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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第42話 東の旧所を探すには、昔の道から見直す必要がありました


 翌日の王立魔法学院は、朝からよく晴れていた。前日まで空を覆っていた雲は夜のうちにほとんど流れ去り、第一男子寮317号室の窓からは澄んだ青空が見えている。


 開けた窓から入る風には秋へ向かう冷たさが少しだけ混じっていたが、差し込む日差しはまだ暖かい。窓際の机に置かれた教本の表紙を明るく照らす光の中で、シュウは今日の授業に必要なものを順番に鞄へ収めていた。


「今日は図書館?」


 制服の襟を整えながら、エリオットが尋ねる。


「放課後は行くつもり。昨日みたいに古い本を片っ端から読むんじゃなくて、今日は地図を見たいんだ」


「東側?」


「うん。昨日の役務記録で、東部旧所にも保持用白材が使われてたことが分かっただろ? だから、まずは場所を絞れないか確認してみたい」


 シュウは最後に北方調査用のノートを鞄へ入れた。


 昨日、『ローデル北部役務抄』を再確認したことで、保持用白材が北部旧所だけではなく東部旧所でも使われていたことが分かった。北部旧所では保持用白材と導線材、それに家の記録にも残されていた「継ぎ」という言葉が確認され、東部旧所では保持部の補修に保持用白材と小型魔石が使われていた。


 目的や構造が同じだったとは限らない。それでも、これまで北側にしか存在しないと思いかけていた管理方法について、比較できる別の場所が見つかった意味は大きかった。


「昨日アルカディアが言ってた、水路とか地形も見るんだろ?」


「そのつもり。前にフェルン先生から、昔の距離や道を今の地図にそのまま当てはめちゃ駄目だって教わったし、施設の位置だけ見ても分からないと思う」


「地図、何枚くらい見る?」


「まだ決めてないけど、必要なものだけにするよ」


 そう答えた途端、エリオットが少しだけ目を細めた。


「閉館まで?」


「どうして最初から時間の話になるの?」


「大事だから」


 あまりにも真顔で返され、シュウは反論しかけた口を閉じた。昨日も一度「今日は終わり」と言った後で、結局アルカディアの提案を聞いて北方調査ノートを開き直している。


(最近、信用ないなあ)


《積み重ねの結果かと》


(アルカディアまでそっち側なの?)


《私は事実を申し上げただけです》


 朝から味方がいない。


「シュウ?」


「何でもないよ。今日はちゃんと切り上げる」


「昨日も一回そう言ったよね」


「最後に一行書いただけだよ!」


「それでもノートは開いた」


「ユリウスみたいになってきたな……」


 エリオットは楽しそうに笑いながら鞄を持ち上げた。シュウも諦めて自分の鞄を肩へ掛けると、朝食を求めて学生たちが行き交い始めた廊下へ一緒に出た。


     ◇


 午前の授業は基礎術式演習だった。


 昨日までに学んだ起動と停止を踏まえ、今日は一つの術式へ流す魔力量を途中で変化させる練習が行われるらしい。実習室の各机には小型の術式板と透明な円筒状の測定器が置かれ、術式板の中央には《微灯》の簡易式が描かれていた。


 教壇に立ったリディアは黒板へ向かうと、迷いのない手つきで「弱→中→強→中→弱→停止」と書いた。


「今日は単純に点けて消すだけではありません。弱く起動してから一定時間をかけて出力を上げ、その後は同じように出力を落として停止します」


 リディアは机上の術式板へ手を置き、実際に小さな光を灯してみせる。淡かった光が滑らかに明るさを増し、頂点へ達したあと、今度は急に消えることなく少しずつ弱くなっていった。


「急激に出力を変える必要はありません。むしろ今日は、変化の途中を自分で認識することが目的です。これまで学んだ停止も、突然魔力を切る方法だけが正解ではありませんから、自分がどの程度の魔力を流しているのかを意識してください」


 シュウは黒板を見ながら、昨日の北方調査とは全く別の意味で「途中」という言葉を意識した。


 魔法には、起動した瞬間と結果だけが存在するわけではない。その間には維持や出力変化があり、最後には停止まで含まれている。


 漆黒魔力の観察でも、変化の途中を捉えることが重要だった。


(でも、今日は普通の基礎魔法だ。何でも漆黒魔力に結びつける必要はないよな)


