第28話 古い言葉は、一冊だけでは信用できない
ユリウスが見つけた三冊の資料は、どれも北部地域の古い言葉を扱ったものだったが、机へ並べてみると見た目からして随分と違っていた。
一冊目は『北部古語・地方語彙集』という分厚い本で、背表紙の革がところどころ擦れている。二冊目の『北方諸領旧記録用語考』は比較的新しい装丁だったが、中身は数百年前の行政文書や領地記録を研究者が整理したものらしく、三冊目の『古式魔術建築における地域語彙』は題名通り、魔術建築に使われた言葉だけを扱った専門書だった。
「……最後の、かなり近くない?」
シュウは三冊目へ手を伸ばした。
古式魔術建築。
北の森に残されている白樹の小屋が、本当に古い魔術建築の一種なら、今まで見つけた資料の中では最も直接的な情報へ繋がる可能性がある。
「近そう」
ユリウスも椅子へ座りながら頷いた。
「でも、最初からそれだけ読む?」
「え?」
「三冊ある」
ユリウスは机に並んだ本を順番に指す。
「一冊目は言葉そのもの。二冊目は実際の記録でどう使われたか。三冊目は魔術建築での使い方。三冊目だけ読んで答えが書いてあっても、それが北部全体で同じ意味だったか分からない」
「……なるほど」
シュウは三冊目へ伸ばしていた手を止めた。
確かにその通りだった。
自分は今、「北の封所」という言葉と白樹の小屋を結びつけられそうな情報を探している。そのせいで、最初から自分に都合のいい資料を選びそうになっていた。
(危ないな。答えが欲しくなると、答えっぽいものばっかり見たくなる)
北の森については、分からないことが多すぎる。
だからこそ、一つ見つけるたびに飛びつきたくなる。
白樹が外部から与えられた魔力を保持する素材だと知ったときも、「これが原因かもしれない」と思った。
そして今、「封」という言葉に保持という意味があると知った。
二つを繋げれば、それらしい仮説は作れる。
だが、それらしいだけだ。
「じゃあ、一冊目から?」
「分担する?」
「それもありだけど……」
シュウは少し迷った。
「同じところを二人で見た方がよくない?」
「どうして?」
「俺が見落とすかもしれないから」
ユリウスが瞬きをする。
「シュウ、慎重になった?」
「森のことはね」
「前は違った?」
「前というか……」
シュウは言葉を濁した。
前世まで含めれば、勢いだけで設定を作っていた時期がある。
しかも、その設定が現在は現実の能力として使えている。
(中学生の俺に資料の裏取りなんて概念はなかったからな……)
《当時のマスターは、ご自身の感性を絶対的真理として扱っていました》
『余計な補足ありがとう』
《事実です》
『分かってるよ』
アルカディアの容赦ない追撃を受けながら、シュウは一冊目の『北部古語・地方語彙集』を開いた。
「とりあえず一緒に見よう。量が多すぎたら分担」
「分かった」
二人で索引を確認する。
目的の文字そのものはすぐ見つかった。
「封……三百十二頁」
頁をめくる。
紙は少し黄ばんでいたが、文字は十分読める。
項目にはまず、現代でも使われる「閉じる」「封じ込める」「出入りを禁じる」という意味が並んでいた。
「ここまでは普通だね」
「うん」
その下には、古い北部地方で確認された用法が記載されている。
シュウは指で文章を追った。
「『古い北部諸方言において、封の語は閉鎖のみならず、土地、建築物、術式などを定められた状態に留め置く行為を指す場合がある』……」
「ある」
ユリウスが身を乗り出す。
「その次」
「『ただし、この用法は北部全域に共通するものではなく、旧領ごとの差が大きい』」
「やっぱり地域差」
「だね」
さらに読み進める。
例として、「水封」「灯封」「門封」という古い言葉が挙げられていた。
水封は水路や貯水施設の状態維持。
灯封は魔力灯や儀式灯の継続。
門封は扉そのものを閉鎖する意味と、門へ施された術式を維持する意味の両方が確認されている。
「門封、ややこしいな」
シュウが眉を寄せる。
「同じ言葉で二つ意味ある」
「文脈で判断したみたい」
「昔の人、もうちょっと分けてくれればいいのに」
「今の言葉も似たようなのある」
「それはそうだけどさ」
シュウは苦笑する。
北の封所という名称だけでは、やはり何も断定できない。
何かを封じ込める場所。
何かの状態を保つ場所。
あるいは、その両方。
