第34話 父からの手紙には、知らなかった家の名前がありました
第一男子寮を出たシュウとエリオットは、夕暮れの学院を中央棟へ向かって歩いていた。
空にはまだ僅かに明るさが残っているものの、石畳の脇に並ぶ魔導灯はすでに灯っている。夕食へ向かう学生たちと何度もすれ違い、そのたびに食堂の方向から漂ってくる焼いた肉と香草の匂いが空腹を刺激した。
それでも、今は食事より手紙の方が気になる。
(父さんからだよな、たぶん)
北部方面から自分宛てに届いた便。
学院へ来てから北へ手紙を送った相手は家族しかいない。
最初の手紙には、学院生活や友人のこと、測定結果に加えて、図書館で知った白樹についても書いた。北の監視小屋に使われている可能性があること、古い魔術建築では白樹へ定期的に魔力を補充していた例があること。ただし、家の小屋も同じ仕組みだと決めつけないよう、可能性として伝えてある。
その後に調べた古い「封」の意味やローデル林区については、まだ家族へ届いていない。
「シュウ」
「ん?」
「速い」
隣から言われ、シュウは自分の歩調に気づいた。
いつの間にか、かなり早足になっている。
「ごめん」
「別にいいけど」
エリオットも歩調を上げて追いつく。
「そんな気になる?」
「気になるよ」
「白樹のこと?」
「それもあるし、森で何か変わってないかも」
シュウは声を少し落とした。
北の森で鳴った鐘。
一度目で止まっている。
家に伝わっていた言葉では、白い家が眠らせている間は鐘は一度で止まる。
二度目を聞いたら、森から離れろ。
学院へ来てから、二度目の鐘が鳴ったという知らせはない。
だからといって、完全に安心できるわけでもなかった。
「何もなければいいな」
エリオットが言う。
「うん」
短く答える。
中央棟が見えてきた。
◇
夕方の中央棟は、昼間より人が少なかった。
事務関係の窓口はいくつか閉まり始めているが、郵便受付にはまだ明かりが灯っている。木製のカウンターの奥では、職員が届いた便を棚へ分類していた。
「すみません」
シュウが声をかける。
「シュウ・アルヴェインです。寮に、北部から便が届いてるって連絡があって」
「アルヴェイン君ですね。少々お待ちください」
職員が棚を確認する。
ほどなく、一通の封筒を取り出した。
厚手の淡い茶色の紙。
見覚えがある。
実家で普段使われている便箋と同じものだ。
「学生証をお願いします」
「はい」
確認を終える。
「こちらです」
「ありがとうございます」
受け取った。
表には自分の名前。
裏返す。
封蝋に押されているのはアルヴェイン家の家紋だった。
(父さんだ)
胸の奥にあった緊張が、少しだけ違うものへ変わる。
家からの手紙。
それだけで、急に家族の顔が浮かんだ。
父ロデリック。
母エレノア。
兄レイモンド。
学院へ来てから、それほど長い時間が経ったわけではない。それでも、毎日新しいことばかりだったせいか、実家を出た朝が少し前のことのように感じられる。
「ここで読む?」
エリオットが尋ねた。
「……いや」
シュウは封筒を大切に鞄へ入れる。
「食堂行こう」
「読まないの?」
「読みたいけど、受付の前で立ったまま読むのも何か違うし」
「じゃあ飯食ってから?」
「たぶん途中で我慢できなくなる」
「どっちだよ」
二人で中央棟を出る。
◇
結局、シュウは夕食を食べ終えるまで封筒を開かなかった。
ただし、食事中に何度も鞄へ視線を向けていたため、エリオットには笑われた。
「気になるなら読めばよかっただろ」
「食べながら読むの嫌だったんだよ」
「じゃあ鞄見るなよ」
「見てない」
「五回は見た」
「数えてたの?」
「暇だったから」
「ご飯食べてたでしょ」
食堂を出たころには、外は完全に夜になっていた。
第一男子寮へ戻り、部屋の扉を閉める。
シュウは制服の上着も脱がず、自分の机へ向かった。
「やっと読むのか」
「読む」
椅子へ座る。
鞄から封筒を取り出した。
エリオットは自分の机へ向かい、借りている魔力制御の本を開く。
「俺、そっち見ないから」
「別に見られて困る手紙じゃないと思うけど」
「家族からだろ。勝手に読むのは違う」
「ありがとう」
シュウは封蝋を傷つけないよう、丁寧に封を開いた。
中には便箋が三枚入っていた。
(多いな)
最初の一枚を広げる。
『シュウへ』
父の字だ。
その瞬間、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
『手紙をありがとう。無事に学院生活を始められたようで安心した。母さんは三度読み返し、レイモンドは「友人ができたなら何よりだ」と言いながら、自分も読むと言って持っていった。お前が思っている以上に、こちらでは一通の手紙が大きな出来事になっている。』
シュウは思わず笑った。
(母さん、三回読んだのか)
