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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第27話 放課後の自主練習は、思ったより本気になりました

 第一学生練習区画は、中央広場から第一実技場へ向かう途中で道を東へ折れた先にあった。


 低い石壁で囲まれた広い敷地には、屋外練習場だけでなく、用途ごとに分けられた小さな訓練室がいくつも並んでいる。入口脇には管理棟らしい平屋の建物があり、その前では上級生らしき学生が貸出用の杖を受け取っていた。


「おお……!」


 入口へ着くなり、ダンが目を輝かせた。


「思ってたより広い!」


「学院全体で使う練習区画ですから、このくらいは必要なのでしょうね」


 セシリアが案内板を見上げる。


 そこには利用可能時間と注意事項のほか、各区画の用途が細かく書かれていた。


 基礎魔法練習区画。


 属性魔法練習区画。


 術式練習室。


 魔導具試験室。


 対人訓練区画。


 さらに奥には、教員または上級生監督者の許可が必要な高出力魔法用の区画まで存在するらしい。


「高出力魔法用……」


 ダンの視線が一番下で止まった。


「今日は行かないよ」


 シュウが先に言う。


「まだ何も言ってないだろ!」


「顔に書いてある」


「俺も分かった」


 エリオットが頷く。


「私にも分かりました」


「僕も」


「何で全員分かるんだよ!?」


 ダンが抗議すると、近くを通りかかった上級生が笑いを堪えるように口元を押さえた。


 入学してまだ間もないというのに、ダンの分かりやすさは既に仲間内で共通認識になりつつある。


「そもそも高出力区画は一年生だけじゃ使えないみたい」


 ユリウスが案内板の注意書きを指した。


「『一年次学生は担当教員または指定監督者の許可を得ること』ってある」


「じゃあ許可取れば使えるんだな」


「その前向きさは嫌いじゃないけど、今日は基礎練習にしよう」


「分かってるって」


 口ではそう答えながらも、ダンは高出力区画の文字を名残惜しそうに見ている。


 シュウたちは管理棟へ入り、受付の列へ並んだ。


 内部には学院職員らしい男性が二人おり、学生証を確認しながら利用区画を割り振っている。壁際には貸出可能な道具の一覧が貼られており、訓練板や術式筆、簡易標的、属性補助石など、授業で使ったものと同じ道具も並んでいた。


「術式筆ある」


 エリオットが小さく声を上げる。


「本当だ」


「借りたい」


 ユリウスも一覧へ視線を向けた。


「俺たちは基礎魔法練習区画でいいんだよな?」


 ダンが尋ねる。


「火も水も使うなら、そうじゃない?」


 シュウが答えると、セシリアが注意事項を確認してから頷いた。


「基礎区画なら初級属性魔法まで使用可能です。ただし、攻撃を目的とした術式と、規定以上の出力は禁止されています」


「攻撃目的は禁止……」


 ダンの声が沈む。


「《微灯》を練習しに来たのでしょう?」


「分かってるよ……」


 セシリアに言われ、ダンは肩を落とした。


 順番が来ると、シュウたちは学生証を提示した。


 受付の男性は五人の学年を確認し、利用目的を聞いてから一枚の札を取り出す。


「一年生五名、基礎自主練習ですね。第三区画を使ってください。利用は夕方の鐘から半刻後まで。それまでに退出してください」


「はい」


「初回利用ですか?」


 五人が頷く。


「でしたら規則を説明します。区画内には安全術式がありますが、怪我を完全に防ぐものではありません。魔法を人へ向けないこと。出力制限を超えないこと。異常を感じたらすぐ魔力供給を止め、入口横の呼出石を使ってください」


 男性は淡々と説明しながら、貸出用の木箱を用意した。


「訓練板を三枚、術式筆を二本。それから《微灯》用の練習板も必要ですか?」


「お願いします!」


 ダンだけ返事が早かった。


 受付の男性が一瞬だけダンを見る。


「……火属性ですね?」


「はい!」


「出力制限は守ってください」


「もちろんです!」


「ダン」


「何だよ」


「信用されてない」


 エリオットの一言に、受付の男性の口元がほんの僅かに緩んだ。


     ◇


 第三区画は、石壁で四方を囲まれた二十歩四方ほどの練習場だった。


 天井はなく、午後の日差しがそのまま差し込んでいる。壁には午前中の第二実技場で見たものと似た保護術式が刻まれていたが、規模は小さく、中央には自由に動かせる作業台が二つ置かれていた。


 奥には水を汲める設備と砂箱もある。


「ちゃんとしてるな」


 ダンが周囲を見回した。


「自主練習用なのに」


「自主練習だからこそじゃない?」


 シュウは壁へ刻まれた術式を見る。


 午前中なら「安全用の術式がある」程度にしか思わなかったかもしれない。


 しかし午後の基礎術式演習を受けたあとでは、線の一本一本が気になる。


(これも、形には理由があるんだよな)