可能性が増えただけとも言える。
しかし、少なくとも「封所だから何かが封印されている」と決めつけるのは危険だと分かった。
「アルヴェイン領が、昔どの地域区分だったか分かる?」
ユリウスに聞かれ、シュウは少し考えた。
「今の領地としてなら分かるけど、昔の区分までは知らない」
「領地の歴史書が必要」
「また増えた……」
「調べること?」
「うん」
「いいことじゃない?」
ユリウスは本気でそう思っているらしい。
シュウも今なら、その感覚が少し分かる。
「まあね」
分からないものが増えた。
同時に、次に何を調べればいいのかも分かった。
何も手掛かりがない状態より、ずっといい。
◇
二冊目の『北方諸領旧記録用語考』は、予想以上に読むのが大変だった。
本文そのものは現代語で書かれているのだが、引用されている古い記録の文章が難しい。
「『東門封、三人を以て改め、冬至までこれを保つ』……?」
シュウが声を潜めて読む。
「門を閉めた?」
「その下に研究者の注釈ある」
ユリウスが指す。
「『ここでの門封は物理的閉鎖ではなく、防護術式の再充填を指す可能性が高い』」
「再充填……」
その言葉に、シュウの視線が止まった。
白樹。
外から与えられた魔力を保持する。
定期的な魔力補充が必要。
頭の中で、昨日読んだ内容が浮かぶ。
(似てる)
そう思った瞬間、自分でそれを止める。
(いや、まだ似てるだけだ)
この記録がどこの領地のものなのか。
どんな建築物なのか。
白樹が使われていたのか。
そもそも「封所」と同じ用法なのか。
何も分かっていない。
「場所は?」
シュウが尋ねる。
「旧ハルゼン領」
「知らないな」
「僕も」
「アルヴェイン領と近いかどうかも分からない」
「地図いる」
「また増えた」
「調べること?」
「そう」
ユリウスが少しだけ笑った。
「やっぱりいいこと」
「ユリウス、絶対こういうの好きだよね」
「好き」
迷いがない。
シュウは思わず笑ってしまった。
二人はそのまま別の事例も確認していく。
ある領地では、鉱山の崩落防止術式を定期的に補修する作業を「岩封」と呼んでいた。
別の地域では、魔物避けの境界術式を維持する作業を「境封」と記録している。
ただし同じ「境封」という言葉でも、さらに別の土地では完全に通行を遮断する結界を張る意味で使われていた。
「同じ北部でもバラバラだ」
シュウは頁をめくりながら息を吐いた。
「だから一冊目に地域差が大きいって書いてあった」
「これ、名前だけじゃ絶対分からないね」
「うん」
北の封所。
その四文字だけで、役割を推測することはできても確定はできない。
ならば必要なのは、アルヴェイン家そのものの古い記録か、同じ地域で使われていた用語の資料になる。
「父さんたちが調べてる記録に、もっと古いものがあればいいんだけど」
「家にある?」
「分からない。見つかった日誌は何代か前のものだったけど、それより古いのがどれくらい残ってるかまでは聞いてない」
エドワルドからグレゴール、アーネスト、アルバートへ。
代々続いていたらしい北の封所の管理。
だが、父ロデリックの代には、その役割が明確に伝わっていなかった。
どこかで情報が途切れている。
それが単なる伝達不足なのか、意図的なものなのかも分からない。
「手紙に書く?」
ユリウスが尋ねる。
「うん。次に送るとき、昔の領地区分と、もっと古い記録がないか聞いてみる」
そこでシュウは少し考えた。
「でも、今見つけたこと全部書くと長くなりそうだな」
「手紙だからいいんじゃない?」
「父さん、俺より細かく調べそう」
「なら書いた方がいい」
「それもそうか」
父だけではない。
兄のレイモンドもいる。
家にいる人間だからこそ確認できることもあるはずだ。
学院で調べられる一般資料と、アルヴェイン家に残る記録。
両方から探せば、少しずつ近づけるかもしれない。
◇
三冊目を開くころには、図書館へ入ったときより窓の外が赤くなっていた。
閲覧席に残っている学生も少し減っている。
遠くでは司書が返却された本を台車へ載せており、車輪の小さな音と紙をめくる音だけが静かな館内に響いていた。
『古式魔術建築における地域語彙』。
今度は魔術建築に限定された資料だ。
「白樹、索引にある?」
シュウが後ろから確認する。
「……ある」
ユリウスの指が止まる。