容易に想像できる。
そして兄が何食わぬ顔で手紙を持っていく姿も。
『五つの属性に適性が出たことについては驚いた。もっとも、お前が子供のころから妙に色々な魔法を触りたがっていたことを考えれば、母さんは「やっぱり」と言っている。私は、学院の先生方の指導をきちんと聞くように、とだけ言っておく。』
(父さんらしいなあ)
強い力を得たことより、教師の話を聞け。
たぶん本気で心配している。
『友人についても、また聞かせてほしい。エリオット君、ダン君、セシリア嬢、ユリウス君と書いてあったな。名前を覚えたと母さんが言っている。もし領地へ遊びに来る機会があれば歓迎しよう。』
シュウの目が止まる。
(みんなが、うちに?)
想像してみる。
ダンは絶対に森へ行きたがる。
ユリウスは家の本棚から動かなくなりそうだ。
セシリアは母と話が合うかもしれない。
エリオットは――。
そこでシュウは、少し離れた机へ目を向けた。
エリオットは本を読んでいる。
家族の話をしたときに見せた、あの「いいな」という反応。
理由はまだ聞いていない。
(いつか、本当に連れていけたらいいな)
無理に誘う必要はない。
ただ、そんな日があれば楽しそうだと思った。
手紙へ戻る。
次の段落から、内容が変わっていた。
『さて、お前が書いていた白樹についてだ。』
シュウの表情が自然と引き締まる。
『結論から言えば、こちらでもいくつか確認できたことがある。ただし、先に言っておく。まだ分からないことの方が多い。お前も手紙に書いていた通り、見つけた事実と推測は分けて考えた方がいい。』
(……親子だな)
思わず苦笑した。
学院で何度も言われ、自分でも意識していることを、父まで書いてくる。
『まず、北の古い監視小屋について、レイモンドと共に改めて外側を確認した。森の奥へ深入りはしていない。地下の扉にも触れていない。お前がいない状態で余計なことをするべきではないと判断した。』
シュウは小さく息を吐いた。
安心した。
父や兄が、何かを確かめようとして地下へ入る可能性を少し心配していた。
『小屋そのものに大きな変化はない。倒壊や新しい損傷も確認できなかった。お前が以前気にしていた森の異変についても、屋敷側で把握している範囲では新しい被害は出ていない。』
(よかった)
少なくとも今は。
二度目の鐘についても何か書かれていないか、目が先へ進む。
『森底の鐘については、あれ以降、領内で同様の音を聞いたという報告はない。』
シュウはそこで一度、手紙を机へ置いた。
息を吐く。
自分でも気づかないうちに、少し息を詰めていたらしい。
「大丈夫?」
エリオットが本から顔を上げる。
「うん。森の方、新しい異常は出てないって」
「よかったな」
「鐘も二回目は鳴ってない」
「そっか」
エリオットはそれ以上聞かなかった。
シュウも手紙へ戻る。
『次に白樹だ。お前から教えられた「外から与えた魔力を保持する性質」と「古い魔術建築に利用された例」を踏まえ、屋敷に残っている記録をもう一度調べた。』
次の一文。
『すると、これまで意味が分からず読み流していた記述が一つ見つかった。』
シュウの指先へ僅かに力が入る。
『アルベルトの日誌だ。』
(アルベルト)
管理継承の記録に残っていた人物。
エドワルド。
グレゴル。
エルネスト。
アルベルト。
その先で、オスカーへの引き継ぎが確認できていなかった。
『日誌には、北の監視小屋について次の記述がある。』
シュウはゆっくり読み進める。
『「白樹の満ち、前年より僅かに弱し。春の終わりまでに継ぎを行う」』
手が止まった。
(継ぎ)
見覚えがある。
図書館で読んだ古式魔術建築の資料。
保持建築へ定期的に魔力を供給する行為。
地域によって「継ぎ」「満たし」「封直し」などの名が使われた例があった。
「……あった」
思わず声が出た。
エリオットが顔を上げる。
「何が?」
「家の記録に、『継ぎ』って言葉があった」
「前に調べたやつ?」
「うん。古い魔術建築で、魔力を補充するときに使われた例がある言葉」
胸が早くなる。
だが。
(待て)
シュウは自分で止まった。
同じ単語。
それだけだ。
地域も年代も確認しなければならない。
「継ぎ」が必ず魔力補充を意味するとも限らない。
「でも、まだ同じ意味とは決まってない」
「自分で止まった」
エリオットが少し笑う。
「成長したでしょ」
「かなり」
シュウも笑ってから、続きを読んだ。
『同じ日誌の別の年には、「今年の継ぎ、レオルに任す。白樹よく応ず」とある。』
「……レオル?」
知らない名前だった。
アルヴェイン家の管理継承として確認していた名前にはない。
シュウは急いで机の端に置いてある調査ノートを開く。
エドワルド。
グレゴル。
エルネスト。
アルベルト。
オスカー。
やはりない。
(誰だ?)
