第40話 白材という名前は、白樹だけを指す言葉ではありませんでした
翌朝。
第一男子寮三階の廊下には、朝食へ向かう学生たちの足音が途切れることなく響いていた。窓から差し込む朝日はまだ柔らかく、夜の間に冷えた空気が石造りの壁へ残っている。
シュウは317号室の机の前で鞄を開き、今日必要な教本を一冊ずつ確認していた。
王国基礎教養。
基礎魔法理論。
術式演習用ノート。
そして最後に、学院の授業とは直接関係のない薄いノートを入れる。
北方調査用。
表紙を閉じる直前、昨日書いた小さな紙が目に入った。
『白材』
今日、図書館で調べる言葉だ。
「やっぱり持っていくんだ」
背後からエリオットの声がした。
「昨日言ったでしょ」
「言ってた」
「じゃあ何で確認するの?」
「本当に一日空けられたから」
「一日空けただけで褒められるの、何か嫌だなあ」
「実績の問題」
「その言い方、最近多くない?」
シュウは苦笑しながら鞄を閉じた。
昨日は漆黒魔力の追加観察があった。
通常の六属性では、魔力が少しずつ属性へ変わる過程を観測できた。それに対して漆黒魔力は、シュウ自身が変化の始まりを感じているにもかかわらず、観測器ではしばらく通常魔力と同じ反応を示し、一定段階を越えたところで急速に黒い反応が現れた。
違いは見つかった。
けれど、正体は分からない。
研究者であるセレナも、グレイも、そこで結論を出さなかった。
(似てるから同じとも限らないし、違って見えるから完全に別とも限らない)
その考え方は、今日の調査にもそのまま使える。
白材。
家の古い記録に出てきた白樹。
北の古い小屋に使われている、白っぽい木材。
似ている。
だからこそ、同じだと決めつけない。
《成長されましたね、マスター》
(何、その上から目線)
《かつてのマスターであれば、名称に「白」が共通している時点で同一存在と断定していた可能性が――》
(朝から昔の俺を分析しなくていいよ)
《では、記録の読み上げを》
(もっといらない)
シュウは鞄を持ち上げた。
「行こう」
「うん」
エリオットも教本を抱え、二人は部屋を出た。
◇
午前の授業は、昨日までと変わらず進んだ。
基礎魔法理論では、魔力消費と回復について扱われた。
魔力は使えば減る。
休息や食事によって徐々に回復する。
それ自体はシュウも知っていたが、授業ではさらに、同じ量の魔力を使っても疲労の出方が人によって違うこと、属性変換や術式維持に慣れていない者ほど体感的な疲れが大きくなることなどが説明された。
講師はグレイではなく別の教師だったが、昨日の観察を受けたばかりのシュウには興味深い内容だった。
漆黒魔力を使ったとき、自分はどの程度消耗しているのか。
普通の属性魔法と同じなのか。
そこまで考えたところで、シュウは自分で止めた。
(これは今、一人で確かめることじゃない)
ノートの端へ小さく、
『漆黒魔力の消費量――今後、研究時に質問』
とだけ書く。
それ以上は考えない。
《適切です》
(褒められると逆に不安になるな)
《では訂正を》
(しなくていい)
午後の術式演習では、単純な魔力放出式を二つ連続で描き、片方ずつ起動する練習を行った。
一つ目を起動。
停止。
二つ目を起動。
昨日の停止制御とも繋がる内容だった。
シュウは最初の試行で、一つ目を止めた直後に二つ目へ魔力を流そうとして、僅かに術式の線を光らせすぎた。
「急がなくていいですよ」
巡回してきたリディアが言う。
「一つ目を完全に終えてから、二つ目へ移してください」
「はい」
「二つの術式を連続して使うことと、同時に使うことは違います。今は切り替えを明確に」
「分かりました」
二回目。
一つ目を起動する。
停止。
一拍。
二つ目。
今度は綺麗に切り替わった。
「はい。今の方がいいですね」
リディアが頷く。
少し離れた席では、エリオットが一つ目の停止に手間取っていた。
そのさらに向こうではユリウスが二つ目の術式を起動する際、線の一部だけ反応を遅らせている。
誰も完璧ではない。
シュウも同じだ。
その当たり前のことが、学院へ来てから少しずつ実感として分かるようになってきた。
