第35話 ハーゼン家は、北の封所を知っていたらしい
午前の授業が始まってからも、シュウの鞄の中には昨夜まとめた調査ノートが入っていた。
ゲオルグ・ハーゼン。
レオル・ハーゼン。
ローデル北部。
封所。
白樹。
継ぎ。
昨夜までは頭の中で何度も並べ替えていた言葉だが、教室へ入ってからは意識して考えないようにしている。父から届いた手紙には学院の勉強を疎かにするなと書かれていたし、何より今受けている授業を聞き逃してまで急いだところで、二百年近く前の記録が逃げるわけではない。
(放課後に調べればいい)
そう自分へ言い聞かせながら、シュウは黒板へ視線を戻した。
今日の午前は王国基礎教養で、リディア・フェルンが街道と領地間移動について説明している。
「主要街道が現在の形になったのは、一度ではありません。戦争、領地再編、橋梁整備、都市の発展によって何度も経路が変化しています」
黒板には王国の簡略地図が描かれていた。
「したがって、古い記録に『北街道から東へ半日』とあっても、それを現在の北街道から測ってはいけません。当時どの道が北街道と呼ばれていたのか、先に確認する必要があります」
シュウのペンが止まりかける。
(また今の調査に刺さる話だ)
ローデル林区の古地図。
北の監視小屋。
約百九十年前の巡検記録。
仮に今後、距離や方角を示す文章が見つかっても、現在の地理へそのまま当てはめるのは危険ということになる。
しかし、そこで考え込みすぎないよう、シュウはノートの端へ「古い距離表現→当時の街道確認」とだけ書いた。
「アルヴェイン君」
「はい」
「何か質問ですか?」
「いえ。今のところは大丈夫です」
「そうですか」
リディアは一瞬だけシュウのノートを見たようだったが、それ以上は追及せず授業を続けた。
隣からエリオットが小声で言う。
「今、絶対ハーゼンのこと考えただろ」
「ちょっとだけ」
「授業」
「聞いてるよ」
「俺に言われたくないだろうけど」
「本当にね」
シュウが小さく笑うと、エリオットも口元だけで笑って黒板へ向き直った。
◇
昼休み。
中央広場のいつもの場所へ行くと、ダンとセシリアが先に来ていた。
「遅い!」
「そんなに遅くないよ」
「腹減った」
「それは俺たちのせいじゃない」
シュウが答える横で、エリオットが腰を下ろす。
少し遅れてユリウスも合流し、五人で昼食を広げた。
ダンは今日も肉が多い。
セシリアはパンと野菜、薄切り肉を挟んだもの。
ユリウスは簡素なパンとスープ。
シュウとエリオットは食堂で買った包み料理だった。
「今日、練習行く?」
ダンが早速尋ねてくる。
「今日は図書館」
シュウが答える。
「また?」
「調べたいこと増えたから」
「森の?」
以前、北にある古い建物について調べていることまでは話しているので、シュウは頷いた。
「昨日、家から返事が来たんだ」
「おお!」
ダンの声が少し大きくなり、近くで昼食を取っていた学生がこちらを見る。
セシリアがすぐ人差し指を唇の前へ立てた。
「ダンさん」
「悪い」
声量を落とす。
「家、大丈夫だった?」
「うん。今のところ新しい異常はないって」
「よかったですね」
セシリアがほっとしたように微笑む。
シュウも頷いた。
「それが一番よかった」
森底の鐘は二度目が鳴っていない。
北の監視小屋にも、外から確認できる範囲で大きな変化はない。
調査の進展より、まずその事実の方が重要だ。
「それで、昔の記録も少し見つかったから、今日はそっちを調べる」
「俺も行こうかな」
ダンが言った。
意外だった。
「図書館?」
「何だよ、その反応」
「ダンが自分から言うと思わなくて」
「俺だって本くらい読むぞ」
「読むんですか?」
セシリアまで尋ねた。
「セシリア!?」
「すみません。少し意外で」
「みんな俺を何だと思ってるんだよ」
ダンが不満そうにパンを齧る。
シュウは笑いながら考えた。
ハーゼン家の調査は、かなりアルヴェイン家の事情へ近づいている。
ユリウスとエリオットには、すでに一部を共有している。
ダンやセシリアを信用していないわけではない。
ただ、友人だから何でも話さなければならないわけでもない。