「二ヶ所」
「先にそっち見よう」
一ヶ所目。
白樹そのものの説明だった。
北部寒冷地域に自生する希少樹木。
乾燥、加工後も魔力保持性をある程度維持する。
古い時代には結界柱、術式壁、祭祀施設、魔力安定化設備などへ利用された。
以前読んだ本と、大きな違いはない。
「こっちは知ってる内容だ」
「二ヶ所目」
頁を移る。
そこには「保持建築」という項目があった。
シュウは無意識に姿勢を正す。
「……『保持建築とは、建材そのものへ魔力または術式の一部を担わせ、建造物全体を一つの魔術機構として運用する古式建築の総称』」
以前読んだ建築概論にも、建物そのものが術式の一部になるという記述があった。
だが、こちらはさらに具体的だ。
「続き」
ユリウスが促す。
「『北部では白樹材、魔晶石、導魔性鉱材などが用いられた例があり、目的は防護、温度維持、魔力安定、境界保持、外部魔力の分散など多岐にわたる』」
シュウは一度読むのを止めた。
「境界保持」
「あるね」
「でも、封印とは書いてない」
「目的が多い」
「うん」
さらに下。
保持建築の多くは、建造物へ一定期間ごとに魔力を供給する必要があり、その作業を地域によって「継ぎ」「満たし」「封直し」などと呼んだ。
「……封直し」
シュウとユリウスの声が重なった。
二人で顔を見合わせる。
シュウはすぐにその先を読む。
「『ただし、封直しの語が確認される地域は限定的であり、封印術そのものの補修を指す例も存在するため、記録の解釈には注意を要する』」
「また注意」
ユリウスが言う。
「この本、俺が期待しそうになるたび止めてくる」
「いい本」
「そうなんだけどさ」
シュウは苦笑した。
だが、その慎重さがありがたい。
もし「封直しとは魔力補充のことである」とだけ書かれていたら、北の封所も同じだと考えてしまったかもしれない。
実際には、同じ言葉でも地域や施設によって意味が違う。
北の森の小屋について分かったわけではない。
それでも。
(白樹で作った建物へ定期的に魔力を補充する例は、本当にあった)
これは大きい。
単なる自分の思いつきではなくなった。
白樹という素材の性質。
保持建築。
定期的な魔力供給。
「封」という古語の多義性。
北の封所。
代々の管理。
少しずつ、同じ方向を向く情報が増えている。
もちろん、その先に何があるのかは分からない。
「ユリウス」
「何?」
「これ、どう思う?」
自分の考えを先に言わず尋ねる。
ユリウスはしばらく頁を見つめた。
「シュウの家の森にある建物が白樹で作られてるんだよね」
「うん」
「昔から管理してた」
「そう」
「なら、魔力を補充してた可能性はあると思う」
「やっぱり?」
「でも」
ユリウスは次の頁へ視線を移す。
「何のために補充してたかは分からない」
「……うん」
「防護かもしれない。境界保持かもしれない。何かを安定させてたのかもしれない。封印かもしれない」
「そこまでは分からないよね」
「それと」
ユリウスがシュウを見る。
「その建物が本当に保持建築なのかも、まだ分からない」
シュウは数秒黙ったあと、頷いた。
「そうだね」
白樹が使われている。
古い魔力が残っている。
だからといって、資料にある保持建築と完全に同じ構造だとは限らない。
「ユリウスと一緒に調べて正解だった」
「どうして?」
「俺一人だったら、今ごろ『これだ!』ってなってたかもしれない」
「シュウ、意外と勢いで決める?」
「昔はかなり」
《非常に》
『強調しなくていい』
《中等教育課程二年時のマスターは、世界設定の根幹を一夜で三度変更した記録があります》
『今それ必要!?』
《勢いで決める傾向の参考情報です》
『忘れてくれない?』
《記録されています》
シュウは額を押さえたくなった。
「どうしたの?」
「いや……昔の自分を思い出して」
「何か失敗した?」
「いっぱい」
「そう」
ユリウスは深く追及しない。
ありがたい。
世界設定を一晩で三度変更したなどとは、とても説明できない。
◇
その後も二人は資料を読み続けた。
保持建築について調べるほど、構造にはいくつもの種類があることが分かってきた。
建物そのものへ魔力を蓄積するもの。
地下に置かれた術式へ建物から魔力を送るもの。
周囲から流れ込む魔力を建材が受け止め、別の場所へ逃がすもの。
複数の術式を建物全体で安定させるもの。
