第36話 普通の魔法を学ぶほど、俺の魔力がおかしく見えてきます
翌朝、シュウが目を覚ましたとき、窓の向こうには薄い雲が広がっていた。
雨が降るほどではないものの、昨日までの晴天と比べれば空は白っぽく、寮の中にも少し冷えた空気が入り込んでいる。ベッドから身体を起こしたシュウは枕元の時計を確認してから、昨夜机の上で封をした手紙へ目を向けた。
(今日は忘れない)
父ロデリックたちへ送る二通目の手紙だ。
古い「封」という言葉について学院で調べたこと、昔の地域区分について尋ねたいこと、アルヴェイン家が北方管理へ関わり始めた最古の記録や、ハーゼン家との引き継ぎを示す資料が残っていないかという質問も加えた。
もちろん、急いで調べてほしいとは書いていない。
領地の仕事を優先してほしいとも添えた。
それだけではなく、母から求められていた友人たちの話も書いてある。
エリオット。
ダン。
セシリア。
ユリウス。
四人について書いているうちに思った以上の長さになり、結局、最初の手紙より厚くなってしまった。
「……よし」
シュウは封筒を鞄の一番上へ入れた。
その直後、背後から布団の擦れる音が聞こえる。
「……朝?」
眠気の残る声だった。
振り返ると、エリオットが布団から半分だけ顔を出している。
「朝だよ」
「何刻?」
「起きる時間」
「時間を聞いてる」
「起きないと朝ご飯が減る時間」
エリオットの目が少し開いた。
「……それは困る」
「起きる?」
「起きる」
そう答えたわりに動かない。
シュウは窓へ目を向けた。
「窓――」
「起きた」
布団が勢いよく跳ね上がった。
「まだ開けるって言ってないよ」
「言おうとしただろ」
「窓の外が曇ってるって言おうとしただけかもしれない」
「絶対違う」
エリオットは疑わしそうな顔をしながら髪を整え始める。
シュウは笑って制服へ着替えた。
《マスター》
(何?)
《昨夜、エリオット・ファレン氏に対し「窓を開ける」という言葉が起床命令として有効であることを確認しました》
(変なこと記録しなくていいから)
《生活上有用な情報かと》
(俺の黒歴史よりは有用かもしれないけどさ)
《比較対象として適切かは疑問が残ります》
(そこは否定してよ)
朝から相変わらずである。
ただ、こんなやり取りをしていると、昨夜まで頭を占めていたハーゼン家や北の封所についても、少しだけ距離を置いて考えられる。
調べるべきことは多い。
けれど、今日は今日の学院生活がある。
◇
朝食を終えたあと、シュウとエリオットは教室へ直行せず、中央棟へ寄った。
朝の郵便受付には数人の学生が並んでおり、家族宛てらしい封筒を持った者もいれば、商会の印が入った書類を抱えた上級生もいる。窓口の奥では職員が行き先ごとに郵便物を仕分けており、紙の擦れる音に混じって、小さな荷車が床を転がる音が聞こえていた。
「次の方」
「お願いします」
シュウは封筒を差し出した。
職員が宛先を確認する。
「北部、アルヴェイン領ですね」
「はい」
「通常便でよろしいですか?」
「お願いします」
受付印が押された。
今度こそ、二通目の手紙がシュウの手を離れる。
「こちらでお預かりします」
「ありがとうございます」
窓口を離れる。
シュウは一度だけ、仕分け箱へ入れられた封筒を振り返った。
(これで父さんたちにも伝わる)
すぐに返事が来るわけではない。
北部までの輸送には時間がかかるし、父や兄が古い資料を確認するなら、さらに時間が必要だろう。
待つしかない。
「今度は出したな」
エリオットが隣で言う。
「出したよ」
「忘れなかった」
「昨日鞄の一番上に入れたからね」
「三通目を書くなら、今度は書いた日に出せよ」
「何でそんなに厳しいの?」
「机に置いたまま調べ物増やして、また追記し始めそうだから」
「……否定できない」
シュウが苦笑すると、エリオットは満足そうに頷いた。
◇
午前の授業は、グレイ・ハルバートによる基礎魔法理論だった。
二組と三組が合同で使う講義室には、すでに多くの学生が集まっている。
シュウとエリオットが三組側の席へ座ると、少し離れた二組側からダンが手を振ってきた。セシリアも隣で軽く会釈し、シュウも小さく手を上げて返す。
ユリウスはシュウたちより先に来ており、すでに机へ教本とノートを並べていた。
「おはよう」
「おはよう」
「手紙は?」
「出した」
「そう」
それだけ確認すると、ユリウスは教本へ戻る。
「もっと何かないの?」
「何が?」
「『これで家側の調査も進むな』とか」
「届くまで進まない」
「それはそうだけど」
エリオットが隣で笑った。
やがて前方の扉が開き、グレイが入ってくる。
灰色がかった髪を後ろへ流し、今日も濃紺のローブを着ている。手には教本ではなく、木箱と数枚の大きな紙を持っていた。
教室内の話し声が自然と小さくなった。
「おはようございます」