「今日は家の古い記録と照らし合わせるところもあるから、三人で行くよ」
「そっか」
ダンはあっさり引いた。
「じゃあ俺、練習してくる」
「一人で?」
「第五区画なら一人でも使えるだろ?」
「使えるけど、無理しないでね」
「分かってる」
「小さい火の練習ですよね?」
セシリアが確認する。
「水もやる」
「では私も行きます」
「本当?」
「今日は少し時間がありますから」
ダンが嬉しそうに笑う。
「じゃあ勝負――」
「しません」
「まだ何も言ってないだろ!」
「言おうとしていました」
「何で分かるんだよ」
「分かりやすいので」
エリオットが吹き出し、ユリウスも僅かに笑う。
シュウはその様子を見ながら、自分たちが毎日必ず同じ行動をしなくてもいいことに気づいた。
今日は三人が図書館。
二人が練習区画。
別の日には全員で練習することもある。
それでいい。
(友達って、ずっと一緒にいなきゃいけないわけじゃないもんな)
中学生時代の自分が書いた「十二の美姫」だの「孤高の王」だのとは違う。
もっと普通で、もっと気楽だ。
《なお、当時のマスターは配下同士の自由行動を――》
『今は昼ご飯を楽しませて』
《承知しました》
危なかった。
新しい黒歴史が投下されるところだった。
◇
午後の授業を終えると、シュウ、エリオット、ユリウスの三人はそのまま図書館へ向かった。
ダンとセシリアは第一学生練習区画へ向かう。
「明日結果教えるからな!」
ダンが去り際に言う。
「水ぶちまけた結果?」
「成功した結果だよ!」
「期待してる」
「絶対成功させる!」
余計に力みそうだと思ったが、隣にセシリアがいるので大丈夫だろう。
三人は中央広場を抜け、図書館へ入った。
昨日と同じく放課後の館内には学生が多い。けれど騒がしさはなく、紙をめくる音と筆記具が紙面を擦る音が、広い空間へ静かに重なっている。
「先に地図?」
エリオットが聞く。
「いや」
ユリウスが答えた。
「ハーゼンの名前を索引で探した方がいい」
「何で?」
「閲覧鏡を使う古地図は一枚。ハーゼンはどの資料にあるか分からない。先に索引で候補を集めて、地図の閲覧申請をしてから待ち時間に調べれば効率がいい」
「なるほど」
シュウも頷く。
「そうしよう」
受付で昨日の古地図の資料番号を伝える。
「こちらですね」
司書が台帳を確認した。
「閲覧鏡をご利用になりますか?」
「はい。記号の細かい部分を確認したくて」
「分かりました。写本の状態を確認してからお持ちします。閲覧席は指定になりますので、少々お待ちください」
「ありがとうございます」
手続きを済ませ、三人は北部史関係の索引へ向かった。
「ハーゼン」
シュウは小さく呟きながら人名索引を追う。
ハ。
ハー。
数人いる。
「ハーゼン……あった」
指が止まる。
だが。
「ミリア・ハーゼン」
「違う?」
エリオットが覗く。
「年代が八十年くらい前。王都の薬師」
「たぶん違う」
「同じ姓ではある」
ユリウスが言う。
「一応、完全には捨てない。でも今探してる時代とは違う」
シュウは端へ小さく控えるだけにした。
次。
別の索引。
北部行政関係者。
そこにもハーゼン姓があった。
「ゲオルグ」
三人の空気が変わった。
「ゲオルグ・ハーゼン」
シュウはページ番号を確認する。
『北部旧行政官吏名録・抄』
書架番号もある。
「行こう」
すぐに該当棚へ向かう。
目的の本は、厚い灰色の装丁だった。
閲覧机へ運び、索引に示されたページを開く。
「……いた」
短い記載。
『ゲオルグ・ハーゼン』
生没年は不詳。
活動記録は約百九十年前から百八十年前。
所属欄。
『ローデル林区北部管理役』
シュウの喉が小さく動いた。
「家の帳簿だと北方管理人」
「呼び方が違う」
エリオットが言う。
「でも名前と年代とローデルが一致してる」
ユリウスが資料へ顔を近づける。
「同一人物の可能性はかなり上がった。でも、まだ同姓同名の可能性はゼロじゃない」
「うん」
シュウは頷く。
続きを見る。
役務。
『北部境界巡回、制限区域確認、旧管理施設巡検補助』
「旧管理施設」
シュウが読む。
その下。
『任命に際し、ハーゼン家旧証文を確認。』