外部から何かが侵入することを防ぐもの。
逆に、内部から魔力が漏れ出すことを抑えるもの。
「多すぎる……」
シュウは小さく呻いた。
「建物見れば分かるかも」
「専門家なら?」
「たぶん」
「俺じゃ無理だな」
北の森で小屋を見たとき、そんな知識はなかった。
壁や柱に淡い魔力が残っていることは分かった。
白樹が使われていることも、あとから知った。
だが、どこにどんな術式が刻まれていたかまでは覚えていない。
(次に帰ったとき、ちゃんと見たいな)
そう思う。
ただし、今すぐ戻る理由はない。
家族が森を監視している。
学院へ入学したばかりでもある。
そして何より、自分にはまだ知らないことが多すぎる。
知識を持たないまま森へ行くより、学院で学べるものを学んでから見た方がいい。
《マスター》
『うん?』
《過去の視覚記憶から、該当建築物の構造情報を抽出することは可能です》
シュウの指が止まった。
『……できるの?』
《マスターが認識していた範囲に限られます。視界へ入っていない箇所、注視していない細部、遮蔽された内部構造については保証できません》
『俺の記憶を映像みたいに見返せるってこと?』
《完全な映像記録ではありません。マスターの記憶情報から、私が参照可能な範囲を整理する形になります》
以前からアルカディアが自分の記憶へある程度アクセスできることは分かっていた。
それでも、こういう使い方ができるとは考えていなかった。
『今できる?』
《可能です。ただし、資料との照合を行う場合、マスター自身の記憶と私の補助情報を混同しないよう区別することを推奨します》
シュウはすぐに頼むのをやめた。
『……今日はやめとく』
《理由を伺っても?》
『先に自分が何を覚えてるか整理したい。そのあと、アルカディアが拾えるものと比べたい』
《承知しました》
便利だからこそ、順番を間違えたくない。
自分が覚えていないものまで「見た」と思い込むのは危険だ。
「シュウ?」
ユリウスに呼ばれ、顔を上げる。
「また考え事?」
「うん。小屋を見たときのこと、どこまで覚えてるかなって」
「書いてみたら?」
「今?」
「記憶だけで」
ユリウスは紙を一枚取り出した。
「資料見ながら書くと、資料に引っ張られるから」
「……なるほど」
今日のユリウスは本当に頼りになる。
「借りていい?」
「うん」
シュウは紙と筆記具を受け取った。
目を閉じる。
北の森。
古い小屋。
白っぽい壁。
柱。
扉。
あのとき感じた淡い魔力。
地下へ続くもの。
森の異常。
思い出せる範囲を、一つずつ書く。
分からないところは空白。
曖昧なところには「不確か」と添える。
資料で知ったことは混ぜない。
十分ほどかけて書き終えた。
「……思ったより覚えてない」
シュウは紙を見る。
「普通じゃない?」
「そうかな」
「全部覚えてる方が変」
「ユリウスに言われると説得力が微妙だな」
「どうして?」
「地図、一回見たら結構覚えてるでしょ」
「全部じゃない」
「十分すごいよ」
ユリウスは不思議そうに首を傾げた。
◇
《照合しますか?》
シュウは紙を一度読み直してから、心の中で答えた。
『お願い。ただし、俺が書いた内容と違うところだけ教えて』
《承知しました》
少し間が空く。
アルカディアが何かを考えているときの沈黙にも、以前より慣れてきた。
《大きな相違はありません》
『本当?』
《はい。ただし、マスターが記載していない情報が三点あります》
『何?』
《一つ目。北側壁面の下部に、他の部分より魔力反応が弱い箇所が存在していました》
シュウは眉を寄せる。
覚えていない。
『壊れてた?』
《不明です。視覚情報のみでは判断できません》
『二つ目は?』
《扉付近の白樹材と、壁面中央部の白樹材では、残留魔力量に差がありました》
『どっちが多い?』
《扉付近です》
シュウは紙へ小さく追記する。
ただし「アルカディア補助情報」と明記した。
『三つ目』
《床面について、マスターは「石」と記録していますが、一部に白樹材と思われる細い部材が埋め込まれていました》
『床にも?』
《はい。ただし材質の確定はできません。色調および魔力反応が壁面の白樹材と近似しています》
シュウは筆を止めた。
壁。
柱。
扉。
そして床。
もしそれらが繋がっているなら。
(建物全体が術式の一部……?)