手紙を読む。
『レオルという人物については、我が家の近い家系図には名前がない。使用人名簿にも、現在確認できる範囲では見つからなかった。』
父も同じ疑問を持ったらしい。
『ただし、レイモンドが古い帳簿の中から、似た名前を一つ見つけた。』
次の行。
『「レオル・ハーゼン」』
シュウは、その名前を小さく読み上げた。
「レオル・ハーゼン……」
知らない。
だが、どこかが引っかかった。
(ハーゼン……?)
頭の中で、最近見た名前を探す。
図書館。
北部。
古い記録。
門封。
「……あ」
思い出した。
古い北部記録の用例を調べたとき。
「東門封、三人を以て改め、冬至までこれを保つ」という記録。
その出典が――。
(旧ハルゼン領)
似ている。
ハーゼン。
ハルゼン。
だが、一文字違う。
しかも、片方は人名。
片方は領地名。
(似てるだけかもしれない)
音が近いからといって関係があるとは限らない。
翻字や時代による表記揺れの可能性もあるが、それも調べなければ分からない。
シュウは続きを読んだ。
『レオル・ハーゼンについて見つかった記録は、アルベルトの時代より少し前のものだ。北部の森林管理に関する支出帳に、「北方管理補佐 レオル・ハーゼン」と記されている。』
シュウの背筋が伸びた。
「北方管理……」
「何?」
エリオットがまた見る。
「昨日調べたの覚えてる?」
「北部管理人?」
「それに近い名前が家の帳簿にも出てきた」
エリオットが本を閉じた。
今度はさすがに興味を抑えられないらしい。
「家の人?」
「分からない。アルヴェインの家系図にはいないって」
「使用人?」
「それも今のところ見つかってない」
「じゃあ誰?」
「それを父さんたちも調べてる」
シュウは三枚目へ進む。
『さらに古い帳簿を確認したところ、ハーゼンの名はレオル一人だけではなかった。』
胸の鼓動が一つ大きくなる。
『約百九十年前の記録に、「北方管理人 ゲオルグ・ハーゼン」。約百七十年前の記録に、「北方管理補佐 レオル・ハーゼン」。この二名を確認した。』
昨日見つけた資料。
約百九十年前から百五十年前までの一部記録で、ローデル林区の北部管理人には「旧来の管理を知る家」からの推薦を優先。
年代が重なる。
(ハーゼン家……?)