グレイが教壇へ木箱を置く。
「今日は属性変換と、変換効率について扱います」
シュウの意識が自然と前へ向いた。
属性変換。
漆黒魔力を調べたときにも関係した言葉だ。
「以前説明した通り、魔力は属性ごとに別々の力が身体へ入っているわけではありません。基本的には本人の魔力を術式や意思によって特定の性質へ変化させ、現象へ干渉させます」
グレイは黒板へ大きな円を描いた。
中央に「魔力」。
そこから六方向へ線を伸ばす。
火。
水。
風。
土。
光。
闇。
「適性とは、この変換をどれだけ自然に、少ない負担で、安定して行えるかを示す一つの指標です。ただし、適性が高いからといって、最初から高度な魔法を使えるという意味ではありません」
ダンが僅かに姿勢を正した。
おそらく自分のことを思い出したのだろう。
火属性への適性が高くても、小さな炎を同じ大きさで繰り返すのには苦戦していた。
「では」
グレイは学生たちを見回す。
「火属性適性が高い者が、火を大きくすることだけを練習した場合、どうなると思いますか?」
何人かが手を挙げる。
一人が指名された。
「強い火魔法が使えるようになります」
「それ自体は間違いではありません。しかし、それだけですか?」
別の学生。
「細かい制御が苦手になる?」
「正確には、細かい制御を学ぶ機会が不足する可能性があります。大出力と高制御は同じ能力ではありません」
グレイは円の横へ、新しく二つの言葉を書く。
『変換量』
『変換精度』
「さらに、もう一つあります」
『変換効率』
「同じ現象を起こすために、どれだけ少ない魔力で済ませられるか。これは長時間の魔法使用や、魔導具運用では特に重要になります」
シュウはノートへ書き写す。
(変換量、精度、効率)
これまでの授業で似た概念には触れていたが、三つを明確に分けて考えるのは初めてだった。
「例えば」
グレイが木箱を開く。
中から三つの透明な小型器具を取り出した。
「これは簡易変換観測器です。魔力を一定量だけ受け取り、そのうちどれほどが指定された属性性質へ変換されたかを大まかに示します」
教室が少しざわついた。
シュウの背筋へ僅かに緊張が走る。
測定器。
以前なら、また何かおかしな結果が出るのではないかと身構えていただろう。
だがグレイはすぐ続けた。
「安心してください。今日は内部へ探査魔力を流しません。皆さん自身が外へ出した通常魔力だけを使用します。また、これは精密検査器ではありませんので、適性判定に使うものでもありません」
シュウは小さく息を吐いた。
その動きに気づいたのか、隣のエリオットが横目で見る。
「大丈夫?」
「うん」
「嫌なら先生に言えよ」
「分かってる」
以前の自分なら、多少不安でもそのまま受けていたかもしれない。
今は違う。
学院側も、嫌なら止めていいと何度も伝えてくれている。
シュウ自身も、それを理解していた。
「今日は全員が一度ずつ試します。ただし競争ではありません」
グレイが強調する。
「数値が高い者が優秀という話でもありません。自分がどの程度の魔力を使い、どの程度の結果になったかを知るための練習です」
簡易変換観測器が各列へ配られる。
透明な板の中央に小さな魔石が埋め込まれており、その周囲へ細い目盛りが刻まれていた。
「最初は火属性です。火適性がない者も参加できます。ただし、無理に炎を出す必要はありません。火属性へ変換しようとした魔力を器具へ流すだけで構いません」
実演が始まる。
グレイがごく少量の魔力を流すと、中央の魔石が赤く光り、その周囲の目盛りが七割ほどまで淡く染まった。
「私の場合、今の出力ではこの程度です。これを十割に近づけることが目的ではありません。今は意図的に変換を甘くしています」
教室から小さなどよめきが起きる。
意図的に変換を甘くする。
それ自体が高度な制御なのだろう。
「では始めてください」
◇
シュウたちの列では、ユリウスが先だった。
「火、苦手なんだよね」
エリオットが言う。
「だから比較にはいい」
ユリウスは観測器へ手を添えた。
ゆっくり魔力を流す。
中央の魔石が薄い赤色になり、目盛りは三割ほどで止まった。
「思ったよりある」
シュウが言う。
「現象化しなければ、変換だけはできる」
ユリウスが自分の結果をノートへ書く。
「でも安定しない」
よく見ると、目盛りの光が僅かに上下していた。
次はエリオット。
「火か……」
少し嫌そうな顔をする。
「前よりは慣れたでしょ」
「微灯はな」
観測器へ魔力を流す。
四割ほど。
しかし最初に五割近くまで上がり、そこから三割へ落ち、最終的に四割付近で揺れている。
「あー……」
エリオットが眉を寄せた。
「変換量より揺れだな」
グレイが近くを通りながら言う。
「はい」
「最初に強く入れすぎています。現象を起こそうとする癖が先に出ていますね」
「分かりました」
