↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/65

第38話 魔法を止める練習は、出すより難しいです


 翌朝。


 昨夜まで空に残っていた雲はすっかり消え、王立魔法学院の上には淡い青空が広がっていた。前々日の雨で洗われた木々はいつもより色鮮やかに見え、第一男子寮の窓から差し込む朝日も眩しいほどだった。


 その光を顔へまともに浴びながら、エリオットは布団の中で唸っていた。


「……眩しい」


「朝だからね」


「カーテン閉めて」


「起きる時間だから開けたんだけど」


「じゃあ太陽を弱くして」


「俺に頼むことじゃないよ」


 シュウは制服の襟を整えながら笑った。


《マスターであれば、かつて太陽に対抗する設定を――》


(朝からやめて)


《まだ詳細を申し上げておりません》


(太陽に対抗する時点で十分だよ)


 昨日の夜、古文書関係の黒歴史を暴露されたばかりである。


 これ以上増やされたくない。


 シュウは机の上を確認した。


 今日は北方調査用のノートを持っていく必要はない。


 『ローデル北部役務抄』は昨日閲覧を終えているし、『北方建築材古称集』についても、今日は見に行かないと決めた。


 少なくとも、今朝の時点では。


「シュウ」


「何?」


「今、図書館のこと考えてただろ」


 布団から出てきたエリオットが、寝癖のついた髪のままこちらを見ていた。


「何で分かるの?」


「昨日の顔と同じだった」


「どんな顔?」


「行かないって決めたのに、行きたい顔」


「そんな顔ある?」


「ある」


 シュウは否定しようとして、やめた。


(まあ、行きたいけど)


 白材。


 昨日見つけた言葉の意味は気になる。


 白樹との関係も。


 けれど、だからこそ今日は調査から離れる。


 北の森について考え始めれば、次から次へと調べたいことが出てくる。それだけに集中してしまえば、せっかく魔法学院へ入った意味が薄くなってしまう。


「今日は行かない」


「本当に?」


「行かない」


「じゃあ放課後は?」


「予定見てから」


「もう弱くなった」


「授業次第って意味だよ!」


 エリオットは笑いながら洗面台へ向かった。


     ◇


 午前の授業を二つ終えたあと、三組の学生たちは第一実技棟へ移動した。


 今日の授業は基礎魔法実技。


 担当はガルド・ベイル。


 大柄な身体に実技用の灰色の服を着たガルドは、学生たちが集まるより先に訓練場中央へ立っていた。その隣では、淡い緑色の髪を後ろでまとめたミレイ・アスターが、床へ等間隔に目印を置いている。


 訓練場の壁際には、掌ほどの石板が何十枚も並べられていた。


「今日は何だろ」


 エリオットが小声で言う。


「石板使うみたいだね」


「術式?」


「それならリディア先生じゃない?」


 シュウたちが話している間にも学生が集まり、やがて全員が揃った。


 ガルドが腕を組む。


「よし。今日は派手なことはやらん」


 何人かの学生が少し残念そうな顔をした。


 その中にダンがいないのが不思議なくらいだったが、今日は三組だけの授業なので、本人は別の場所にいる。


「魔法を出す。止める。もう一度出す。今日はこれをやる」


 ガルドは右手を上げた。


 指先から小さな炎が生まれる。


 拳よりずっと小さい。


 赤い炎が二秒ほど灯り、消えた。


 再び灯る。


 消える。


 また灯る。


 どれもほぼ同じ大きさだった。


「簡単に見えるだろ?」


 学生たちの何人かが頷く。


「じゃあやってみろ。多分、お前らが思ってるより面倒だ」


 ガルドが笑った。


「魔法を出すことだけ覚えた奴は多い。だが、実戦でも仕事でも重要なのは、必要なときに止められることだ。火を消せない。風を止められない。水を出し続ける。そんな奴に大きな魔法を使わせるわけにはいかん」


 シュウは昨日の授業を思い出した。


 変換量。


 変換精度。


 変換効率。


 そして今日は、停止。


「昨日の変換授業とも少し関係があります」


 ミレイが学生たちへ説明する。


「属性変換を終えることと、魔力供給そのものを止めることは、似ているようで少し違います。今日はそこを意識してください」


 床へ並べられた石板が配られる。


 表面には単純な目盛りが刻まれていた。


「これは残留魔力を見るための板です」


 ミレイが一枚を持ち上げる。


「魔法を停止したあと、どの程度魔力が流れ続けているかを確認できます。ただし精密測定器ではありません。授業用です」


 シュウは受け取った石板を見つめた。


(また測定器か)


