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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第37話 古い役務記録には、仕事をした人の名前が残っています


 前日の雨は夜半まで降り続いたらしく、翌朝の学院には湿った土と濡れた草の匂いが残っていた。


 第一男子寮を出たシュウは、朝日に照らされた石畳を歩きながら、ところどころに残った水溜まりを避ける。雲はまだ多いものの、東の空から差し込む光は明るく、校舎の窓や植え込みの葉に残った雨粒が細かく輝いていた。


「昨日より寒いな」


 隣を歩くエリオットが肩をすくめる。


「雨の後だからかな」


「上着持ってくればよかった」


「取りに戻る?」


「そこまでじゃない」


 言いながらも、エリオットは制服の襟元を少し閉じた。


 シュウはその様子を見て笑いかけたが、すぐに自分の鞄へ意識を戻した。中には普段の教本や筆記具と一緒に、北方調査用のノートが入っている。


 今日は予約していた閉架資料を閲覧する日だ。


 『ローデル北部役務抄』。


 古いローデル林区北部で、どのような役務が行われていたのかをまとめた資料らしい。保存上の理由から閉架になっているだけで、閲覧そのものに特別な制限はないと確認してある。


(何か分かるといいけど……期待しすぎるのも違うよな)


 これまでの調査で、ハーゼン家がローデル北部の管理に関わっていた可能性はかなり高くなった。


 ゲオルグ・ハーゼン。


 レオル・ハーゼン。


 家の記録と学院側の資料。


 同じ時代。


 同じ地域。


 そして「封所」という言葉。


 ただし、それらが現在のアルヴェイン領北部にある監視小屋や地下施設へ直接繋がる証拠は、まだない。


《マスター》


(うん?)


《本日の閲覧資料について、確認事項を再整理しますか》


(いや、大丈夫。昨日まとめたから)


《承知しました》


 アルカディアも、それ以上は言わなかった。


 最近はこういう距離感が増えている。


 何でも先回りして答えを出すのではなく、必要なら補助する。


 シュウにとっても、その方が気楽だった。


「今日だったよな」


 エリオットが言う。


「何が?」


「閉架資料」


「うん。放課後」


「ユリウス、絶対朝から覚えてるぞ」


「忘れるタイプじゃないからね」


「俺たちが忘れるタイプみたいに言うなよ」


「俺、手紙忘れかけたし」


「俺、課題忘れかけた」


 二人は一瞬黙った。


「……何も言えないな」


「うん」


 そんな会話をしながら中央講義棟へ入ると、廊下の先から見慣れた黒髪が近づいてきた。


 ユリウスだった。


「おはよう」


「おはよう」


「放課後」


 挨拶の直後にそれだけ言われた。


 シュウとエリオットが顔を見合わせる。


「ほら」


「覚えてた」


「何の話?」


「何でもない」


 ユリウスは少しだけ怪訝そうな顔をしたものの、深く追及せず教室へ向かった。


     ◇


 午前中は学院生活らしい、穏やかな時間が続いた。


 基礎計算法では魔力量と術式維持時間の関係を扱い、続く王国基礎教養では街道管理と地方行政について学ぶ。北方調査へ直接結びつくような新情報はなかったが、シュウは以前より真面目に授業内容をノートへ残していた。