まだ家と呼んでいいのか分からない。
同じ姓の二人がいるだけ。
親子かもしれない。
親族かもしれない。
無関係の同姓かもしれない。
だが。
『ゲオルグ・ハーゼンの記録には、もう一つ気になる記述がある。』
シュウは息を整えて先を読んだ。
『「ローデル北部、春季巡検に同行。封所異常なし」』
声が出なかった。
目だけが、その一行をもう一度追う。
ローデル。
北部。
封所。
三つが同じ記録にある。
「シュウ?」
エリオットが椅子から少し身を乗り出した。
「……繋がった」
「何が?」
「ローデル林区と、封所」
シュウは手紙を持ったまま答えた。
「家の古い帳簿に、両方書いてある」
「本当に?」
「『ローデル北部、春季巡検に同行。封所異常なし』」
口にすると、実感が増す。
昨日までは別々だった。
学院の古地図から見つけたローデル林区。
アルヴェイン家の古い記録に残っていた北の封所。
それが一つの文章へ並んでいる。
「じゃあ、北の封所ってローデル林区にあったのか?」
エリオットが尋ねる。
シュウは反射的に頷きかけ――止まった。
「……少なくとも、ローデル北部の巡検と封所確認が同じ記録に書かれてる」
「場所までは?」
「この一文だけじゃ断定できない」
「そっか」
「でも、今までよりかなり近い」
「それはそうだな」
手が少し震えている。
怖いわけではない。
興奮している。
(本当にあったんだ)
北の封所という言葉は、家の中だけに残った曖昧な呼び方ではない。
少なくとも約百九十年前、ローデル北部の管理に関わる帳簿へ記されていた。
しかも、その巡検にはゲオルグ・ハーゼンという北方管理人が同行している。
シュウは先を読む。
『この記述から、北の封所が当時のローデル北部管理と何らかの関係を持っていた可能性は高いと私は考えている。ただし、帳簿は支出記録を中心としたもので、封所の用途や正確な場所については書かれていない。』
父も断定していない。
『もう一つ。お前が教えてくれた白樹の性質について、アルベルトの日誌を読み直すと、「継ぎ」の前後に魔石購入と北方への運搬記録がある。これが白樹へ魔力を補充するためのものだったのかは分からない。魔石には他の用途もあるからだ。』
(魔石……)
新しい情報だ。
白樹。
継ぎ。
魔石。
北方への運搬。
繋げたくなる。
だが、父の言う通り魔石には他にも用途がある。
『現時点で私たちが確認できたのは以上だ。レイモンドは引き続き帳簿を調べている。母さんには無理をするなと言われた。お前にも同じことを言っておく。学院の勉強を疎かにしてまで調べる必要はない。こちらで確認できることはこちらでやる。』
シュウの口元が緩む。
(父さんだな)
最後まで読む。
『それと、母さんから「食事を抜いて調べ物をしないように」と書けと言われた。私はお前がそこまで無茶をするとは思っていないが、一応書いておく。レイモンドからは「友人に迷惑をかけるな」とのことだ。』
「……」
「何?」
エリオットが尋ねる。
「兄さんから、友人に迷惑かけるなって」
「正しいな」
「即答しないでよ」
「俺、昨日も今日も図書館付き合ってるけど」
「嫌だった?」
「嫌じゃない」
「じゃあ迷惑じゃない」
「今のところは」
「今のところって何」
エリオットが笑う。
シュウも笑いながら、最後の部分へ目を落とした。
『元気でやれ。急ぐな。分からないものは、分からないままで構わない。分かったふりをするよりずっといい。』
その下。
『父 ロデリック』
さらに少し空けて、別の字があった。
『ちゃんと食べていますか。夜更かししすぎないように。友達ができて本当によかったです。今度はどんな子たちなのか、もっと詳しく書いてください。――母』
その下にも。
『学院の先生の言うことを聞け。あと、困ったら一人で何とかしようとするな。――レイモンド』
「……みんな書いてる」
声が自然と柔らかくなった。
北の封所についての情報は重要だった。
ローデル林区。
ハーゼンという名前。
継ぎ。
魔石。
それだけでも頭の中がいっぱいになる。
それでも最後に残ったのは、家族の言葉だった。
(帰ったら、ちゃんと話そう)
何を学んだか。
どんな友達ができたか。
学院で何を失敗したか。
北の森のことだけではなく。
シュウは便箋を丁寧に畳んだ。
◇
「見せていいところだけ説明する」
少しして、シュウはエリオットへ言った。