 自分へそう言い聞かせ、術式板へ手を置いた。


「では、始めてください」


 リディアの合図とともに、教室のあちこちへ小さな光が灯る。シュウも《微灯》へ少量の魔力を流し、最初は淡い光を保ちながら、そこから少しずつ供給量を増やしていった。


 弱い光から中程度へ移り、さらに明るくする。指定された強さまで達したところで、今度は逆の過程を辿るように魔力量を減らし、最後は静かに供給を止めた。


 光が消えたところで隣を見ると、エリオットの光は中程度から強くする途中で一度だけ急に明るくなっていた。


「また上がりすぎた」


 エリオットが測定器を見ながら、少し悔しそうに眉を寄せる。


「途中で気づいた?」


「一応。でも気づいた時にはもう上がってた。中から強にするときだけ、どうしても力を入れすぎるんだよね」


「だったら最初から上げ幅を小さくしてみたら? 一気に強くしようとしないでさ」


「それならいけるかも。次やってみる」


 反対側では、ユリウスが弱から中へ移るところで慎重になりすぎていた。光そのものは安定しているものの、明るさがほとんど変化しない時間が長く、本人もそれに気づいているのか眉間へ僅かな皺を寄せている。


 机の間を歩きながら生徒たちの術式を見ていたリディアも、同じ点に気づいたらしい。


「ベルンさん。安定していますが、変化を恐れすぎていますね」


「はい。崩さないように意識しすぎました」


「今日は失敗しても構いません。制御とは動かさないことではなく、必要に応じて動かせることです。安定させるだけなら今のままでもいいですが、必要な瞬間に強さを変えられなければ実用上は困ります」


「分かりました」


 ユリウスは短く答えたものの、次の試行では先ほどより明確に変化を速めていた。


 その様子を見ていたシュウは、思わず口元を緩める。


(こういうところにも性格って出るんだな)


 調査では誰よりも慎重に証拠を積み重ねるユリウスだが、魔法でも同じらしい。


 もっとも、人のことばかり見ている場合ではない。二回目の試行を始めたシュウは、弱い光から中程度へ出力を上げ、そこから指定された強さまで明るくしていった。


 問題が起きたのは、強から中へ戻す途中だった。


 自分では少しずつ下げたつもりだったが、光が一瞬だけ予定より弱くなった。


「アルヴェインさん」


 いつの間にか近くへ来ていたリディアに呼ばれ、シュウは顔を上げる。


「今の変化、自分で分かりましたか?」


「はい。強から戻すときに下げすぎました」


「では次は、強さそのものよりも変化量を意識してください。例えば十から五へ一度に下げるのではなく、十から九、九から八へ移すような感覚です。実際に数字で考える必要はありませんが、自分の中で段階を作った方が制御しやすい人もいます」


「分かりました。やってみます」


 三回目は、光の明るさだけを見るのではなく、自分が術式へ流している魔力量の変化へ意識を向けた。


 強い状態から少しだけ下げ、そこで一度感覚を確かめてからさらに落とす。中程度を通過して弱い状態まで戻し、最後に魔力供給を止めると、先ほどよりもずっと滑らかに光が消えていった。


「はい。その方がいいですね」


 リディアはそれだけ告げると、次の学生の机へ移っていく。


 シュウは光の消えた術式板を眺めながら、右手を軽く握ってから開いた。


(結果だけじゃなくて、途中を自分で分けるのか)


 また一つ、普通の魔法の扱い方を覚えた気がする。


 黒歴史ノートに記した能力なら、名前を叫べば強力な現象が起こる。けれど学院で学ぶ魔法は、出力を少しずつ調整し、失敗した箇所を自分で見つけ、次の試行で修正していくものだった。


 以前の自分なら地味だと切り捨てていたかもしれない。


 今は、その地味さが面白い。


《なお、かつてのマスターは「出力調整は弱者の技術。真の強者は常に最大出力で世界を――」》


(今すごくいいところだったのに!)


《途中で停止いたしました》


(停止制御を変なところで実践しなくていいから)


 危うく授業で得た充実感を、中学時代の自分に破壊されるところだった。


     ◇


 昼休みになると、五人はいつものように食堂へ集まった。


 大窓から差し込む昼の日差しは朝より強くなっており、長い木製テーブルの上へ明るい帯を作っている。今日は鶏肉と豆の煮込みに焼いた根菜、黒パンが付き、近くの席からも食器の触れ合う音や学生たちの賑やかな話し声が絶えず聞こえていた。


「聞いてくれ! 昨日、先生に褒められた!」


 席へ着くなり、ダンが嬉しそうに話し始める。


「昨日の話?」


 エリオットがパンを取りながら聞き返すと、ダンは勢いよく頷いた。


「停止練習だよ。火を小さくしてから消すやつ、最後の一回以外はかなり良かったって!」


「最後は遅れたんだ」


 ユリウスが何気なく言う。


「そこを拾うなよ! かなり良かった方を拾え!」


「でも、最初より本当に安定していましたよ」


 セシリアが笑いながら助け舟を出す。


「以前は小さく維持しようとしても、途中から少しずつ大きくなっていましたけど、昨日は同じ大きさを保てる時間も長くなっていました」


「ほら!」


 ダンはすぐ機嫌を直した。


「ただ、大きくしようとすると出力が先に上がる癖はまだ残っています」


「セシリアまで最後に落とすの!?」


「改善点も大切ですから」


 セシリアは穏やかに答えながら、自分のスープへ匙を入れる。ダンは不満そうに頬を膨らませたものの、本気で嫌がっているわけではなく、褒められた嬉しさを隠せていなかった。