 古い資料を読むようになってから、何が後で役立つのか分からないと実感したからだ。


 とはいえ、すべてを北の森へ結びつけるつもりもない。


 昼休み。


 いつもの五人で食堂の席を囲むと、ダンがスープへパンを浸しながらシュウへ尋ねてきた。


「今日、練習来る?」


「今日は図書館」


「また?」


「予約してた資料が今日なんだ」


「北のやつ?」


「うん」


 ダンは少し残念そうにしたものの、すぐ隣のセシリアを見る。


「じゃあ今日も二人か」


「私は構いませんよ」


「風やる?」


「そのつもりです。ダンさんは水ですか?」


「水もやるけど、土もやりたい。昨日の授業で変換の感じ意識したら、ちょっと試したくなった」


 シュウは思わずダンを見る。


「ちゃんと普通の練習だよね?」


「何だよ、その聞き方」


「急に大きい岩持ち上げたりしない?」


「しないって!」


 ダンは抗議するが、セシリアが静かに視線を向けると、少しだけ声が弱くなった。


「……小さい石からやる」


「そうしてください」


「分かってるよ」


 最近のダンは、勢いだけで魔法を使うことがかなり減った。


 性格そのものは変わっていない。


 面白そうなことにはすぐ食いつくし、競争になれば熱くなる。


 それでも、学院で何度も「大きさより制御」「一度できるより再現できること」と言われ続けた結果、本人なりに考えるようになっている。


「そっちは何調べるんだ?」


 ダンが今度はシュウへ聞く。


「昔の北側で、誰がどんな管理をしてたか」


「前に言ってた昔の家?」


「ハーゼン家のことも出るかもしれない。でも、出ないかもしれない」


「どっちなんだよ」


「まだ分からないから調べるんだよ」


「それもそうか」


 ダンは納得してパンを口へ運んだ。


 セシリアが少し考えてから尋ねる。


「その資料は、北の森について直接書かれたものなのですか?」


「たぶん違う。ローデル北部っていう昔の地域の役務記録だから、森林管理とか巡回とか、そういうのが中心だと思う」


「では、目的の記録だけ探すより、当時の普通の仕事が何だったかを見るのも大事かもしれませんね」


 シュウの手が止まる。


「普通の仕事?」


「はい。もし特別な役目が記録されていたとしても、普段の仕事を知らなければ、それが本当に特別なのか分かりませんから」


 ユリウスがすぐ頷いた。


「それは見る」


「確かに」


 シュウもノートを出そうとして、食事中だったことを思い出して止める。


 エリオットが笑った。


「今書く気だっただろ」


「忘れそうで」


「食べてからにしろ」


「はい」


 セシリアも小さく笑っていた。


 北の調査をしているのはシュウ、エリオット、ユリウスが中心だ。


 それでも、ダンやセシリアと話していると、自分たちだけでは思いつかなかった視点が出てくる。


(やっぱり、一人で調べるよりいいな)


 昔の自分なら、きっと逆のことを書いていただろう。


《参考までに――》


(今はいらない)


《まだ内容を申し上げておりません》


(絶対「孤高」とか「王」とか入ってるから)


《否定はいたしません》


(ほら)


 危うく顔に出そうになり、シュウはスープを飲んで誤魔化した。


     ◇


 放課後。


 シュウ、エリオット、ユリウスの三人は、授業を終えるとそのまま学院図書館へ向かった。


 雨上がりの午後は空気が澄んでおり、窓から入る光も朝より強い。図書館の高い窓を通った陽光が長机の上へ斜めに落ち、その中を細かな埃がゆっくり漂っていた。


 入口で学生証を提示し、受付へ向かう。


「予約していた資料をお願いします」


 ユリウスが代表して告げる。


 司書が三人の学生証を確認した。


「『ローデル北部役務抄』ですね。閲覧席は奥の資料閲覧区画になります」


「はい」


「保存状態の都合で、直接強く開かないでください。重しはこちらで用意します。筆記は鉛筆のみ。術式筆、インク、飲食物は持ち込み禁止です」


「分かりました」


「資料の一部に欠損があります。読めない箇所を無理に開こうとしないでください」


 三人とも頷いた。


 しばらく待つと、別の司書が両手で平たい保存箱を運んできた。


 思ったより大きい。


 箱そのものも古いわけではなく、資料保護用に新しく作られたものらしい。


「こちらです」


 閲覧区画へ案内される。


 普段使う読書席よりも机が広く、手元を照らす魔導灯も置かれている。周囲には同じように古文書を読んでいる上級生や研究員らしき人々が数人いるため、自然と声を落とす空気になっていた。