「今回は炎を出す必要はありません。赤くしようと考えすぎず、魔力の性質がどう変わるかを感じてください」
エリオットが二回目を試す。
今度は三割強。
数値は下がったが、揺れはかなり減った。
「そちらの方がいい」
グレイが言う。
エリオットの表情が少し明るくなる。
「高くないのに?」
「今日は高い数値を競っていません」
「あ、そうだった」
前の席から小さな笑いが聞こえた。
エリオットも苦笑する。
そしてシュウの番。
観測器を手元へ置く。
透明な板。
中央の小さな魔石。
(普通の魔力だけ)
漆黒魔力は使わない。
通常魔力を火属性へ変換する。
それだけだ。
息を整える。
手のひらから、ごく少量の魔力を流した。
魔石が赤くなる。
目盛りが上がる。
六割。
七割。
八割。
そこで止まった。
「高い」
エリオットが小声で言う。
だがシュウが気になったのは数字ではなかった。
(……これが火に変える感覚か)
普段、火魔法を使うときには意識していない。
火を出そうと思う。
術式を使う。
魔力が変わる。
その過程を一つずつ切り分けて考えたことがなかった。
魔力が赤くなるわけではない。
熱くなるとも少し違う。
もっと内側の、方向性が決まるような感覚。
「アルヴェイン君」
グレイが来た。
「どうですか?」
「数値より、変わる途中の感じが気になります」
グレイが僅かに目を細める。
「良いところに気づきましたね」
「途中?」
「はい。普通は火を出すことばかり考えてたので」
「では、二回目は途中で止めてみてください」
「止める?」
「完全な火属性へ変換する前で」
シュウは観測器を見る。
「できますか?」
「試してみなければ分かりません」
グレイは穏やかに答えた。
「失敗しても構いません。ただし、別の性質へ変えようとはしないでください。あくまで通常魔力から火属性へ変わる途中で止めるだけです」
「分かりました」
シュウはもう一度手を添える。
通常魔力。
火。
変換。
(途中で止める)
魔力を流す。
目盛りが上がる。
二割。
三割。
そのあたりで意識的に変換を止めた。
魔石は淡い赤。
目盛りは三割少し。
安定している。
「……できた」
「今、どんな感覚でした?」
「火にしようとする方向だけ決めて、最後まで押し込まない感じです」
「覚えておいてください」
グレイが頷く。
「属性制御では、完成した現象だけでなく、変換の過程を自覚できることも重要です」
シュウはノートへ急いで書いた。
そのとき。
(漆黒魔力は?)
思考が自然にそこへ向かった。
通常魔力から火属性へ。
途中の感覚がある。
なら、漆黒魔力へ変わるときはどうなのか。
これまでシュウは「黒くしよう」と思うだけで使っていた。
変換の途中を意識したことがない。
火と同じなのか。
違うのか。
「アルヴェイン君」
グレイの声で我に返る。
「はい」
「今、別のことを試そうとしましたか?」
「……してません」
実際、魔力は流していない。
「ならいいです」
グレイは責めなかった。
「ただ、思いついたことをすぐ試したくなる気持ちは分かります。特に自分の魔力について疑問があるなら、なおさらでしょう」
声は周囲へ聞こえない程度に落とされている。
シュウも小さく頷いた。
「漆黒魔力のこと考えてました」
「やはり」
「普通の属性変換と同じなのかなって」
「良い疑問です」
「今、試さない方がいいですよね」
「はい」
即答だった。
だが否定ではない。
「今日の器具は通常の六属性変換を観察するためのものです。性質が分かっていない魔力を入れる前提では作られていません」
「分かりました」
「ただし、その疑問は次の調査項目として価値があります」
「変換の途中?」
「そうです」
グレイは少し考えた。
「通常魔力から漆黒魔力へ変わる過程に、既知属性と同じ段階があるのか。それとも、全く別の変化なのか」
シュウの胸が少し高鳴る。
「調べられますか?」
「方法を考えます」
グレイはそこで言葉を切った。
「まだ試さないでください」
「はい」
「ヴァイス研究員にも相談します。安全な方法を組めるようなら、改めて声をかけます」
「お願いします」
それで話は終わった。
すぐに答えは出ない。
けれど、新しい問いが一つできた。
◇
火属性の次は水属性だった。
こちらではエリオットの目盛りが明らかに高くなった。
「七割……八割?」
シュウが見る。
「でも揺れてる」
エリオットは嬉しそうになるより先に、自分で問題を見つけた。
最初に八割を超え、そのあと七割近くまで下がっている。
「もう一回」
グレイへ許可を取り、二回目。
今度は七割ほど。
数値は少し下がったが、かなり安定した。
「そっちの方がいいな」
シュウが言う。
「俺もそう思う」
以前なら、高い数字が出たことに喜んでいたかもしれない。
しかし、最近の練習でエリオットも変わっている。