 複数の線が壁沿いへ走り、一定間隔で小さな円へ接続されている。


 何となく眺めているだけでも、魔力を受け止める部分と分散させる部分が分かれているように見えた。


《簡易解析を実行しますか?》


『いや、今はいい』


《承知しました》


 アルカディアなら、ある程度は構造を解析できるのかもしれない。


 だが、今は自分の目で考えてみたい。


 分からなければ、あとで聞けばいい。


「シュウ、何見てるの?」


 エリオットが木箱を作業台へ置きながら尋ねた。


「壁の術式。授業のあとだから、ちょっと気になって」


「ああ」


 エリオットも壁を見る。


「……分かる?」


「全然」


「だよな」


「でも、前より気になるようにはなった」


 それだけでも、学院へ来た意味はある気がした。


 セシリアが全員の荷物を壁際へまとめる。


「最初に何をするか決めませんか? 各自好きに始めると危ないと思います」


「俺は《微灯》!」


「知っています」


「即答だね」


 シュウが笑う。


「午前中の最後、でかくなっただろ。今度は全部同じにする」


 ダンは本気らしい。


 単に派手な魔法を撃ちたいだけなら、わざわざ放課後まで残って小さな火を揃えようとはしないだろう。


「私は発動速度を確認したいです」


 セシリアが続く。


「精度を落とさず、どこまで早くできるのか試します。ただ、一人では変化が分かりにくいので、誰かに見ていただけると助かります」


「僕見るよ」


 ユリウスが言った。


「ありがとうございます。ユリウスさんは?」


「術式」


 予想通りだった。


「形を変えても機能が残る条件を試したい」


「じゃあ術式筆一本はユリウスで、もう一本はエリオット?」


 シュウが確認する。


「うん。俺はまず術式で魔力を一定に流す練習して、そのあと《微灯》もやりたい」


「俺は……」


 シュウは少し考える。


 自分の課題は何か。


 午前中の実技では、慣れから確認を怠った瞬間に出力が僅かにずれた。


 午後の術式では、形へ意識を向けると術式筆を動かす速度が変わり、線の太さに差が出た。


「俺も術式やろうかな。エリオットと交代で」


「じゃあ最初は俺使っていい?」


「もちろん」


「決まりですね」


 セシリアが頷いた。


「無理に全員同じ練習をする必要もありませんし、しばらく各自の課題を試してから、一度休憩しましょう」


「よし!」


 ダンが腕をまくる。


「今度こそ三つ揃える!」


「張り切りすぎて大きくしないようにね」


「それを直すんだよ!」


     ◇


 最初に大きな声を上げたのは、やはりダンだった。


「よし、一個目!」


 作業台の上には《微灯》用の白い練習板が置かれ、三つの円が横に並んでいる。


 ダンは右手を最初の円へ向けた。


「《微灯》」


 赤い石の上に、小さな火が灯る。


 午前中より少し大きい。


 だが暴れるほどではない。


「……これくらいか」


 ダンは炎をじっと見る。


「二個目」


 隣の円。


「《微灯》」


 二つ目の炎が灯った。


 一つ目より僅かに小さい。


「あー……」


「まだ三つ目あるよ」


 シュウが声をかける。


「分かってる」


 ダンは一度息を吐いた。


 今までなら、そのまま勢いで三つ目を出していたかもしれない。


 だが今回は、掌を開閉してから魔力を整えている。


「……同じくらい」


 小さく呟く。


「《微灯》」


 三つ目。


 炎が灯る。


 二つ目より大きい。


 だが、一つ目よりは少し小さい。


「惜しい」


 エリオットが言った。


「くそー!」


 ダンは頭を掻く。


「でも午前中みたいに倍にはなってないよ」


 シュウが三つの炎を見比べる。


「三個目を意識しすぎた?」


「した」


「やっぱり」


「だって同じにしようと思ったら、気になるだろ」


「それで魔力増やしてるんじゃない?」


 ダンが黙る。


 どうやら心当たりがあるらしい。


「一個目の感覚を覚える方がいいんじゃないかな。二個目と三個目を見ながら合わせようとすると、そのたびに変わりそう」


「最初を基準にするってことか?」


「たぶん。俺も午前中、似たようなこと言われたし」


 自分自身、半分の大きさへ落としたとき、三つ目で僅かに出力がずれた。


 原因は違っても、「結果を見てから無理に合わせようとする」と崩れる可能性はある。


「じゃあ一回消す」


 ダンが魔力を止める。


 三つの炎が消えた。


「もう一回」


 すぐに始めようとする。


「ちょっと待った方がいいんじゃない?」


「何で?」


「今、悔しくて力入ってる」


「……入ってない」


「拳握ってるよ」


 指摘すると、ダンは自分の右手を見る。


 本当に握り締めていた。


「こういうところか……」


 午前中にガルドから言われたことを思い出したのだろう。


 見せたい相手がいると出力が上がる。


 今は、成功したい気持ちそのものが出力へ影響しているのかもしれない。


