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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第46話 六十年前の研究者は、白材を一つの材料だとは考えていませんでした



 翌朝、シュウが目を覚ますと、窓の向こうには昨日から残っていた厚い雲が広がっていた。雨は降っていないものの、朝日はほとんど雲に隠れており、第一男子寮三百十七号室の中も普段より薄暗い。


 身体を起こして最初に確認したのは体調だったが、頭痛も胸の違和感もなく、魔力の感覚にも昨日の実技を引きずっているような変化はなかった。通常の闇属性を使ったときに感じた「隣の道」についても、何もしていない今は存在を感じない。


(普通だな)


《はい。私が感知可能な範囲においても、平常時との差異は確認できません》


(よし)


 昨夜決めたとおり、確かめるために魔力を動かすつもりはなかった。何もしていないときに何も起きていないなら、それで十分である。


 向かい側ではエリオットも起きたところらしく、毛布を畳みながらシュウを見た。


「体調、大丈夫そう?」


「うん。昨日の実技の後も何もなかったし、今朝も普通」


「研究棟から返事は?」


「まだ。昨日の夕方に学院内便を出したばかりだから、そんなに早く来ないと思う」


 グレイとセレナは、シュウを使った追加実験より先に観測機器を調べると言っていた。昨日の報告によって予定が変わる可能性はあるものの、少なくともシュウ自身が急いで何かをする理由はない。


 エリオットはそこで頷くと、机の上に置いてあった時間割へ目を落とした。


「じゃあ今日は普通の日?」


「その予定。放課後は図書館に行こうかなと思ってるけど」


「北の調査?」


「うん。でも新しい資料を何冊も探すんじゃなくて、前に場所だけ確認した本を一冊読むつもり」


「『北部保持材研究録』?」


「それ」


 すぐに題名が出てきたことへ、シュウは少し驚いた。


「よく覚えてたね」


「何回か聞いたから。それに、読まずに残してるって言ってたし」


 エリオットは制服へ着替えながら、少しだけ笑う。


「今日は閉館まで?」


「行かないよ。読むのに時間がかかりそうなら途中でやめる」


「昨日までのシュウなら、その言葉を半分くらいしか信じなかったかも」


「今は?」


「七割」


「三割しか増えてない!」


「実績を積んでください」


 妙に丁寧な言い方をされ、シュウは抗議しようとしてから笑ってしまった。


     ◇


 午前の授業は王国基礎から始まった。


 リディアが黒板へ書いた今日の題目は、地方行政における記録の保存と引継ぎだった。領域や管理組織が変わった際、それまで使われていた記録がどこへ移されるのか、あるいは移されず失われるのかという内容である。


「行政組織が改編されたからといって、全ての記録が一つの場所へ綺麗に移されるわけではありません。中央へ送られるものもあれば、新しい管理組織へ渡されるもの、現地へ残されるもの、担当家や寺院、組合などが保管を続けるものもあります」


 リディアは黒板にいくつかの矢印を描き、一つの旧組織から複数の保存先へ記録が分散する例を示した。


「さらに、後世の人間が必要と判断した記録だけが写本として残される場合もあります。したがって、ある資料群に記録が存在しないことだけを根拠として、『その出来事はなかった』と結論づけることはできません」


 シュウのペンが止まった。


(これ、今の調査にかなり関係あるな)


 ローデル林区の記録。


 ハーゼン家に関する記録。


 アルヴェイン家に残された日記や資料。


 王立北方記録院にあるらしい原図や断片。


 同じ時代の出来事でも、現在は別々の場所へ情報が残っている可能性がある。


《ただし、資料が存在しないことを理由に望ましい設定を補完してはなりません》


(分かってるよ)


《かつてのマスターは、設定資料に矛盾が発生した際、「失われた真史にのみ記されている」と――》


(昔の俺、便利な逃げ道を作りすぎじゃない?)