 司書が箱を開ける。


 中に入っていたのは、一冊の本ではなかった。


「……束?」


 エリオットが小声で言う。


「『役務抄』は後世にまとめられた名称です」


 司書が説明する。


「複数年代の役務記録を写し取った冊子と、後代の整理索引が一緒に保存されています。原本ではありません」


「写本なんですね」


「はい。ただし写本年代も古く、すでに劣化が進んでいます」


 シュウは少しだけ身を乗り出す。


「原本は?」


「所在不明のものが多いです。一部は王立北方記録院に移された可能性がありますが、どの記録が対応しているかは確認されていません」


「分かりました」


 司書が離れる。


 三人はすぐには資料へ触れなかった。


 まず整理索引を見る。


「年代順」


 ユリウスが言う。


「それと地域別」


 エリオットが指差す。


 シュウは自分のノートを開いた。


「ゲオルグが約百九十年前。レオルが約百七十年前」


「その間を中心に見る。でも先に前後の普通の役務」


 ユリウスが昼休みのセシリアの意見を採用する。


「そうしよう」


 三人は役割を分けた。


 シュウが百九十年前前後。


 エリオットが少し後。


 ユリウスが索引と地域区分を確認する。


 静かな時間が始まった。


     ◇


 最初のうちは、地味な記録ばかりだった。


『北部第三林道、雪解け後の崩れを確認。人夫六名を以て補修』


『西沢木橋、春季増水により一部損耗。材木を追加』


『狩猟区境標、二基転倒。再設置』


『北部薪材搬出、前年より減』


『巡検役二名、南側林道を確認』


 シュウは一つずつ読みながら、内容を簡単にノートへ写していく。


(本当に普通の仕事だ)


 道を直す。


 橋を直す。


 境界標を立て直す。


 森林資源を管理する。


 巡回する。


 ローデル林区という名前の通り、森林行政の記録が大部分を占めている。


 しばらくして、エリオットが小声で言った。


「セシリアの言った意味、分かってきた」


「うん」


 シュウも頷く。


「『巡検』って言葉だけなら、普通に何度も出てくる」


「北へ行ったから特別ってわけじゃない」


「そういうこと」


 家の帳簿にあった、


『ローデル北部、春季巡検に同行。封所異常なし』


 という記述。


 これまで「巡検」という言葉にも意味があるように感じていたが、少なくとも林区行政では一般的な業務語だったらしい。


「じゃあ重要なのは『封所異常なし』の方?」


「少なくとも、そっちの方が珍しい」


 ユリウスが索引から顔を上げずに答える。


「まだ全部見てないけど、『封所』は索引に独立項目がない」


「ない?」


 シュウが見る。


「うん。林道、境標、狩猟区、採取区、旧所、倉、監視所はある。でも封所はない」


「じゃあ行政上の正式名称じゃなかった可能性?」


「ある。逆に、写本を作った人が項目化しなかっただけの可能性もある」


「そっか」


 すぐに答えへ飛びつかない。


 それが今の三人の共通姿勢になっていた。


 さらにページを進める。


 十数枚ほど読んだところで、シュウの指が止まった。


「……あ」


「何?」


 エリオットが覗き込もうとする。


「ちょっと待って」


 シュウは行を最初から読み直した。


 文字が掠れている。


 しかし読める。


『春初、北部旧所三ヶ所を改む。第一、屋根材損。第二、異常なし。第三、境柱一本傾く』


 シュウはノートへそのまま写す。


「北部旧所」


 ユリウスもこちらへ来た。


「三ヶ所?」


「そう書いてある」


「年代」


「ゲオルグの記録より……少し前かな」


 欄外の年号を確認する。


 およそ百九十数年前。


「『旧所』って、前にも出てたよね」


 エリオットが言う。


「レオルの『北部旧所巡検補助』」


「うん」


 シュウの胸が少し高鳴る。


 だが、すぐに深呼吸した。


(落ち着け)


 旧所。


 三ヶ所。


 屋根材。


 境柱。


 少なくとも、何らかの施設や管理地点を指している可能性は高そうだ。


 しかし、それだけだ。


「これだけだと封所とは繋がらない」


 シュウが自分から言う。


 ユリウスが頷いた。


「そう。旧所は三つある。北の監視小屋がその一つとも限らない」


「そもそも今の小屋と同じ時代かも分からない」


 エリオットも続ける。


「でも、レオルが巡検補助してた『北部旧所』が、こういう場所だった可能性は上がった?」


「それは言っていいと思う」


 ユリウスは少し考える。


「同じ用語が同地域、近い年代で使われてるから」


 シュウはノートへ書いた。


『約190年前前後の役務記録に「北部旧所三ヶ所」。少なくとも複数の旧管理地点/施設らしきものが存在。レオルの「北部旧所巡検補助」と同種対象の可能性あり。ただし封所・現監視小屋との一致未確認。』