以前読んだ言葉が浮かぶ。
だが、すぐに断定を止める。
「ユリウス」
「何?」
「もし、魔力を保持する建材が壁だけじゃなくて、扉とか床にも使われてたら?」
ユリウスは少し考えた。
「配置次第」
「配置?」
「全部繋がってるなら、建物全体で何かしてる可能性は高くなる。でも、補強のためかもしれない」
「そっか」
「実物見ないと分からない」
「だよね」
やはり答えは出ない。
でも、それでいい。
今は「確認すべき場所」が増えた。
北側壁面。
扉付近。
床へ埋め込まれた白い部材。
次に小屋を調べる機会があれば、以前とは違う見方ができる。
《マスター》
『何?』
《先ほどの三点を、北の封所関連情報として記録しますか?》
『記録して。ただし、全部「過去記憶からの補助情報」で、現地再確認が必要って付けて』
《承知しました》
以前なら、アルカディアが言ったことをそのまま答えとして扱っていたかもしれない。
今は違う。
アルカディアも万能ではない。
本人がそう言っている。
なら、使える情報と確定した事実は分けるべきだ。
今日の授業と自主練習で覚えた「同じことを再現する」という考え方が、こんなところにも繋がっている気がした。
◇
資料をさらに読み進めていると、ユリウスが突然頁をめくる手を止めた。
「シュウ」
「うん?」
「これ」
示されたのは、保持建築の管理記録について説明した部分だった。
古い保持建築では、建物そのものの名称とは別に、その建築物を管理する場所や役職へ「守所」「継所」「封所」などの名称が用いられた例がある。
シュウは二度読んだ。
「……封所」
「ある」
「建物の名前じゃない場合もある?」
「そう書いてある」
胸が少し速くなる。
だが、今度はすぐに飛びつかなかった。
「地域は?」
「例があるのは……北西部」
「アルヴェイン領か分からない」
「年代は?」
「約二百五十年前から百七十年前の記録」
「小屋は確か……」
シュウは記憶を辿る。
北の森の古い監視小屋は、およそ百八十年前に建てられたと聞いている。
年代が重なる。
それだけで偶然ではないとは言えない。
北部の別地域かもしれない。
同じ時代に同じ言葉が別の意味で使われていた可能性もある。
「近いね」
ユリウスが言う。
「うん」
シュウはゆっくり息を吐いた。
「かなり近い。でも、まだ足りない」
「うん」
「これ、写しておこう」
「頁番号も」
「著者と出版年も書く」
「引用元の古文書名も」
「そこまで?」
「あとで探せる」
「分かった」
二人で必要な情報を書き写す。
シュウは自分でも少し驚いていた。
昨日までなら、こんな細かな出典まで気にしなかったかもしれない。
しかし今は、何が確かで、何が推測なのかを残しておきたい。
北の森には、家族も関わっている。
間違った思い込みで動くわけにはいかない。
◇
「見つけた」
背後から声がした。
振り向くと、エリオットが本を二冊抱えて立っていた。
「何を?」
「俺の方」
エリオットは二冊を机へ置く。
「魔力制御の本。出力を一定にする練習、ちゃんと載ってた」
「《微灯》?」
「《微灯》そのものじゃないけど、同じ強さの魔力を何回も流す練習」
嬉しそうだ。
「しかも最初から三回揃えなくていいって」
「よかったじゃん」
「まず二回。次に三回。そのあと維持時間を伸ばすって」
「今日のエリオット、合ってたね」
「そう!」
エリオットはかなり嬉しそうに頷いた。
「俺、二個揃っただろ? あれでいいみたい」
「ダンに教えたら?」
「ダンは三個揃ったから、絶対得意げになる」
「なるだろうね」
「でも教える」
そう言ってから、エリオットは机に広がる大量の資料へ目を向けた。
「そっちは?」
「増えた」
「何が?」
「分からないこと」
「……それ、進んでるの?」
「進んでる」
ユリウスが即答する。
エリオットは困ったようにシュウを見る。
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「でも、前より何を調べればいいか分かった」
「じゃあ進んでるのか」
エリオットは納得したように椅子へ座った。
「何か分かったことある?」
シュウは少し迷った。
どこまで話すか。