《「歴史とは勝者が作る虚構に過ぎない」とも》


(十四歳くらいの俺に何があったんだよ)


 黒歴史の方はともかく、授業内容は重要だった。


 シュウはノートの余白へ、北方調査とは分けて一文だけ書き加える。


『記録なし=出来事なし、ではない。ただし、記録がない部分を推測で埋めない。』


 後で北方調査ノートにも移しておこうと思った。


     ◇


 昼休みには、いつもの五人が食堂の奥側に集まった。


 外が曇っているせいか、窓際より魔導灯の近くを選ぶ学生が多い。シュウたちが座った席にも暖色の光が落ちており、焼いた魚と根菜の煮込みから上がる湯気が柔らかく照らされていた。


「今日は図書館行くんだろ?」


 ダンが食事を始めてすぐ尋ねた。


「うん。北の調査で、まだ読んでない本が一冊あるから」


「俺たちは今日は練習しないぞ」


 なぜか胸を張って言うダンへ、セシリアが隣から視線を向ける。


「昨日の帰りに休むと決めましたからね」


「ちゃんと守ってるだろ?」


「まだ昼ですけど」


「放課後もやらないって!」


 以前なら、その場の勢いで練習場へ向かっていた可能性は十分にある。けれど昨日の実技では維持と停止が上手くいっていたこともあり、ダン自身も無理に続けるより感覚を残しておきたいらしい。


 ユリウスは食事をしながらシュウへ尋ねた。


「読むのは、保持材の本?」


「そう。エルド・マルセルって人が六十年くらい前に書いた『北部保持材研究録』」


「白材と白樹の関係を後世から調べた資料?」


「たぶん。前に読んだ古称集では、後世の研究で保持用白材と加工した白樹に関係があるかもしれないって書いてあった。でも、元の記録では樹種が書かれてないことが多いから確定できないって」


 ユリウスは少し考え、パンを置いた。


「なら、今日は『同じだった証拠』を探すより、どうしてその研究者が関係ありそうだと考えたのかを見る方がよさそうだね」


「俺もそう思ってる」


「結論だけ読まない方がいい」


「うん。根拠を見る」


 二人の会話を聞いていたダンが、眉間へ皺を寄せた。


「研究って大変だな。六十年前の人が『たぶん同じ』って言ってても、その人が何見てそう思ったかまで調べるんだろ?」


「そうですね」


 セシリアが答えた。


「でも、その方が間違えにくいんじゃないでしょうか。昔の人でも勘違いすることはあるでしょうし、逆に、その時代には見られた資料が今は失われていることもあるでしょうから」


「ああ、今日の授業みたいなやつか」


「そうです」


 ダンは納得したように頷き、それからシュウを見る。


「じゃあ、その本を書いた人が見た資料が今も残ってるかもしれないってこと?」


「残ってるかもしれないし、残ってないかもしれない。まず本を読まないと分からないかな」


「なるほど」


 そこでダンは考えるのをやめたらしく、魚へ戻った。


 その切り替えの早さにシュウは笑いそうになったが、悪いことではない。分からないものを無理に答えへ変えないという意味では、今のダンの反応も案外正しい気がした。


     ◇


 午後の授業を終えた後、シュウとエリオット、ユリウスの三人は学院図書館へ向かった。


 ダンとセシリアは今日は自主練習をせず、それぞれ寮へ戻るという。中央講義棟の前で別れるとき、ダンは「本当に行かないからな」と誰に求められたわけでもない宣言をしており、セシリアに「分かっています」と笑われていた。


 図書館へ入ると、外の曇天とは対照的に館内は一定の明るさが保たれていた。天井近くの魔導灯が淡い光を落とし、古い紙と木製書架が混ざった独特の匂いが漂っている。


 受付にはマティアス・レンがいた。


「こんにちは」


「こんにちは。今日は何を?」


「北方建築史の第三棚にある『北部保持材研究録』を読みたいんです」


「ああ、エルド・マルセルの本ですね」


 マティアスは題名を聞くとすぐに思い出したようだった。


「一般閲覧資料ですから、館内で読むだけなら手続きは通常どおりです。ただ、少し厚い本ですよ」


「全部読めなかったら途中でやめます」


「それがいいでしょう。研究録という題名ですが、実際には過去資料の引用と比較がかなり多い本です」


 その説明を聞き、ユリウスが少し興味を示した。


「引用元も書いてありますか?」


「マルセルは比較的丁寧な研究者だったようで、分かる範囲では書いてあります。ただし、六十年前の時点ですでに『所在不明』となっている資料もあります」


 今朝の授業内容が、早くも現実の調査へ繋がった。


 シュウはエリオットと顔を見合わせる。


「ちょうど今日、そういう授業やったね」


「記録が分かれる話?」


「うん」


 マティアスは二人のやり取りを聞いて微笑んだ。


「資料を読むには良い授業だったようですね。必要なら閲覧机を使ってください。ただし、引用されている資料名だけを見て閉架資料を次々に申請するのはおすすめしません。まず、この一冊の中で何が分かるのかを整理してからの方がいいでしょう」