「これでいい?」


「いい」


 ユリウスが確認する。


 それから三人はさらに読み進めた。


     ◇


 ゲオルグ・ハーゼンの名前が見つかったのは、それからしばらく後だった。


「シュウ」


 エリオットが声を落としながらも、明らかに普段より強い調子で呼んだ。


「ここ」


 指差した先。


 古い文字の列の中に、確かに名前がある。


『北部管理役 ゲオルグ・ハーゼン』


 三人の顔が自然と近づいた。


「学院側の別資料と同じ」


 シュウが言う。


「役職も同じ」


 ユリウスがすぐ確認する。


「前に見たのは『ローデル林区北部管理役』」


「こっちは北部管理役」


「同一人物の可能性はかなり高い」


「でも確定は?」


「まだしない」


「了解」


 エリオットが苦笑した。


「最近、このやり取り慣れたな」


「大事だから」


 その名前が出ている箇所は、人員配置の記録らしい。


『北部管理役 ゲオルグ・ハーゼン』


『林道巡検補佐 バルド・ケルン』


『資材役 ノーマン・レイス』


『境標改役 フェルド・ミール』


 ハーゼン姓だけが特別扱いされているわけではない。


 シュウはそこも記録する。


「ゲオルグだけ秘密の役職って感じじゃないな」


「普通に行政組織の中にいる」


 エリオットが言う。


「少なくとも、この資料上は」


 ユリウスが付け足す。


「だね」


 さらに次の頁。


 業務配分。


 ゲオルグの名前が何度か出てくる。


『北部第一林道巡検』


『境界北標確認』


『冬季前薪材量確認』


「……普通だ」


 シュウが思わず呟く。


「普通だね」


「北部管理役だから」


 ユリウスは当然という顔をしている。


 シュウは少し肩の力を抜いた。


 どこかで期待していたのかもしれない。


 ゲオルグ・ハーゼンという名前を見つけた瞬間、北の封所へ直接繋がる記録が出てくるのではないかと。


 しかし、現実には林道や境界や薪材の確認。


(そりゃそうだよな)


 昔の人だって、謎の施設だけ管理して生きていたわけではない。


 日々の仕事がある。


 生活がある。


 役職がある。


 それを知れたこと自体が無駄ではない。


 むしろゲオルグが実際にローデル北部の行政管理へ関わっていたという裏付けが増えた。


 次の頁をめくる。


 そこで、ユリウスの手が止まった。


「待って」


「何?」


「ここ」


 短い記録だった。


『北旧所第二、白材補修。管理役ハーゼン立会』


 三人とも黙った。


 シュウは一度読んだ。


 もう一度読む。


「白材……?」


 エリオットが呟く。


 胸の奥で、何かが跳ねる。


 白樹。


 その言葉が真っ先に浮かんだ。


 だが、シュウは口に出す前に止めた。


(違う。まだ違う)


「白樹とは書いてない」


 自分へ言い聞かせるように言う。


 ユリウスも頷いた。


「『白材』」


「白い木材って意味かもしれない」


「石材かもしれないし、何か別の材料名かもしれない」


 エリオットも慎重に続ける。


「でも調べる価値はあるよな?」


「ある」


 それは三人とも同意した。


 シュウは丁寧に書き写す。


『北旧所第二、白材補修。管理役ハーゼン立会』


 年代。


 資料番号。


 頁。


 写本であること。


 その下へ大きく書く。


『「白材」=白樹とは未確認。語義調査必要。』


《マスター》


(分かってる)


《まだ何も申し上げておりません》


(白樹って言おうとしたでしょ)


《候補の一つとして想起すること自体は自然です》


(候補止まりね)