◇
昼休み。
いつもの五人が食堂の一角へ集まった。
シュウが今日図書館へ行くことを話すと、ユリウスはすぐ反応した。
「白材?」
「うん」
「行く」
「やっぱり?」
「気になる」
ユリウスはスープを一口飲んでから続ける。
「昨日は魔力の方だったんだろ」
「うん」
「そっちは?」
「分からないことが増えた」
「正常」
「正常なの?」
「調べれば普通そうなる」
ユリウスらしい答えだった。
ダンがパンをちぎりながら首を傾げる。
「白材って何だっけ?」
「古い記録に出てきた言葉」
シュウは説明できる範囲を選ぶ。
「北の方で昔使われてた建築材料かもしれないんだけど、まだ何を指してるか分からないんだ」
「白い材料?」
「名前だけ見ればね」
「じゃあ白い木?」
「それを決めつけないために調べる」
「ああ」
ダンは納得したように頷いた。
「最近それ多いな」
「俺も思う」
「でも大事ですよ」
セシリアが言う。
「名前が似ているだけで同じものだと思ってしまうと、その後の調査も全部ずれてしまいますから」
「そうなんだよね」
「じゃあ俺の名前と似てる人がいたら?」
ダンが尋ねる。
ユリウスが顔を上げる。
「別人」
「終わった」
「他に何があるの?」
「もう少し例えを広げてくれてもよくない?」
「必要ない」
エリオットが吹き出す。
「ユリウス強いな」
シュウも笑った。
「ダンとセシリアは今日、自主練習?」
「そのつもり」
「私は風を少しだけ。その後は課題をやります」
「俺は火と水」
「停止もやるの?」
「やりたいけど、先生に聞いてからって話になっただろ?」
ダンが言う。
ちゃんと覚えていたらしい。
「ガルド先生に聞けた?」
「今日、廊下で見かけたから聞いた」
「早い」
「『勝手に残留確認できないなら、まず見た目で完全停止する練習だけやれ。細かいのは授業でやる』って」
「ガルド先生らしい」
「あと『火でやるなら小さくしろ』って三回言われた」
「信用されてない」
エリオットが笑う。
「違う。念押しだ」
「同じでは?」
セシリアが静かに言う。
「セシリアまで!」
昼休みの食堂には、あちこちから似たような笑い声が上がっていた。
シュウはその空気の中で食事を続ける。
放課後は図書館。
けれど、それだけが今日ではない。
授業があり、友人たちとの昼食があり、それぞれ別の予定がある。
学院へ来る前に思い描いていた生活は、たぶんこういうものだった。
◇
放課後。
シュウ、エリオット、ユリウスの三人は学院図書館へ向かった。
高い窓から差し込む西日が、閲覧室の長机を斜めに照らしている。紙と革表紙、古い木製書架の匂いが混じった空気は、もう三人にとってかなり馴染みのあるものになっていた。
「まず『北方建築材古称集』?」
エリオットが尋ねる。
「うん」
「場所は?」
「昨日調べてある」
「準備いいな」
「行くって決めてたから」
目的の本は、一般閲覧区の奥にある建築・材料史の棚へ収められていた。
分厚い。
題名通り、北方地方で過去に使われた建築材料の名称を集めた資料で、年代別・地域別に呼称の違いが整理されている。
三人は本を閲覧机へ運んだ。
「索引から」
ユリウスが言う。
「うん」
シュウは巻末を開く。
白。
白材。
白木。
白芯材。
似た言葉がいくつもある。
「あった」
白材。
該当頁は一箇所ではなかった。
「……多いな」
エリオットが覗き込む。
「これ、最初から一種類じゃなさそう」
シュウは最初の頁を開いた。
北方西部、約三百年前。
『白材――色の淡い木材を総称する地方呼称。樹種を問わず用いられた例あり。』
三人とも黙った。
「いきなり白樹じゃない」
エリオットが言う。
「うん」
シュウはノートへ書く。
『白材=白樹とは限らない。地域・時代により淡色木材の総称例あり。』
次の頁。
約二百五十年前。
別地域。
『白材――白灰樹、雪皮樹等の加工材を指す商業上の総称。』
「これも複数」
ユリウスが言う。
「白灰樹と雪皮樹……白樹とは別?」
「索引見る」
確認する。
白灰樹。
雪皮樹。
どちらも白樹とは別の樹種だった。
「じゃあ、名前だけじゃ全然駄目だ」