「魔法って面倒だな」


 ダンがぼやく。


「今さら?」


「強く出すだけなら簡単なんだよ」


「それはダンの場合でしょ」


 エリオットが術式筆を動かしながら笑った。


「俺は強く出そうとすると、どこまで行くか分かんないし」


「お前はお前で大変だな」


「だから練習してる」


 エリオットは板から目を離さない。


 淡い光の線がゆっくり円を描いている。


 最初の半周。


 そこまでは安定している。


 さらに進む。


 昨日までなら途中で明るさが変わっていたかもしれないが、今はかなり揃っていた。


「……よし」


 円が閉じる。


 最後まで大きな揺れはない。


「できた?」


 シュウが近づく。


「たぶん」


 エリオットは嬉しそうにしながらも、すぐには板から目を離さなかった。


 円の明るさを一周確認する。


「最後、ちょっと強い?」


「ほんの少し」


「やっぱりか」


 エリオットは落ち込むのではなく、線の終点へ顔を近づけた。


「閉じるところで安心してるのかな」


「ありそう」


「次、最後だけ意識してみる」


 その言葉を聞き、シュウは少し嬉しくなる。


 午前中よりも、自分で原因を考えるようになっている。


 ただし、それで急に制御が完璧になるわけではない。


 二回目。


 今度は終点を意識しすぎたせいで、中盤の魔力が少し弱くなった。


「あー……」


 エリオットが眉間へ皺を寄せる。


「一個直そうとすると別のところが変になる」


「分かる」


「シュウは制御高いから分かんないだろ」


「午後、線の太さで何回も言われたよ」


「それは手の動きじゃん」


「俺には俺の苦手があるってこと」


「……そっか」


 エリオットは板を見る。


「じゃあ、もう一回」


「休まなくて大丈夫?」


「あと一回やってから」


 集中している。


 シュウは邪魔をせず、一歩下がった。


     ◇


 ユリウスは、少し離れた作業台で奇妙な術式を描いていた。


 円ではない。


 四角だった。


「……それ動くの?」


 シュウが覗き込む。


「分からない」


「分からないのに書いてるの?」


「だから試す」


 実にユリウスらしい。


 基礎放出式の役割は、魔力を一点へ集めて出口へ流すこと。


 午後の授業ではシュウが縦長へ変えた。


 なら、円形でなくても成立する可能性はある。


「角で魔力止まりそう」


「僕もそう思う」


「じゃあ何で四角に?」


「どのくらい止まるか見たい」


「なるほど……」


 成功させることではなく、失敗の仕方を見る。


 午後の授業をそのまま自分なりに発展させているらしい。


「セシリア、準備いい?」


 その隣では、セシリアが掌を水桶へ向けていた。


「はい。お願いします」


 ユリウスは四角い術式を一旦置き、セシリアを見る。


「始めて」


「《水球》」


 水面から水が持ち上がり、掌の上で小さな球になる。


 形は綺麗だ。


 大きさも安定している。


「四呼吸くらい」


 ユリウスが言う。


「もう一度お願いします」


 水を戻し、セシリアが構え直す。


 今度は少しだけ動作が速い。


「《水球》」


 水が持ち上がる。


 先ほどより早い。


 だが、球の下側が僅かに揺れた。


「三呼吸くらい。下が崩れた」


「やはりそうですか」


 セシリアは悔しがるというより、納得したように水球を見る。


「発動を急いだ分、形成の最後が雑になっていますね」


「もう一回?」


「はい。ただ、今度は速くしません。同じ三呼吸程度を意識しつつ、最後だけ丁寧にしてみます」


 三回目。


 セシリアは呼吸を整える。


「《水球》」


 水が上がる。


 先ほどとほぼ同じ速度。


 形成。


 球体になる直前だけ、掌の動きが僅かにゆっくりになる。


 完成した水球は、一回目ほどではないが、かなり安定していた。


「さっきより綺麗」


 ユリウスが言う。


「ありがとうございます」


 セシリアは水を戻し、少し考える。


「発動そのものを急ぐのではなく、工程の中で短縮できる部分を探した方がよさそうですね」


「全部を同じ速さでやる必要ないのかも」


 シュウが言う。


「私もそう思います。魔力を集めるところはもう少し早くても問題なさそうですが、形を整えるところまで急ぐと崩れます」


「それ、術式にも似てるかも」


 エリオットがこちらへ来た。


「俺も全部一定にしようとしてるけど、必要なのは魔力量であって、筆の速度まで全部同じじゃなくてもいいのかな」


 セシリアの練習が、エリオットの気づきへ繋がる。


 シュウは少し面白くなった。


 全員別々の課題をやっているのに、完全に別ではない。


「ダンは?」


 セシリアが振り向く。


 少し離れたところで、ダンは一人で練習板を睨んでいた。


「《微灯》」


 三つ目の火が灯る。


 一つ目。


 二つ目。


 三つ目。


「……お?」


 シュウが目を細める。