 昨日ほど緊張はしない。


 今回は通常魔法しか使わないことが分かっている。


 それでも、漆黒魔力についてグレイから注意を受けたばかりなので、いつもより慎重になる。


「最初は《微灯》だ!」


 ガルドの声が響く。


「一秒点灯、一秒停止! 十回! 大きさを揃えろ! 止めた後まで魔力を垂れ流すな!」


 学生たちが散開した。


     ◇


「《微灯》」


 シュウの指先に小さな光が灯る。


 一秒。


 止める。


 石板を見る。


 淡い光が少し残った。


「……残ってる」


 隣のエリオットも自分の石板を見ていた。


「俺も」


「完全に止めたつもりだったんだけど」


「俺も」


 シュウはもう一度試す。


 光。


 停止。


 今度は先ほどより意識的に魔力供給を切った。


 石板に残る反応は小さくなった。


(魔法を消すのと、魔力を止めるのは違うのか)


 見た目では光が消えている。


 しかし、術式へ流していた魔力そのものは僅かに残っている。


 三回目。


 四回目。


 五回目。


 回数を重ねるほど、停止後の残留反応は小さくなっていった。


 だが七回目。


 今度は光そのものが予定より早く消えた。


「あ」


「切るの早かった?」


 エリオットが気づく。


「うん」


「俺もさっきやった」


 止めることを意識しすぎると、維持時間が短くなる。


 維持へ意識を向けすぎれば、停止が遅れる。


「難しいな」


「出すだけなら簡単なのに」


 シュウは八回目へ移る前に、一度呼吸を整えた。


 点灯する。


 維持する。


 停止する。


 それぞれを別の作業として考えすぎているのかもしれない。


(最初から終わりまで一つの魔法として考える)


 光を出す。


 一定に保つ。


 終わらせる。


 八回目。


 九回目。


 十回目。


 最後の三回はかなり近い結果になった。


「アルヴェイン」


 ガルドが後ろから声をかけてきた。


「はい」


「最後三つは悪くない」


「ありがとうございます」


「だが六、七回目で止めることに意識が寄りすぎてるな」


「自分でも分かりました」


「ならいい。魔法は始める前から終わりまで考えろ」


 ガルドはシュウの石板を指で軽く叩いた。


「出した後に『さて、どう止めよう』じゃ遅い」


「はい」


「戦いなら特にな。敵に当たったから終わりじゃない。外したとき、避けられたとき、味方が射線へ入ったときに止められるか。それも制御だ」


 シュウは頷いた。


 それは今まであまり考えていなかった。


 強い攻撃を出す。


 当てる。


 防ぐ。


 黒歴史ノートの能力には、そういう派手な設定が大量にある。


 だが、途中で止めるという発想は――。


《マスター》


(待って)


《はい》


(今、昔の俺が「止める必要などない」とか書いてた気がしてきた)


《正確には――》


(正確にしなくていい)


《承知しました》


 嫌な記憶だけ妙に鮮明になり始めている。


 シュウは頭の片隅から追い出し、次の練習へ集中した。


     ◇


 《微灯》の次は《送風》だった。


 こちらは光より難しかった。


 目の前へ置かれた細長い布を、一定の角度まで持ち上げる程度の弱い風を起こす。二秒維持したら停止し、布が元へ戻ったことを確認してから再び風を送る。


「強い」


 ミレイがエリオットへ声をかける。


「はい」


「二回目から少しずつ風量が増えています。一定にすることを優先しましょう」


「分かりました」


 エリオットは一度手を下ろした。


 水属性なら比較的自然に扱える彼も、風では少し勝手が違う。


 一方、少し離れた場所ではユリウスの布がほとんど同じ角度で揺れていた。


「安定してるなあ」


 エリオットが羨ましそうに言う。


「風得意だから」


 ユリウスは淡々と答える。


「止める方は?」


「三回目まで残った」


「今は?」


「減った」


 相変わらず簡潔である。


 シュウも自分の布を見る。


 一回目。


 少し強い。


 二回目。


 ほぼ指定位置。


 停止。


 石板へ残る魔力は僅か。


 三回目。


 同程度。


 四回目。


 風を止めた瞬間、布が横へ少し揺れた。


「……ん?」


 シュウは首を傾げる。


 もう一度。


 今度は問題ない。


(何だったんだ?)