北の森について、エリオットには詳しい事情を話していない。
隠す必要のない一般資料の範囲なら問題ないが、家の秘密まで説明する必要もない。
「古い魔術建築って、建物そのものに魔力を持たせるものがあったみたい」
「へえ」
「それで、定期的に魔力を補充して使う建物もあった」
「魔導具の建物版みたいな?」
「近いのかな」
ユリウスが首を傾げる。
「魔導具とは少し違うって書いてある。建材そのものが術式の一部になるから」
「建物全部が魔法?」
「そういうものもある」
「……学院にもあるのかな」
三人が同時に周囲を見る。
図書館。
高い天井。
壁。
柱。
窓。
「ありそう」
シュウが言う。
「絶対ありそう」
エリオットも頷く。
「調べたい」
ユリウスの目が少し輝いた。
「今は北部資料でしょ」
「それも調べたい」
「増やすなあ」
シュウは笑った。
だが自分も少し気になる。
学院そのものにどんな術式が使われているのか。
練習区画の壁にも安全術式があった。
図書館に貴重な本が大量にある以上、防火や防湿、盗難防止の仕組みがあってもおかしくない。
(……学院って、調べようと思えば何でも調べること出てくるな)
四年間。
長いと思っていた。
しかし今は、足りるのか少し不安になってきた。
◇
やがて、図書館内へ柔らかな鐘の音が響いた。
閉館を知らせる鐘ではない。
夕方の鐘だ。
窓の外を見ると、日はかなり低くなっていた。
「もうこんな時間」
エリオットが立ち上がる。
「腹減った」
「ダンみたいになってる」
「練習したあとだから仕方ない」
「僕も少し」
ユリウスまで言う。
「じゃあ今日はここまでにしようか」
シュウも資料を閉じる。
三冊すべてを読み切ったわけではない。
むしろ確認したい頁はまだいくつも残っている。
「これ借りられる?」
ユリウスが貸出区分を確認する。
「一冊目は一般貸出可。二冊目も大丈夫。三冊目は館内閲覧のみ」
「じゃあ必要なところ写す?」
「うん」
三人で手分けし、重要な箇所だけノートへ記録した。
白樹材。
保持建築。
魔力補充。
封の古語用法。
封直し。
封所という管理施設名の例。
それぞれの資料名と頁番号も残す。
シュウは最後に、その下へ線を引いた。
そして一文だけ書き加える。
『いずれも北の封所と同一用途である証拠なし。現時点では仮説。』
「それ大事」
ユリウスが言う。
「忘れそうだから」
「忘れないと思う」
「俺、自分が納得できそうな答え見つけると、結構そっちに引っ張られるみたい」
「自覚あるなら大丈夫じゃない?」
「そうかな」
「たぶん」
さっき自分が使った言葉を返され、シュウは笑った。
「じゃあ、たぶん大丈夫」
◇
貸出手続きを済ませ、図書館を出る。
外はもう夕暮れだった。
西の空に赤みが残り、学院の石造りの建物が長い影を落としている。昼間ほど学生は多くないが、寮や食堂へ向かう者たちが何人も歩いており、遠くから笑い声が聞こえてきた。
「明日も図書館来る?」
ユリウスが尋ねる。
「授業次第かな」
シュウは答える。
「毎日来てたら、借りた本読む時間なくなるし」
「寮で読む」
「ユリウスはそうだろうね」
「俺は明日、練習休みたい」
エリオットが右手を開閉する。
「ちょっと疲れた」
「俺も」
シュウも同じように手を動かした。
術式筆を何度も使ったせいか、指先に軽い疲れが残っている。
「ダンなら明日もやるって言いそう」
「セシリアに止められる」
「ありそう」
三人で笑う。
中央広場へ出ると、朝とはまるで違う景色だった。
噴水の水が夕日を受けて橙色に輝き、校舎の窓には少しずつ灯りが点き始めている。
シュウは歩きながら、今日一日を思い返した。
朝の魔法理論。
魔力可視化球。
グレイへ見せた漆黒魔力。
基礎実技。
《微灯》。
《送風》。
水の操作。
一般教養や午後の授業。
友人たちとの放課後練習。
そして図書館。
(……一日長いな)
学院生活が始まったばかりとは思えないほど、色々なことがあった。
それでも、不思議と嫌な疲れではない。
頭は重い。
身体も少し疲れている。
だが、明日が来るのが嫌ではなかった。
「シュウ」
「ん?」
「また笑ってる」
エリオットが横から見る。