 完全に同じではない。


 だが、かなり近い。


「どうだ!」


 ダンが振り返る。


「今までで一番近い!」


「だろ!」


 満面の笑み。


 その瞬間だった。


 三つ目の炎が少し大きくなった。


「あ」


「喜んだ瞬間に増えた」


 ユリウスが淡々と言う。


「嘘だろ!?」


「本当です」


 セシリアまで頷く。


 ダンは三つの炎を見て、がっくり肩を落とした。


「成功したあとまで気を抜くなってことかよ……」


「維持してる間は魔法続いてるからね」


「くそぉ……」


 悔しそうだ。


 それでも、午前中より確実に近づいている。


「でも、出した瞬間は揃ってたよ」


 シュウが言う。


「次は維持だな」


「そういうこと」


「よし」


 ダンが顔を上げる。


「もう一回!」


「少し休んだら?」


「まだいける!」


「だから、その『まだいける』で力入りすぎるんじゃない?」


「……休む」


 素直になった。


     ◇


 一度全員で休憩を取ることにした。


 石壁沿いの日陰へ座り、水を飲む。


 春とはいえ、魔力を何度も使って集中していると身体が少し熱くなる。大きな魔法は一度も使っていないのに、午前中の実技と同じような疲労が頭の奥へ溜まっていた。


「自主練って、もっと適当だと思ってた」


 ダンが壁へ背を預ける。


「来て好きな魔法撃って帰るみたいな」


「それは禁止されています」


 セシリアがすぐ返す。


「分かってるって。そういう意味じゃなくて」


「でも、僕ももう少し自由に魔法使う感じだと思ってた」


 エリオットが水筒を閉じる。


「実際は授業で見つかった苦手をもう一回やってるだけだな」


「嫌?」


 シュウが聞く。


「全然」


 エリオットはすぐに答えた。


「むしろ今の方がいい。何となく魔法出すより、何を直したいか分かってるから」


 午前中まで「制御が苦手」という大きな括りだったものが、少しずつ細かくなっている。


 魔力を増やしすぎる。


 終わり際に気が抜ける。


 一ヶ所を意識すると別の場所が崩れる。


 問題が具体的になれば、練習する方法も見えてくる。


「ダンも?」


「俺?」


「《微灯》ばっかりだけど、つまらなくない?」


 ダンは少し考えた。


「最初はつまんねえと思ってた」


「正直ですね」


「でも、あとちょっとで揃いそうだろ?」


 ダンは練習板を見る。


「そうなると、揃えたくなる」


 単純だ。


 だが、その単純さは強い。


「セシリアは?」


「面白いですよ。自分では丁寧にやっているつもりでしたが、丁寧にすることと時間をかけることは同じではないと分かりましたから」


「ユリウスは聞かなくても分かる」


 エリオットが言う。


 ユリウスは休憩中なのに、自分の四角い術式を眺めていた。


「面白い」


「だよね」


「角を一つ丸めたらどうなるか考えてる」


「休憩しなよ」


「考えるだけなら休憩」


「そうかな……」


 五人の間に笑いが広がる。


 シュウは水を飲みながら、皆を見る。


 入学前には、こんな時間を具体的に想像していなかった。


 学院へ入れば友人ができるかもしれない。


 仲間を見つけたい。


 それくらいには思っていた。


 けれど、放課後に五人で練習場へ来て、失敗を笑いながらそれぞれの課題を試している光景までは考えていなかった。


(……楽しいな)


 胸の内で言葉にすると、少し照れ臭い。


 前世の記憶があるから、自分は周囲よりずっと大人なのだと、どこかで考えていた時期もあった。


 だが今は十七歳のシュウ・アルヴェインとして、この時間を普通に楽しいと思っている。


《マスター》


『何?』


《表情から判断すると――》


『言わなくていい』


《まだ内容を述べていません》


『どうせ「楽しそうです」とかでしょ』


《正解です》


『やっぱり』


 シュウは小さく笑った。


「また笑ってる」


 エリオットがこちらを見る。


「何でもない」


「一人で?」


「考え事」


「シュウって考え事してると結構笑うよな」


「そう?」


「朝は教室通り過ぎそうになるし」


「それは忘れて」


「忘れない」


 アルカディアとの会話を声に出していないだけ、以前よりは進歩している。


 そう思うことにした。


     ◇


 休憩後、シュウはエリオットから術式筆を借りた。


「ありがとう」


「俺は《微灯》やってみる」


「無理に火を大きくしないようにね」


「ダンじゃないんだから」


「聞こえてるぞ!」


 離れたところから抗議が飛んでくる。


 シュウは笑いながら、練習板を作業台へ置いた。


 午後の授業で見つかった課題。


 形を意識すると、術式筆を動かす速度が変わる。


 特に曲線。


 そこを試す。


 最初は普通の円。


 魔力を流し、術式筆を動かす。


 線の太さ。


 魔力量。


 手の速度。


 三つを同時に意識する。


(一定に……)