「セシリアはどうだった?」


 シュウが尋ねると、彼女は少し考えてから答えた。


「私は風の停止を見ていただきました。止めようと意識しすぎると、最後に風を消すのではなく別方向へ押してしまう癖があったので、昨日は一度流れを弱くしてから止める練習をしました」


「上手くいった?」


「最初よりは。ただ、水属性ほど感覚が分かりません。水なら量が減っていく感覚を掴みやすいんですけど、風は目に見えないので、まだ少し難しいですね」


「でも前より良くなったんだろ?」


 ダンが当然のように言う。


「それなら、ちゃんと進んでるじゃん」


 セシリアは一瞬だけ目を丸くした。


 いつもなら自分の成果を大きな声で語るダンが、あまりにも自然にそう言ったからだろう。やがて彼女は目元を柔らかくして、小さく頷いた。


「そうですね。ありがとうございます」


「何で礼言うんだ?」


「言いたかったからです」


「そっか」


 ダンはそれ以上深く考えず、煮込みへフォークを伸ばした。


 そのやり取りを見ていたシュウは、少しだけ笑った。ダンは自分の練習ばかり気にしているように見えて、意外と周囲の変化にも気づいている。


 セシリアも、そんな真っ直ぐな言葉を嫌ってはいないらしい。


 今はまだ、それ以上の意味を考える必要はない。五人はそれぞれ別の教室に所属し、得意な魔法も目標も違うが、こうして昼になれば自然に同じ机へ集まる友人同士だった。


「シュウは今日も図書館だろ?」


 食事を進めながら、ダンが話題を変える。


「うん。今日は東側の古い場所を調べるつもり」


「昨日言ってたやつ?」


「そう。昔のローデル林区の東側に、北と似た管理をしてた可能性がある場所があるんだ。現地へ行くわけじゃなくて、今日は地図で位置を調べるだけだけどね」


「地図か。それなら安全だな」


 何気ない一言だったが、シュウは僅かに目を瞬いた。


 以前のダンなら、「面白そうだから現地へ行こう」と勢いよく言っていたかもしれない。もちろん今でも好奇心は強いが、シュウたちが調べているものが単なる冒険ではなく、安全を確認しながら進める必要のある調査だということを、話せる範囲の情報から理解してきているらしい。


「うん。今日は地図だけだよ」


 シュウが答えると、ダンは満足そうに頷いた。


「何か面白いの見つかったら教えてくれよ。話せる範囲でいいから」


「分かった」


 隣ではセシリアも静かに頷いており、以前より五人の間に「話せないものがあること」を無理に踏み越えない距離感ができているように感じられた。


     ◇


 放課後、シュウ、エリオット、ユリウスの三人は学院図書館へ向かった。


 今日の目的は古地図であり、以前確認したローデル地方の複製地図と、近い年代に作られた用途の異なる地図を見比べながら、東部旧所の位置候補を探す予定だった。


 受付で申請すると、一般閲覧用の複製地図はすぐに用意してもらえた。昨日対応してくれたマティアス・レンではなく、今日は年配の女性司書が担当しており、大判地図を扱うための専用閲覧台まで三人を案内してくれる。


 最初に広げたのは、以前も確認したローデル林区を含む地図だった。


 森林を横切る細い旧街道や河川、境界線が描かれ、その北方には短い縦線を伴う四角記号がある。そして、同じ形の記号が東側にも存在していた。


「まずは位置関係を確認しよう」


 ユリウスの言葉に、シュウとエリオットも頷いた。


 閲覧鏡を使い、東側の記号周辺を拡大する。以前も確認した薄い文字が浮かび上がったが、複製そのものが掠れているため、拡大したところで完全には読めなかった。


「最初の文字は『旧』に見えるんだけどな」


 エリオットが目を細める。


「その後が分からない。『採』っぽくも見えるけど、そう思って見るとそう見えるだけかもしれない」


「なら、今は読めないで止めた方がいい」


 ユリウスが淡々と言う。


「分かってるよ」


 シュウは笑いながら答えた。


 地図上では、東側の記号から少し南を細い道が通り、そのさらに東には川が流れている。北西側には低い丘陵を示す線も描かれており、施設が完全に孤立した場所へ置かれていたわけではなさそうだった。