《はい》


 アルカディアも断定しない。


 シュウは少し安心して次を見る。


 しかし、その記録には続きがあった。


『補修材二束、北倉より搬出。小魔石二、同じく』


「魔石」


 今度はエリオットが先に反応した。


 シュウも息を止める。


 レオルの北部旧所巡検補助。


 その際に小型魔石四個が支給されていた。


 家の日誌では、「継ぎ」の前後に魔石購入記録がある。


 そして今回。


 北旧所第二。


 白材補修。


 小魔石二個。


「……近づいてきた?」


 エリオットが小さく言う。


「何に?」


 ユリウスが尋ねる。


「いや……」


 エリオットは一度言葉を止めた。


「白い材料と魔石を使う旧所があったってことには」


「そこまでは」


 ユリウスが頷く。


「この記録が正確なら」


「写本だもんね」


「そう」


 シュウはノートへ続ける。


『北旧所第二の白材補修時、小魔石二個を北倉から搬出。用途は記載なし。白材との同時使用か、別用途かも不明。』


「魔石を補修に使ったとは書いてない」


 シュウが言う。


「同じ日に運んだだけかもしれない」


「別の仕事用かも」


 エリオットが答える。


「だから用途不明」


 ユリウスが締める。


 三人とも慎重だった。


 それでも、先ほどまでの林道補修とは明らかに違う感触がある。


 ハーゼン。


 北部旧所。


 白材。


 魔石。


 これまで別々の資料で見つけていた言葉が、一つの短い記録へ集まり始めていた。


     ◇


「一回休もう」


 しばらくして、シュウから言った。


 頭が熱くなっている。


 こういうときほど、読み違いをしそうだった。


 三人は資料から手を離し、背もたれへ身体を預ける。


 閲覧区画の窓から午後の光が入っている。


 外では雨上がりの木々が風に揺れ、遠くから学生たちの声がかすかに聞こえてきた。


「思ったより普通の記録多かったな」


 エリオットが言う。


「役務記録だから」


 ユリウスは当然のように答える。


「でも、それが良かったかも」


 シュウはノートを見た。


「ゲオルグが北の何かだけ担当してた人じゃなくて、普通に林道とか境界も見てたのが分かった」


「北部管理役として普通に仕事してる」


「うん」


「その人が北旧所第二の補修にも立ち会ってる」


 エリオットが続ける。


「そう考えると、旧所も林区管理の仕事の一部だった可能性がある?」


「可能性はある」


 ユリウスが答える。


「秘密施設だったとは限らない」


 その言葉に、シュウは少し驚いた。


「秘密じゃない?」


「少なくとも当時は」


 ユリウスは資料へ視線を向ける。


「役務記録に普通に書いてある。名称を隠してない」


「確かに」


「今は忘れられてるだけで、昔は普通の管理施設だった可能性もある」


 シュウはその考えをゆっくり飲み込んだ。


(秘密だったから記録が少ないんじゃなくて、時間が経って忘れられた?)


 もちろん、まだ分からない。


 だが、今までとは少し違う見方だった。


「それ、書いとく」


「仮説って付けて」


「分かってる」


 ノートへ追記する。


『北部旧所は当時の林区役務記録へ通常業務として記載。少なくとも本写本では秘匿対象のようには扱われていない。後世に意味・用途が失われた可能性もあるが、現時点では仮説。』


 書き終えたところで、シュウはふと父の手紙を思い出した。


 アルヴェイン家でも、北の封所に関する役目は代々伝わっていた。


 しかし、いつから始まったのか。


 なぜ始まったのか。


 そこが分からない。


 もしハーゼン家がローデル北部の管理に関わっていた時代から、何らかの形で旧所が存在していたなら。


 その後、行政区分が変わり、アルヴェイン家の領地になったときに――。


(いや)