 半周。


 右上から右下へ。


 そこまではいい。


 下側の曲線。


 ほんの少し筆が遅くなる。


 完成。


 見れば、やはり下側だけ僅かに線が太い。


「うーん……」


《誤差は――》


『まだ言わないで』


《承知しました》


 シュウは術式を消す。


 二回目。


 今度は手の速度だけを強く意識した。


 円そのものは一回目より少し歪んだ。


 だが線の太さは揃っている。


「どっちを取るか、じゃないよな」


 独り言が漏れる。


 形も。


 線も。


 魔力も。


 全部を成立させる必要がある。


 できると思っていた基礎術式一つで、これだけ考えることがある。


 三回目。


 今度は、円を綺麗に描こうとしすぎない。


 魔力が流れる経路として必要な形を保ち、手を止めない。


 線の太さを一定にする。


 完成。


「……さっきよりいい」


 まだ完全ではない。


 左下が少しだけ太い。


 だが一回目より差は小さい。


「シュウ」


 隣からユリウスが呼ぶ。


「見て」


 彼の練習板には、四角い術式が描かれていた。


「動かした?」


「弱く流した」


「どうだった?」


「角で止まった」


「やっぱり?」


「でも全部じゃない」


 ユリウスは四角の右上を指す。


「ここが一番強く滞留した。たぶん、筆の向きと魔力を流す向きが合ってない」


「じゃあ?」


「角を丸くする」


 ユリウスは術式を消し、新しく描き始めた。


 今度は四角だが、四隅だけが丸い。


「それ、もう円に近づいてない?」


「まだ四角」


「こだわるね」


「どこまで四角なら動くか知りたい」


 目的が変わっている。


 成功する術式を作るのではなく、四角という条件をどこまで維持できるかの実験になっていた。


「俺も形変えてみようかな」


「やる?」


「普通の円をもう少しやってから」


 自分の癖を直す方が先だ。


 シュウは四回目へ取りかかった。


     ◇


 しばらくすると、エリオットの方から小さな歓声が上がった。


「できた!」


 全員が振り向く。


 練習板の上には三つの《微灯》が灯っている。


 大きさは。


 一つ目が少し小さい。


 二つ目が中くらい。


 三つ目も中くらい。


「二個揃った!」


 エリオットが嬉しそうに言う。


「三個じゃないのかよ!」


 ダンがすぐ突っ込んだ。


「俺はまず二個でいいんだよ!」


「目標低くないか?」


「今まで一個ずつ出力違ったんだから進歩だろ!」


「それはそうだけど!」


「ダンは三個揃ったの?」


「……まだ」


「じゃあ同じだろ」


「俺はもうちょっとなんだよ!」


「俺だってもうちょっとだよ!」


 珍しくエリオットがダンと言い合っている。


 だが二人とも笑っていた。


「競争にすると、またダンさんの出力が上がるのでは?」


 セシリアが冷静に指摘する。


 ダンの顔が固まる。


「……それは困る」


「なら競わない方がいいですね」


「エリオット、競争なし」


「俺は最初から競争してないよ」


「今しただろ!」


「ダンが勝手に乗ってきただけ」


「お前、意外と言うな!」


 笑い声が練習区画へ響く。


 シュウも術式筆を置き、エリオットの《微灯》を見る。


「二個目と三個目、本当に近いね」


「二個目出したあと、三個目で調整しないようにした」


「感覚をそのまま?」


「うん。午前中にシュウが言ってたの、やっと少し分かった」


 結果を見てから合わせるのではなく、自分がどのくらい魔力を出したかを覚える。


 エリオットは少しずつ、その感覚を掴み始めている。


「ただ、一個目はまだ大きさ違う」


「次の課題だね」


「うん」


 そこで終わらない。


 成功した部分を喜びながら、残った課題も見えている。


「シュウは?」


「まだ線の太さ」


「見せて」


 練習板を渡す。


 エリオットが覗き込む。


「最初より揃ってる」


「左下だけちょっと太い」


「本当だ」


「曲がるときに遅くなるんだよね」


「じゃあ円じゃなくて、直線だけ練習したら?」


 シュウは瞬きをする。


「直線?」


「曲線で遅くなるなら、まず同じ速度で線引く練習して、そのあと曲げるとか」


 言われてみれば単純だ。


 だが自分では、円を綺麗に完成させることばかり考えていた。


「……それやってみる」


「役に立った?」


「かなり」


「よし」


 エリオットが嬉しそうに笑う。


 午前中はシュウが助言する側だった。


 今は逆。


 それが何となく嬉しい。


「じゃあ、直線から」


 シュウは板を受け取り、術式を消した。


     ◇


 まっすぐな線を引く。


 ただそれだけなら簡単だと思った。


 実際、一度目は綺麗に引けた。


 だが二本目を同じ太さ、同じ長さ、同じ魔力量で描こうとすると、意外に難しい。


 一ミリほど長い。


 三本目は少し短い。


 四本目は終端だけ太い。


「……これ、午前中の《微灯》と同じじゃん」


 シュウは思わず呟いた。


 同じものを繰り返す。


 簡単そうに見えて難しい。


 魔法を使うのも。


 術式を書くのも。


 結局、再現性が重要になる。


《一本目を基準値とした場合、二本目の長さは約――》


『ちょっと待って』


《はい》


 シュウは自分で見比べる。


 アルカディアの数字を聞けば、正確な差はすぐ分かる。


 それは便利だ。


 だが、今は自分の目で差を見つけたい。


 一本目。


 二本目。


 三本目。


 四本目。


(たぶん、三本目が一番短い。二本目が少し長くて、四本目は長さより最後の太さ……)


『アルカディア』


《はい》


『俺の見方、合ってる?』


《概ね一致しています。長さについては一本目を基準とした場合、二本目が約二・一パーセント長く、三本目が約三・四パーセント短く、四本目は約〇・八パーセント短い状態です》