「昨日アルカディアが言ってた水路は、この地図にはなさそうだね」


「川はあるけど、人工水路までは描かれてないのかも」


 エリオットが地図の表題を確認する。


「そもそも、この地図が何を載せる目的で作られたかも考えた方がいい」


「じゃあ別の地図と比べよう」


 三人は一枚目の位置関係をノートへ簡単に記録してから、次の複製を広げた。


 二枚目は十数年ほど後に作られた地方地図で、行政境界よりも街道と輸送路を中心に描いたものだった。


 同じ東部を見ると、先ほどの地図とは道の位置が違って見える。


「道が西に寄ってる?」


 シュウが首を傾げる。


「年代差もあるかもしれないけど、こっちは主要輸送路しか描いてない」


 ユリウスが表題と凡例を確認しながら答える。


「つまり、前の地図にあった細い道がなくなったとは限らないんだ」


「省略されただけの可能性もある」


 以前リディアから学んだことが、そのまま目の前の資料へ現れていた。


 古地図は、その時代の景色をそのまま写し取ったものではない。誰が、何のために作ったのかによって、必要とされた情報だけが選ばれて描かれる。


 三枚目に選んだのは、水利関係の記録へ付属していた地図だった。


 こちらは逆に街道の情報が少ない代わりに、川と人工水路が細かく描かれている。三人で凡例を確認してからローデル東部へ視線を移すと、主要河川から分岐した細い人工水路が旧林区方向へ伸びていた。


「これだ」


 エリオットが少し声を弾ませる。


「でも、前の地図にあった四角記号はこっちにはないね」


「水利地図だから施設が省略されてる可能性が高いと思う。位置だけ比較できないかな」


 シュウは二枚の地図を見比べた。


 人工水路は南東から北西へ伸び、一部が森林内へ入り込んでいる。ただし、以前のローデル地図に描かれていた東側の四角記号は、その水路から少し北へ離れているように見えた。


 問題は、地図ごとに縮尺も描き方も違うことだった。


「基準になる場所が必要だね」


「川の分岐だけだと不安」


 ユリウスが言う。


「川筋そのものが変わってる可能性もあるし、描き方の誤差もある」


「じゃあ丘とか橋とか、複数の地図に共通してる場所を探そう」


 三人は大きな丘陵、川の合流点、古い石橋、集落などを順番に探していった。


 やがて、エリオットが一つの地名へ指を置く。


「これ、三枚ともあるよ」


 そこには『ベルナ丘』と記されていた。


「丘なら、川より位置は変わりにくいはず」


 シュウが言うと、ユリウスも別の地点を探し始める。


 さらに『東枝橋』という橋が二枚の地図に記載され、水利地図でも名前こそないものの、ほぼ同じ位置に川を横切る構造物が描かれていた。


 ベルナ丘と東枝橋を基準に、それぞれの地図で距離と方向を比べていく。


 もちろん、正確な座標が得られるわけではない。それでも東側の四角記号がベルナ丘の南西、東枝橋から北西に位置し、人工水路よりやや北側にあることまでは、おおよそ一致しているように見えた。


「水路のすぐ横じゃないんだね」


 エリオットが言う。


「じゃあ、水を使う施設ではなかったのかな」


「そこまではまだ言えないと思う。地下で繋がってた可能性もあるし、水路の位置自体が変わってるかもしれない。それに、最初から水と関係ない施設だった可能性もある」


 シュウが答えると、エリオットは地図を見ながら苦笑した。


「可能性が多いなあ」


「今は用途を決めるんじゃなくて、位置を絞るところまででいい」


 ユリウスの言葉で、三人は改めて目的へ意識を戻した。


     ◇


 次に確認したのは、約百七十年前の森林巡検記録へ付属していた簡易地図だった。


 精密な地形図ではなく、管理担当者が巡回する経路を示すためのものらしい。北部、西部、東部それぞれに巡検路が描かれ、主要な分岐点や管理施設だけが簡略化されて記されている。


「東部巡検路はこっちだ」


 シュウが線を追う。


 東の林道から分岐した巡検路は、森林内を進んだ後、一度東側へ膨らむように曲がっていた。その途中に「旧採石地」と記された場所があり、さらに近くには小さな施設記号が描かれている。


「文字がある」


 エリオットが閲覧鏡を寄せる。


 三人で位置を調整し、掠れた文字を慎重に読む。


『旧採石地巡検所』


 今度は、はっきり読めた。


 シュウはすぐに以前のローデル地図へ視線を移した。


 東側の四角と短い縦線。その近くには、以前から「旧……採……」のように見える薄い文字が残っていた。


「これ、かなり近いんじゃない?」


 エリオットの声が少し低くなる。


 ユリウスもいつものように即座に否定することはせず、二枚の地図を交互に確認した。


「ベルナ丘と東枝橋を基準に見ると、位置はかなり近い。ただ、地図の精度も用途も違うから、同じ施設と断定するにはまだ足りない」


「じゃあ、『同じ施設である可能性が高くなった』くらい?」


 シュウが尋ねる。


「それならいいと思う」


 位置だけなら、これまでより一段強い候補になった。


 さらに巡検記録の本文を確認する。


『東部旧採石地、雨季前巡検。巡検所屋根異常なし。旧所保持部、別途確認。』


 シュウは一度読み進めかけてから、視線を戻した。


「待って。巡検所と旧所保持部、別に書かれてる」


 エリオットもすぐ気づき、本文へ顔を近づける。


「本当だ。屋根を確認したのは巡検所で、保持部は『別途確認』になってる」


 それは重要な違いだった。


 もし東側の四角と短い縦線が旧採石地巡検所を示していたとしても、保持機構そのものが巡検所の中にあったとは限らない。むしろ記録上は、巡検所と旧所保持部が別々の確認対象として扱われている。


