図書館組。何か分かったか?」


「少し」


「答え出た?」


「出てない」


「やっぱりか」


 以前なら「また分からないのか」と言っていたかもしれないが、今のダンはそれ以上追及しなかった。


「俺の方は四に近づいてるぞ」


「見てた。四・三」


「次は四・二にする」


「目標が刻みすぎじゃない?」


「いきなり四狙って五に行くよりいいだろ!」


 妙に説得力がある。


 セシリアも笑いながら頷いた。


「今日は随分慎重です」


「俺だって学ぶんだよ」


 胸を張ったダンの横で、セシリアはもう一度風を起こした。


 足元近くの草が柔らかく揺れ、彼女の髪の先も僅かに動く。以前は停止時に風を別方向へ押し出してしまっていたが、今回は強さを少しずつ落としながら消していった。


 最後に一瞬だけ左へ流れたものの、周囲の草を大きく揺らすほどではない。


「今の、かなり良かったんじゃない?」


 シュウが言う。


「ありがとうございます。ただ、最後に少し左へ逃がしてしまいました」


「俺には分からなかったけどな」


 ダンが素直に言う。


「前よりずっと自然だったぞ」


 セシリアは少し意外そうにダンを見たあと、柔らかく笑った。


「では、もう一度だけやってみます」


「おう。今度は俺もちゃんと見る」


 二人のやり取りを見ながら、シュウは何となく口元を緩めた。


 特別な意味を付けるほどのことではない。


 ただ、一緒に練習する時間が増えるにつれて、互いの変化を見ることも自然になってきたのだろう。


     ◇


 夜。


 三百十七号室へ戻ったシュウは、夕食と入浴を済ませてから机へ向かった。


 今日は家からの手紙を読む必要もないため、北方調査ノートを開き、図書館で得た情報を改めて整理する。


 最初に大きく書いたのは、


『継ぎ=単純交換、と決めない。』


 その下へ、研究録とローデル側記録を分けて並べた。


『マルセル研究録:

・保持材交換

・再充填

・再接続

は別作業として分類可能。ただし一括保守される地域あり。

「継ぎ」は単純交換のみの例が少なく、既存保持機能を残しながら材料・魔力・導材・術式等を接続し、機能継続させる作業に使われる傾向。

地域・年代で意味変化あり。』


『ローデル北部旧所:

「前年より保持弱し。継ぎに先立ち交換」

→交換と継ぎを別に表現している可能性。

「白材・保持用四。導線材一式」

→交換対象・継ぎ使用対象は未確定。』


『アルヴェイン家:

エルネスト「継ぎ後、三日を置き再見。白き材、応じよし」

→研究録の接続後再確認事例と類似。ただし同一理由とは未確定。』


 さらに小型魔石についても、用途を決めないという注意を書いた。


 書き終えたところで、シュウは椅子の背へ身体を預けた。


 エリオットは向かいの机で術式課題をしている。


「今日、何が一番大きかった?」


 突然尋ねられ、シュウは少し考えた。


「『継ぎ』が何か分かったこと……じゃないな」


「うん」


「何じゃないかが少し分かったこと、かな」


「交換するだけじゃない?」


「少なくとも、北部旧所の記録ではそういう可能性が高い。それと、研究録を見る限り、古い保持施設で使う『継ぎ』って言葉には、今ある機能を切らさず次へ繋ぐような作業が多かったみたい」