「分かりました」


 シュウは素直に頷いた。


 以前なら、引用資料の名前を見つけた瞬間に次の本へ手を伸ばしていたかもしれない。


     ◇


 北方建築史の第三棚から取り出した『北部保持材研究録』は、確かに厚かった。


 濃い灰色の表紙には題名と著者名が簡素に記されており、装飾らしいものはない。六十年ほど前の本なので古書ではあるものの、これまで扱ってきた百年以上前の写本類と比べれば状態は良く、ページも問題なくめくることができた。


 三人は閲覧机へ移動し、シュウが中央、エリオットとユリウスが左右へ座る。


「最初から?」


 エリオットが尋ねる。


「うん。目次だけ先に見るけど、結論だけ拾うのはやめる」


 目次には、北方地域で使用された保持材の分類、旧称の比較、加工法に関する記録、現存建築の調査、失われた材料の推定などが並んでいた。


 その中に、シュウたちが探している言葉がある。


『第三章 旧ローデル地域における白材記録』


『第四章 保持用白材と白樹加工材の比較』


「あるね」


 エリオットが小さな声で言う。


「でも三章から読まない」


「最初から?」


「全部細かく読む必要はないけど、少なくともマルセルが何を『保持材』って呼んでるのか確認したい」


 ユリウスが頷いた。


「定義が違ったら、同じ言葉でも話が変わる」


 三人は序文から読み始めた。


     ◇


 エルド・マルセルは、序文で「保持材」という言葉をかなり広く扱っていた。


 魔力を蓄える素材だけではない。建築物や設備の中で、一定の魔力状態、術式状態、温度、流れなどを維持する目的に使われた材料のうち、過去記録や現存構造から保持機能との関係が推定できるものを研究対象としている。


 ただし、マルセル自身が何度も注意している。


『古記録に「保持材」と記されるもの全てが、同一の機能を有するとは限らない。』


『地方ごとの呼称差、役務上の便宜的分類、材料商の取引名を区別する必要がある。』


 シュウはそこへ細い紙片を挟んだ。


「最初からかなり慎重だね」


「今まで読んだ資料と合ってる」


 ユリウスが答える。


「『保持材』っていう一種類の材料があるわけじゃないんだ」


「うん」


 さらに読み進めると、保持材には大きく分けて、魔力を受けて一時的に留めるもの、一定方向へ伝えるもの、周囲への漏出を抑えるもの、他の部材を保護するものなどが存在したと書かれている。ただしこれはマルセルが研究上整理した分類であり、過去の職人や役人が同じ分類を使っていたわけではない。


 シュウはその点も記録した。


『マルセル分類=後世研究上の整理。旧ローデル当時の公式分類ではない。』


「これ大事だね」


 エリオットがノートを覗き込む。


「後の人が分けたものを、昔の人も同じように考えてたと思ったら駄目ってこと?」


「そういうことだと思う」


 現代の研究者が理解しやすいように作った分類と、当時の実際の呼び方は別である。


 北の封所について考えるときも、同じ注意が必要だった。


     ◇


 三章へ到達した頃には、閲覧を始めてからかなり時間が経っていた。


 シュウは一度本から目を離し、肩を回した。エリオットも椅子へ背を預け、ユリウスは目元を軽く押さえている。


「休憩する?」


 シュウが尋ねると、二人とも頷いた。


「シュウから言うようになった」


 エリオットが少し笑う。


「俺だって成長するよ」


「いいことだと思う」


「何で保護者みたいなんだよ」


 声を抑えながら笑い合い、三人は数分だけ本を閉じた。


 窓の外を見ると、雲は朝よりさらに濃くなっていた。硝子へ雨粒は付いていないが、夕方には降り始めてもおかしくない空である。


 休憩を終え、三人は第三章を開いた。


 そこには旧ローデル地域の役務記録、資材台帳、修繕記録などから拾い出した「白材」という語が年代別に並べられていた。


「……これ、前に読んだものと似てる」


 シュウが小声で言う。


 壁用。


 保持用。


 一般補修用。


 記録によっては用途が書かれず、単に「白材」としか記載されていないものもある。


 ただし、マルセルの研究では、それらを一つの材料だとは扱っていなかった。


『旧ローデル諸記録に見える白材を、単一樹種または単一加工材とみなすことには慎重であるべきである。』


 続く部分には理由が書かれている。


 同じ年代でも、壁材として大量に使われた記録と、保持部の補修に少量だけ使われた記録では数量と価格に差がある。また、運搬方法や保管場所にも違いが見られ、一部の記録では「白材・壁用」と「白材・保持用」が同時に記載されている。