三人とも止まった。
「家」
エリオットが先に言った。
「ハーゼン家って書いてある」
「うん」
シュウの胸が高鳴る。
昨夜までは同じ姓の二人がいるだけで、家系なのかさえ分からなかった。
学院側の資料に、明確に「ハーゼン家」とある。
「旧証文って何?」
「分からない」
ユリウスが注釈を見る。
「ここには説明なし」
次の行。
『同家は旧ローデル北部の管理慣行に通ずるものとして、林区監督官より任用を受ける。』
「これ……」
シュウは昨日の資料を思い出す。
ローデル林区の北部管理人。
約百九十年前から百五十年前までの一部記録。
「旧来の管理を知る家から推薦を受けることが望ましい」。
「ハーゼン家が、その家だった可能性」
「高くなった」
ユリウスが言う。
「でも『旧来の管理を知る家』が一つだけだったとは書いてない」
「うん」
シュウはノートへそのまま残す。
ハーゼン家=唯一の推薦家系、とはしない。
ただし、ゲオルグが「旧ローデル北部の管理慣行に通ずる」家として任用された事実は大きい。
「レオルは?」
エリオットが索引へ戻る。
「同じページには……ない」
「別の名録かも」
三人で別資料を探す。
しばらくしてユリウスが見つけた。
『北部林区役務記録抜粋』
そこに。
『レオル・ハーゼン』
活動年代は約百七十年前。
役職は『北部管理補佐』。
家の帳簿と一致する。
「こっちも同じ」
シュウが言う。
「ただし、ゲオルグとの関係は書いてない」
「親子とは限らない」
「うん」
レオルの役務記録には、通常の森林巡回に加えて、春と秋の二度だけ別枠の支給記録があった。
『北部旧所巡検補助』
「旧所」
エリオットが読む。
「封所じゃない」
「うん」
「同じ場所?」
「分からない」
シュウは即答した。
似た言葉を見つけても結びつけない。
だが、その支給品一覧に目を移したとき、別のものが引っかかった。
「携行灯。食料。縄。簡易治療具……」
普通の巡回にも使いそうなものが並んでいる。
その中に。
「小型魔石、四個」
シュウが読む。
三人が顔を見合わせた。
昨夜の父の手紙。
「継ぎ」の前後に魔石を購入し、北方へ運搬した記録。
「また魔石」
エリオットが言う。
「でも、巡回で魔石を使うこと自体は珍しくないかもしれない」
シュウは抑える。
「魔導灯とか魔導具にも使えるし」
「そう」
ユリウスも頷く。
「数も用途も分からない。家の帳簿の魔石と同じ規格かも不明」
「記録だけしよう」
シュウは書き写した。
そのとき、司書が三人の席へ近づいてきた。
「お待たせしました。古地図の準備ができました」
「ありがとうございます」
指定された閲覧席へ移動する。
◇
古地図は昨日と同じものだった。
約百八十年前。
ローデル林区周辺を描いた写本。
ただし今日は、その横に閲覧鏡が置かれている。
円形の透明板を金属製の細い支柱で支えた道具で、下へ置いた文字や線を拡大して見ることができる。
「触れるのは閲覧鏡の取っ手だけにしてください」
司書が説明する。
「地図を動かす必要がある場合は呼んでください」
「分かりました」
「また、こちらは写本です。線の有無を確認することはできますが、その線が原本にも存在するかまでは保証できません」
「はい」
昨日聞いた注意点をもう一度確認する。
司書が離れたあと、三人は地図を覗き込んだ。
「ローデル林区」
ユリウスが位置を確認する。
「北側」
「この辺」
シュウは指を触れないよう少し浮かせながら示す。
薄い線。
森。
古い道。
そして。
小さな四角。
「これ」
エリオットが言う。
閲覧鏡を移動する。
シュウは息を詰める。
拡大された四角形。
線が古く、ところどころ掠れている。
右側。
「……ある」
短い縦線。
昨日、記憶の中で曖昧だったもの。
アルカディアが「存在した可能性が高い」と判断した線。
実際に見える。
「縦線だ」
エリオットが声を抑えて言った。
「汚れじゃない?」
シュウはまだ決めない。
「線の太さを見る」
ユリウスが閲覧鏡の位置を僅かに変える。
三人でじっと見る。
四角を構成する線。
右側の短い縦線。
「同じくらい?」
エリオットが言う。
「かなり近い」
「でも写本」