「高くするのは後でいい」
「うん」
ユリウスは水属性では低めだったが、揺れが少ない。
本人も結果を見て、短く頷くだけだった。
「低いけど安定」
「ユリウスらしい」
「どういう意味?」
「そのまま」
そしてシュウ。
水でも高い。
火とほぼ同程度。
風。
高い。
土。
高い。
光。
やはり高い。
五属性とも大きな差がない。
以前の測定で分かっていたことではある。
しかし、こうして変換過程を一つずつ意識しながら試すと、妙な感覚があった。
(全部、入口が近い)
火だけ特別に楽という感じではない。
水も。
風も。
土も。
光も。
変換の方向が違うだけで、そこへ入るまでの抵抗感がほとんど同じだ。
これは珍しいのだろう。
だが、前例がないわけではない。
五属性適性者は非常に少ないが、過去にも存在している。
「闇は?」
誰かが質問した。
グレイが答える。
「闇属性も行います。ただし、苦手意識を持つ必要はありません。闇は他属性より危険という意味ではありませんから」
以前にも聞いた説明だ。
教室の何人かが少し安心したように息を吐く。
闇属性に対する偏見は完全には消えていないのだろう。
ユリウスの番。
観測器へ魔力を流す。
中央の魔石が黒ではなく、濃い紫色に変化した。
目盛りは七割近く。
「高い」
エリオットが言う。
「適性あるから」
ユリウスは淡々としているが、少しだけ口元が緩んでいた。
「どういう感じ?」
シュウが尋ねる。
「沈める」
「沈める?」
「火が外へ向く感じなら、闇は内側へ落ち着かせる感じ」
「へえ」
「俺の場合は」
ユリウスが付け加える。
「全員同じとは限らない」
「なるほど」
シュウは自分の番が近づくにつれ、少し緊張した。
闇属性。
以前の適性測定では保留になっている。
そして自分には、闇属性に似ているが同じではない漆黒魔力がある。
「アルヴェイン君」
グレイが近くへ来た。
「無理に行う必要はありません」
「普通の闇属性だけなら、試してみたいです」
「できますか?」
「分かりません」
「では条件を一つ」
グレイは観測器を一度確認した。
「黒くしようと考えないでください」
シュウは思わず苦笑した。
「それ、かなり大事ですね」
「あなたの場合は」
グレイも僅かに笑う。
「闇属性の基本イメージだけを使ってください。光量を抑える、影を濃くする、外へ散るものを内へ留める。どれでも構いません」
「分かりました」
観測器へ手を添える。
(黒くするんじゃない)
漆黒魔力を呼ばない。
闇属性。
学院で習った、普通の六属性の一つ。
影。
遮光。
吸収。
内側へ。
魔力を流す。
中央の魔石が色づいた。
濃い紫。
ユリウスと同じ系統の反応。
目盛り。
二割。
三割。
四割。
そこで少し揺れた。
「止めて」
グレイの声。
シュウはすぐ魔力を切った。
魔石の光が消える。
「何かありました?」
シュウが尋ねる。
「異常というほどではありません」
グレイは観測器を手に取り、目盛りを確認した。
「最後に変換が少し乱れました」
「漆黒魔力?」
「分かりません」
グレイは断定しない。
「あなた自身はどう感じました?」
シュウは目を閉じる。
直前の感覚を思い返す。
(闇へ変えてた。途中までは普通だった)
ユリウスが言ったような、内側へ沈める感覚。
そこまでは問題ない。
しかし四割付近。
何か別の方向が、ほんの僅かに近くにあった。
「……道が二つある感じ」
「二つ?」
「うまく言えないですけど、闇に変えてる途中で、もう一つ別の変わり方が近くにあるような」
グレイの表情が少しだけ真剣になる。
「そちらへ行こうとしましたか?」
「してません」
「勝手に引かれた?」
「それも違うと思います」
シュウは慎重に言葉を探す。
「知ってる道の隣に、別の道があるって気づいた感じです」
教室の喧騒が遠く感じる。
実際には周囲で他の学生も測定を続けており、ダンの声まで聞こえている。
「先生! これ高い方が――あ、競争じゃなかった!」
「最初に言ったでしょう」
別の場所で笑いが起きる。
その普通の授業風景の中で、シュウとグレイだけが少し声を落として話していた。
「今日はそこまでにしましょう」
グレイが言う。
「もう一回は?」
「しません」
「ですよね」
「残念そうですね」
「ちょっとだけ」
「好奇心は悪いものではありません。ただし、自分自身を実験台にするときは慎重すぎるくらいでいい」
「はい」
観測器は正常だった。
壊れていない。
黒くもなっていない。
ただ、シュウ自身が気づいた。
普通の闇属性へ変換する道。
その近くに、漆黒魔力へ変わる別の道があるような感覚。
(これ、前からあったのかな)
分からない。
ただ意識していなかっただけかもしれない。
今日、属性変換の途中を観察したから初めて気づけた可能性もある。
《アルカディア》
《はい、マスター》
(今の分かった?)