「前に別地域の地図で見た記号の説明と合うかもしれない」


 シュウが言う。


「『通常の森林業務外の管理対象に付随する施設』だったよね」


 エリオットも思い出したらしい。


 管理対象そのものではなく、それを巡検するための施設。


 もしローデルでも同じ記号体系が使われていたのなら、東側の四角と短い縦線は、旧所そのものではなく、旧所を管理するための巡検所だった可能性がある。


 そこまで考えた瞬間、シュウの脳裏に北方の古い小屋が浮かんだ。


 北側にも同じ形の記号がある。


 そして、現在の北の森には古い小屋が残っている。


(もし、あの小屋も管理対象そのものじゃなくて、何かを管理するための建物だったら……)


 その先にある地下扉のことまで考えかけ、シュウは口を閉じた。


 エリオットは地下扉の存在を知っている。


 けれどユリウスは知らない。


「シュウ?」


 エリオットが呼ぶ。


「ごめん。北側の記号も、管理対象そのものじゃなくて、何かに付属した管理施設だった可能性があるのかなって考えてた」


 嘘ではない。


 ただし、地下扉に関する情報だけは伏せている。


 ユリウスは特に不自然さを感じた様子もなく、地図へ視線を戻した。


「可能性はある。でも、東側の記号が本当に巡検所だった場合の話だし、北側が同じ用途だったとも限らない」


「うん。そこは分けて書く」


 シュウはノートを開き、確認できたことと仮説を混ぜないよう文章を整えていった。


『東側の四角+短縦線記号と、旧採石地巡検所の位置は複数の基準点から見て近い。ただし地図の用途・精度が異なるため、同一施設とは未確定。』


『巡検記録では「巡検所屋根異常なし」「旧所保持部、別途確認」と記載され、巡検所と旧所保持部は別対象として扱われている。』


『別地域の凡例にある「通常森林業務外の管理対象に付随する施設」と整合する可能性がある。ただしローデルで同じ記号体系が使われた証拠はまだない。』


『北方の同型記号も、管理対象そのものではなく付属管理施設を示す可能性があるが、現時点では東側からの類推のみ。』


 書き終えたところで、シュウは一度ペンを置いた。


 かなり大きな進展だった。


 しかし同時に、北の小屋についての見方は以前より複雑になった。


 小屋そのものが「北の封所」なのか。小屋は封所を管理するための建物で、その先に別の管理対象が存在するのか。それとも地下を含む一帯すべてが「封所」と呼ばれていたのか。


 今ある資料だけでは、どれも決められない。


「シュウ、また楽しそうな顔してる」


 エリオットが横から言う。


「昨日もそれ言われたんだけど」


「今日もしてるから」


「分からないこと、むしろ増えたよ?」


「それも昨日聞いた」


 そこでユリウスが資料から顔を上げた。


「たぶんシュウは、分からないことが具体的になるのが好きなんだと思う」


「具体的?」


「最初は『北の場所が何なのか分からない』だけだった。でも今は、地上の施設と管理対象が同じなのか、保持部が何を保持していたのか、東と北で構造が共通していたのか、それぞれ別の問いに分かれてる」


 エリオットも納得したように頷く。


「分からないことが減ってるわけじゃないけど、何が分からないのかは分かるようになってるってことか」


 シュウは二人の言葉を聞きながら、開いたノートへ視線を落とした。


(だから面白いのかもしれない)


 最初は、北の森で起きた出来事が巨大な一つの謎にしか見えなかった。


 今は違う。


 分からないことを小さな問いへ分け、それぞれに必要な資料を探せる。答えにはまだ遠くても、次に何を確認すればいいのかは少しずつ見えるようになっていた。


     ◇


 その後、三人は巡検路をさらに追った。


 旧採石地巡検所から北西へ細い経路が伸び、その先には建物記号こそないものの、「旧所」とだけ記された地点がある。距離は「四町余」と書かれていたが、当時の道に沿った距離なのか、別の測り方なのかまでは記されていない。