シュウは苦笑した。
期待していなかったと言えば嘘になる。
昨日、『ローデル北部役務抄』の修繕記録に「白材」という言葉を見つけたとき、真っ先に白樹を思い浮かべた。
北の小屋。
白い木材。
魔力を保持する白樹。
古い記録の白材。
全部が繋がるように見えた。
けれど、一冊調べただけで、その単純な繋がりは崩れた。
(でも、これでいい)
間違ったまま進むより、ずっといい。
「次」
ユリウスが言う。
約二百十年前。
『白材――北東部の一部では、魔力保持性を持つ淡色材を特にこう呼ぶ例がある。ただし統一名称ではない。』
三人の視線が止まった。
「今度は近い」
エリオットが言う。
「でも北東部」
「ローデルは?」
ユリウスが地理索引を見る。
「北部中央寄り。時代によって行政区分変わるけど、北東部とは言いにくい」
「じゃあこれをそのまま当てはめるのは無理だね」
「うん」
シュウは記録する。
『一部地域では魔力保持性を持つ淡色材=白材の例。ただし北東部、統一名称ではない。ローデルへの適用根拠なし。』
さらに頁を進める。
そして。
「ローデル」
シュウの指が止まった。
地域別補遺。
『旧ローデル地方』
年代は、およそ百九十年前から百五十年前。
三人が自然と本へ近づく。
『旧ローデル地方の役務・修繕記録に「白材」の語が散見される。』
シュウの心臓が少し速くなる。
続きを読む。
『現存資料のみでは単一樹種を指すか、加工分類を指すか不明。』
「……不明」
エリオットが呟く。
「でも続きある」
ユリウスが示す。
『同時代の材木搬入記録では、「白材」「樫材」「黒松材」等が並記される一方、別記録では「白材・保持用」「白材・壁用」等の用途別記載が確認される。』
シュウはゆっくり読み直した。
「保持用」
「あるね」
「でも、白材全部が保持用じゃない」
ユリウスがすぐ言う。
「『壁用』もある」
「うん」
シュウは興奮しそうになる気持ちを抑えながら書く。
『旧ローデルで白材の使用例あり。単一樹種か加工分類か不明。「保持用」「壁用」等の用途別記載あり。白材全体が魔力保持材とは断定不可。』
昨日の研究室でセレナが言っていたことを思い出す。
一つ見つけて、答えへ飛びつかない。
別の記録と比べる。
「もう少し下」
エリオットが言った。
『「保持用白材」については、後世資料にて白樹加工材との関連を指摘する研究がある。ただし、当時の原記録には樹種名を記した例が乏しく、同一性は確定していない。』
シュウは息を止めかけた。
「……関連を指摘」
「確定してない」
ユリウスが続ける。
「うん」
「でも候補にはなった」
エリオットが言う。
「そうだね」
今までとは違う。
白材という言葉だけなら、白樹と結びつける根拠はなかった。
しかし、旧ローデル地方。
保持用白材。
そして後世研究で白樹加工材との関連が指摘されている。
証明ではない。
けれど、調べる価値のある候補にはなった。
「その後世資料、何?」
ユリウスが注記を見る。
「『北部保持材研究録』……学院所蔵」
「また増えた」
エリオットが笑う。
「読む?」
シュウは一瞬迷った。
以前なら即答していたかもしれない。
だが今日は、まだこの本を読み終えていない。
「先に白材を最後まで見る」
ユリウスが頷く。
「賛成」
「成長したなあ」
「エリオット、それ何回目?」
「数えてない」
◇
三人はその後も『北方建築材古称集』を読み進めた。
白材という呼称は、予想以上に曖昧だった。
単純に白っぽい木。
特定地域で複数の淡色樹種をまとめた商業分類。
魔力保持性を持つ材料。
表面を白く加工した木材。
地域によっては木材だけでなく、白色の石材を含めた建築材の総称として使われた例さえある。
「これ、言葉だけじゃ何も分からないな」
エリオットが額へ手を当てた。
「時代と場所がないと駄目」
ユリウスが答える。
「ローデルの記録で出たことが大事なんだね」
シュウは自分のノートを見る。
白材。
たった二文字だった。
しかし、意味を確かめようとすると、年代、地域、用途、材質、別記録との比較が必要になる。
「古文書って大変だな」