《停止直前、風向が僅かに右へ偏りました》


(やっぱり?)


《はい。ただし魔力量自体に大きな変化はありません》


(俺の手の向きかな)


《可能性があります》


 シュウは自分の手首を見る。


 停止しようとした瞬間、無意識に手を引いていたかもしれない。


 次は手を動かさない。


 風を起こす。


 維持。


 止める。


 布は真っ直ぐ落ちた。


(これだ)


 身体の動きも魔法へ影響する。


 当たり前のことなのに、意識していなかった。


「今、何か分かった?」


 エリオットが尋ねる。


「止めるときに手を引いてたみたい」


「それで風向き変わった?」


「たぶん」


「俺も見てみよう」


 エリオットが次の試行を始める。


 シュウはその横顔を見て、少し笑った。


 最近はこういうことが増えた。


 誰かが失敗する。


 原因を考える。


 別の誰かも自分に同じ癖がないか確認する。


 一人で練習していたら、きっと気づけないことも多い。


     ◇


 後半になると、ガルドは少し難しい課題を出した。


「次は途中停止だ!」


 訓練場に声が響く。


「合図が出るまで魔法を維持しろ! 俺かミレイが手を上げた瞬間、すぐ止める! いつ合図するかは教えん!」


 学生たちからざわめきが起こった。


「それだけですか?」


 誰かが聞く。


「それだけだ。だが勝手に止めるな。合図より前も駄目、遅れても駄目だ」


 ミレイが補足する。


「今回は《微灯》だけにします。出力は低くしてください。合図を見落とさないよう、魔法だけへ集中しすぎないことも大切です」


 シュウはその言葉に少し納得した。


 魔法だけを見ない。


 周囲を見る。


 実戦なら当然必要になる。


 学生たちが一定間隔に並んだ。


 シュウの指先に小さな光が灯る。


 周囲にも数十の光。


 訓練場の空気が少し明るくなる。


 ガルドは前を歩く。


 何も言わない。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


(まだ?)