「これを現代の距離にそのまま直すのはやめよう」


 シュウが言う。


「うん。巡検路自体が曲がってるし、直線距離とは限らない」


 ユリウスが地図上の線を目で追う。


 エリオットは地形線を確認しながら、旧所候補周辺が旧採石地より少し高くなっていることへ気づいた。


「こっちは少し標高が上がってるね。水利地図にあった人工水路も、この旧所候補のすぐ近くまでは来てない」


「じゃあ水とは関係ない?」


「それもまだ早いと思う。水路が地下を通ってた可能性まで考え始めたら切りがないけど、少なくとも今の資料だけで水を使わない施設とは言えない」


 シュウが答えると、ユリウスも頷いた。


「旧採石地が近いから地質も気になるけど、それも今は後回しでいい」


「地質資料まで見る?」


 エリオットが半分冗談のように尋ねる。


 シュウは少しだけ迷った。


 以前なら、そのまま次の書架を探しに行っていたかもしれない。


「今日は見ない」


 答えると、エリオットが感心したように目を丸くした。


「偉い」


「だから、何でそれだけで褒められるの?」


「必要な情報が増えるたびに全部調べてたら、永遠に帰れないから」


「それは……まあ、そうだけど」


 シュウは少し納得できないまま、ノートへ『地質比較――必要性が高くなった場合に確認。現時点では優先度低』と書き加えた。


 今追うべきなのは、東部旧所の位置と巡検所との関係、それから保持部、保持用白材、小型魔石の繋がりだ。


 新しい疑問が生まれたからといって、その場ですべて追う必要はない。


     ◇


 閲覧時間を終えて地図を返却すると、三人はまだ夕日の残るうちに図書館を出た。


 西の空は薄い橙色へ染まり始めていたが、学院の石畳にはまだ十分な明るさが残っている。閉館時刻まで粘ることの多かった最近を考えれば、かなり早い。


「本当に明るいうちに出てきた」


 エリオットが感心したように空を見る。


「朝から帰るって言ってたでしょ」


「今日は信用する」


「今日は、って付ける必要ある?」


「実績を積んで」


「厳しいなあ」


 ユリウスは二人のやり取りを聞きながら、手元のノートを閉じた。


「明日はどうする?」


「図書館?」


「うん」


 シュウは歩きながら少し考えた。


 昨日と今日だけでも、北部旧所と東部旧所の比較、保持用白材と「継ぎ」の関係、レオル・ハーゼンの役務、東部巡検所と地図記号、それに水路や旧採石地まで、整理しなければならない情報がかなり増えている。


「明日は行かなくてもいいかな。一回、今ある情報を整理したい」


 その答えを聞いたエリオットが足を止めかけた。


「本当に?」


「何その反応」


「いや、珍しくて」


「俺だって毎日図書館に来るわけじゃないよ」


「最近はかなり来てる」


「調べることがあったからだよ!」


「『北部保持材研究録』もまだ読んでないよね」


「忘れてない。でも明日は読まない」


「ローデルの支給台帳は?」


「申請しない」


「地質資料は?」


「見ない!」


 そこまで言うと、ユリウスまで僅かに笑った。


 新しい資料へ進むより、一度立ち止まって整理する。


 それも調査の一部なのだと、シュウ自身ようやく思えるようになっていた。


     ◇


 夕食前、三人は第一学生練習場へ少しだけ立ち寄った。


 図書館から戻る途中、第三区画でダンとセシリアが練習している姿を見つけたからだ。


 ダンは掌から少し離れた位置に、林檎ほどの火球を浮かべている。以前なら大きくすることばかり意識していたが、今日は一定の大きさを保ちながら、セシリアの合図に合わせて少しずつ出力を落としていた。


「もう少し弱くしてください。急に消さなくて大丈夫です」


「分かってる!」


 答えながらも、ダンの声はいつもより少し小さい。


 火球は林檎ほどの大きさから拳大へ縮まり、さらに胡桃ほどまで小さくなると、最後には大きく揺らぐことなく消えた。ただし消える直前、炎の先端だけが僅かに右へ流れている。