「今さら?」
「いや、分かってたけど」
シュウは苦笑する。
「一個の言葉でこんなに分岐すると思わなかった」
「だからオルド先生が文脈って言ってたんだろ」
ユリウスの言葉に、シュウは頷く。
古い魔法を知るなら、魔法だけを見るな。
材料。
道具。
土地。
制度。
使っていた人。
授業で聞いた内容が、そのまま今の調査へ繋がっている。
「じゃあ次、ローデルの『保持用白材』が何に使われたか?」
エリオットが尋ねる。
「それも知りたい」
「『北部保持材研究録』?」
「候補」
シュウはノートへ書く。
『次候補――『北部保持材研究録』。ただし、先に既存記録内の「白材」使用箇所も確認。』
ユリウスがそれを見て、少し考える。
「昨日の役務抄、もう一回見た方がいい」
「『白材』が他にもないか?」
「うん。昨日は北部旧所の箇所中心だったから」
「確かに」
閉架資料である『ローデル北部役務抄』は、一度返却している。
再閲覧には、また申請が必要だ。
「今日は申請だけ出しておこうかな」
「それならできる」
三人は本を閉じ、閲覧申請窓口へ向かった。
◇
窓口には昨日とは別の司書が座っていた。
三十代ほどの男性で、名札には「マティアス・レン」とある。
「『ローデル北部役務抄』の再閲覧ですね」
「はい」
「以前閲覧した記録があります。目的は同じ調査の継続ですか?」
「はい。前回は北部旧所関係を中心に見たんですが、今回は『白材』という語の使用箇所を確認したくて」
「分かりました」
マティアスは申請票へ記入する。
「資料保護のため、同じ資料でも閲覧回数が多くなる場合は状態確認を挟むことがあります」
「今日は無理ですか?」
「本日は収蔵庫側の確認時間を過ぎています。最短で明日の放課後ですね」
「分かりました」
「ただし、状態確認で延期になる可能性があります」
「はい」
「では予約を入れておきます」
「ありがとうございます」
申請を終える。
そのまま戻ろうとしたところで、ユリウスが足を止めた。
「すみません」
「はい?」
「『北部保持材研究録』は一般閲覧ですか?」
マティアスが端末代わりの索引帳を確認する。
「一般閲覧ですね。ただし、かなり古い研究書です」
「今日見られますか?」
「書架にあります。北方建築史、第三棚です」
三人は顔を見合わせた。
「どうする?」
エリオットが尋ねる。
シュウは窓の外を見る。
まだ閉館までは時間がある。
ただし、一冊をしっかり読むには少し短い。
「今日は場所だけ確認する」
「読まない?」
「少しだけ見たら、絶対続き読みたくなるから」
エリオットが笑った。
「自己理解が進んでる」
「それ褒めてる?」
「かなり」
◇
第三棚へ行き、『北部保持材研究録』の場所だけ確認する。
濃い茶色の表紙。
思ったより分厚い。
著者名は、エルド・マルセル。
発行は約六十年前。
「新しい」
シュウが言う。
「俺たちが見てる資料に比べたら」
エリオットが答える。
ユリウスは背表紙の分類記号だけ自分のノートへ書いた。
「今日は終わり」
「うん」
シュウも頷く。
本へ手を伸ばさない。
かなり気になる。
(……一頁くらい)
《マスター》
(分かってる)
《まだ何も申し上げておりません》
(絶対止めようとしたでしょ)
《むしろ一頁から始まり閉館まで読み続ける未来を予測しておりました》
(だから帰るって)
シュウは本から視線を外した。
今日分かったことは十分ある。
◇
図書館を出ると、外はすでに夕方の色へ変わり始めていた。
石畳を歩きながら、エリオットが両腕を伸ばす。
「思ったより早く終わった」
「まだ明るい」
「この時間に図書館から出るの珍しくない?」
「そんなことないよ」
「ある」
ユリウスまで頷く。
「二対一か……」
「事実の味方」
「自分で言うんだ」
「シュウが前に言った」
そんな会話をしながら歩いていると、第一実技棟の方向から見覚えのある二人が来た。
「おーい!」
ダンだ。
隣にはセシリアもいる。
ダンの髪は少し汗で額へ張り付き、セシリアも普段より頬が赤い。
「練習終わった?」
シュウが尋ねる。