シュウが付け足す。
「うん」
ユリウスも頷く。
少なくとも、昨日の「線があったかもしれない」という段階からは進んだ。
この写本には、明確に短い縦線が存在する。
問題は意味だ。
別地域、約百七十年前の森林管理図では、四角と短い縦線の組み合わせが「通常の森林業務外の管理対象に付随する施設」を示していた。
しかし、ローデル林区でも同じ意味だった証拠はない。
「他の四角も見よう」
ユリウスが言う。
「比較?」
「そう」
地図内を探す。
四角い記号は一つではなかった。
林区の中央寄り。
街道付近。
南側。
いくつかある。
その多くには縦線がない。
「これ、管理小屋かな」
エリオットが言う。
「可能性はある」
「北側だけ線付き?」
「待って」
三人で地図全体を確認する。
もう一つ、東側に線付き四角があった。
「あった」
「北だけじゃない」
シュウはむしろ少し安心した。
特殊な印が北だけにあるから即座に封所だ、と考えるより、比較対象がある方が調べやすい。
「東側の場所、何があったか調べれば記号の意味が分かるかも」
エリオットが言う。
「それ」
シュウは頷いた。
「北側から直接答えを探すより、東側の記録で記号の意味を確認できるかもしれない」
「東側なら家の秘密とも関係ない」
ユリウスも言う。
「一般資料が残ってる可能性が高い」
新しい調査方法ができた。
北の印だけを追うのではなく、同じ地図にある同一記号の別地点を調べる。
「東側の線付き四角、近くに何か文字ある?」
閲覧鏡を動かす。
薄い。
かなり読みづらい。
「……セ?」
「違う。『旧』じゃない?」
ユリウスが言う。
「その次……」
シュウも目を凝らす。
「採……?」
「採石?」
エリオットが読む。
完全には判別できない。
地図の凡例にも、詳しい施設名は書かれていなかった。
「資料番号だけ控えよう」
「うん」
シュウは地図の位置関係を簡単に写す。
北側の線付き四角。
東側の線付き四角。
通常四角との違い。
写本であること。
原本は王立北方記録院所蔵。
最後に、昨日の自分の記憶と照合する。
(やっぱり、線はあった)
そこでアルカディアが静かに声をかけた。
《マスター》
『うん』
《昨日の視覚記憶と、現在確認している記号の形状は概ね一致しています》
『昨日ちゃんと見えてたんだな』
《ただし、昨日の記憶のみでは線と汚損を分離できませんでした。今回の閲覧結果をもって、少なくとも写本上に線状記号が存在すると判断できます》
『ありがとう』
《どういたしまして》
以前なら、最初からアルカディアへ「何が書いてある?」と聞いていたかもしれない。
今は自分で見る。
友人と考える。
資料を比べる。
そのうえで補助として使う。
この方が、自分自身が知識を得ている実感があった。
◇
古地図を返却したあと、三人は再び一般閲覧席へ戻った。
「次、何見る?」
エリオットが尋ねる。
「東側の施設?」
「それも見たいけど」
シュウはノートを開く。
「先にハーゼン家」
今日だけでも新しい情報が出ている。
ゲオルグ・ハーゼンは学院側資料でもローデル林区北部管理役として確認された。
ハーゼン家は「旧ローデル北部の管理慣行に通ずる」と評価されていた。
レオルも北部管理補佐として確認。
これだけなら、かなり強い。
「ハーゼン家がいつまで記録に出るか知りたい」
シュウが言う。
「消えた時期?」
「うん。今まで家で名前を聞いたことないから」
「アルヴェイン家へ引き継いだ時期と重なるかもしれない」
エリオットが言う。
「それを先に決めない」
ユリウスが止める。
「あ」
「ハーゼン家が消えたこともまだ確定してない」
「そうだった」
「今もどこかにいるかもしれない」
「ミリア・ハーゼンもいたしね」
シュウが言う。
約八十年前の王都の薬師。
時代は離れているが、同じ姓だ。
無関係かもしれない。
子孫かもしれない。
「人名だけじゃなくて家名資料を探そう」
ユリウスの提案で、今度は古い家系・領地関係の資料へ移る。
貴族家だけではない。
古くから特定の職務を担った家。
地域役人。
技術者家系。
魔術師家系。
そうした記録をまとめた資料がある。