「同じ帳簿に両方あるなら、少なくとも役務上は分けてたってことだよね」


 エリオットが言う。


「うん。でも材料そのものが完全に別だったのか、同じ材料を加工法で分けたのかはまだ分からない」


「その次に書いてある」


 ユリウスがページの下を指した。


 マルセルは三つの可能性を挙げていた。


 一つは、壁用と保持用で異なる樹種または素材を使っていた可能性。


 二つ目は、同じ原材を用途ごとに異なる加工方法で仕上げていた可能性。


 三つ目は、「白材」が複数の淡色材料をまとめた役務上の分類であり、その中から用途に適したものを選別していた可能性。


 どれか一つへ決めるだけの一次資料は、マルセルが研究した時点でも不足していたらしい。


「六十年前でも分からなかったんだ」


 シュウは思わず呟いた。


「でも、分からない理由は今より分かってたのかも」


 ユリウスの言葉に、シュウは顔を上げる。


「どういうこと?」


「この人が見た資料の中には、今は学院にないものもあるかもしれない。それでも結論を出せなかったなら、単純に資料一冊見つければ解決する問題じゃない可能性が高い」


「確かに」


 シュウはノートへ書き加えた。


『白材=単一材ではない可能性が高い。壁用/保持用の差は確認できるが、樹種差・加工差・役務分類差のどれかは未確定。』


 白材と白樹を同じものだと考えるには、やはり距離がある。


 では、なぜ後世研究では保持用白材と白樹加工材の関係が指摘されたのか。


 答えに近い記述は、第四章にあった。


     ◇


『保持用白材と白樹加工材の比較』


 章題を確認したシュウは、無意識に姿勢を正した。


 エリオットもユリウスも同じように本へ視線を集める。


 マルセルは最初に、北方の複数地域で現存していた古い保持建築の部材を調べたと記していた。そのうち一部では、淡い色をした木質部材から白樹に近い組織的特徴が確認されたという。


 ただし、ここでも言い切ってはいない。


『加工および経年変化が著しく、現生白樹との単純比較には限界がある。』


「現物を調べたんだ」


 エリオットが言う。


「でも旧ローデルのものとは限らない」


 ユリウスがすぐ補足する。


「うん。場所を確認しよう」


 調査地点は北方各地に散らばっていた。


 旧ローデル地域の外にある建物も多い。しかも現存していたのは、六十年前の時点で比較的状態の良かったものに限られる。


 その中に、旧ローデル地域の保持施設から採取されたと明記された標本はなかった。


「じゃあ、これだけじゃローデルの保持用白材が白樹だった証拠にはならないね」


「ならない」


 シュウははっきり答えた。


 だが、マルセルが関係を疑った理由は他にもあった。


 白樹には外部から与えられた魔力を一定期間保持する性質があり、適切に乾燥・加工した材ではその性質がある程度残るという。当時すでに知られていたその特徴と、古記録における「保持用白材」の使用場所を比較した結果、用途上の一致が複数見られたらしい。