「家族の手紙なのにいいの?」
「北の森を一緒に調べてもらってる部分は、共有した方がいいと思う」
「じゃあ聞く」
エリオットが椅子ごと少し近づく。
シュウは手紙そのものを渡さず、ノートを開いた。
「まず、新しい異常は確認されてない。二度目の鐘も報告なし」
「それが一番いい知らせだな」
「うん」
心からそう思う。
「次。北の小屋も外から見た範囲では大きな変化なし。父さんと兄さんは地下には触ってない」
「地下?」
シュウの口が止まった。
エリオットが首を傾げる。
「地下に何かあるのか?」
(しまった)
これまでエリオットたちには、古い建物と白樹については話した。
だが、地下の石扉までは話していない。
「……ある」
誤魔化すか迷った。
しかし、自分から口にしてしまった以上、完全に否定する方が不自然だ。
「古い扉がある。でも何なのか分からないし、危ない可能性があるから、今は触らないようにしてる」
「それ、結構大事な話じゃないか?」
「うん。だから全部はまだ話せない」
エリオットは少し黙った。
怒るだろうか。
隠していたことを責められるかもしれない。
けれど、エリオットはしばらく考えたあとで頷いた。
「分かった」
「聞かないの?」
「聞いてほしくないんだろ?」
「……今は」
「ならいい」
それだけだった。
「ただ」
「うん」
「危ないなら、一人で何とかしようとするなよ」
シュウは目を瞬いた。
さっき読んだ兄の言葉と同じだった。
「兄さんにも同じこと書かれてた」
「じゃあ二人分聞け」
「分かった」
胸の奥が少し暖かくなる。
「それで、調べ物の方」
シュウは続ける。
「ローデル林区と北の封所が、家の記録でも繋がった」
ゲオルグ・ハーゼン。
約百九十年前。
北方管理人。
『ローデル北部、春季巡検に同行。封所異常なし』
その範囲だけ説明する。
「昨日の資料にあった『旧来の管理を知る家』って」
「ハーゼン家かもしれない」
「アルヴェイン家じゃなくて?」
「可能性は出てきた」
シュウはノートへ二つの家名を書く。
アルヴェイン。
ハーゼン。
「今まで、北の封所はずっとアルヴェイン家だけで管理してたと思ってた。でも、昔は別の家が関わってたのかもしれない」
「途中で引き継いだ?」
「それもあり得る。でもまだ分からない」
「ゲオルグって人が北方管理人で、レオルって人が補佐?」
「うん」
「親子?」
「分からない」
「ハーゼン家って今もある?」
「それも分からない」
分からないばかりだ。
しかし、昨日まで存在すら知らなかった名前が、今は明確な調査対象になっている。
「明日、ユリウスに話す?」
「話す。家族の手紙全部じゃなくて、ハーゼンのところだけ」
「絶対食いつくな」
「たぶんね」
容易に想像できる。
ユリウスならまず「年代は?」と聞くだろう。
その次に出典。
そして別資料で確認できるか。
「それと『継ぎ』」
シュウが言う。
「家の日誌に本当に出てきた」
「白樹の魔力補充かもしれないやつ?」
「そう。『白樹の満ち、前年より僅かに弱し。春の終わりまでに継ぎを行う』」
「それ、かなりそのままじゃない?」
「俺もそう思う」
「でも?」
「でも、当時のアルヴェイン家で『継ぎ』が魔力補充を意味したって証拠がまだない」
エリオットが少し笑った。
「本当に慎重になったな」
「だって、ここで決めつけたら今まで調べた意味ないでしょ」
「それもそうか」
「あと、継ぎの前後に魔石を買って北へ運んだ記録があるらしい」
「魔石?」
「うん。でも用途は分からない」
「白樹に使ったかもしれない」
「かもしれない」
シュウはノートへ書く。
事実。
推測。
分ける。
【新規確認事実】
・二度目の森底の鐘、現時点で領内報告なし。
・北の監視小屋、外観上大きな変化なし。
・アルベルト日誌に「白樹の満ち」「継ぎ」の記述。
・別年に「今年の継ぎ、レオルに任す。白樹よく応ず」。
・レオル・ハーゼン=北方管理補佐の記録あり。
・約百九十年前にゲオルグ・ハーゼン=北方管理人の記録あり。
・ゲオルグ関連記録に「ローデル北部」「封所異常なし」が同時に存在。
・「継ぎ」前後に魔石購入・北方運搬記録あり。
【未確認】
・「継ぎ」=白樹への魔力補充か。
・魔石の用途。
・ハーゼン家の正体。
・ゲオルグとレオルの関係。
・ハーゼン家とアルヴェイン家の関係。
・北部管理人制度と北の封所管理の具体的関係。