《魔力変化の詳細について、私から確定的な説明はできません》
(そっか)
《ただし、マスターが闇属性変換を中断する直前、通常時とは異なる微細な魔力変動を確認しました》
(漆黒魔力?)
《断定できません》
(先生と同じだ)
《不確定なものを確定として報告することはできません》
(うん。それでいい)
むしろ安心する。
分からないなら、分からない。
今はそれでいい。
◇
授業後。
学生たちが講義室から出ていく中、シュウはグレイに呼び止められた。
エリオットとユリウスも足を止める。
「先に行ってていいよ」
「食堂?」
「うん」
「分かった」
エリオットは少し気にしている様子だったが、追及せずユリウスと一緒に教室を出た。
人が減る。
グレイは使い終えた観測器を木箱へ戻しながら話した。
「先ほどの件ですが」
「はい」
「今日の結果だけで、闇属性とあなたの漆黒魔力に何らかの直接的関係があるとは判断できません」
「分かってます」
「そのうえで、次の観察方法について一つ案があります」
シュウは姿勢を正した。
「ヴァイス研究員と相談していたのですが、通常属性への変換過程と、漆黒魔力への変化を別々に記録し、後から比較する方法です」
「同時に試すんじゃなくて?」
「はい。同時変換や途中切り替えは、まだ行いません」
シュウは少し安心した。
「前に使った観測板ですか?」
「改良したものを用意する予定です。前回より細かい変化を記録できるよう調整しています」
「いつできますか?」
「まだ分かりません」
グレイは即答する。
「数日かもしれませんし、もっとかかるかもしれない。授業や研究の予定もありますから、あなたも待っている間は普通に学院生活を送ってください」
「はい」
「それから」
グレイの視線が少しだけ鋭くなる。
「今日気づいた『二つの道』を、自室や練習区画で再現しようとしないこと」
「……」
「しようと思いましたね?」
「少し」
「やめてください」
「はい」
「素直でよろしい」
グレイの口元が僅かに緩む。
叱られているのか褒められているのか分からない。
「通常の属性練習は続けて構いません。ただし、闇属性については今日の感覚を無理に再現しないように」
「分かりました」
「何か身体に違和感は?」
「ないです」
「頭痛、倦怠感、魔力の流れがおかしい感覚も?」
「ありません」
「なら結構です」
グレイは木箱を閉じた。
「アルヴェイン君」
「はい」
「分からないものを急いで理解しようとしなくていいんですよ」
最近、本当によく似たことを言われる。
父。
ユリウス。
グレイ。
少し前なら、もどかしく感じたかもしれない。
今は違った。
「はい」
シュウは素直に頷いた。
◇
食堂へ着くと、四人はすでに席を取っていた。
「遅い!」
ダンが手を振る。
「先生と話してた」
「何かあった?」
「授業の確認」
シュウはそれだけ答えて座る。
漆黒魔力のことを全員へ話すつもりはない。
エリオットは以前から、シュウが先生へ特殊な魔力について相談していることを知っている。ユリウス、ダン、セシリアにも、詳しい内容を伏せた範囲では伝えてある。
「シュウ、闇どうだった?」
ユリウスが聞く。
「普通の闇属性は出た」
「適性は?」
「数字だけなら四割くらい。でも途中で乱れたから、今日はそこで止めた」
「先生判断?」
「うん」
「なら止めて正解」
ユリウスはそれ以上聞かなかった。
「俺、火九割近かったぞ!」
ダンが嬉しそうに言う。
「競争じゃないって言われたよね?」
「分かってる。でも九割だぞ?」
「揺れは?」
エリオットが尋ねる。
「……ちょっと」
セシリアが横から補足する。
「最初は九割近くまで上がりましたが、途中で七割ほどまで落ちていました」
「それ結構揺れてるじゃん」
「二回目は八割で安定した!」
「じゃあそっちの方がいいね」
「俺もそう思った」
ダンは胸を張った。
以前なら「九割出た」だけで終わっていたかもしれない。
少しずつだが、全員が制御を見るようになっている。
「セシリアは?」
「水が八割ほどでした。光は七割くらいです」
「安定してた?」
「水は。光は最後に少し上がりました」
「原因分かった?」
「集中しすぎたのかもしれません。次に試せる機会があれば、最初と最後で同じ感覚を維持してみます」
ダンがパンを持ったまま唸る。
「みんな細かいな」
「ダンさんも最近は細かく見ていますよ」
「そう?」
「昨日、水球の大きさを何度も確認していたでしょう」
「あれは同じ大きさにしたかったから」
「それが制御です」
「……なるほど」
本人は無意識だったらしい。
シュウは笑いながらスープを飲む。
温かい。
午前中ずっと魔力のことを考えていたせいか、身体が思った以上に疲れていることへ気づいた。
「午後何だっけ?」
エリオットが聞く。
「三組は魔法史」
シュウが答える。
「あ」
ダンが何か思い出したように顔を上げた。
「シュウたち、課題なかった?」
「……」
シュウ。
エリオット。
ユリウス。
三人が同時に止まった。
「何、その顔」
セシリアが尋ねる。
シュウはゆっくり鞄を見る。
(古い魔法が今よりどう違ったか考える課題)
オルド・カーヴェルから出されていた。
忘れていたわけではない。
いや。
(ちょっと忘れてた)
「やってる?」
エリオットが小声で聞く。
「途中」
「俺も」
「僕は終わってる」
ユリウスだけ平然としている。
「いつ!?」
「一昨日」
「何で言ってくれなかったの?」
「聞かれてない」
「ユリウス!」
「自分の課題」
正論である。
シュウは机へ突っ伏したくなった。
北の封所。
ハーゼン家。
漆黒魔力。
そして普通の授業。
グレイに「普通に学院生活を」と言われた直後にこれだ。
《マスター》
(言わないで)
《まだ何も申し上げておりません》
(絶対黒歴史出そうとしてたでしょ)
《かつてのマスターは「課題とは凡人が知識を得るための――」》
(やっぱり!)