 さらに、保持用白材が使用された記録の近くには、魔石や導線材、交換時期に関する記述が現れる例がある。


 シュウの指が止まった。


「魔石と導線材……」


 北部旧所の記録が頭へ浮かぶ。


 保持用白材。


 導線材一式。


 前年より保持が弱い。


 継ぎに先立って交換。


 東部旧所には保持用白材と小型魔石が記録され、別の年には魔石残量についても確認されていた。


 しかし、ここで結びつけすぎてはいけない。


 マルセルの文章を先へ追う。


『以上の共通性から、少なくとも一部地域の「保持用白材」が白樹、または白樹を含む加工材であった可能性は考慮に値する。』


 その直後には、さらに重要な一文があった。


『ただし、呼称の一致をもって旧ローデルの保持用白材全てを白樹材と断定することはできない。』


 シュウは小さく息を吐いた。


「やっぱり、そこまでなんだ」


「でも前より理由は分かった」


 エリオットが言う。


「白いから白樹かも、じゃないんだね」


「うん。保持する性質と、使われた場所と、他の資材との組み合わせを見てる」


 ユリウスも頷いた。


「ただ、それでも旧ローデルの現物がないから確定できない」


「そういうことだね」


 シュウはノートへ慎重にまとめた。


『マルセルが保持用白材と白樹加工材の関連を指摘した根拠――①北方の現存古建築で白樹に近い木質部材例、②白樹加工材の外部魔力保持性、③古記録上の保持部での使用、④魔石・導線材・交換時期等との併記例。』


 その下へ、さらに大きく書く。


『ただし旧ローデル保持用白材の現物確認なし。旧ローデルの保持用白材=白樹とは断定不可。』


「これなら大丈夫かな」


「大丈夫だと思う」


 ユリウスが答えた。


     ◇


 第四章の後半には、さらに興味深い記述があった。


 白樹加工材は、魔力を一度与えれば永久に保持するものではない。加工状態や設置環境によって差はあるものの、時間経過とともに保持状態が弱まり、外部から再び魔力を与える、周辺の魔力供給部を交換する、あるいは部材自体を交換する必要がある例が記されている。


 シュウはその部分を読んだ瞬間、家から届いたアルベルトの日記を思い出した。


『白樹の満ち、前年より僅かに弱し。春の終わりまでに継ぎを行う』


『今年の継ぎ、レオルに任す。白樹よく応ず』


 そして学院の役務記録には、レオル・ハーゼンについて「保持部確認、資材受領立会、継ぎ補助」と書かれていた。


(似てる)


 胸の内側に、答えへ近づいたような感覚が生まれる。


 けれど、その感覚のまま結論を書かない。


 シュウは一度ペンを置いた。


「どうした?」


 エリオットが気づく。


「家の記録を思い出した。白樹の『満ち』が弱くなって、『継ぎ』をするって書いてあったやつ」


「レオルって人に任せた記録?」


「うん。それに役務記録でも、レオルは『継ぎ補助』をしてた」


 ユリウスが本とシュウのノートを交互に見る。


「この本には『継ぎ』って言葉そのものは出てる?」


「今読んでるところには出てない」


「なら、同じ仕組みだとはまだ言えないね」


「うん」


 シュウもそう考えていた。


 白樹加工材には、保持状態が弱くなった後に外部から魔力を補う運用例がある。


 アルベルトの日記では白樹の「満ち」が弱くなった後に「継ぎ」を行う。


 レオルは役務記録で「継ぎ補助」を担当していた。


 関係している可能性は以前より高く感じられる。


 それでも、「継ぎ=白樹への魔力補充」と書ける段階ではない。


 シュウはノートへ、


『白樹加工材には、保持状態低下後の再供給・周辺供給部交換・部材交換等の維持例あり。アルベルト日記の「白樹の満ち」「継ぎ」と類似性あり。ただし「継ぎ」の具体作業内容を示す資料ではないため同一視しない。』