・ローデル北部の封所=現在の北の監視小屋地下施設か。
最後まで書き、ペンを置く。
「……すごい増えた」
「昨日も同じこと言ってなかった?」
「毎日増えてる」
「解決してる?」
「ちょっとずつ」
シュウは笑った。
以前なら、答えが増えないことに焦っていたかもしれない。
今は違う。
何を知らないかが具体的になるたび、次の一歩も見えてくる。
◇
翌朝。
シュウは珍しく、エリオットを起こす前に自分の準備をほとんど終えていた。
家からの手紙は机の引き出しへ大切にしまい、必要な部分だけ昨夜ノートへ写してある。
「エリオット、朝」
「……起きてる」
「本当?」
「…………」
「窓開けるよ」
「起きた」
布団が勢いよく動いた。
「それ便利だな」
「何が?」
「窓って言えば起きる」
「絶対開けるなよ」
「今日は晴れてるから開けても気持ちいいと思うけど」
「朝は寒い」
いつものやり取りをしながら準備を済ませ、二人で食堂へ向かう。
朝食後、中央講義棟へ。
三組の教室へ入ると、ユリウスはすでに席にいた。
「おはよう」
「おはよう」
シュウは自分の席へ荷物を置く。
それから、ユリウスの机の横へ行った。
「昨日、家から返事来た」
ユリウスの手が止まる。
「何かあった?」
「かなり」
「どこから?」
「最初そこ聞く?」
「大事」
予想通りだった。
シュウは笑いながら、家の古い帳簿と日誌から見つかったことだと説明する。
「全部は話せないけど、昨日調べてたローデル林区に関係する部分なら共有できる」
「聞く」
ユリウスの表情が少しだけ変わった。
エリオットも自分の席からやってくる。
「まず、約百九十年前」
シュウはノートを開く。
「ゲオルグ・ハーゼンって人がいた」
「役職は?」
「北方管理人」
ユリウスの目が僅かに細くなる。
「年代が合う」
「うん。あと、約百七十年前にレオル・ハーゼン。こっちは北方管理補佐」
「同じ姓」
「関係は不明」
「記録は?」
「家に残ってる支出帳。父さんと兄さんが確認した」
「他には?」
やはり食いついた。
シュウは少し声を落とす。
「ゲオルグの記録に、『ローデル北部、春季巡検に同行。封所異常なし』」
ユリウスが完全に動きを止めた。
「封所?」
「うん」
「北の?」
「そこまでは書いてない。でもローデル北部と封所が同じ記録に出てる」
数秒、ユリウスは何も言わなかった。
興奮していないわけではない。
むしろ、いつもより考え込む時間が長い。
「今日」
「図書館?」
「行きたい」
「だと思った」
「ハーゼンを探す」
「俺も」
エリオットが言う。
「制御の本は?」
「今日は後」
シュウが笑う。
「完全に巻き込まれたね」
「昨日から気になってるんだから仕方ないだろ」
「あと」
ユリウスが言う。
「昨日の古地図」
「四角い印?」
「拡大して確認する」
「うん」
「もし縦線があっても、同じ記号体系かは別」
「分かってる」
「ハーゼンの名前が別資料にあっても、同一人物か確認」
「分かってる」
「封所も――」
「ユリウス」
「何?」
「俺より慎重になってない?」
「必要だから」
いつもの真顔だった。
「事実の味方?」
「そう」
エリオットが吹き出す。
そのとき、授業開始を知らせる鐘が鳴った。
三人はそれぞれの席へ戻る。
教師が入ってくるまでの短い時間、シュウはノートの端に二つの名前を書いた。
ゲオルグ・ハーゼン。
レオル・ハーゼン。
その下に。
ローデル北部。
封所。
白樹。
継ぎ。
今まで別々に見えていた言葉が、少しずつ同じ時代へ集まり始めている。
(ハーゼンって、何者なんだろう)
アルヴェイン家ではない。
少なくとも、現在確認できている家系図にはいない。
それなのに、北の封所と関わっていた可能性がある。
しかも一人ではなく、同じ姓の人物が二人。
もし彼らが「旧来の管理を知る家」だったのなら。
では、その家はどこへ消えたのか。
そして、いつ。
なぜ、北の封所の管理がアルヴェイン家へ残ることになったのか。
教師が教室へ入ってきた。
シュウは一度ノートを閉じる。
調べたい気持ちはある。
だが、今は授業だ。
父の手紙にも書かれていた。
学院の勉強を疎かにするな。
(ちゃんとやるよ、父さん)
シュウは姿勢を正した。
窓から差し込む朝日の中、いつもの学院生活が始まる。
その鞄の中には、昨日まで知らなかった二人の名前が記されたノートが入っていた。