ただ、数が多い。
三人で分担した。
シュウは北部旧家。
ユリウスは旧行政家系。
エリオットは職能家系。
「俺だけ範囲広くない?」
「嫌なら代わる?」
「いや、やる」
書架の前で索引を開く。
ページをめくる。
ハーゼン。
ない。
別の本。
ない。
三冊目。
「……あった」
シュウは思わず声を抑えた。
『北部旧家略録』
ハーゼン家。
記載は僅か半ページ。
「ユリウス、エリオット」
二人を呼ぶ。
三人で読む。
『ハーゼン家。旧ローデル地方において森林境界および北方旧所の管理に従事した記録を持つ家系。』
シュウの指が止まる。
「北方旧所」
また出た。
封所とは書かれていない。
だが、レオルの役務記録にも「北部旧所巡検補助」があった。
『起源不詳。王領林区成立以前から同地域の一部管理に携わっていたとされるが、初期記録に欠損多し。』
「王領林区成立以前」
ユリウスが呟く。
「ローデル林区より前から?」
「そう読める」
シュウは胸の奥がざわつくのを感じた。
北の監視小屋は約百八十年前。
だが地下の施設は、それより古い可能性がすでにある。
もしハーゼン家がローデル林区成立以前から北方旧所を管理していたのなら。
(小屋より前から、何かを管理してた?)
可能性はある。
だが、まだ「北方旧所」が北の封所と同一だとは確認されていない。
続きを読む。
『林区制度成立後は北部管理役および補佐として複数名の名を確認。後年、行政再編に伴い公的役職記録から名が減少する。』
「減少」
「消滅じゃない」
ユリウスがすぐ指摘する。
「うん」
『家系のその後については諸説あり。一部は他地域へ移住したとする記録、一部は当地に残り私的な管理役務を継続したとする記録があるが、確証なし。』
三人の視線が止まる。
「私的な管理役務」
エリオットが読む。
「アルヴェイン家?」
「まだ結びつけない」
シュウは言った。
だが、声が少し強くなってしまった。
自分自身へ言っているのかもしれない。
「続き」
最後の数行。
『ハーゼン家に伝わったとされる旧証文については現存不明。後世の記録では「北守の証」「白守文書」等の呼称も見られるが、同一文書を指すか不明。』
「白守」
シュウの頭に白樹が浮かぶ。
しかし、これも危険だ。
白という一文字だけで白樹へ結びつけることはできない。
「記録」
ユリウスが言う。
「うん」
シュウはそのまま書く。
解釈は後。
事実だけ。
「これ、出典ある」
エリオットがページ下を指した。
複数の古記録が並んでいる。
その中の一つ。
『ローデル北部役務抄』
学院所蔵。
もう一つ。
『ハーゼン旧記断片』
所蔵先。
「王立北方記録院」
シュウが読む。
またそこだ。
原本古地図も。
ハーゼン家の断片資料も。
北部にある。
(いつか行く必要が出てくるかもしれない)
だが、今ではない。
学院へ入ったばかりだ。
すぐ北へ戻る理由もない。
そもそも王立北方記録院で学生がどこまで閲覧できるかも分からない。
「学院所蔵の方、探す?」
「今日はそっちまでにしよう」
ユリウスが言う。
「もう結構時間経ってる」
窓を見る。
外の光はかなり傾いていた。
「本当だ」
「集中すると時間分かんなくなるな」
エリオットが肩を回す。
「最後に学院所蔵の資料だけ場所確認して、読むのは次回?」
「それがいい」
三人は『ローデル北部役務抄』の資料番号を調べた。
結果。
一般書架にはない。
「閉架資料」
シュウが表示を見る。
「申請必要?」
受付で確認する。
司書は資料番号を見てから答えた。
「こちらは保存状態の関係で閉架になっています。内容自体に閲覧制限はありませんので、学生でも申請できます」
「今日、見られますか?」
「今からですと、準備が終わるころには閲覧時間がほとんど残りません。次回の来館日に予約しておくことはできますよ」
三人で顔を見合わせる。
「予約します」
シュウが答えた。
「では、希望日を」
次に三人の予定が合う放課後。
そこへ予約を入れる。
これで次の資料は確保できた。
◇
図書館を出ると、夕暮れの風が思ったより冷たかった。
長時間座っていたせいか、三人とも少し身体が固まっている。
エリオットが大きく伸びをした。