『やっぱり』


《終端の線幅についても、四本目が最大です》


『そこも合ってた』


《自己観察精度が向上しています》


『……今のは褒めてる?』


《はい》


『ちゃんと最初から褒められるじゃん』


《改善点を先に提示する方が効率的な場合もあります》


『そこは変わらないんだ』


 思わず笑う。


 アルカディアの分析を全部拒否する必要もない。


 先に自分で考え、そのあと答え合わせに使えばいい。


 それなら便利さに頼り切らずに済む。


「何笑ってるの?」


 エリオットがまたこちらを見る。


「上手くいったから」


「直線が?」


「直線が」


「地味だな」


「《微灯》二個揃えて喜んでた人に言われたくない」


「……確かに」


 二人で笑った。


     ◇


 夕方が近づくにつれ、春の日差しが少しずつ傾いていった。


 石壁の影が長くなり、練習区画を通り抜ける風にも昼間より冷たさが混じり始める。


 五人は最後に一度ずつ、自分の課題を試すことにした。


 セシリア。


 《水球》を三呼吸ほどで形成。


 最初より速く、形もかなり安定している。


 ただし、完成直後に表面が僅かに揺れた。


「まだ急いでいますね」


 本人はすぐ気づいた。


「でも最初より早くて綺麗」


 ユリウスが言う。


「ありがとうございます。今日はここまでにします」


 無理に成功するまで続けない。


 セシリアらしい判断だった。


 ユリウス。


 四角から始まった基礎放出式は、最終的に角の丸い長方形になっていた。


 魔力を流すと、四隅に僅かな滞留はあるものの、最初より滑らかに出口まで流れる。


「円じゃなくても動いた」


 満足そうだ。


「でも、ほぼ丸い四角だよね」


「四角」


「そこ大事?」


「大事」


 本人がそう言うなら大事なのだろう。


 エリオット。


 三つの《微灯》。


 一つ目。


 二つ目。


 三つ目。


 最初と二つ目はほぼ同じ。


 三つ目だけ少し小さい。


「惜しい!」


 ダンが自分のことのように悔しがる。


「でも二個揃った」


 エリオットは笑っている。


「次は三個」


「明日もやる?」


「毎日は疲れそうだから、授業次第」


 無理に決めない。


 それでいい。


 そしてダン。


「今度こそ」


 誰も煽らない。


 誰も競わせない。


 ダン自身も、いつもより静かだった。


 一度深く息を吸い、吐く。


 最初の円へ掌を向ける。


「《微灯》」


 小さな火。


 二つ目。


「《微灯》」


 ほぼ同じ。


 三つ目。


 ダンはすぐに発動しなかった。


 掌を開いたまま、一つ目を出したときの感覚を思い出しているようだった。


「《微灯》」


 三つ目が灯る。


 三つの炎。


 完全に同じではない。


 けれど、見ただけではほとんど差が分からない。


「……揃った?」


 ダンが小声で尋ねる。


「かなり近い」


 シュウが答える。


「維持」


 ユリウスが言う。


「あっ」


 ダンは慌てて炎へ意識を戻した。


 喜ばない。


 まだ。


 十呼吸。


 全員で黙って見守る。


 一。


 二。


 三。


 炎は揺れる。


 だが大きくならない。


 四。


 五。


 六。


 ダンの額に少し汗が浮かぶ。


 七。


 八。


 九。


 十。


「……よし!」


 三つの炎が一斉に消える。


 その直後、ダンが両拳を上げた。


「できたぁ!」


 声が練習区画へ響いた。


「おめでとう」


 セシリアが笑う。


「午前中から考えると、すごい進歩だね」


 エリオットも拍手する。


「最後まで増えなかった」


 ユリウスが頷く。


「やったな」


 シュウが言うと、ダンは満面の笑みを向けた。


「見たか、シュウ!」


「見た見た」


「三つ揃えたぞ!」


「うん」


「次はもっと大きい火を三つ――」


「それは先生に聞いてから」


「まだ何も言ってないだろ!」


「言いかけてたよ」


 皆が笑う。


 ダンも少ししてから一緒に笑った。


「でも、今日はこれでいい」


 その言葉に、シュウは少し驚いた。


「もうやらないの?」


「成功したから終わり」


「珍しい」


「何だよ、その反応」


「いや、もう十回くらいやるって言うかと思った」


「やったらまた失敗しそうだし」


 ダンは消えた三つの火を見る。


「今日は一回できた。それ覚えて帰る」


 午前中にガルドから教わったことが、きちんと残っている。


 力任せに繰り返すだけではない。


 成功した感覚を覚える。


「いいと思う」


「だろ?」


 ダンは得意げに胸を張った。


     ◇


「シュウは最後、何する?」


 エリオットに聞かれ、シュウは術式筆を見る。


 直線練習によって、手の速度はかなり揃ってきた。


 なら最後に、もう一度円へ戻る。


「基礎放出式、もう一回」


「見る?」


「お願い」


 今度は一人ではない。


 エリオットだけでなく、ユリウスも近くへ来た。


 ダンとセシリアまで覗き込む。


「何で全員見るの?」


「俺たち見られたし」


 ダンが笑う。


「公平です」


 セシリアまで言う。


「失敗しづらくなるどころか、緊張するんだけど」


「見せる相手がいると出力上がるぞ」


「それダンだけじゃない?」


「分かんねえだろ」


 言われて、少しだけ納得する。


 人に見られていることで普段と違う動きになる可能性はある。


 それも練習だ。


「じゃあやる」


 シュウは術式筆へ魔力を流す。


 淡い光。


 練習板へ先端を下ろす。


 円。


 綺麗さだけを求めない。


 手を止めない。


 魔力を一定にする。


 線の太さを感じる。


 右側。


 下。


 左。


 上。


 始点へ戻る。


 閉じた。


 中央線。


 出口。


 完成。


 シュウはすぐには何も言わなかった。


 自分で見る。


 円は僅かに横長。


 だが機能には問題ないはず。


 線の太さ。


 右下。


 左下。


 上。


(……揃ってる?)