「今日はよく言われるな」
「実際笑ってるから」
「学院、楽しい?」
突然聞かれ、シュウは少しだけ足を緩めた。
前なら、照れ隠しに適当な返事をしたかもしれない。
だが今は。
「うん。楽しい」
素直に答えた。
エリオットが少し笑う。
「俺も」
「僕も」
ユリウスまで続いた。
三人はそのまま男子寮へ続く道を歩く。
途中で第二男子寮へ向かうユリウスと別れ、シュウとエリオットは第一男子寮へ向かった。
「また明日」
「うん。また明日」
ユリウスが手を上げる。
シュウも手を振った。
◇
部屋へ戻ったあと、シュウは机の上へ今日のノートを広げた。
エリオットは向かい側で借りてきた制御の本を読み始めている。
窓の外はもう薄暗い。
シュウは新しい紙を一枚取り出した。
家へ送る次の手紙。
まだ今すぐ出す必要はない。
けれど、忘れないうちに要点だけ書いておこうと思った。
『父さんへ。
図書館で白樹と古い魔術建築について追加で調べました。
古い北部では、「封」という言葉が必ずしも何かを閉じ込める意味だけではなく、魔力や術式の状態を維持する意味で使われた例があるそうです。
また、白樹材などを使った古い建物には、定期的に魔力を補充して機能を維持していた例もありました。
ただし、これが北の封所と同じものだという証拠はありません。
もし家の古い記録を調べる余裕があれば、北の封所について「魔力を補充する」「満たす」「継ぐ」「封を直す」ような表現がないか確認してほしいです。
それから、アルヴェイン領が百八十年から二百五十年ほど前にどの地域区分へ属していたか分かれば教えてください。』
そこまで書いて、筆を止める。
「……これなら大丈夫かな」
《仮説と確定情報が区別されています》
『珍しく褒めるね』
《本日は改善点より先に肯定的評価を提示する方が適切と判断しました》
『レイモンド兄さん化、少し治った?』
《その比較については現在も評価を保留しています》
『まだ考えてたの?』
《比較対象としての情報が不足しています》
シュウは吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
「今度は何?」
本を読んでいたエリオットが顔を上げる。
「何でもない」
「今日それ何回目?」
「数えてない」
「俺は三回くらい聞いた気がする」
「忘れて」
「無理」
エリオットは笑って本へ戻った。
シュウも手紙の下書きを畳み、今日の調査ノートをもう一度開く。
答えはまだ出ていない。
北の封所が何なのか。
白樹の小屋が何を維持しているのか。
地下にあるものは何なのか。
なぜ森が自分へ「帰ってきた」と告げたのか。
そして、アルヴェイン家が何を忘れてしまったのか。
分からないことは、むしろ増えている。
それでも以前とは違った。
分からないから怖いだけではない。
分からないから、調べることができる。
学院には本がある。
教師がいる。
授業がある。
そして今は、一緒に考えてくれる友人もいる。
(急がなくていい)
北の森は家族が見張っている。
今の自分にできるのは、ここで学ぶことだ。
一つずつ知っていけばいい。
シュウはノートの最後に、明日以降調べたい項目を書き足した。
アルヴェイン領の旧地域区分。
保持建築の構造。
白樹材への魔力補充方法。
古い「封所」の実例。
そして、グレイから話が来たときには、自分の漆黒魔力についても学ばなければならない。
書き終えると、思った以上に項目が増えていた。
「……四年間で足りるかな」
小さく漏らす。
《不足する場合、在学期間延長という選択肢も存在します》
『いや、卒業はしたいよ』
《では効率的な学習計画を――》
『今日はもういい』
《承知しました》
シュウは笑いながらノートを閉じた。
学院へ来る前、自分は強すぎる能力をどう隠すかばかり考えていた。
けれど実際に学院生活が始まってみれば、知らないことの方が圧倒的に多い。
普通の魔法すら、まだ学ぶことだらけだった。
自分の力についても。
家の森についても。
この世界そのものについても。
だから、明日も学べばいい。
窓の外では、学院の夜を知らせる最初の灯りが、石造りの校舎の間に静かに点り始めていた。