「疲れた」
「付き合わせてごめん」
「だから嫌じゃないって」
「俺も」
ユリウスが言う。
「むしろ面白い」
「ユリウスはそうだと思ってた」
三人で中央広場へ向かう。
「今日分かったこと、整理する?」
エリオットが言う。
「歩きながら?」
「忘れる前に」
「じゃあ一個ずつ」
シュウは指を一本立てる。
「ゲオルグ・ハーゼン。学院側の資料でも約百九十年前、ローデル林区北部管理役として確認」
「家の帳簿と名前、年代、役割がほぼ一致」
エリオットが続ける。
「同一人物の可能性は高い。でも確定とは言い切らない」
ユリウス。
「二つ目。ハーゼン家は『旧ローデル北部の管理慣行に通ずる』家として任用された」
「昨日見つけた『旧来の管理を知る家』の候補」
「候補」
ユリウスが強調する。
「はいはい」
エリオットが笑う。
「三つ目。レオル・ハーゼンも学院資料に北部管理補佐として出てきた」
「家の記録と一致」
「ゲオルグとの血縁は不明」
「四つ目」
シュウが続ける。
「レオルの北部旧所巡検で小型魔石四個の支給記録。でも用途不明」
「家の『継ぎ』前後の魔石購入と関係するかも不明」
「五つ目。古地図の北側の四角には、本当に短い縦線があった」
「写本上では」
ユリウスが付け足す。
「そう。原本も同じかは未確認」
「同じ線付き四角が東側にもある」
「東側施設の用途を調べれば、記号の意味を確認できる可能性」
「六つ目」
エリオットが言う。
「ハーゼン家はローデル林区ができる前から、北方旧所の管理に関わってた可能性がある」
「記録では『携わっていたとされる』」
ユリウス。
「細かい!」
「大事」
「分かってるけど!」
シュウは笑った。
「でも、本当に大事だよ」
今日見つけた『北部旧家略録』そのものが、初期記録に欠損が多いと明記している。
確定事項として扱うべきではない。
「最後」
シュウが言う。
「ハーゼン家の旧証文。別名かもしれないものに『北守の証』『白守文書』。現存不明。同じ文書かも不明」
「白守」
エリオットが言う。
「白樹っぽいけど」
「まだ言わない」
「分かってるって」
「あと、学院に『ローデル北部役務抄』が残ってる。次回予約済み」
「北方記録院にもハーゼン家関係の断片資料」
「でも今すぐは行かない」
「うん」
かなり進んだ。
それでも、北の封所の正体は分からない。
地下に何があるのかも。
なぜシュウへ「帰ってきた」と反応したのかも。
ハーゼン家とアルヴェイン家の関係も。
むしろ、新しい家名が加わったことで謎は増えた。
だが。
(方向は見えてきた)
少なくとも、何を調べればいいかは分かる。
◇
中央広場の手前で、見覚えのある二人がこちらへ歩いてきた。
「あ!」
ダンだった。
隣にはセシリアもいる。
「終わったの?」
シュウが尋ねる。
「終わった!」
「どうだった?」
「聞いて驚け」
ダンが得意げに胸を張る。
「水球、三回成功した」
「おお」
「しかも二回目と三回目はほとんど同じ大きさ!」
「本当に?」
「本当だ!」
セシリアを見る。
「本当です」
「疑うなよ!」
「いや、確認」
「俺を信用しろ!」
「一回目は?」
エリオットが聞く。
「……ちょっと大きかった」
「どのくらい?」
「ちょっと」
セシリアが口元を押さえる。
「最初は容器の半分ほど持ち上げていました」
「それはちょっとじゃない」
「でも二回目からできた!」
「なら進歩じゃん」
シュウが言うと、ダンは満足そうに笑った。
「だろ!」
「セシリアは?」
「私は風を練習しました。起動を少し速くしても、前より流れを乱さず維持できました」
「いいね」
「ただ、まだ水ほど自然にはできません」
「次もやろう」
「はい」
五人が再び揃う。
さっきまで二百年前の家系や古い封所を調べていたのに、今は友人の水球の話をしている。
その落差が、シュウには妙に心地よかった。
「シュウたちは?」
ダンが聞く。
「進んだよ」
「何か分かった?」
「昔、森の北側を管理してたかもしれない家が見つかった」
「おお!」
「でもまだ『かもしれない』」
「またそれ?」
「大事なんだよ」
「最近シュウ、そればっかり言ってない?」