 と記した。


「最近、シュウのノートって『ただし』が多いね」


 エリオットが横から言う。


「仕方ないだろ。分からないんだから」


「悪い意味じゃないよ」


「前は違った?」


「前は何か見つけると、すぐ次のページに矢印が増えてた」


「……そうだったかも」


 否定できない。


 矢印で繋げるのが楽しかったのだ。


 今も楽しくないわけではない。


 ただ、繋がって見えるものの間に、本当に橋があるのか確認するようになった。


     ◇


 もう少しだけ読み進めたところで、ユリウスが一つの注記を見つけた。


「これ」


 指し示されたのは、保持用白材に関する引用資料の一覧だった。


 その中に、見覚えのある地域名がある。


『旧ローデル北部役務断片』


 ただし、学院で読んだ『ローデル北部役務抄』とは題名が違う。


「同じ資料かな?」


 エリオットが尋ねる。


「分からない」


 シュウは即答した。


 注記には、マルセルが参照した資料について、


『当時、北方地方史料整理室所蔵。原資料の由来不詳。』


 と記されている。


 六十年前の施設名であるらしく、現在どこへ引き継がれたのかはこの本だけでは分からない。


 さらに引用されている一文があった。


『北旧所、保持材の改め、春前に済ますべし。旧材は北倉へ戻す。』


 三人の間に短い沈黙が落ちた。


 最初に口を開いたのはユリウスだった。


「保持材って書いてある」


「うん。でも『白材』じゃない」


「旧所がどの旧所かも分からない」


「そうだね」


 シュウは興奮を抑えながら注記を読み直した。


 年代推定は約百八十年前から百七十年前。


 北旧所。


 保持材。


 春前の交換または確認。


 旧材を北倉へ戻す。


 既知の資料と近い部分はある。


 しかし、この引用だけでは「保持材」が白材なのか、別の材料なのか分からない。


「北倉って、前の記録にも出てたよね」


 エリオットが言う。


「北部旧所第二の補修材と小魔石を搬出したところ」


「うん」


 シュウは以前の記録を思い出しながら頷いた。


「同じ北倉かもしれない。でも『北倉』って名前が一ヶ所だけに使われてた保証もない」


「年代と地域は近い」


 ユリウスが言う。


「だから候補にはなる。でも同じだとは書かない方がいい」


「そうする」


 ノートには、


『マルセル引用「旧ローデル北部役務断片」――約180〜170年前推定。「北旧所、保持材の改め、春前に済ますべし。旧材は北倉へ戻す。」』


『学院所蔵『ローデル北部役務抄』との関係不明。同一原資料・別資料・関連写本のいずれか未確認。』


『北倉――既知記録にも名称あり。ただし同一施設とは未確認。』


 と書いた。


 新しい情報ではある。


 しかし、それ以上に気になるのは引用元の所在だった。


「北方地方史料整理室って、今もあるのかな」


 シュウが呟くと、エリオットがすぐに首を振った。


「今日は新しい資料を次々探さないって言ってた」


「まだ探すとは言ってないよ」


「顔が探す顔だった」


「どんな顔だよ」


 ユリウスが小さく笑った。


「司書さんに、今の施設名だけ聞くくらいならいいんじゃない?」


「それくらいなら……」


「ただし今日はそこまで」


 エリオットが付け加える。


「分かったよ」


 シュウは本を閉じず、残りのページ数を確認した。


 まだかなりある。


 今日中に読み切る必要はない。


 それより、ここまでの内容を混ぜずに整理した方がよさそうだった。


     ◇


 三人は閲覧をそこで切り上げ、受付へ戻った。


 マティアスは返却された本を受け取る前に、挟まれていた閲覧用の紙片が全て抜かれていることを確認する。


「途中まででしたか?」


「はい。第四章の途中までです」


「十分でしょう。あの本は一度に読むより、区切った方がいいと思います」


 シュウは頷いてから、先ほど見つけた施設名について尋ねた。


「一つだけ聞いてもいいですか?」


「どうぞ」


「六十年前の引用元に『北方地方史料整理室』っていう施設が出てきたんですけど、今もありますか?」


 マティアスはすぐには答えず、少し記憶を探るように視線を上げた。


「その名称の施設は現在ありません。確か、地方史料の再編で複数の収蔵先へ分割されたはずです」


「複数?」


「ええ。王立北方記録院へ移されたものもあれば、地方文書館や大学系研究施設へ移されたものもあったと思います。ただ、私は移管一覧を暗記しているわけではありませんから、その『旧ローデル北部役務断片』がどこへ行ったのかは分かりません」


「そうなんですね」


「調べること自体はできますが、今日はしませんよね?」


 マティアスの口元に僅かな笑みが浮かんでいた。


 横からエリオットの視線を感じる。


「……今日はしません」


「それがよいでしょう」


 どうやら司書にまで行動傾向を把握され始めているらしい。


「次回、必要だと判断したら相談してください。ただし、六十年前に所在が確認されていた資料が現在も残っているとは限りません。題名が変わっている場合もありますし、別資料へ統合されていることもあります」