 そこから先はまだ早い。


 シュウは自分で思考を止めた。


「今、何か考えた?」


 エリオットに気づかれた。


「ハーゼン家からアルヴェイン家に管理が移った可能性」


「やっぱり」


「でも証拠ないから止めた」


「成長したな」


「何、その言い方」


「前ならもう三段階くらい先まで考えてた」


「……否定できない」


 ユリウスが真顔で頷いた。


「五段階くらい」


「増やさないでよ」


 声を抑えながら三人で笑う。


 近くの閲覧者がこちらを見たので、慌てて静かになった。


     ◇


 休憩を終え、再び資料へ戻る。


 今度はレオルの年代を中心に探した。


 ゲオルグの記録から十数年ほど後。


 林区の人員も変わっている。


 ゲオルグの名前は見当たらなくなり、別の管理役が記載されていた。


「レオル、管理役じゃないんだよね」


 エリオットが確認する。


「学院の別資料では北部管理補佐」


 シュウが答える。


「家の記録だとアルベルトが『今年の継ぎ、レオルに任す』」


「時期が完全に同じかは確認必要」


 ユリウスが言う。


「うん」


 索引を追う。


 そして、レオルの名前は比較的すぐに見つかった。


『北部管理補佐 レオル・ハーゼン』


「いた」


「やっぱり同じ役職」


「これも別資料と一致」


 シュウは記録する。


 さらに役務欄。


『北部旧所巡検補助』


 既に別資料で確認していた内容とほぼ同じ。


 しかし、その次の行に少し違う情報があった。


『第一、第二異常なし。第三、床下導材一部交換』


「床下……」


 シュウが目を細める。


「導材?」


 エリオットが首を傾げる。


 ユリウスはすぐ索引を探した。


「用語欄……ある」


 三人で見る。


『導材――魔力、熱、流水等を一定方向へ導く目的で設置される加工材の総称。地域・年代により意味異なる』


「魔力とは限らない」


 シュウが先に言う。


「熱かもしれない。水かもしれない」


「でも床下に導材」


 エリオットは興味深そうに読む。


「第三旧所」


 ユリウスが言った。


「白材が出たのは第二」


「別の場所だ」


「うん」


 ここは重要だった。


 同じものとして混ぜてはいけない。


 北部旧所は少なくとも三ヶ所。


 第二では白材補修と魔石搬出。


 第三では床下導材の交換。


 用途が同じとも限らない。


「旧所って全部同じ種類の施設じゃない可能性もあるよね」


 シュウが言う。


「ある」


「例えば管理小屋、倉庫、監視所みたいに」


「それも候補」


 ユリウスが答える。


「まだ決めない」


「はい」


 ページをさらに進める。


 そこで、小型魔石の支給記録が見つかった。


『北部巡検用、小魔石四、管理補佐レオルへ渡す』


「これだ」


 エリオットが言う。


 以前見た資料では「北部旧所巡検補助」時に小型魔石四個が支給されたと整理されていた。


 今回の写本では少し表現が違う。


「『旧所』って書いてない」


 シュウが気づく。


「北部巡検用」


「前の資料は後世の整理かもしれない」


 ユリウスが言う。


「元資料が違う可能性もある」


「じゃあ、『旧所巡検のために魔石四個』って断定しちゃダメ?」


「ダメ」


「危なかった」


 シュウは以前のノートへ修正注記を加える。


『今回閲覧写本では「北部巡検用、小魔石四、管理補佐レオルへ渡す」。旧所用途とは明記なし。以前の整理資料との差異あり。出典確認必要。』


 同じ出来事らしく見えても、資料によって書き方が違う。


 それだけで意味が変わる。


(こういうの、怖いな)