「学院で学んだから」
「真面目だなあ」
「ダンも見習った方がいいですよ」
「セシリアまで!?」
また笑い声が上がる。
夕方の中央広場には、授業を終えた学生たちが行き交っている。誰かが練習の話をし、誰かが課題の愚痴を言い、食堂へ急ぐ集団が横を通り過ぎていく。
学院の日常。
その中に、自分たちもいる。
◇
夜。
第一男子寮の部屋で、シュウは今日の調査結果をノートへまとめていた。
エリオットは向かいの机で魔力制御の本を読んでいる。
窓の外では魔導灯が淡く光り、廊下から時折、学生の話し声が聞こえてくる。
シュウはページを二つに分けた。
【確認できたこと】
ゲオルグ・ハーゼンは学院資料にも存在。
約百九十年前、ローデル林区北部管理役。
ハーゼン家は旧ローデル北部の管理慣行に通じる家として記録。
レオル・ハーゼンも約百七十年前の北部管理補佐として学院資料に存在。
レオルの北部旧所巡検時に小型魔石支給記録。
古地図写本の北側四角記号には短い縦線が存在。
同一地図の東側にも同記号あり。
ハーゼン家はローデル林区成立以前から北方旧所管理に携わっていたとする後世資料あり。ただし初期記録欠損。
ハーゼン家旧証文の存在記録。現存不明。
学院所蔵『ローデル北部役務抄』を次回閲覧予約。
【まだ分からないこと】
ゲオルグとレオルの血縁関係。
ハーゼン家とアルヴェイン家の関係。
ハーゼン家が現在も存続するか。
北方旧所=北の封所か。
ローデル北部の封所=現在の監視小屋地下施設か。
「継ぎ」=白樹への魔力補充か。
魔石の用途。
線付き四角記号の意味。
『北守の証』『白守文書』の内容と同一性。
シュウは最後の項目を書いて、ペンを止めた。
(こうして見ると、分からない方が多いな)
けれど、それでいい。
父の手紙にあった言葉を思い出す。
分からないものは、分からないままで構わない。
分かったふりをするよりずっといい。
「シュウ」
「ん?」
「終わった?」
「今日の分は」
「じゃあ聞いていい?」
「何?」
エリオットが本から顔を上げた。
「ハーゼン家が北の封所を管理してたとしてさ」
「うん」
「アルヴェイン家は、いつからなんだ?」
シュウは黙った。
それは、今日の資料を読んでいる間も何度か考えた疑問だった。
「分からない」
「家の記録で一番古いのは?」
「今分かってる範囲だと、エドワルドの記録がかなり古い。でも、北の封所そのものがいつからアルヴェイン家の管理になったのかは確認できてない」
「じゃあ」
エリオットが少し考える。
「次はそこも調べた方がいいんじゃない?」
「ハーゼン家がいつまで、じゃなくて?」
「それもだけど、アルヴェイン家がいつから、も」
シュウはノートを見る。
二つの線。
ハーゼン家。
アルヴェイン家。
片方だけ追っていても、引き継ぎがあったかどうかは分からない。
「確かに」
新しい項目を書く。
『アルヴェイン家が北方管理へ関わり始めた最古記録』
「これ、父さんにも聞こう」
「また手紙?」
「うん。でも追加の手紙、まだ出してないから」
以前、古い「封」の意味や昔の領地境界について尋ねるために書いた二通目。
まだ机の引き出しに入っている。
そこへ今回の質問を追加できる。
「明日出す?」
「今度こそ出す」
「忘れるなよ」
「忘れない」
シュウは引き出しから二通目の手紙を取り出した。
まだ封をしていない。
便箋を開き、追記する内容を考える。
ハーゼン家という名前は、父もすでに調べている。
だから聞くべきなのは別だ。
『アルヴェイン家が北の封所、または北方管理に関わった最古の記録があれば教えてほしい。ハーゼン家との引き継ぎを示す記録がないかも、無理のない範囲で確認してほしい。』
そこまで書いて、手を止める。
(無理のない範囲で、か)
父や兄も領地の仕事がある。
自分の調査のために、古い帳簿へ一日中張りついてもらうわけにはいかない。
もう一文加えた。
『急ぎではありません。領地の仕事を優先してください。』
「よし」
手紙を読み直す。
北の封所についてだけではない。
学院の授業。
友人たちとの練習。
魔法史の課題。
母に頼まれた友人の話も少し増やした。