「北の封所も?」


「それはまだ分からない」


 即答すると、エリオットが笑った。


「最近、その返事が速くなったね」


「何が?」


「『まだ分からない』って言うの」


「……そうかも」


 以前は、分からないと言うことが負けたように感じる瞬間もあった。


 今は違う。


 分からない範囲を正確に言える方が、次に調べるものを見失わずに済む。


「次は第六章?」


「うん。でも明日絶対読むって決めなくてもいいかな。『保持施設と地下構造』って題名だから気にはなるけど」


 エリオットの手が一瞬止まった。


 彼は地下扉の存在を知っている。


「それ、確かに気になるね」


「だから余計に、題名だけで結びつけないようにしないと」


「ユリウスには地下のこと、まだ言わない?」


「今は言わない」


 シュウは少し迷ってから続けた。


「隠したいっていうより、家のことでもあるし、あの地下が何なのか俺自身分かってない。必要になったらちゃんと考える」


「分かった」


 エリオットはそれ以上聞かなかった。


 シュウもノートを閉じようとしたところで、アルカディアが控えめに声をかけてくる。


《マスター》


(ん?)


《「既存状態を維持したまま次なる力へ接続する」という概念について、一点ご報告がございます》


 嫌な予感がした。


(研究の話?)


《いいえ》


(じゃあ聞かない)


《かつてマスターが考案された「永久継承式・黒天輪廻機構」が――》


(聞かないって言ったよな!?)


 向かいのエリオットが顔を上げるほど、シュウの肩が大きく動いた。


「どうしたの?」


「今、昔の俺が今日の研究に便乗しようとしてきた」


「また?」


「また」


《なお永久継承式・黒天輪廻機構とは、術者が倒れても次代の「黒天継承者」へ全魔力と記憶と必殺技名を――》


(やめろ! 何で必殺技名まで継がせるんだよ!)


《最重要情報だったのでは?》


(絶対違う!)


 シュウは頭を抱えながら机へ突っ伏しかけ、途中で姿勢を戻した。


 エリオットは事情を知らないまま、呆れたように笑っている。


「昔のシュウって、本当に毎日楽しそうだったんだね」


「他人事だと思って……」


「今のシュウも結構楽しそうだけど」


「どこが!?」


 反射的に返したものの、エリオットはそれ以上何も言わず課題へ戻った。


 シュウは少しだけ言葉に詰まる。


 授業を受けて、友人たちと昼食を食べ、古い本を読み、分からないことをユリウスたちと考え、実技場ではダンとセシリアの練習を見る。


 確かに、悪くない。


(……まあ、昔とは別の意味で楽しいけど)


《記録いたしました》


(するな!)


 心の中で突っ込みながら、シュウはノートを閉じた。


     ◇


 同じ頃、第二男子寮ではユリウスが今日の調査内容を整理していた。


 彼のノートには、シュウほど細かな家の情報は書かれていない。


 必要な部分だけだ。


『ハーゼン期:レオル「継ぎ補助」』


『ローデル北部旧所:「保持弱し。継ぎに先立ち交換」』


『アルヴェイン家:複数世代で「継ぎ」の語が残る。直接継承は未証明。』


『マルセル研究:継ぎ=既存保持機能を継続させながら材料・魔力・導材等を接続する作業の例が多い。地域差あり。』


 その四つを眺めてから、ユリウスは線で直接結ぶことをやめた。


 代わりに、それぞれの間へ小さく疑問符を書く。


 昔の自分なら、似た情報を見つけた時点で同じものだと考えていたかもしれない。


 しかし今は、似ていることと同一であることの間に、確認しなければならない距離があると分かる。


(でも、距離は少しずつ短くなってる)


 レオルの「継ぎ補助」。


 北部旧所の「継ぎに先立ち交換」。


 アルヴェイン家に残った複数世代の「継ぎ」。


 それぞれはまだ一本の線ではない。


 ただ、無関係な点として散らばっていた頃より、互いの位置は見え始めている。


 ユリウスは最後に一文だけ、自分への注意として書き加えた。


『繋がりそうなときほど、繋がっていない部分を見る。』


 ペンを置くと、窓の外では学院の夜を知らせる鐘が静かに響いていた。


 それは北の森で語られる鐘とは何の関係もない、毎日決まった時間に鳴る学院の鐘だった。


 だからユリウスは特別な意味を与えることなくノートを閉じ、明日の授業の準備を始めた。

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