「どう?」


 エリオットが先に尋ねる。


「俺には同じに見える」


「僕も」


 ユリウスが顔を近づける。


「左上が少し細い気もするけど、ほとんど同じ」


「俺には全然分かんねえ」


「私も大きな差は見えません」


 シュウは小さく息を吐いた。


『アルカディア』


《はい》


『答え合わせ』


《最大線幅と最小線幅の差は約一・二パーセントです。最も細い箇所は左上部。魔力供給量の変動は許容範囲内です》


『ユリウス当たりか』


《はい》


 完全ではない。


 でも、最初より良くなった。


「左上がちょっと細いって」


 シュウが言う。


「誰が?」


 エリオットが尋ねる。


 一瞬、言葉に詰まる。


 アルカディアとは言えない。


「……自分で見た感じ」


「さっきユリウスが言ってたところ?」


「うん、そこ」


「じゃあユリウスすごいな」


「たまたま」


 ユリウスはそう言うが、少し嬉しそうだった。


「でも成功?」


 ダンが尋ねる。


「たぶん」


「なら終わろうぜ。俺も成功したし!」


「ダンさん、自分の成功を基準にしないでください」


「いいだろ、今日は!」


 シュウは笑いながら術式を消した。


 今日はこれでいい。


 完璧になる必要はない。


 昨日まで気づいていなかった癖を一つ知り、少し直せた。


 それで十分だった。


     ◇


 道具を片づけ、管理棟へ返却したころには、空が少しずつ橙色を帯び始めていた。


 利用記録へ学生証を通し、五人で練習区画を出る。


「腹減った」


 ダンが真っ先に言う。


「昼食を食べてから、それほど経っていませんよ」


「魔法使ったから」


「午前中も同じこと言ってたよね」


 シュウが笑う。


「魔法使うと腹減るんだよ」


「それは分かる」


 エリオットが自分の腹へ手を当てる。


「俺もちょっと減った」


「お前もか!」


「でも図書館行く」


「えっ、今から?」


 ダンが足を止める。


「最初からその予定だったよ」


「俺聞いてない」


「昼に話してなかったからね」


 セシリアが少し考える。


「私は一度寮へ戻ろうと思います。今日の授業内容も整理したいので」


「俺も戻る」


 ダンは即答した。


「腹減ったし」


「結局そこなんですね」


「大事だろ!」


 二組の二人とは中央広場で別れることになった。


「じゃあ、また明日!」


 ダンが手を上げる。


「お疲れさまでした」


 セシリアも小さく頭を下げる。


「また明日」


 シュウたちも手を振った。


 二人の背中が女子寮と男子寮へ分かれる道へ消えていく。


 残った三人は図書館へ向かった。


「何調べる?」


 エリオットが歩きながら聞く。


「俺は昼に話したやつ。古い術式とか、昔の言葉の意味とか」


「僕は古語辞典探す」


 ユリウスが言う。


「俺は制御の本、もう少し読む。今日やったこと載ってるかもしれないし」


 三人とも目的がある。


 春の夕暮れの中、図書館の大きな建物が見えてくる。


 窓には西日が反射し、昼間とは違う金色の光を帯びていた。


 入口を通ると、外の学生たちの声が急に遠くなる。


 紙と古い革の匂い。


 高い書架。


 吹き抜けを囲む二階の回廊。


 昨日初めて入ったときには、その広さだけで圧倒された。


 今日は違う。


 探したいものがある。


「古語辞典なら二階かな」


 ユリウスが案内表示を見る。


「歴史言語資料……あっち」


「俺も行く」


 シュウが続く。


「じゃあ俺は一階の基礎魔法行ってくる」


 エリオットが手を上げる。


「あとで受付前?」


「うん」


 三人が別れる。


 シュウはユリウスと階段を上った。


 魔法史。


 古代術式。


 歴史言語。


 目的の棚へ近づくにつれ、本の背表紙が古びたものへ変わっていく。


「これ」


 ユリウスが一冊を抜き出す。