《最後までお聞きになりますか》
(聞かない)
シュウは顔を上げた。
「昼休み、残りどのくらい?」
セシリアが時間を見る。
「まだ少しあります」
「よし」
鞄から課題用紙を取り出す。
「飯食べながらやるの?」
ダンが驚く。
「食べ終わってから」
「間に合う?」
「仕上げるんじゃなくて整理するだけ。午後の授業で提出とは言われてなかったはず」
「次の授業までに考えておく、だった」
ユリウスが言う。
「じゃあ発表させられるかも」
「可能性はある」
「もっと早く言ってよ!」
「聞かれてない」
「その返し強すぎる!」
五人の間に笑いが広がる。
近くの席にいた学生が一瞬こちらを見るほどだった。
シュウは慌てて声を落としながらも、自然と笑っていた。
◇
午後。
三組の教室へ入ってきたオルド・カーヴェルは、いつもの茶色い学者風の長衣を着ていた。
柔らかな茶髪には少し白いものが混じり、教壇へ置いた資料の束は今日もかなり厚い。
「さて」
オルドは学生たちを見回す。
「前に出した小さな課題を覚えていますか?」
教室のあちこちで微妙な空気が流れた。
シュウは背筋を伸ばす。
エリオットも同じだった。
ユリウスだけは平然としている。
「安心してください。提出ではありません」
何人かが露骨に息を吐いた。
「今、安心した人は自覚があるということですね」
小さな笑いが起きる。
シュウも苦笑した。
「現在使われている基本魔法を一つ選び、昔の形ならどうなっていたかを考える。正解を当てる課題ではありません。何を根拠にそう考えたかが重要です」
オルドは黒板へ《微灯》と書いた。
「例えば現在の《微灯》。非常に簡単な照明魔法です。しかし、これが三百年前にも全く同じ術式だったと思いますか?」
一人の学生が手を挙げる。
「もっと複雑だった?」
「可能性は高いですね。では、なぜ?」
「術式がまだ簡略化されてなかったから」
「その通り」
オルドは頷く。
「ただし、『昔だから複雑だった』だけでは弱い。どこが、なぜ複雑だったのかまで考えると、歴史を見る目が変わります」
シュウは自分の課題用紙を見る。
選んだのは《送風》。
入学してから何度も使っている基本魔法だ。
昼休みに急いで整理した内容はある。
現在の《送風》は、方向と出力を指定すれば比較的簡単に風を起こせる。
昔は術式理論が整理されていなかったため、風を「起こす」「向ける」「止める」といった命令が一つの式へ統合されず、複数段階に分かれていたのではないか。
あくまで推測。
しかし、授業で習った「現代術式は長い時間をかけて簡略化された」という知識を根拠にしている。
「では、何人か聞いてみましょう」
嫌な予感がした。
オルドの視線が教室を巡る。
「アルヴェイン君」
(やっぱり)
「はい」
「何を選びました?」
「《送風》です」
「どう考えました?」
シュウは立ち上がる。
教室中の視線が集まる。
以前なら、この程度で緊張することはなかったかもしれない。
魔物と戦うよりは遥かに安全だ。
しかし、授業で自分の考えを発表する緊張は、戦闘とは別物だった。
「現在の《送風》は、方向と強さを指定すれば比較的簡単に使えます。でも昔は、風を起こす部分と、方向を決める部分と、止める部分が今ほど一つに整理されてなかった可能性があると思いました」
「根拠は?」
「前に見た古い温度調整術式が、今のものよりかなり複雑だったことと、術式が長い時間をかけて簡略化されてきたと授業で聞いたからです」
「なるほど」
オルドは否定しない。
「良い仮説です。ただ、一点だけ注意しましょう」
「はい」
「複雑だった理由を、技術が未熟だったからだけで説明しないこと」
シュウは少し考える。
「別の理由がある?」
「あります」
オルドは黒板へ文字を書く。
『必要条件の違い』
「昔の《送風》が仮に複雑だったとして、それは当時の術者が未熟だったからとは限りません。現代とは違う環境、違う魔導具、違う安全基準、違う目的へ対応していた可能性もあります」
「あ……」
「例えば、今の《送風》は教室でも使えるよう出力を抑えやすい。しかし昔の同系統術式が、煙を排出するための施設魔法として発展したものなら?」
「最初から用途が違う」
「そうです」
シュウは座りながら、すぐノートへ追記した。
(昔のものを、今の未完成版だと思わない)
これは北の封所を調べるときにも重要かもしれない。
古い施設。