エリオットは理論が得意で、魔力制御を練習していること。
ダンは元気で、火と土が得意だが小さい火を出す練習をしていること。
セシリアは水と光が得意で、生活や人を助ける魔法にも興味があること。
ユリウスは本が好きで、調査を手伝ってくれていること。
秘密にするべき内容には触れない。
ただ、自分が学院でどんな毎日を送っているのかは伝える。
「家族への手紙って、そんな書くことある?」
エリオットが尋ねた。
「あるよ」
「俺だったら三行で終わりそう」
「何書くの?」
「元気です。授業受けてます。以上」
「短すぎる」
「十分だろ」
「母さん泣くよ」
「シュウの母親が?」
「うちの母さんなら」
「俺の手紙で?」
「違う。俺がそれ送ったら」
「ああ」
エリオットが笑った。
シュウも笑いながら便箋を畳む。
明日、郵便受付へ出す。
これで二通目だ。
《マスター》
『何?』
《一つ、確認してもよろしいでしょうか》
『いいよ』
《ハーゼン家に関する情報について、現時点で私による過去記憶照合を実施しますか》
シュウは少し考えた。
自分の記憶。
北の小屋。
家の古い書庫。
日誌。
帳簿。
ハーゼンという名前を以前見ていた可能性。
アルカディアなら、自分が視界へ入れたものの中から何かを拾えるかもしれない。
だが。
『今はいい』
《理由を伺っても?》
『家の資料って、ちゃんと読んでないものも多かったから。視界に入っただけの文字を拾っても、それがどの本のどの時代の記録か分からなかったら危ないでしょ』
短い沈黙。
《妥当な判断です》
『学院で資料の見方を習ったからね』
《成長されました》
『何かその言い方、子供扱いされてない?』
《そのような意図はございません》
『本当に?』
《はい》
少し怪しい。
それでも、アルカディアが勝手に検索し始めないことには安心した。
シュウは二通目の手紙を封筒へ入れる。
明日、これを送る。
次の図書館では『ローデル北部役務抄』。
同じ古地図にあった東側の線付き四角についても調べたい。
ゲオルグとレオル。
ハーゼン家。
アルヴェイン家。
少しずつ過去の形が見え始めている。
そのとき。
《マスター》
『今度は何?』
《本日の調査内容とは無関係ですが、記録上の確認事項があります》
『うん』
《グレイ・ハルバート氏による漆黒魔力の追加調査について、次回実施時期は未定のままです》
「あ」
思わず声が出た。
「どうした?」
エリオットが見る。
「いや……忘れてたこと思い出した」
「何?」
「先生に相談してる魔法のこと」
漆黒魔力。
北の森を調べている間にも、もう一つの大きな謎は残ったままだ。
普通の闇属性ではない。
術式も詠唱も必要とせず、意思だけで通常魔力を黒く変化させられる。
学院で調べてもらうことには同意しているが、その正体が分かったわけではない。
(調べたいこと、多すぎない?)
北の封所。
ハーゼン家。
白樹。
アルヴェイン家の管理。
漆黒魔力。
そして普通の魔法の勉強。
さらに冒険者になるための準備も、いつかは必要になる。
シュウは机へ額をつけた。
「どうしたんだよ」
「やることが多い」
「さっき楽しそうだったじゃん」
「楽しいよ。楽しいけど多い」
「一個ずつやれ」
「……はい」
最近、いろいろな人から同じことを言われている気がする。
エリオットはまた本へ戻った。
シュウも顔を上げる。
(まあ、急ぐ必要はないか)
北の森には現時点で新しい異常がない。
二度目の鐘も鳴っていない。
家族が領地側で調べてくれている。
学院では資料を読める。
グレイにも漆黒魔力を相談できている。
そして、一人ではない。
それだけでも、入学前とはかなり違う。
シュウは机の上へ並ぶノートと手紙を見た。
答えはまだ遠い。
それでも、昨日まで名前すら知らなかったハーゼン家が、今日は確かな記録としてそこにある。
分からないものを、分からないまま放置するのではない。
決めつけることもせず、一つずつ確かめていく。
今はそれで十分だった。
窓の外で夜風が木々を揺らし、魔導灯の光が僅かに揺れる。
シュウは明日送る封筒を鞄の一番上へ入れると、ようやく調査ノートを閉じた。