 一つの資料だけなら、「旧所巡検に魔石を使った」と思い込んでいたかもしれない。


 オルドが言っていたことを思い出す。


 一つの資料。


 一つの言葉。


 一つの記号。


 それだけで答えを決めない。


 まさに今、その意味を実感していた。


     ◇


 閲覧時間が終わりに近づいたころ、三人は最後に索引全体を確認した。


「東側」


 シュウが言う。


「地図の線付き四角」


「忘れてない」


 ユリウスが地域索引を開く。


 ローデル林区東部。


 採取区。


 旧採石地。


 東倉。


 巡検所。


「『採』っぽく見えた文字」


 エリオットが古地図で見た不鮮明な文字を思い出す。


「旧採石地なら合う可能性ある?」


「文字だけなら」


 ユリウスは指を止める。


「でも地図上の位置と照合しないと無理」


「今日、地図持ってきてない」


「写しなら調査ノートにある」


 シュウが開く。


 以前、正確な地図を複製したわけではなく、位置関係だけ簡略化して書いたものだ。


 北側の線付き四角。


 東側の線付き四角。


 川。


 旧道。


 森の境界。


「東側、この辺」


「旧採石地の記録に距離ある?」


 エリオットが索引を追う。


「あった」


 ユリウスが読む。


『東部旧採石地、東林道分岐より半里余』


「半里余……」


 シュウは考える。


 以前、王国基礎教養で習ったばかりだ。


 古い距離表現を現代地図へそのまま当てはめてはいけない。


「これだけじゃ位置一致は判断できないね」


「道も昔と今で違う」


「東林道が地図のどれかも確認必要」


 ユリウスが言う。


 だが、その下に別の記述がある。


『旧採石地巡検所、雨季前に屋根確認』


 三人の視線が止まった。


「巡検所」


 エリオットが呟く。


「建物はあった」


 シュウが言う。


「少なくとも旧採石地付近に」


「線付き四角がそれとはまだ言えない」


「分かってる」


 それでも、比較対象ができた。


 もし古地図東側の線付き四角が旧採石地巡検所を示しているなら。


 同じ記号が北側にもある以上、北側の四角も「巡検所」あるいは類似する管理施設を示している可能性が出てくる。


 ただし、まだ位置照合が必要だ。


 シュウはノートへ書く。


『東部旧採石地付近に「巡検所」記録あり。古地図東側の線付き四角との位置一致は未確認。もし一致する場合、同記号が管理施設系を示す可能性。ただし現段階では仮説。』


「次、これだな」


 エリオットが言う。


「東側の記号と旧採石地巡検所の位置照合」


「うん」


「地味だけど」


「今までずっと地味」


 ユリウスが真顔で答えた。


「いや、そうだけどさ」


 エリオットが笑う。


 シュウもつられて笑った。


     ◇


 資料を司書へ返却するとき、シュウは一つ尋ねた。


「すみません。この『白材』っていう言葉を調べたいんですけど、何か資料ありますか?」


 司書は少し考える。


「建築材としてですか?」


「たぶん。ただ、まだ分からなくて」


「古い北部記録に出た言葉なら、地方建築語彙か資材台帳でしょうね」


「資材台帳」


「はい。林区の資材記録をまとめた資料がいくつかあります。ただし『白材』が固有名称なのか、単に色を示しているのかで探す場所が変わります」


「どちらか分からないです」


「でしたら、まず語彙資料から確認した方がいいでしょう」


 司書は検索用の台帳を開いた。


「『北方建築材古称集』。こちらは一般閲覧書架です」


「ありがとうございます」


「それから、ローデル林区の資材記録は一部が閉架です。必要なら、先に一般資料を確認してから申請してください」


「分かりました」


 シュウは書名を記録した。


 すぐ取りに行こうとして――止まる。


「今日はやめとく?」


 エリオットが言う。


「……うん」


 時間も遅い。


 それに、今読んだ情報を一度整理した方がいい。


 ユリウスも同意した。


「一回まとめる」


「じゃあ次」


「次でいい」


 以前なら、そのまま新しい本を探しに行っていたかもしれない。


 だが今日は資料一つだけでも十分な量だった。


     ◇


 図書館を出ると、空は夕暮れへ傾いていた。


 雨雲はほとんど消え、西の空が淡い橙色に染まっている。


 濡れていた石畳もかなり乾き、夕食へ向かう学生たちの声が学院内へ広がっていた。


「練習組、もう終わってるかな」


 エリオットが言う。


「食堂行けばいるんじゃない?」


 三人で向かう。


 予想通り、ダンとセシリアは先に食堂へ来ていた。


「遅い!」


 ダンが昨日と同じように手を振る。


「図書館だから」


「何かあった?」


「少し」


 シュウは座りながら答える。


 どこまで話すか、一瞬考える。


 ハーゼン家の詳細やアルヴェイン家の古い事情まで全部話す必要はない。


「昔の北側には、古い管理場所が少なくとも三ヶ所あったみたい」


「三つ?」


「うん。でも今の監視小屋と同じかは分からない」


「また分からないのか」


「調査ってそういうものなんだよ」


 ダンは難しそうな顔をする。


「俺、向いてないかも」


「ダンさんは今日、土魔法の一回目と二回目で違いを確認していましたよ」


 セシリアが言う。


「それと同じでは?」


「同じ?」


「一回目だけで『できた』と決めず、もう一度試して確認するという意味では」


 ダンが少し考える。


「あー……そう言われると分かる」


「魔法にすると理解早いな」


 エリオットが笑う。


「で、そっちは?」


 シュウが尋ねる。


 ダンの表情が明るくなる。


「土、面白いぞ。石を上げるだけでも、真っ直ぐ上げるのと斜めに動かすので全然違う」


「大きいのやってない?」