古い言葉。
古い管理方法。
現代の「封印」や「監視小屋」の感覚で見れば、誤解する可能性がある。
だが、今は北の森へ思考を引っ張られすぎない。
まず授業。
エリオットは《水球》を選んでいた。
昔は球形維持と水量制御が別の術式だったのではないかという仮説。
ユリウスは《微灯》。
昔の照明魔法では光量維持に外部魔石や建材を併用した可能性を挙げた。
他の学生からも様々な意見が出る。
土を持ち上げる魔法。
簡単な着火。
乾燥。
冷却。
どれも正解を当てるためではなく、現在と過去の違いを考える材料として扱われた。
授業の終盤、オルドが言った。
「古い記録を読むときに一番危険なのは、現代人の常識をそのまま当てはめることです」
シュウのペンが止まる。
「言葉が同じでも意味が違う。形が似ていても用途が違う。逆に、名前が違っても同じ仕組みを指すことがある。ですから古い魔法を調べるときは、一つの資料、一つの単語、一つの記号だけで答えを決めないようにしてください」
まるで最近の自分たちの調査を見られているようだった。
もちろん、オルドは知らない。
それでも、学院で学ぶことが少しずつ北の森へ繋がっていく。
同時に、北の森を調べているからこそ、授業の意味が以前より深く感じられる。
(これが勉強ってことなのかもな)
前世の中学生だった自分へ言ったら、絶対に信じないだろう。
《当時のマスターは――》
(やめて)
《まだ何も》
(今度は絶対勉強関係の黒歴史でしょ)
《「授業とは既に誰かが発見した答えをなぞる行為に過ぎない。我が求めるのは世界がまだ知らぬ――」》
(やっぱり!)
シュウは片手で額を押さえた。
「アルヴェイン君?」
オルドが気づく。
「何でもありません」
「体調が悪ければ言ってくださいね」
「大丈夫です」
隣でエリオットが怪訝そうに見る。
シュウは何でもないという顔を作るしかなかった。
(十三歳の俺、今の俺に謝れ)
《記録上、当時のマスターもマスターです》
(分かってるよ!)
◇
授業を終えて教室を出るころには、朝から広がっていた雲がさらに厚くなっていた。
窓の向こうは少し暗い。
雨の匂いがする。
「降りそうだな」
エリオットが空を見る。
「寮戻る?」
「今日は練習しない」
「珍しい」
「先生に、普通に学院生活送れって言われたから」
「練習も普通の学院生活じゃない?」
「……そう言われるとそうだね」
ユリウスが横から言う。
「図書館も普通の学院生活」
「今日は行かないよ」
「まだ何も言ってない」
「ユリウスが言うと誘われてる気がする」
「今日は予約資料の日じゃない」
「そうだった」
『ローデル北部役務抄』。
次に三人の予定が合う放課後で予約してあるが、今日ではない。
急ぐ必要はない。
階段を降りて中央棟を出る。
外へ出た瞬間、冷たい風が頬を撫でた。
学生たちも空を見上げ、何人かが早足で寮や図書館へ向かっている。
「夕方には降りそう」
エリオットが言う。
「洗濯物」
「朝取り込んだ」
「偉い」
「前に失敗したからな」
寮生活にも少しずつ慣れている。
魔法だけではない。
洗濯。
食事。
授業。
友人。
課題。
手紙。
図書館。
どれも学院生活の一部だ。
シュウは歩きながら、午前中の感覚を思い出した。
普通の闇属性へ変わる道。
その近くにあった、もう一つの道。
(漆黒魔力)
試したい。
どう変わるのか、自分で確かめたい。
その好奇心は消えていない。
けれど、グレイに止められている。
セレナと安全な方法を考えてくれる。
(なら、待とう)
今できることは他にもある。
普通の魔法を学ぶこと。
属性変換を理解すること。
術式を学ぶこと。
それが結果として、自分のおかしな力を理解するための土台になる。
「シュウ」
「ん?」
「また考え事?」
エリオットがこちらを見ている。
「ちょっと」
「森?」
「今日は魔法」
「珍しい」
「俺、魔法学院の学生なんだけど」
「最近、古地図学院の学生みたいだったから」
「何それ」
思わず笑う。
ユリウスまで僅かに口元を上げた。
「否定はできない」
「ユリウスまで?」
「図書館で会う時間の方が長い」
「授業でも会ってるでしょ」
「授業中は話さない」
「それはそうだけど」
くだらない会話をしながら寮へ向かう。
途中、冷たいものが頬へ触れた。
シュウが空を見上げる。
細い雨粒が一つ。
また一つ。
「降ってきた」