 『古式魔術用語変遷集』


「早い」


「分類番号見た」


「なるほど」


 二人で閲覧机へ向かう。


 厚い本を開く。


 索引。


 シュウは指で文字を追った。


「封……封……」


 見つける。


「これだ」


 該当頁を開く。


 そこには複数の用法が並んでいた。


 封鎖。


 封印。


 閉鎖。


 保存。


 固定。


 境界指定。


 そして。


「……『保持』?」


 シュウの指が止まった。


 古い魔術用語において「封」の文字は、単に対象を閉じ込める意味だけではなく、魔力や術式の状態を一定に保つ「保持」を意味する場合がある。


 ただし時代や地域によって用法は異なり、単語のみから目的を特定することはできない。


 そう記されていた。


「シュウ?」


 ユリウスがこちらを見る。


「何かあった?」


「……うん」


 シュウは頁を見つめる。


 北の封所。


 今まで、その言葉を聞くたびに何かを閉じ込めている場所だと思っていた。


 もちろん、その可能性はまだある。


 だが。


(封じるんじゃなくて、何かの状態を保ってる可能性もある……?)


 白樹。


 外から与えられた魔力を保持する素材。


 定期的な魔力補充。


 古い小屋。


 代々の管理。


 扉。


 鐘。


 点だった情報が、ほんの少しだけ近づいた気がした。


 まだ繋がったわけではない。


 ここで答えを決めてはいけない。


「家の記録にあった言葉?」


 ユリウスが尋ねる。


「うん。『封』って、閉じ込める意味だけじゃなかったみたい」


「保持」


 ユリウスも記述を見る。


「でも地域差ありって書いてある」


「そうなんだよね」


「じゃあ、これだけじゃ分からない」


「うん」


 シュウは頷いた。


 その言葉に、不思議と落胆はなかった。


 むしろ。


「でも、調べるものは増えた」


「何を?」


「北の地域で、この使い方をしてたかどうか」


 ユリウスが少し考える。


「地域別の古語資料」


「ありそう?」


「探す」


 すぐに立ち上がる。


「待って、俺も行く」


 二人で再び書架へ向かう。


《マスター》


『何?』


《北の封所について、新規仮説を記録しますか?》


 シュウは少しだけ考えた。


『記録して。でも確定じゃない』


《承知しました。「北の封所」の「封」は、封印・封鎖だけでなく、魔力または術式状態の保持を意味する可能性あり。地域・時代用法未確認のため仮説段階として記録します》


『それでお願い』


《記録しました》


 答えはまだ遠い。


 北の森で何が眠っているのかも。


 白樹の小屋が何をしていたのかも。


 アルヴェイン家が本当は何を管理していたのかも分からない。


 それでも昨日は「白樹」という素材を知った。


 今日は「封」という言葉に別の意味があると知った。


 一つずつでいい。


 シュウは並んだ本の背表紙を目で追う。


 放課後の練習では、自分の癖を一つ知った。


 図書館では、家に残された言葉の意味が一つ増えた。


 できることが増えるのと同じくらい、知らないことが増えていく。


(学院に来てから、分からないことばっかり増えてるな)


 けれど、それが嫌ではなかった。


 むしろ今は、その一つ一つを調べていくことが楽しい。


「シュウ」


 少し先の書架からユリウスが小声で呼んだ。


「北部地域の古語資料、あった」


「本当?」


「三冊」


「多いな……」


「読む?」


 シュウは笑った。


「読む」


 夕方の図書館で、二人は三冊の本を抱えて閲覧机へ戻っていく。


 窓の外では、空が少しずつ赤く染まり始めていた。


 夕方の鐘が鳴るまで、まだ少し時間がある。


 そしてシュウには、その時間で確かめたいことが、また一つ増えていた。

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