 ダンはこちらに気づくと、すぐ満面の笑みを浮かべた。


「見たか!?」


「見たよ。かなり綺麗だった」


 シュウが素直に褒めると、ダンの胸がさらに張られる。


「だろ!」


「最後だけ少し右へ流れた」


 ユリウスが続ける。


「お前は本当に褒めた直後にそれ言うな!」


 ダンが頭を抱え、近くで見ていたセシリアが楽しそうに笑った。


「でも昨日よりかなり滑らかでしたよ。最後の右への流れも、前より小さくなっています」


「セシリアはちゃんと褒めてくれる」


「改善点も言っていますけどね」


 周囲で練習していた学生たちも二人のやり取りに笑っており、ダンはすっかり練習場の賑やかな存在として知られ始めているらしい。


「シュウも少しやってく?」


 ダンに誘われたが、シュウは練習板を見たあと首を振った。


「今日は見るだけにするよ」


「珍しいな」


「ダンまで言うの?」


「だってシュウ、やれることがあるとすぐやるじゃん」


 シュウは思わずエリオットを見る。


「俺ってそんな印象?」


「かなり」


「ユリウスは?」


「否定できない」


 最後の希望を込めてセシリアを見ると、彼女は少し困ったように微笑んだ。


「とても熱心だとは思います」


「言い方が優しいだけで、全員同じこと言ってる……」


 シュウが肩を落とすと、今度は五人全員が笑った。


 今日は見るだけでいい。


 魔法も調査も、毎日限界までやらなければ進まないものではない。


 そんな当たり前のことを、友人たちの反応から改めて教えられている気がした。


     ◇


 夜、317号室へ戻ったシュウは、机の上に二冊のノートを並べていた。


 一冊は学院の授業用で、もう一冊は北方調査用だ。


 授業ノートには『弱→中→強→中→弱→停止』『結果だけでなく変化量を意識』と記され、北方調査ノートには『北部旧所と東部旧所を比較』『施設そのものと管理対象を分ける』という今日の要点が書かれている。


 二冊を見比べているうちに、シュウは少しだけ口元を緩めた。


(何だか、似てるな)


 もちろん、魔法と歴史調査は別のものだ。


 それでも結果だけを見て判断せず、途中を確認し、一つの現象をいくつかの段階へ分けて考えるという点では、学院で学んでいることが北方調査にも少しずつ染み込んでいる。


 シュウは北方調査ノートを開き、今日確認した内容を改めて文章へまとめていった。


『ローデル東部の四角+短縦線記号と、約170年前の巡検記録にある「旧採石地巡検所」は、ベルナ丘・東枝橋等の複数基準点から見て近い位置にある。ただし地図精度と作成目的が異なるため、同一施設とは未確定。』


『巡検記録には「東部旧採石地、雨季前巡検。巡検所屋根異常なし。旧所保持部、別途確認」とあり、巡検所と旧所保持部は別対象として記録されている。』


『別地域で確認した「四角+短縦線=通常森林業務外の管理対象に付随する施設」という凡例と整合する可能性がある。ただし、ローデルで同一記号体系が使用された証拠はまだない。』


『旧採石地巡検所から北西、当時の巡検路で四町余の地点に「旧所」表記。直線距離への単純換算はしない。水利地図では人工水路が確認できるが、旧所候補直近ではない。水利用との関係は不明。』


 そこまで整理してから、少し間を空ける。


 北側については、さらに慎重に書いた。


『北方地図の四角+短縦線も、管理対象そのものではなく、何らかの管理対象に付随する施設を示している可能性がある。ただし現時点では東部資料からの類推に留まる。』


『北部旧所、北の封所、現在の古い小屋を同一のものとして扱わない。』


 最後の一文を書いたところで、ペン先が止まった。


 脳裏へ浮かぶのは、北の森で見た古い小屋と、その下へ続く隠された石扉だった。扉の向こうから響いたノックや、自分へ「帰ってきた」と返した淡い魔力も、忘れようとして忘れられるものではない。


(もし地上の小屋が管理施設だったなら、地下にあるものが本当の管理対象なのかもしれない。でも、それだってまだ決められない)


 小屋と地下空間が一体の施設だった可能性もあれば、地下扉のさらに向こうに別の管理対象が存在する可能性もある。


 資料から確認できないことを、現地で見た印象だけで埋めるべきではない。


《適切な判断かと》


(今日は素直に褒めてる?)


《はい。現時点では》


(最後の一言がちょっと怖いな)


 向かいでは、エリオットがベッドへ腰掛けて授業用の教本を読んでいた。


 シュウがノートを閉じる音に気づき、顔を上げる。


「終わった?」


「うん。今日はこれで終わり」


「明日は本当に図書館行かない?」


「行かないよ」


「『北部保持材研究録』も読まない?」


「読まない」


「支給台帳も申請しない?」


「しないって」


「地質資料も探さない?」


「探さない!」


 そこまで答えると、エリオットはようやく満足したように頷いた。


「よし」


「何の確認なの?」


「調査を休む確認」


「別に一日中休むわけじゃないよ。授業もあるし」


「それでいいだろ。最近、授業の後に研究室へ行ったり図書館へ行ったりしてる日が多かったんだから」


 シュウはすぐに返事をしなかった。


 自分では、好きで調べているだけだから無理をしている感覚はない。それでもエリオットから見れば、学院の授業に加えて漆黒魔力の研究や北方資料の調査まで続けているように見えていたのだろう。


「……ありがと」


「何が?」


「いや、何でもない」


「変なの」


 エリオットは少し笑い、また教本へ視線を戻した。


 シュウも机の上を片づけながら、明日は本当に北方調査を休もうと決めた。


     ◇


 同じ頃、第二男子寮の自室では、ユリウス・ベルンも今日の記録を整理していた。


 机の上には授業用ノートと、北方調査に使っている薄い帳面が並んでいる。ユリウスは調査記録へ余計な推測を書き込むことを好まず、確認できた事実と可能性、未確認事項を明確に分けて残していた。