「分かりました」


「それから、『ローデル北部役務抄』との関係を確認したいのであれば、題名だけで判断せず、引用されている文章や年代、資料の由来を比較してください」


 シュウは頷いた。


「ありがとうございます」


 本を返却し、三人は図書館を出た。


     ◇


 外へ出ると、朝から耐えていた空がついに雨を落とし始めていた。


 まだ本降りではなく、細かな雨粒が石畳を少しずつ濡らしている。学院の建物を繋ぐ屋根付き通路へ入れば濡れずに寮の近くまで戻れるため、三人は足早にそちらへ向かった。


「今日分かったのって、結局どこまで?」


 歩きながらエリオットが尋ねる。


 シュウはすぐ答えず、頭の中で整理した。


「まず、マルセルは『白材』を一種類の材料だとは考えてなかった。壁用と保持用が別に書かれてる記録もあるけど、樹種が違うのか、加工法が違うのか、役務上の分類なのかまでは分からない」


「うん」


「それから、保持用白材と白樹加工材に関係があるって考えた理由は分かった。北方の古い保持建築で白樹に近い部材が見つかった例があって、白樹加工材には魔力を保持する性質がある。それに、保持用白材が出てくる記録では魔石とか導線材とか交換時期の記述が一緒に出ることがある」


 屋根へ当たる雨音が少しずつ強くなっていく。


「でも、旧ローデルの保持用白材そのものを調べた現物証拠はない。だから、北部旧所で使われた保持用白材が白樹だったとはまだ言えない」


 ユリウスが続けた。


「白樹加工材には保持状態が弱くなった後に再供給したり、周りの供給部を交換したりする維持方法があった。アルヴェイン家の日記にある『満ち』と『継ぎ』に似てはいるけど、同じ作業だと証明されたわけじゃない」


「あと、マルセルが見た『旧ローデル北部役務断片』に、北旧所の保持材を春前に改めて、古い材料を北倉へ戻すって記録があった」


 シュウはそこで一度息をついた。


「でも、その資料が学院の『ローデル北部役務抄』と同じものかは分からないし、北倉も同じ施設か分からない」


「つまり」


 エリオットが少し考える。


「分かったことは増えたけど、白材が白樹だったとはまだ言えない?」


「そういうこと」


「今日はそれで十分じゃない?」


「うん」


 シュウは素直に答えた。


 雨に濡れた中庭の向こうでは、傘代わりの簡易障壁を頭上へ出して走っている上級生がいた。途中で障壁が傾き、隣を歩いていた友人へ水が流れてしまったらしく、遠くから抗議する声と笑い声が聞こえてくる。


 学院の日常は今日も続いている。


 自分の調査だけが世界の中心ではない。


 その当たり前のことを、シュウは最近ようやく自然に感じられるようになっていた。


     ◇


 第二男子寮へ向かう分かれ道で、ユリウスが足を止めた。


「次に読むとき、第五章以降も見たい」


「もちろん。行ける日が合えば一緒に読もう」


「うん」


 ユリウスは頷いた後、少しだけ考えるように雨の向こうへ目を向けた。


「今日の資料、面白かった」


「保持材のやつ?」


「それもあるけど、六十年前の研究者が分からなかったことを、分からないって書いてるところ」


 シュウは少し意外に思った。


「そこ?」


「うん。古い研究書って、もっと答えが書いてあるものだと思ってた。でも、資料が足りないから三つの可能性を残してる」


「確かに」


「だから、今の僕たちがすぐ一つに決められないのも普通なんだと思う」


 ユリウスらしい感想だった。


「またね」


「うん。また明日」


 ユリウスと別れ、シュウとエリオットは第一男子寮へ向かった。


     ◇


 夕食後、三百十七号室では雨音がまだ窓を叩いていた。


 シュウは机へ北方調査ノートを開き、図書館で取ったメモを正式に整理していく。向かいではエリオットが課題をしており、ときどきペン先が紙を擦る音が雨音に混じっていた。


『『北部保持材研究録』――エルド・マルセル、約六十年前。第四章途中まで確認。未読部分あり。』


 まず、読み終えていないことを明記する。


『マルセル研究上の「保持材」は単一材料名ではなく、状態維持に関係すると推定された複数材料を扱う研究分類。当時の公式分類と同一ではない。』


『旧ローデルの白材――壁用/保持用等の区分記録あり。単一樹種とは断定不可。樹種差、加工差、役務分類差の複数可能性。』


『保持用白材と白樹加工材の関連説――根拠は白樹加工材の保持性、北方古建築の白樹類似部材、保持部での使用記録、魔石・導線材・交換記録等との併記。ただし旧ローデル保持用白材の現物確認なし。』