 四秒。


 突然、ミレイが右手を上げた。


 シュウは魔力を切る。


 周囲の光が一斉に消え――なかった。


 いくつか遅れて残った。


 逆に、一瞬早く消えた者もいる。


「今、俺を見てた奴!」


 ガルドが笑う。


「ミレイの合図を見落としたな!」


 何人かが気まずそうな顔をした。


「俺だけを見るな。誰が合図を出すか最初に言っただろ」


 シュウは自分の石板を確認する。


 少し残留している。


 合図へ反応することを優先しすぎて、魔力を雑に切ったらしい。


「もう一回!」


 二回目。


 今度はガルド。


 三回目はミレイ。


 四回目はかなり長く待たされた。


 集中が魔法へ寄っていく。


 光を一定に。


 でも前も見る。


 隣の学生との距離。


 教師二人。


 自分の魔力。


 シュウは視線だけではなく、訓練場全体を意識しようとした。


 そのとき、ガルドの左手が上がる。


 停止。


 光が消えた。


 石板の反応もかなり小さい。


「よし」


 思わず小さく呟いた。


「何がよし?」


 隣のエリオットが聞く。


「今の上手くいった」


「俺、遅れた」


「どのくらい?」


「ちょっと」


 石板にはシュウより濃い反応が残っている。


「合図見てから魔法止めようって考えた」


「俺も最初そうだった」


「どうした?」


「合図が来たら止めるって最初から決めて、維持と停止を別々にしすぎないようにした」


 エリオットは少し考え込んだ。


「……やってみる」


 次の試行。


 エリオットの停止は先ほどより明らかに速くなった。


「お」


「今のいいかも」


 本人も手応えを感じたらしい。


 ユリウスも近くで安定した結果を出している。


 しかし、五回目。


 ユリウスの光が合図より僅かに早く消えた。


「あれ?」


 シュウが珍しく感じて見る。


 ユリウスは眉を寄せた。


「予測した」


「合図を?」


「ガルド先生が歩く速度変えたから、来ると思った」


「それで先に止めた?」


「うん」


 ガルドも気づいていた。


「ベルン!」


「はい」


「今、読んだな?」


「はい」


「実戦で相手を読むのはいい! だが訓練の合図を読むな!」


 訓練場に笑いが広がる。


 ユリウスは少しだけ気まずそうに視線を逸らした。


「珍しい」


 エリオットが笑いを堪えながら言う。


「何が?」


「ユリウスが注意されてる」


「普通にされる」


「でも珍しい」


「エリオット」


「何?」


「次、先生が見てる」


 エリオットが慌てて前を向いた。


 今度はシュウが笑う番だった。


     ◇


 授業の最後。


 ガルドは学生たちを集めた。


 全員が少し疲れている。


 大きな魔法は一度も使っていない。


 それなのに、普段の実技と同じくらい集中力を消耗していた。


「今日やったのは地味だ」


 ガルドが言う。


「だが覚えとけ。魔法を強くする方法だけ知ってる奴より、必要な瞬間に弱められる奴、止められる奴の方が信用できる場面はいくらでもある」


 学生たちは静かに聞いている。


「特に複数人で動くならな。自分一人なら外して終わりでも、仲間がいるならそうはいかん」


 シュウの中に、その言葉が残った。


 仲間。


 将来、冒険者として旅をしたいと思っている。


 誰と行くのかは決まっていない。


 今の五人がそのままパーティーになるとも決まっていない。


 それでも、自分以外の誰かと魔法を使うなら、強さだけでは足りない。


「最後に一つ」


 ガルドは学生たちを見回した。


「自分が止められない魔法を、格好いいからって理由で使うなよ」


 シュウの胸に、嫌なものが刺さった。


《マスター》


(やめて)


《まだ何も》


(今の絶対俺に効くやつだから)


《過去の記録には――》


(読まなくていい!)


「アルヴェイン?」


 ガルドがこちらを見る。


「はい!」


「どうした」


「何でもありません!」


「そうか?」


 周囲の何人かがシュウを見る。


 エリオットも首を傾げている。


 シュウは何でもない顔を作った。


 しかし。


《「我が魔法に停止という概念はない。放たれた終焉は世界が滅びるまで――」》


(最後まで読むなって!)