「走る?」
「まだ大丈夫じゃない?」
言った直後、雨粒が少し増えた。
エリオットがシュウを見る。
「走るぞ」
「うん」
三人で石畳を早足に進む。
周囲でも学生たちが笑いながら軒下へ駆け込み、誰かが簡単な風魔法で頭上の雨を逸らそうとして、近くの友人から「こっちに飛ばすな!」と怒られていた。
学院の建物へ雨音が広がり始める。
シュウたちは第一男子寮と第二男子寮へ分かれる道まで来た。
「じゃあ」
ユリウスが足を止める。
「次の資料の日、忘れないで」
「忘れないよ」
「手紙は忘れかけた」
「今日はちゃんと出した!」
「ならいい」
「また明日」
「うん」
ユリウスが第二男子寮へ向かう。
シュウとエリオットも第一男子寮へ急いだ。
◇
部屋へ戻ったころには、窓の外で本格的に雨が降り始めていた。
屋根を叩く音。
濡れた木々。
魔導灯の光が雨粒を照らし、外の景色が薄く霞んでいる。
シュウは制服の上着を脱ぎ、椅子へ掛けた。
机へ座る。
今日は北の調査ノートではなく、授業用のノートを開いた。
『変換量』
『変換精度』
『変換効率』
その下に。
『属性へ変わる途中を意識する』
さらに、少し迷ってから書く。
『闇属性変換中、別経路のような感覚あり。四割付近で中断。グレイ先生判断。再現実験は禁止。』
最後の部分には二重線を引いた。
(忘れないようにしないと)
《マスター》
(何?)
《二重線を引かずとも、私が記録しております》
(自分でも覚えるの)
《承知しました》
シュウは少し笑った。
さらに一行。
『次回の漆黒魔力調査――通常属性変換と漆黒変化を別々に記録し、後から比較する案。セレナ研究員とグレイ先生が検討。時期未定。』
これでいい。
まだ答えではない。
予定ですら完全には決まっていない。
ただ、次に何を知ろうとしているかは分かる。
机の端には、北の封所をまとめた別のノートがある。
ハーゼン家。
ローデル北部。
白樹。
継ぎ。
魔石。
線付き四角。
そこへ視線を向けてから、シュウは今日の授業ノートへ戻った。
(どっちも急がなくていい)
家族への手紙は送った。
閉架資料は予約してある。
漆黒魔力は先生たちが方法を考えてくれている。
なら、自分が今するべきことは、目の前の授業を理解することだ。
エリオットは向かいの机で、今日の変換観測結果を書き直している。
「水、二回目七割だったよな」
「たぶん」
「最初が八割ちょっと」
「揺れてたね」
「次は最初から七割で固定したい」
「いいんじゃない?」
「シュウは?」
「五属性は大体同じ」
「それ、やっぱり変だよな」
「珍しいとは言われてる」
「火も水も風も土も光も、ほとんど同じ感覚?」
シュウは少し考える。
「入口までは似てる。でも入った後は全然違う」
「入口?」
「通常魔力から属性に変えるまでの抵抗みたいなのが、あんまり変わらない」
「俺は火だとちょっと重い」
「水は?」
「すぐ入る」
「それが適性なのかな」
「たぶん」
二人で今日の授業を思い返す。
エリオットが自分の感覚を説明し、シュウが自分との差を話す。
正解は分からない。
それでも、同じ授業を受けた友人と比べるだけで見えてくるものがある。
雨音はしばらく止みそうになかった。
シュウはノートへ新しい疑問を書き足す。
『適性差は「属性へ入るまでの抵抗」として感じられるのか? 個人差確認。』
「また増えた」
エリオットが言う。
「何が?」
「調べたいこと」
シュウはノートを見る。
確かに増えている。
「……学院って、答えを教えてもらう場所だと思ってた」
「違った?」
「答えより疑問が増えてる」
「それ、先生に言ったら喜びそう」
「グレイ先生は喜びそうだね」
「オルド先生も」
「リディア先生は?」
「課題増やしそう」
「ありそう」
二人で笑った。
そのとき、窓ガラスを雨粒が強く叩いた。
シュウは一度だけ外へ目を向ける。
北の森は、ここからは見えない。
家族のもとへ向かう手紙も、まだ王都を出てすらいないだろう。
漆黒魔力の正体も分からない。
それでも、不思議と焦りはなかった。
知らないことがある。
だから学ぶ。
調べる。
確かめる。
今の自分には、そのための時間と場所がある。
シュウは視線をノートへ戻した。
雨の降る夜。
魔法学院の寮室で。
かつて「説明書を読む者は凡人」などと本気で書いていた少年は、今日も真面目に授業の復習を続けていた。