『東部巡検所と旧所保持部は別対象。』


『地図記号が巡検所を示す可能性は上昇。ただし未確定。』


『東部の構造を北部へ直接適用しない。』


 そこまで書き終えたところで、ユリウスはペンを止めた。


 今日のシュウを思い出す。


 何かを見つけたときに目を輝かせるところは、学院へ入ったばかりの頃から変わっていない。ただ、以前よりもその直後に立ち止まることが増えた。


 似ているものを見つけても、すぐ同じだとは決めない。


 面白い仮説を思いついても、資料で確認できなければ保留にする。


(面白いものを、面白いまま保留できるようになったんだな)


 ユリウスは、それを良い変化だと思っていた。


 ただ一つだけ気になったこともある。


 北側の施設について話していたとき、シュウはほんの一瞬、何かを言いかけて止めた。


 ユリウスはその変化に気づいていたが、問いただすつもりはなかった。シュウが話さないのなら、今は話せない理由があるのだろう。


 自分が知っているのは、古い北方の管理施設に関係する調査をシュウが続けているということだけだ。


 それ以上を想像し、事実へ混ぜるつもりはない。


「分からないものは、分からないままでいいか」


 小さく呟き、ユリウスは帳面を閉じた。


 必要な事実が増えれば、そのうち見えるものも増える。


 今はそれで十分だった。


     ◇


 317号室では、消灯時刻が近づいていた。


 シュウが明日の教本を鞄へ入れていると、しばらく静かだったアルカディアが声をかけてくる。


《マスター》


(今度は何?)


《先ほどは中断されましたが、昨日申し上げかけた「四方封界大陣」の設定について、一点だけ非常に興味深い一致がございます》


(その名前の時点でもう聞きたくない)


《東西南北の四拠点を基点として――》


(聞かないって!)


《中央に眠る「世界核」を封じるため――》


(だから聞かない!)


 シュウは思わず両手で顔を覆った。


 向かいのベッドからエリオットが不思議そうにこちらを見る。


「どうした?」


「昔の俺が、東西南北に施設を置いて何かを封じる設定を作ってたらしい……」


「今調べてるのも北と東だよな」


「言わないで!」


 シュウが顔を覆ったまま叫ぶと、エリオットは一度口を閉じたものの、肩が僅かに震え始めた。


「でも、それって偶然――」


「偶然! 今のところ絶対に偶然として扱うから!」


《なお、南西に該当する施設は現在確認されておりませんので、証拠上も関連性を論じる段階にはございません》


(アルカディアまで真面目に分析しないで!)


 とうとうエリオットが笑い出した。


「ごめん。でもシュウ、それって自分でずっと言ってることと同じじゃない?」


「何が?」


「似てるものが二つあっても、それだけで同じだって決めるなってこと。黒歴史の設定と今の遺跡だって、似てるだけなら同じものとして扱っちゃ駄目だろ?」


 シュウは顔を覆ったまま固まった。


 あまりにも正しい。


 よりによって、ここ最近の調査で自分が何度も確認してきたことそのものだった。


「……そうだね」


「認めた」


「でも、黒歴史の方から調べたりはしないからね?」


「誰も調べろって言ってないよ」


《必要であれば設定資料は全て私が保持しております》


(絶対に出さなくていい!)


 エリオットの笑い声が、静かな317号室へ広がった。


 北と東に存在したかもしれない似た管理施設と、保持用白材、小型魔石。そして、中学時代の自分が考えた東西南北の四拠点。


 似ている部分はある。


 しかし、今のところそれ以上ではない。


 偶然かもしれないし、そもそも比較する価値すらない黒歴史かもしれない。


 だからシュウは、そのことを北方調査ノートへ書き加えなかった。


 証拠ではない。


 歴史資料でもない。


 今の世界について何かを証明する情報でもない。


 ただ、中学時代の自分が勢いだけで作った設定だ。


(それでいい。少なくとも今は)


 シュウは机の魔導灯を消し、ベッドへ入った。


 明日は図書館へ行かず、新しい資料も開かない。


 授業を受け、友人たちと昼食を食べ、普通の学院生活を送る。それでも何か気づくことがあればノートへ残せばいいし、何も起きなければ、それもまた学院で過ごす一日だった。


 窓の向こうでは、雲のほとんどない夜空に月が浮かんでいる。


 シュウは目を閉じた。


 眠りへ落ちる直前まで頭の片隅には東部旧所と北方の古い小屋が残っていたが、それを無理に答えへ変えようとはしなかった。


 今はまだ、分からないままでいい。


 明日になれば、また別のものが見えるかもしれないのだから。

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