「終わった! 今日はちゃんと小さい火だけ!」
「ちゃんとって自分で言うんだ」
「本当に小さくしたぞ」
ダンは両手で拳ほどの大きさを示す。
「停止は?」
「見た目だけならかなり揃った。でも残留は分からないから、そこまで」
「ガルド先生の指示守ったんだ」
「当たり前だろ」
少し胸を張る。
セシリアが横から言う。
「最後に一度だけ大きくしようとしていましたけど」
「してない!」
「手を広げていました」
「大きさ確認しただけ!」
「何の?」
「……火の」
「やっぱり大きくしようとしてるじゃん」
エリオットが笑う。
「未遂だから!」
ダンの抗議が夕方の中庭へ響いた。
通りかかった学生が何事かとこちらを見て、すぐに笑いながら通り過ぎていく。
「セシリアは?」
「風を練習しました」
「どうだった?」
「起動は昨日より少し速くなりました。ただ、停止するときに水より意識が必要ですね」
「やっぱり属性で違う?」
「私の場合は。水なら流れを止める感覚が分かりやすいのですが、風は消そうとすると最後に少し乱れます」
「俺も昨日、止めるときに手を動かして風向きずれた」
「では、次は姿勢も見てみます」
セシリアはすぐ覚えておくように頷いた。
ダンがシュウを見る。
「そっちは?」
「白材調べた」
「白い木?」
「それが、白い木だけじゃなかった」
「え?」
「地域によって意味が違うみたい」
「じゃあ何だった?」
「ローデルだと、まだ分からない」
ダンの眉が寄る。
「また分からない?」
「でも前より絞れた」
「最近、その言い方便利だな」
「便利じゃなくて本当にそうなんだよ」
五人で寮と食堂の方向へ歩き出す。
途中で二組と三組の知り合いに声をかけられ、ダンが練習の話をし、セシリアがそれを少し訂正する。
シュウはそんなやり取りを聞きながら歩いた。
北の森の謎は大きい。
漆黒魔力の謎も大きい。
けれど、その間にも学院生活は進んでいる。
魔法を学び、失敗して、友人と話し、食事をする。
どちらかを捨てる必要はない。
◇
夕食後。
317号室へ戻ったシュウは、北方調査用のノートを開いた。
今日の内容を整理する。
『白材――地域・年代によって意味が異なる。白樹の別名とは断定不可。』
『淡色木材の総称例あり。複数樹種の商業分類例あり。魔力保持性を持つ淡色材を指す地域例あり。木材以外を含む例もあり。』
『旧ローデル地方――約百九十〜百五十年前の役務・修繕記録に「白材」。単一樹種か加工分類か不明。』
『「白材・保持用」「白材・壁用」の用途別記載あり。白材全体が保持材ではない。』
『後世研究で「保持用白材」と白樹加工材の関連指摘あり。ただし同一性未確定。』
『次――『ローデル北部役務抄』内の白材使用箇所を再確認。再閲覧申請済み。最短で明日。』
『『北部保持材研究録』学院一般閲覧。約六十年前、エルド・マルセル著。場所確認済み。』
書き終える。
まだ確定していないことも、その下へ分けて書く。
『不明』
『北部旧所の白材=白樹か。』
『白材・保持用がどの施設へ使われたか。』
『北の封所の修繕材に含まれるか。』
『現在の北の小屋に使われている白い木材との一致。』
『「継ぎ」と保持用白材の関係。』
『ハーゼン家が白材管理にも関与したか。』
そして、さらに別の頁。
『継続調査』
『ハーゼン家→アルヴェイン家の管理引継ぎ有無。』
『アルヴェイン家が北方管理へ関与し始めた最古記録。』
『ローデル地図の線付き四角記号。東側同記号の用途。』
『北守の証/白守文書。』
『魔石四個の用途。』
ずいぶん増えた。
だが、以前のように全部を一度に調べようとは思わない。
「多いな」
向かいのエリオットがノートを見て言った。
「うん」
「嫌にならない?」
「ならない」
「即答」
「むしろ面白い」
「知ってた」
エリオットは自分の机へ戻りかけて、ふと足を止める。
「家からの返事って、まだだよな」
「うん。手紙送ったばかりだし」
「何聞いたんだっけ」
「アルヴェイン家が北の管理に関わり始めた時期と、ハーゼン家から引き継いだ記録がないか」
「それが分かれば結構大きいな」
「うん。でも、記録が残ってればね」