 シュウは奥歯を噛み締めた。


 十三歳の自分には、ぜひ今日の授業を受けてもらいたい。


     ◇


 昼食では二組のダンとセシリアも合流した。


「今日は止める練習だった」


 エリオットが説明すると、ダンが不思議そうな顔をした。


「止める?」


「魔法を」


「消せばいいんじゃないの?」


「俺も最初そう思った」


「違うの?」


 シュウが自分の石板で出た結果を説明する。


「見た目では消えてても、術式に魔力が少し残ってることがあるんだって」


「へえ」


 ダンはすぐ興味を示した。


「それ、火でもやる?」


「今日は微灯と送風」


「火でやりたい」


「まず小さいのでやるんじゃない?」


 セシリアが静かに言う。


「いきなり火で停止練習をするより安全です」


「分かってるって」


「昨日も同じこと言っていました」


「昨日はちゃんと小石だっただろ?」


「ですから、今日もお願いします」


「信用されてるのか、されてないのか分からない」


「信用しているから言っています」


 セシリアがさらりと答える。


 ダンが少し黙った。


「……それ言われると何も返せない」


「いいことじゃん」


 エリオットが笑う。


 シュウも笑いながら食事を進める。


「セシリアは止めるの得意そう」


 シュウが言うと、彼女は少し考えた。


「どうでしょう。水なら比較的できると思いますが、風だと遅れるかもしれません」


「昨日、起動速くする練習してたもんね」


「はい。出す方へ意識が寄っていますから、停止まで含めるとまた変わりそうです」


「俺もやってみたいな」


 ダンが言う。


「今度、練習区画でやる?」


「先生にやり方聞いてからの方がよくない?」


「何で?」


「授業用の残留魔力を見る板ないし」


「ああ」


「止められたつもりになるかもしれない」


「なるほど」


 ダンは納得して頷いた。


 勢いだけで「やろう」と言わなくなったのは、やはり変化だろう。


 ユリウスは食事をしながら静かに話を聞いていたが、やがてシュウへ視線を向けた。


「今日、図書館行く?」


「行かない」


 シュウは即答した。


「即答」


 エリオットが言う。


「昨日決めたから」


「『北方建築材古称集』は?」


「明日でも逃げない」


「成長したな」


「昨日も言われた気がする」


「実際成長してる」


 ユリウスまで頷く。


「何か悔しいんだけど」


 セシリアが口元を隠して笑った。


     ◇


 午後の授業も終わり、その日の講義予定がすべて消化された。


 図書館へは行かない。


 そう決めていたシュウは、エリオットと一緒に中央講義棟を出た。


 ユリウスは別の本を返却するため図書館へ向かい、ダンとセシリアは二組の友人たちと話しながら別方向へ歩いていった。


「本当に寮戻る?」


 エリオットが聞く。


「戻る」


「練習区画は?」


「今日は行かない」


「図書館は?」


「行かないって!」


「確認しただけ」


「絶対面白がってるでしょ」


「ちょっと」


 秋に近づきつつある午後の風が、校舎の間を抜けていく。


 昨日の雨の湿気はほとんど消え、土の匂いも薄くなっていた。


 寮へ向かう途中、シュウは第一実技棟での授業を思い返す。


 出す。


 維持する。


 止める。


 簡単な《微灯》ですら、意識して分解すれば学ぶことがあった。


(漆黒魔力も、止めるところまで考えたことなかったな)


 出すときは意識している。


 黒く変える。


 使う。


 止める。


 しかし、本当に完全に止まっているのか。


 身体の中ではどうなっているのか。


 通常魔力へ戻っているのか。


 変質そのものが消えているのか。


「……」


 シュウは歩きながら眉を寄せた。


「考えてる」


 エリオットが言う。


「分かる?」


「分かるようになった」


「嫌だなあ」


「何考えてる?」


「今日の授業」


「ならいいじゃん」


「ちょっと特殊な魔力のことも」


 エリオットの表情が僅かに変わった。


 詳しいことは知らない。


 だが、シュウがグレイたちへ普通とは違う魔力について相談していることは知っている。


「勝手に試すなよ」


「試さないよ」


「本当に?」


「先生にも同じこと言われてる」


「じゃあ試さないな」


「先生の方が信用ある?」


「ある」


「即答しないでよ」


 エリオットは笑った。


 シュウも笑う。


 けれど、彼の言葉はちゃんと胸へ残った。


 試さない。


 気になる。


 けれど、待つ。


 今の自分には、それができる。


     ◇


 第一男子寮へ戻り、階段を上がる。


 廊下にはすでに何人かの学生がおり、部屋へ戻る者、談話室へ向かう者、洗濯物を抱えて歩く者の姿があった。


 317号室へ近づいたところで、シュウは扉の前に人が立っていることへ気づいた。


「あれ?」


 寮の上級生だった。


 以前、家族からの手紙が届いたときにも部屋まで知らせに来てくれた学生だ。


「アルヴェイン」


「はい」


「ちょうどよかった」


「郵便ですか?」


 一瞬、家からの返信かと思った。


 だが、手紙を送ったばかりだ。


 いくら何でも早すぎる。


「いや。中央研究棟から連絡」


 シュウの足が止まった。


「研究棟?」


「グレイ先生から」


 上級生が一枚の小さな紙を差し出す。


「寮受付に預けられてた。今日中に渡してほしいって」


「ありがとうございます」


 受け取る。


 封筒ではない。


 二つ折りになった連絡票だ。


 上級生は「じゃあな」と言って廊下を戻っていった。


 エリオットがシュウの隣へ立つ。


「先生?」


「うん」


「開けていいやつ?」


「たぶん」


 シュウは二つ折りの紙を開いた。


 短い文章だった。


『シュウ・アルヴェイン君へ。


 先日話していた追加観察について、ヴァイス研究員との準備が整いました。


 明日の放課後、都合が悪くなければ中央研究棟一階・第三観察室へ来てください。


 今回も参加は任意です。体調に不安がある場合、または気が進まない場合は延期できます。


 グレイ・ハルバート』


 シュウはしばらく黙って読んだ。


「……来た」


「例の?」


 エリオットが尋ねる。


「うん」


 詳しく言わなくても伝わった。


 昨日、いつになるか分からないと言われていた漆黒魔力の追加観察。


 準備が整ったらしい。


「明日?」


「放課後」


「行くの?」


 シュウはすぐには答えなかった。


 怖いわけではない。


 むしろ知りたい。


 通常魔力から漆黒魔力へ変わる過程。


 普通の属性変換と同じなのか。


 昨日、闇属性へ変換したときに感じた「もう一つの道」が何だったのか。


 知りたいことはいくらでもある。


 けれど、参加は任意だ。


 行かなければならないわけではない。


 シュウは紙をもう一度読んだ。


(行きたい)