「やってない!」


「本当に?」


「セシリアが見てた!」


「小石だけでした」


 セシリアが保証する。


「よかった」


「信用なさすぎないか!?」


「前歴が」


「前歴って言うなよ!」


 五人の笑い声が食堂の喧騒へ混ざる。


 セシリアの風魔法も、起動を少し速めながら前回と同程度の安定性を維持できたらしい。ただし本人は「水ほど自然ではありません」と冷静だった。


 シュウはその話を聞きながら、少し肩の力が抜けていくのを感じた。


 古文書を何時間も読んだ後の、普通の夕食。


 魔法の練習。


 授業。


 友人との会話。


 この時間があるから、調査ばかりに飲み込まれずに済んでいる気がする。


     ◇


 夜。


 317号室へ戻ったシュウは、机の上へ調査ノートを広げた。


 エリオットも向かい側から自分のメモを出す。


 二人で今日の内容を整理する。


 一つ。


 ローデル北部では、林道補修、境標、資材管理、巡検などの普通の森林行政が行われていた。


 二つ。


 約百九十年前前後に「北部旧所三ヶ所」の記録。


 三つ。


 ゲオルグ・ハーゼンは北部管理役として普通の行政業務にも従事していた。


 四つ。


 北旧所第二で「白材補修」。同じ記録で補修材二束と小魔石二個を北倉から搬出。ただし魔石の用途、白材との関係は不明。


 五つ。


 別年代の第三旧所では「床下導材一部交換」。導材は魔力・熱・流水などを導く加工材の総称であり、用途不明。


 六つ。


 レオル・ハーゼンは北部管理補佐として確認。ただし小魔石四個は今回の写本では「北部巡検用」で、旧所専用とは明記されていない。


 七つ。


 東部旧採石地付近に巡検所の記録あり。古地図東側の線付き四角との一致は未確認。


 八つ。


 「白材」の意味を調べる次の一般資料として『北方建築材古称集』。


「多いな」


 エリオットが椅子へもたれる。


「一冊でこれだもんね」


「でも、答えは出てない」


「出なくていいんじゃない?」


 シュウが顔を上げる。


 エリオットは天井を見ながら続けた。


「前はさ、一個見つかるたびに『これじゃないか』ってなってただろ」


「……うん」


「今日は逆だった」


「逆?」


「『これだけじゃ分からない』ばっかり」


「それ褒めてる?」


「たぶん」


 エリオットが笑う。


「でも、前よりちゃんと進んでる気がする」


 シュウはノートを見る。


 確かに。


 分からないことは増えた。


 けれど、何が分からないのかが細かくなった。


 白材とは何か。


 魔石は何に使ったのか。


 三つの旧所は同じ種類なのか。


 東側の線付き四角は巡検所なのか。


 ゲオルグとレオルの関係。


 ハーゼン家からアルヴェイン家へ何かが引き継がれたのか。


(答えが遠くなったようで、前より道は見えてる)


「そうかも」


 シュウは頷いた。


 調査ノートの端に、今日の重要事項として短くまとめる。


『ハーゼン家がローデル北部の実務管理へ関与していたことは、複数資料でさらに強く裏付けられた。北部旧所は少なくとも三ヶ所。第二旧所で白材補修+小魔石搬出、第三旧所で床下導材交換。用途・現監視小屋との一致は未確認。』


 そこでペンを置いた。


《マスター》


(今日はもう終わり)


《まだ何も申し上げておりません》


(その入り方、最近多くない?)


《マスターが先回りしているためです》


(アルカディアの扱いに慣れてきたから)


《喜ばしいことです》


(本当に?)


《はい。なお、中学時代のマスターは古文書調査に関して――》


(終わりって言ったよね?)


《「失われし文献を読み解けるのは、選ばれし古代文字継承者たる我のみ」》


「うわぁ……」


 思わず声が漏れた。


 向かい側のエリオットが顔を上げる。


「どうした?」


「昔の自分に殴られた」


「また?」


「また」


 エリオットはすっかり慣れた様子で、それ以上聞かなかった。


《続きもございます》


(いらない)


《「ただし古代文字はまだ設定していないため、後日考える」》


 シュウは机へ額をつけた。


「……何で最後だけ現実的なんだよ」


「本当に何の話?」


「聞かないで」


 肩を震わせているエリオットの気配がする。


 シュウはしばらくそのまま動かなかった。


 やがて顔を上げると、窓の外には雨上がりの夜空が広がっていた。


 雲の切れ間から、いくつか星が見えている。


 机には二冊のノート。


 一冊は学院の授業。


 もう一冊は北の調査。


 どちらも、まだ途中だった。


 白材。


 魔石。


 北部旧所。


 ハーゼン家。


 そして、自分自身の漆黒魔力。


 知りたいことはいくらでもある。


 けれど、今夜すべてを知る必要はない。


「明日は普通に授業だな」


 エリオットが言う。


「うん」


「図書館は?」


「行かない」


「本当に?」


「……たぶん」


「弱い」


「『北方建築材古称集』が一般書架なんだよね」


「ほら」


「でも明日は行かない!」


「今の間で信用なくなった」


 シュウは笑いながら調査ノートを閉じた。


 その表紙の下には、今日も答えではなく、新しい問いが増えている。


 それでも構わない。


 一つの言葉だけで決めない。


 一つの記録だけで決めない。


 似ているからといって、同じものだと決めない。


 昔の自分が作った設定なら、きっと一冊の禁断文書を読んだだけで世界の真実へ辿り着いていた。


 けれど、現実の調査はもっと地味で、もっと面倒で、そして思っていた以上に面白かった。


 シュウは魔導灯の明かりを少し落とし、明日の教本を鞄へ入れ始めた。

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