シュウはそこで一度言葉を切った。
残っていない可能性もある。
家族が探してくれているからといって、必ず答えが見つかるわけではない。
「なかったら?」
エリオットが尋ねる。
「学院で探す」
「それでもなかったら?」
「北方記録院とか?」
「遠いな」
「数日かかるみたい」
「行くの?」
「今すぐは行かないよ」
シュウは笑った。
「授業あるし」
「そこはちゃんと覚えてた」
「俺を何だと思ってるの?」
「図書館に住めるなら住みそうな人」
「住まないよ!」
「本当に?」
「……食堂遠くなるし」
「理由そこ?」
エリオットが笑う。
シュウも笑った。
◇
しばらくして、エリオットが入浴へ出ていった。
部屋に一人になる。
シュウは窓を少し開けた。
夜風が入る。
昼間よりずっと涼しい。
遠くに見える学院の研究棟には、まだいくつか明かりが残っていた。
セレナたちも、昨日の記録を調べているのだろうか。
(漆黒魔力の方は、今は待つ)
自分で試さない。
それは決めた。
北の森も、今すぐ戻るわけではない。
家族からの返事を待ちながら、学院で確認できるものを調べる。
できることと、待つべきこと。
少しずつ区別できるようになってきた。
《マスター》
(何?)
《本日の調査について、一点よろしいでしょうか》
(うん)
《「白材」という呼称が複数の意味を持つ点は、過去のマスターによる命名規則とは大きく異なります》
シュウの眉が動いた。
(嫌な予感しかしない)
《過去のマスターは、同一名称が複数対象を指すことを好まれませんでした》
(へえ。そこだけ聞くと普通だね)
《はい。そのため全ての素材へ固有名称を付与し――》
(あ、駄目だ)
《例えば白色系統だけでも――》
(聞かない)
《「月白神木」「聖骸白晶」「天哭白銀」「零界白――」》
(多い多い多い!)
シュウは額を押さえた。
(何で白いだけでそんなに名前つけてるんだよ!)
《区別のためです》
(区別しすぎだよ!)
《なお、「月白神木」には三段階の覚醒形態が》
(聞かない!)
危なかった。
今日一日かけて、昔の言葉は同じ名称でも意味が違うことを学んだ直後に、中学時代の自分が全素材へ仰々しい固有名を付けていた事実を突きつけられるところだった。
いや、少し突きつけられた。
「……昔の俺、名前つけるの好きすぎない?」
《大変お好きでした》
「声に出てた」
《はい》
シュウは深く息を吐き、窓を閉めた。
机へ戻る。
そして、今日の調査ノートの最後に一文だけ追加する。
『名称だけで判断しない。地域・年代・用途・記録の種類を確認する。』
これなら、北の封所だけではなく、これから古い記録を読むときにも使える。
ペンを置こうとして、ふと止まる。
白材。
保持用。
白樹との関連。
まだ証明はされていない。
しかし、旧ローデル地方で実際に使われていた呼称だったことは確認できた。
(明日、役務抄をもう一度見られれば……)
どこへ使われた材料なのか。
北部旧所なのか。
別の施設なのか。
そこが分かるかもしれない。
期待が膨らむ。
同時に、今日学んだことを思い出す。
分からなければ、それでいい。
別の資料へ進めばいい。
答えを急ぐ必要はない。
廊下から足音が近づき、やがて317号室の扉が開いた。
「戻った」
「おかえり」
髪を拭きながら入ってきたエリオットが、机のノートを見る。
「まだやってたの?」
「今終わった」
「本当に?」
「本当に」
「図書館の本、取りに戻ったりしない?」
「もう閉まってるよ!」
「開いてたら?」
「……行かない」
「間があった」
「行かないって!」
エリオットが笑う。
シュウはノートを閉じた。
明日になれば、また新しい記録を読めるかもしれない。
何も分からないかもしれない。
予想と全く違うものが出てくるかもしれない。
それでも構わない。
白材という一つの言葉だけでも、今日まで自分が知らなかった歴史がいくつも隠れていた。
ならば、北の森に残されたものも、一つの答えだけを急いで求めるのではなく、少しずつ確かめていけばいい。
窓の外では、学院の夜を知らせる鐘が静かに鳴り始めていた。