 ここまでは図書館で書いたものを整理した内容だ。


 さらに家の記録との比較を別枠にする。


『白樹加工材の保持状態低下後、再供給・供給部交換・部材交換等の維持例あり。アルベルト日記「白樹の満ち」「継ぎ」と類似。ただし「継ぎ=白樹への魔力再供給」とは未確定。』


『レオル・ハーゼンの「継ぎ補助」とも関連可能性あり。ただし具体作業不明。』


 そして、今日新しく見つかった引用。


『マルセル参照「旧ローデル北部役務断片」――約180〜170年前推定。「北旧所、保持材の改め、春前に済ますべし。旧材は北倉へ戻す。」』


『六十年前当時の北方地方史料整理室所蔵。現在同施設なし。資料は王立北方記録院・地方文書館・研究施設等へ分散移管された可能性。現所在不明。』


『学院所蔵『ローデル北部役務抄』との関係不明。北倉も既知記録の北倉と同一とは未確認。』


 最後に、今日の授業で学んだことを調査原則として加えた。


『記録が見つからないことと、出来事が存在しなかったことは同義ではない。ただし、記録がない部分を都合のよい推測で補わない。』


 書き終えたところで、シュウはペンを置いた。


「終わった?」


 エリオットが課題から顔を上げる。


「うん。今日はここまで」


「次の資料、探さない?」


「探さないよ」


「北方地方史料整理室の移管先とか」


「今日は探さない」


「王立北方記録院とか」


「行かないって」


「先生の署名が必要な支給台帳とか」


「それも申請しない!」


 次々に言われ、シュウは思わず声を上げた。


 エリオットは満足そうに頷く。


「よし」


「確認方法がおかしくない?」


「全部否定できたから大丈夫」


「何が大丈夫なんだよ……」


 シュウは呆れながらも、ノートを閉じた。


 本当に今日はここまででいい。


     ◇


 ベッドへ入る頃には、雨はかなり弱くなっていた。


 窓を打つ音もまばらになり、部屋の中には静かな暗さが戻っている。エリオットはすでに自分のベッドへ入り、少し前から声がしなくなっていた。


 シュウは目を閉じる前に、今日読んだ研究録を思い返した。


 六十年前の研究者も、答えを出せなかった。


 けれど、何も分からなかったわけではない。


 白材を一種類だと考えない理由を示し、保持用白材と白樹加工材を結びつける根拠を並べ、そのうえで証拠が足りない部分を明確に残していた。


(答えが出てない研究でも、意味はあるんだな)


《当然でございます》


(アルカディアが言うと、ちょっと意外)


《なぜでしょう》


(昔の俺の設定を全部答えみたいに扱うから)


《黒歴史ノート内においては、マスターが世界設定の創造者でございますので》


(現実では違うからね?)


《理解しております》


 返事が早い。


 シュウは少し笑った。


(今日の資料を読んでも、北の封所が白樹で作られてるって証明されたわけじゃない)


《はい》


(「継ぎ」が魔力補充だとも決まってない)


《はい》


(でも、前より何を探せばいいかは分かった気がする)


《具体的には?》


 シュウは暗い天井を見ながら考えた。


(材料の名前だけじゃなくて、どう使ったか。何と一緒に使ったか。いつ交換したか。それと、誰がその仕事をしてたか)


《妥当かと》


(あと、六十年前の人が見られた資料が、今どこにあるのか)


《そちらを直ちに調査されますか?》


(しないよ)


《意外です》


(そこは「成長しました」って言うところじゃないの?)


《失礼いたしました。成長を確認いたしました》


(絶対わざとだろ)


 アルカディアから返事はない。


 その沈黙さえ、最近では妙に馴染んできた。


 シュウは布団を少しだけ引き上げる。


 明日になれば、家から手紙が届くかもしれない。


 届かないかもしれない。


 グレイたちから研究の連絡が来る可能性もあるし、何も来ない可能性もある。


 図書館の研究録には、まだ読んでいない章が残っている。


 けれど、どれも今夜のうちに答えを出す必要はなかった。


 六十年前のエルド・マルセルが、分からないものを分からないまま研究記録へ残したように、自分も確定していないものを無理に一つへ繋げなくていい。


 そう思えるようになっただけでも、学院へ来る前の自分とは少し違う。


 雨音が完全に途切れる頃、シュウはそのまま静かに眠りへ落ちていった。

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