 今度は、その気持ちを自分で確認する。


「行く」


 そう答えると、エリオットは頷いた。


「分かった」


「止めないんだ」


「先生と研究員が準備してるんだろ?」


「うん」


「だったら、勝手に部屋で試すより百倍いい」


「百倍?」


「千倍でもいい」


「増えた」


「でも、途中で嫌になったら止めろよ」


 エリオットは冗談ではなく言った。


「先生もそう書いてる」


「分かってる」


「ならいい」


 エリオットは扉を開ける。


 いつもの部屋。


 二つのベッド。


 二つの机。


 窓から入る夕方の光。


 シュウは中へ入り、連絡票を自分の机へ置いた。


《マスター》


(明日だって)


《確認しました》


(何か注意ある?)


《現時点では、グレイ・ハルバート氏およびセレナ・ヴァイス氏の指示に従うことを推奨します》


(それだけ?)


《加えて、違和感があれば即時申告を》


(うん)


《そして、独断で出力を上げないこと》


(分かってる)


《途中で新たな現象を発見しても、その場の好奇心のみで再現しないこと》


(……分かってるって)


《返答までの間が長くなりました》


(気のせい)


《〇・八秒です》


(測らなくていいよ!)


 シュウは椅子へ座った。


 机の左には学院の授業ノート。


 右には北方調査ノート。


 その間へ、グレイから届いた連絡票を置く。


 北の封所を調べること。


 普通の魔法を学ぶこと。


 自分の漆黒魔力を調べること。


 どれか一つだけが学院生活ではない。


 全部が今の自分に繋がっている。


「今日は復習だけにするか」


 シュウが呟く。


「図書館行かないんだな」


 向かいからエリオットが言う。


「行かないよ!」


「確認」


「何回確認するの?」


「本当に行かなかったから」


「信用なさすぎない?」


「昨日までの実績」


「ぐっ……」


 反論できない。


 シュウは教本を開いた。


 今日習った停止制御。


 《微灯》。


 《送風》。


 魔法の開始から終了までを一つとして考える。


 その内容をまとめながら、シュウはふと自分の黒歴史ノートを思い出した。


(そういえば、アルカディア)


《はい》


(さっき途中で止めたやつ、何だったの?)


《どちらでしょうか》


(ガルド先生が「止められない魔法を使うな」って言ったときの)


 一拍。


《閲覧しますか》


(短いやつなら)


《承知しました》


 嫌な予感がする。


 それでも聞いてしまうのが人間というものだった。


《中学時代のマスターによる記述です》


(うん)


《「我が魔法に停止という概念はない。なぜなら我が敵に、生存という結末は存在しないからだ」》


「…………」


 シュウは教本を閉じかけた。


「どうした?」


 エリオットが顔を上げる。


「昔の俺を学院に入学させたい」


「何で?」


「四年間みっちり基礎からやり直させたい」


「シュウ、今一年生だろ」


「俺じゃなくて昔の俺」


「だから何の話?」


「忘れて」


 エリオットはしばらく不思議そうにしていたが、やがて肩をすくめて自分の教本へ戻った。


 シュウも顔を覆っていた手を下ろす。


 窓の外では、夕陽が学院の屋根を赤く染め始めていた。


 明日の放課後。


 第三観察室。


 グレイとセレナが用意した追加観察。


 今度調べるのは、漆黒魔力がどれだけ強いかではない。


 通常の魔力が、どうやってあの黒い力へ変わるのか。


 普通の属性変換と比べて何が同じで、何が違うのか。


 シュウは連絡票を一度見てから、今日のノートの最後へ一行だけ書き加えた。


『明日――漆黒魔力追加観察。無理に答えを出そうとしない。違和感があれば止める。』


 書き終えると、今度こそペンを置く。


 答えを知りたい気持ちはある。


 けれど、明日一日ですべてが分かるとは思っていない。


 普通の魔法を学ぶほど、自分の魔力に何が足りないのか、何を調べるべきなのかが少しずつ見えてくる。


 ならば、明日もその続きを確かめればいい。


 今夜は、それで十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。